不連続な読書日記(2007.9)



【読了】

●永井均『私・今・そして神──開闢の哲学』(講談社現代新書:2004.10.20)
●永井均『ウィトゲンシュタイン入門』(ちくま新書:1995.1.20)
●北野圭介『大人のための「ローマの休日」講義──オードリーはなぜベスパに乗るのか』(平凡社新書:2007.8.10)
●高杉良『混沌 新・金融腐蝕列島』上下(講談社文庫:2006.9.15)
●睦月影郎『うれどき絵巻』(祥伝社文庫:2007.9.5)
●『ハンニバル ライジング』、『眠狂四郎 勝負』(三隅研二)、『華麗なる一族』(山本薩夫)、『不毛地帯』(山本薩夫)


【購入】

●山内志朗『〈畳長さ〉が大切です』(双書哲学塾,岩波書店:2007.9.5)【¥1300】
●永井均『ウィトゲンシュタイン入門』(ちくま新書:1995.1.20)【¥700】
●蔵木由紀『非線形科学』(集英社新書:2007.9.19)【¥700】
●加藤文元『数学する精神──正しさの創造、美しさの発見』(中公新書:2007.9.25)【¥780】
●亀山郁夫『『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する』(光文社新書:2007.9.20)【¥780】
●永田守弘『官能小説の奥義』(集英社新書:2007.9.19)【¥686】
●睦月影郎『うれどき絵巻』(祥伝社文庫:2007.9.5)【¥552】



  【ブログ】

★9月2日(日):【哥の勉強】哥と共感覚(拾い書き)

◎歌を聴くとは、時間経験を味わうことである

《この歌[足曳きの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜を独りかも寝ん]の聞き手にとって、言葉の意味は素直に流れない。無意味な音[枕詞:足曳きの]に始ま り、突然意味が中断し[山⇒山鳥⇒尾]、新たな話題[独り寝の寂しさ]が立ち上がり、聞き流していた前の言葉[長々し;山鳥]に新たな意味[長々し尾⇒長 々し夜;山鳥が雌雄別れて眠るという伝承]が加えられる。聞き手が経験するのは、立ち止まり、歩きだし、飛躍し、振り返り、落着するという運動である。歌 を聴くとは、このような時間経験を味わうことである。そしてこの時間経験を豊かにしているのが、緩急の変化、話題やイメージの変化、見過ごされた意味の再 発見などである。とすれば、言葉の続き方が一様でないこと、話題が途中で転換すること、同じ言葉が二つ以上の意味を兼ねることなどがその効果のための必要 条件となるだろう。第一の条件のために枕詞や非文法的結合が、第二の条件のために主題と異なる副次的な話題が、第三の条件のために掛詞や隠喩などが要請さ れるのである。》(尼ヶ崎彬『縁の美学──歌の道の詩学U』21頁,勁草書房,1983)

◎極めて微妙な音の響きの重なり合いで成り立っている室内楽

《最初にお断りしておかねばなりませんが、日本語は言語そのものがきわめて微妙なニュアンスに富んだ言語だということです。特に日本語の最も日本語らしい 特徴を示す助詞や助動詞は、それ自体では独立した意味を表わさない語で、翻訳に当たっても最も問題の多い品詞であります。それらは名詞、動詞、っ形容詞な どに結びつくことによって、きわめて多彩な意味を生み出し、ニュアンスに富んだ表現をあらわします。そして、言うまでもなく和歌は、助詞や助動詞が最も活 躍する文学領域であります。特に『古今和歌集』がそうでした。『古今集』の歌は、いわば極めて微妙な音の響きの重なり合いで成り立っている室内楽、あるい は複雑に交錯して繊細な模様を生み出しているアラベスクの線にも似ていると言えましょう。》(大岡信『日本の詩歌──その骨組みと素肌』69-70頁,岩 波現代文庫,2005/1995)

《ここ[秋来ぬと目にはさやかに見えねども風のおとにぞおどろかれぬる]で重要なことが明らかになります。「視覚」よりもさらに微妙でとらえがたいのが普 通であるはずの「聴覚」が、和歌では視覚よりも一層深い味わいをもった感覚として喜び迎えられているということです。
 これは言いかえると、平安時代の歌人たちが、男も女も、いま眼の前で現実に見ているものよりも、むしろ音として遠方から聞こえてくるよそものの「気配 [けはい]」に敏感だったことを示しています。そのことは彼らの生活形態そのものと密接に関係する事実だったろうと私は思います。というのも、多くの場 合、彼らの生活圏はきわめて狭く限られていたので、見て確かめることよりも、耳で聞くことによって生活が大きく左右されたからです。》(同74-75頁)

◎視覚レヴェルでの理解─清濁を書き分けない仮名連鎖による多重表現

《平安初期に成立した仮名は、今日の平仮名と違って、清音と濁音とを書き分けない音節文字の体系であった。和歌は、その特徴を積極的に生かして作られてい る。(略)本書の主題との関連において指摘しておきたいのは、平安前期の和歌表現を特徴づける複線構造による多重表現が、仮名に特有の右のような特質を巧 みに利用して形成されたという事実である。原理的にいって、特定の言語とそれを表わす文字体系との結びつきは不可分ではないが、それらを積極的に結びつ け、文字体系としての仮名の特質を利用して日本語の韻文表現に新しい地平が開かれたことは、言語文化史上、特筆すべき出来事であった。》(小松英雄『みそ ひと文字の抒情詩──古今和歌集の和歌表現を解きほぐす』21-22頁,笠間書院,2004)

