不連続な読書日記(2006.09)



【書評・感想】

●三中信宏『系統樹思考の世界──すべてはツリーとともに』(講談社現代新社:2006.7.20)

《系統樹の木の下で》
 実によくできた書物だった。すべての頁をいろどる活字と図版と空白、それらを縁どる夥しい引用(この引用の的確さ、技と趣向の鮮やかさは本書の最大の読 み所のひとつである)まで含め、細心かつ大胆な三中ワールドがひろがっていく。
 まず、それ自体として読むに値する詳細な目次が素晴らしい。そこに鏤められた「正しい名前」をつないでいくだけで本書の骨格が炙り出されていく。たとえ ば「歴史」としての、「言葉」としての、「推論」としての、そして「説明」や「仮説」、「モデル」としての系統樹、等々。
 巻末に目をやると、本書「に」学び、かつ本書「で」学ぶための導きの糸となる懇切な文献リスト(ダーウィンの「読書ノート」に拮抗しうるミニ書評集!) がついている。工夫のあとがうかがえる丁寧な索引がついている。これらの書物や項目の関係をうまく図示していけば、本書の見取り図を示すツリー、いや本書 を起点もしくは基点とする無尽蔵の刺激に満ちた知のネットワークを設えることができる。
 なによりも、本文の練り上げられた構成と叙述のスタイルが素晴らしい。読み手の側の事情を忖度し、著者はときに自らの来歴を語り、身辺雑記を織り交ぜつ つ、ひとつの概念が読者の脳髄のうちに沈澱していく時間を正確に測定しながら、ネットで鍛えられた健筆をふるっている。二つのエピソードからなるインテル メッツォをはさんで、同じ話題が反復、進化、深化されていく。書物もまたそれを読む時間を通じて生成し進化することを、読者はそれこそ身をもって、息継ぎ と深呼吸を繰り返し、ときに息をのみながら体得していく。
《経験科学としての「歴史の復権」──それは、歴史は実践可能な科学であるという基本認識にほかなりません。そして、その実践を支えているのは系統樹思考 であり、一般化された進化学・系統学の手法です。
 進化生物学はダーウィン以来の一世紀半に及ぶ道のりの末に、人間を含むすべての生物を視野に入れるヴィジョンをもつにいたりました。それは同時に、関連 諸学問をこれまで隔ててきた「壁」をつきくずす古因学を現代に甦らせ、さらには、科学哲学と科学方法論の再検討を通じて歴史の意味そのものをわれわれに問 い直させました。これこそが「万能酸」(ダニエル・デネット)としての進化思想が諸学問にもたらした衝撃だったのです。》
 ──世界は一冊の書物である。この書物はある図形言語で書かれている。その言語の名を系統樹という。世界は系統樹思考(進化的思考)に基づく推論(アブ ダクション)を行っている。推論の結果、世界は生成進化する「もの」と「こと」で満ち溢れる。その「もの」や「こと」のうちに系統樹は入れ子式に挿入され ているが、その「こと」を知る「もの」はいない。あるとき、世界のなかの一存在者であるヒトの脳髄のうちに世界が折り重なり、歴史が復元される。そのと き、世界は自らを知る。
 この世界は「分岐」だけではなく、「分岐と融合」からなる高次の構造をもつ。系統樹すなわち分岐による階層構造のツリーから、分岐と融合による非階層的 な系統ネットワークへ、さらには「系統スーパーネットワーク」へ。この第4章の最終節における「高次系統樹」をめぐる議論は、人間の「思議」を超えた世界 の実相へと迫っていく。そこにおいて、局所は全域と一致し、未来と過去が連続するだろう。


【読了】

●小島信夫『残光』(新潮社:2006.5.30)
●保坂和志『途方に暮れて、人生論』(草思社:2006.4.28)
●三中信宏『系統樹思考の世界──すべてはツリーとともに』(講談社現代新社:2006.7.20)
●郡司ペギオ−幸夫『生きていることの科学──生命・意識のマテリアル』(講談社現代新書:2006.6.20)
●大沢在昌『狼花 新宿鮫\』(光文社:2006.9.25)


【購入】

●加藤幹郎『『ブレードランナー』論序説──映画学特別講義』(リュミエール叢書,筑摩書房:2004.9.25)【¥2800】
●町山智浩『ブレードランナーの未来世紀──〈映画の見方〉がわかる本 80年代アメリカ映画カルト・ムービー篇』(洋泉社:2006.1.4) 【¥1600】
●熊野純彦『西洋哲学史──近代から現代へ』(岩波新書:2006.9.20)【¥820】
●大沢在昌『狼花 新宿鮫\』(光文社:2006.9.25)【¥1600】
●保坂和志『小説の誕生』(新潮社:2006.9.30)【¥1900】
●松岡正剛『日本という方法──おもかげ・うつろいの文化』(NHKブックス:2006.9.30)【¥1160】



 【ブログ】


★9月1日(金):温泉と和牛、ボルヘスの詩、UDON、ブレードランナー

 一昨日から夏休みをとっている。つごう5連休で、今日が中日。
 連休の初日の夜に岡山の湯原温泉で美作牛をしゃぶしゃぶとステーキで食べて、もちろん温泉にも三度ゆっくりつかって、翌日、蒜山高原を車でのんびりうろ うろして、150円で買ったペットボトルに塩釜の冷泉の水を詰めて、途中立ち寄った勝山という街で草木染めの工房を見て、坂の上のカフェで冷たいバニラア イスに熱いエスプレッソ・コーヒーをぶっかけたのを食べて、帰りに佐用牛を1キロほど買って(三日月町の三坂という精肉店をひいきにしている)、二日続け て和牛を食べた。
 温泉と和牛で夏の疲れが体の表面にひきだされた。つねに眠気を感じていて頭がよく回らない。活字を読んでもうまく頭に定着しない。でもこの疲れは心地い い。

     ※
 今朝10時頃まで寝て、ほぼ半年ぶりに近所の図書館で本を数冊借りてきて、喫茶店でそのうちの一冊、ボルヘスの第五冊目の詩集『闇を讃えて』(斎藤幸男 訳,水声社)を読んだ。最初に読んだ表題作があまりに素晴しかったので、まるごと引用しておく。


