不連続な読書日記(2006.11)



【書評・感想】

●中沢新一『三位一体モデル TRINITY』(ほぼ日ブックス:2007.1.1)

《やってみなければわからない》
 中沢新一の聖霊論、三位一体論は『東方的』(1991)や『はじまりのレーニン』(1994)あたりからその姿を世にあらわし、『緑の資本論』 (2002)やカイエ・ソバージュ・シリーズ第3巻『愛と経済のロゴス』(2003)で頂点を極めた、あるいは(経済や性愛といった)新機軸を導入し新た な次元に突入したものと承知している。使い手、使いようによっては途方もない汎用性と深みと実践性をもった思考モデルとして、画期的な可能性をもつもので あると理解している。
 その中沢版三位一体論の入り口部分を、中沢自身が聴衆の前で語ったままに活字化し、30分で読めちゃえて持ち歩けるハンディでコンパクトなライブ思想書 にして使えるビジネス書にしたてたのが「ほぼ日」の糸井重里。「おもしろかったわ! この薄さがありがたいね。30分で読めちゃうものね。」と帯の惹句を 寄せているのがタモリ。
 なんだか前世紀の遺物、かつてニュー・アカとか言われた時代を髣髴させる底の浅いコンセプトだなあ、とか、いかにもTV的なお手軽さだなあ、とか、クオ リアに続いて三位一体もコマーシャリズムの餌食になったか、とか、いろいろなことが気になったけれど、挿画(赤瀬川原平)と装丁、写真、図版の配置や活字 の大きさ、等々の本の造りが気に入ったので速攻で買って30分かけて読んでみて「いいんじゃないの、これ」と思った。
 父と子と聖霊の三つの円の関係がポロメオの輪をなすことや、東方と西方のキリスト教会の分裂をもたらした三位一体の解釈をめぐるフィリオクエ論争のこ と、ラカンの現実界・想像界・象徴界との関係を踏まえた三つの項の相互関係など、三位一体モデルの理論面でのキモにあたる話題はいっさい省かれている。ま たたとえば、ホモ・サピエンスの脳にあふれる「増殖力=聖霊」とこれをコントロールする「幻想力=子」と「社会的な法=父」の三つの原理が「人類に普遍的 な思考模型」であるとして、では聖霊の増殖力や「神の子」を唯一神のなかに認めないイスラム教はその例外をなすのかといったあたりのことなど、中沢新一も 最後に書いているようにかなり説明不足の部分がある。
 でも、そういった理論的な細部にこだわらない荒削りで大胆なところ、読者の想像力、というか思考力に委ねた大雑把で穴だらけの叙述は、それこそ30分で 読めちゃう「ライブ感」にあふれていて、かえって読者にひらかれている。あ、この話はもっとしっかりと書かれたコクのある文章で読んでいて、だからもうと うに知っている。そんな風に思ってしまう読者(この本を読み始めたときの私のような)には、この本のよさはたぶんきっとわからない。
 帯の惹句はこう続いている。「「タモリ」ってものの「三位一体」の図を、考えたんだよ。みんな、やるんだろうね、そういうことを。」こういうノリが大切 なんだろうなと思う。実際に手と頭を使って三位一体の図を作ってみること。この本をもとにした「三位一体ゲーム」のような思考援助のツールだって、そのう ち商品化されるかもしれない。そうして99・9999%のゴミみたいな図の堆積のなかから、いつか奇跡のような未発の思考のかたちが立ち上がってくるかも しれない。これだけはやってみなければわからないではないか。


【読了】

●中沢新一『三位一体モデル TRINITY』(ほぼ日ブックス:2007.1.1)


【購入】

●堀田善衛『定家明月記私抄』(ちくま学芸文庫:1996.6.10/1986)【¥900】
●堀田善衛『定家明月記私抄 続篇』(ちくま学芸文庫:1996.6.10/1988)【¥1100】
●中沢新一『三位一体モデル TRINITY』(ほぼ日ブックス:2007.1.1)【¥1200】
●T・S・エリオット『文芸批評論』(矢本貞幹訳,岩波文庫:1938)【¥560】
●ダン・ロイド『マインド・クエスト──意識のミステリー』(谷徹・谷優訳,講談社:2006.11.10)【¥2381】


 【ブログ】


★11月1日(水):魂のかたち──「四人称世界」をめぐって(その1)

 最近、死をめぐる話題が私の脳髄をとりまいている。死の問題というよりは、不死性や死者の記憶(遺族の中に生きている死者の記憶のことではなく、文字通 りの意味での死者がもつ記憶)の問題というべきかもしれない。

 『エロコト』の対談で、中沢新一は「人間同士って一対一でコミュニケーションしているように見えますけれど、実はそこには必ず第三者が存在するんです。 それは実は死者なんですよ」と発言していた。
 『生きていることの科学』で郡司ペギオ−幸夫は、単なるモノとしての「死体」であることと悲しみと生前を身に纏った「遺体」であることとの矛盾・共立の うちに「一期一会の存在」(マテリアル=媒介生の存在)が感得されている、と語っていた。私はそこ(死体と遺体の〈あいだ〉)に「死者」が立ち上がってい ると考えた。マテリアルとは死者の身体(目に見える幽霊のかたち、あるいは魂と呼ばれる目に見えない物体も含めて)のようなものだ。
 内田樹は『死と身体』のどこかで「死んだ後の私と出会うこと」や「死者の体感に共感すること」や「死者の声を聞くこと」について書いていた。いま手元に 本がないのでうろ覚えで書くと、生体と死体の中間に死者という第三のカテゴリーが立ち上がる、この中間がないとコミュニケーションは成り立たない、中間と は媒介のことで、葬儀はミディアムだ、云々。
(ちなみに、『死と身体』に出てくる「時間感覚の錬磨」と『新しいデカルト』に書かれた「肉体のこと[感情]は肉体へ」という、ともに武術の極意にかかわ る言葉がいまのところ私の「よく生きるための技術」となっている。これらのことは剣士デカルトの「精神」の実質に深くかかわっているし、死をめぐる当面の 話題にも大きくかかわってくる。)
 篠原資明は『ベルクソン』で、デジャヴュ(既視感)をめぐる稲垣足穂の「宇宙的郷愁」──「「ひょっとしてこれから先に経験すること」のようだし、「あ たかも自分ではなく、他人の上に起こっていることではないか」などと思われたりする」(「美のはかなさ」)──に触れていた(180頁)。

 これらのことに触発されて、またデカルトの『省察』(一人称で書かれた哲学書)を読みこむうちに、私はかねてから考えていた「四人称」をめぐるひとつの 着想を得た。それは、四人称の世界とは死者たちの世界であるというものだ。
 私たち(一人称複数)+他者(死者たちもしくは神々のようなもの)=四人称。そんな等式がなりたつのかどうか。四人称の世界とは数学でいう複素空間のよ うなもの(実数としての一人称、二人称、三人称に虚数としての死者たちを組み込んだもの)である。そんな比喩がなりたつのかどうか。これらの等式や比喩が なりたつとすれば、四人称の世界は私たち(生者)の世界と通底している。もしくは組み込んでいる。その境界のひとつは、水面や鏡面、いま上映されている映 画のスクリーンやディスプレイである。そのようなことが言えるのかどうか。
 死者たちは四人称で語る。『アフターダーク』(村上春樹)の語り手たちが紡ぐ言葉──「肉体を離れ、実体をあとに残し、質量を持たない観念的な視点」と なって、あたかもカメラ・アイのように二つの世界(テレビ画面をはさんだあちら側とこちら側、無と実体、フィクションとリアリティ、死と生)を隔てる壁を 通り抜ける言葉──のように。