《実用的な片仮名文や漢字文と違い、仮名文は実用を離れた書記文体であった。和歌も和文も、事柄の一義的伝達を目的とする文体ではなかったから、ことばの 自然なリズムを基本にして、先行する部分と付かず離れずの関係で、思いつくままに、句節がつぎつぎと継ぎ足される連接構文で叙述され、叙述し終わったとこ ろが終わりになる。それは、とりもなおさず、口語言語による伝達に共通する汎時的特徴にほかならない。付け加えるなら、『源氏物語』が連接構文で書かれて いるのは、思いついたことをつぎつぎと書き足してできあがったからではなく、そういう構文として推敲された結果である。》(同23-24頁)

《『古事記』、『日本書紀』などには、口頭で表現された韻文が文字で記録されている。文字がなくても日本語の韻文は存在していたし、それらは、本来、朗唱 されるもの、朗唱可能なものであった。したがって、上代の韻文は、どのような文字でどのように表記されても、詩としては等価であった。
 平安時代の和歌が〈みそひと文字〉の仮名連鎖として作られるようになったのは、当時の歌人たちが、清濁を書き分けない音節文字の特性を利用する、まった く新しい和歌表現の可能性を見いだしたからである。
 『古今和歌集』に代表されるこの類型の和歌は、音声=聴覚レヴェルでなく、視覚レヴェルで、すなわち、仮名連鎖に意味を引き当てることによって一次的理 解が成立するように作られている。共通の仮名連鎖に重ねられた複線構造の和歌を単線的に朗唱したのでは、モノウカルかモノウガルか、ナガレテかナカレテ か、どちらか一方の意味にしかならないから、もとの表現はいちじるしく損なわれる。実のところ、『古今和歌集』の和歌は、これまで、そのように読まれてき た。》(同28頁)

《和歌と和文との書記文体は、『土佐日記』と『枕草子』との例で確認したように、根幹においてつうじている。和文と和歌とは、歌集では詞書と和歌との関係 として、また、物語や日記では、叙述と一体化された和歌という関係で、共通する文体的特徴をそなえている。したがって、自由かつ自然な形で和歌的表現を和 文に取り入れることが可能であった。和歌と和文とを仮名文と総称するのは、両者の体質が融和的だからである。》(同38-39頁)

★9月3日(月):【哥の勉強】哥と共感覚(続)

 川田順造著『コトバ・言葉・ことば──文字と日本語を考える』(青土社,2004)に、和歌の枕詞は元来、振りを伴っていたのではないかという西郷信綱 の説が紹介されていた。(出典は記されていない。興味深いので、そのうち調べておこう。)
 この話は、『コトバ・言葉・ことば』に収録された「詩と歌のあいだ──文字と声と身振り」の、文字に書かれ読まれることを前提にした詩と、楽器や手拍子 の声、身体運動を伴ってうたわれる歌との関係をどう考えるを論じたくだりに出てくる。
 この短い文章には、ほかにも「声のアジール」とか、「言語音の音象徴性(約束による概念化された意味を媒介としないで、言語音が直接感覚に働きかける 力)」とか、刺激的な語彙がちりばめられている。(「音象徴性」の話は、『聲』で詳細に論じられている。再読しなければ。)
 哥は、文字であり、音であり、声であり、そして身体運動である(かな文字でしるされた哥は、その形態そのもののうちに運動をはらんでいる)。このうち、 共感覚に関係するのは、「音象徴性」をもった音なのかもしれない。
 川田順造からの連想で、クロード・レヴィ=ストロースの『みる きく よむ』(竹内信夫訳,みすず書房,2005)を流し読みしていて、ランボーの詩「母音」を取り上げた「音と色」の章に、「ランボーはボードレールの読者で あった」とあるのを見つけた。ボードレールの「コレスポンダンス」が、共感覚との関係で興味深い。
 ついでに眺めた「言葉と音楽」の章に、忘れられた18世紀の思想家シャバノンについて書かれた一文があった。面白いので抜き書きしておく。

◎蜘蛛の糸の交感──諸感覚のあいだにある不変の関係

《芸術哲学は、と彼は言う、個別の感覚のそれぞれに、他の諸感覚がその感覚に感じさせるものを知らせるという固有の任務をもっている──「たとえば、蜘蛛 は、自分が張った網の中心に陣取って、すべての糸と交感し、いわばそれぞれの糸のうちに生きているので、(もし人間の感覚のように蜘蛛の糸に生命があるな ら)ほかの糸すべてが彼に与える知覚を、ある特定の一本の糸に伝達することが出来るだろう」。(蜘蛛は当時の流行だった。意識の類似物としての蜘蛛の巣の イメージは、一七六九年に書かれ、シャバノンの死のはるか後、一八三一年になってようやく刊行された[ディドロの]『ダランベールの夢』にも見えてい る。)
 このボードレール的万物照応はなにも人間の感性にだけ関与しているわけではない。諸感覚のあいだに反響するこれら照応関係は、ひとつの知的操作に依存し ている(象形文字に関する彼の理論においてディドロはその点を無視している)──「目に見えるものを音楽で描写するのは、本来の意味での耳のためではな い。それは、諸感覚の中心に陣取り、それらの感覚が感じるものを比較し、結合する精神のためであり」、その精神はそれら諸感覚のあいだにある不変の関係を 捉えるのである。これら不変の関係になんらかの内容を求める必要はない。それは形式なのだ。(略)ある音楽家が夜明けの光景を喚起したいと思うとしよう。 彼が描くのは「昼でも夜でもなく、ただひとつの対照なのだ、それも対照的であればなんでもよい。どんな対照であったも、光と闇のそれと同じように、すべて 同じ音楽で表現できるはずなのだ」。事項はそれ自体としてなんの意味もない。重要なのはただ関係だけである。》(レヴィ=ストロース『みる きく よむ』101-102頁)

★9月8日(土):【哥の勉強】哥と共感覚(色と触覚)

