不連続な読書日記(2009.5)



【書評】

●伊藤邦武『パースの宇宙論』(岩波書店:2006.9.8)

《パースの閃光》

 チャールズ・サンダーズ・パース。その生涯に1250篇近くの論文を発表。総計は1万2千枚、加えて、未発表の草稿が少なくとも8万枚はあるという。
 ある研究家は、「アメリカ大陸がこれまでに生んだ最も独創的で最も多才な知性」とし、「数学者、天文学者、科学者、……、俳優、短編作家、現象学者、記 号論者、論理学者、修辞学者、形而上学者」等々と、25項目を列挙している。
 このリストの最初と最後を組み合わせた「数学的形而上学」を、パースはしばしば「宇宙論」の同義語として使った。
 本書は、「相対性理論や量子論が形成される以前に、物理学の根本的な革命の必然性とその方向への予感に導かれて」構成された、パースの「多宇宙論的で進 化論的な宇宙の具体的なヴィジョン」の概要を、鮮やかな構成と論述でもって腑分けしたものだ。

 伊藤氏によると、パースの宇宙論は、「論理的反省と一種の形而上学的思弁、さらには宗教的思想によって動機づけられた、奇妙な理論的アマルガム」であっ た。
 このうちの後者、「宗教的思想」をめぐる第一章「エマソンとスフィンクス──「喜ばしい知識」の伝道師」で、伊藤氏は、「スフィンクスの謎」を宇宙生成 と発展の論理を問うものと解釈したエマソンの詩と、ニーチェにも多大な影響を与えたその思想とを一瞥することで、19世紀前半のアメリカ、若きパースをと りまいていた「トランスセンデンタリズム(超越主義)」の精神的高揚の雰囲気を描く。
 続く第二章「一、二、三──宇宙の元素」が、パースの「論理的反省と一種の形而上学的思弁」の根本に据えられた、三つの「新ピュタゴラス主義」的カテゴ リー論をとりあげる。(「それはあたかも、キューブリックの映画『二○○一年 宇宙の旅』のなかで、漆黒の宇宙空間を進む宇宙船の背後に常に流れていた、ヨハン・シュトラウスの『美しき青きドナウ』のように、パースの理論全体に深 く、広く浸透した存在論である」。)
 すなわち、「第一のもの」(質、偶然、潜在性、等々)、「第二のもの」(個物、法則、相互作用、等々)、「第三のもの」(普遍、媒介、総合化、等々)。

《宇宙とはその広大無辺なすべての領域と時間とを貫いて、三つのカテゴリー的元素が組み合わさって、万華鏡のようにさまざまな様相のタピストリーを現出さ せつづけている、目くるめくような壮麗なワルツの世界である──。これが現象学とグラフ理論から導出された、パースの形式的な存在論であった。》

 こうして、宇宙創成の論理(時間と出来事の発生の論理)である「偶然主義」(第一のもの)、その成長の理論である「連続主義」(第二のもの)、そして宇 宙終局への進行の理論(「死」の理論)である「アガペー主義」(第三のもの)が導出される。
 第三章「連続性とアガペー──宇宙進化の論理」では、宇宙進化の論理(「われわれの側にある事物の状態」の展開の論理)として、後二者がとりあげられ る。
 まず、連続主義。20世紀後半の超準解析の発想にも通じる、連続体と無限小をめぐる数学の議論を経て、宇宙における三つの連続体=存在領域、すなわち 「質の世界・精神の世界・物質の世界」が通覧される。
 その結果、「世界は連続する精神と連続する物質からなり、さらには精神同士のあいだも、精神と物質のあいだも連続し合っている」という、心身の連続性の 世界が描出される。
 次に、アガペー主義。(それは、エマソンが重視したスウェーデンボルグの神秘主義的思想を色濃く反映するものだった。)
 パースの宇宙論の要点は、伊藤氏によって次のように総括される。「宇宙はすべてが偶然からなるために無であるとしか考えられない世界から、すべてが法則 的であるために無であると見なされる世界へと移行する」。
 すなわち、「質」=無から(「精神」を媒介として)「物質」=無へ。そのとき、パースがいうように、「精神もその無限の遠い将来において、最終的には結 晶する」。
 「神的愛の無償の自己否定的作用」にも似た、精神の自己否定による宇宙の完成(=物質的世界の体系化)。そのとき、「物質」は、「質」と同じ種類の自発 性をもち、精神から出発し精神へと帰還するメビウスの環の本性をもつであろう。「アガペー」の名で語られるのは、このような精神と物質の結びつき(共感) のことである。
 第四章「誕生の時──宇宙創成の謎」では、パースの偶然主義が論じられる。ここが、本書のハイライトである。
 伊藤氏は、パース次の文章の詳細な読解を通じて、そこから発生する複雑極まりない「宇宙の誕生のロジック」を精緻に再構成していく。──「混沌とした原 初的な潜在性=無」⇒「超無限次元の連続体からなる世界」⇒「(論理と時間とが結びつく世界)」⇒「(時間と質が結びつく世界)」とつづく、世界の開闢と 複数世界成立の論理を。

《この不確定性の母胎から、第一の原理によって何かが生じたのだといわなければならない。われわれはこの原理を「閃光」と呼んでもよい。そして、習慣の原 理によって、第二の閃光があったのだといえる。そこにはまだ時間が存在しなかったとしても、この第二の光はある意味では第一の光の後になる。というのも、 それは第一のものの結果として生じたからである。……原初の閃光から帰結したこの連続性の擬似的な流れは、われわれの時間と比較したとき、次のような決定 的な相違をもっている。すなわち、複数の閃光からは異なった流れが始まっていて、それらの間には共時性とか先後の継起性とかの関係が成立していないかもし れないのである。》

 中世の神学と現代の量子暗号論に同時につながっていくパースの宇宙論。
 伊藤氏が、パースの形而上学的冒険と神秘主義的洞察を「縮約」したこの書物に描きだしたのは、パースという巨大なカオス(知性の連続体)から一瞬発せら れた閃光の鮮やかでスリリングな軌跡であった。それに続く第二の閃光は、おそらくいまだ発せられてはいない。

●神田龍身『紀貫之──あるかなきかの世にこそありけれ』(ミネルヴァ書房:2009.1.10)

《フィクションとしてのテクスト、フィクションとしての人生》

 貫之ときけば、古今集仮名序の「やまとうたは、人のこころをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける」を想起する。
 和歌は「人のこころ」を詠んだもの。表現せずにはいられない、やむにやまれぬ「思い」を言葉の技術を駆使してうたいあげるのが和歌である。仮名序冒頭の 言葉は、そのように読むこともできる。
 しかし、貫之は「屏風歌」の名手だった。屏風に描かれた絵に合わせて言葉を編集する。なにか詠むべき「思い」が先にあって、それを苦心惨憺して和歌に表 現したのではない。その屏風歌を貫之は大量に詠んだ。貴族からの注文生産に応じるいわば和歌の職人。
 ここに、古典和歌をめぐる「建前」と「本音」のミスマッチがある。
 しかし、そのようにとらえられた貫之は、いずれも「近代人」なのではないか。それらは近代人の視点から見た貫之像なのではないか。
 川嵜克哲氏は『夢の分析』で、平安時代の人には内面がないと書いている。反省的な自己意識を蔵する私秘的な内面。平安人・貫之がいう「人のこころ」は、 そのような近代人に装備された心のことではないということだ。
 西郷信綱著『古代人と夢』に、古代人は「夢は人間が神々と交わる回路であり、そこにあらわれるのは他界からの信号だと考えていた」と書かれている。貫之 はそうした意味での「古代人」だったかもしれない。
 貫之が生きたのは、いわゆる国風暗黒時代を経て、中国文明の圧倒的な影響からようやく脱しつつある時代だった。たとえば仮名文字の成立、たとえば勅撰和 歌集の編纂に、それは端的にあらわれている。
 貫之こそ、この文化的独立運動の先頭に立つ「近代人」だった。そういってみることもできるだろう。
 まことに、貫之をどうとらえるかは錯綜をきわめる。
 本書は、ある意味で、徹底した「近代」の視点に立ち、そこから見られた究極の「近代人」貫之の多面的な像を描き出す示唆と刺激に満ちた書物である。

 神田氏は本書で、「貫之テクストにみるフィクションの問題」を多角的に論じる。
 そこには、あらためて取りあげ賞味または吟味すべき多くの論点がちりばめられている。が、ここでは、「エクリチュールの問題を徹底して問いつづけてきた 貫之文学」と「フィクション」の関係、同時に「人のこころをたねとして」のロマン主義的ともいえる解釈への批判にもつながる議論を三つ引いておく。
 その一は、古今集が屏風歌を認めずにそれを四季歌とし、貫之集が四季の部立を設けなかったのはなぜかをめぐる貫之屏風歌論。
 神田氏は「貫之文学がいかに屏風歌なるものから生成されたか」を詳細に解析した上で、「平安朝和歌にあっては、絵を媒介するところから四季歌は生成され たし、和歌の自然観も深められた」と指摘する。
 すなわち屏風歌歌人として生きたがゆえに貫之が、(そして同時代にあっては貫之だけが)、和歌における「フィクション」を発見し、「『古今集』編纂の段 階で、和歌の意味はコンテクストが決定すること、和歌の言葉は無限に引用可能であることを認識し」得たのである。
「歌が声として発生した際には、その歌声は発生とともに消失するが、書記化された歌は現場を離れて反復される。だからこそ四季歌にも屏風歌にもなり得る し、詠歌主体の変更も可能となり、いかなる詞書を付すかも勝手である。(略)私がいいたいのは、和歌が書記されたことで、歌なるものに本来的に孕まれてい た反復可能性という問題が顕在化したということである。」
 その二は、土佐日記の阿倍仲麻呂の挿話(「唐土とこの国とは言ことなるものなれど、月の影は同じことなるべければ、人の心も同じことにやあらむ」)を 「本邦初の翻訳論」と読解したくだり。
 神田氏は、この翻訳論は「人のこころをたねとして」云々をはるかに超えた批評レベルに到達しているとする。
「仮名序の「言」と「心」とは、詠歌主体の心とそれを基に表出された歌との関係をいうが、ここでは、シニフィアン/シニフィエ、という言語の構造それ自体 の分析用語としての使用である。しかも、「心」はすべてを根拠づける起源としてア・プリオリにあるのでなく、「言」から事後的に発見されたとする。これは 「種」としての「心」が先行し、そこから「葉」が生ずるとする仮名序の因果論の比ではない。」
 その三、日本語音声を指示する「透明なシニフィアン」として仮名をとらえるロジックを退け、それは「紙上のパロール」すなわち「パロールを装ったエクリ チュール」以外ではないとする議論。
 神田氏は、(貫之の「桜花散りぬる風のなごりには水なき空に波ぞ立ちける」が、「散花の残映を「名残」かつ「なごり(余波)」とし、しかもそれを「水な き空」に立つ「波」と喝破した」ごとく)、「風それ自体でなく、波なる視覚化において初めて風の正体が見極められ、波の背後の「心」が摘出されたように、 仮名という音声の視覚化によって、初めて言葉の正体が対象化され得たのである」とする。
 そして、「仮名文字こそが偽装の日本語音という最大のフィクションだったことになる。(略)古今集歌の表現は初めから紙上の歌として生成されたものであ り、うたわないことを前提にしている以上、フィクションとしての歌である」と結ぶ。

 貫之の歌が、屏風絵というフィクションを鏡(媒介)として、フィクショナルな心と主体を詠む鏡像を始発とするものであったこと、したがって、「人のここ ろをたねとして」がある政治性・戦略性をもった宣言であったことなどは、神田氏が指摘するとおりだろう。
(というのも、三島由紀夫がいうように、古今集の編纂は、「力による領略ではなくて、詩的秩序による無秩序の領略」を志向するものだったのだから。また、 古今集編纂時、すでに貫之が、歌におけるフィクションやコンテクストの重要性を認識していたのなら、仮名序の「言」と「心」とは、「詠歌主体の心とそれを 基に表出された歌との関係」ではありえなかっただろうから。)
 そして、「「心」はすべてを根拠づける起源としてア・プリオリにあるのでなく、「言」から事後的に発見された」こと、それが「偽装の日本語音という最大 のフィクション」を担う「紙上の歌」、すなわち貫之歌を典型とする古今集歌の表現を通じて遂行されたこと、これらもまた神田氏の指摘どおりだと思う。
 私がこれに付け加えることがあるとすれば、それはただ一つ、それらの議論はすべて、貫之がその果たすべき仕事をなし終えた後でこそ、はじめて成り立つも のなのではないかということである。
 貫之の時代、和歌は、公的な世界からは「棄てて採られ」(真名序)なかった。貫之はそこから、つまり、俗なる世界のただなかにあって、屏風絵というフィ クショナルな鏡面に立ち騒ぐ「現象」を凝視し、われを物思わせる場そのものへと遡行することによって、歌の本質を独力で再定義しようとした。
 だからこそ、歌は「人のこころをたねとし」なければならぬと宣言したのだし、そのようにして生み出された歌であったればこそ、事後的に「心」の発見(創 出)をもたらす「偽装の日本語音」の力をもちえたのである。私はそう考えている。

●坂部恵『不在の歌──九鬼周造の世界』(TBSブリタニカ:1990.12.17)

《双子のように響き合う文人哲学者》

 文人哲学者・九鬼周造という「異例の哲学者」(『九鬼周造エッセンス』「解説」での田中久文氏の評言)の度はずれたスケールとその深さまた高さを、「註 解」もしくは「註釈」という方法で凝縮した格好の入門書。入門書というよりは誘惑の書。坂部恵というもう一人の文人哲学者(もしくは、『かたり』の文庫解 説での野家啓一氏の評言を借りるならば、「詩人哲学者」)の音韻と音階が「双子」のように重ね合わされている。とりわけ「ポンティニー講演」をめぐる叙述 の濃度が高い。以下、その概略。

