不連続な読書日記(2008.7)
【読了】
●山折哲雄『みやびの深層』(日本文明史第4巻「日本文明の創造」,角川書店:1990.8.30)
●福島章『不思議の国の宮沢賢治──天才の見た世界』(日本教文社:1996.8.15)
●クロード・レヴィ=ストロース『みる きく よむ』(竹内信夫訳,みすず書房:2005.12.19)
●リチャード・E・シトーウィック『共感覚者の驚くべき日常──形を味わう人、色を聴く人』(山下篤子訳,草思社:2002.4.30)
●『決定版三島由紀夫全集』31巻(新潮社:2003.6.10)
●ジョルジョ・アミトラーノ『『山の音』こわれゆく家族』(理想の教室,みすず書房:2007.3.23)
●岡田温司『イタリア現代思想への招待』(講談社選書メチエ:2008.6.10)
●佐藤幹夫『村上春樹の隣には三島由紀夫がいつもいる。』(PHP新書:2006.3.31)
●辻邦生『薔薇の沈黙──リルケ論の試み』(筑摩書房:2000.1.20)
●小西甚一『日本文藝の詩学──分析批評の試みとして』(みすず書房:1998.11.10)
●藤原克己・三田村雅子・日向一雅・佐々木和歌子『源氏物語――におう、よそおう、いのる』(ウェッジ選書:2008.5.30)
●手嶋龍一『外交敗戦──130億ドルは砂に消えた』(新潮文庫:2006.7.18)
【購入】
●『川端康成・三島由紀夫 往復書簡』(新潮文庫:2000.11.1)【¥438】
●塚本邦雄『定家百首・雪月花(抄)』(講談社文芸文庫:2006.10.10)【¥1300】
●橋本治『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』(新潮文庫:2005.11.1)【¥629】
●手嶋龍一『外交敗戦──130億ドルは砂に消えた』(新潮文庫:2006.7.18)【¥590】
●中沢新一『狩猟と編み籠──対称性人類学U』(芸術人類学叢書,講談社:2008.5.28)【¥1900】
●ロノ・ウェイウェイオール『鎮魂歌は歌わない』(高橋恭美子訳,文春文庫:2008.7.10)【¥743】
●田中茂範『文法がわかれば英語はわかる!』(日本放送協会:2008.2.20)【¥1100】
●『不思議な量子をあやつる――量子情報科学への招待』(別冊日経サイエンス161:2008.5.15)【¥1900】
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【ブログ】
★7月5日(土):存在しないものの美学──「新古今集」珍解
終日、新潮社の『決定版三島由紀夫全集』31巻を眺めていた。
『豊穣の海』を書き終えたら、藤原定家をモデルにした小説を書きたい。三島由紀夫はそう語っていたらしい。その三島由紀夫が定家や新古今集について書い
た文章を探していて、「存在しないものの美学──「新古今集」珍解」を見つけた。
短いものなので、全文を書き写しておく。(引用文中の“ ”は、原文では傍点で強調。)
※
たとへば定家の一首、
み渡せば花ももみぢもなかりけり
浦の苫屋[とまや]の秋の夕ぐれ
の歌は何で“もつて”ゐるかと考へるのに「なかりけり」であるところの花や紅葉[もみぢ]のおかげで“もつて”ゐるとしか考へやうがない。これを上の句
と下の句の対照の美だと考へるのは浅墓な解釈だろう。むしろどちらが重点かといへば上の句である。「花ももみぢもなかりけり」といふのは純粋に言語の魔法
であつて、現実の風景にはまさに荒涼たる灰色しかないのに、言語は存在しないものの表象にすらやはり存在を前提とするから、この荒涼たるべき歌に、否応な
しに絢爛[けんらん]たる花や紅葉が出現してしまふのである。新古今集の醍醐味[だいごみ]がかかる言語のイロニイにあることを、定家ほどよく体現してゐ
た歌人はあるまい。万葉集の枕詞[まくらことば]の燦爛[さんらん]たる観念聯合[れんがふ]と、ちょっと似てゐるやうで、正に正反対なのが新古今集であ
る。ここには喪失が荘厳[しやうごん]され、喪失が純粋言語の力によつてのみ蘇生せしめられ、回復される。
同じ定家の、
駒とめて袖打ちはらふかげもなし
さののわたりの雪の夕暮
も同じ美学の別のヴァリアシォン。
帰るさの物と人の詠[なが]むらん
待つ夜ながらの有明の月
の一首では、喪失が逆の形であらはれて、空しい期待と希望、つまり何事も獲得しない状態が、言語の魔術をよびおこす。ここでも定家の手法は妙にシンメト
リカルである。シンメトリカルであるけれども、それにとらはれてはならない。
ここには二ヶの月がある。二ヶの有明の月である。一方の月は、「待つ夜ながら」に眺められてゐる。もう一方の月は「帰るさ」に眺められてゐる。前者の月
は現実の月のやうであり、後者の月は空想上観念上仮定上の月のやうに思はれる。しかし、実は後者の月こそ現実の月であつて、前者の月は、正に目の前に見え
てはゐるが、ありうべからざる異様な怪奇な月であり、信じようにも信じることのできぬ怖ろしい月、正にそれ故に、歌に歌はれねばならない月なのである。な
ぜならその月は喪失の歴然たる証拠物件として出現してゐるからだ。
定家はどうしても月を、有明の月を、ここまで持つて来なければ承知しない。さうしなければ、言語表現の切実な要求に到達しないからである。そこまで来な
ければ、言語の純粋な能力が働き出さないのだ。
その上、この歌は、気味のわるい二重構造を持つてゐる。これはかうも読まれる筈だ。「きぬぎぬの別れののちに、帰るさの人たちが、いかにも身にふさはし
いものとして、この有明の月を眺めてゐることであらう。事後の疲労と、虚しさと、世界の空白に直面した思ひで、人々はこの白つぽい月をながめるのだ。“そ
こへ行くと私は幸福だ”。何もせずに、絶望も虚無感もなしに、ただ充実した待つことの感情のまま、この月を眺めることができるのだからなあ」
新古今風の代表的な叙景歌二首。
夕月夜潮みちくらし難波江[なにはえ]の
あしの若葉をこゆるしらなみ(藤原秀能)
霞立つすゑの松山ほのぼのと
浪にはなるるよこ雲の空(藤原家隆)
これは二首とも、自然の事物の定かならぬ動きをとらえたサイレント・フィルムだ。しかしこんなに人工的に精密に模様化された風景は、実はわれわれの内部
の心象風景と大してちがひのないものになる。新古今の叙景歌には、風景といふ「物」は何もない。確乎とした手にふれる対象は何もない。言語は必ず、対象を
滅却させるやうに、外部世界を融解させるやうに「現実」を腐蝕するやうにしか働かないのである。それなら、心理や感情がよく描かれてゐるかといふと、そん
なものを描くことは目的の外にあつたし、そんなものの科学的に正確な叙述などには詩の使命はなかつた。それならこれらの叙景歌はどこに位置するか。それは
人間の内部世界と外部世界の堺目のところに、あやふく浮遊し漂つてゐるといふほかはない。それは心象を映す鏡としての風景であり、風景を映す鏡としての心
象ではあるけれど、何ら風景自体、心象自体ではないのである。それならさういふ異様に冷たい美的構図の本質は何だらうかと云へば、言葉でしかない。但し、
抽象能力も捨て、肉感的な叫びも捨てたその言葉、これらの純粋言語の中には、人間の魂の一等明晰な形式があらはれてゐると、彼らは信じてゐたにちがひな
い。