     ※
 昨夜読んだ『小説の誕生』のなかで保坂和志は、言葉の世界のなかでの不死性やカエルの記憶のかたちや「肉体は滅びるが文学(あるいは生命、その人)は滅 びない」といった話題をめぐって延々と書きつづけていた(6章「私の延長は私のようなかたちをしていない」)。それは、荒川修作の「例えば、自分に関係の ある近所の環境は私の延長であり、その延長は私のようなかたちをしていないけれども、同じ現象を歩むことが理解できれば、私といわれている肉体がこのまま 消えていったとしても、それほど恐怖に思わないでしょう。最終的に、肉体というものは自分の周りに違う環境によって物質的にも表現される」という発言(藤 井博巳との対談集『生命の建築』、水声社)に触発されたものだ。

《『季節の記憶』を書く以前に私は「肉体は滅びるけれど……」なんていうことをまともに考えたことがなかったけれど、書き終わったときに私は、文学の永遠 性の方は肯定も否定もせずに保留にしておくとして、肉体が滅びることへの乗り越えというか対策は何もないのかと考えるようになっていた。その結果が、『季 節の記憶』の七年後に完成した『カンバセイション・ピース』なのだが、それはともかくとして、書く前に考えたことがなくて書き終わったとき考えていたとい うことは、書いているあいだにその考えが醸成されていたということを意味している。
 つまり『季節の記憶』を書くことによって「肉体は滅びるけれど……」という考えがリアリティを持つようになった。もっと言えば、『季節の記憶』が「肉体 は滅びるけれど……」という考えにリアリティを吹き込んだ、ということになり、読者として渡辺さんは著者と同じように「肉体は滅びるけれど……」と考え た。》(204-205頁)

 渡辺さんというのは、有楽町の交差点で二十何年かぶりに出会った昔の友達(『季節の記憶』に登場する和歌山の蛯乃木のモデルになった保坂和志の友人T) に向かって、「T君……、あなた小説に出てたでしょう……?」「T君……、あなたの肉体はいずれ滅びるけれど……、ああして文学の中で、永遠に生きつづけ るんだねえ……」と語りかけた人のことだ。
 「あなた小説に出てたでしょう」という言い方は笑える(「あなた映画に出てたでしょう」とどこがどう違うのか、考えるとよくわからなくなるが)。それは ともかくとして、また、「書いているあいだにその考えが醸成されていた」というとき「その考え」を考えていたのはいったい誰なのか、そもそも考えるとはど ういうことなのか、それは一気にやってくる場合もあれば知らないうちに熟成されて後から気がつく場合もある、云々といった問題はともかくとして、ここで保 坂和志が考えているのは、「言葉が人間を人間たらしめているという意味での言葉の中に人間は住んでいるのだから、その言葉は近所と同じではないか」 (210頁)ということだ。
 「小説の中の言葉は世界を構成する要素のようなものとしてある」(186頁)。「そのような空間では、個体としての肉体は滅んだとしても、生命は空間の 中に生きつづけることになる」(184頁)。その空間は「カエルの記憶はカエルが辿る土地の形をしている」(210頁)といわれるときの「土地の形」のこ とだ。
 知覚をめぐるアフォーダンス理論の記憶ヴァージョンのようなことなのだろうか。記憶は空間(「近所」)に満ちている。あるいは、そもそも空間とは記憶の かたちのことである。「地上は思い出ならずや」(稲垣足穂「物質の将来」)というわけだ。
 ここで保坂和志が書いている「空間」とは小説が立ちあげる「世界」のことだ。小説を書いているとき、読んでいるときに立ちあがっている「世界」といって も同じことで、別の言い方では「現前性」という。現前性とは、霊媒師が死者の魂を呼び出すような事態のことだ。
 私はそれらのことを「四人称世界」という「概念」をつかって考えてみたいと思っている。音楽や映画、とりわけ製作現場と上映現場が技術の問題として乖離 せざるを得ない映画、記憶の残光と残響が織りなす映画体験のうちにその純粋形態を見ることができるのではないかと考えている。

《投げだされた映画は、スクリーンによって受けとめられ、観客の網膜に映り、複数のシステムの複合であるだろう「見るしくみ」によって、観客に届く。この 過程全体を映画と呼ぶならば、映画は実体としては存在しない。映画体験は、一回性を身にまとい、上映のつど誕生する。映画はつねに復活するほかない。》 (鈴木一誌『画面の誕生』98頁)

★11月2日(木):映画は死者を死なしめない──「四人称世界」をめぐって(その2)

 鈴木一誌の『画面の誕生』を机上に常備している。一節ずつ、毎日読みつづけている。それ以上は読まないことにしている。この書物を読み終えてしまう日が 来るのをなるべく先延ばしするために。
 一昨日、『小説の誕生』の6章を読んだちょうどその日、ゴダールの『映画史』をめぐる「透過体」という文章の9節にさしかかった。これはもうその全文を 引用し、永久保存しておきたい文章だった。
 「映画は、時間の面的な表象であるはずのコマ相互を重ね、透過し、位置の変化を読みとることで成りたつ」(105頁)という断片は、それだけで『映画 史』のみならず「運動体のない運動」をめぐるメルロ=ポンティの引用に始まる本書そのものを「縮約」さえしている。まだ全体の三分の一ほどしか読んではい ないが、そう断言しておく。
 また、「死者を前にしたときに感じるのは、一個の人間の単独な喪失であるよりかは、張力がみなぎっていたはずの広域な場の喪失、レイアウトの変化であ る」(106頁)という断片は、保坂和志が引用する荒川修作の「最終的に、肉体というものは自分の周りに違う環境によって物質的にも表現される」という発 言に接続される。「空間とは、つまり精神である。」(渡仲幸利『新しいデカルト』165頁)
 いや、これ以上何も書き加えず、前後の脈絡にもこだわらず、「白と黒」のタイトルが添えられた、このたかだか6頁にも満たない短い文章のそこかしこに結 晶のように鏤められた言葉を拾い集めておくことにしよう。
 それはナレーションの引用から始まる。

◎「つまり、20世紀の夜明けには、/こんなことが起こっていた。/テクノロジーは/生を複製することに決め、/そこで写真と映画が/発明された。」

◎さまざまな紆余曲折がありながらも結局、読者や観客は、写真と映画を「生の複製」として認めてきた。連続して動くことは、生命の独占物ではなくなった。 つまりは、生けるがごとくの「生の複製」である写真や映画は、「生命からそのアイデンティティ」を奪ったのだ。では逆に、人生が映画から奪ったままなのは 何か。「人生」にあって、「生の複製」にないものは、死ではないのか。

◎「実際、夢のなかでは映像がこのようなことをするようにみえることもある。なぜなら、最初の映像が消えて次に違う映像が別の場所に生ずると先の人物が姿 勢を変えたように見えるのだから。」

◎『ゴダール 映画史 テクスト』によれば、これはルクレーティウス『万物の本性について』からの引用であり、「このようなこと」とは、「死者が夢の中で 動き回ったり手足を動かしたりすること」を指す。ちがう映像同士が連合して動きをつくりだすことが語られている。ルクレーティウスは、「あらゆる種類の映 像が至る処に浮遊している」(『物の本質について』樋口勝彦訳、一九六一年、岩波文庫)として、夢のなかでは、生者と死者の区別がつかないと述べている。

