名草山 言(こと)にしありけり 我が恋ふる
  千重(ちえ)の一重も 慰めなくに

 万葉人は一種の言葉遊びのようにして、その土地の名から連想をふくらませて
歌に自分の願いを託しました。

 名草山はその名の通り、私の心を慰めてくれると聞いていたが、
それは言葉ばかりで、私の恋の苦しさの千分の一も慰めてはくれない。

 「名草山」の「なぐさ」から 「慰め」を連想したこの歌碑は、
名草山中腹にある西国三十三番札所第二番の紀三井寺の境内に立てられている。
土産物屋が並ぶ参道を過ぎ、楼門をくぐると頭上見上げるばかりに長く続く階段がある。
この階段を上がりきると本堂のある境内に着く、
歌碑はこの本堂前に建っている。歌碑のある境内からの眺望は実に素晴らしく、
高津子山をはじめ 和歌浦の全景が一望出来る。
万葉時代には山裾近くまで入り江が広がり、遠く海中には 
藤原卿が「見れども飽かず」と表現した「玉津嶋」が点在していた。
現在 その姿は大きく変貌しているが、それでも今日私建ちが目にする物の中に、
万葉人が愛してやまなかった絶景を想像することが出来る。