存在しないものの美学──「新古今集」珍解〈初出〉国文学 解釈と緩衝・昭和36年4月
〈初刊〉「美の襲撃」・講談社・昭和36年11月
★7月6日(日):文章読本──抜き書き・三島由紀夫全集31巻
昨日につづいて、『決定版三島由紀夫全集』31巻を眺めた。
口絵に、映画「からっ風野郎」(昭和35年、増村保造監督、大映)でヤクザの名門朝比奈一家の二代目に扮した三島由紀夫と、情婦役の若尾文子とのツー
ショット写真が使われている。
(この映画は未見だったので、さっそくDVDをレンタルして観た。三島由紀夫の、いかにも運動神経のなさそうな猫背のアクションと科白回しが、チープで頭
の悪いちんぴらヤクザの役と見事にマッチし、可憐で気丈でしたたかな若尾文子とのからみもよくできていて、なかなかいい作品だった。)
その若尾文子のことについて、「スタアといふものは、たださへ人工的な美しさで飾り立てられて、プラスチックみたいにピカピカしてきて、生活感も実在感
もない人形になりがちだが、若尾さんはちやんと自分のいのちの息吹を生れたままの自然さで呼吸してゐる。だから若尾さんの演ずる役には、リアルな生活感が
失はれない。」(「若尾文子さん──表紙の女性」、421頁)と讃えている。
そのほか、印象に残った箇所を抜き書きしておく。以下は、いずれも「文章読本」(昭和34年)から。
※
純粋な日本語とは“かな”であります。平がなのくにやくにやした形から、われわれはあまり男性的な敢然としたものを感ずることはできません。実際平がな
で綴[つづ]られた平安朝の文学は、ほとんど女流の手になつたものでありました。日本の純粋のクラシックは、このやうな女流の手に綴られた、いかにも女性
的な文学によつて代表され、その伝統はいまも長く尾を曳[ひ]いて、“日本文学の特質は一言をもつてこれを覆へば、女性的文学と言つてもよいかもしれませ
ん”。(19-20頁)
…“日本人は奇妙なことに男性的特質、論理的および理知の特質をすべて外来の思想にまつたのであります”。(略)日本の男性的文化はほとんどすべて外か
ら来たものであり、まだ外来文化に浴さないうちの日本の男性は、「古事記」時代のやうな原始的男性の素朴さを持ち、まだ感情を発見することなくひたすら素
朴な官能に生きてゐました。男性が感情を発見する前に、女性が感情を発見したのであります。(21-22頁)
…日本の文学はといふよりも、“日本の根生(ねおひ)の文学は、抽象概念の欠如からはじまつた”と言っていいのであります。そこで日本文学には抽象概念
の有効な作用である構成力だとか、登場人物の精神的な形成とか、さういふものに対する配慮が長らく見失はれてゐました。男性的な世界、つまり男性独特の理
知と論理と抽象概念との精神的世界は、長らく見捨てられて来たのであります。平安朝がすぎて戦記物語の時代になりますと、そこでは叙事詩的な語りものの文
学、「平家物語」とか「太平記」が生まれましたが、そこで描写される男性は、まつたくただ行動的な戦士、人を斬つたり斬られたり、馬に乗つて疾駆したり、
敵陣にをどり込んだり、扇の的を矢で射たりするやうな、ただ行動的な男性の一面が伝へられるにすぎませんでした。
一方、平安朝の女流作家が開拓した男性描写、それはいはば女性の感情と情念から見た男性の姿であります。男性はひたすら恋愛にのみ献身し、男性の関心は
すべて女性を愛することに向けられました。そこでは男性すらが女性的理念に犯されて、すべて男女の情念の世界に生き、光源氏のやうな、絶妙な美男子ではあ
るが、ただ女から女へと渡つて行く官能的人間を、理想的な姿として描いてゐます。これはまた戦記物の行動的な男子と同様、男子の一面を描写するにすぎませ
ん。(略)志賀直哉氏の「暗夜行路」の主人公時任[ときたふ]謙作は、彼が行動的人間であると同時に、異常な官能的人間であることで、西洋の近代小説から
劃然[くわくぜん]と離れてをります。そこにはおそらく日本の文学者が作つてきた男性像のひとつの極限が見られるので、彼には抽象概念がまつたく欠けてゐ
るが、行動と恋愛においてだけ、感覚と官能においてだけ、男性であるのであります。
われわれは日本語のかうした特質を、いつも目の前に見てゐなければなりません。多くの作家がかういふ特質から逃れようとしてさまざまな試みをしました
が、根本的には日本人が日本語を使ふ以上、長い伝統と日本語独特の特質から逃れることはできないのであります。日本文学はよかれあしかれ、女性的理念、感
情と情念の理念においては世界に冠絶してゐると言つてもよろしいでありませう。(22-24頁)
…散文の物語は和歌の詞書[ことばがき]から発達したものと言はれてをります。つまり詩の前に附された散文の注釈がだんだん発展して日記になり物語にな
つてきたといふのが、文学史の等しく言ふところであります。平安朝文学は「色好みの家」の伝統から生れたと言はれ、恋愛感情の交換にほかならぬ和歌の応酬
によつて、情念の専門家が形づくられてゆき、その情念の専門家たちは、単なる和歌の形式には満足しなくなつて、抒情詩の注釈を拡張したのであります。そし
てこの抒情詩の注釈の拡張が、日本の散文の発生をなしたといふ事情は、ギリシアの散文が歴史家の如き学者の文章や、ギリシアで多く行はれたアポロギア(弁
明)などの演説から発展して行つたのとは、まつたく事情を異にするものであります。日本の散文は韻文とさう遠くない抒情的基盤から発生して、情念を解説
し、情念を描写し、情念を構成しつつ発展しました。(27-28頁)
私も根本的に言つて、日本では散文と韻文とを、それほど区別する必要はないと思つてゐます。…日本語にはなほかつ長い散文・韻文の混淆の歴史が日本語の
特質の背後に深く横たはつてゐるのであります。これはあのやうな革命的変化であつた口語文の発達によつても、なほ、どこかしらに拭はれぬものを残してゐま
す。現代文学でも泉鏡花のなかにはまぎれもない韻文的文体の伝統がありますし、現代このやうな文体をはつきりと提示してゐるのは石川淳氏でありませう。谷
崎潤一郎氏の散文にも語りもの的な、洋々たるリズミカルな文体の流れが顔を出してゐます。(28-29頁)
…“日本では雑誌ジャーナリズムの影響もあつて、短篇小説といふものは一種独特な芸術的な質(クオリティー)をもつた文学形式と考へられてゐました”。
日本人は短いものにたいへん芸術的に高度な性質を与へる国民であつて、短歌、俳句は言はずもがな、近代文学にいたつても短篇小説といふ恰好[かつかう]な
形式を見出して、それに最も高度の芸術的欲求を働かし、かつ高度な文学的内容の要求を寄せたのであります。その結果、短篇小説が西欧における詩のやうな地
位に近づいたことは当然であります。日本のやうに韻律を欠いた国において、詩人的才能をもつた作家が、現代口語文による近代詩に満足を見出すことができ
ず、小説家となつて短篇小説に詩的結晶を実現した例も少なくありません。それが外国で紹介される場合は、ただノヴェリストと言つて紹介されるよりも、ポ
エットと言つて紹介された方が適当な人も多々あります。川端康成氏、堀辰雄氏、梶井基次郎氏は、この代表といふことができませう。
川端氏のものでは「反橋[そりばし]」「しぐれ」「住吉」など連作の三篇は、純然たる一個の詩であつて、中世風な詩情の中にかすかに物語が織り込まれて