◎写真の静止した時間は、映画の動きによって喚起された、と言えよう。写真の静止性が、映画に動きや音声、さらに色彩をとり込ませ、「生の複製」性を高め させたとも考えられる。
 われわれの時間意識が、時の層が刻々とスライス状に累積することとしてあるならば、そのイメージは写真によって形成されている。写真を見るものは、見て いる自分の現在との時間差を写真の膜面に認める。写真は、その表面にかつての光を保存しているが、光線の記録がそこにあるということが、親しみやすさにで はなく、絶対的な時間差として見る者を包囲する。写真の表層は、遠さへと向かう。写真は、死者の圏域にあるメディアであるのかもしれない。写真は死者を死 なしめ、映画は死者を死なしめない、これが実感に近い。写真と映画ふたつのメディアのちがいであるように思われる。
 いっぽう映画は、時間の面的な表象であるはずのコマ相互を重ね、透過し、位置の変化を読みとることで成りたつ。面と面は接近しようとし、密着した結果の たがいのずれが見られる。そのずれが視覚に運動を発生させるのだが、コマの記憶としては見る者に残らない。面であることは観客のうちに吸収されてしまう。
 生者と死者の区別がつかない点で、映画は夢と通底する。(略)ただ、夢のなかであれほどなまなましくふるまっていた死者は、まどろみから覚めれば霧散し ている。夢から覚めた瞬間、感じるのは場の変更である。夢のなかではすべてが死者なのだ、と書き手は目覚めながら言うこともできる。

◎きのうまで人や物と緊密な関係の網目を維持してきたひとが、いまはひとりで横たわっている。実際、死者を前にしたときに感じるのは、一個の人間の単独な 喪失であるよりかは、張力がみなぎっていたはずの広域な場の喪失、レイアウトの変化である。
 現実は死とともにあり、その死に遠近法はない。しかしわれわれは世界にグリッドをあてがいながら生きている。グリッドは死を埒外のものと前提し、死者の 出現によって、その人為的な格子の危うさが照らされ、遠近法が揺らぐが、またなにごともなかったかのように生という面は均衡をとり戻す。死は、面ですらな いのだろうが、生を批評する面、生の裏側にある面だと考えるほかない。われわれはその生と死の差分を生き、同時に、生と夢を往還する。いたるところに、生 と「生の複製」の差分がある。

★11月3日(金):これは誰のわたしなのか──「四人称世界」をめぐって(その3)

 「透過体──ジャン=リュック・ゴダール『映画史』」(鈴木一誌『画面の誕生』)の7節「モアレ」からの切り取り。

◎連続映像は、滲みの集積なのだ。映画においてあらゆるものは動いている。動かないレーニンの死体も、送られつづけるフィルムが明暗を維持し、その暗部で は乳剤や傷が乱舞しているのが見える。
 だが、コマ間の差分が感知されるからといって、減算されて差異のみが抽出されるわけではない。透過体として見られる二枚のコマは一枚に溶けあうのではな く、二枚のまま近づき遠ざかる。コマが重なり、その重なりを映像的な肉体としながら、重なりきらない滲みが運動を湧出させる。

◎モンタージュも、ちがったものが透過され、滲みが感知されることの一環であるだろう。落差が連続的には繋がらないとき、視線はモンタージュを受けいれよ うと身がまえる。コマとコマが連続することが予定調和として約束されているだけならば、観客はモンタージュ効果に乗りながら映画とともに走ってはいけない だろう。『映画史』は、透過体であることで、映画の歴史を現前させるとともに、ひとコマのできごとを、四時間を超える長さに延長させて見せている。

 私はかつて「伝導体」という語彙でもって映画や文学をめぐる体験のことを考えたことがある(「キルケゴールの伝導体」[http: //www17.plala.or.jp/orion-n/ESSAY/TETUGAKU/31.html]、『ポリロゴス2』所収)。この「概念」をふ るいにかけて精錬し「透過体」と重ねあわせていけば、もしかすると「四人称世界論序説」なるものを仕立てあげることができるかもしれない。

     ※
 もう一冊の映画本、加藤幹郎『『ブレードランナー』論序説』(13-7-1「超時間的存在」)からの切り出し。

 「突如、巨大な眼の超クローズアップがあらわれる。その丸い碧[あお]い瞳には直前のショットの映像内容(夜空を焦がす炎と街の灯)らしきものが映って いる。(略)ということは、ここで天下を睥睨する特権をもったなんらかの主人公が導入されたはずである。」(7-8頁)
 その「主人公」が誰であるか、すなわち「これは誰の眼なのか」(Whose eye is this?)は、ブレードランナー・デッカードとレプリカント・ロイの対決の後で明かされる。ロイはデッカードに向かって「わたしは[この眼で]おまえた ち人間が信じられないようなものを見てきた」と語りかける。「このときクローズアップでとらえられたロイの瞳が碧いことは、もはや誰の眼にも明らかであ る。」(160頁)

◎しかしながら、この問い[これは誰の眼なのか]がこの映画の短くない上映時間の内に、もうひとつ別の問い「これは誰のわたしなのか」(Whose I is this?)へと鋳直されていたことは、人間論的物語に鋭敏な観客の眼にはすでに明らかなことであろう。

 それでは、いまやロイのものであることが明らかとなった、映画冒頭で超クローズアップによって切り取られていたあの「碧い瞳」はいったい何を見ていたの か。「その瞳がみつめてていたものは、ロサンジェルスの夜景というよりも、大宇宙そのものではなかったか。」(161頁)

◎そのような解釈が受け容れられる余地は古典的ハリウッド映画たる『ブレードランナー』にはほとんどないだろう。にもかかわらず、それはやはり比喩的には ありうることである。なぜなら「謎」の碧い瞳があらわれるとき、その瞳の主は映画のどこにも位置づけられて(主体化されて)いなかったからである。それゆ えそれはどこにでも位置づけうるものとなる。映画は、そのミディアムとしての特権を、つねにこの主体ポジショニングの遍在生と超時間性にもってきた。テク ストの自己展開、映画の運動と情動のプロセスとは結局のところ、そうした迂回以外のなにものでもないだろう。

◎そのときあの碧い瞳は三つの時制にまたがる超時間的存在となりおおせていた。その瞳は、それがあらわれた時点における過去のある瞬間(ロイが「大宇宙の 星座の片隅で爆発炎上する宇宙船」を見た瞬間)へのフラッシュバックであり、同時に、現在の瞬間(地球に降り立ったロイがロサンジェルスの冥府的夜景を見 た瞬間)の描出であり、さらにこの最期の瞬間(ロイが永遠に眼を閉じるまえに「わたしは[この眼で]おまえたち人間が信じられないようなものを見てきた」 と語る瞬間)へのフラッシュフォワードでもある。

★11月6日(月):考えているのは誰なのか──「四人称世界」をめぐって(その4)