 第1章「天心の影──「根岸」と「或る夜の夢」」。
 「[実の父]隆一、母[波津]、[心の父・岡倉]天心と周造自身とからなる九鬼の四角形の宇宙ないし反─宇宙(お望みならば、一種「アンチ・エディプ ス」的な四角形の反─宇宙)」が、「私は、はたして何者なのか」という「みずからの同一性の根底を揺るがす深い不安」を投げかけた。
 それらは後年の、周造の思考における「女性性」(フェミニテ)ないし「たをやめぶり」、また「両性具有」「分身」「双子」「二元性」「エロス」等々の テーマへと関連していく。

 第2章「いのち寂し──『巴里心景』と『「いき」の構造』」。
 九鬼の詩魂(とくに短歌)を一瞥した後、『「いき」の構造』が、異郷にあって二人の父と母を想う「周造の内面にはらまれた幾重にも重層的な二元の邂逅の 「緊張に支えられて、はじめて魅力あふれる作品たりえている所以」が述べられる。

 第3章「わくら葉に──ポンティニー講演と『偶然性の問題』」。
 1928年、ブルゴーニュの小村シトー会の修道院で行われた二つの講演が語られる。日本人によって外国語で書かれた日本文化論として『茶の本』『東洋の 理想』『武士道』『代表的日本人』等に「匹敵する重みと問題性をもち」、また「周造の哲学的思索のもっとも深くかつ重要なモチーフを端的に提示するも の」。「九鬼の思索の営為全体におけるひとつの頂点を占める」もの。
 第一の講演「東洋における時間の観念と時間の捉え返し(反復)」。「これだけ抽象度の高い形而上学的思弁を能くする力は、…空海、道元、梅園らごく少数 の例外を別として、ほとんど見あたらない類のものである」。
「そこには、おのずから、周造自身の時間に関する何らかの神秘体験、あるいは、すくなくともそうした神秘体験への想像力をもってする深い共感の裏打ちが あったものと考えられる」。「神なき時代の神秘体験について深く思いをいたしたジョルジュ・バタイユの精神的雰囲気からそれほど遠くないところにいなかっ たと想像しても、それは、それほど見当ちがいのこととはいえない」。
 第二の講演「日本芸術におけ〈無限〉の表現」。「循環する時間」のテーマが「出会い」のテーマと密接な関連をもって述べられている。「いき」の概念装置 の射程には入りえぬ類のもの、水墨画や蕉風の俳諧等を主たる考察の素材とするこの講演は、「多くの音域と音階を含む周造の生と思索の宇宙にあって、ある意 味で、[『「いき」の構造』と]対極的な互いに補い合う位置を占めるものである」。
 続いて『偶然性の問題』。「自己の絶対的孤独と峻厳な宿命の同一性の底無しの深みと、自己と他者の二元的対立というふたつのテーマの重なり合うところに 生起してくるもの、すなわち、あえていいかえれば、無限の厚みをもった永遠の今を生きる一種の神秘体験の核をさらに一層掘り下げて行くところに生起してく るものこそ、〈偶然性〉の問題にほかならなかった」。

 第4章「双子の微笑──「文学概論」と「日本詩の押韻」」。
 九鬼の「文学概論」は、「周造の生涯の思索の営為のひとつの頂点をなし、また集大成をなすものとして、周造の代表作の筆頭に数えられるべきものであ る」。また「たとえば、漱石の「文学論」とならんで、明治以後の日本の文学論のなかで、際立った思弁性と透徹した体系性という特色をもって、孤立に甘ん じ、今なおい孤高を持しているようにおもわれる」。
 その「文学概論」の最後の結論。《我々は文学とは「存在の言語による表現自身」といふ主題に基いて、存在の領域を一々考察し、最後に存在と同意義である 時間の観念に到達して、時間の見地から文学を見た。そして文学とは「時間の言語的表現それ自身」といふ認識にたどり着いた。》
 最後に「日本詩の押韻」。論の末尾近く、「文化多元論的視点に加え、韻律に体現される垂直のエクスタシス、〈いのちのはずみ〉の実存的意味ないし局面」 について述べた文章。《律と韻とは詩の音楽的様相である。音楽が心のおのづからな流れとして世界的の言葉であると同様の意味で、詩の形態も世界的の言葉で ある。(略)しかし押韻によつて開かれる言語の音楽的宝庫は無尽蔵である。韻の世界は拘束の彼岸に夢のように美しく浮かんでゐる偶然と自由の境地であ る。》

●坂部恵『かたり──物語の文法』(ちくま学芸文庫:2008.2.10/1990)

《〈インメモリアル〉な時を求めて》

  「かたるに落ちる」というけれど、「はなすに落ちる」とはいわない。
  だから、〈かたる〉は〈はなす〉よりひとつ上の世界にすまいしている。
  〈うたう〉や〈いのる〉、〈つげる〉や〈のる〉と〈はなす〉のはざまから、
  神と人の垂直の関係へ、はては〈しじま〉に向けて、〈かたり〉は転移し変容する。

  おなじ〈はなし〉はあるけれど、世にふたつとおなじ〈かたり〉は存在しない。
  語り手が〈巫祝の時制〉をもって「見てきたように」かたるのは、とおく過ぎ去った
  〈いにしへ〉の思い出ではなく、生きたままよみがえるいまは〈むかし〉の物語。
  〈インメモリアル〉な神話的過去のアウラを帯びた、出来事の一回性。

  「語る」は「騙る」──垂直の時間に参入した〈かたり〉の人称が多重化される。
  作家と読者、主人公、架空の語り手、仮想の受信者、そして〈巫女〉と〈もののけ〉。
  連なる仮面のようにペルソナが転移し、人称的なものの生きた味わいがたちあがる。

  幾重ものトランスポジション(比喩、化体)をはらんだ営みとしての〈かたり〉。
  多くのヴァージョンをもち自己増殖するポリフォニアとしての〈物語〉。
  歴史と伝説、実録と虚構、〈無限人称〉の科学と〈原人称〉の詩が一つになるところ。


[註]
 〈インメモリアル〉は、坂部恵著『かたり──物語の文法』(ちくま学芸文庫)のキーワード。
 言語行為、さらには言語行為をもその一環として含む〈ふるまい〉一般に関して、坂部氏は「はなし─かたり─うた」と「ふるまい─ふり─まい」の二つの図 式を示す。
 これらの図式において、左から右へと進むほど、俗なる水平の言語行為から聖なる垂直の言語行為へ、また日常的な水平のふるまいから儀礼化された垂直のふ るまいへと移行する。

《この進行につれて、一般に、行為の主体もまた二重化的超出ないし二重化的統合の度合いを高め、またその構造を顕在化させる。
 ひとは、この度合いの高まりないし構造の顕在化につれて、いわば日常目前の生活世界の時空への拘束からはなれて、そうした目前の利害・効用に直結するい わば水平の時間・空間から、記憶や想像力や歴史の垂直の時間・空間の奥行のうちへと参入する。この垂直の時間・空間の次元は、すでに多少見たように、その 究極において、真に非日常的な〈ミュートス〉神話の空間、記憶を絶したその〈インメモリアル〉な時間にふれる。通常の記憶や想像力の世界と〈ミュートス〉 の世界をへだてる境界は、しかし、それほど明瞭なものではなく、ひとは、一旦、日常効用の水平の世界と直交する記憶や想像力の垂直の次元に参入すれば、そ こでは、すべての形象は、すでになにほどか神話的色合を帯び、反対に、遠い記憶の底に沈んだあれこれの神話的形象や原型(archetype)は、日常の 記憶や知覚の世界に還流する思いがけないほどに身近な直接の回路をわれわれの心性のうちにそなえているかもしれない。それは、一言でいって、プルーストや ジョイスの記憶や想像力の〈かたり〉の世界であり、あるいは、ベルクソンの持続と純粋想起の世界である。
 いずれにせよ、〈かたり〉や〈ふり〉、さらには〈うた〉や〈まい〉の場がひらかれるのは、こうした、日常効用の水平の時空と、記憶や想像力の垂直の時空 がたちまじるはざまにおいてにほかならない。》

 この、水平と垂直の直交関係を基本図式として、その上に、坂部氏は、ハラルト・ヴァインリヒの『時制論』とロマーン・ヤーコブソンの詩的言語論(「言語 学と詩学」ほか)の「注解」ないしは「注釈」を通じて、時制、人称、様相といった〈かたり〉の文法をめぐる議論を重ね描いていく。
 たとえば、坂部氏は、ヴァインリヒの議論から抽出した「アオリスト」(古代ギリシャ語で悲劇をはじめとする文学作品の〈かたり〉において頻繁に使用され た時制、バンヴェニストはフランス語やスペイン語の単純過去をアオリストと呼ぶ)について、これを「神がかりした巫祝の〈かたり〉の時制であった」と想定 する。
 そして、古事記などに用いられる「き」を、(夢幻の世界から現実に立ち返った感慨をあらわす「けり」とは違って)、歴史的神話的過去に属することを「見 てきたように叙述する」語部の時制、アオリスト助辞ととらえた先達の議論(藤井貞和著『物語文学成立史』ほか)へと接続していく。

《未完了過去や条件法で述べられる過去の出来事が、原理的に繰り返し可能で、別様でもありえ、時間を逆転して呼び返すことが可能であると見なされるのにた いして、アオリストで述べられる〈むかし〉は、もはや二度と呼び返すすべのない既定性と、一種魂の故郷の味わいをもった神話的なアウラを帯び、通常の記憶 ないし思い出を絶してそれらとは別の秩序に属する〈インメモリアル〉な時の後光をなにほどかうけながら、集団や個人の心性のうちに生きたままよみがえるの である。(ベルクソンが、この種の記憶を〈純粋想起〉の名で呼んだことは、周知のとおり。)
 アオリストがときに〈語部の時制〉と呼ばれるのもむべなるかなということになろう。
〈かたり〉という発話態度は、おそらく、いまにいたるまで、通常の(無限定な)過去とは質的に区別された、神話的な過去との地下水脈による結び付きの記憶 を、かろうじてにもせよ、処々で保ちつづけているにちがいない。》

 インメモリアルな時に属する出来事を「見てきたように語る」こととパラレルな、もう一つの〈かたり〉というものがあるのではないか。それは、異なるペル ソナに属する思考や感情を「我がことのように語る」こと、すなわち坂部氏自身が本書で実践した〈かたり〉のことなのではないか。

《注解という仕事は、今日では(あるいは今日でも)、ともすれば一段低く見られがちだが、ときにペトルス・ロンバルドゥス命題集注解などという一見さりげ なく地味な形で、近世以降のなまじ〈独創的〉な著者たちなど及びもつかぬほどの最良質の創造性(とときには詩情さえも)を発揮することを知っていた西欧中 世の多くは無名の注釈者たちや、あるいは、フマニストとしての素養も充分にあり、詩心もあるわが国の中世連歌師たちのすぐれた古歌注釈の仕事などを、むし ろ至上の範ともし目標ともしたいとわたくしはかねてから考えてきた。》(「あとがき」)

 坂部氏が実践した〈かたり〉、すなわち「注解」もしくは「注釈」の仕事(本歌取りならぬ「本家取り」とでも呼んでおこうか)の手際はまことに鮮やかで、 この、二つのあとがきと(野家啓一氏の)解説を含めて二百頁に満たない書物のうちに、(冒頭に「身毒丸」への附言が引用された折口信夫の仕事についていわ れるのと同じように)、まさに「坂部学」としか形容のしようのない、きわめて濃度の高い、詩と哲学が高次元で融合しあう「ポリフォニックなトランスポジ ションの場」(「文庫版へのあとがき」)がひらかれている。


【購入】


●ダン・ブラウン『天使と悪魔』上中下(越川敏弥訳,新潮文庫:2006)【¥590×3】
 ケン・フォレットの『大聖堂』でもよかったのだけれど、こちらの三巻本のほうは(前作をそうして読んだように)夏のお盆休みのためにとっておくことにし て、映画公開を機に、これみよがしに大量にでまわっているブラウン本を読むことにした。神学ミステリー、宗教エンタテインメントといったジャンルが好み で、これまでからわりとこまめに読んできたように思う。『ダ・ヴィンチ・コード』はもちろん読んだ。よくできた活劇だと感心したし、(ただ、なぜ日本でこ れほど評判になったのか、イマイチわからなかった)、それに、図像解釈学やら宗教象徴学、ひらたくいえば新しい衣装をまとった暗号解読が組み合わされてい て、けっこう楽しめた。ブライアン・フリーマントルのチャーリー・マフィン、トム・クランシーのジャック・ライアンにつづいて、ダン・ブラウンのロバー ト・ラングドンがマイ・フェイバリット・ヒーローのリストに入るかどうか、その判定は本作を読み終えてからのこと。

●睦月影郎『忍萌(しのびもえ)』(講談社文庫:2009.5.15)【¥571】
 淫書、官能小説の類は、いまでも買って読むことがあるが、いちいち記録しない。睦月本はずいぶん久しぶり。