   闇を讃えて

 老い(人々がそう言い習わしている)は
 幸せな時間ともなりうる。
 動物は死んでいるか、ほとんど死んでいて、
 残っているのは人間とその魂だ。
 明らかな形と、闇に沈んではいない
 霞んだ形の間にわたしは生きている。
 ブエノスアイレスよ、
 かつてはひき裂れ場末となって
 果てなき平原の彼方へと伸びていったおまえは、
 今レコレタ墓地やレティロ広場となり、
 オンセ辺りのとりとめのない通りとなり、
 今なお南地区と呼ばれる
 心もとない古い家並みとなって帰ってきた。
 わたしの人生には物事が溢れていた。
 アブデラの人デモクリトスは思惟の妨げになるからと両眼をくりぬいたが、
 時間こそがわたしのデモクリトスだった。
 この薄明は歩みが遅く、しかも痛まない。
 穏やかな坂道と異ならず、
 永遠にも似通っている。
 友人たちには顔がない。
 女たちは何年も前の顔のままだ。
 どの街角も互に入れ替わる。
 本のページには活字が見当たらない。
 これらすべてはわたしを怯ませるはずだが、
 実のところ帰り着いた安堵の気持なのだ。
 地上に残された書物の数は夥しいが、
 わたしが目を通し、
 記憶の中で読みつづけ、読み替えつづけている章句は、
 ほんの僅かだ。
 南から東から西から北から
 数多の道が集い合い
 わたしの秘められた中心へとわたしを導いた。
 その道はこだまであり足音であり、
 女たち、男たち、苦しみ、蘇り、
 日日と夜夜、
 まどろみと夢、
 わたしの過去や世界の過去の
 それぞれの刹那刹那、
 デーン人の硬い剣とペルシア人の月、
 死者たちの勲〔いさおし〕、
 共感された愛と言葉、
 エマソンと雪と、そして多くの物事だ。
 わたしは今すべてを忘れようとする、わたしの中心に、
 わたしの代数学、わたしの鍵、
 わたしの鏡に達するのだ。
 わたしは誰か、今それを知るだろう。


 その昔、まだ多感な子どもだった頃、気に入った詩をノートに一つ一つ書き写して自分だけの詩集を編んだことがあった。そのノートは探せばまだどこかに 残っているはずだ。
 詩を読むということは、ほとんど自分が書いたものと誤認するほどまでに繰り返し読み続けることで、それはレコードが擦り切れるほど繰り返し気に入った音 楽を聴きこむことと同じことだ。そうやって、ほんの僅かな章句を「記憶の中で読みつづけ、読み替えつづけて」いくことだ。やがて言葉は肉となり、わたした ちのうちに宿るだろう。

 ある、あった、あるだろうわたしは
 絶え間のない時であり表象である言葉へと
 ここに再び立ち返るのだ。
   ──「ヨハネによる福音書 一章十四節」から

 「序」でボルヘスはこう書いている。
「この本が詩集として読まれることをわたしは望む。一冊の本はそれ自体では美的存在となりえず、他の事物たちと同じひとつの物だ。美的行為はそれを認〔し たた〕める時、それを読む時にはじめて生ずる。自由詩は印刷上の見せかけにすぎぬと論じられもするが、この主張には誤りが潜んでいるように思われる。詩行 の印刷上の形態は、リズムの彼方で、読者に伝えようとするのが情報でも論証でもなく、私的感情なのだと表明しているのだ。」
 あるいは次のように。「詩はこの世界のあらゆる要素に劣らず神秘的な存在だ。数少ない幸福な詩行さえわれわれの自慢の種とはなりえない。なぜならそれは 偶然あるいは精霊の賜なのだから。」
 詩は、「それを認める時、それを読む時にはじめて生ずる」。何度でも「はじめて生じる」。──それはたかだか一時間ばかりのことにすぎなかったのだが、 ボルヘスの詩篇を読んでいるとき、私の肉体はたしかに「ある、あった、あるだろう」すべての言葉、記憶、時間へとつながっていた(と思う)。

 わたしは他者たちだ。あなたの粘り強い厳しさが
 救ってくれたすべての人々だ。
 わたしはあなたが知らずに救う人々なのだ。
   ──「ジョイスの霊に」から

 全的な死をこそわたしは望む。伴侶であるこの肉体とともに死ぬことを望む。
   ──「祈り」から

     ※
 ちなみに、『闇を讃えて』以外に図書館から借りてきた本を記録しておく。『分類の発想』と『映画の構造分析』はかつて読み、とくに前者には深い感銘を受 けた。

◎内田樹『映画の構造分析──ハリウッド映画で学べる現代思想』(晶文社)
◎中尾佐助『分類の発想──思考のルールをつくる』(朝日新聞社)
◎アンドリュー・パーカー『眼の誕生──カンブリア紀大進化の謎を解く』(渡辺政隆・今西康子訳,草思社)
◎ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄──二万三○○○年にわたる人類史の謎』上下(倉骨彰訳,草思社)
◎安田登『疲れない体をつくる「和」の身体作法──能の学ぶ深層筋エクササイズ』(祥伝社)

 『分類の発想』と『銃・病原菌・鉄』は、いまちょうど佳境に入った『系統樹思考の世界』(三中信宏)に触発された。『眼の誕生』も、同書で出てくる進化 論思考(系統樹思考)のアイデアに関連して借りた。読めるかどうかわからないが、しばらく机の上に積んでおくことにする。

     ※
 午後、街へ出てひさしぶりに映画を観た。『UDON』。「ソウル・フード“うどん”をめぐるハートフル・エンタテイメント」。今年になって映画館で映画 を観たのは『かもめ食堂』『間宮兄弟』につづいて三作目。少し長すぎるし、後半がかなり冗長な印象だが、まあこれはこれでいい。帰りの電車の中で無性に讃 岐うどんが食べたくなった。
 映画を観たあと、これもひさしぶりに大型書店で前から探していた本をゲット。加藤幹郎『『ブレードランナー』論序説──映画学特別講義』(筑摩書房リュ ミエール叢書)。まず映画を観てからとDVDをあちこち探したけれども見つからなかった。『ブレードランナー』はこれまで少なくとも三度は観ているはずだ から(ただし公開版)、記憶に頼って加藤本を読むことにする。

★9月3日(日):系統樹の木の下で──三中信宏『系統樹思考の世界──すべてはツリーとともに』

 あたかも「息をするように」(211頁)読み継ぎ、読み終えた。ときには細く、長く息を継ぎ、ときには切迫し、息を詰め、そして最後は大きく深い息を吐 きながら。
 実によくできた書物だった。巻頭から巻末に至るすべての頁をいろどる活字と図版と空白、それらを縁どる夥しい引用(この引用の的確さ、技と趣向の鮮やか さは本書の最大の読み所のひとつである)、はては奇数頁と偶数頁の間、カバー裏の「セフィロトの樹」の解説(そこで著者は読者への挑戦状、というほど物騒 なものではないが、予告状をしたためている)まで含め、本書の細部と全体にわたって細心かつ大胆な三中ワールドがひろがっていく。