 なにごとかを考えているとき、私は四人称で考えている。つまり死者たちと会話している。
     ※
 死者たちの世界はいまここにある世界と通底している。それは言葉、書物、映像、音楽、その他のメディアを透過して、いまここにある世界に到来する。考え ているとき、私は「死んだ後の私」となって四人称の世界に参入している。
     ※
 考えていることと、何者かたとえば社会によって考えさせられていることとは区別ができない。私の脳を使って他者が思考を吹き込んでいることとの区別がつ かない。考えさせられている、思考を吹き込まれていると実感するとき、私は壊れている。
     ※
 それでは考えているのは誰なのだろう。それは自然である。自然が考えているのではない、考えていることが自然なのだ。考えていることが存在していること であり、自然とはそのような存在なのである。それをデカルトは神と呼んだ。
     ※
 自然は考える。自然は推論する。自然は観測する。自然は計算する。自然は数学をする。自然は進化する。これらは同じ一つのことを指している。「世界は、 神が計算しているあいだに、「できあがってくる」」(ドゥルーズ『差異と反復』333頁)。
     ※
 それにしてもなぜ私は「思考するのは誰なのか」と問うのだろうか。「何なのか」と問わないのはなぜだろう。あるいは次のように問うべきなのだろうか。 「これは誰のわたしなのか(Whose I is this?)」(加藤幹郎『『ブレードランナー』論序説』161頁)と。
     ※
 私の思考とその対象とは、より大きな存在のふたつの異なるあらわれである。「われわれが何かを理解しようと試みるとき──何かを探求しようとするとき ──、そこには必ず、探求の対象自体が、われわれが使用する論理と多少の相違はあっても、基本的には同一の論理に従っているという想定が前提されている」 (パース『連続性の哲学』254頁、岩波文庫)。
     ※
 私の思考はより大きなものの思考の一部としてある。「デカルトにおいては、「愛」とは、自分がその一部であると考えられる全体に対してみずからの意志で 合体しようとすることだと考えられる」(小林道夫『デカルト入門』191頁)。
     ※
 ベルクソンは存在を三つに分割した。「実際、何も存在しないことがありうる、ということを暗黙のうちにも認めないようにするならば、何かが──物質、精 神、神が──存在することに、誰も決して驚いたりはしないだろう」(『記憶と生』「12 さまざまな偽の問題の批判」、『思想と動くもの』)。
 神についてベルクソンは「神々を生みだす機械という宇宙の本質的な機能」(『道徳と宗教の二源泉』)という言葉を残している。「エラン・ヴィタールが神 々へとつながるとき、それはエラン・ダムール(愛のエラン)と呼ばれるだろう」(篠原資明『ベルクソン』133頁)。
     ※
 またベルクソンは「完全な神秘主義とは、行動であり、創造であり、愛でなくてはなるまい」(『道徳と宗教の二源泉』)という言葉を残している。「ベルク ソンの語る神秘家とは、なによりも行動の人なのである」(『ベルクソン』132頁)。
     ※
 デカルトはなによりも行動の人であった。考える「「わたし」とは、行為のなかにしかない」(渡仲幸利『新しいデカルト』185頁)。
     ※
 考えているのは私の身体である。そんなことはわかりきっている。なぜなら脳は身体なのだから。私の身体が考えているのではない。考えていること、すなわ ち行動していることのうちに身体が存在するのである。
     ※
 私は歩く。歩行することにおいて私は考えている。「歩くことは、しあわせになるための第一歩なのである」(『新しいデカルト』235頁)。
     ※
 四人称で考えること。世界という大きな書物を朗読すること。ベルクソンは『思想と動くもの』の「序論」で次のように述べている。「いま規定したような読 書法[リズムに配慮した朗読法]と、哲学者にすすめる直観とのあいだには、一種の類比がある。直観は、世界という大きな書物から選んだ頁のなかに、創作の 動きとリズムを見出し、共感によって身を置き入れることで、創造的進化を生きなおそうとするだろう」。
 四人称で考えること。創造的進化を生きなおすこと。篠原氏はベルクソンの引用につづけて次のように書いている。「だからこそ、哲学的著作においても、リ ズムの重要性は基本的に変わらない。実際に、コレージュ・ド・フランスの講義において、自らデカルトの『方法叙説』を朗読しつつ、リズムから思考をたどり 直してみせたことを、ベルクソンは同じ「序論」の註にしるしている。」(『ベルクソン』142頁)。
 四人称で考えること。リズムから思考をたどり直すこと。剣術の稽古をつづけること。
     ※
 こうして私の思考のうちに他者の言葉が浸透していく。むしろ他者の言葉、死者たちの語らいが私の思考である。私が他者(死者たち)の著書と深く交わると き、その書物は私の著書になる。それが四人称で考えるということにほかならない。

★11月7日(火):『ルネ 青白い肌の少年』

 これはまだ世にあらわれていない書物の話である。
 小林道夫著『デカルト入門』(ちくま新書)を読みながら、『ルネ 青白い肌の少年──あるいは「死せるデカルト」の生涯と思索をめぐるセブン・ストー リーズ』に思いをめぐらせた。以下、ノートに書きつけたものから精粗バラバラのまま転記しておく。このほかにも「永遠真理創造説」や「渦動説」等々を素材 にしたものをいくつか考えているのだが、それらは続編(『デカルト──可能世界と生きる歓び』とでも?)にまわす。
 いつか完成された姿(ボルヘスやカフカやチェーホフや足穂やらのテイストで綴られた短編小説集!)をあらわす日が来るかもしれないし、ついに訪れないか もしれない。たぶんその日が来ることはない。

1.真空をめぐる対話
 1647年9月23日とその翌日、定住先のオランダからフランスに一時帰国したデカルトはパスカルを訪ねた。そのとき「真空」のことが話題になったと後 の書簡にしたためている。
 デカルトは真空の存在を認めない。物質とは延長すなわち空間であり、物質は無限に分割される。そのような(物質と一体の)ものとして神は幾何学的空間を 創造した(永遠真理創造説)。一方、パスカルは実験によって真空の存在を検証したとされるが、その「厳密な科学実験」はいずれも文学的作品であり思考実験 であった(小柳公代『パスカルの隠し絵』)。「その早熟な自我によってパスカルは、思考が空虚[真空]すなわち容器のえぐりとられた部分を包みこむという ことを経験したように思われる。」(ディディエ・アンジュー「パスカルにおける真空の概念の誕生」)
 デカルトとパスカルの二日間の対話は「真空」をめぐる実験の話題に始まり、幼年期のこと(母親から空咳と青白い肌を受けついだデカルト、母親の身籠もっ た腹に空虚化への恐怖を募らせたパスカル)、そして二人が死んだ後の世界のことにまで及ぶ。死者たちの世界(四人称の世界)に住まう二人の対話は、生きて いる者たちの世界における物質を介して、すなわちそれぞれが書き残した書物を通じて交わされることになるだろう。

2.朝寝をする少年
 デカルトは若死にを宣告された少年だった。「ヨーロッパで最も有名な学校の一つ」ラ・フレーシュ学院でも、病弱なデカルトは特別に個室を与えられ朝寝を 許された。この朝寝の習慣は晩年まで、スウェーデン宮殿で朝5時からの進講を余儀なくされるまで続いた。朝の光にくるまれた眠りの中で、少年デカルトはど のような夢を見ていたのだろうか。
 失われた手記『オリンピカ』のなかでデカルトは、「私は一六一九年十一月十日、霊感に満たされ、驚くべき学問の基礎をみいだしつつあったとき」に一晩で 三つの夢を次々にみたと記している。最初の夢では亡霊に脅かされ、渦巻きに巻き込まれた。次の夢では電光の一撃に打たれ、我に返ると部屋は閃光に満ちてい た。第三の夢には辞書(百科全書)が現われ、ローマの詩人アウソニウスの詩句が登場したという(36-37頁)。
 肺炎で亡くなった1650年2月11日、デカルトが最期に見た夢は?

3.書簡#61
 「非物体的な魂がいかにして身体を動かしうるのか」。エリザベト王女のこの問いかけからデカルトとの文通が始まった。二人の往復書簡で現存するものは 60通である。もしデカルトからエリザベトに宛てた61番目の書簡が残存していたとしたら? しかもそれは死せるデカルト、つまり情念から解き放たれた精 神によって書かれたもの(身体なき者のための情念論)であったとしたら?
 心身合一は「原始的概念」である。それは形而上学的概念や科学的概念によって知性的に理解できるものではなく、その合体を「身をもって」体得するほかは ない(184頁)。デカルトはそう主張した。そうだとすると、身体なき者(死者)にとっての心身合一とは?