●小松英雄『日本語の音韻』(日本語の世界7,中央公論社:1981.1.20)【¥1000古】
 近所の図書館に「日本語の世界」が揃っていて、とても重宝している。(このシリーズがなぜ文庫化されないのか不思議。付録の大野晋・丸谷才一の対談は、 『日本語で一番大事なもの』として中公文庫に入っている。)折にふれ借り出してきては、つまみ読みをしてきた。とくに大岡信著『詩の日本語』など継続、継 続で、ひと頃ほとんど独占状態だった。ところがどういうわけか小松英雄担当の第7巻だけが欠けている。欠けていると気になって仕方がない。仕事場の近くの 古本屋で前々から見つけていて、いつか入手しようと思っていた。

●熊野純彦編『現代哲学の名著──20世紀の20冊』(中公新書:2009.5.25)【¥780】
 啓蒙書系の哲学本は最近あまり手がでなくなっていた。が、坂部恵著『仮面の解釈学』がとりあげられていることを知り、ひさびさに速攻で買った。

●村上春樹『1Q84 BOOK1〈4月─6月〉』(新潮社:2009.5.30)【¥1800】
●村上春樹『1Q84 BOOK2〈7月─9月〉』(新潮社:2009.5.30)【¥1800】
 BOOK1を木曜(28日)に買って、青豆の章と天吾の章を一章ずつ読み、日曜(31日)にBOOK2を買っておこうと本屋で探すがみつからない。よも やと思ったが、「売り切れ」の札がかかっている。4軒目の本屋でやっと一冊だけ残っているのをみつけた。こんなことは初めて。


【読了】

●大岡信『うたげと孤心 大和歌篇』(集英社:1978.1.28)
 以前、岩波同時代ライブラリー版で読んだことがある。わけあって再読。読むごとに、読む側の知識経験感情の質の向上と高揚の度合に応じて、心をとめる箇 所とその内容が異なっていく。今回、記憶にとどめるべき言葉をいくつか拾っておく。

○和泉式部の歌の表現力をめぐる「なまなましい抽象性」。(58頁)
○抒情の衝動とは異質の原理によって支えられた奇想追求。(68頁)
○一首の歌が五七五と七七に分離されて短連歌を成し、やがてこれが長連歌に発展してゆくことは、唱和することで生まれた和歌というものの中に、もともと内 包されていた「うたげ」の要素のダイナミズムの展開にほかならなかったこと。(70頁)
○貫之という人が、架空の物語めかした歌を作るのに巧みだったこと、そして法螺吹き競争的な奇想歌を試みたこと、これらは、一首の歌を孤独な心のただ一度 の叫びと考えたがる近代人の眼にはふれにくい、またふれてもまともには認められにくい、「うたげ」の場で生れる歌の生態にほかならなかったこと。(89 頁)
○どれほど和歌の至純の価値を強調しようとも、その至純の価値の追求そのものが、「宮廷社会という美的趣味の社会」では、最も現実的な出世栄達の道につな がらざるを得なかったこと。だからこそ、和歌のよしあしについての確固たる基準を示してくれる歌人が尊崇されたこと。(141頁)
○日本の詩歌あるいはひろく文芸全般、さらには諸芸道にいたるまで、なんらかのいちじるしい盛り上りを見せている時代や作品に眼をこらしてみると、そこに は必ずある種の「合す」原理が強く働いていたと思われること。(153頁)
○日本人の思想のフォルムを考えるとき、最も基本をなすもののひとつは、「流れ流れてとどまらざるもの」のイメジを核とした「旅」というフォルムであるこ とは認めざえうを得ぬこと。(180-181頁)
○芸能と庇護者との関係。後白河法皇は、芸能そのものの自律的価値を認め、それを味い、評価し、優劣を判定し、すぐれた芸能人に積極的な援助をし、みずか らも玄人はだしの体験的理解をもつ、超一流の観客・聴衆であったこと。(220頁)
○神仏混淆という日本的な信仰形態の定着と、古今集編纂にみられる日本文化の大陸からの独立とが軌を一にして生じたこと。貴族階級が仏教思想を美意識に偏 した形で肉体化し、そこで、「きわめて感性的な信仰」である神道とのあいだに混淆が成り立つ可能性が生じたこと。(247頁)
○神仏混淆という日本的信仰の独特さが、たとえば、「ちはやぶる神/神におはしますものならば、/あはれと思しめせ、/神も昔は人ぞかし。」(資賢)の歌 にあらわれていること。(267頁)
○俊成に、「ちはやぶる神に手向くる言の葉は来む世の道のしるべともなれ」の歌があること。(276頁)
○後白河院という今様狂いの帝王の思想的根拠は、「狂言綺語と讃仏乗の一致を信じつづけること」にあったこと。(277頁)

●メアリアン・ウルフ『プルーストとイカ──読書は脳をどのように変えるのか?』(小松淳子訳,インターシフト:2008.10.15)
●水村美苗『日本語で書くということ』(筑摩書房:2009.4.25)
●水村美苗『日本語で読むということ』(筑摩書房:2009.4.25)
 水村美苗著『日本語が亡びるとき』は、手にとって読んでもいないのにもうとおに読んだ気になっている。各紙誌の書評や紹介記事を拾い読みしているうち、 そんな錯覚に陥っている。『プルーストとイカ』も同様。「私たちを作り上げているのは、私たちが読んだものなのだ」。そんなフレーズまでどういうわけだか 知っている。ハブロックの『プラトン序説』やオングの『声の文化と文字の文化』の記憶まで総動員して、だいたいこういうことが書いてあるとたかをくくって しまう。で、図書館から借りてきてぱらぱらと眼をとおしてみた。「才気あふれるドイツの哲学者ヴァルター・ベンヤミンは、命名を人間の最も本質的な行為と とらえていた」云々といった記述、訳者の解説がなかなかよくできていたこと(『神経文字学』や、表意文字とアジア的生産様式の結びつきを指摘するジュリ ア・クリステヴァの『ことば、この未知なるもの』などに言及)、等々の印象に残る箇所がいくつかあった。が、結局のところ読む前から知っていたことの確認 に終始して、いまひとつ乗れないままで終わった。
 同時に借りてきた水村本二冊も、散漫に読み飛ばしてしまった。『書く』でのポール・ド・マンをめぐる論考(「読むことのアレゴリー」「リナンシエイショ ン(拒絶)」の二篇)、『読む』での「今ごろ、「寅さん」」という文章が印象に残った。──洋画しか観ない「中産階級的偏見」にとらわれた、また、老女の ように頭が固く用心深い著者が、「ぽすれん」からレンタルして初めて観た「男はつらいよ」に「歓喜」し、「私は「寅さん」によって変わった」と書き、今ご ろ、「寅さん」だというだけではなく、これから先、いくらつまらなくなろうと、「寅さん」だと締めくくる。
「…あれは、「今の日本」にかくもよいものを作ろうとする精神が存在していたのを知った喜びである。」「今までの自分の無知と不遜を恥じるよりも、慈しむ ことができる対象がこの世に増えて行く喜びの方が大きく、最近はそれで幸せである。/それにしても、あの最初の頃の渥美清の色っぽさというのは、いったい 何なのか。声がいいのは当然として、片肺しかないというのに、肌に脂が乗り、光り輝いている。ことに猪首のあたりが、美しい。脇を向くと、太い首の筋肉が 斜めに見え、ぞっとする。」(『日本語で読むということ』111頁)

●鶴見和子『環の巻──内発的発展論によるパラダイム転換』(コレクション鶴見和子曼荼羅 \,藤原書店:1999.1.30)
 冒頭の「序説・南方曼荼羅──未来のパラダイム転換に向けて」(鶴見和子が「わたしの最後の論文」と付記したもの)と、巻末の「解説──内発的発展論の 可能性」(川勝平太による、ほとんど恋文のごときもの)、この二篇を読めば、この書物のうちに編集された鶴見和子の思想の見取図が得られる。年譜、著作目 録、総索引がほぼ分量の半分近くを占めている。これらを漠然と眺めていると、鶴見和子が生きた他律と自律と無律の時間の全貌が立体図のごとく浮き上がって くる。

●後藤新平『自治』(シリーズ後藤新平とは何か──自治・公共・共生・平和,藤原書店:2009.4.13)
 川勝平太が『環の巻』の解説に、鶴見和子の内発的発展論は生命論であると書いている。その鶴見和子の祖父・後藤新平による、「生命学的原理」に基づく自 治論が手際よく凝縮されている。以下、第一部「後藤新平のことば」より。

「人間には自治の本能がある。この本能を意識して集団として自治生活を開始するのが文明人の自治である。」
「日本人の生活を一言でいえば、「隣人のない生活」である。したがって、差別観をもってずっと生活してきた日本の生活には、平等観がないのである。平等観 がないから日本には上下の関係はあるが隣人という平等の関係がないのである。」
「自治を単に官治的地方自治に限るものとしてはならない。各種の職業組合ももちろん、自治でなければならない。」
「そもそも、自治は、官治に対して起こった言葉であって、官治行政の力が及ばないところを補って、国家の目的を達する作用である。そして自治は、国家の有 機的組織の根本であり、国家の基礎をなしている一つの原則である。」
「自治生活の要義は、国民各自の公共的精神を徐々に養い育て、広め、一致団結、それによって相互協力の美風をふるいおこすことにある。」
「自治は、共助によって完全に行われなければならないものであるから、自治的精神は、また共助的精神として現われる。」
「この自治の第一義の精神を公共に広げ、各種自治生活の発展改善に力を用いたならば、外来の民主思想は、見事に内在の自治の新精神に同化され、いつのまに か、いわゆる民主思想は外来思想ではなくて、内生思想、否、各人固有の思想であると言われるようになるであろう。」
「自治精神が拡充されて、国政の上に実現されれば、それが真の民意代表の実際的政治であると同時に、道理にかなった科学的政治であると言わねばならな い。」
「自治を離れれて楽土はない」
「自治の極致は正義である」
「特にわたしが、最も多くを期待しているのは、各種階級、各種生活団体の人々が、一日の仕事を終えた夕方より、この会館[自治会館]に集まって、放論談笑 の間に、各自の生活、各自の気分を、相互に理解し合うことである。」

●永井俊哉『ファリック・マザー幻想──学校では決して教えない永井俊哉の《性の哲学》』(リーダーズノート:2009.1.10)
 この人の名はかねてネット上で見知っていた。博士論文のような硬い文章がたくさん収蔵されていて、その自作を語る饒舌な文章とのあいだに微妙なミスマッ チの感があったことを記憶している。この違和感は、自費出版本や編集者のいない同人誌がかもしだすものに似ていて、悪くいえば、自意識過剰の垂れ流し、よ くいえば、何か途方もないものにとりつかれていて、どう処理してよいのかもてあましているといった感じ(よくいったことにならないかもしれないが)。
 このあたりのところに広い意味での表現をめぐる独特の問題性があって、査読とか編集会議などの他者による批評的読み込みを経ているかどうかが、作品に対 する読み手の態度に大きく影響する。これはなにもプロによる読み込みである必要はない。一定数以上のファンの感想、同人による評価が目に見えるかたちで示 されていると、査読、編集会議を経たのとほぼ同様の効果をもたらす。学術論文であれ評論であれエッセイであれ創作であれ、その表現(の内容ではなくて、そ の形式、というか存在そのもの)が抵抗なく受容されるためには、なんらかの「枠」が必要になる。ネットにアップされた文章には、とくにそのことが際立って くる。
 書物のかたちで読むと、この人はこんな文章が書けるのか、と関心させられた。要は、そういう感想をいだいたことを書いておきたかった。図書館で借りてき て、ざっと目を通しただけなので、内容についてはあまりしっかり覚えていない。だから、あれこれ論評めいたことは書けない。けれども、この人の理論的な結 構には興味をひかれる。

●睦月影郎『忍萌(しのびもえ)』(講談社文庫:2009.5.15)
 普通。

●ダン・ブラウン『天使と悪魔』上中下(越川敏弥訳,新潮文庫:2006)
 途中から最後のドンデン返しの予想がついた。でも、最後までほぼ熱中できた。

●長田弘『世界はうつくしいと』(みすず書房:2009.4.24)
●吉田秀和『永遠の故郷──薄明』(集英社:2009.2.10)
 ほとんど毎夜、一篇ずつ、詩とエッセイを声を出して読んでいた。言葉がこれほどのはたらきをするとは。

●坂部恵『かたり──物語の文法』(ちくま学芸文庫:2008.2.10/1990)
 再読。そして、再々読。延々と、何度でも、はじめてのように読むことができる。そういう表現のことを〈かたり〉といい、〈うた〉という。

●寺山修司『死者の書』(土曜美術社:1974.2.10)
 このごろなぜか寺山修司のことが気になっている。

●安藤礼二『光の曼荼羅 日本文学論』(講談社:2008.11.22)
●安藤礼二「霊獣 『死者の書』完結篇」(『新潮』2009年5月号)
 すっかり安藤礼二にはまってしまった。つづけて『近代論』を読んでいる。面白い。よくできた小説を読んでいるような読中感。s


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★5月2日(土):パースの宇宙論と折口信夫の言霊言語論

 伊藤邦武著『パースの宇宙論』の第二章「一、二、三」に、パースが寄稿した雑誌『モニスト』の編集者ケイラスの話が出てくる。

《…『モニスト』という名前はケイラスの思想的立場を表している。モニストとは一元論者を意味するが、ケイラスはこの言葉で、唯物論や唯心論などの具体的 な一元論ではなく、ただ世界全体のいっさいの事物が一つの法則に依存していて、その法則のはたらきこそが神である、という思想を意味していた。それゆえ、 この雑誌の根本的な基調は、むしろスピノザ的な存在論に通じるものであり、けっして反宗教的な方向を目指したものではなかった。しかし、ケイラスは自分の 思想を傍証するような思想──伝統墨守的形而上学の破壊を唱えるすべての立場、とくに実証主義の流れをくむ科学の哲学──の紹介に非常に熱心であり、しか も国際的な視野から雑誌を編集しようとしていたために、結果としてマッハ、ヒルベルト、ラッセル、デューイなどの重要な思想家を紹介し、一九世紀末から二 ○世紀初頭にかけて、もっとも新しい哲学の国際的な論壇を形成することになった(わが国の鈴木大拙がアメリカに渡ったとき、最初についた職はケイラスの助 手であった。また、『モニスト』は一九四○年ころにいったん廃刊になるが、一九六○年代後半に再刊され、現在でももっとも有力な国際的哲学誌のステイタス を保っている)。》(『パースの宇宙論』67-68頁)