 まず、それ自体として読むに値する詳細な目次が素晴らしい。そこに鏤められた「正しい名前」をつないでいくだけで本書の骨格が炙り出されていく。たとえ ば「歴史」としての、「言葉」としての、「推論」としての、そして「説明」や「仮説」、「モデル」としての系統樹、等々。
 巻末に目をやると、本文と呼応しながらも書物の外へとリンクを張っていく、つまり本書「に」学び、かつ本書「で」学ぶための導きの糸となる懇切な文献リ スト(ダーウィンの「読書ノート」に拮抗しうるミニ書評集!)がついている。「壁」や「銅鉄主義」や「棒の手紙」といった項目を含む、工夫のあとがうかが える丁寧な索引がついている。これらの書物や項目の関係をうまく図示していけば、本書の見取り図を示すツリー、いや本書を起点もしくは基点とする無尽蔵の 刺激に満ちた知のネットワークを設えることができる。たとえば第1章第4節に出てくる「物語的説明」(69頁ほか)と、第3章末尾(208頁)のカルロ・ ギンズブルグの引用文に出てくる「エナルゲイア(いきいきと物語る技法)」を結ぶ枝。
(惜しむらくは、該当頁の表示に誤記がある。「正名」は265頁ではなく264頁に出てくる。「物語的説明」という語そのものは67頁には出てこない。目 次にも誤記がある。第4章第3節は233頁ではなく222頁から始まる。細かい疵はほかにもあるかもしれない。それらは著者のウェブサイトの「正誤表」で すでに修正されているかもしれない。)
 なによりも、本文の練り上げられた構成と叙述のスタイルが素晴らしい。読み手の側の事情を忖度し、著者はときに自らの来歴を語り、身辺雑記を織り交ぜつ つ、ひとつの概念が読者の脳髄のうちに沈澱していく時間を正確に測定しながら、ネットで鍛えられた健筆をふるっている。
 二つのエピソードからなるインテルメッツォをはさんで、同じ話題(たとえばアブダクション、たとえば西欧中世の普遍論争、たとえば「分類思考」と「系統 樹思考」の違い)が反復、進化、深化されていく。書物もまたそれを読む時間を通じて生成し進化することを、読者はそれこそ身をもって、息継ぎと深呼吸を繰 り返し、ときに息をのみながら体得していく。

     ※
 本書の内容については、へたな要約(たとえば「外部観察者による反復から、内部観察者による復元へ」など)よりは、たとえば第2章末尾の次の一文を引用 して紹介にかえる方がはるかに気が利いている。

《伝統的な科学哲学では、反復実験が可能な物理学がモデルだったために、進化学(および他の古因学)が対象とするユニーク(単一的)な事象に関する「歴 史」の科学的地位についての考察は、必ずしも十分ではありませんでした。歴史学ははたして科学であり得るのかという問いかけが幾度も発せられること自体、 科学哲学がいまだ成熟していなかった証しだといわねばなりません。生物の系統発生を復元し、進化過程に関する推論を行うという進化学・系統学のサイエンス としての姿勢は、従来的な科学観と知識観に再考を促してきました。
 経験科学としての「歴史の復権」──それは、歴史は実践可能な科学であるという基本認識にほかなりません。そして、その実践を支えているのは系統樹思考 であり、一般化された進化学・系統学の手法です。
 進化生物学はダーウィン以来の一世紀半に及ぶ道のりの末に、人間を含むすべての生物を視野に入れるヴィジョンをもつにいたりました。それは同時に、関連 諸学問をこれまで隔ててきた「壁」をつきくずす古因学を現代に甦らせ、さらには、科学哲学と科学方法論の再検討を通じて歴史の意味そのものをわれわれに問 い直させました。これこそが「万能酸」(ダニエル・デネット)としての進化思想が諸学問にもたらした衝撃だったのです。》(128-129頁)

 ここに出てくる「系統樹思考」(tree-thinking)について、著者は「分類思考」(group-thinking)と比較して次のように書い ている。

《分類思考とは異なり、系統樹思考は必ずしも認知心理的背景をもっていないようです。なぜなら、私たち人間はもともと心理的な本質主義者であり、対象物に は本質が内在すると認知してしまう傾向があるからです。“ヒト”には“ヒト性”、“サル”には“サル性”という「本質」があると仮定する心理的本質主義 は、進化的思考とは根本的に矛盾します。あるカテゴリー(“ヒト”や“サル”)に本質(“ヒト性”や“サル性”)が存在するとみなすかぎり、カテゴリー間 の移行(進化)は原理的に不可能だからです。
 したがって、心理的な本質主義が人間の認知性向であるとみなされるかぎり、進化的思考ならびに系統樹思考は必然的に認知的基盤をもたないと言わざるをえ ません。つまり、私たちは生まれながらの分類思考者だから、系統樹思考は「ものの見方」として意識的に採用する必要があるということです。》(124頁)

 この話題はエピローグで深められる(255〜260頁)。このあたりは本書の勘所のひとつだと思う(少なくとも私にとっては)。
 ギリシャ時代以来の「存在の学」としての形而上学が、人間の精神に深く染み込んだ「分類思考」(離散的な群の実在の標榜とその背後にある本質主義)に根 ざしていたこと。西欧普遍論争においては、カテゴリーとしての群が変化する(進化する)という選択枝はなかったこと。今日、「種は実在するのか?」とい う、ことばの正しい意味での形而上学的な問題が繰り返し論じられていること。
 以下、摘み食い的に抜き書きしておく。(このあたりのことを、いま継続的に読み進めているベルクソンの思考につないでいきたい。)

◎「分類思考が静的かつ離散的な群を世界の中に認知しようとするのは、私たちが多様な対象物を自然界や人間界に見るとき、記憶の節約と知識の整理にとって たいへん有効な手法であると考えられます。そのような認知カテゴリー化は、記憶の効率化を通じて、私たちの祖先たちの生存にきっと有効に作用したでしょ う。」
◎「進化する実体、伝承される系譜、そして変化する系統が、存在論的にどのように意味づけできるのかという問題設定は、新しい形而上学を求めています。進 化的思潮が登場する以前の旧来の形而上学を補足するかたちで、進化的な形而上学を構築するのは十分に可能なことでしょう。」
◎「種問題をめぐる論争の錯綜ぶりを見るにつけ、「肉体化」した形而上学が科学者の意識に及ぼす深い影響を考えないわけにはいきません。」
◎「「種」の実在性を支持する心情とはいったい何か──それは時間的に変化する“もの”が、なお同一性(identity)を保持し続けるだろうという、 本質主義の再来です。」
◎「無意識のうちに時空軸を貫く群の同一性を希求する思考は、ジョージ・レイコフがいう「心理的本質主義」の発現といえるでしょう。たとえ、進化的思考が リクツの上で本質主義は間違いである(「種は実在しない」と主張したとしても、肉体化された心理的本質主義はその逆(「種は実在する」)を心情的に支持し ているからです。」
◎「私たちは、生物としての人間であり、進化の過程でさまざまな肉体的特性と心理的特性を獲得してきました。ですから、心理的本質主義者としてのヒトと進 化的思考者としてのヒトとは、表層的には矛盾するのですが、深層的には各自がそれぞれ折り合いをつけていくしかないのだろうと私は思います。」

