有間の皇子の歌碑とお墓 藤白神社の近くにあります。

「家有者 笥尓盛飯乎 草枕 旅尓之有者 椎之葉尓盛」
 
 孝徳天皇の皇子として将来を期待されながらも、
斎明4年(658年)中大兄皇子と蘇我赤兄の陰謀(?)にはまり
謀反の疑いを掛けられ、白浜温泉に行幸の帰途、ここ藤白坂で
19才の若さで悲劇の死を遂げられました有間の皇子は、
万葉の歌とともに熊野古道に幾つかの伝説を残しています。

 歌碑の奥に祀られている有間皇子神社は、
若くしてこの地で謀殺された有間皇子の霊を慰撫するために、
昭和56年4月に建立されました。
 有間皇子の魂が宿る地として「み坂」と詠まれているこの藤白坂は、
「後鳥羽上皇」の熊野参詣にお供した「藤原定家」が「よじ登る」と
表現したほどの急な坂である。
 一時間ばかり此の坂を登りきった峠に
「御所の芝」と呼ばれる高みがある。此の名の由来は「花山法皇」や
「白河上皇」その他多くの上皇、貴族がここからの景色を眺めるため、
ここに行宮を設けた事から起こった名前で、この「御所の芝」からの眺めは
「名高浦」「黒牛潟」「紀三井寺の名草山」「和歌浦」「玉津島」「雑賀崎」
「淡路島」「四国」と万葉の故地が一望出来、
大変すばらしく「熊野路一の美景なり」と言われています。