4.新年の贈り物
 成年に達したデカルト(生来の空咳と青白い顔色は直っていた)は「世界という大きな書物」に眼を転じ、志願兵として軍事学校に入った。その年、自然学者 イサーク・ベークマンと知り合う。彼は「ほとんど独力で自然学と数学とを結合しようという企てを行っていた」(31頁)。このベークマンにデカルトは、新 年の贈り物として『音楽提要』を捧げた。
 音楽の目的は快である。われわれのうちにさまざまな情念をひきおこすことである。後の『情念論』につながるこの若書きの書物のうちに、デカルトが仕掛け たものとは? 究極のデカルト・マシン(プレジャー・マシン)の製造法、暗号で語られる神の言葉の解読装置?

5.真理の探究
 デカルトの未完の著作に『真理の探究』がある。おそらくスウェーデン移住後のもので、デカルトにはめずらしく対話形式で書かれていたという。この「私の 本質規定」(私は考えるものである)のところで終わった著作の構想は「遠大なもの」であったという(『デカルト入門』88頁)。
 もしこの著作が密かに完成されていたとしたら? 死後のデカルトによって完成させられていたとしたら? しかもそこでデカルト以前以後を問わずだれもが 到達できなかった思考の高みと深みに達していたとしたら(なにしろそれは死者による思考なのだから)? 
 デカルトの『世界論』は死後に出版された。ガリレオ裁判の結果を知り、生前の刊行を断念したからであるという。生前書かれた書物の死後における出版では なく、字義通りの死後出版、すなわち死者によって書かれた書物が出版されたとしたら(死者からの電話のように)?

6.剣術の稽古
 「修行と冒険と諸国遍歴の時期」(12頁)にあったデカルトに二つの武勇伝がある。追いはぎを屈服させたこと。「真理の美に匹敵する美はまったくみあた らない」デュ・ロゼー婦人をめぐる恋敵との決闘。おそらくこの時期、デカルトは後に散逸する論考『剣術』を書いたという(58頁)。その後オランダに隠棲 し、「新哲学」思索と著作にふけっていたあいだも剣術の訓練はつづけていたという(184頁)。兵士デカルト(小泉義之)ならぬ剣士デカルト。「死を恐れ ず生を愛すること。」

7.第七省察
 六日間におよぶ「一生に一度」の大事業をなし終えて、デカルトも休息の七日目を迎えたのだろうか。いや『省察』は安息日から始まっっている。「幸いにも 今日、私はあらゆる気遣いから心を解き放ち、穏やかな余暇を得てひとり隠れ住んでいるので…」(第一省察)。神の天地創造に対して、デカルトの六日間をな んと名づけるべきだろう。身体の復活? 死からの再生? 臨死体験者の(対外離脱からの)帰還?
 いままた死者となり、永遠に休らうデカルトによってなされた(第四人称による)最後の省察。欺く神、悪霊の立場から「私は無い」という命題にいたる逆し まの万物創造? 精神(魂)の不死ならぬ不在の証明(無からの創造の逆コース)? 祈り(信仰)から呪い(呪術)へ?

★11月8日(水):デカルト的二元論(1)──ある形而上学的探偵物語

 11月3日に書いたこと[http://d.hatena.ne.jp/orion-n/20061103]の続き。
 「これは誰のわたしなのか。」加藤幹郎氏のこの言葉は、それが使われた前後の文脈を抜きに単独でとりだしてみると、ずいぶん「使い勝手」がいいものにな る。デカルト『省察』の二日目にでてくる「私は在る、私は存在する」の「私」とはそもそもいったい誰の「私」なのか、といったぐあいに。おなじく加藤氏の 言葉を借りるならば、以後のデカルトの省察は、この問いを傍目にみながら進められる「形而上学的探偵物語」である。
 ところが『『ブレードランナー』論序説』(13-7-2「宇宙的孤独と宇宙的拡張」)にちょっと困った文章がでてきた。

《少なからぬ批評家たちが冒頭の謎の瞳をロイ以外の人物(ホールデンやレオンやデッカードやタイレルなど)に帰してきたが、それはこの映画がどっちつかず の複数の意味を許容しているということではない。そうした複数の別解がありうるのは、この映画が観客を迂路に導く迷宮テクストだからだというよりも、そも そも『ブレードランナー』が自己同一性(単一解答の存在根拠)という概念そのものを疑義にふす映画だからである。さらにこの形而上学的探偵物語において、 一個の存在者はひとつの時間にひとつの場所にしか存在しないというアリバイ原理そのものが破棄される。この映画全般にわたってロイは大都市の夜景を見てい ると同時に、大宇宙の星辰を見つめている。レプリカントが人間になろうとする存在者であるかぎりにおいて、ロイは同時に「こことよそ」に所在する者であ る。彼は、その瞳に映じていたはずの星辰同様、無限に拡がる者である。古典的ハリウッド映画が登場人物の心理的、時空間的同一性を保守するシステムだとす れば、この瞬間、たしかに『ブレードランナー』はみずから古典的たることにひびを入れている。この映画がポストモダン映画たるとすれば、それはただこの亀 裂の瞬間たるをおいてほかにない(「近代[モダン]」の端緒が意識の表象たる「我思う[コギト]」主体と客体とのデカルト的二元論にあるとすれば、この映 画のポストモダンたるゆえんは、こうした二元論の終焉にある)。》(162-163頁)

 困った文章というのは、引用文の最後にでてくる「意識の表象たる「我思う[コギト]」主体と客体とのデカルト的二元論」という箇所、とりわけ「意識の表 象たるコギト」の部分である。(「意識の表象たる」が「客体」をも形容しているのだとすれば、それはそれでまた別の問題を提起するが。)
 「私は在る、私は存在する」の「私」が「意識の表象」にほかならないものであって、そこから心身、主客の二元論が生まれ、あまつさえ近代が始まったなど というお話は、まさにそのようなまことしやかな「お話」をでっちあげるのが近代という時代の正体だったのだというアイロニーとしか受けとることができな い。実地に『省察』を読んだことがある人だったら、とてもそんなことは言えないと思う。(「デカルト的」二元論であって「デカルトの」二元論ではないとい う救いはあるが、それにしてもどうしてそれが「デカルト的」なのか。)
 こういう文章をみつけたとたんに、『『ブレードランナー』論序説』の全体が児戯に等しい底の浅い議論(括弧付きで「ポストモダン」な?)を延々と繰り出 すどうしようもない書物になりかねない。「これは誰のわたしなのか」やこの問いをめぐる「形而上学的探偵物語」でさえ、単なる駄洒落や言葉遊びの境涯に転 落してしまいかねない。これ(「デカルト的二元論」狩り)は私の悪い癖だ。