 この最後の引用文で著者が示唆しているのは、とても大切なことだと思う。私なりの言葉で言えば、「世界は系統樹思考(進化的思考)に基づく推論を行って いる」ということになる。
 ──世界は一冊の書物である。この書物はある図形言語で書かれている。その言語の名を系統樹という。世界は系統樹思考をもって推論(アブダクション)を する。推論の結果、世界は生成進化する「もの」と「こと」で満ち溢れる。その「もの」や「こと」のうちに系統樹は入れ子式に挿入されているが、その「こ と」を知る「もの」はいない。あるとき、世界のなかの一存在者であるヒトの脳髄のうちに世界が折り重なり、歴史が復元される。そのとき、世界は自らを知 る。

 わたしは今すべてを忘れようとする、わたしの中心に、
 わたしの代数学、わたしの鍵、
 わたしの鏡に達するのだ。
 わたしは誰か、今それを知るだろう。
   ──ホルヘ・ルイス・ボルヘス「闇を讃えて」から(斎藤幸男訳)

     ※
 この世界は「分岐」だけではなく、「分岐と融合」からなる高次の構造をもつ。系統樹すなわち分岐による階層構造のツリーから、分岐と融合による非階層的 な系統ネットワークへ、さらには「系統スーパーネットワーク」へ。
 この第4章の最終節における「高次系統樹」をめぐる議論は、人間の「思議」を超えた世界の実相へと迫っていく(‘tree-thinking’ではなく ‘network-thinking’に基づく推論世界?)。そこにおいて、局所は全域と一致し、未来と過去が連続する。
 中世の聖書写字生は「文字どおりに書き取るべし」という心理的プレッシャーのもとにあった(236頁)。それは、実は聖なる章句の文字どおりの伝承(過 去から未来へ)のためではなく、むしろ避けがたい「異本化」を通じて、来るべき啓示の「復元」(未来から過去へ)をめざすための戒律だったのかもしれな い。
 また、著者は「ネットワーク」の例として、ウィトゲンシュタインの「原稿の系譜」挙げている(238頁,240頁)。「ゲノム的不連続構造」(鬼界彰夫 『ウィトゲンシュタインはこう考えた』15頁)をもつウィトゲンシュタインのテキストは、世界の実相、というより世界の論理を象っていたのかもしれない。

 パースは『連続性の哲学』(伊藤邦武編訳,岩波文庫)で書いている。

《したがって、われわれの仮説は次のようになる。時間とは、論理そのものが客観的な直観にたいしてそれ自身の姿を現す形式のことであると。そして、現在と いう時点が非連続性をもつということの意味は、まさにその時点において、第一者からは論理的に派生できない、新しい前提が導入されるということである。》 (170頁)

《ところで、われわれが何かを理解しようと試みるとき──何かを探求しようとするとき、そこには必ず、探求の対象自体が、われわれが使用する論理と多少の 相違はあっても、基本的には同一の論理に従っているという想定が前提されている。少なくともわれわれは、そのようになっていてほしいという希望をもってい る。
 本当のところ宇宙の論理は、われわれ人間が主観的に採用している論理よりも未熟で、その萌芽的な形態に過ぎないという可能性もある。このような想定もた しかに、文明のある段階においては吟味に値する重要な想定である。(略)この想定に賛成したり反対する理由がどれだけ思い浮かぶにしても、現代において試 してみるべき想定は、むしろ逆に、宇宙の論理とは、われわれがすでに獲得している論理ではなく、これからその高みへと至ることを鼓舞されるようなより高次 なものだ、という想定のほうである。》(254頁)

★9月10日(日):もうひとつの記憶のかたち──『途方に暮れて、人生論』ほか(1)

 先週、小島信夫の『残光』を読み、今週、保坂和志の『途方に暮れて、人生論』を読んだ。『残光』が出たのが5月、『途方』が4月で、買ったきりしばらく 放置したままになっていた。
 この春先から初夏にかけて、買ったまま放置している本はかなりたまっていて、それに3月末頃までに読み切れずこれまた放置している本がたくさんあって、 ずっと気になっていた。あまり関係ないと思うが、夏も終わりを迎えたのでそろそろ本箱の衣替えのための棚卸をしなければいけない。まずは読みやすそうなも のからと思って『残光』と『途方』の二冊を手にしたら、どちらも読みはじめるとすぐツボにはまり、いったんツボにはまると最後まで止まらなくなった。
 最後まで止まらなくなったものの、いざ最後まで読み終わってみると、なにが書かれていたか記憶がたちまち曖昧になる。読中、読後の感触が朦朧としてく る。もう少し時間が経つと、きれいさっぱり忘れてしまうだろうと思う。きれいさっぱり忘れてしまう、とはいくらなんでも誇張がすぎるが、たとえば『残光』 についていうならば、何年経ってもそこに書かれていた素材のいくつかは覚えているだろうけれども、それが全体の流れのなかでどのように綴られ、他の素材と どのように織り合わせられていたかを思い出すことはほぼ完璧に不可能だろう(ちょうど、一度や二度聴いただけでは長い交響曲を記憶できないように)と、こ れは確信をもっていえる。
 『途方に暮れて、人生論』の方は逆に、保坂和志の文体というか文章のどこか奇妙で独特なつながり方、息遣い、感触のようなものは結構鮮明に覚えているよ うな気がするけれども、それを再現することはまず無理で、そこで扱われていた議論の素材や組み立てを復元することはほぼ完璧に不可能だろうと、これも確信 をもっていえそうな気がするが、これもまたかなり誇張した表現になっている。

     ※
 『途方に暮れて、人生論』に「私が老人を尊敬する理由」という短い文章が収められていて、それは次のような話題からはじまる。──小島信夫が『文藝春 秋』のグラビア・ページ「日本の顔」に載ることになった。小島信夫から保坂和志に「一緒にそのページに写ってくれないか」と電話がかかってきた。「あ、保 坂さん。ちょっとお願いがあるんですけどねえ、『文藝春秋』に毎月、年寄りの写真を撮って載せるページがあるでしょ。」功なり名を遂げた人なら誰もが載り たいと思っているであろう「日本の顔」をただ「年寄りの写真」と言えてしまう老人力!
 いや、私(保坂)は「老人力」の笑い話を書きたいわけではない。もっとまじめに「老い」について書こうとしているのだ。──そこから先、エッセイは保坂 式の迂回路をくねくねとたどって、次のような決め言葉で結ばれる(わけではなくて、本当はもう少し話題がつづく)。
《人間、年をとると、おせっかいで口うるさくなって、保守的で穏当なことしか若い人に言わなくなるものだが、人間にはそれぞれの壮年期に、時にアナーキー とも言える固有のパワーがあった。私自身には子どもがいないけれど、姪と甥はいる。あの子たちも、おじいちゃん・おばあちゃんのことを今の姿からしか判断 していないだろう。しかし、
「おじいちゃん・おばあちゃんは、たいした人だったんだよ。あんたたちなんか、全然負けているよ。」
 と教えてやりたい。……いや、そんなことより、老人に垣間見られる断片から壮年期のパワーを再現する方法というか推察力を作り出すことが、小説家として の私の仕事なのではないかと思う。》(95-96頁)
 以下、「古老」は「裏返しのヒーロー」にすぎず、「おばあちゃんの知恵」もまた技能の有無や優劣で人を判断する社会の中の価値観にすぎない。人間は部分 =技能の集積ではない。パワーは個々の技能のことではない。もっと「反社会的(アナーキー)」なものだ。人はみなそれぞれの中にあるパワーをなんとか飼い 慣らし、それを効率優先の社会の中での社会性に変形していく。老人とはそういう力の社会から退いた人のことだ。社会が老人に対してなすべきことは、「老人 として、どういう役割があるか」を考えることではなく、その人が最盛期に持っていたパワーに対して敬意を持つことだ。そういう敬意さえあれば老人は安心し て老人力を揮っていられる……と議論はつづく。

