不連続な読書日記(1996.1〜1996.6)


★1996.1

 

☆加藤雅彦『図説 ハプスブルグ帝国』(河出書房新書 '95)

 I氏から貰って仕舞い込んでいた。昨年末、明け方近くまで漫然と職場で時間潰しを余儀なくされた際読み初め、実に久し振りに悦楽の時を過ごし、読み切るに忍びず、その後、昼休みに1章ずつたっぷりと時間をかけて読み込んだ。ライン上流「ハビヒツブルグ城」(鷹の城)築城から第1次大戦後の帝国解消に至る900年の万丈の物語、帝国の歴史そのものが良質の思想書であるかのような刺激に満ちている。(「ウィトゲンシュタインのウィーン」を再読したくなった。)

 

☆岩谷宏『ラジカルなコンピュータ』(ジャストシステム '95)

 副題は「思想のための最終機械」。筆者が提唱する一般コミュニケーション理論構築の根幹をなす経験を与えるコンピュータを、それもプログラミングを本質とするコンピュータを、思考ではなく「思想」のための究極の機械であると断言する点に、筆者の思想的立脚点が示されている。法が社会事象をフィクショナライズすること、あるいは対話的理性を介して真理を仮構することによって共同体の中に「コミュニケーション」の場を設営するように、プログラミングという営みは、言語がローカルな「エコノミー」をグローバルな仮想時空(貨幣が沈黙と暗黙の暴力のうちに価値の表象と流通を強制する場、もしくは連続性概念によって手馴づけられた数体系に似たもの。これは筆者自身の用いた比喩)へと超越させる機制を暴き出すことによって、コミュニケーション不能に基礎づけられた「標準思想」をコミュニケーションに基づく「高階思想」へと高めさせる道具となる。(筆者の廣末渉を思わせる文体に影響されたか。)

 

☆脇英世『Windows入門』(岩波新書 '95)

 岩谷宏氏がマッキントッシュのGUIを批判していたが、なるほどあの程度の象形文字(ではなく「イコン」)では抽象の深みはうかがえまい。というより、MS-DOSのコマンド打ち込みにはいかにも頭の固い機械を操作しているという実感があって、いっそ気持ちがよいのも確かなのだ。Windows3.1にもそれなりの味がある。95はどうなのだろう。

 ところで、昨年暮から正月にかけてパソコン、というよりマッキントッシュの、それも初心社者向け雑誌を中心に読み漁った。「日経トレンディ臨時増刊号 インターネット特集」(日経ホーム出版社)、「MAC POWER」(アスキー)12・1・2月号、「beginners' mac」(ソフトバンク)創刊号・1・2月号、「Mac Fan Beginnners」(毎日コミュニケーションズ)1・2月号、「MacPeople」(アスキー)2月号、「INTERNET GUIDE」(ソフトバンク)、「Macがいちばん!」(宝島社)2月号。これからはいちいち記録しない。

 

☆小川和佑『桜と日本人』(新潮選書 '93)

 訳あって読んだ。

 

☆ドナルド・キーン『日本文学の歴史1』(土屋政雄・中央公論社'94)

 古代・中世篇1。万葉集は実に興味深い。

 

☆トム・クランシー『日米開戦』上下(田村源二・新潮文庫)

 上下併せて1,500頁の雄篇。クランシー第8作。よく出来た物語だが(だから?)、読み終えてしまうと何か虚しい。とうとうライアンが大統領になってしまった。

 

★1996.2

 

☆中村真一郎『再読日本近代文学』(集英社 '95)

 文体がある。堀辰雄は気になる作家だった。弟子の書物の中でも生彩を放っていた。世界文学の中の日本近代文学。

 

水村美苗『私小説 from left to right新潮社 '95)

 「批評空間」掲載時には、タイトルの冠に「日本近代文学」が付けられていた。横書きで読む私小説。父と子ではなく、母と娘、姉と妹の家族の物語。秀逸。『続明暗』はここから生まれた。

 

☆ラマーン・セルデン『ガイドブック 現代文学理論』(栗原裕・大修館書店 '89)

 すぐれたテキストブック。ロシア・フォルマリズムが面白い。

 

☆浜野保樹『ハイパーメディア・ギャラクシーU コンピュータの終焉』(福武書店 '89)

 WWWのサイトをあちこち見て歩いたような読後感。ハイパーテキスト感覚で編集された書物なのだろうが、情報がただ流れていくだけ。注釈の唐突さは面白かった。

 

☆岩谷宏『基礎からわかるインターネット』(ちくま新書 '95)

 メイルが基本だいう主張には説得力があるが、全体的にやや退屈。

 

☆城生佰太郎『言語学は科学である』(情報センター出版局 '90)

 経験科学の音声「学」と理論科学(?)の音韻「論」の違いをはじめて知った。言語の起源をめぐる「論」を期待したが、見込み違い。

 

☆野口悠紀雄『「超」勉強法』(講談社 '95)

 気持ちよくなれる本。

 

☆『ワイアード 1996.3』(DDOデジタルパブリッシング)

 久しぶりに読んだ。一頃の刺激はやや失せた。

 

☆ネルソン・デミル『将軍の娘』(上田公子・文藝春秋 '94)

 5時間かけて読んだ。映画を観るように読んだ。

 

☆柳瀬尚紀『ジェイムズ・ジョイスの謎を解く』(岩波新書 '96)

 ユリシーズ第12挿話の<俺>が犬だからといってどんな謎が解けたというのだろうか。それとも実はとてつもない謎が解明されていたのに気付かなかっただけなのだろうか。生産性のない文章に接すると健康的な気分になる。

 

☆高木善之『地球大予測−選択可能な未来』(総合法令 '95)

