不連続な読書日記(2007.11-12)



【読了】

●加藤文元『数学する精神──正しさの創造、美しさの発見』(中公新書:2007.9.25)
●亀山郁夫『『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する』(光文社新書:2007.9.20)
●新宮一成『夢分析』(岩波新書:2000.1.20)
●大岡信『紀貫之』(日本詩人選7,筑摩書房:1971.9.25)
●『ハリーの災難』『トパーズ』『フレンジー』(ヒッチコック)、『ダイ・ハード4』、『フライトプラン』、『オール・ザ・キングスメン』、『素粒子』
●『男はつらいよ 純情篇』(第6作)、『男はつらいよ 寅次郎と殿様』(第19作)、『男はつらいよ 噂の寅次郎』(第22作)、『男はつらいよ 浪速の恋の寅次郎』(第27作)、『男はつらいよ 旅と女と寅次郎』(第31作)、『男はつらいよ 寅次郎真実一路』(第34作)、『ゲド戦記』、『カルメン故郷に帰る』、『憑神』


【購入】

●佐藤優『国家の罠──外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮文庫:2007.11.1/2005)【¥705】
●『摩訶止観──禅の思想原理』上下(関口真大校注,岩波文庫)【¥600古】
●戸坂潤『日本イデオロギー』(岩波文庫)【¥300古】
●フォイエルバッハ『キリスト教の本質』上下(船山新一訳,岩波文庫)【¥560古】
●永井均『なぜ意識は実在しないのか』(双書哲学塾,岩波書店:2007.11.6)【¥1300】
●茂木健一郎『欲望する脳』(集英社新書:2007.11.21)【¥700】
●ジャン=ポール・サルトル『存在と無T 現象学的存在論の試み』(松浪信三郎訳,ちくま学芸文庫:2007.11.10)【¥1800】
●『現代思想』2007.12〔特集|量子力学の最前線──情報・脳・宇宙〕(青土社)【¥1238】
●入不二基義『哲学の誤読──入試現代文で哲学する!』(ちくま新書:2007.12.10)【¥860】
●『岩波講座文学3 言語』(1976.2.10)【¥100古】
●『岩波講座文学6 表現の方法3 日本文学にそくして上』(1976.7.12)【¥100古】
●川嵜克哲『夢の分析──生成する〈私〉の根源』(講談社選書メチエ:2005.1.10)【¥1500】


  【ブログ】

★11月25日(日):永井均さんの講演

 大阪大学文学部哲学・思想文化学の「ラジオ・メタフィジカ」に、永井均さんの講演録「意識の神秘は存在するか」[http: //www.let.osaka-u.ac.jp/philosophy/Radio/handaimetaphysica.html]が格納されてい る。
 最近、岩波から刊行された『なぜ意識は実在しないのか』の序文に、「これは、…本書を「台本」として読まれる方にとって、実演の見本として役立つでしょ う。もちろん、別の観点から語られた、かなり大雑把な論旨の要約としても、役立つはずです。」というコメント付きで紹介されていた。
 で、『なぜ意識は実在しないのか』にひととおり目を通してから、聞いてみた。とても面白かった。
 講演の最後、質疑応答のなかで、この〈私〉がゾンビになること、つまり〈私〉からクオリアがなくなることが、世界の中の《私》から意識がなくなることに 読み替えられる、ということが語られている。これが、『なぜ意識は実在しないのか』の「かなり大雑把な論旨の要約」、というか、そのキモになっていると思 う。
 以下に、講演録の84分10秒目あたりから86分30秒目あたりまでの要点を、書き留めておく。

《世界のなかには、どういうわけだか知らないけれど、私であるという特殊なあり方をしたやつが一人だけいて、そいつがそのあり方を捨てて普通の人間になる ことが、ゾンビという概念を理解するための唯一のてがかりであると思う。
 が、そのことを言うと、不思議なことにみんながそれを理解するわけだから、そうすると、世界のなかにただ一人だけと言ったそばからそれを否定する議論が 出てくる。少なくとも、言葉で言うかぎりは。
 そしてそのことによって、客観的なゾンビというものが可能になるかのような感じになる。客観的というのは、世の中に人間がたくさんいるなかで、意識とい うものがひょっとしたらないやつがいるかもしれないという話に読みかえられるということ。
 でも、本当はそういう問題じゃない。私というのは世界で一人しかいなくて、そいつがそのあり方を捨ててほかの人間と同じようになる(永井さんという人は いるけれど、私じゃなくなる)ということが言われているはずなのに、そのことを言葉で言ったときには誰もが理解する言葉になって、ひとつの共通世界の中で そういうこと(意識がなくなること)が起こるというふうに理解される。
 世界に内化されて心身問題化される。あたかもクオリアや意識というものがあって、それが着脱される、つまり消えたり与えられたりするということを考えて いるかのように映現するというあり方をしている。
 だから、意識の神秘というのは、それ自体としては存在しない。そのようなかたちで、つまり意識の神秘があるかのように現われる。》

 『なぜ意識は実在しないのか』については、そこで語られる「累進構造」が、新宮一成さんの『夢分析』に出てくるそれとパラレルなのではないかと思いあ たったことと、そこに出てくる「第○次内包・第一次内包・第二次内包」という概念が、ラカンの現実界・想像界・象徴界やパースの三分法とパラレルではない かと思いあたったこと、この二点だけを書いておく。
 このことは、いつかまた書くつもりだが、その前に、『なぜ意識は実在しないのか』を繰り返し読み返してみなければならない。

★12月16日(日):『コーラ』3号

 Web評論誌『コーラ』3号[http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/index.html]が発行されまし た。「哥とクオリア/ペルソナと哥」の第3回[http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/uta-3.html]を 寄稿しています。よかったら眺めてみてください。

●「コーラ」
 http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/index.html

●哥とクオリア/ペルソナと哥
 第3章 貫之現象学と定家論理学、再び
  http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/uta-3.html