「万葉歌碑」
藤白の み坂を超ゆと 白たえの 
  我が衣手(ころもで)は 濡れにけるかも 作者未詳、巻9-1675

藤白の坂を越えるにつけ、ここで殺された有間の皇子の事が思い出され、
私の衣の袖は涙で濡れてしまったことよ。

 有間の皇子が殺されてから43年後の大宝元年(701)持統、文武両帝の
紀の湯白浜への行幸に従駕したお供の人が、藤白の坂で有間皇子の事件を
偲び、若き命を絶たれた悲運の皇子への哀しみを詠んだものです。
 歌碑は藤白神社の敷地内にある有間皇子神社に建っており、
揮毫者は地元出身者の画家で、郷土史家でもあった雑賀紀光先生です。