 ごく常識的で退屈な理念が述べられているだけなのに、どこか深い。深いというより人を動かす力をもっている。不思議な本、というより不思議な人だ。

 

☆矢川澄子『おにいちゃん−回想の澁澤龍彦』(筑摩書房 '95)

 澁澤は「精神のありよう」の問題として名前の旧字体にこだわったと書いてあった。(彦の旧字体だけが出せない。)生きるスタイルと文体を持った人たちの名前がいっぱい出てくる。いい文章。

 

☆太田肇『個人尊重の組織論』(中公新書 '96)

 シニカルなイデオロギー暴露の「論」に満ちた良書。組織の中のホワイトカラー層に目指すべき自己イメージを与えてくれるが、決して柔ではない。

 

★1996.3

 

☆P.F.ドラッカー『非営利組織の経営−理論と実践』(上田惇正/田代正美・ダイヤモンド社 '91)

 ドラッカーは深い。賢慮の書。

 

☆澁澤龍彦『快楽主義の哲学』(文春文庫 '96)

 澁澤がカッパ・ブックスを書いていた。さすが稀代の文章家。

 

☆春山茂雄『脳内革命』(サンマーク出版 '95)

 超勉強法についで100万部以上の超ベストセラーを読んだ。

 

☆『能力開発<基礎編>』(能力開発センター '79)

☆『能力開発指針集』(能力開発センター '81)

 ソフィーの世界、脳内革命に続き、I氏から借りて眺めた。多数の凡庸な人間の経験から得た「エキスパート」システム。

 

☆藤本憲幸『自分の本を出しなさい』(文化創作出版 '96)

 引続きI氏から借りて。「ブックパワー」に少し心を動かされる。

 

☆地球の歩き方 旅マニュアル403『ヨーロッパ個人旅行マニュアル』(ダイヤモンド・ビッグ '94)

 オランダ、デンマーク、スウェーデンへ出張することになった。同シリーズから2冊、関連地域のガイドブックとマガジンハウスの「トラベル英会話」を書って読んでいる。

 

☆『現代思想 96.3』(青土社)

 実に久しぶりに購入した。特集は「カルチュラル・スタディーズ」。異文化を研究しつつ異文化という観念の根拠を問う。フーコー後の学の一つのあり方で、刺激的だが「ポジットする」潔さがあればもっと深くなるのではないか。と、一つ二つの論文と対談をつまみ食い的に読んだ感想。全編を読みきることはやはりできなかった。

 

☆柄谷行人『ヒューモアとしての唯物論』(筑摩書房 '93)

 実に久しぶりに柄谷を読んだ。

 

☆松尾弌之『大統領の英語』(講談社現代新書 '87)

 「超」勉強法の影響を受けて、英文の暗唱を始める。が、挫折。

 

☆柳瀬尚紀『フィネガン辛航紀−『フィネガンズ・ウエイク』を読むための本』(河出書房新社 '92)

 原書で読もうと思った(インターネットで原文を入手した)が、無謀。

 

★1996.4

 

☆船井幸雄『これから10年 愉しみの発見』(サンマーク出版 '95)

 元気になりたいと思って読んだ。すこし気が楽になる。

 

☆天外伺朗『未来を開く「あの世」の科学』(祥伝社 '96)

 前著の水増し版の印象。

 

☆司馬遼太郎『新史太閤記』上下(新潮文庫)

 これでは「司馬漬け」にならない。

 

☆パトリシア・コーンウエル『私刑』(相原真理子・講談社文庫)

 北欧への出張の間『エチカ』とともに鞄の中のお荷物になっていた。帰ってから読んだ。登場人物が躍動している。

 

☆ジョン・キャスティ『20世紀を動かした五つの大定理』(中村和幸・講談社 '96)

 知的刺激がない。

 

☆大沢在昌『雪蛍』(講談社 '96)

 酔えない。

 

★1996.5

 

☆野口悠紀夫『パソコン「超」仕事法』(講談社 '96)

 快感がない。

 

☆品川嘉也『右脳刺激で頭が驚くほど鋭くなる!』(三笠書房)

 言語的意識の介在なしに働くことが右脳本来のあり方なのだから、結局は体で考えるしかないということか。

 

☆多田富雄・中村桂子・養老孟司『「私」はなぜ存在するか 脳・免疫・ゲノム』(哲学書房 '94)

 かみ合っているようでどこかすれ違ってはいないか。

 

☆中島義道『「時間」を哲学する 過去はどこへ行ったのか』(講談社現代新書 '96)

 哲学している。

 

☆苧阪直行『意識とは何か』(岩波科学ライブラリー '96)

 何か違う。それが何だか分からない。

 

★1996.6

 

☆ポーラ・ゴズリング『逃げるアヒル』(山本俊子・ハヤカワミステリ文庫)

 殺し屋がやや非現実的な存在。しかしそれが気にならないほどヒロインとヒーローに肩入れしてしまう。

 

☆エド・マクベイン『白雪と赤バラ』(長野きよみ・ハヤカワミステリ文庫)

 1人称と3人称の叙述が混在しそれを問題視する人々もあったようだ。神話的な原型的な物語の文法に準拠した、怖いストーリー。

 

☆ジュール・ベルヌ『アドリア海の復讐』上下(金子博・集英社文庫)

 物語の実に気持ちのいい文体。

 

☆立花隆『インターネット探検』(講談社 '96)

 冷静さに欠けるところはないか。

 

☆永井均『<子ども>のための哲学』(講談社現代新書 '96)

 哲学している。

 

☆竹内薫・茂木健一郎『トンデモ科学の世界』(徳間書店 '95)

 意識科学の章が面白い。ペンローズを読むきっかけになる。