 巻末の注によると、ポール・ケイラス著、鈴木大拙訳の『仏陀の福音』なる書物があるという。

《ケイラスは鈴木との協力関係を通じて、仏教思想、とくに『大乗起信論』にもとづく一元論的かつ汎神論的な仏教宇宙論を理解するようになる一方、鈴木はケ イラスを通じて、スウェーデンボルグの思想と著作に通暁するようになり、ほぼ一○年に及ぶ滞米から帰国した直後は、主としてこの思想の普及に努めることに なった。鈴木の親友の西田幾多郎は、ケイラスのかたわらで働く鈴木を通じて、ジェイムズ、パース、ロイスらの思想を吸収し、それを『善の研究』へと結晶さ せることができた。したがって、一九世紀後半の『モニスト』編集部を十字路の交差点として、「西田と鈴木」と「ジェイムズ、パース、ロイス」という日米の 二組の友人哲学者たちが思想的に接触するという、非常に興味深い出来事が生じていたのである。日本の近代哲学を考えるうえできわめて重要と思われるこの歴 史的遭遇は、これまであまり掘り下げて研究されていない。次の著作はこの局面を論じた数少ない研究のひとつである(筆者によれば、折口もまた、友人の藤無 染を介して、ケイラスの宗教思想に触れ、大きな影響を受けたという)。安藤礼二『神々の闘争 折口信夫論』講談社、二○○四年。》(『パースの宇宙論』242頁)

     ※
 藤無染(ふじむぜん)やケイラスのことは、安藤礼二著『神々の闘争 折口信夫論』の第二章「未来にひらかれた言葉」に出てくる。
 安藤氏は、まず、折口信夫が「国文学の発生」第一稿に描き出した「神語」の世界から語りはじめる。それは原初の「象徴」として考えられた言葉であり、 「言霊」という神秘的な「力」が作用する「流動言語」であった。
 この発生状態にある言葉(言葉の「種子」)のイメージは、明治43年の大学卒業論文「言語情調論」のうちにすでに生まれていたものであり、そこで主張さ れているのは、言語に直接性を回復させることであった。
 こうした「象徴言語」をめぐる折口の特異な「言語学」はけっして時代から孤立したものではない。それは当時の最先端の認識論に、すなわちエルンスト・ マッハの「感覚一元論」に直接結びついたものであった。
 折口は、九歳年長の友人・藤無染からマッハ哲学の真髄を教授された。その藤無染に『英和対訳 二聖の福音』という小著がある。仏教とキリスト教の根本に おける同一性(仏耶一元論、仏基一元論)を主張したもので、その思想を導いたのがケイラス著、鈴木大拙訳の「仏教と基督教」であった。
 このケイラスこそ、マッハの盟友であり、その主要著作の英訳を出版していた人物であった。マッハもまた『感覚の分析』で、ケイラスの『因果の小車』(芥 川龍之介の「蜘蛛の糸」の源泉)と『仏陀の福音』(藤無染が『二聖の福音』の巻末「跋」に記した参考文献)の二著を取り上げた。
 
《折口は、このような感覚のみがたゆたう世界のなかに、始原の言語の姿を探っていこうとする。まさにそのことによって、折口言語学は、おなじくマッハの 「感覚一元論」をその起源として同時代のヨーロッパに生み落とされた、もう一つ別の「ある学問」、その学問の展開とほとんどパラレルに進行していったと考 えてもよいものとなったのである。
「ある学問」、それは民族学でも、言語学でも、心理学でもない。なによりもそれはエドムント・フッサールによって創設された「現象学」である。そして、そ のなかでも特にフッサールの『内的時間意識の現象学』に、折口の「言語情調論」の対応物を見出すことが可能なのである。フッサールは「現象学」という概念 を、なによりもエルンスト・マッハから受け継いだのである。》(『神々の闘争 折口信夫論』78-79頁)

 安藤氏は、マッハの「感覚一元論」とフッサールの「現象学」が相克するその同じ場に、折口の「言語情調論」と、ロシア・フォルマリズム運動の詩的言語論 を位置づける。
 この二つの言語論は、ともに非常に政治的な意味をもっていたが、「革命」を境に対照的な道をたどっていく。
 ロシア・フォルマリズム運動は、「未知なる言語を用いて、未知なる現実を描くこと」を原理とし、ロシア革命を芸術的に表現する運動であった。一方、折口 の秘教的な言霊言語論は、革命の反動期にあって、日本の「改造」の中心となるべき昭和天皇が語る新たな権力の言語を理論化するものであった。
 折口は、「国文学の発生」第四稿以後、言語を生成させる神と、霊魂を生成させる神とを結びつける「産霊」(ムスビ)の神一元論を確立し、その「神語」論 を完成させていく。「言語情調論」で夢に描いた「純粋言語」が実現する。

《折口は「純粋言語」の実現による、無数の霊魂と意味の蕩尽が、まさに純粋な贈与として、その無限の「力」を解放するということに気がついていた。この無 限の力を真に活用するために、その力に一つの方向性を与えるために、ミコトモチが必要とされたのである。》(『神々の闘争 折口信夫論』99頁)

 ミコトモチとは、「神語」の「預言者」である。
 折口がイメージした(遠くイスラームの原理やネストリウス派のキリスト教の原理とも結合可能な)権力の統合原理であるミコトモチは、「天皇」、それも 「超−国家」への道を歩みはじめた時期の「天皇」であった。

     ※
 ケイラスとマッハの関係について、三浦雅士氏との対談「唯名論から実在論へ」(『大航海』No.60)で、伊藤氏は次のように語っている。

《ただ安藤さんのご本にはちょっと不正確なところもあって、マッハとケーラスは同じ思想だと書いてあるのですが、実際はケーラスはマッハに反対しているん ですね。たしかに近親性はあるんだけれども、ケーラスは、マッハはあるところで止まってしまっているから、これではだめだと書いているんです。人間の思考 を経済として捉えるのは有意義だが、その経済活動は何を目標としているのか。マッハではそれが考えられていないので実証主義にとどまってしまった。それを 乗り越えていく道をケーラスは模索していた。》(『大航海』No.60,71頁)

★5月3日(日):パースの宇宙論と九鬼周造の回帰的時間

 伊藤邦武著『パースの宇宙論』の巻末の注をめぐる話題をもう一つ。第四章「誕生の時」から。
 なお、これに先立つ箇所に、次の文章がでてくる。「彼の哲学には、われわれは視覚的な世界への囚われをいったん緩めることによって、ユークリッド幾何学 以外の世界を経験することができると同時に、無限に連続する質の世界である第一性の世界、偶然性の世界、潜在性の宇宙をかいま見ることができるという考え があった。パースの理論では、エキゾチックな香りが伝える嗅覚の世界や不思議な体感が伝える触覚の世界は、メビウスの環やクラインの壺に代表されるトポロ ジカルな空間を体験させることによって、実際に異次元の世界への通路をもたらす力をもつのである。」(182頁)

《この宇宙の時間が成立する以前の世界の想定──それはいうまでもなく、裏返していえば、この世界の「誕生」の論理への洞察である。「龍涎、麝香、安息 香、薫香」「ヘンルーダやムルラノキやヒメライキョウの薬草」「オレンジ、レモン、ライム、ベルガモット、橙など、柑橘系の香り」「コーヒー、シナモン、 樟脳、楠などの匂い」──互いに連続しあった嗅覚的性質の集合が作り出す世界は、それぞれがまた異なった空間や時間からなる、多元的な世界の各断片でもあ るのであり、それはまさしく、「ちょうど廃墟のそこかしこに遺された円柱が、かつてはそこにいにしえの広場があって、バシリカ聖堂や寺院が壮麗な全体をな していたことを証言しているのと同じ」なのである。もろもろの異郷の香りは空間体験の可能性を大幅に拡張するばかりではなく、現実を超え出た時間の断片を たどっていく道標にもなりうるかもしれないのである。》(『パースの宇宙論』186-187頁)

 これに付された注に、伊藤氏は、「九鬼周造の次の文章には、おそらくはボードレールの影響のもとにであろうが、視覚以外の感覚、とくに嗅覚の世界が導い ていく原初の偶然性と可能性の世界というパース的なモチーフが、まったく同じような創造論的パースペクティヴのもとで記されていて興味深い。」(252 頁)と書き、九鬼周造の「音と匂──偶然性の音と可能性の匂」の一部を引いている。
 短い文章(文庫本で二頁足らず)なので、以下に、全文抜き書きする。

     ※
  音と匂──偶然性の音と可能性の匂(九鬼周造/菅野昭正編『九鬼周造随筆集』岩波文庫)

 私は少年の時に夏の朝、鎌倉八幡宮の庭の蓮の花の開く音をきいたことがあった。秋の夕、玉川の河原で月見草の花の開く音に耳を傾けたこともあった。夢の ような昔の夢のような思出[おもいで]でしかない。ほのかな音への憧憬は今の私からも去らない。私は今は偶然性の誕生の音を聞こうとしている。「ピシャ リ」とも「ポックリ」とも「ヒョッコリ」とも「ヒョット」とも聞こえる。「フット」と聞こえる時もある。「不図[ふと]」というのはそこから出たのかも知 れない。場合によっては「スルリ」というような音にきこえることもある。偶然性は驚異をそそる。thrill というのも「スルリ」と関係があるに相違ない。私はかつて偶然性の誕生を「離接肢の一つが現実性へ‘す’るりと‘滑’ってくる‘推’移の‘ス’ピード」と いうようにス音の連続で表わしてみたこともある。
 匂[におい]も私のあくがれの一つだ。私は告白するが、青年時代にはほのかな白粉[おしろい]の匂に不可抗的な魅惑を感じた。巴里[パリ]にいた頃は女 の香水ではゲルランのラール・ブルー(青い時)やランヴァンのケルク・フラール(若干の花)の匂が好きだった。匂が男性的だというので自分でもゲルランの ブッケ・ド・フォーン(山羊神の花束)をチョッキの裏にふりかけていたこともあった。今日ではすべてが過去に沈んでしまった。そして私は秋になってしめや かな日には庭の木犀[もくせい]の匂を書斎の窓で嗅[か]ぐのを好むようになった。私はただひとりでしみじみと嗅ぐ。そうすると私は遠い遠いところへ運ば れてしまう。私が生まれたよりももっと遠いところへ。そこではまだ可能が可能のままであったところへ。

     ※
 坂部恵著『不在の歌──九鬼周造の世界』第4章「双子の微笑──「文学概論」と「日本詩の押韻」」から。九鬼周造の講義「文学概論」の最終章「12 時 間(時間と文学)」の最終節「時間と存在」をめぐって。
 なお、坂部氏いわく、「この「文学概論」はたとえば、漱石の「文学論」とならんで、明治以後の日本の文学論のなかで、際立った思弁性と透徹した体系性と いう特色をもって、孤立に甘んじ、今なお孤高を持しているようにおもわれる。」(188頁)

《ここで、周造は、プルーストに超時間的なものないし回帰的時間の観念があることをいい、紅茶に浸したプチット・マドレーヌに幼年時代の記憶が蘇る有名な くだりを引きつつ、つぎのように述べる。
「匂ひとか味ひとか音とかいふものを嘗て経験したものが再び新たに経験される。「それらは現在と過去に同時に存在し、現実的でないが実在的であり、抽象的 でないが観念的である。」さうすると事物の永遠の本質が解放される。また本当の我れが目覚める。さうして「時間の秩序から解放された一瞬間が、その一瞬間 を感じさせるために時間の秩序から解放された人間を我々の中に再び造る。」芭蕉が「橘やいつの野中のほととぎす」と云つたのも同じ回帰的時間の有つ超時間 性に関してであらう。橘の匂ひがする。嘗て同じ匂ひを嗅ぎながらほととぎすを聞いたことがあつた。あれはいつのことだつたらう。」
 ポンティニー講演以来われわれにはおなじみの、回帰的時間──垂直のエクスタシスの〈捉え返し〉、〈反復〉の時間──のテーマがふたたび繰り返される。 つづくくだりで、周造が「文学の有つてゐる時間性の重複性」というのは、まさに、文学が、すぐれた意味で、こうした内包的時間の〈捉え返し〉の営為そのも のであることをいうにほかならないだろう。そこで、最後の結論。
「我々は文学とは「存在の言語による表現自身」といふ主題に基いて、‘存在の領域’を一々考察し、最後に存在と同意義である時間の観念に到達して、時間の 見地から文学を見た。そして文学とは「時間の言語的表現それ自身」といふ認識にたどり着いた。」》(『不在の歌』186-187頁)

 また、九鬼周造は「日本詩の押韻」で、ヴァレリーが詩を「言語の運[シャンス、偶然]の純粋な体系」であるとし、また押韻の有する「哲学的の美」を説い ていることに触れ、次のように書いている。(なお、『偶然性の問題』では、ヴァレリーが「語と語との間の音韻上の一致」を「双子の微笑」にたとえたことを 引いている。)以下、『不在の歌』(194-195頁)からの孫引き。