ゐます。その作品を読むときのわれわれの感じは、小説を読むといふよりも詩を読むのに近いのであります。(53頁)
★7月7日(月):川端康成氏再説ほか──抜き書き・三島由紀夫全集31巻
「川端康成氏再説」(昭和34年)という文章から、その一部(といっても、マクラの部分を除いただけで、ほぼ全文)を抜き書きする。
あわせて、若干の補遺を加える。
※
氏の「雪国」や「千羽鶴」が外国で歓び迎へられたのには理由があると思ふ。たとへば西洋では、どんなデカダンでも、どんなニヒリストでも、「人間的情
熱」といふやうな言葉を先験的に信じてゐるとことがある。西洋では、多分キリスト教の影響だらうと思ふが、善悪の二元論をはじめとして、あらゆる反価値は
価値の裏返しにすぎぬ。無神論も、徹底すれば徹底するほど、唯一神信仰の裏返しにすぎぬ。無気力も、徹底すれば徹底するほど、情熱の裏返しにすぎぬ。近ご
ろはやりの反小説も、小説の裏返しにすぎぬ。
私は大体、十九世紀の観念論哲学の完成と共に、西欧の人間的諸価値の範疇[はんちゅう]が出揃つたものと考へる。それ以後の人間は、どうころんだって、
この範疇の外に出られないのである。たとへば情熱、たとへば理想、たとへば知性、……何でもかまはないが、人間によつて価値づけられたもののかういふ体系
を、誰も抜け出すことができない。逆を行けば裏返しになるだけのことだ。
日本の十九世紀も、かういふ人間によつて定立された価値概念をのこらず輸入した。その網羅的体系が、かりに人間主義と呼ばれるところのものである。しか
し日本では、それらの価値概念は粗い網目のやうなもので、そのあひだに、ポカリ、ポカリと、黒い暗黒の穴があいてゐる。網目に指をつつこんでも、ヒヤリと
する夜気[やき]にふれるだけで、そこには何もない。
さて川端さんの小説は、かういふ暗黒の穴だけで綴[つづ]られた美麗な錦のやうなものである。西洋人はこれをよんでびつくりし、こんな穴に自分たちが落
ち込んだらどうしようと心配し、且つさういふ穴の中に平気で住んでゐる日本人に驚嘆したのである。
たとへば西洋では、ずいぶん珍奇な小説の珍奇な主人公もゐるけれど、「雪国」の島村のやうに、感覚だけを信じて、情熱などといふものを先験的に知らない
人間は、その存在すら像することがむづかしいだらう。彼らは時には島村を、キリスト教の見地から、地上最大の悪人とみとめるだらう。ところが大まちがひ
で、島村は、心やさしいとは云へないが、感覚とその抑制とを十分に心得た、ものしづかな耽美[たんび]的享楽家なのである。
私は大体、川端氏の文学を、明治文化の根本的批評だと考へてゐる。明治の文豪が多かれ少なかれ信じ、大正の文人が趣味的にそれに追随した、あの西欧から
の輸入による人間的諸価値の概念を、全く信じてゐない文学。……しかも江戸の遊蕩[いうたう]文学の流れは少しも汲まず、戯作者の伝統からは全く外れ、多
分中世の僧坊文学に直結する文学。……これは全くユニークなものであると同時に、現代文化の一つの典型的表現であり、同じ「文学による批評」であつても、
永井荷風氏の“西欧的”批評とは、全く対蹠的な批評を成就した文学。……私はそんな風に氏の小説を読んでゐるのである。(231-233頁)
※
◎一人の俳優の中で、美とナルシシスムと悪がいかに結びつき、いかに関はりあふか、それはおそらく俳優の天分と価値とを決定する基本的な条件である。美は
存在の力である。客観性の保証である。悪は魅惑する力である。佯[いつ]はりの、人工と巧智の限りをつくして、人を魅し、憑[つ]き、天外へ拉[らつ]し
去る力である。そしてナルシシスムは、彼自身のなかで、美と悪とを強引に化合させる力である。すなはち、彼自体であるところのものと、彼自体ではないも
の、すなはちあらゆる外界を、他人を、他人の感動と情緒とを、一つの肉体の中に塗り込めて維持する力である。かうしてはじめて俳優は、一時代の個性にな
り、魂になる。私は六世歌右衛門にこの三つの要素の、間然するとことのない複合体を見るのである。(「六世中村歌右衛門序説」昭和34年、259頁)
◎映画の世界で行動的なのは、監督だけだ。その意味では、映画監督は小説家に似てゐる。
俳優といふものは、さうではない。いちばん行動から遠いものだ。
たとへば、人が庭を右から左へ駈けて行く。なぜ駈けて行くのだらうと、誰でも考へる。忘れものをしたので駈けてゐるのだらう。だから、まつすぐ駈けるの
だらうといふことになる。さういふ姿の限りにおいては、一つのアクションだが、芝居や映画の場合、庭を駈けるといふ行為は、人に命じられてゐる行為であつ
て、なにか忘れものをした人の演技をやつてゐるわけだから、自分の意志の問題ではない。
ぼくは、そういふ自分の意志を他人にとられてしまつたやうな、ニセモノの行動に、非常な魅力があつて、それで俳優になりたいのだ。(略)
ニセモノの行動が、なるたけ行動らしく見え、本モノらしく見える、ニセモノ性の強烈なのは、舞台より、なんといつても映画である。
いちばん行動らしくみえて、いちばん行動から遠いもの、それが映画俳優の演技と考へ、ぼくはその原理に魅力を感じた。
言葉をかへて言へば、映画俳優は極度にオブジェである。
ぼくは、演技に自信があるとかいつて、世間に吹聴してはゐるけれども、実はそんなものはあるわけではない。ぼくは極端にいつて、映画俳優には演技など邪
魔だとさへ思つてゐる。
ぼくはなるたけオブジェとして扱はれる方が面白い。これは普通の言葉でいへば、柄とか、キャラクターとかで扱はれることで、つまりモノとして扱はれ、モ
ノの味、モノの魅力が出てくれたら成功だと思ふ。(「ぼくはオブジェになりたい」昭和34年、296-297頁)
◎本学の法科学生であつたころ、私が殊に興味を持つたのは刑事訴訟法であつた。(略)
半ばは私の性格により、半ばは戦争中から戦後にかけての、論理が無効になつたやうな、あらゆる論理がくつがへされたやうな時代の影響によつて、私の興味
を惹[ひ]くものは、それとは全く逆の、独立した純粋な抽象的構造、それに内在する論理によつてのみ動く抽象的構造であつた。当時の私にとつて、刑事訴訟
法とはさういふものであり、かつそれが民事訴訟法などとはちがつて、人間性の「悪」に直接つながる学問であることも魅力の一つであつたらう。しかも、その
悪は、決してなまなましい具体性を以て表にあらはれることがなく、一般化、抽象化の過程を必ずとほつて、呈示されるのみならず、刑事訴訟法はさらにその追
求の手続法なのであるから、現実の悪とは、二重に隔てられてゐるわけである。しかし、刑務所の鉄格子がわれわれの脳裏で、罪と罰の観念を却[かへ]つてな
まなましく代表してゐるやうに、この無味乾燥な手続の進行が、却つて、人間性の本源的な「悪」の匂ひを、とりすました辞句の裏から、強烈に放つてゐるやう
に思はれた。これも刑訴の魅力の一つであつて、「悪」といふやうなドロドロした、原始的な不定形な不気味なものと、刑訴法の整然たる冷たい論理構成との、
あまりに際立つたコントラストが、私を魅してやまなかつた。
また一面、文学、殊に私の携はる小説や戯曲の制作上、その技術的な側面で、刑事訴訟法は好個のお手本であるやうに思はれた。何故なら、刑訴における「証
拠」を、小説や戯曲における「主題」と置きかへさへすれば、極限すれば、あとは技術的に全く同一であるべきだと思はれた。