 前回、レヴィ=ストロースの『みる きく よむ』に収められた「音と色」のことにふれた。
 この話題に関連するのが、前々回の「拾い書き」で書き漏らした、大岡信著『日本語の世界11 詩の日本語』(中央公論社,1980)の第三章「反俗主義 と「色離れ」──内触覚重視が語るもの」だ。
 以下、関連する箇所を、第二章「日本詩歌の「変化」好み──移ろう「色」が語るもの」からのものを含めて、多少変形を加えて抜き書きしておく。

◎「いろ」あるいは「色」という言葉、また実体は、古代の人々にとっては、不思議にも常に、変化と移ろいの観念をよび起こすものだった。
◎大和言葉の「いろ」(もとは色彩、顔色の意。転じて好色的な意味。また色彩の意から心の様子。別に仏教語「色」(しき=形相)の翻訳語)と中国の文字で ある「色」(ひざまずいている人の上にもう一人の人間が乗っている会意文字。性交の状態そのものの意)とでは、起源において必ずしも同一とはいえない。 (以上、第二章から)

◎蕉門の森川許六の「百花譜」に「桃は、元来いやしき木ぶりにして、梅桜の物好[ものずき]、風流なる気色も見えず」云々とある。「桜の淡紅と桃の淡紅 と、言葉にすれば同じであっても、明らかに異質である。そこには触覚的な弁別意識がおおいに働く余地があって、その見地からすると、桃はなんといっても ぼってりした下ぶくれの艶女であり、桜がたとえ八重桜であっても示す、肉のしまった、いわば着痩せのする女の感じとは対照的なのである。」(37p)

◎「私は日本の詩歌における「色のあらわれ」をあれこれ考えているうちに、日本人は「色」を純粋視覚の見地から感じとるということがあまりなく、むしろ、 触覚的、さらには内触覚的な見地からこれをとらえるということに、本能的に習熟してきたのではなかろうかという思いをおさえることができなくなった。」 (37-38p)

◎うすむらさき、という代わりに、藤袴や萩や葛を直接に名指す。黄という代わりに、山吹を言い、女郎花を言い、菊を言う。このように、日本の詩歌では 「色」の代わりに「もの」を直接さし示す。「つまり、それらは、個々の自然物の物質感とともにしか考えられない色なのである。それらは「色彩」として抽象 されず、個体のもつ地色として理解されている。だから、日本語に古来色彩をあらわす形容詞がきわめて乏しく、白い、黒い、および赤い、青いしかなく、黄色 いという、いわば変則的な形容詞が遅れてやっと登場したということも、当然だったということになる。」(38-39p)

◎「臙脂[えんじ]・朽葉[くちば]・青磁・浅葱[あさぎ]・朱鷺[とき]・鶯[うぐいす]・くちなし・錆朱その他その他、日本にはじつに豊かな、ほとん どその豊かさに茫然とするほどの色名がある。しかし、それはある意味で当然だったのだ。自然界のある事物が見いだされることは、その事物固有の色が見いだ されることであった。色名の数は、事物の数と同じだけあるといってもいいのである。これはいったい、認識における恐るべき精密さを示すものだろうか、それ とも逆に、恐るべき怠慢を示すものだろうか。自然の事物のひとつひとつに、まことにそれに相応しい名前を与え、その名前を同時にそのものの色名ともすると いうことは、少なくともきわめて鋭敏な感性的精緻と洗練を必要とする。そういう意味でいえば、日本人の感性的認識の精密さこそ讃えられねばならないだろ う。しかし反面、個々の色の微妙なニュアンスの差異を超えて、色環的な認識を形づくるために抽象の努力をするということが、絶えて行なわれなかったという ことは、日本人の認識能力にある種の本性的な欠落があることを示すものかもしれないと思われる。
 そこには、古代以来久しく、「光」というものと「色」の関係をあまり明確に意識することのなかった(と私には思われる)日本人のものの見方の、ひとつの 結果があるのかもしれない。少なくとも、『万葉集』から『新古今集』あたりまでの詩歌は、色を光と関連させて動的にあるいは印象派的にとらえているものは 稀である。」(41p)

◎「私はこれ[光]が日本の詩歌人たちに、多く触覚的なとらえ方でとらえられていることを指摘したい。右の永福門院の歌[ま萩散る庭の秋かぜ身にしみて夕 日の影ぞ壁に消えゆく]の「夕日の影」は、壁の表面で消えるのではなく、まぎれもなく壁の内側に沁みこんで消えるものとして歌われている。花園院の歌[む ら雨のなかば晴れゆく雲霧に秋の日きよき松原の山]では、松原の山に照る秋の日が「きよき」といわれるとき、それはけっして視覚的なものとしてだけあるの ではない。何よりもまず、冷え冷えと澄んでいる雨後の空気の触感によって、「秋の日きよき」という感覚は成立しているのである。
 そういうふうに言えるなら、この種の触覚的認識法はすでに『新古今』歌人たちの親しく浸っていた世界であったし、ずっとさかのぼって、『古今集』の歌人 たちにも親しい世界だったことをも言わねばならない。」(42-43p)