「いはゆる偶然に対して一種の哲学的驚異を感じ得ない者は、押韻の美を味得することは出来ないであらう。浮世の恋の不思議な運命に前世で一体であつた姿を 想起しようとする形而上学的要求を有たない者は、押韻の本質を、その深みに於て、会得することは出来ないといつてもよい。押韻の遊戯は詩を自由芸術の自由 性にまで高めると共に、人間存在の実存性を言語に付与し、邂逅の瞬間において離接肢の多義性に一義的決定を齎すものである。押韻は音響上の遊戯だから無価 値だと断定するのは余りに浅い見方である。我々はむしろ祝詞や宣命の時代における「言霊」の信仰を評価し得なくてはならない。富士谷御杖も「言霊の弁」に 『言霊の妙用人の心の力の及びにあらぬ』ことを説き『すべて物二つうちあふはずみに自らなり出づるものは、かならず活きて不則の妙用をなすものなり』と云 つてゐる。」

 坂部氏いわく、「マラルメやヴァレリーに深く学んだ周造にあって、〈押韻〉の問題が、単なる詩や歌の問題、あるいは単に文学の問題ではなく、むしろ、よ りひろく、文化の基底としての生の律動(はずみ)の問題、あるいは、共同の生の基底としての自己と他者のさらには宇宙の‘いのち’との共感や、共鳴の問題 として、生きられ、捉えられ、あるいは捉え返されていたことはたしかであるようにわたくしにはおもわれる。」(『不在の歌』201頁)

★5月4日(月):パースの宇宙論と坂部恵のヨーロッパ精神史

 伊藤邦武著『パースの宇宙論』の巻末の注をめぐる最後の話題。前回と同じ、第四章「誕生の時」から。

 パースは『連続性の哲学』(岩波文庫)に、「感覚質の宇宙は、それぞれの次元間の関係が明瞭になり、縮減したものになる」(257頁)と書いた。この、 「混沌とした原初的な潜在性→超無限次元の連続体からなる世界→確定的な質の連続体からなる世界」と定式化できる「感覚質の進化」ないし「曖昧な潜在性の 縮減(contraction)を通じた現実化の過程」(206頁)をめぐって、伊藤氏は次のように述べる。
 それは、量子論における真空からの対生成やトンネル効果などの考え方に相当するもので、パースに固有の時間の誕生のロジックを解くアイデアである。
 この縮減あるいは縮約という概念は、哲学史上、神秘主義的自然哲学(クザーヌス、ベーメ、シェリングなど)における「神の縮約」の文脈と、中世普遍論争 における普遍と個物の関係の文脈とで語られる。
 前者は、「非物質的な神によって物質的・質料的な世界が創造され、悪や罪が生じる余地が生まれるのは、神が自己自身へと引きこもる縮約という作用によ る」という世界創造論として現れる。
 伊藤氏は、ここ(208頁)で注をつけている。

《「縮減」「縮約」やこれに類する概念をめぐる考察は、この書[ハーバマスの『理論と実践』]以外にも、ジル・ドゥルーズの一連の著作、とくに『壁──ラ イプニッツとバロック』宇野邦一訳、河出書房新社、一九九八年や、坂部恵『ヨーロッパ精神史入門──カロリング・ルネサンスの残光』岩波書店、一九九七年 などで広い観点からなされており、この概念が現代の哲学的関心と深いところで結びついていることをうかがわせている。》(『パースの宇宙論』253頁)

 しかし、この注の位置はおかしい。
 縮減あるいは縮約という概念をめぐる哲学史の第二の文脈にもふれた後で、すなわち、「「これ性」は個体化の原理であり、さまざまな共通本性やそのほかの 普遍を個体へと「縮減する」作用をもつ」という、スコトゥスの縮減概念についてふれた箇所に注をつけるべきである。少なくとも、坂部氏の著書に言及するの であれば。

     ※
 私は、『ヨーロッパ精神史入門』の第七講「レアリスムのたそがれ」を読んで、はじめて中世普遍論争の意味を知った。また、(自らの立場を「スコラ的実在 論」と呼び、ときに「スコトゥス主義」と自称した)パースが、単に記号論のパースだけではなかったことをはじめて知った。

《さて、このように見てくると、一四世紀の哲学のメイン・イシューである、「実在論」と「唯名論」との対立は、通常そう理解されるように、個と普遍のプラ イオリティ如何という問題をめぐるものというよりは、むしろ、(パースはそこまで明言していませんが)、個的なものをどう捉え、ないしはどう規定するかに かかわるものであることがあきらかになってきます。
 すなわち、個的なものを、元来非確定で、したがって(ここが肝心なところですが)汲み尽くしえない豊かさをもち普遍者や存在をいわば分有するものと見な すか、それとも、まったく反対に、それを、いわば第一の直接与件として、しかも単純で確定された規定を帯びた、世界と思考のアトム的な構成要素と見なす か。
 「実在論」と「唯名論」の対立の因ってくるところは、このような考え方のちがいにあるとおもわれます。》(『ヨーロッパ精神史入門』47-48頁)

     ※
 三浦雅士氏は、伊藤邦武氏との対談「唯名論から実在論へ」(『大航海』No.60)で、パースのファラビリズム(可謬主義)は、「観念論と唯物論の対立 といったかたちで語られてきた[デカルトとヒュームを調停したカント以降の]近代思想の流れそのものを無効にして、かりに何らかの対立がありうるとすれ ば、それはむしろ唯名論と実在論の対立でなければならないとする」(49頁)ものであったと語っている。
 また、岩井克人著『資本主義から市民主義へ』(聞き手=三浦雅士)をめぐって、次のように語っている。

《岩井さんはそこで、中世以来の唯名論と実在論の対立が、言語・法・貨幣それぞれの探求においても、たとえば言語における記述主義と反記述主義の対立、法 における自然法論と実定法論の対立、貨幣における商品説と法制度説の対立として、繰り返されてきたと言っている。そのうえで、言語も法も貨幣も自己循環論 法によって成立しているだけだという事実を示して、その対立をいわば無効にしようとしている。社会的実体という言い方からもわかるように、岩井さんは唯名 論者であると同時に実在論者でもある。光は波動であると同時に粒子でもあるというのと同じです。(略)偶然といい習慣といい、岩井さんはおそらくまったく パースは読んでいないと思いますが、基本的なところでものすごくパースに似ている。しかもさらに興味深いことは、言語・法・貨幣は社会的実体であるという その議論は、たぶんいわゆる自然的実体なるものにまでさかのぼって適用できるのではないかと思わせるところです。もそもこの宇宙なるものもひとつの歴史と して、つまり一回きりの事件としてあるならば、それもまた一種の自己循環論法のようなものによって支えられているに違いないと思わせるのです。》(『大航 海』No.60,55頁)

★5月5日(火):パースの閃光──伊藤邦武『パースの宇宙論』

 チャールズ・サンダーズ・パース。その生涯に1250篇近くの論文を発表(230頁)。総計は1万2千枚、加えて、未発表の草稿が少なくとも8万枚はあ るという(宇波彰「アブダクションの閃光」、『記号的理性批判』44頁)。
 ある研究家は、「アメリカ大陸がこれまでに生んだ最も独創的で最も多才な知性」とし、「数学者、天文学者、科学者、……、俳優、短編作家、現象学者、記 号論者、論理学者、修辞学者、形而上学者」等々と、25項目を列挙している(ジョゼフ・ブレント『パースの生涯』27頁)。
 このリストの最初と最後を組み合わせた「数学的形而上学」を、パースはしばしば「宇宙論」の同義語として使った(247頁)。
 伊藤邦武氏の『パースの宇宙論』は、「相対性理論や量子論が形成される以前に、物理学の根本的な革命の必然性とその方向への予感に導かれて」(3頁)構 成された、パースの「多宇宙論的で進化論的な宇宙の具体的なヴィジョン」(12頁)の概要を、鮮やかな構成と論述でもって腑分けしたものだ。

 伊藤氏によると、パースの宇宙論は、「論理的反省と一種の形而上学的思弁、さらには宗教的思想によって動機づけられた、奇妙な理論的アマルガム」(3 頁)であった。
 このうちの後者、「宗教的思想」をめぐる第一章「エマソンとスフィンクス──「喜ばしい知識」の伝道師」で、伊藤氏は、「スフィンクスの謎」を宇宙生成 と発展の論理を問うものと解釈したエマソンの詩と、ニーチェにも多大な影響を与えたその思想とを一瞥することで、19世紀前半のアメリカ、若きパースをと りまいていた「トランスセンデンタリズム(超越主義)」の精神的高揚の雰囲気を描く。
 続く第二章「一、二、三──宇宙の元素」が、パースの「論理的反省と一種の形而上学的思弁」の根本に据えられた、三つの「新ピュタゴラス主義」的カテゴ リー論をとりあげる。(「それはあたかも、キューブリックの映画『二○○一年 宇宙の旅』のなかで、漆黒の宇宙空間を進む宇宙船の背後に常に流れていた、ヨハン・シュトラウスの『美しき青きドナウ』のように、パースの理論全体に深 く、広く浸透した存在論である」(12頁)。)
 すなわち、「第一のもの」(質、偶然、潜在性、等々)、「第二のもの」(個物、法則、相互作用、等々)、「第三のもの」(普遍、媒介、総合化、等々)。

《宇宙とはその広大無辺なすべての領域と時間とを貫いて、三つのカテゴリー的元素が組み合わさって、万華鏡のようにさまざまな様相のタピストリーを現出さ せつづけている、目くるめくような壮麗なワルツの世界である──。これが現象学とグラフ理論から導出された、パースの形式的な存在論であった。》(101 頁)

 こうして、宇宙創成の論理(時間と出来事の発生の論理)である「偶然主義」(第一のもの)、その成長の理論である「連続主義」(第二のもの)、そして宇 宙終局への進行の理論(「死」の理論)である「アガペー主義」(第三のもの)が導出される。
 第三章「連続性とアガペー──宇宙進化の論理」では、宇宙進化の論理(「われわれの側にある事物の状態」の展開の論理)として、後二者がとりあげられ る。
 まず、連続主義。20世紀後半の超準解析の発想にも通じる、連続体と無限小をめぐる数学の議論を経て、宇宙における三つの連続体=存在領域、すなわち 「質の世界・精神の世界・物質の世界」が通覧される。
 その結果、「世界は連続する精神と連続する物質からなり、さらには精神同士のあいだも、精神と物質のあいだも連続し合っている」(149頁)という、心 身の連続性の世界が描出される。
 次に、アガペー主義。(それは、エマソンが重視したスウェーデンボルグの神秘主義的思想を色濃く反映するものだった。)
 パースの宇宙論の要点は、伊藤氏によって次のように総括される。「宇宙はすべてが偶然からなるために無であるとしか考えられない世界から、すべてが法則 的であるために無であると見なされる世界へと移行する」(175頁)。
 すなわち、「質」=無から(「精神」を媒介として)「物質」=無へ。そのとき、パースがいうように、「精神もその無限の遠い将来において、最終的には結 晶する」(176頁)。
 「神的愛の無償の自己否定的作用」にも似た、精神の自己否定による宇宙の完成(=物質的世界の体系化)。そのとき、「物質」は、「質」と同じ種類の自発 性をもち、精神から出発し精神へと帰還するメビウスの環の本性をもつであろう。「アガペー」の名で語られるのは、このような精神と物質の結びつき(共感) のことである。
 第四章「誕生の時──宇宙創成の謎」では、パースの偶然主義が論じられる。ここが、本書のハイライトである。
 伊藤氏は、パース次の文章の詳細な読解を通じて、そこから発生する複雑極まりない「宇宙の誕生のロジック」を精緻に再構成していく。──「混沌とした原 初的な潜在性=無」⇒「超無限次元の連続体からなる世界」⇒「(論理と時間とが結びつく世界)」⇒「(時間と質が結びつく世界)」とつづく、世界の開闢と 複数世界成立の論理を。

《この不確定性の母胎から、第一の原理によって何かが生じたのだといわなければならない。われわれはこの原理を「閃光」と呼んでもよい。そして、習慣の原 理によって、第二の閃光があったのだといえる。そこにはまだ時間が存在しなかったとしても、この第二の光はある意味では第一の光の後になる。というのも、 それは第一のものの結果として生じたからである。……原初の閃光から帰結したこの連続性の擬似的な流れは、われわれの時間と比較したとき、次のような決定 的な相違をもっている。すなわち、複数の閃光からは異なった流れが始まっていて、それらの間には共時性とか先後の継起性とかの関係が成立していないかもし れないのである。》(190-191頁)

 中世の神学と現代の量子暗号論に同時につながっていくパースの宇宙論。
 伊藤氏が、パースの形而上学的冒険と神秘主義的洞察を「縮約」したこの書物に描きだしたのは、パースという巨大なカオス(知性の連続体)から一瞬発せら れた閃光の鮮やかでスリリングな軌跡であった。それに続く第二の閃光は、おそらくいまだ発せられてはいない。

★5月6日(水):原形質と洞窟

 五連休の最終日。
 この五日間、近所の図書館に顔をだしたり、コーヒーショップで本を読んだりと、徒歩10分程度の範囲で、日に1度、1、2時間程度外出した以外は、遠出 もせず、街にもくりださず、ただ黙々と部屋にこもり、深夜遅くまでパソコンにむかっていた。
 新型インフルエンザを用心して、というわけではなくて、「コーラ」への原稿をひたすら書いていた。
 「ラカン三体とパース十体」と、タイトルだけは決めていたが、中身はほとんど考えていなかった。
 関係の本を「厳選」して十数冊、机の周辺に積み重ねて、じっくり考えながら書き終える予定だった。
 でも、書いているうち、どんどん拡散していき、それにつれて「全体構想」もふくらんでいって、5日間で3万字は書いたと思うけれど、それでも全体の3分 の1に届かない。
 結局、「ラカン三体」と「パース十体」の中身はいまだにつかめていない。