★11月9日(木):デカルト的二元論(2)──「デカルト的二元論」狩り

 そもそも『省察』を読むきっかけになったのは、河野哲也『〈心〉はからだの外にある』のデカルト批判に躓いたからだ。
 そこでいわれていること、たとえば「「私はある」という命題は発話されなければならず、したがって、その「私」は話す者でなければならない」(48頁) や、「デカルトのコギトは、発話できるという条件、すなわち、発話能力と言語の獲得に依存していた」(頁)、そしてデカルトのいう「自己意識の概念のなか には、ある言語を話すこと[とりわけ「フランス語によって自分の状態について報告できる」ということ:引用者註]をもって自分たちと同種と見なすという特 定の社会的・政治的スタンスが込められている」(61頁)といった指摘は、それはそれで別の面白い問題を提起するものだと思う。
(かどうかは実際にやってみないと分からない。これは余談だが、昔ある人が「言語システムと社会システムはどちらが先なんでしょうね」とつぶやいたのがい まだに心に残っている。ほんとうにどちらが先なのだろう。どちらが先かという問いの立てかた自体がおかしくはないのだろうか。そこに「心的システム」や 「物的システム」という第三、第四のものを投げ入れるとどうなるのだろう。)
 しかし、デカルト的自己すなわち「知る自己の働きは環境のなかに書き込まれているのであり、透明な幽霊のような心的機能などありえない」(60頁)や、 「デカルト的な発想、すなわち、身体的行動やふるまいとは独立の「内的意識」なるもの」(117頁)といったところに顔をだすデカルト批判への違和感はど うしてもぬぐえない。そのせいかどうか、この魅力的な本をいまだに読み終えらない。
 それどころか、「デカルト的発想を覆す」とカバー裏に謳い文句が印刷されている本書の内容全体(「知る自己」に対する「エコロジカルな私」の概念の提 唱)を、「デカルト的発想」そのものから導き出すことがきるのではないかとさえ私は思いはじめている(全体を読んでもいないのに)。そう思うのなら実地に やってみせてくれと言われても困るが。

 「知る」ことと「考える」こととは違う…。「知る」ことつまり認識することは「歩く」ことと同じ次元の話で、それは身体の領分、河野氏が「我思う、ゆえ に我あり」に対抗する原理として提示した「私は死ぬ」の領分にかかわることだ…。それに対してデカルトが「私とはただ考えるもの res cogitans でしかない。言いかえれば精神、すなわち魂、すなわち知性、すなわち理性である」(第二省察、山田弘明訳)というときの「精神」は、心身の二分とはいささ かの関係も持たない…。
 まさしく「透明な幽霊のような心的機能などありえない」のであって、デカルトの「精神」は「心的機能」(それはデカルト的発想では身体の領分、というよ り心身合一という「原始的概念」の領分に属する)のことではない…。それ、すなわち「透明な幽霊のような」ものとは死者(死体ではない)のようなもの、あ るいは「死者のようなもの」という言葉のうちにその存在の住処が示されているもののことだ…。
 なにかの書物、たとえば『聖書』を読んで、それがほんとうにあった出来事かどうかは別として言葉で伝えられた「お話」としてこれを受けとるのと、そこに 書かれた言葉のうちにある根源的な経験が立ち上がっていて、それを読むことが「いまここで」その経験のうちに身も心もまきこまれていくことであるものとし て受けとるのとではまるで体験の質が違うが、デカルトの「精神」は、つまり「考える」ということはそのような「透明な幽霊のような」ものとなって「お話」 を生きることなのだ…。そもそもそうした意味での言葉が立ち上がる現場に「精神」は住まいしているのであって、それに対して「世界という大きな書物」はま さにアフォーダンス理論そのもので…。

 もうやめよう。生煮えの言葉をいくら連ねても混乱するばかりだ。とにかく、私の悪癖(「デカルト的二元論」狩り)は時と場所を選ばない。

     ※
 この悪癖がいつ頃から始まったのかと考えていて、柄谷行人『探究U』の文章を思い出した。これは以前書いた「デカルトが始めたこと」[http: //www17.plala.or.jp/orion-n/ESSAY/TETUGAKU/6.html]でも冒頭に引用した。

《われわれは、デカルトと、彼とともにはじまるといわれる近代哲学の構え(精神と身体、主観と客観)に対する各種の批判を幾度もきいている。しかし、その ほとんどはデカルトと無縁である。たとえば、精神と身体の二元論などは、デカルト以前からあるだけでなく、日常の思考(言語表現)にある。それをデカルト のせいにするのは的はずれである。というのは、デカルトにとって、その種の二元論を拒否することにこそ「精神」があるからだ。》

★11月17日(金):『定家明月記私抄』

 デカルト談義はちょっと休憩。
 先日、夢のなかで藤原定家の『明月記』が出てきた。『明月記』が出てきたとはおかしな言い方だが、この高名な、しかしこれまで見向きもしなかった書物を いちど読んでみたいとか読まねばならないといった思い、というのではなくて、『明月記』にふれてみることで何かしらこれまでにない展望がひらけるのではな いかという予感めいた思いが夢のなかに浮かび上がった。
 それがだれの思いだったか、あるいは誰かからのお告げのようなものだったかが朦朧としていて、はたしてそれは夢だったかどうかさえも怪しい。ましてや、 難解で知られる『明月記』をいきなり繙いてもとても歯が立たない、たしか堀田善衛に『明月記』を題材にした作品があってちくま学芸文庫に入っているはずだ からそれを読めばいい、などという思いがこれに続いたのだから、それはやはり夢のなかの出来事ではなくて、なにか考え事をしていた時に白日夢のごとく胸中 にふと去来した思いだったのだろう。
 そういうわけで、さっそく書店めぐりを敢行、『定家明月記私抄』正続二篇を入手した。松岡正剛千夜千冊の第十七夜[http: //www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0017.html]にとりあげられていて、その冒頭に「こんなに先を読みすすむのが 惜しく、できるかぎり淡々とゆっくりと味わいをたのしみたいと思えた本にめぐり会ったのは久々のことだった。「惜読」などという言葉はないだろうが、そう いう気分の本である。どうしたらゆっくり読めるだろうかと懸念したくらいに、丹念で高潔なのだ。」と記してある。まだほんの数頁を読んだばかりだが、たぶ んこれとよく似た感慨をいだくことになるだろうと思う。
 同じちくま学芸文庫の『完本 風狂始末──芭蕉連句評釈』(安東次男)や岩波文庫の『郷愁の詩人 与謝蕪村』(萩原朔太郎)、小学館から出ている『日本古典文学全集』の「歌論集」や「連歌論集 能楽論集 俳論集」等々の「惜読」本(後半の二冊は眺めてすごす積ん読本か)の仲間が増えそうで、ということは『定家明月記私抄』もまたいつか息切れしてしまうかも しれない。
 でも、ざっと眺めただけでも、正篇序文の「雪さえて峯の初雪ふりぬれば有明のほかに月ぞ残れる」をめぐる「二つの傾斜」の告白(「それは高度きわまりな い一つの文化である」という驚嘆と「だからどうだと言うのであろう」という虚無感)や、続篇序文の日欧中世文化並行説の提示は、なにか途方もなく深甚な世 界を告げる序曲のようで、読んでいて興奮させられる。この興奮がしだいに醒め、氷のように冷え冷えとした「艶」の域に達するか、それとも夢幻のごとく溶け て流れてしまうか。

     ※
 「雪さえて…」のことは千夜千冊でもとりあげられている。「堀田善衛が言いたかったことは、たんに一作品一文化を例外的に定家がなしえているなどという ことではなく、定家は詠んだ歌をもって文化を残すにもかかわらず、その定家はその歌から平気に遠のいていること、そのことに定家の前に残されたわれわれは 驚嘆しているということなのだ。」
 あらためて松岡正剛さんのすごさに感じ入った。この後に続く定家論が実に素晴らしかったので、そのさわりだけペースしておく。(松岡正剛の定家論は素晴 らしい、そんな評言をくりだすだけの研鑽をつんでいるわけではないが。)

《第一に、リアルな出来事やリアルな感情の数々をあまり出さないで、できればたったひとつの景色だけを歌にのこして、その歌の場から去っていこうと考え た。(略)
 第二の指摘になるが、定家はいわばリアルなものを負の領域にもちこんで、その場をヴァーチャルな雰囲気に変え、それでいて一点のリアルを残しつつ、その 場のリアル=ヴァーチャルな「関係」だけを残響させるという方法をつくろうとしたのではないかということだ。(略)
 そこで第三に、定家は言葉をつかうにあたって、実在を指し示す言葉や不在を指し示す言葉では満足できずに、言葉そのものを実在とも不在ともするような詠 み方に進んでいった。
 これをさしずめ「言葉から出て言葉へ出る」と言うといいのかもしれない。念のため、言葉に出るのではなく、言葉へ出た。》