ここから私の、文学における古典主義的傾向が生まれたのだが、小説も戯曲も、仮借なき論理の一本槍で、不可見の主題を追求し、つひにその主題を把握した
ところで完結すべきだと考へられた。(「法律と文学」昭和36年、684-685頁)
★7月8日(火):定家的なもの(イタリア篇)
岡田温司著『イタリア現代思想への招待』(講談社選書メチエ)の、美学が大きな位置を占めるイタリア思想界の状況について書かれた第四章「アイステーシ
スの潜勢力」から、これまで抜き書きしてきた三島由紀夫の文章と、あるいはそこにおいて見え隠れしていた「定家的なもの」と、どこかで響き合っている(よ
うな気がする)ところを抜き書きしておく。
◎イタリアの文化は、たとえレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロのような大天才を輩出したとしても、根本的には折衷主義的なもので、一般に(近代的
な意味での)独創性や創造性に欠けることは、これまでにも指摘されてきた。よしそれがルネサンスのものであれ、哲学も芸術も文学も、その根はほとんど古代
ローマにさかのぼるものであり、しかもその古代ローマは、ギリシアに多くを負っているのである(その意味で、中国に負うところの大きい日本と状況は似てい
るかもしれない)。極言するなら、イタリアの文化はそもそもの起源からして、コピー、反復、シミュラクルにほかならなかった、とさえいえるだろう。
(171-172頁)
◎いかなる起源もないことが、イタリアの起源であるとするなら、反復こそがその起源にある。それゆえ、イタリアの文化を特徴づけてきた文献学への愛も、実
は、起源としてのロゴスへの愛に発するわけではない。ロゴスのための文献学ではなくて、いわば文献学のための文献学(反復のための反復)、それこそがイタ
リアの文献学の最大の特徴であり、文化の伝達と反復はこの理念に支えられてきた。(173頁)
◎もしもイタリアという存在それ自体が(やはりどこか日本の場合と似て)漠然とポストモダン的であるとするなら、イタリアのポストモダンとは何であろう
か。その差異や特徴はどこにあるのだろうか。(181-182頁)
◎ここでもういちどカラブレーゼの本[オマール・カラブレーゼ『ネオバロックの時代』1987年]に返ろう。この本は、「趣味と方法」と題された最初の章
と、「クラシックを好むだれかへ」と題された最終章に挟まれて、順に「リズムと反復」、「極限と過剰」、「細部と断片」、「移ろいやすさと変貌」、「混乱
と混沌」、「渦と迷宮」、「複雑さと散乱」、「〈おおよそ〉と〈なぜかしら〉」、「歪曲と倒錯」というタイトルの各章から構成されている。これら九組の対
句こそ、バロックと「ネオバロック」──ポストモダン──の文化形態を形容するものにほかならない。(193-194頁)
◎そこ[十七世紀の修辞家たち]において、主体は、近代におけるように内側から立ち上がってくるのではなくて、むしろ外から到来する。人間は、内面として
の存在でも、中心にいる存在でもないのだ。内面を空にしたまま、外からやってくるものにたいしてじっと聞き耳を立てている、そうして歴史が望むところに静
かに天秤を傾けていく、そこにこそバロック的な知の戦略的な意味がある、とベルニオーラ[『エニグマ』1990年]は考える。
そのためにバロックが培ったのは、言語の技術としての修辞──「機知[agudeza]」、「才知[ingenio]」、「綺想[concetto]」
はその代表──である。それゆえ修辞とは、たんに外面的な言葉の彩にすぎないものではないし、ましてや、主体みずからの主義主張を他者に押し付けるための
道具とみなされるものでもない。そうではなくて、修辞とは、人間存在にとってもっと根源的で本質的なものであり、美的でかつ倫理的、実践的でかつ政治的な
ものである。
たとえば、「綺想(コンチェット)」を例にとってみよう。わたしたちは「綺想」というとき、「コンセプト」としての「概念」のことを考えがちである。だ
が、それは実際には、カント以来のドイツ哲学が練り上げてきた「概念[Begriff1]」とは根本的に異なるもの、否、むしろ正反対のものですらある。
というのも、ドイツ語の「概念」は、「つかむ、握る」という意味のラテン語 greifen
に由来するが、「コンチェット」は、逆に、「受胎する、いだく」という意味のラテン語 concepto
に由来するからである。つまり、何かを自分のものにするのではなくて、何かに場を与えることを意味しているのであり、客体を把握しようとする主体の働きで
はなくて、そうした主客構造を超えて、外から到来する何ものかを受け入れる心構えのことをさしているのである。(195-196頁)
★7月12日(土):対決―巨匠たちの日本美術
東京国立博物館の特別展「対決−巨匠たちの日本美術」を観てきた。
たっぷり時間があったけれど、2時間も経つともう限界だった。それ以上観ていたら、眼福を肥やしすぎて、日常生活に支障が出る。
帰りに、ショップで、長谷川等伯昨「松林図屏風」の横長絵葉書を買って、早々に退散した。
数日、余韻が続いている。
■運慶 vs 快慶―人に象る仏の性
座像(運慶)と立像(快慶)。顔の大きさで運慶の勝ち。
■雪舟 vs 雪村―画趣に秘める禅境
「秋冬山水図」が見事で雪舟の勝ち。
■永徳 vs 等伯―墨と彩の気韻生動
「松林図屏風」に魅入られたので等伯の勝ち。
■長次郎 vs 光悦―楽碗に競う わび数寄の美
なぜとは言えぬが長次郎の勝ち。
■宗達 vs 光琳―画想無碍・画才無尽
「竹梅図屏風」に心奪われて光琳の勝ち。
■仁清 vs 乾山―彩雅陶から書画陶へ
これもなぜとは言えぬが仁清の勝ち。
■円空 vs 木喰―仏縁世に満ちみつ
自刻像を見比べて円空の勝ち。
■大雅 vs 蕪村―詩は画の心・画は句の姿
「十便帖」(大雅)と「十宜帖」(蕪村)を見比べて蕪村の勝ち。
■若冲 vs 蕭白―画人・画狂・画仙・画魔
蕭白は奇矯すぎるので若冲の勝ち。
■応挙 vs 芦雪―写生の静・奇想の動
日本最大の虎を描いた「虎図襖」で芦雪の勝ち。
■歌麿 vs 写楽―憂き世を浮き世に化粧して
美人画に惹かれて歌麿の勝ち。
■鉄斎 vs 大観―温故創新の双巨峰
「富士山図屏風」に圧倒されて鉄斎の勝ち。
★7月13日(日):哥と共感覚・素材集1
和歌における共感覚的表現に関連して、いくつかの書物にあたってみたので、印象に残った箇所を抜き書きしておく。
何を探っていたかというと、共感覚をキーワードに歌体論にアプローチしてみようというもの。その「成果」は、いずれ「哥とクオリア/ペルソナと哥」に反
映されるかもしれないし、反映されないかもしれない。
なお、ネットでは、他に雨宮俊彦氏の「芭蕉と共感覚」[http://www.kansai-
u.ac.jp/Fc_soc/column/detail.cgi?blog_id=17734&id=20050920142013]が参考
になった。
◆小西甚一『日本文藝の詩学──分析批評の試みとして』(みすず書房)
貞享期の[芭蕉の]作品におけるトーンが禅的なものに関わりをもつとすれば、それは、イメィジの用法を検討するうえにも、すくなからぬ示唆をあたえそう
である。というのも、
海暮[く]れて鴨の声[こゑ]ほのかに白し