◎『古今集』の撰者の一人、凡河内躬恒に「やみがくれ岩間を分[わけ]て行水[ゆくみづ]の声さへ花の香にぞしみける」という歌がある。
「こういう「しみる」感覚の系譜が、実は日本詩歌の歴史に一本のけざやかな線をつくっているのであって、/夕されば野べの秋風身にしみて鶉[うずら]なく なりふかくさの里 藤原俊成/という歌ではまだ純触覚的だった「身にしむ」は、俊成の息子の時代に至ると、/白砂のそでのわかれに露おちて身にしむ色の秋 風ぞふく 藤原定家/と、「秋風」が「身にしむ色」をしているという内触覚的な認識にまで達する。念のためにいえば、定家のこの歌は、恋の歌なのである。 同じ定家に、/消えわびぬうつろふ人の秋の色に身をこがらしの森の下露/のごとき歌もあって、「色」はもはや完全に「色離れ」しているといわねばならな い。にもかかわらず、なぜか私は、これらの歌のなかに日本の詩歌の「色」を強く感じるのだ。言ってみれば、ここにこそ、自然界のものに密着した色の世界か ら、渾身の力をこめて抽出され、いわば「無色の原色」として意識された「色」があるとはいえないだろうか。
 風に色を見るということは、もはや視覚の問題ではない。心の眼の問題である。風のなかに色を見る「心」があるのだ。それはあらゆる現実の色彩の世界から 遠ざかっているが、自然にそうなったわけではない。意志によって遠ざかっているのである。実生活においては、彩り豊かな服もあり、調度もあり、寺院の内装 もあり、植物世界もあったわけだが、そういう現実世界の色を拒絶することによって、無職のもののなかに色を見る一種の透視的な眼を獲得しようとして、彼ら は骨身をけずった。
 そうなるについては、色即是空を教える仏教思想の影響を見落とすわけにはいかず、たとえば俊成に、「法華経」の詞句にちなむ釈教歌、/高砂の尾上の桜み しことも思へばかなし色にめでける/のような歌があって、「色」の否定へのひとつの契機がどの辺にあったかを示している。しかしまた、同じ俊成の釈教歌 で、勤行者が夜明けに見る極楽の黄金の岸を詠んだ歌、/暁至りて浪の声黄金[こがね]の岸によするほどに/いにしへの尾上の鐘に似たるかな岸うつ波のあか つきの声/には、色彩への言及は何もないのに、黄金の光、そして色が、感触として遍満しているのを感じることができるのである。」(44-46p)

◎「つまり、ここまでくると、日本の詩歌というものが、現実生活のなかのさまざまな事物を即座に色として感じとっていた物心一体の境から、しだいに個々の 「事物の色」を離れ、「心の色」を積極的に定立していこうとする姿がはっきりしてくるといえるだろう。それは、『古今集』仮名序で、貫之が当代の人の心が 華美に流れていることを慨嘆した[いまの世中、色につき、人のこゝろ、花になりけるにより、あだなるうた、はかなきことのみ、いでくれば、いろごのみのい へに、むもれぎの、人しれぬこととなりて…]とき、すでに芽生えていたものといえるし、後代の芭蕉のような詩人が、「風雅のまこと」をいうとき、その「ま こと」は、やはりこれと別のものではなかったと思うのである。一言でいえば、ここに日本詩歌の反俗主義があり、一見華麗なもの優美なものを豊かにもってい るとみえながら、日本の詩歌が全体として「ひえさびた」境地へとたえず磁針を合わせつづけてきた理由も、この反俗主義の現実的あらわれとしての禁欲主義に よるだろう。許六が桃をいやしんだ理由も、その辺にあるように思われる。
 視覚的な「色」だけでは満足できず、触覚的に「しみる」色を追求しようとする衝動も、同じところに発しているだろう。」(46-47p)

◎「心敬は古人が歌のあるべき姿について語った言葉として、「水精(水晶)の物に瑠璃をもりたるやうに」という言葉をあげて賛意を表し、「これは寒く清か れとなり」と注している。触覚の原則はここにも貫かれている。(略)いずれ色あるものの世界にあって、いかに色を透脱するかということに、日本の詩歌は思 いをこらし、反俗の「まこと」をそこにかけてきたといってよい。
 その場合、触覚的、また内触覚的な透視力ともいうべきものがそこでたえず鋭く働いていたという点に、いわば日本の詩歌そのものの「色」があったのであ り、そこに日本詩歌独特の「象徴主義」がたえず働く機縁もあったのだといってよいであろう。」(47-48p)

★9月15日(土):【哥の勉強】万葉の心・新古今の心

 8月24日の日記[http://d.hatena.ne.jp/orion-n/20070824]に、うろ覚えで、「万葉の歌人は、心を客観的にと らえ、それがあるかないかを問題にした。別離の哀しみが自分の内に生成し、いつまでもそこに留まっているのを、当の自分が自覚しているといった具合だ。と ころが、古今集になると、そうした物のごとき心ではなく、自分と外界、意識と自然といった区分が融解して区別がつかなくなった心がうたわれる。そこでは主 客分離でいう「主」としての自己は消失している。心はそういう曖昧な「私」のうちに染みこみ、染めあげるものになっている」と書いた。
 出典は、相良亨『一語の辞典 こころ』(三省堂,1995)。気になったので、該当箇所にあたっておく。

◎万葉人の「心」

《今日のわれわれが『万葉集』の心のつかい方をみて、もうこのようなとらえ方はしないのではないかと、われわれとのずれを感じ、その特色らしきものを感ず ることがある。具体的な事例をいくつかあげると、「結びし情[こころ]」が忘れられない、「語らひし心」に背いて貴方は去った、「忘れじと思ふ心」に終わ ることがあろうか、「遠き心」を私はもっていない、「異[け]しき心」を私は思わない等々である。事例はなおいくつでもあり、「長き心」(変わらない 心)、「悔ゆべき心」(後悔なさるような心)、「染みにし心」(あなたに深く染みついた心)、「絶えむの心」(仲が絶えるようにしたいという心)、その他 があげられる。ところで、これらのうちで一番印象的なのは、/大夫[ますらお]は友の騒ぎに慰もる心もあらめ われぞ苦しき/慰もる心は無しに斯くのみ し、恋ひや渡らん月に日にけに/のような「慰もる心」もない、あるいは「慰もる心」がある、といった用法である。今日われわれが一般に、悲しさや淋しさが 慰められないというところを、「慰もる心」がない、ととらえるのである。
 これは人間の内面の動きを、個別化し客体化して、その個々の心のあるなしという仕方でとらえるものである。ここには「凝る」を語源とする発想に、あるい はつながるところがあるかもしれないと思われる。
 万葉人は、このような心意識を軸にして生きていたと思われるが、なお、「語らひし心」(男女が契りあったこころ)に背かない・守る・変えない・移らな い・忘れない等々と、その心が変わらないことをしばしば歌い、また、変わらないことを含めてその心を、より深い、しっかりしたものにしていくことを望まし いこととしていたといえよう。
 「まそ鏡磨[と]ぎし心をゆるしては後に言ふとも験[しるし]あらめや」という歌があるが、これを磨ぎみがいた鏡のような心というのである。貞操貞節に 限られるのか、心一般についていわれるのか、いずれにしても鏡をとぐというきびしい自己規正をもって、心の姿勢の保持が語られていたといえよう。》(18 -20頁)

