海南市大崎 県道沿いに有り

 この歌は天平11年(739年)に起きた石上乙麻呂事件と大いに関わりが有る。
 続日本紀に「石上朝臣乙麻呂、久米連若売(くめのむらじわかめ)を奸す罪により、
土佐の国に配流され、若売は下総の国に配流される」と記されている様に、
物部氏本宗を継ぐ当代有数の文人、石上朝臣乙麻呂は、藤原宇合の未亡人で、
その当時宮中に仕えていた、美人の久米連若売との恋愛事件の罪により、
土佐の国に流される事となった、その途中に詠んだ歌であろう。


 
 大崎の港は、その昔、紀の国屋左衛門もここから蜜柑を積み船出したと云われている、
深く入り江が入り込んだ天然の良港である。
 大方の船は、外海の荒波にもまれ、やっと辿り着いたこの大崎の港で、
船人を迎えるのは其れまでとは打って変わって対照的な静けさである。
この静けさに船人達はこの地に神の存在を知り、
それが「神の小浜」と云う名を生んだのだろう、
   
 大崎のこの静けさにと穏やかさは、何事にも変えがたい安らぎを与え、
船人達はここで十分鋭気を養い、次なる目的地へ漕ぎ出して行ったのである。
 今は捕らわれの身、まま成らぬ石上朝臣乙麻呂は その心境を詠った歌である。
 なお 石上朝臣乙麻呂は2年後、恭仁京遷都の大赦で無事放免された。
   


大崎の県道沿いにある 紀の国屋文左衛門の碑
船出の地