の「白し」などに見られる用法が、禅的な表現と無縁ではないようだからである。本来「白し」は、色彩について言われるはずの語であるのに、右の句では、鴨
の「声」に対して用いられている。……
イメィジのこういった使いかたは、欧米の批評用語で共感覚(synaesthesia)とよばれるものだが、詩に用いられたのはロマン派からであり、盛
行したのはボードレールを代表とする象徴詩においてだといわれる。それより早い時期に今日感覚技法がおこなわれたかどうかは明らかでない……。そうする
と、十七世紀後半に「鴨の声白し」といった類の表現が試みられたことは、まことに注目を要する現象だといってよろしかろう。
もっとも、共感覚技法そのものは、芭蕉より前に無かったわけではない。ロバート・H・ブラワーとアール・マイナーの共著に成る『日本宮廷詩』
(Lapanese Court Poetry,1961)は、和歌における共感覚の例として、
朝あけのこほる波間[なみま]にたちゐする羽音も寒き池の群鳥[むらとり] (『玉葉』六・九四三)
などを示す。わたくしの寓目した最古の共感覚技法は、
千代[ちよ]経たる松にはあれど古[いにしへ]の声の寒さはかはらざりけり (『土佐日記』・二月九日)
だが、ほかにも些少の例をあげることは、あまり難しくはない。しかし、芭蕉が和歌から共感覚技法をまなびとったとは、考えにくいようである。和歌の表現を
採りこむ点では、俳人よりも連歌師のほうがずっと積極的だったけれど、わたくしの乏しい調査では、連歌には共感覚技法の例がまだ見つからない。……
そこで、わたくしは、芭蕉が接する可能性のあったシナの詩にもっと直接的な拠り所を求めたい。……
ところで、共感覚技法は、日常語のなかに融けこみ、それと意識されなくなることが稀でない。……われわれが「黄色い声」を共感覚技法だと気づきにくいよ
うなものである。だから、共感覚技法が詩の技法として効果を示すためには、日常語法との間にそうとう「離れ」が無くてはならない。すなわち、あまり見かけ
ない共感覚技法であることを必要とするわけだが、この「あまり見かけない」という感じは、外国語の共感覚技法であるばあい、いっそう顕著である。本国人に
とってはごく日常的でも、外国人にはそれが際だちやすい。和歌における共感覚技法を最初に指摘したのがアメリカの学者だったという事実は、ひとつの好例で
あろう。シナ詩にそれほど共感覚技法が多いわけではないのに、室町時代の禅林詩でそれがこのまれた理由のひとつも、禅僧たちがシナ詩に本国人よりも多く共
感覚技法を認めたからではなかろうか。芭蕉が共感覚技法をまなんだのはシナ詩を通じてのことで、和歌ではなかったろうという推定も、やはり同じ筋あいにも
とづく。(「「鴨の声ほのかに白し」──芭蕉発句分析批評の試み・1」、108-112頁)
◆藤原克己・三田村雅子・日向一雅・佐々木和歌子『源氏物語――におう、よそおう、いのる』(ウェッジ選書)
…古代において視覚的な美しさに関して用いられることの多かった「にほふ」という言葉が、染まるという意味で用いられているということは、その視覚の内
側に、一種の接触感覚が濃厚に息づいていたことを示唆しているように思われます。(藤原克己、第一章「匂い──生きることの深さへ」、40頁)
…この詩[ボードレール「万物照応
Correspondances」]は、全体を読めば明らかなように、たんに感覚的なもののみの交響を歌っているのではなく、その感覚の交響が、精神的な
ものとも分かちがたく融合しつつ、象徴の森としての世界の意味を啓示するものとして、歌われています。しかし、私たちの感覚とは、まさにそのようなもので
はないでしょうか。五感が相互に複合しているだけでなく、記憶や情念などの精神的なものとも融合している。(同、61頁)
『万葉集』には、香りを詠むということじたいが少なかったのでしたが、『古今集』になりますと、むしろ好んで香りが詠まれるようになります。そしてこの変
化は、『万葉』から『古今』にかけて和歌に生じた、ある大きな変化に対応しています。唐木順三氏の名著『日本人の心の歴史』(筑摩叢書・一九七六年)に、
『万葉集』には「見れど飽かぬ」という言い方を代表として、「見る」という動詞がたくさn出てくるのに対して、『古今集』では「見る」が大幅に減って、代
わりに「思ふ」が増えてくる、ということが指摘されていますが、まことにしかりで、古今集歌には、目の前に見えているものよるも、遠くはるかなものを思い
やる──たとえば眼前に今を盛りに咲いている桜よりも、霞に隔てられている桜を思いやるとか、川面に流れる花びらを見て、水上で咲いている桜を思いやると
か、そんなふうに遠くはるかなものを思いやる、あるいは目に見えない音や香りですとか、水に映る影や夢ですとか、要するに、確かに現前するものよりも、非
在のもの、非有非無のものを好んで歌うという傾向が顕著にうかがわれます。
そのような傾向にも関わって、とくに興味深く思われる歌を二首、取り上げてみたいと思います。いずれも、紀貫之と並ぶ古今集時代の代表的歌人、凡河内躬
恒の歌です。(同、65-66頁)
※以下、次の二首が引かれる。
闇がくれ岩間を分けてゆく水の声さへ花の香にぞしみける
春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やは隠るる
前者「闇がくれ」について、藤原氏は、「目に見えないものを思いやって詠むという歌の典型ですが、と同時に、渓流の音が花の香に染まるという、のちの時
代の歌人たちにたいへん好まれるようになった卿感覚表現を先取りしている点でも注目されます。」(67頁)として、藤原俊成の歌を一首あげている。
春の夜は軒端の梅をもる月の光もかをる心地こそすれ
また、能「東北[とうぼく]」で謡われる後者「春の夜の」をめぐって、藤原氏は次のように書いている。
「私は昔、この[下の句を引き取った]地謡の旋律を聴いていて、「こそ─ね」「やは─るる」という係り結びの音楽的な美しさに、はっと気づかされたという
経験をしました。こういう助詞・助動詞のたぐいを、古来「てにをは」と言ってきましたから、これは「てにをは」から生まれる和歌の音楽、と言ってもよいで
しょう。」(71頁)
◆大岡信『詩の日本語』(日本語の世界11,中央公論社)
この本については、以前(2007-09-08[http://d.hatena.ne.jp/orion-n/20070908])、抜き書きしたこ
とがあった。
そういえば、「哥と共感覚」という作業自体、以前、やりかけていたものだった。
◆稲田利徳「共感覚的表現歌の発生と展開」
上(岡山大学教育学部研究集録第43号)[http://eprints.lib.okayama-u.ac.jp/1541/]
下(岡山大学教育学部研究集録第44号)[http://eprints.lib.okayama-u.ac.jp/1556/]
古典和歌における共感覚的表現歌の発生とその後の展開の様相を、類型的な共感覚(視覚→触覚、聴覚→触覚)とこれ以外の共感覚(視覚→嗅覚、聴覚→嗅
覚、聴覚→視覚、聴覚→触・視覚、嗅覚→触覚、嗅覚→触・視覚、嗅覚→視覚、触・視覚→視覚)の十組について、通史的にリサーチ。
その結果。万葉集:類型的な共感覚は若干あるが、それ以外のケースはない。