◎景物と交感する心

《歌は、心に思うことを自然の景物に託して[古今集仮名序「見るもの聞くものに託して」]、その交感交流の中に生まれてくるものであった。心の思いを言葉 で表現するということにおいて、心と詞との全一的緊張が求められ、そのことによって心の内面が襞を深めることになったと思われるが、心はまた景物との交流 の中に、さらにより豊かな微妙な襞をもつことになったといえよう。自然との交感的関係は『万葉集』にもみられるが、先に述べたように、『万葉集』の歌には 個々の心を対象化し客体化してとらえる傾向がなお顕著にうかがえた。だが『古今和歌集』には、『万葉集』にみたような心のとらえ方は目立った傾向としては 存在しない。『古今和歌集』において、心は景物と交感交流する柔軟な主体としてまずあったように思われる。そして交感の中に歌うことが、思いとしての心 の、より深い微妙な把握となったといえよう。
 ところで、たとえば、/世の中に絶えて桜のなかりせば、春の心はのどけからまし(在原業平『古今和歌集』一の53)/をみると、景物と交感する人の、こ こでは落ち着きのない春の人の心が、「春の心」と表現されている。(略)春と人とは一つであり、心は人の心であるとともに交感する景物の心としてとらえら れる。心がただ人の心であるのみでなく、景物の心ともなる。これは人の心の内なるものが、内向して焦点を結ぶというよりも、景物との交感の中に歌われるこ とによって、より深くとらえられてくるということに関わるといえよう。》(23-25頁)

     ※
 8月24日の日記には、また、「ここに、古今和歌集と新古今和歌集の違いをもちこむと面白くなる。大雑把にいうと、古今集の言葉が物(自然)と渾然一体 だとすると、新古今では言葉の世界が物の世界から自律している。そこでは、「私」とは何か、という問題感覚が、万葉集の次元とは異なるところ(言語世界、 もしくは物狂いの世界)で再び浮上する」と書いた。
 出典は、尼ヶ崎彬『花鳥の使』。これも、実地にあたって確認しておきたいが、この作業は、いずれ「哥とクオリア/ペルソナと哥」でやらなければいけない ので、今日のところはパス。
 『一語の辞典 こころ』の「歌の心」の章がこのことと関連して示唆に富んでいたこと、それから、佐佐木幸綱『万葉集の〈われ〉』(角川選書,2007) が、万葉集の心から古今集・新古今集にまで及んで面白かったこと(一人称詩としての和歌、無人称詩としての定家の和歌、「現にいま発声しつつある者」とし ての〈われ〉、宮廷歌人・専門歌人、すなわち「署名入りの歌を作る者」としての〈われ〉、そして歌の読者としての〈われ〉、等々)についても、今日のとこ ろは、今日はパス。

★9月16日(日):【哥の勉強】推移を経験すること/言葉の舞踏としての哥

 8月29日の日記[http://d.hatena.ne.jp/orion-n/20070829]に、尼ヶ崎彬氏の「和歌を味わうとは、言葉の舞踏 に引き込まれ、一足ごとに変容するイメージの旅を歩むことである」という指摘を引用した。『縁の美学』のあとがきに出てくる言葉だが、この本の冒頭に収録 された論考「枠と縁──詩歌の文法」から、関連する文章を抜き書きしておく。

《和歌は三十一字という短詩型であるにもかかわらず、なぜか複数の素材を織り込むのが当然のこととされてきた。たとえば紀貫之が古今集仮名序ではじめて和 歌を定義したとき、「やまと歌」は心に思う事をさまざまな事象に付託して表現するものだとした。これは主意たる表現内容(個人的心情)と付託される事象 (花鳥風月)と、少なくとも二つの素材を和歌は必要とするということである。複数の素材を文法を無視して組み合わせて、なお作品としての統一感を与える一 つの方法は、言葉の体系を明確な図式の枠に嵌め込むことである。西洋や中国の韻律図式がそれである。だが日本人は漢詩の厳格な平行性の効果を知りながら、 語と語の連想関係によって言葉を繋いでゆくことを選んだ。枕詞、歌枕、縁語、掛詞、本歌取などの修辞はみな、散り散りになろうとする言葉を何とか縁によっ て繋ぎとめようとする手段であるとも言えるだろう。
 詩の言葉を図式として見るとは、全体を一度に見渡して構造を把握することであり、一群の言葉を一つのゲシュタルトとして認知することである。これはいわ ば、作品を空間的構築物として捉える態度である。一方言葉の縁を発見するとは、常に語と語との関係という歌の細部の繋がりだけに注目するものである。全体 は見えない。ABCという語の連鎖において、AB間、BC間に縁があれば、AC間に何の関係がなくとも、ABCはひとつながりであるとみなされる。それは AとCとを同時に見ないからである。言い換えれば、歌を読む(聞く)とは、ABCを同時に一覧することではなく、AからBへ、BからCへという推移を経験 することなのである。この推移を滑らかに行わせるものが、言葉の縁に他ならない。ここにあるのは、時間の中で出没する作品の細部を順次経験しようとする態 度である。
 言葉の縁は、継ぎ合わされた言葉に形式の上で連鎖の必然を与える。しかし内容の方は形式とは無関係に疾走し、断絶し、飛躍する。中世の優れた歌を詠むと き、形式上の滑らかさと内容の曲折とが大きなコントラストを成しているのを感ずる。そしてこの落差こそが言葉の舞踏に力を与えているのである。》(28- 29頁)