 『途方』に収録された26篇の「人生論」のなかで、それほど「重要」なものとは思えないこのエッセイを取り上げたのにはわけがある。それは一つには、こ こで話題になっている「日本の顔」の写真のことが『残光』でもリアルタイムで綴られていて、先週、今週とつづけて読んだ二冊の本をつなぐのにちょうどいい 蝶番になると思ったからだ。でも、これはあまり本質的な理由ではない。
 むしろ(実はこれは上の抜き書きをしながら考えついたことなのだが)、「私が老人を尊敬する理由」という一文は『途方に暮れて、人生論』の全体を要約、 ではなくて「縮約」しているのではないかと思ったからだ。
 それはなにも「効率優先の社会」という、このエッセイ集の表面と裏面を流れる「テーマ」にかかわるキーワードがそこに出てくるからだけではない。また、 老人がかつて持っていた「固有のパワー」と、エッセイ集の中間あたりに出てくる「土地」や「自然」、そして最後の方で話題になっている「文化、教養」の力 とがどこかで響きあっている(ように思える)からだけでもない。あるいは、エッセイ集の最初の方に出てくる「生まれる時代を間違った」女性の生き方もしく は「生きにくさ」が(時空を超えた?)「老人力」によって救われる(ように思える)からだけでもない。
 それらのすべてを合わせたよりもっとずっと大切なことは、ここで保坂和志が「老人に垣間見られる断片から壮年期のパワーを再現する方法というか推察力を 作り出すことが、小説家としての私の仕事なのではないかと思う」と書いているところだ。これはたぶん通りすがりについ筆がすべって書かれたものではないか と思う。ここだけではなくて、保坂和志のエッセイには、随所にこれと似た一見無責任な決め言葉が出てくるので心底信用できない。無責任というのは、それら が一見文章の流れの中で、その場の思いつきとして書かれたとしか思えないからそういうのだ。
 しかし、すでに書かれた文章は書かれてしまった時点で作者の手元を離れ独り立ちして、自らの帰属先の責任を追及する。生身の保坂和志をではなくて、小説 家・保坂和志の責任を。その出自はたとえ一見いかがわしく無責任なものであったとしても、それがすでに書かれ世に出たという当の事実が遡って小説家の責任 を構成する。作品が生まれ出る時間そのものを仮構する。
 こうして「老人に垣間見られる断片から壮年期のパワーを再現する方法というか推察力を作り出すこと」こそ小説家、つまり小説を通じた思考者としての保坂 和志のこれまでの仕事の実質であり、現にそうであり、これからもそうありつづけるのだということになる。「老人」とか「断片」とか「壮年期のパワー」とか 「再現」とか、そこで使われた語彙の意義をちゃんと確定しておく必要はあるにしても、これは保坂和志による保坂和志論の言葉になっている。

     ※
 上に書いたことは、それこそ文章の流れの中でその場の思いつきとして書いたもので、自分自身でも心底信用できない。第一、何が言いたいのかよく判らな い。それでも懲りずに思いついたことをさらに書き連ねておくと、「老人に垣間見られる断片から壮年期のパワーを再現する」というのは、『残光』という小説 作品に対する批評の言葉にもなっている。
 『残光』を書いている小島信夫は眼がよく見えず、活字を読むことに難渋する。だから、『残光』という作品の中で自分が書いていることさえよく覚えていな い。「これから、時々、その名が出てくるかもしれない、山崎勉さんという人は、英文学者で、たいへん魅力的な声をしている。」第一章の冒頭はそのように始 まる。ところが第二章に入ると、こんな文章が出てくる。
《この人は前にいったかもしれないが、山崎勉さんという人で、本を読むとき、ぼくはこの通り眼が見えにくく、この原稿を書くにも手さぐりでやっている始末 で、本を読んでも部分を辿ることしかできず書いた原稿は書くには書けても、読むことはむずかしいので、山崎さんにいっしょに読んでもらっているし、いろい ろと意見をうかがっている。(これからも、しばしば登場するが、宜しく頼みます)いま書いている原稿にしても、相談をしている。山崎さんは、「新潮」連載 のこんど本になった保坂さんの『小説の自由』を、最初からずっといっしょに読んでもらっている人で、彼は前にも述べたと思うが、雑誌が出ると、わざわざ買 いに出かけている。》(89頁)

 山崎勉という人は「たいへん魅力的な声をしている」。そうか、『残光』は眼がよく見えない(光がほとんど残っていない)世界を描いていたのか。保坂和志 の『残響』とは別のかたちの(つまり空間的乖離や物質的形象、表情や身体的所作を介したそれではないかたちでの?)記憶のつながり(記憶の「唱和」とか 「ポリフォニー的つながり」といってもいい)をテーマにしていたのか。ここで唐突にそう思いついた。もちろん、ここでいう「記憶」の語義をしっかりと確定 しておかないといけないが。
 そういえば、『残光』の末尾、施設に入所している認知症の妻を訪ねたときの夫婦の会話で、二人の記憶は果たしてつながったのか。妻はそのとき、眼を開け ていたのか閉じていたのか。
《十月に訪ねたときは、横臥していた。眠っていて、目をさまさなかった。くりかえし、「ノブオさんだよ、ノブオさんが、やってきたんだよ。アナタはアイコ さんだね。アイコさん、ノブオさんが来たんだよ。コジマ・ノブオさんですよ」
 と何度も話しかけていると、眼を開いて、穏やかに微笑〔えみ〕を浮かべて、
「お久しぶり」
 といった。眼はあけていなかった。》(240頁)

★9月11日(月):もうひとつの記憶のかたち──『残光』ほか(2)