中古時代(古今、後撰、拾遺の三代集):万葉と同様「色→匂う」は幾首かあるが、純粋な共感覚的表現は一首も認められない。「共感覚的表現は、漢詩的な
表現として、和歌の世界では忌避されたのであろうか。」
ただし、私家集などには、共感覚的表現が若干存する。たとえば、土佐日記(二月九日)に「千代経たる松にはあれどいにしへの声の寒さは変らざりけり」が
ある。「ただ漢詩文の世界では、「松声→寒し」の発想がかなり早くから発生していたことを思えば、貫之の独自性を強調するのは、いささか買い被りにな
る。」
ここまでのリサーチで見出された共感覚的表現の大部分は類型的共感覚で、それも視覚→触覚よりも、聴覚→触覚のケースの方が多い。
共感覚的表現歌は、千載集(藤原俊成撰)の頃から漸次多く創作される傾向をみせ、新古今時代にピークになる(千載:7首、新古今:14首)。「新古今の
新風の一端が、この共感覚的表現にもあらわれているとみてよかろう。」
例歌をいくつか。「春の夜は軒端の梅を洩る月の光も薫る心地こそすれ」(俊成・千載・春上・二四)。「大空は梅のにほひに霞みつゝくもりもはてぬ春の夜
の月」(定家・新古今・春上・四○)。「はなのかのかすめる月にあくがれてゆめもさだかに見えぬころ哉」(定家・拾遺愚草・九○七)。この嗅覚→視覚の共
感覚的表現は、「彼[定家]の特許的な表現のごとき趣さえある。」
──以上、「共感覚的表現歌の発生と展開(上)」から。
◆福島章『不思議の国の宮沢賢治──天才の見た世界』(日本教文社)
賢治は月を見ると果実の匂いを感じたり(視覚→嗅覚)、音楽を聞くとさまざまな情景を眼に見たりした(聴覚→視覚)。共感覚は、躁状態にかぎらず、天才
的な創造者にしばしば見られる。例えば、詩人ランボー、松尾芭蕉、作曲家スクリアビン、リムスキー=コルサコフらが有名である。
共感覚についても、天才的な創造者とともに、幼児や原始人によく見られるという報告がある。また、理論的には感覚強度の亢進によって生じると考えられる
ことは既に…示したとおりである。いずれにしても、共感覚が生じるのは、共感覚者の知覚体験が通常人より〈強く〉〈深く〉〈生命的〉だからだと考えられ
る。
奇妙な譬えになるが、いわゆる健常人の感覚は、人間の身体でいえば骸骨のようなものである。そこでは、頭蓋骨や肋骨や四肢の骨を区別することができ、区
別や説明には便利であるが、人間の肉体がそもそも持っていた統合性や豊穣性が失われている。
これに対して賢治の感覚は、肉や皮膚に覆われた肉体のようなものである。その中にはあたたかな血が全身を経めぐっており、渾然一体として〈生きられた〉
肉体を作り上げているのだ。(183-184頁)
※福島氏が、賢治の共感覚表現の例として挙げているのは、たとえば「いざよひの月はつめたきくだものの匂ひをはなちあらはれにけり」や「あけがたの黄なる
ダリヤを盗らんとてそらにさびしき匂ひをかんず」といった短歌、「春と修羅」(第一集)の「いまやそこらは alcohol
瓶のなかのけしき/白い輝雲[きうん]のあちこちが切れて/あの永久の海蒼[かいさう]がのぞきでてゐる/それから新鮮なそらの海鼠[なまこ]の匂」な
ど。
これは、共感覚とは関係ないが、福島氏が引用している賢治の初期作品「竜と詩人」の一説は、興味深い。
「あのうたこそは、私のうたで、ひとしくおまへのうたである。いったい、わたしはこの洞に居て、うたったのであるか、考へたのであるか。おまへはこの洞の
上にゐて、それを聞いたのであるか、考へたのであるか。おゝスールダッタ。
そのとき、わたしは雲であり風であった。そしておまへも、雲であり風であった。詩人アルタがもしのときに瞑想すれば、恐らく同じうたをうたったであらう。
けれどもスールダッタよ。アルタの語とおまへの語はしとしくなく、おまへの語とわたしの語もひとしくない。韻も恐らくさうである。この故にこそ、あの歌こ
そはおまへのうたで、またわれわれの雲と風とを御する分の、その精神のうたである。」
★7月14日(月):哥と共感覚・素材集2
◆リチャード・E・シトーウィック『共感覚者の驚くべき日常──形を味わう人、色を聴く人』(山下篤子訳,草思社)
「異種感覚間連合の説明をしてくれ」
「二歳の子どもを考えてください。その子に何かを見せて、それからその子を物がいっぱいある暗い場所に入れます。その子は触覚だけで、さっき見た物体と同
一のものを選んで認識できます。これが異種感覚間連合で、幼い子どもでももっている人間の能力です」
「わかった」
「異種感覚間連合の能力が言語の基礎であることは、ずっと以前から知られています。サルはこれができません。人間以外の動物で容易に確立できる感覚と感覚
の連合は、快などの情動刺激と、視覚、触覚、聴覚といった非情動刺激との結びつきだけです。非情動刺激を二つ結びつけられるのは人間だけです。だからこそ
われわれは、物に名前をつけられるのです。……
……標準的な見解によれば、言語はもっとも高次の異種感覚間連合で、とりわけ三次連合野や皮質の各領域のつながりに依存しています。プロセス全体が、こ
の進化的にもっとも若い部分で起こっているのです」
「話はわかった。しかしその話は、共感覚の連合がどこで生じるのかという問題とどう関係しているんだ?」
「異種感覚間連合は、われわれの思考の正常な一部ですが、無意識レベルで起こっています。共感覚者の場合は、あたかもこうした連合が、厚い雲のなかから少
し顔をのぞかせる太陽のように、意識のなかに顔をのぞかせているという感じです。……
われわれは聞くものと見るものを別個の出来事として区別するにもかかわらず、それらの感覚を、それについての思考を形成する過程で統合できることは経験
からわかります。その統合は、われわれの意識にのぼらないレベルで起こります。共感覚者と呼ばれている小数の人たちは、あたかも感覚のチャンネルの一部が
意識のもとで統合されているかのように、通常は隠れている正常な知覚過程が意識の前にむきだしになっているかのようにふるまいます」
……「……もし共感覚の連合のリンクが神経処理の最上位レベルで起こっているなら、それは言語やアリストテレスの共通感覚のように、抽象的なものになる
はずです。この上位レベルの連合は人間が生得的に使うメタファーに似ています。この場合、共感覚の知覚は意味論的な意味に満ちているはずだし、直接的な感
覚属性をすべて失っているでしょう。体験は具象的ではなく抽象的になるはずです」
「そして前後関係が体験に影響をおよぼすはずだな」(139-140頁)
共感覚は、いつでもだれにでも起こっている神経プロセスを意識がちらりとのぞき見ている状態だ。辺縁系に集まるものは、とりわけ海馬に集まるのは、感覚
受容体から入ってくる高度に処理された情報、すなわち世界についての“多感覚の評価”である。
私は共感覚者を“認知の化石”と呼んでいる。人間であること、哺乳類であることのきわめて根本的な部分を認識する能力を、ほんの少しではあるが、彼らが
運よく保っているからだ。
私たちはひょっとして、この付加的な能力をもつ共感覚者に進化するのだろうか? いや、私たちはすでに能力をもっているが、それを知らないのだ。共感覚
は付加されるものではなく、すでに存在している。多感覚の意識は、大多数の人において意識から“失われた”ものなのだ。この点からも、共感覚者は認知の化