 第十七夜から第千八十九夜[http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1089.html]にリンクが張ってあっ た。冒頭「颯爽たる一冊だった。」と記されているのは尼ヶ崎彬の『花鳥の使』(勁草書房)で、いまは『花鳥の使 歌の道の詩学1』と『縁の美学 歌の道の 詩学2』の二冊本になっている。これは未読。
「心敬の『ささめごと』はいずれ「千夜千冊」に入れようとおもいつつ、ついついその機会を逸してきた絶品の書であって、それゆえぼくとしてはつい口を極め たくなるのだが、ここでは静かに著者とともに心敬を味わうにとどめたい。」
 そんな文章がでてくる。そういえば、古本屋をめぐって『日本古典文学全集』の二冊を入手したのは、『ささめごと』が読みたかったからだ。定家と心敬。こ の二人のことが「歌の道の詩学1」で主題的にとりあげられているらしい。さっそく次の休み、書店めぐりを敢行することになりそう。

★11月18日(土):『三位一体モデル』

 堀田善衛の『定家明月記私抄』正続二篇を買い求めたちょうど同じ日に、中沢新一『三位一体モデル TRINITY』(ほぼ日ブックス)を購入した。
 中沢新一の聖霊論、三位一体論は『東方的』(1991)や『はじまりのレーニン』(1994)あたりからその姿を世にあらわし、『緑の資本論』 (2002)やカイエ・ソバージュ・シリーズ第3巻『愛と経済のロゴス』(2003)で頂点を極めた、あるいは(経済や性愛といった)新機軸を導入し新た な次元に突入したものと承知している。使い手、使いようによっては途方もない汎用性と深みと実践性をもった思考モデルとして、画期的な可能性をもつもので あると理解している。
 その中沢版三位一体論の入り口部分を、中沢自身が聴衆の前で語ったままに活字化し、30分で読めちゃえて持ち歩けるハンディでコンパクトなライブ思想書 にして使えるビジネス書にしたてたのが「ほぼ日」の糸井重里。「おもしろかったわ! この薄さがありがたいね。30分で読めちゃうものね。」と帯の惹句を 寄せているのがタモリ。
 なんだか前世紀の遺物、かつてニュー・アカとか言われた時代を髣髴させる底の浅いコンセプトだなあ、とか、いかにもTV的なお手軽さだなあ、とか、クオ リアに続いて三位一体もコマーシャリズムの餌食になったか、とか、いろいろなことが気になったけれど、挿画(赤瀬川原平)と装丁、写真、図版の配置や活字 の大きさ、等々の本の造りが気に入ったので速攻で買って30分かけて読んでみて「いいんじゃないの、これ」と思った。
 父と子と聖霊の三つの円の関係がポロメオの輪をなすことや、東方と西方のキリスト教会の分裂をもたらした三位一体の解釈をめぐるフィリオクエ論争のこ と、ラカンの現実界・想像界・象徴界との関係を踏まえた三つの項の相互関係など、三位一体モデルの理論面でのキモにあたる話題はいっさい省かれている。ま たたとえば、ホモ・サピエンスの脳にあふれる「増殖力=聖霊」とこれをコントロールする「幻想力=子」と「社会的な法=父」の三つの原理が「人類に普遍的 な思考模型」であるとして、では聖霊の増殖力や「神の子」を唯一神のなかに認めないイスラム教はその例外をなすのかといったあたりのことなど、中沢新一も 最後に書いているようにかなり説明不足の部分がある。
 でも、そういった理論的な細部にこだわらない荒削りで大胆なところ、読者の想像力、というか思考力に委ねた大雑把で穴だらけの叙述は、それこそ30分で 読めちゃう「ライブ感」にあふれていて、かえって読者にひらかれている。あ、この話はもっとしっかりと書かれたコクのある文章で読んでいて、だからもうと うに知っている。そんな風に思ってしまう読者(この本を読み始めたときの私のような)には、この本のよさはたぶんきっとわからない。
 帯の惹句はこう続いている。「「タモリ」ってものの「三位一体」の図を、考えたんだよ。みんな、やるんだろうね、そういうことを。」こういうノリが大切 なんだろうなと思う。実際に手と頭を使って三位一体の図を作ってみること。この本をもとにした「三位一体ゲーム」のような思考援助のツールだって、そのう ち商品化されるかもしれない。そうして99・9999%のゴミみたいな図の堆積のなかから、いつか奇跡のような未発の思考のかたちが立ち上がってくるかも しれない。これだけはやってみなければわからない。(実は私も、自分専用の三位一体の図を考えてみた。「デカルト=ベルクソン」と「歌論=ギリシャ悲劇」 と「金融=貨幣」の三つ組。このことは、気が向いたらそのうち書くつもり。)

★11月20日(月):大徳寺黄梅院見聞抄録

 昨日、小雨まじりの京都紫野にでかけ、大徳寺に数ある塔頭のひとつ黄梅院を訪れた。特別公開最終日、靴下だけの足下からひたひたと浸透してくる冷気を気 にしながら、本堂室中の雲谷等顔筆襖絵「竹林七賢図」や大徳寺開祖大燈国師の遺墨を扁額に懸けた「自休軒」(一休や利休の名が由来する)、武野紹鴎作の茶 室「昨夢軒」、枯山水「破頭庭」「作物庭」、利休作の「直中庭」等々を京都古文化保存協会の学生ボランティアの解説をたよりに鑑賞した。
 同行の知人が書家としても高名な黄梅院住職と面識があり、以前、「無声呼人」(声無くして人を呼ぶ)の色紙をいただいたことがある。今回の京都行はその 住職、小林太玄師からの招待を受けた一行に同伴させていただいたもの。抹茶を頂戴して記念写真を撮影し、紫野和久傳からとりよせた鯛ちらし二段の弁当をご 馳走になり、豪奢な茶室を拝見させていただき、月に一度の勉強会の末席で師の説教を聴く機会を与えていただき、松屋常盤の味噌松風をお土産にいただいた。 磊落にして剛毅な人柄で、戦国時代に生まれていれば稀代の政僧として歴史に名をとどめたろうと思った。
 その後、これもまた公開最終日の聚光院、常時公開の龍源院に足を運び、夜、京都駅で住職と待ち合わせ、夕食をご一緒した。三つの塔頭で国宝(狩野永徳の 聚光院障壁画)、重文の数々に接し、住職からは大徳寺と播州との深いつながりや京都経済界のこと、茶道家元批判やチタン葺きの普請のことなどいろいろなお 話をうかがった。こうした見聞を、それらは今頭のなかでぐちゃぐちゃになっているが、あたう限り印象を反芻し、調べものなどしてひとつひとつ丹念に書き残 しておけばいつかきっと役に立つだろうにと思いつつ、この程度の記録でお茶を濁すしか能がない。

     ※
 歌論を基軸とした芸能論を通じて日本の文化や思考の様式について考えてみたい。考えるなどとは烏滸がましいのであって、まずは昨今ブームの「和」なるも のへの心静かな入門を果たしたい。そうした思いが日々高じている。(偶然の賜だが、師について茶の真似事を始めたりもしている。)これに日本の建築、造形 芸術への関心が重ね着されていく。一点突破でのぞまねば、いずれ空中分解してしまう。
 養老孟司の『身体の文学史』に、都市型・建築型の意識定着法(エジプトのピラミッド)と文字型・文学型の定着法(ユダヤの旧約聖書)はなぜかしら矛盾す る、万里の長城と焚書坑儒のごとく、といった話題がでてきた。歌論と日本建築、歌人もしくは芸能者と宮大工もしくは庭師。これら二つの「意識の表現」の ジャンル、二つの類型の表現者に焦点をあわせ、楕円形に関心を育んでいくしかない。