 『残光』の後半、第二章から第三章にかけて、小島信夫自身による小島作品の引用につぐ引用が延々とつづく。何十年も前に原稿を編集者に渡したきり一度も 読み返したことがなかった作品、そういう意味では初めて読んだも同様の作品からの作者自身による引用。それがなんとも面白いのである。本書の最大の読み所 になっている。
 読み所といえば、これは作品の最初から出てくるのだが、間接話法で引用される他人の発言の中に筆者(小島)の発言が引用され、その筆者の発言の中にまた 別の人の発言が引用される、たとえばそういったかたちで入れ子式に引用が重なっていって、いったい誰が誰に向かって何を語っているのか、そもそも主語は いったい誰なんだ! と読んでいて混乱する個所がしばしばある。
 また、認知症の妻との散歩とか保坂和志とのトークのこととか、その他諸々の話題が頻繁に途切れてはまたつながり、過去のことと現在のことが自在につなが る語法が、生身の小島信夫と小説家・小島信夫との境、人称と時制の区分等々を曖昧にし、いったい誰がこの小説を書いているんだ! としばしば困惑させられ る。
 それらの混乱や困惑はすべて、これは誰のつくった作品だったか今となってはわからない一篇の音楽作品のようなものだと思って読めば、いやそんな趣向をこ らさずとも、ただそれだけで充分に面白く、いま私は小説以外のなにものでもない異様な文章を読んでいるのだというずっしりとした実感に充たされるのだが、 それらにも増して、後半の引用につぐ引用は面白い。
 その面白さはもちろん、そこに抜書きされた作品の「断片」そのもの、文章そのものの面白さによるところが大きい。そこに何が書かれているかではなくてど のように書かれているか(それを文体というなら文体なのだろう)、内田樹/ラカン流の「子どもの問い」、つまりそれを書くことによって作者(小島信夫)は ほんとうは何が言いたかったのか、そこに書かれていること以上のことやそこに秘められた作者の欲望とは何か、といったことが問題なのではなくて、ただそれ が書かれているときの純粋な運動のようなものがそこに立ち上がっているから(かつての小島信夫の「固有のパワー」のようなものが垣間見られるからといって もいい)面白いのだ。
 あるいは、それを読んでいるときにだけ立ち上がる純粋文章とでもいおうか。保坂和志は小島信夫とのトークの前日、『寓話』と『菅野満子の手紙』をあらた めて読んできたのだが、これらの作品がどう終わっていたか、最初はどういうふうに始まったか、途中はどんなことが書いてあったか、「全くワスレテしまって いる!」(108頁)。そういうかたちで、つまり完璧な忘却という(記憶のもうひとつの)かたちをとってしか記憶できない文章。ただそれが現前していると きにしか立ち上がらない、帰属すべき(責任)主体をもたない記憶。

     ※
 『残光』の第三章に、『各務原・名古屋・国立』からの引用と思われる(たしかに本文にそう書いてあるし該当頁数まで表示してあるが、実地に確認しないと どうも信用できない)老作家と若い人との会話が出てくる。長いが、まるごと孫引きしておく。

《「脳のことは、まだよく分っていないのですよ。たいていの「学者よりは、まだぼくの方がいいところをついていますよ。もっとも何だって、普通の専門家と いうものは、バカですけどね」
「それは、たしかに〈専門バカ〉というからね」
 老作家はこういう会話のやりとりがしたいのではなくて、何かタメになることをきき出したいというのが主要な目的である。その目的というのは、アイコさん の記憶のことである。この若い人には『季節の記憶』という小説があり、さっきあげた『小説修行』のなかでは記憶というものは、その人の頭の中にあるという よりも、ぼくはそのまわりの世界にある。あるいは響き合って残っている。その人が死んでも、その人の頭の中にある記憶に当るものは残り、ぼくはそうした記 憶の中で渡り歩いている。その人の頭の中にあった記憶は、たとえばその人の住んでいた家の窓とかタタミとか家具に残っているというか、それらにひびきあっ ている。たとえば『嵐が丘』の作者の育った牧師館を見た人は、いかにも作者やその姉妹、兄貴などがそこにいたということが、「なるほど、なるほど」といっ たぐあいに分る。
 だから無名作家のまま死んでしまうことを残念に思い「おれの人生は何であったか」なんてくやしがることはない。生前有名であったりそうでなかったりし たって、それはあとに残る。つまり、その人が生まれてくる前から世界はあり、死んでからも世界はありつづける。こんなことは当り前のことだと、いう人はあ るかもしれないが、このぼくがつい最近になって、そうだと思ったのだ。》(230-231頁)

 この最後に出てくる「ぼく」とは、老作家のことか若い人のことか。そもそも引用文の最初の「ぼく」を受ける述語が拡散している。つくづく不思議な文章 だ。それを見たとおり(それを見たときの体感のようなものを含めて)正確に夢を記録した夢日記があるとしたら、それはたぶんこのような文章で綴られている ことだろう。
 夢を「見る」という以上、そこには夢の中の視覚を成り立たせる光がたちこめていたはずだ。その光がかすかに残っているうちに、あるいは忘却の深い淵にし ずんでいくその刹那、弱々しい(あるいはかつての「固有のパワー」を最後の最後にいまひとたび発現させた)残光の一刷毛でもってさっと記された文章。「残 響」として残る記憶ではなくて、「残光」なくしては立ち上がらない忘却。

     ※
 『途方に暮れて、人生論』に「家に記憶はあるか?」という文章が収められている。以下に、その一節を抜書きしておく。
《昔の人は「この家には苦しんで死んでいった先祖の霊が住みついている」とか「この庭には一種、霊気が漂う」なんて言い方をしたわけだけど、“先祖の霊” だとか“霊気”だとか、そんなものはない。それらは“賢者の石”と同じ発想であって、形のあるものがイメージされている。(略)
 しかしカエルの記憶には形がない。「形がない」というのは、言葉として簡単に指し示せる形がないということであると同時に、空間的にも「ここ」と簡単に 指し示せる形がないということでもある。
 私たちは名詞に対しては素早く反応ができて、イメージも明確に持てるけれども、物の様態や変化となると格段に反応が曖昧になる。同じように、空間の中に ある特定の“物”に対しては言葉で指し示すことが得意だけれど、“空間全体”となるといきなり曖昧で情緒的な言葉になってしまう。しかし空間の中の“物” が客観的な存在であるのと同じく、“空間全体”も客観的な存在だ。
 反復という行為それ自体の中にある“何か”というのを“空間全体”と考えて、“霊”を空間の中にある特定の“物”という風に考えてみると、だいぶ整理さ れて考えが前に進むのではないか。“空間全体”を見なければわからないところの“何か”をうまく指し示すことができなかったから、それを便宜的に“霊”と 呼んだのではないか? ということだ。》(140-141頁)

 文中に出てくる「カエルの記憶」というのはこういうことだ。カエルは産卵のときに必ず自分が産まれた水場に戻る。その場所までカエルを導いてくれるもの は、嗅覚とか皮膚感覚とかではなくて、記憶によるのだということを実験によって確かめた人がいる。そこで保坂和志は考えた。来た道を逆に辿りなおすカエル の記憶が、人間が知っている記憶の形態と同じであるはずがない。
 また、後半に出てくる「反復」という言葉については、その直前で次のように書かれている。
《野村萬斎は四歳ぐらいから狂言の所作を徹底して身につけていったわけだけれど、狂言という芸術表現の中身が守られるのは具体的な動きや発声であって理論 ではない。反復によって身体に染み込んだ動きや声が、狂言においてはそのまま内容なのだ。
 人間は反復によって“何か”を理解するようにできている。ただ反復によってしか理解できないことがあり、それが一人だけでなく複数の人間に共有され、さ らに時代をまたがって共有されたりもするのであれば、反復という行為それ自体の中に“何か”があると考えるべきで、その“何か”を人間化して言うと“記 憶”という言葉になるはずだ。旧家とはそういう“場”だ。その家に代々暮らした人たちが同じタイプの考え方や物の見方をしているなら、それはただそこに暮 らしている個人が考えているのではなくて、家によってそう考えるように仕向けられていると言えるのではないか。》(140頁)