石であると考えざるをえない。
私たちは、自分が知っていると思っている以上のことを知っている。多感覚の、共感覚的現実観は、まちがいなく私たちの意識から失われているものの一つに
すぎない。ほかにもたくさなるかもしれない。もしあなたが、このより深い知をいくらかでも取り戻してみたいと思うなら、情動からはじめるのがいいと私は思
う。情動は私たちの自己の、意識がアクセスできる部分とできない部分との接点に存在しているように思えるからだ。(239-240頁)
「すると共感覚者は、人間はもちろん、広くは哺乳類であるという状態を端的に示しているのだね?」
「そのとおりだ。僕は共感覚が原始的だとか、初期人類が世界を共感覚的に知覚していたかもしれないとか、そういうことを言っているのではない。いつもこの
点が誤解されるらしいが、通常の経験よりも僕たちの生物学的なルーツに近いという意味で言っている。
テレビのたとえ話をしてみよう。僕らはみんなテレビ画面で像を見る。さて、だれかが、最終的な像が画面に映る前の段階で、信号を知覚してそれを理解でき
るとする。その人は共感覚者とまったく同じだ。共感覚者は根本的に、感覚をもって生きている生物の基盤により近い」
「なんという、みごとなたとえだ!」(250-251頁)
◆湯山光俊「二重の論理学、溢れ出る生──ジル・ドゥルーズについて」(『ポリロゴス1』)
ベーコンは肖像画家なのだろうか? 顔でなく「頭部」を描く肖像画家。「頭部」とは、肉体も全て呑み込んだような運動のあるものであり、先の文脈からつ
なげば〈形象〉[figure]である。身体の器官の機能分化ができず、肉の蠢きだけのようになっていく、あの〈器官なき身体〉こそ〈形象〉なのだ。ドゥ
ルーズはこのとき動物への生成変化がおきていると書き加える[『感覚の論理』]。
動物? ある動物が敵の存在を知るとき、たとえば鼻は単純に匂いをかぎまわる専用の器官なのだろうか。濡れたその鼻の上に風の微細な動きも読み取ること
はないのだろうか。わずかな物音にも身構える耳は温度や音波を感じ、目は暗闇で見えずとも開かれる。この時、ただ目は「見ている」器官なのだといえるのだ
ろうか。突然自分が食われてしまおうとしているのだ。自分がただの肉と骨になる前に、動物はあらゆる器官を連動させて見えない敵を見ようとするにちがいな
い。そのとき全ての器官は単純な能力の分担をやめる。目はもう「見ている」だけでなく、足音を聴くことも匂いを嗅ぐこともできる。そんな瞬間が人間にも訪
れるだろう。顔であったものはまだ、あらゆる役割に囚われている。自分が肉と骨の現実に直面したとき、人は肉屋でさばかれる肉の塊のように自分のことを思
うのだ。しかしその手前で猛烈な器官の運動は起き、もはや一個の感覚体のように凝縮され、運動は開始される。それが〈器官なき身体〉であり〈形象〉とな
る。すべての器官がとけさり、能力が最高度に高められて、コラールが叫びへと変わるのである。
ベーコンはそれでも人間が肉屋につるされるような肉の塊であることを宗教家のように憐れみ、そして享楽した。だからこそ、人間が見えなくなってしまう前
に、肉と骨になる寸前に、形象である「頭部」の運動の中にそうした人間のめまぐるしい能力の回転を描き込むのだ。そして、その孤立した〈形象〉はエネル
ギーを高めるように強度を増していく。
これらベーコンの絵画の構成は、『千のプラトー』の三つの図式を敷延している。まず「強度になること」。形象は孤立化し、骨と肉は対立し、軽業的な運動
競技がはじまる。そして「動物になること」。肉の塊になる手前で、たとえば動物とカップリングされるように能力は能力をこえてむすびつき、警戒し、緊張
し、陶酔し、すべての器官はたったひとつの精神としての感覚器にされ、〈器官なき身体〉が現れる。最後に「知覚できなくなること」。猛烈な形象の運動のス
ピンは加速度をまし、もはや顔という知覚をこえる。運動が見るという役目だけを負わされた網膜では捉えられなくなっていく。まさしく不可逆な運動の行く果
てへ。画布から網膜の上へ。フィギュールははりつくのだ。見よ。三つの図式が連結している。「強度になること、動物になること、知覚できなくなること」。
(198-200頁)
★7月15日(火):哥と共感覚・素材集3
共感覚と直接的に関係しないのかもしれないが、(ドゥルーズ/ガタリの「動物になること」との関連で)、リルケの「開かれた世界」もしくは「世界内部空
間 Weltinnenraum」という概念が興味深い。
辻邦生著『薔薇の沈黙』によると、「世界内部空間」は(天使的な)純粋意欲に対応して存在するものである(93頁)。それは「存在と非存在を貫く存在形
式」(94頁)である。「生と死、内と外を貫く空間」(129頁)であり、「過去も未来もない持続」(146頁)である。
また、「純粋意欲」は、ニーチェの「力への意志」とほとんど同質の「生への意欲」といっていいものである(162頁)。
以下、同著から、いくつかの文章とそこで引用されたリルケの詩と書簡を抜き書きする。
なお、ネットでは、多代田いわみ氏の「リルケの「世界内部空間(Weltinnenraum)」について―<死者の声>の理念を中心に―」[http:
//www.l.u-tokyo.ac.jp/cgi-bin/thesis.cgi?mode=2&id=354]が参考になった。
◆辻邦生『薔薇の沈黙──リルケ論の試み』(筑摩書房)
…この〈内〉は無となり、〈外〉を映すものとしてのみ存在しているので、ここでは〈内〉はそっくり〈外〉として存在しはじめている。前章末尾に掲げた詩
[「薔薇の内部」]「何処にこの内部に対する/外部があるのだろう?」は、このことを言っている。強いて言えば内部に対する外部は、内部にしかない。
〈外〉は〈内〉に包まれ、〈内〉は無化し〈外〉と一つになる。〈内〉から〈外〉へという溢出(「あまたの薔薇は/みちあふれ/内部の世界から/外部へとあ
ふれ出ている」)は実は〈内〉から〈外〉へではなく、〈“外”〉“から”〈内〉へ溢れ出ているということになる。
この「〈外〉から」の〈外〉は、無化された〈内〉に映っている〈外〉である。したがってこの〈外〉からの働き(匂い、色、形体付与などの働き)が溢れる
とは、〈外〉がある匂い、色調、形体に変貌してゆくことに他ならない。あたかも匂いが薔薇から溢れ、夏らしい世界へと変ってゆくようにである(「そして外
部はますますみちて 圏を閉じ/ついに夏ぜんたいが 一つの部屋に/夢のなかの一つの部屋になるのだ」)。
後期の詩『転向』のなかでリルケが「もはや眼の仕事はなされた/いまや、心の仕事をするがいい」と歌ったのは、見る存在としての〈内〉が無となって
〈外〉と一体化した瞬間を直覚したからだろう。見る主観と見られる対象という対立関係は、この新しい場、新しい空間では消える。そこには「心の仕事」──
つまり〈見る〉ではなく〈感じる〉が開始される。と同時に、主観・客体の二元論のかわりに、〈感じる〉ことによって一元的に現象する世界が、そこに存在し
はじめる。(70-71頁)
青空を見るとき、われわれは単に青空がそこにあると思うにすぎない。……だが、〈見る〉を超えた感受にとっては「青空」は何か“それ”によって心をとき