 この論考で、尼ヶ崎氏は、詩歌を詩歌たらしめている形式条件(形式の自立のための意識的な言葉遣いの操作、すなわち修辞の原理)を二つに分類している。 その一つは、「韻律図式や対句など、平行性によって語列が人工図式であることを目立たせるもの」。もう一つは、隠喩や換喩などの比喩表現を含めた「語の連 想関係に基づく非文法的統辞」。尼ヶ崎氏は、前者を「枠」、後者を「縁」と名づけ、「どこの国の詩歌も両者を形式条件として持つとしても、日本の場合は比 較的「枠」の条件が弱く、「縁」の条件が大きな役割を受け持ったと言えるだろう」と書いている(20頁)。
 ところで、読み手の注意を内容よりも形式(言い回し)に向かわせるための仕掛けのことを、ヤコブソンは「詩的機能」と呼び、「等価の原理を選択の軸から 結合の軸へと投影すること」と定義した。尼ヶ崎氏は、これを「等価性という仕掛けを使って語列を組み立てる」こと、あるいは「類似の言葉の繰り返しによっ て文の中にある形式性を目立たせること」(4頁)と言い換える。
 等価には、音の等価と意味の等価の二面がある。音の等価には、母音子音の響きの同音(韻)と、強弱長短の配列のリズム(律)がある。意味の等価には、連 想関係(同義語・反義語・換喩・提喩などをひっくるめて縁語)と、文法機能(品詞や格)がある。
 また、等価を利用した修辞形式に、反復と重層の二面があり、反復には、語の反復(同音の繰り返し、または縁語の連続)と構造の反復(脚韻、対句など)が ある。重層とは、形式上明らかに二つの文であるべきものが重なり合うこと、つまり「二つの語列が同一の語句を共有している」ことであり、その仕掛けの一つ は掛詞、もう一つは本歌取である(30-31頁)。

《西洋・中世の詩が主として構造の反復というやり方で言葉に形式の枠を嵌めているとしたら、和歌は語の反復と文の重層によって連鎖と展開をめざしている。 読者が縁によって繋がっている語の連鎖を追えば、それは次々とイメージが変容し、突然に転回するという時間的経験をもたらすだろう。平行性の詩が構造堅固 な建築であるとすれば、縁につられて流されてゆく和歌は予期せぬ変化を身上とする舞踏に近いかもしれない。》(31頁)

 尼ヶ崎氏は、この文章に続けて、「いや、もう少しましなたとえを捜そう」と書いている。「もう少しましなたとえ」というのは、幾何学式庭園に対する回遊 式庭園なのだが、このことについては別の機会に書く。
 また、尼ヶ崎彬編『芸術としての身体──舞踏美学の前線』(勁草書房,1988年)の序論「舞踏美学の現在」とあとがき(いずれも尼ヶ崎氏によるもの) が、「言葉の舞踏としての哥」に関連してとても興味深いのだが、このこともまた別の機会に。

★9月17日(月):【哲学の問題】包み込むものと包み込まれるもの/世界は感情に満ちている

 前田隆司著『脳の中の「私」はなぜ見つからないのか?──ロボティクス研究者が見た脳と心の思想史』(技術評論社,2007)の第5章「哲学者との対 話」を読んだ。「現象一元論」の哲学者・斎藤慶典との対話(「現象学」)、「ギブソニアン」の哲学者・河野哲也との対話(「生態学的心理学」)の2編が収 められている。
 斎藤との対話が、というよりそこで斎藤が自己解説している「基づけ関係」の説(『心という場所』)が面白かった。

 前田本第4章の最後に「心の哲学」の節があって、そこで、チャーマーズ(『意識する心』)の「哲学的ゾンビ」の話題が取り上げられている。
 外見が人間にそっくりであるだけでなく、脳内のニューラルネットワークの発火分布の詳細に至るまで、物理的にも人間と全く同じであるにもかかわらず、実 は現象的な意識を持たない存在を想像することができるか。私(前田)には到底想像できないが、チャーマーズはできるという。それは、意識の現象的な側面 が、ニューラルネットワークから独立した霊魂のようなものだという主張に近い。つまり、心身二元論。
 しかし、チャーマーズ流の二元論の視点から、「クオリアは幻想であって確固としたものとしては何ら存在しないという枠組みの中で、その幻想が受動的メカ ニズムによって作り出される」と考える私(前田)の一元論を論破することはできない。一元論と二元論は前提が異なる。「したがって、チャーマーズがいくら 一元論の問題点を指摘しても、それでは、一元論自体が間違っている場合と、一元論の一部に未知の部分がある場合とを分離できないのである。」(199頁)
 ここのところに、斎藤が異議を申し立てる。
 第一に、チャーマーズが問題にしているのは、脳と意識との間にどういう関係があるのか、物と心をつなぐ「糸」がどのようになっているのかが全くわかって いない、ということだ。一元論が成り立つためには、脳と意識、物と心という二つものの間にきちんとした関係性が見出されている必要があり、かつその上で、 心を物に還元できる十分な理由がなければならない。「現時点ではまだよくわかっていない」と認めたとたん、チャーマーズの意見に従わざるを得ない。
 第二に、仮に心から脳へとさかのぼるプロセスが明らかになったとしても、クオリアを伴った心の状態がなくなるわけではない。つまり、二元論的な状況がそ のまま存続する。それを幻想として斥けるのなら、その十分な理由が示されなければいけない。
 第三に、そもそも心という存在(意識という過程)を抜きにして、脳という物的世界の代表的存在をそのようなものとして同定(アイデンティファイ)できる のか。脳と心を分ける議論の中に、すでに「心(が設定する特定の観点)による脳の同定」というものが不可欠の前提として入っているのではないか。つまり、 一元論者の仮定は形而上学的であって、そもそも脳と心を二つに切り分けた上で対置するという発想自体に疑問がある。
 そこで、斎藤が提案するのが、脳と心の間には「基づけ」という固有の関係の仕方がある、というものだ。
 斎藤の「基づけ関係」は、二つの関係性からなる。「基づける項」と「基づけられる項」の二つの項があって、まず、「基づけられる項」は「基づける項」な しには成立せず、一方で、「基づける項」は「基づけられる項」なしにはそのようなものでありえない。具体的にいうと、心は脳なしには成立せず、一方で、脳 が脳として存在するのは、心の中でしかない。