 ずっと、静かなピアノ曲を聞き流しながら書いていた。たとえば、グレン・グールドのゴールドベルク変奏曲とか、キース・ジャレットや坂本龍一のソロと いった定番。
 でも、今日は、コルトレーンの響きが心地よい。
 心地よい達成感のためではない。
 『パースの宇宙論』関連の抜き書きもふくめて、ただ書き続けてきたことの肉体的・精神的な疲れと、「ラカン三体とパース十体」完成の断念にともなう静謐 な哀しみ。
 連休のあいだに達成したいと考えていたことがもう一つある。
 安藤礼二著『光の曼荼羅──日本文学論』を終え、あわせて『新潮』5月号に掲載された「霊獣『死者の書』完結篇」を読むこと。
 これもいまのところ、『曼荼羅』が半分まで進んだだけ。
 この本は実に、実に、素晴らしい。最後までいっきに読んでしまうのが惜しい。

 「コートにすみれを」が、とてもいい感じで心に音楽をとどけてくれる。心が少しだけひらかれていく。
 早々にパソコンを仕舞って、残された時間を、『曼荼羅』の後半に捧げることにしよう。

     ※
 伊藤邦武著『パースの宇宙論』をめぐる話題で、どうしても書き残しておきたい話題を厳選して、二つだけ書いておこうと思っていた。
 でも、上に書いたような事情もあり、急遽、予定を変更した。
 それでも、「原形質」と「洞窟」がそのテーマだったということの痕跡だけは、残しておく。
 また機会があれば、中身を書く。

★5月9日(土):続・原形質と洞窟

◎原形質をめぐって

 伊藤邦武著『パースの宇宙論』第三章「連続性とアガペー」の141頁から149頁にかけて、(全体が一つの原形質[*1]からできている)アメーバの話 題をふりだしに、「物質のもつ精神性の有無」をめぐる議論(「アメーバの感情」「記号としての人格」等々)が展開されている。

 アメーバは体全体が非分節的であるから、その運動(その体のどこかに刺激が加わると、そこから運動が生じ、その運動は全体に波及していく)は原形質の不 定形な連続体のなかでの無秩序な変化の伝達である。「それはまさしく、観念の伝播、感じや感情の広がりと同じである。というよりも、原形質は感じそのもの が外化した姿なのである。」
 ここでパースの文章が引用される。その断片。《われわれはアメーバのこの現象において、一塊の原形質のなかに感じが存在していると考える──それは‘感 じ’ではあるが、明らかに‘人格’ではない──》
 このパースの説明は曖昧だが、われわれは「粘菌」のようなものを想像することができるだろう。
 そして再びパースの引用。その断片。《スライム(粘液体)は化学的合成物にすぎない。…それが合成されるならば、自然の原形質がもつすべての性質を発揮 することであろう。その場合にはそれが感じるであろう。》
 人間の精神もまたアメーバと等しい。その観念の質的広がりにもとづく連続性は、観念の時間的な連続性とならぶもう一つの連続性である「他者とのむすびつ き」というエレメントである。
 人格とは意識の連続性であり、それは一連の観念の連鎖以外のものではない。「この連鎖の複数の融合が、すなわち一般的精神、共同体的精神にほかならな い。」
 以上をまとめると、精神と物質はその根源、原初においてつながっている。
 精神とは、互いに孤立したアトミスティックなものではなく、一般化し成長する作用としての観念=記号の世界である。「人格は記号であり、人格同士もまた 記号的につながっている。」
 「世界は連続する精神と連続する物質からなり、さらには精神同士のあいだも、精神と物質のあいだも連続し合っている」。
 このパースの存在論は、生気論的・有機体的・精神主義的(伝統的な意味で純粋にロマン主義的)である。「しかし同時に、こうした観念論の特徴が全面的な 偶然主義と結びつき、物質についての新しい概念の示唆と結びついている点も、けっして無視されるべきではない。」

 以上、駆け足で抜き書きした。
 ここのところを読んでいて、諸々のことが頭に浮かんできた。いま、思いだせるだけのことを書いてみると……。
 アメーバの例が、たしかベルクソンの『物質と記憶』にも出てきたこと。
 粘菌といえば、南方熊楠。
 本書では詳しく述べられなかった「パースの神秘体験」[*2]と、熊楠の神秘体験[*3]の関係がなにやら妖しいと思ったこと。
 (熊楠とパースとくれば、最近読んだ、鶴見和子[*4]と川勝平太との対談『「内発的発展」とは何か』が面白かったこと。)
 このほかにもたくさんのことが頭に浮かんでいたはずだが、読んでいたときからずいぶん日が経つので、もやもやとして思いだせない。
 それでもはっきりと覚えている、もっとも面白かったことは、(精神と物質の根源的、原初的なつながりの議論もとても刺激的だったけれど──というのも、 伊藤氏が「プロローグ」(3頁)で書いているように、「純粋に哲学的な思弁の産物」であるパースの宇宙論が、パースが強く信じていたような、「将来の科学 的検証の対象となりうるだけの、経験的な内容を伴った理論的モデル」でありうるとすれば、それはこの点にかかっているはずだから──、それ以上に刺激的 だったのは)、「物質についての新しい概念」[*5]と、それから「原形質」は英語で‘protoplasm’だと知ったこと。
 (まだ見ぬ「物質についての新しい概念」を予見させるはずの)原形質とは、実は「プラズマ」[*6]だった!

[*1]
 『パース著作集1 現象学』の38頁から40頁にかけて、「原形質とカテゴリー」の項がある。
 そこでパースは、「三つの新ピタゴラス学派的カテゴリー」を、原形質に託して説明している。第一のもの、潜在的力=「情態」のカテゴリー。第二のもの、 反作用的力。第三のもの、総合化の法則。

[*2]
 パースの神秘体験についてはブレント著『パースの生涯』の358頁以下を参照せよ。伊藤氏が注にそう書いている(161頁,249頁)。
 で、さっそく読んでみた。(ちょうどその直前のところまで読み進めて、どういうわけか中断していた。これから面白くなる前に!)
 こういうことが書かれている。「神秘経験後のパースにとっての記号論は、実在がいかに宇宙に内在しつつ超越しているか、無限の語り手が我々の宇宙を創造 するのにいかにして記号作用[セミオーシス]という記号の行為を行なっていると言えるか解き明かすものである、と理解されるべきではないかと私は考えてい る。」(362頁)
 これに続けて、ブレントはパースの連続主義(シネキズム)にふれ、「ガラスのようにもろい人間の本性」という「驚くべき」論文の話題に転じる(365頁 以下)。そこに引用されたパースの文章の断片。《[原形質は]感じているのみならず心のあらゆる働き方を行使している。……物質が心の特殊化にほかならな い存在であるとすれば……》

[*3]
 漱石と入れ替わるようにイギリスから帰国した熊楠は、植物採集のため那智に向かった。「かくて小生那智山にあり、さびしき限りの生活をなし、……自然、 変態心理の研究に立ち入れり。幽霊と幻(うつつ)の区別を識りしごとき、このときのことなり」。しかし、この那智隠棲時代は二年で切り上げられる。「この 上続くればキ印になりきること受け合いという場合に立ち至り……」。
 以上、安藤礼二「野生のエクリチュール」(『光の曼荼羅』)から。この安藤氏の論文は、いやこの論文を収録した書物全体が、「物質についての新しい概 念」に関する「驚くべき」仮説を提示するものだ。

[*4] 
 個人的な「発見」を一つ。その昔出していたMM版「不連続な読書日記」(No.70[http://www17.plala.or.jp/orion- n/NIKKI/70.html])で、
鶴見和子『『南方熊楠・萃点の思想』と港千尋『洞窟へ』を並べてとりあげていた。

[*5]
 たとえば、安藤礼二氏の「霊獣 『死者の書』完結編」に(『光の曼荼羅』収録の「光の曼荼羅─『初稿・死者の書』解説」の「4 珊瑚礁の身体」にも)出てくる「珊瑚の樹」が、その一つの事例になっている。「動物と植物と鉱物の性質をあわせもった珊瑚、複数の個体が単一のコロニーを 形成する、南の海の不可思議な生命体」等々。

[*6]
 固体、液体、気体につぐ物質の第四の状態をいうプラズマと、プロトプラズマ(原形質)のプラズマは、使用される文脈は違うが、ともに「基盤」を意味する ギリシャ語(もしかすると「コーラ」という語と響き合っているのかもしれない、要調査)に由来する語。エクトプラズマのプラズマも同様。
 『電気的宇宙論T──銀河、恒星、惑星の進化を書き換えるプラズマ・サイエンス』という本に、「宇宙はそれ自体が巨大な伝導体であり、電気の力が宇宙全 体を結びつけていた。」「電気的宇宙は、これまでまったく関係ないと思われていた古代の謎にも解明の光を当てる。古代の岩壁絵画に描かれた象徴・文様が、 古代の空にプラズマ放電が作り出した形と同じであることがわかったのだ。」などと書いてある(カバー裏)。
 世界各地の岩窟壁画(「洞窟」壁画も含まれる、たぶん)に描かれた「スクワットをする人物」や「アイマスク」は、プラズマ放電が作り出す砂時計型のパ ターンやトーラスの形と「あまりにもよく似ており、とうてい偶然とは考えられない」。

★5月10日(日):続々・原形質と洞窟

◎洞窟をめぐって

 『パースの宇宙論』第四章「誕生の時」の冒頭に、「パースの宇宙論においては、視覚世界から嗅覚世界への向き直りが、現実世界の形式の非唯一性を認識さ せる扉を開くという明確な意識が存在した」(182頁)と書いてある。
 そして、「人が光のない洞窟のなかで、自由に空中を遊泳しながら、さまざまな匂いと触覚とを頼りに空間の位置を確かめる経験を続けるうちに、空間の「特 異面」を通り抜けて異種的な空間との行き来を行い、やがて内と外とがその特異面でつながっている「クラインの壺」の構造の空間に生きるという、新しい体験 のありかたを習得する過程を記述した、『連続性の哲学』[242-45頁]のなかのユニークなパッセージ」が引用される。

 と、書き始めて、この話題は、以前(5月3日)、「パースの宇宙論と九鬼周造の回帰的時間」[http://d.hatena.ne.jp/orion -n/20090503]でとりあげたことに気づいた。
 そのとき抜き書きした文章、「エキゾチックな香りが伝える嗅覚の世界や不思議な体感が伝える触覚の世界は、メビウスの環やクラインの壺に代表されるトポ ロジカルな空間を体験させることによって、実際に異次元の世界への通路をもたらす力をもつのである」は、「視覚世界から嗅覚世界への向き直り」という、 パースの洞窟体験の思考実験がもたらす世界を描いている。

(この「向き直り」は、『他界からのまなざし』での古東哲明氏の説[http://www17.plala.or.jp/orion- n/NIKKI3/275.html]──そもそも「プラトン哲学」なるものはない、プラトンが書き残した対話篇は、「たましい」(プシューケー)の向き 変え・改変(ペリアゴーケー=実存転調・身体変容)への誘いであった──を、というより、そこでいわれる「ペリアゴーケー」を想起させる。
 想起させるどころか、伊藤氏自身が、こう書いている。パースの議論は、洞窟の影から太陽の光の方へと向き返ることを説いたプラトンの思想と「まったく同 じ構造をもつものではないとしても、やはり洞窟を利用した形而上学的冒険の一種には変わりがないといえよう」(227頁)。)

 メビウスの環やクラインの壺の構造をもった空間。表と裏、外と内をつなぐ特異面をもった空間。異次元世界への(ブルトンの通底器[*1]を思わせる) 「通路」。
 それらはみな、「洞窟体験」(227頁)をもたらす「宇宙空間の洞窟的世界」(228頁)の説明であると同時に、宇宙への「洞観」(227頁)に裏打ち されたパースの思想の世界を言い当てている。
 『二○○一年 宇宙の旅』の最後にでてくる「異次元の回廊」とは現代宇宙論の「ワームホーム」であり、その発想の基礎となる宇宙の特異点、すなわち「ブラックホール」は 「宇宙大の規模で想定された現代の哲学的洞窟であり迷宮である」(228頁)。
 この言葉は、パースの思想そのものの形容でもあるだろう。パースの思想は、宇宙大の規模で想定された現代の哲学的洞窟であり迷宮である。
 そして、パースの方法は、洞窟を導管[duct]とする推論、すなわち「洞窟的推察」[*2]、略して洞察(=アブダクション[abduction]) そのものであった。

[*1]
 安藤礼二「野生のエクリチュール」に、ブルトンの通底器について、それは「極度に抽象的で「純粋なフォルム」というかたち」であり、「自然の生み出す、 無限の変化をもった曲線」でもあり、「官能的な自然そのものの姿」であり、「細部の微小な差異に満ち、反復可能であるもの、「生え出たばかりの羊歯や、ア ンモナイトや、胎児状渦巻の曲線のような果てしのない曲線」(「自動的メッセージ」)でもあるようなもの」(『光の曼荼羅』190頁)だと書いてある。
 この「通底器」を「洞窟」と同義に解していいのなら、「官能的な自然そのものの姿」である洞窟、「胎児状渦巻の曲線」でもある洞窟、「単性生殖」の器官 としての洞窟、といったアイデアにもなにがしかの根拠が与えられることになるだろう。
 たとえば、折口信夫の「ホモセクシュアリティと呼ばれているものの本質」にある、「男としての自らの「胎」に「死者」をあらためて胎児として孕み、出産 すること」、すなわち「母胎を経ない出産」=「死からの誕生(復活)」の場所(容れ物)としての洞窟(「光の曼荼羅─『初稿・死者の書』解説」,『光の曼 荼羅』390-391頁)。

