黒江町の氏神様、中言神社(ナカゴト)
神社名は「神」と「人」との「中」を取り持つ「言」がその由来であると言われております、

  大宝元年(701)持統、文武両帝が牟呂の湯(白浜温泉)への行幸の途中度々
ここ黒江に立ち寄られ遊興された様です、

 その節、柿本人麻呂も愛する人とも一緒に来られ、たのでしょう。
その事が、万葉集で伺えます。
 紀伊名水の一つである
「黒牛の水」の井戸舎の改築を
皆様方の御寄付により建立されました。
 柿本人麻呂 「万葉歌」 巻9-1798

   古(いにしえ)に 
 妹(いも)と我が見し ぬばたまの
 黒牛潟を 見ればさぶしも。

 「ぬばたま」は黒、夜、闇、などに掛かる枕詞。

 かつては愛する人と一緒の眺めたこの黒牛潟を、今は一人で眺めているのが
とても寂しい事だ。
 
 柿本人麻呂はかつてこの美しい黒牛潟を愛する人と共に見たのでしょう。しかしその人は今はなく、
一人で眺める黒牛潟に物足りなさを感じつつ過去を偲び、愛する人を失った悲しみを新たにしています。

 万葉の頃の人々は潮干狩りは珍しかったに違いない。
 海南では何時の頃からか、 貝堀り法が秘伝となって伝わっている、これは
誰でも習えると言うわけでのものでなく、幼少の頃から体験した「カン」と「コツ」を
覚えなくては駄目である、普通貝はその息で在りかを見つけるが、
2個の穴有れば塩を載せれば飛び出して来るとか、その他カヤリと言って貝が砂の中にもぐり込み、
体の位置を転換する時の砂のもり上り方、
潮流と貝の分布を考えてやる方法等すべて科学的によく出来ている。
往古 この付近jまで海岸が深く入り組んだ入り江でした。
「紀伊続風土記」の中に「この地いにしえは海の入り江にてその干潟の中に牛に似たる黒き石あり、満潮には隠れ、干潮には現れる。よりて黒牛潟と呼ぶ、黒江は黒牛潟の入江の略語なり」と記されています。
黒江と言う地名はこの黒牛潟に由来しています。

このお宮に 黒牛が奉納されています。
参考
「ぬばたま」はヒオウギの実の事です、ヒオウギはあやめ科の植物で真夏にオレンジ色に赤い斑点のある
花を付け、花が咲いた後、真っ黒い実を付けます。万葉集には「ぬまたまの」は黒や夜の枕詞として
62首もの歌に出て来ます、
 居明かして 君をば待たむ ぬばたまの
     吾が黒髪に 霜はふるとも   
(仁徳天皇のいわの姫のお妃が 天皇の来るのを待って 
 夜を明かして 君が来るのを待ちましょう ぬまたまの 私の黒髪に 霜が降ろうとも)