 記憶の容器としての小説。それは身体や旧家といった目に見える容れ物よりは、むしろ音楽に近い。『途方に暮れて、人生論』の最後に、主として音楽家の発 言や文章をコレクションした「数々の言葉」が収められている。それらはいずれも刺激に満ちていて、かつ美しい。さまざまな(残響型の?)記憶のかたちがそ こに語られている。

     ※
 保坂和志は『羽生──21世紀の将棋』(朝日出版社:1997)の中で、次のように書いていた。そこにもまた(残響型の?)記憶のかたちが表現されてい る。
《人は将棋を指しているのではなくて将棋に指されている。一局の将棋とは、その将棋がある時点から固有に持った運動や法則の実現として存在するものであっ て、将棋の工夫とはそういった運動や法則を素直に実現させるものでなければならないし、そのような指し方に近い指し方のできたものが勝つはずだ(結論の出 ないゲームとはそういう風にできている。運動・法則というのが、人間にとって一番捉えがたいものなのだから)。
 将棋とは個人の欲望や執念の産物でもなければ、個人の人生の比喩でもない。将棋というゲームの奥行き、広がりは、個人の人生よりもはるかに大きい。もし 将棋が個人の欲望や人生の比喩程度のものであったら、とっくに必勝法が作られていただろう。
 したがって、将棋は棋風という個人のスタイルを持つのではなくて、スタイルを乗り越えて、持てるものすべてを投入して、将棋の法則を見つけ出そうとする 必要がある。》(13-14頁)

★9月12日(火):もうひとつの記憶のかたち──残光と残響(3)

 何を書いているのか(誰が考えているのか)自分でもよく判らないままに書き(考え)つづけていると、ずいぶん居心地の悪い思いがつのってくる。でも、始 めてしまったものは今さら後にひけない。もう少しつづけてみる。

 昨日、最後に『羽生』から引用した文章の中で、保坂和志は「将棋というゲームの奥行き、広がりは、個人の人生よりもはるかに大きい」と書いていた。実を いうと、この一文を引用したいがために前後をまとめて抜き書きした。それにしてもなぜあのときこの一文が頭の中に浮かび、そしてそのとき何を考えていたの か。たった一日経っただけなのに、そんな大切なことをもう忘れてしまっている。それほど微妙な問題を考えていたのだといえばきこえはいいが、そういうこと ではない。
 もしかすると「将棋」を「小説」に置き換えて、「人は小説を書いて(読んで)いるのではなく小説に書かれて(読まれて)いる」と読み替えたり、「一篇の 小説とは、その小説がある時点から固有に持った運動や法則の実現として存在するものであって、小説の工夫とはそういった運動や法則を素直に実現させるもの でなければならない」と解読してみたかったのかもしれない。
 そうだとすると、まず保坂和志が「家に記憶はあるか?」の中で定義している「反復によって複数の人間に共有される“何か”=“空間全体”」とそれを人間 化した「“記憶”=“霊”」というアイデアに触発されて「記憶の容器としての小説」という言葉が頭に浮かんだ。そして「将棋というゲームの奥行き、広が り」が「空間全体」の一例として頭をよぎった。だいたいそういった「理路」を経て思考が進んでいったのではないかと思う。
 小島信夫が『残光』の中で引用している『各務原・名古屋・国立』の一節の中で、というよりそこで間接話法のかたちで言及されている『小説修行』の中で、 若い人(保坂和志)が老作家(小島信夫)に「記憶というものは、その人の頭の中にあるというよりも、そのまわりの世界にある」と語っているのは、これと同 じタイプの記憶のかたち(存在様式)だ。
 それを私は「残響型」記憶と名づけて、もうひとつの記憶のかたちである「残光型」記憶と区別して考えてみようとした。一昨日からつづくこの文章の中で、 私が書きたかったのはだいたいそういうことだったはずだ。「はずだ」というのは無責任な言い方だが、あらためてこの二日間をふりかえってみての率直な実感 がそう言わせる。

     ※
 ここから先の話題は、『残光』とも『途方に暮れて、人生論』ともいっさい関係がない(最初から関係なかったのかもしれないが)。
 「残響型/残光型」を「聴覚型/視覚型」や「音楽型/映画型」などに置き換えてしまうと話は簡単なようだけれども、ことはそれほど単純ではない。いや 「残光型=視覚型/残響型=聴覚型」であれ「残響型=視覚型/残光型=聴覚型」であれ、話は充分に複雑で深くなるとは思うが、ここではもう少し込み入った (その実、底の浅い?)ことを考えてみる。

 宇宙開闢のときに轟きわたったビッグバンの鳴動(「光あれ」の言葉?)が、いまなお残響となって宇宙の全時空のうちに反復反響している。ビッグバン以後 に生じたすべてのことが「記憶」として、そこに織り込まれていく(響きあっていく)。こうした「残響型」の記憶のとらえかたは、たとえば「その人が生まれ てくる前から世界はあり、死んでからも世界はありつづける」といった世界観と親和的である。
 宇宙開闢の例をもちだすと「黒体放射の残光」などといわれるのがふつうだが、私の語感としてはそれはむしろ「残響」で、「残光」の方は、たとえば夜光物 質(長残光性蛍光体)が発する光の比喩で考えている。
 漆黒の闇の中で自ら残光を放つ物質。反射光ではなく、自ら発する光でもって自らを現象させる物質。暗闇の中の焚き火の光の場合とは違って、そこには発光 を促す刺激やエネルギー源の供給がない。しかし、蛍の飛行の跡を示す残光とも違って、それは視覚的錯覚や幻像ではない。物理学の知識が乏しいので、無茶苦 茶なことを書いているかもしれない。
 夢を「見る」というとき、その夢の視覚をなりたたせているのはいま述べた意味での「残光」なのではないか。それは何事かを想起しているとき、そのイメー ジをなりたたせているものと同類なのではないか。残響型の記憶が「空間全体」の知覚にかかわるものだとすれば、残光型の記憶は「個物」の想起にかかわるも のなのではないか。
 時空のなかにすでに織り込まれたものではなくて、そのつど初めて個物の中から(刻々と宇宙が開闢するようにして?)たちあらわれる「記憶」。それは言語 行為が創造する「記憶」と同類なのではないか。ボルヘスの次の文章の中にでてくる「記憶」とはそういう種類のものだったのではないか。