[*2]
 松岡正剛氏は、「パース著作集(全3冊)」をとりあげた「千夜千冊 遊蕩篇」第千百八十二夜[http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1182.html]で、「アブダクションとは総 合的な【推感編集】なのだ」と書いている。この【編集工学】語彙を借用すれば、「洞窟的【推感】推察」、略して「洞察」。

★5月17日(日):神も昔は人ぞかし─神仏習合と歌枕

 先日、大岡信著『うたげと孤心 大和歌篇』(集英社)を読んでいて、「神仏混淆というまことに日本的な信仰形態の定着という事実と、一方、律令時代から摂関時代への移行、遣唐使の廃止、 平仮名の発明と普及、『古今和歌集』勅撰事業の推進と完成などにみられる、日本文化の大陸に対する相対的な独立の達成という事実とが、まさにこの時期に軌 を一にして生じている」と書かれているのが目にとまった。
 これは、同書の最後におかれた「狂言綺語と信仰」の章にみられるもので、文中「この時期」とあるのは、「平安期、とくに宇多上皇時代以後」の時代をさし ている。

《私はあるいはまるで見当ちがいなことを言っているのかもしれないけれど、熊野信仰の隆盛という現象は、こういう時代をある意味で最もよく象徴する出来事 だったと感じるのだ。数世紀にわたってせっせと学んできた仏教思想の摂取が一段落し、貴族階級はとくにその美意識において仏教思想を肉体化した。別の言い 方をすれば、仏教思想を美意識に偏した形で肉体化した。それが仏教の日本的摂取のいちじるしい特徴だったといえるだろうし、そこまできてはじめて、氏族 神・祖先神崇拝のきわめて感性的な信仰である神道とのあいだに、混淆が成りたつ可能性も生じたのだろう。垂迹思想というものは、そういう意味で、まさしく 平安時代に定着しなければならなかった。》(247-248頁)

 大岡氏はつづけて、定家が『名月記』に記した後鳥羽院熊野御幸の様子を紹介した後、後白河院による熊野御幸の話題に転じ、「ちはやぶる神/神におはしま すものならば、/あはれと思しめせ、/神も昔は人ぞかし。」(資賢)の歌に、神仏混淆という日本的信仰の独特さを見る。

《ついでにいえば、この一句[神も昔は人ぞかし]、ヨーロッパ的な神を考えるなら、ぎょっとするようなことを言っているわけだが、もちろんこれは、「仏も 昔は人ぞかし」というのと大差ないのであって、神仏混交という日本的信仰の独特さがここにもあらわれているにすぎない。》(267頁)

(ちなみに、この「狂言綺語と信仰」の章で、大岡氏は、「うたげ」的世界のうちにあらわれた後白河院の「孤心」を抽出した「今様狂いと古典主義」の章をふ まえ、後白河院という「今様狂いの帝王」の思想的根拠を「狂言綺語と讃仏乗の一致を信じつづけること」にあったとし、これを特殊な個人だけのものとせず、 日本における「信仰=思想」と「狂言綺語=文学」の問題のうちに、すなわち、「「狂言綺語」の価値を体質的・先験的に肯定してかかるわれわれの古い古い民 族的習性によって、つねに曖昧に、なしくずしにされる歴史」の鏡像として位置づけ、そして、「ちからもいれずして」云々と和歌の力をたたえた貫之の思想の 由緒正しい後継者と規定している。)

     ※
 桑子敏雄著『環境の哲学──日本の思想を現代に活かす』(講談社学術文庫)第一章「空間の豊かさ」の「3 空間の意味づけの思想──本地垂迹思想と歌枕」に、「日本の思想では、言語による空間の意味づけが宗教的、芸術的な表現をとりながら、きわめて重要な役割 を演じていた」、「その第一は、神仏習合思想、とくに本地垂迹思想による空間の意味づけであり、もうひとつは歌枕のもつ意味である」と書かれている。
 桑子氏によると、習合思想は「ローカルな地点に立つグローバルな思想の統合という構図」をもち、また、歌枕の空間は「漢詩に対する「やまとうた」の空間 として、つまり、中国に対する日本というかたちで空間的な意味づけを与えていた」。

《さて、本地垂迹説と歌枕とは本来宗教的空間と言語文化的空間という別の意味づけのなかにあったのだが、この二つを根源的な意味で統合したのが、平安末の 歌人、西行であった。西行は、古来詠われた歌枕を実際にその足で訪ね、多くの歌を残すとともに、とくに最晩年、伊勢神宮に『御裳濯河歌合』と『宮河歌合』 というふたつの歌合を奉納することによって、神仏習合思想を和歌によって表現した。つまり、ふたつの空間意識、神道と仏教という宗教的空間と和歌という文 化的空間とに対する意識が、西行の詠歌活動によって統合されたのである。》(40頁)

(本地垂迹思想と歌枕。この二つのものは、近代国家によって、廃仏毀釈、地名・住居表示変更を通じて破壊されていった。)

★5月22日(金):フィクションとしてのテクスト、フィクションとしての人生

 貫之ときけば、古今集仮名序の「やまとうたは、人のこころをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける」を想起する。
 和歌は「人のこころ」を詠んだもの。表現せずにはいられない、やむにやまれぬ「思い」を言葉の技術を駆使してうたいあげるのが和歌である。仮名序冒頭の 言葉は、そのように読むこともできる。
 しかし、貫之は「屏風歌」の名手だった。屏風に描かれた絵に合わせて言葉を編集する。なにか詠むべき「思い」が先にあって、それを苦心惨憺して和歌に表 現したのではない。その屏風歌を貫之は大量に詠んだ。貴族からの注文生産に応じるいわば和歌の職人。
 そして、歌合における題詠や、贈答歌など、貫之以後の和歌は言語遊戯、社交の具としての洗練を極めていく。
 ここに、古典和歌をめぐる「建前」と「本音」のミスマッチがある。だから、「貫之集」に収録された屏風歌以外の和歌のうちに貫之の「孤心」を読みとる見 方もでてくる(大岡信)。
 しかし、そのようにとらえられた貫之は、いずれも「近代人」なのではないか。逆にいうと、それらは近代人の視点から見た貫之像なのではないか。
 川嵜克哲氏は『夢の分析──生成する〈私〉の根源』で、平安時代の人には内面がないと書いている。反省的な自己意識を蔵する私秘的な内面。平安人・貫之 がいう「人のこころ」は、そのような近代人に装備された心のことではないということだ。
 西郷信綱著『古代人と夢』に、古代人は「夢は人間が神々と交わる回路であり、そこにあらわれるのは他界からの信号だと考えていた」と書かれている。貫之 はそうした意味での「古代人」だったかもしれない。
 貫之が生きたのは、いわゆる国風暗黒時代を経て、中国文明の圧倒的な影響からようやく脱しつつある時代だった。たとえば仮名文字の成立、たとえば勅撰和 歌集の編纂に、それは端的にあらわれている。
 貫之こそ、この文化的独立運動の先頭に立つ「近代人」だった。そういってみることもできるだろう。
 まことに、貫之をどうとらえるかは錯綜をきわめる。語る人の立ち位置がその貫之像に反映してしまう。そうしたことのうちに、一種の「政治性」を見てとる こともできるだろう。
 神田龍身著『紀貫之──あるかなきかの世にこそありけれ』は、ある意味で、徹底した「近代」の視点に立ち、そこから見られた究極の「近代人」貫之の多面 的な像を描き出す示唆と刺激に満ちた書物である。

     ※
 本書は、「貫之テクストにみるフィクションの問題」(297頁)を多角的に論じる。
 そこには、あらためて取りあげ賞味または吟味すべき多くの論点がちりばめられている。(たとえば貫之歌論の政治性、たとえば男同士の贈答歌に孕まれたホ モ・ソーシャル的連帯、たとえば貫之の「伊勢物語」体験、たとえば土佐日記における文学空間としての海、たとえば本書で二度言及される三島由紀夫と貫之歌 論の関係、等々。)
 が、ここでは、「エクリチュールの問題を徹底して問いつづけてきた貫之文学」(323頁)と「フィクション」の関係、同時に「人のこころをたねとして」 のロマン主義的ともいえる解釈への批判にもつながる議論を三つ引いておく。
 その一は、古今集が屏風歌を認めずにそれを四季歌とし、貫之集が四季の部立を設けなかったのはなぜかをめぐる貫之屏風歌論。
 神田氏は「貫之文学がいかに屏風歌なるものから生成されたか」(92頁)を詳細に解析した上で、「平安朝和歌[とりわけ貫之]にあっては、絵[という フィクション]を媒介するところから四季歌は生成されたし、和歌の自然観も深められた」(86頁)と指摘する。
 すなわち屏風歌歌人として生きたがゆえに貫之が、(そして同時代にあっては貫之だけが)、和歌における「フィクション」を発見し、「『古今集』編纂の段 階で、和歌の意味はコンテクストが決定すること、和歌の言葉は無限に引用可能であることを認識し」(93頁)得たのである。
「もちろん、このことは遥かに遡れば、歌が書記されるようになったことにその淵源がある。歌が声として発生した際には、その歌声は発生とともに消失する が、書記化された歌は現場を離れて反復される。だからこそ四季歌にも屏風歌にもなり得るし、詠歌主体の変更[たとえば男から女へ]も可能となり、いかなる 詞書を付すかも勝手である。(略)私がいいたいのは、和歌が書記されたことで、歌なるものに本来的に孕まれていた反復可能性という問題が顕在化したという ことである。」(93-94頁)
 その二は、土佐日記一月二○日の阿倍仲麻呂の挿話(「唐土とこの国とは言ことなるものなれど、月の影は同じことなるべければ、人の心も同じことにやあら む」)を「本邦初の翻訳論」と読解したくだり。
 神田氏は、この翻訳論は「人のこころをたねとして」云々をはるかに超えた批評レベルに到達しているとする。
「仮名序の「言」と「心」とは、詠歌主体の心とそれを基に表出された歌との関係をいうが、ここでは、シニフィアン/シニフィエ、という言語の構造それ自体 の分析用語としての使用である。しかも、「心」はすべてを根拠づける起源としてア・プリオリにあるのでなく、「言」から事後的に発見されたとする。これは 「種」としての「心」が先行し、そこから「葉」が生ずるとする仮名序の因果論の比ではない。」(235-236頁)
 その三、日本語音声を指示する「透明なシニフィアン(記号媒体)」(281頁)として仮名をとらえるロジックを退け、それは「紙上のパロール(書かれた 音声)」すなわち「パロールを装ったエクリチュール」以外ではないとする議論。
 神田氏は、(たとえば、「桜花散りぬる風のなごりには水なき空に波ぞ立ちける」の有名歌が、「散花の残映を「名残」かつ「なごり(余波)」とし、しかも それを「水なき空」に立つ「波」と喝破した」(59頁)ごとく)、「風それ自体でなく、波なる視覚化において初めて風の正体が見極められ、波の背後の 「心」が摘出されたように、仮名という音声の視覚化によって、初めて言葉の正体が対象化され得たのである」(296頁)とする。
 そして、「仮名文字こそが偽装の日本語音という最大のフィクションだったことになる。(略)古今集歌の表現は初めから紙上の歌として生成されたものであ り、うたわないことを前提にしている以上、フィクションとしての歌である」(297-298頁)と結ぶ。

 ただし、本書がここで結ばれているわけではない。
 以下、「本音」としての漢文、ソシュール晩年のアナグラム研究を思わせる貫之の謎の遺作(313頁)、そしてフィクションとしての貫之の人生といった魅 力的な話題が続く。
 それ以前にも、「ないものを現前させる」(247頁)言葉のはたらきや「水面なるシニフィアンと、仮名文字との喩的関係」(295頁)等々の大切な論点 が提示されている。
 が、それはともかく、貫之の歌が、屏風絵というフィクションを鏡(媒介)として、フィクショナルな心と主体を詠む鏡像を始発とするものであったこと、し たがって、「人のこころをたねとして」がある政治性・戦略性をもった宣言であったことなどは、神田氏が指摘するとおりだろう。
(というのも、三島由紀夫(『日本文学小史』)がいうように、古今集の編纂は、「力による領略ではなくて、詩的秩序による無秩序の領略」を志向するもの だったのだから(21頁)。また、古今集編纂時、すでに貫之が、歌におけるフィクションやコンテクストの重要性を認識していたのなら、仮名序の「言」と 「心」とは、「詠歌主体の心とそれを基に表出された歌との関係」ではありえなかっただろうから。)
 そして、「「心」はすべてを根拠づける起源としてア・プリオリにあるのでなく、「言」から事後的に発見された」こと、それが「偽装の日本語音という最大 のフィクション」を担う「紙上の歌」、すなわち貫之歌を典型とする古今集歌の表現を通じて遂行されたこと、これらもまた神田氏の指摘どおりだと思う。
 私がこれに付け加えることがあるとすれば、それはただ一つ、それらの議論はすべて、貫之がその果たすべき仕事をなし終えた後でこそ、はじめて成り立つも のなのではないかということである。
 もちろん、貫之以前にも、在原業平をはじめとする六歌仙、万葉集歌、等々の「やまとうた」の伝統につながる歌の数々が詠まれていた。それは仮名序に書か れているとおりである。
 だが、貫之の生きた時代はどうだったか。和歌は、公的な世界からは「棄てて採られず」(真名序)、「いろごのみのいへに、むもれ木の人しれぬこととな り」(仮名序)果てていたのである。
 貫之はそこから、つまり、俗なる世界のただなかにあって、屏風絵というフィクショナルな鏡面に立ち騒ぐ「現象」を凝視し、われを物思わせる場そのものへ と遡行することによって、歌の本質を独力で再定義しようとした。
 だからこそ、歌は「人のこころをたねとし」なければならぬと宣言したのだし、そのようにして生み出された「詞」であったればこそ、事後的に「心」の発見 (創出)をもたらす「偽装の日本語音」の力をもちえたのである。私はそう考えている。