《よく誤解されているのですけれども、この基づけ関係というとらえ方から出てくる重要な帰結に、「『そもそも心なしにまず脳があって、その脳から心が出て きたのだ』と考えてはいけない」ということがあります。
 なぜならその考えは、「心」という、上に乗っかる新たな秩序(「基づけられる項」)が出来上がった後で、その「心」が描いたシナリオだからなんです。つ まり心が「自分たちが成り立つにあたってはまず脳というものがあって、そこから自分たち心が出てきたんだ」というように、いわば自分たちの基盤を成すもの をさかのぼって指定し解明する関係になっているんです。
 そしてこの「さかのぼり」は、心なしには決してありえないことなのです。
 この基づけ関係で非常に重要なのは、基づける項と基づけられる項が、違う秩序原理で成り立っているということなのです。(略)
 このように見てくると、この基づけ関係の重要な部分が見えてきましたね。つまり、「下位の秩序なしに上位の秩序を説明することができないにもかかわら ず、上位の秩序なしで下位の秩序を説明することができない(上位の秩序が下位のそれを包み込んでいる)という関係です。》(224-225頁)

     ※
 もう一つのの対話では、「感情はクオリアではない」という河野の発言が面白かった。
 河野がいう「感覚として上がらないような、深い深い悲しみ」(クオリアのない悲しみ)や「淡々としているけれども強い怒り」とは、「気分」もしくは 「場」のことなのではないかと指摘する前田に対して、河野がこう答えている。

《「場」、磁力のある場というような比喩的な言い方をしてもいいんでしょうね。ですから、どちらかというと感情というよりは「構造としての場」とか、「構 えとしての感情」とかいったものでしょうか。(略)ある種の内的な感覚でしょうから、クオリアと呼べるとは思うんです。けれども、それは体の興奮状態のこ とで、同じような状態に、たとえば、緊張したときにもなると思うのです。怒りに固有のクオリアとは言えないのではないでしょうか。》(257-258頁)

 これを読んでいて、ダマシオの『感じる脳』と、NHKの「爆笑問題のニッポンの教養」(8月31日)に「出演」していた「赤ちゃんロボット」──大阪大 学の石黒浩研究室(知能ロボット学)[http://www.ed.ams.eng.osaka-u.ac.jp/]が開発したもので、ヒューマノイドロ ボット「Child-robot with Biomimetic Body」(CB2:CBキューブ)が正式名称──のことを想起した。

★9月24日(月):【大森荘蔵】立ち現われとしての哥

 大森荘蔵の「ことだま論──言葉と「もの‐ごと」」(『物と心』所収)を読んだ。
 2年前にも、桑子敏雄さんが『感性の哲学』で「大森哲学の白眉」と書かれていたのに触発されて読んだことがある。今回は著作集第四巻のゆったり組まれた 活字で読んだ(巻末に収録された野矢茂樹さんの解説の出来栄えが実にいい)。日本歌学体系第八巻に収められた冨士谷御杖の『真言弁』とあわせて読んだ。そ の下巻に「言霊とは、言のうちにこもりて、活用の妙をたもちたる物を申すなり」云々に始まる「言霊の弁」の節がある。
 いま紀貫之の歌論を西田幾多郎に、藤原定家の歌論をウィトゲンシュタインにそれぞれ対応させて比較する試みに没頭している。たとえば古今集仮名序で貫之 が「ちからをもいれずして、あめつちをうごかし、めに見えぬおに神をもあはれとおもはせ」と書いた和歌の力を、定家は「あめつちもあはれ知るとはいにしへ の誰がいつはりぞ敷島の道」と否定した。このことの意味を冨士谷御杖と大森荘蔵の言霊論を比較することで考えてみたいと思った。
 大森を定家にひきつけて何か参考になるアイデアを密輸しようと目論んでいたのだが、「ことだま論」を熟読しているうち、大森荘蔵の「立ち現われ一元論」 は定家と貫之の歌の世界(私の関心にひきつけて精確に書くと、定家と貫之の歌論の世界)をともに包摂しうる強さと深さと拡がりをもったものであることに気 づいた(「立ち現われ」としての哥)。
 だからこれから折にふれて書くこと(大森荘蔵の著書からの任意の抜き書きと覚え書き)は本当は「哥の勉強」のカテゴリーに整理すべき事柄なのだが、この 際いつかまとめて取り組みたいとかねてから気になっていた大森哲学(とりわけ晩年の三部作)のための専用の場所をしつらえることにした。
 以上、開会の辞として。

★9月25日(火):【大森荘蔵】ことだま論・第1節

 大森荘蔵の「ことだま論」は二つの節からなっている。
 第1節「無‐意味論」では、野矢茂樹さんが著作集第四巻解説で再整理した「私(主観)が‐その赤い本(対象)を‐私の目に映った見え姿(現象)において ‐見る(作用)」という(さしあたっては知覚の現場に即して)四極構造のうちの第三項、すなわち知覚や想起や想像や空想等の様態における表象、そして言葉 の意味の実在性が抹殺され、表象と対象の二元論にかわる「立ち現われ一元論」が提示される。
 第2節「対象は「じかに」──真理と実在の流動」では、四極構造の第二項すなわち対象が「立ち現われ」を離れて独立に実在するものでないことが論証され る。二元論的構図における「(1) 言葉の意味を聞く、(2) その「意味」を了解し、(3) あることを思い浮かべ(表象し)、(4) その「表象」を通して「対象」に向う(または、「対象」が「表象」として「現出」する)」という四段構えが、「(1) 言葉(声振り、またはその想像)に触れられて、(2) 「立ち現われ」が「じかに」立ち現われる(さまざまな「同一体制」の会得を含んで)」という二段構えにとってかわられる(著作集第四巻,152-153 頁)。