★11月22日(水):私家版・三位一体モデル

 前々回(11月18日[http://d.hatena.ne.jp/orion-n/20061118])、自分専用の三位一体の図を考えていると書 いた。それは「デカルト=ベルクソン」と「歌論=ギリシャ悲劇」と「金融=貨幣」の三つの柱でできているとも書いた。その後このアイデアがどんどん熟成し ていった、というようなことはまるでなかったが、今回、中間報告的にいま頭のなかにあることを書いておこうと思いたった。中間報告といっても、具体的な名 宛人があるわけではないし、誰の関心もひかない話題なので、いってみれば後の日の自分自身に対する備忘録のようなものだ。
 最近、後の日の自分にそうたくさんの時間が残されているわけではないという事実がにわかに我が事として現実味を帯びて実感されるようになってきた。この 際、大げさにいえば人生の棚卸しをやっておかないと無駄に時間を費消してしまうのではないかという恐怖感みたいなものがひしひしと迫ってくるようになって きた。
 なにか一つにしぼって、と言いたいところが、結局のところなんとか三つのジャンルに整理して、それもあれこれの関心事をむりやり押し込んだだけのものに なってしまった。中沢新一さんの三位一体モデルとは、ほとんど関係がなくなった。が、近く、二十年ほど暮らした家を引っ越すことになり、本棚の容量を増設 するあてができたので、自室に常備する本の取捨選択の基準くらいにはなるだろうと思っている。

     ※
 学生の頃、自分の関心事を「政治と詩」の二つに整理区分したことがあった。「政治」は性や食、共同性や戦争など端的にいって生身の人間の生き死にをめぐ る現実的な事柄の統治にかかわる実践と思想の全般をさす言葉。「詩」は表現とか芸術とか宗教とか祝祭儀礼とか脱魂法悦といった諸々の事柄を畳み込んだ言 葉。後者については放っておいても勝手に深みにはまっていくだろうから、大学では前者を専攻することにして、いまから思うとあまりにベタだが法学部で政治 学(国際政治学)を選んだ。
 その後、なにが契機となったのか今となってはまるで思い出せないが、哲学系への関心をしだいに募らせていった。最初は数学の哲学、科学哲学といったあた りから入り、わけもわからず形而上学への反感を基調にしていたものの、これまたなにが転機になったか記憶がとんでいるが、形而上学こそ私の生涯をかけるべ き仕事だったのではないかとさえ思うようになっている。
 いま述べた三つ、政治と詩と形而上学を「三位一体モデル」を使って言いかえれば、「政治=父(社会的な法)」「詩=子(幻想力)」「形而上学=聖霊(増 殖力)」になる。(ペンローズの三つの世界では「政治=物質的世界」「詩=こころの世界」「形而上学=プラトン的世界」になるし、ヘーゲルの体系では「政 治=自然哲学」「詩=精神哲学」「形而上学=論理学」になる。)

 ここで余談を挿入。本当は「三」ではなく「四」もしくは「五」でまとめたいと思っている。その一環として、以前、「魂の四学」もしくは「魂の経済学」な るものを考案したことがあった。自己検索をしてみると、自分でも忘れていたものがあったのでここにメモしておく。
○「魂の学について」[http://www17.plala.or.jp/orion-n/ESSAY2/3.html]
○「続・不完全な真空─魂学篇」[http://www17.plala.or.jp/orion-n/ESSAY/TETUGAKU/27.html]
○「魂の濃度変化について・その他」[http://www17.plala.or.jp/orion- n/ESSAY/TETUGAKU/35.html]
 これらの文章のなかに、ヘーゲルに凝った余韻さめやらぬころの「私の体系」の覚え書きが残っている。混乱を極めていて、とても読み返す気になれない。 いったんご破算にして、新しい「私の三位一体モデル」でやり直す。

 本題に戻る。上記の三つの柱を順番を入れ替えて「自己解説」しておく。
 第一、形而上学の柱。これにとりあえず「デカルト=ベルクソン」のラベルを貼っておいた。
 昨年からベルクソンの全著書を翻訳で読み始めた。今年の三月、『物質と記憶』を読み終えて以来ほぼ中断の状態がつづいているが、そうこうしているうちに デカルトが俄然面白くなった。デカルトは途方もなく大きな存在で、ベルクソンでさえまだデカルトが敷設した圏域を脱しきっていないのではないかと(これは 論拠があってのことではないが)そう思った。デカルト以前で大きいのはプラトン(これも論拠なし)。そこで、プラトン─デカルト─ベルクソンという太い線 をひいて、そこにアウグスティヌスとウィトゲンシュタインによる垂線をおとす(同前)。
 だいたいそんな構図でもって形而上学の柱を考えている。(ほぼ400年周期で西欧形而上学の歴史を考えるとすると、あと3人ほどの哲学者が必要になる が、それはこれからおいおい考える。)これだけだと何も言っていないのと同じだが、これは後の日の自分のための備忘録なのだから、これくらいにしておく。 ついでに、この柱には自然科学や神秘思想や映画といった関心事が包含されると、これも説明抜きで書いておく。
 第二、詩の柱。ラベル名は「歌論=ギリシャ悲劇」。
 まず歌論の小柱からは連歌論、能楽論 俳論が派生し、とりあえず定家と心敬、世阿弥や芭蕉といったビッグネームの周辺を探索してみる。能や茶の湯や花や書、香道、雅楽、等々の日本の文芸、伝統 芸能百般に関心は及び、さらに武道、性愛術、儀礼、工芸、建築、庭園、等々、すなわち身体と空間をめぐる日本式工学百般へと拡がってゆく。
 これらはいずれも仏と神を抜きにしては語れない。というわけで、日本精神史、日本宗教史への彷徨がはじまる。加えて、ギリシャ悲劇と謡曲を典型として、 東西古今にわたる叙事、叙情、神話、演劇、祝祭、等々の「詩的なるもの」もしくは「身体=霊的なるもの」百般へと拡散してゆく。
 第三、政治の柱。ラベル名は「金融=貨幣」。
 政治といいながら経済の用語でしめくくるのに何か特段の目論見があるわけではない(ないわけではないが)。いまのところ他に適当なラベルが思い浮かばな いだけのことで、とりあえずは「制度としての文学」と言われるときの文学なども含めた社会的制度百般を代表する意味で使っている。
 「歌」と「仏」、ある人にいわせると実証と抽象という人間精神の二つの組み合わせに「農」を加えておきたい。あるいは、下部構造として据えておきたい。 自然あるいは環境といってもいいようなものなのだが、そこに人の営みがかかわる事態を色濃く表現するために農を採った。農もまた実証にかかわるものである とするならば、これに対する抽象が「貨幣」で、農と貨幣を組み合わせたものを「金融システム」と命名しておく。これらはいま思いついたことなので、深い思 慮があってのことではない。
 ここには、習俗、慣習、民俗、風俗、儀式、倫理、道徳、法、歴史、イデオロギー、等々の様様な社会制度、さらに制度としての心理や精神、等々が配分され るのだが、忘れずに記しておきたいのが犯罪である。うまく位置づけられないが、なぜか気になる。
 以上。書いているうちに気分が散漫になってしまったので、読みかえしてもあまり琴線にふれない。そのうち仕切りなおしをして、はじめからやりなおすか。