★5月25日(月):双子のように響き合う文人哲学者

◎坂部恵『不在の歌──九鬼周造の世界』

 文人哲学者・九鬼周造という「異例の哲学者」(『九鬼周造エッセンス』「解説」での田中久文氏の評言)の度はずれたスケールとその深さまた高さを、「註 解」もしくは「註釈」という方法で凝縮した格好の入門書。入門書というよりは誘惑の書。坂部恵というもう一人の文人哲学者(もしくは、『かたり』の文庫解 説での野家啓一氏の評言を借りるならば、「詩人哲学者」)の音韻と音階が「双子」のように重ね合わされている。とりわけ「ポンティニー講演」をめぐる叙述 の濃度が高い。以下、その概略。

 第1章「天心の影──「根岸」と「或る夜の夢」」。
 「[実の父]隆一、母[波津]、[心の父・岡倉]天心と周造自身とからなる九鬼の四角形の宇宙ないし反─宇宙(お望みならば、一種「アンチ・エディプ ス」的な四角形の反─宇宙)」(21頁)が、「私は、はたして何者なのか」という「みずからの同一性の根底を揺るがす深い不安」(127頁)を投げかけ た。
 それらは後年の、周造の思考における「女性性」(フェミニテ)ないし「たをやめぶり」、また「両性具有」「分身」「双子」「二元性」「エロス」等々の テーマへと関連していく(128-129頁)。

 第2章「いのち寂し──『巴里心景』と『「いき」の構造』」。
 九鬼の詩魂(とくに短歌)を一瞥した後、『「いき」の構造』が、異郷にあって二人の父と母を想う「周造の内面にはらまれた幾重にも重層的な二元の邂逅の 「緊張に支えられて、はじめて魅力あふれる作品たりえている所以」(104頁)が述べられる。

 第3章「わくら葉に──ポンティニー講演と『偶然性の問題』」。
 1928年、ブルゴーニュの小村シトー会の修道院で行われた二つの講演が語られる。日本人によって外国語で書かれた日本文化論として『茶の本』『東洋の 理想』『武士道』『代表的日本人』等に「匹敵する重みと問題性をもち」、また「周造の哲学的思索のもっとも深くかつ重要なモチーフを端的に提示するもの」 (109頁)。「九鬼の思索の営為全体におけるひとつの頂点を占める」(140頁)もの。
 第一の講演「東洋における時間の観念と時間の捉え返し(反復)」。「これだけ抽象度の高い形而上学的思弁を能くする力は、…空海、道元、梅園らごく少数 の例外を別として、ほとんど見あたらない類のものである」(121頁)。
「そこには、おのずから、周造自身の時間に関する何らかの神秘体験、あるいは、すくなくともそうした神秘体験への想像力をもってする深い共感の裏打ちが あったものと考えられる」(123頁)。「神なき時代の神秘体験について深く思いをいたしたジョルジュ・バタイユの精神的雰囲気からそれほど遠くないとこ ろにいなかったと想像しても、それは、それほど見当ちがいのこととはいえない」(124頁)。
 第二の講演「日本芸術におけ〈無限〉の表現」。「循環する時間」のテーマが「出会い」のテーマと密接な関連をもって述べられている(139頁)。「い き」の概念装置の射程には入りえぬ類のもの、水墨画や蕉風の俳諧等を主たる考察の素材とするこの講演は、「多くの音域と音階を含む周造の生と思索の宇宙に あって、ある意味で、[『「いき」の構造』と]対極的な互いに補い合う位置を占めるものである」(140-141頁)。
 続いて『偶然性の問題』。「自己の絶対的孤独と峻厳な宿命の同一性の底無しの深みと、自己と他者の二元的対立というふたつのテーマの重なり合うところに 生起してくるもの、すなわち、あえていいかえれば、無限の厚みをもった永遠の今を生きる一種の神秘体験の核をさらに一層掘り下げて行くところに生起してく るものこそ、〈偶然性〉の問題にほかならなかった」(150頁)。

 第4章「双子の微笑──「文学概論」と「日本詩の押韻」」。
 九鬼の「文学概論」は、「周造の生涯の思索の営為のひとつの頂点をなし、また集大成をなすものとして、周造の代表作の筆頭に数えられるべきものである」 (187頁)。また「たとえば、漱石の「文学論」とならんで、明治以後の日本の文学論のなかで、際立った思弁性と透徹した体系性という特色をもって、孤立 に甘んじ、今なおい孤高を持しているようにおもわれる」(188頁)。
 その「文学概論」の最後の結論。《我々は文学とは「存在の言語による表現自身」といふ主題に基いて、存在の領域を一々考察し、最後に存在と同意義である 時間の観念に到達して、時間の見地から文学を見た。そして文学とは「時間の言語的表現それ自身」といふ認識にたどり着いた。》
 最後に「日本詩の押韻」。論の末尾近く、「文化多元論的視点に加え、韻律に体現される垂直のエクスタシス、〈いのちのはずみ〉の実存的意味ないし局面」 について述べた文章。《律と韻とは詩の音楽的様相である。音楽が心のおのづからな流れとして世界的の言葉であると同様の意味で、詩の形態も世界的の言葉で ある。(略)しかし押韻によつて開かれる言語の音楽的宝庫は無尽蔵である。韻の世界は拘束の彼岸に夢のように美しく浮かんでゐる偶然と自由の境地であ る。》

★5月26日(火):〈インメモリアル〉な時を求めて

  「かたるに落ちる」というけれど、「はなすに落ちる」とはいわない。
  だから、〈かたる〉は〈はなす〉よりひとつ上の世界にすまいしている。
  〈うたう〉や〈いのる〉、〈つげる〉や〈のる〉と〈はなす〉のはざまから、
  神と人の垂直の関係へ、はては〈しじま〉に向けて、〈かたり〉は転移し変容する。

  おなじ〈はなし〉はあるけれど、世にふたつとおなじ〈かたり〉は存在しない。
  語り手が〈巫祝の時制〉をもって「見てきたように」かたるのは、とおく過ぎ去った
  〈いにしへ〉の思い出ではなく、生きたままよみがえるいまは〈むかし〉の物語。
  〈インメモリアル〉な神話的過去のアウラを帯びた、出来事の一回性。

  「語る」は「騙る」──垂直の時間に参入した〈かたり〉の人称が多重化される。
  作家と読者、主人公、架空の語り手、仮想の受信者、そして〈巫女〉と〈もののけ〉。
  連なる仮面のようにペルソナが転移し、人称的なものの生きた味わいがたちあがる。

  幾重ものトランスポジション(比喩、化体)をはらんだ営みとしての〈かたり〉。
  多くのヴァージョンをもち自己増殖するポリフォニアとしての〈物語〉。
  歴史と伝説、実録と虚構、〈無限人称〉の科学と〈原人称〉の詩が一つになるところ。


[註]
 〈インメモリアル〉は、坂部恵著『かたり──物語の文法』(ちくま学芸文庫)のキーワード。
 言語行為、さらには言語行為をもその一環として含む〈ふるまい〉一般に関して、坂部氏は「はなし─かたり─うた」と「ふるまい─ふり─まい」の二つの図 式を示す。
 これらの図式において、左から右へと進むほど、俗なる水平の言語行為から聖なる垂直の言語行為へ、また日常的な水平のふるまいから儀礼化された垂直のふ るまいへと移行する。

《この進行につれて、一般に、行為の主体もまた二重化的超出ないし二重化的統合の度合いを高め、またその構造を顕在化させる。
 ひとは、この度合いの高まりないし構造の顕在化につれて、いわば日常目前の生活世界の時空への拘束からはなれて、そうした目前の利害・効用に直結するい わば水平の時間・空間から、記憶や想像力や歴史の垂直の時間・空間の奥行のうちへと参入する。この垂直の時間・空間の次元は、すでに多少見たように、その 究極において、真に非日常的な〈ミュートス〉神話の空間、記憶を絶したその〈インメモリアル〉な時間にふれる。通常の記憶や想像力の世界と〈ミュートス〉 の世界をへだてる境界は、しかし、それほど明瞭なものではなく、ひとは、一旦、日常効用の水平の世界と直交する記憶や想像力の垂直の次元に参入すれば、そ こでは、すべての形象は、すでになにほどか神話的色合を帯び、反対に、遠い記憶の底に沈んだあれこれの神話的形象や原型(archetype)は、日常の 記憶や知覚の世界に還流する思いがけないほどに身近な直接の回路をわれわれの心性のうちにそなえているかもしれない。それは、一言でいって、プルーストや ジョイスの記憶や想像力の〈かたり〉の世界であり、あるいは、ベルクソンの持続と純粋想起の世界である。
 いずれにせよ、〈かたり〉や〈ふり〉、さらには〈うた〉や〈まい〉の場がひらかれるのは、こうした、日常効用の水平の時空と、記憶や想像力の垂直の時空 がたちまじるはざまにおいてにほかならない。》(52-53頁)

 この、水平と垂直の直交関係を基本図式として、その上に、坂部氏は、ハラルト・ヴァインリヒの『時制論』とロマーン・ヤーコブソンの詩的言語論(「言語 学と詩学」ほか)の「注解」ないしは「注釈」を通じて、時制、人称、様相といった〈かたり〉の文法をめぐる議論を重ね描いていく。
 たとえば、坂部氏は、ヴァインリヒの議論から抽出した「アオリスト」(古代ギリシャ語で悲劇をはじめとする文学作品の〈かたり〉において頻繁に使用され た時制、バンヴェニストはフランス語やスペイン語の単純過去をアオリストと呼ぶ)について、これを「神がかりした巫祝の〈かたり〉の時制であった」と想定 する。
 そして、古事記などに用いられる「き」を、(夢幻の世界から現実に立ち返った感慨をあらわす「けり」とは違って)、歴史的神話的過去に属することを「見 てきたように叙述する」語部の時制、アオリスト助辞ととらえた先達の議論(藤井貞和著『物語文学成立史』ほか)へと接続していく(78-84頁)。

《未完了過去や条件法で述べられる過去の出来事が、原理的に繰り返し可能で、別様でもありえ、時間を逆転して呼び返すことが可能であると見なされるのにた いして、アオリストで述べられる〈むかし〉は、もはや二度と呼び返すすべのない既定性と、一種魂の故郷の味わいをもった神話的なアウラを帯び、通常の記憶 ないし思い出を絶してそれらとは別の秩序に属する〈インメモリアル〉な時の後光をなにほどかうけながら、集団や個人の心性のうちに生きたままよみがえるの である。(ベルクソンが、この種の記憶を〈純粋想起〉の名で呼んだことは、周知のとおり。)
 アオリストがときに〈語部の時制〉と呼ばれるのもむべなるかなということになろう。
〈かたり〉という発話態度は、おそらく、いまにいたるまで、通常の(無限定な)過去とは質的に区別された、神話的な過去との地下水脈による結び付きの記憶 を、かろうじてにもせよ、処々で保ちつづけているにちがいない。》(163-164頁)

 インメモリアルな時に属する出来事を「見てきたように語る」こととパラレルな、もう一つの〈かたり〉というものがあるのではないか。それは、異なるペル ソナに属する思考や感情を「我がことのように語る」こと、すなわち坂部氏自身が本書で実践した〈かたり〉のことなのではないか。

《注解という仕事は、今日では(あるいは今日でも)、ともすれば一段低く見られがちだが、ときにペトルス・ロンバルドゥス命題集注解などという一見さりげ なく地味な形で、近世以降のなまじ〈独創的〉な著者たちなど及びもつかぬほどの最良質の創造性(とときには詩情さえも)を発揮することを知っていた西欧中 世の多くは無名の注釈者たちや、あるいは、フマニストとしての素養も充分にあり、詩心もあるわが国の中世連歌師たちのすぐれた古歌注釈の仕事などを、むし ろ至上の範ともし目標ともしたいとわたくしはかねてから考えてきた。》(「あとがき」)

 坂部氏が実践した〈かたり〉、すなわち「注解」もしくは「注釈」の仕事(本歌取りならぬ「本家取り」とでも呼んでおこうか)の手際はまことに鮮やかで、 この、二つのあとがきと(野家啓一氏の)解説を含めて二百頁に満たない書物のうちに、(冒頭に「身毒丸」への附言が引用された折口信夫の仕事についていわ れるのと同じように)、まさに「坂部学」としか形容のしようのない、きわめて濃度の高い、詩と哲学が高次元で融合しあう「ポリフォニックなトランスポジ ションの場」(「文庫版へのあとがき」)がひらかれている。

(私はここで、一人の文学者のことを想起している。「記憶するだけではいけないのだろう。思い出さなくてはいけないのだろう。」(「無常という事」)と書 いた小林秀雄。「小林は『罪と罰』を書こうとしているのではないだろうか。…小林はあのドストエフスキイ作の、あの『罪と罰』を書こうとしているのではな いだろうか。」(山城むつみ「小林批評のクリティカル・ポイント」)と評された、あの小林秀雄のことを。)