     ※
 第2節はメモを取りながらじっくり読んだので、書いておきたいこと、それを読んでいるとき私の脳髄に立ち上がりあるいは立ち現われたことがたくさんあ る。このことは次回にまわす。
 第1節はとりあえず大森哲学の世界の感触に慣れるつもりで軽く読み流したので、書くべきことがあまり思い浮かばない。それを読んでいるとき私の脳髄に立 ち上がり立ち現われた事柄はきっとたくさんあったはずなのだが、時が経つにつれてそれらは消えて流れてしまった。それでも心に残ったことはいくつかあるの で、そのうち「哥の勉強」にも関係する文章を二つばかり抜き書きしておこう。(本当は「脳髄に立ち上がる」や「思い(が心の中に)浮かぶ」や「心に残る」 や「(心の中から)消えて流れる」などの言い方は大森哲学の世界では許されないと思うが。)

◎「声振り」に触れられ動かされること/ことだまは「人」に宿る/過去に遡って持続の相貌をもった「海」をじかに立ち現わしめること

《ましてや、「意味」を文字で記すなどということは不可能である。それは歌い方や弾き方を楽譜に記すことが不可能なのと同様である。……
 要するに、聞き手の側からすれば、言葉の意味の了解なるものは実は、話し手の声振りに触れられて動かされること、叙述の場合であれば、或る「もの」「こ と」が或る仕方で訓練によって立ち現われること、じかに立ち現われること、に他ならない。そこに「意味」とか「表象」とか「心的過程」とかの仲介者、中継 者が介入する余地はないのである。すなわち、言葉(声振り)がじかに「もの」や「こと」を立ち現わしめるのである。言葉の働きはこの点において、まさに 「ことだま」的なのである。しかし、個々の人の身振りの一部である声振りを離れて言葉はない。したがって、「ことだま」が宿るのは声振りに、したがって身 振り、したがって「人」に宿ると言うべきである。……「ことだま」がその声振りに宿るというのであれば、話し手の眼差しには「眼だま」が、手には「手だ ま」が宿るといわねばならない。このように、「ことだま」には何も神秘はない。
 叙述において、話し手が聞き手に「もの」「こと」を立ち現わしめる、といっても、それは打出の小槌のひと振りで何かを出現せしめるようなものではない。 むしろ、広い意味で聞き手の視線をその「もの」「こと」に向けてやるのである。……わたしに、賀茂川が立ち現われるとき、その賀茂川はずっと以前から在る もの、という持続の相貌をもった賀茂川であり、「持続の途上」の相貌をもった賀茂川が立ち現われるのであって、無からの誕生の相貌で立ち現われるのではな い。詩人が或る「こと」や「もの」を創造するときですらそうである。「ぶどー酒の一滴にほんのりあかく染まった海」(ヴァレリー)を立ち現わすときも、そ の海は悠久のかなたから、という相貌をもって立ち現われるのである。奇妙に聞こえるかもしれないが、詩人は過去に遡ってその海を創ったのである。》 (138-139頁)

◎「呪文」「声振りの仕様書き」としての文字表現/声振りという実在によって人に触れること/何ごとかをじかに立ち現わしめること

《だが、われわれは屡々表現を求めて模索する。……それらは最終的には特定のあるいは不特定の他人に宛てられたものであっても、まずは自分自らに宛てての 表現の模索である。今わたしもまた表現を模索している。わたし自らのために。
 こういうとき、或る「もの」「こと」が立ち現われていて、それを適切な表現で描写する、といった平板な作業ではない。……われわれは、それを凝視し、見 定めよう、見極めようといら立つ。そこに、一つの表現(声振り、またはその想像)が立ち現われてくる。もしそれが的を射た表現であるときは、それまで渋々 立ち現われていた「もの」「こと」はきっとその姿相貌を変え鮮やかにくっきりと立ち現われる。……
 われわれはその表現を文字に書きとめる。それはやっと立ち現われたその「もの」「こと」を逃がさぬように文字で縛りとめるためである。……その表現はま さに一つの呪文なのである。その呪文を声振り唱える(または、それを想像する)ことによって、その「もの」「こと」を繰り返しわたしに立ち現わしめること ができる。そして幸運な場合は、わたしがそれを声振り、その声振りで人に触れると、その人にもまたそれを立ち現わしめることができるのである。また、著者 の声振りを通さなくともその文字を「読む」ならば、人は自分にそれを立ち現わすことができる。少なくとも著者はそう願って「書く」のである。声振りの仕様 書きとして。
 創作(物語りにせよ詩歌にせよ)の場合は、ときに、初めに立ち現われる「もの」「こと」がなく、作者は或る立ち現われを作るのである。前にも述べたよう に、そうして作られたものは、過去に遡って作られうる。今日、太古の森の何ごとかを作り、立ち現わしめることもできる。
 造形美術は、絵、彫刻、建物、等の物を作る。実在する物を作る。その物がたまたま他の何ごとかを「思わせ」、立ち現わすこともある。だが、それはたまた まである。しかし、声は、声振りという実在によって人に触れ、そうして何ごとかをじかに立ち現わしめることがその本来の働きなのである(音楽はその中間に あると言えよう)。
 それが「ことだま」の働きなのである。》(142-143頁)