めかせるものとなる。……すくなくとも、それはただ空が青いという現象的事実ではなく、その青さによってたえず無限の物想いを語りつづける存在となる。そ
れは時にゴッホの画面に深く沈むオーベールの麦畑の上の青空のように、無限の悲しみを語りつづける。またセザンヌの『大水浴』の遠い青空のように地上の悦
楽の極点にある至福を象徴する。
ここでは〈見る〉は「青空という物」の外にあるのではないし、その現象的事実に従属しているのでもない。逆に、そこに「青空」という新しい現実を生みだ
し、われわれはその中に入り、無限の内容を生き始めるのだ。「青空」はもはや現象的事実ではなく、感受力は現象する青空の単一性を超え、そこに無限に開か
れる青空の映像を映してゆくことになる。それは喜びから悲しみまであらゆる調音を響かせるが、その根底には存在の歓喜が横たわっている。なぜなら〈見る〉
を超えた感受力は、何よりも、存在に内在する生命力と交換するからだ。(163-164頁)
それ[純粋な生命力]は〈見る〉を超えることによって〈対象[もの]〉としての世界でない世界(〈開かれた世界・世界内部空間〉)の現前を可能にする。
自己はここでは全存在と一体化し、全存在という形で(もはや自己意識はなく)純粋な活動体となる。つまり自己の内面は純粋に透明化することによって、外面
世界と完全に一体化する。〈見る〉によって主客が分裂せざるを得なかったわれわれは、ここではじめてこの愛と自己透明化によって、外界全体に浸透する。そ
してそこには自己性が存在しない結果、内面と外面の合一が実現するのである。
また死が自己の有限を外界に投射したものである以上、自己性を超出した純粋活動体にとっては死は存在しない。活動力が死を超えて働きつづけるからであ
る。「“死を”みるのはわれわれだけだ」[「第八の悲歌」]と言うのは、われわれだけが自己の獲得を目ざして活動するからだ。「動物は自由な存在として/
けっして没落に追いつかれ」ないとは、逆に、人間以外の生きものたちはひたすらそれを持ち合わせないからである。(174-175頁)
それ[世界内部空間]を全身で生きるとは、彼自身が自己性を克服し、内と外の合一化を体験し、生と死のめくるめく合体を通して、突然、自在な永遠的存在
に変貌することなのだ。それ“について”語る人ではなく、それ“から”すべてを語り出す人になる。もはや〈世界内部空間〉についても〈天使〉についても話
す必要はなくなる。彼自身が〈世界内部空間〉から語り、〈天使〉的存在として語るからである。一九二二年一月の詩的奇蹟ともいうべき突然の詩作の嵐は、ま
さしくこうした存在になり得たリルケが、神話を憑依的に語る巫女さながらに、存在のあらゆる形姿を言語化したプロセスということができるだろう。
そこには、〈固有の死〉〈愛する女〉を通って〈天使〉の出現に至る登高のひたむきな姿勢から、〈世界内部空間〉の内側から発する多様な声へと変容するリ
ルケが見てとれる。たとえば、人間は〈天使〉に対してただ恐れる存在ではなく、人間の役割をはっきり明示する存在に変る。いまやリルケは「地上にあるこ
と」を全肯定する詩人として立つ。(176頁)
それ[世界内部空間]は薔薇に抱かれた世界であり、世界は薔薇に変貌している。〈見る〉を超えて現われる世界、心の愛でひしと抱かれた世界とは、薔薇の
本質である〈歓喜・陶酔〉を充満させた空間にほかならない。晩年のリルケはミュゾットの館でこの成熟を経験し、力に満ちた日々を取り戻した。薔薇は夏の光
の下で沈黙し、ただ充実した内面の活動に宇宙的生命を象徴化する。沈黙とは、この宇宙的な理法のすべてに通暁し、生命という至福の業[わざ]をまさしくこ
の〈薔薇〉という形で言うことなのだ。
ぼくはお前を見つめる、薔薇よ、半開きの書物よ、
細々と幸福を書き綴った
多くの頁。ぼくはとても
読みきれそうにない、魔法の書物よ(『薔薇』U)
〈薔薇空間〉となったリルケは甘美な陶酔の持続となって、時間を超え、生と死を超える。おそらくいまわれわれにとってなすべきことは、〈見る〉ことの果て
に出現した〈対象[もの]としての世界〉を、いかにして〈薔薇空間〉へ変容するか、ということだろう。不毛と無感動と貨幣万能の現代世界のなかで、はたし
て至福に向かってのそんな転回が可能かどうか、われわれがある決意の時に立たされていることは事実だろう。(177-178頁)
※
「薔薇の内部」(『新詩集』別巻)
何処にこの内部に対する
外部があるのだろう? どんな痛みのうえに
このような麻布があてられるのか?
この憂いなく
ひらいた薔薇の
内湖[うちうみ]に映っているのは
どの空なのだろう? 見よ
どんなに薔薇が咲きこぼれ
ほぐれているかを ふるえる手さえ
それを散りこぼすことができないかのよう
薔薇にはほとんど自分が
支えきれないのだ その多くの花は
みちあふれ
内部の世界から
外部へとあふれでている
そして外部はますますみちて 圏を閉じ
ついに夏ぜんたいが 一つの部屋に
夢のなかの一つの部屋になるのだ。(富士川英郎訳)
※
「第八の悲歌」から(『ドゥイノの悲歌』)
すべての眼で生きものたちは
開かれた世界を見ている。われわれ人間だけが
いわば反対の方向をさしている。そして罠として、生きものたちを、
かれらの自由な出口を、十重二十重[とえはたえ]にかこんでいる。
その出口のそとに“ある”ものをわれらは
動物のおももちから知るばかりでだ、おさない子供をさえも
わたしたちはこちら向きにさせて
形態の世界を見るように強いる。動物の眼に
あれほど深くたたえられた開かれた世界を見せようともしない、死から自由のその世界を。
“死を”みるのはわれわれだけだ。動物は自由な存在として
けっして没落に追いつかれることがなく
おのれの前には神をのぞんでいる。あゆむとき、
それは永遠のなかへとあゆむ、湧き出る泉がそうであるように。
“われわれ”はかつて一度も、一日も、
ひらきゆく花々を限りなくひろく迎え取る
純粋な空間に向きあったことはない。われわれが向きあっているのは
いつも世界だ、(辻邦生訳)
※
リルケの手紙(ハイデッガーによる引用)
この悲歌の中で提起しようとした開かれた世界の概念についてですが、動物は(われわれ人間がいつもそうしているようには)世界を各瞬間瞬間に自己と対立
させることをしないので、動物の意識の段階は開かれた世界を現実の世界の中へ組み込んでしまうのだというふうに理解していただかねばなりません。動物は世
界の“中に”存在しているのです。われわれはわれわれの意識のとった独自の方向と意識の高まりのために、世界を“前に”して立っているのです。(…)開か
れた世界といっても、空、大気、空間などを考えているのではありません。それらにしても観察者、判断者にとっては、「対象」となるものであり、従って、
「不透明」かつ閉じられたものになってしまいます。動物や花などは、推測しますに、自らについて弁明することなしに一切で“あり”、自らの前に、自らの上
に、あの言い現わし難く開かれた自由というものを持っているのです。この自由は、われわれの場合にはおそらく、人間どうし、たとえば恋人どうしが相手のな
かに、自分自身の拡がりを見るところのあの愛の最初の瞬間とか、神への献身とかの中にのみ、(極度に瞬間的な)その等価物を有するものなのです。[ハイ
デッガー『乏しき時代の詩人』、手塚富雄・高橋英夫訳]