《たとえば、ある人が自分の敵を愛したとする。その時、キリストの不死性が立ち現れてくる。つまり、その瞬間、その人はキリストになるのである。われわれ がダンテ、あるいはシェイクスピアの詩を読みかえしたとする、その時われわれはなんらかの形でそれらの詩を書いた瞬間のシェイクスピア、あるいはダンテに なるのである。ひと言でいえば、不死性というのは、他人の記憶のなか、あるいはわれわれの残した作品のなかに存続しつづけるのである。(略)重要なのは不 死性である。その不死性は作品のなかで、人が他者のなかに残した思い出のなかで、達成されるものである。(略)音楽や言語に関しても、それと同じことが言 える。言語活動というのは創造的行為であり、一種の不死性になるものである。わたしはスペイン語を使っているが、そのわたしのうちには無数のスペイン語を 用いた人々が生きている。(略)われわれはこれからも不死でありつづけるだろう。肉体の死を迎えた後もわれわれの記憶は残り、われわれの記憶を越えてわれ われの行為、行動、態度といった歴史のもっとも輝かしい部分は残ることだろう。われわれはそれを知ることができないが、おそらくはそのほうがいいのだ。》 (『ボルヘス、オラル』)

     ※
 何を書いているのか(誰が考えているのか)自分でもよく判らないままに書き(考え)つづけていくのは、やっぱり居心地が悪い。
 今回、残光型の記憶(もうそんな勝手な言葉は使わなくてもいいと思うが)についてあれこれ妄言をくりだすことで、最終的には映画が観客にもたらす体験 (あるいは「映画的記憶」)へと話をつないでいくつもりだった。でも、そこにたどりつく前に居心地の悪さが高じて、これ以上書きつづける意欲がうせてし まった。続きは他日(明日のことかもしれない)を期す。

★9月15日(土):もうひとつの記憶のかたち──四人称の記憶(4)

 どうしても、この話題(「残光型記憶の存在様式=もうひとつの記憶のかたち」をめぐる)から離れられない。以下に前回書き残したことの箇条書きや論証説 明抜きの覚書を連ねて、一応の「決着」をつけておく。

◎残響型記憶は肯定的世界観につながる。たとえば「生きていることは歓びなのだと思う。生きていることのなかに歓びや苦しみがあるということではなくて、 まずは生きていることそれ自体が歓びなのだ」(保坂和志『世界を肯定する哲学』)のような。

◎この「生きていることそれ自体」を直接体験することは、実は難しい。言葉でそれとして言い表わそうとすると、それこそ人は途方に暮れる。
 「生きていることそれ自体」は直接体験以外のなにものでもない(人間のような言葉や意識をもたない動物は「生きていることそれ自体」を直接生きているよ うに見える)。だから、「『生きていることそれ自体』を直接体験すること」は「直接体験を直接体験すること」という、まるで意味をなさない営為を意味する ことになる。
 意味をなさないことを意味するのも言葉のはたらきである。だから、「『生きていることそれ自体』を直接体験すること」は「『生きていることそれ自体』を 過不足なく言葉で表現すること」、あるいは「ある言語表現が『生きていることそれ自体』であるような、そのような言語表現を享受すること」、あるいは「あ る言語表現が直接体験そのものであるような、そのような言語表現を創造すること」に限りなく近づいていく。(このあたりの「論証」はたんなる言葉遊びにか ぎりなく近づいていくようで、とても居心地が悪い。)
 古東哲明さんが、プラトンやハイデガーの哲学書などというものはない、彼らの著作はプラトン哲学やハイデガー哲学について何も書いていない、そこに書か れているのは読者をある場所へはこぶための指標のようなものだ、といった趣旨のことを書いていた(『現代思想としてのギリシア哲学』『ハイデガー=存在神 秘の哲学』)。その「ある場所」というのは、「生きていることそれ自体」を直接生きる場所のことなのではないか。しかし、それは言葉や意識をなくした人間 が動物のように生きている場所というわけではない。それは、実はいまここにすでにある。(ほんとうは、それは「いまここにすでにある」などと言葉で表現す ることはできない。)

◎上に述べた「『生きていることそれ自体』を直接体験すること」を「他者の『生きていることそれ自体』を直接体験すること」と理解すれば、少しは意味が通 りそうだ。しかし、定義によって、「他者の『生きていることそれ自体』」を直接体験する主体は当の「他者」以外にはありえないのだから、この言い換えもま た意味をなさない。
 仮に、「他者の『生きていることそれ自体』」を直接体験する「私」がいるとして、端的にいってそのような「私」は「他者」そのものである。あるいはこの 問題を、「伝達も共有も交換も不可能である情欲を、交換可能なものとして思考するためにはどうしたらいいか」というかたちで問うことができるかもしれな い。兼子正勝によると、これはピエール・クロソウスキーが『生きた貨幣』で追求しているただひとつの問題である。

◎話が錯綜してきた。残響型記憶は「伝達も共有も交換も不可能である記憶を、交換可能なものとして思考する」肯定的世界観につながる。その「つながり」を もたらすものは、たぶん言葉ではない。それは屋外もしくは「言葉の外」にある。
 残響型記憶が世界の肯定につながるとすれば、残光型記憶は世界の否定もしくは切断につながる。世界の(不断の)創造といっていいかもしれない。そのつど 一回性をもって、この世界で初めてのものとして何度も繰り返し「いまここ」に立ち上がってくる記憶? それ(「いまここ」)は室内もしくは「言葉の内」に ある? 言葉の意味が読まれるたび、そのつど立ち上がるように? たとえば、言葉を知らない者は夢を見ないなどということがいえるとすれば(夢を夢として 語れないといえばあたりまえの話だが)、夢見る身体は言葉の内にある? 残響型記憶は忘却のかたちをとりえないが、残光型記憶の実質は忘却である?

 ──ここから先があいかわらず朦朧としている。まだまだ生煮えなのだ。先に進むため、春先に読みかじったきり自分の中で「整理」をつけていなかった 『〈心〉はからだの外にある』(河野哲也)を残響型記憶に、『生きていることの科学』(郡司ペギオ−幸夫)を残光型記憶に、それぞれ関係づけて読みなおす ことができる。なんとなくそんな気がするが、これだけはやってみなければわからない。

     ※
 ここで終わったのでは、冒頭に掲げた副題(「四人称の記憶」)が宙に浮く。以下は、ほんとうの「他日」のための個人的な備忘録。
 いま映画系の書物を数冊、同時進行的に眺めている。『映画の構造分析──ハリウッド映画で学べる現代思想』(内田樹)と『画面の誕生』(鈴木一誌)と 『『ブレードランナー』論序説──映画学特別講義』(加藤幹郎)と『ブレードランナーの未来世紀──〈映画の見方〉がわかる本 80年代アメリカ映画カル ト・ムービー篇』(町山智浩)の四冊。いずれも面白いが、重ね読みするともっと面白い。ここでは、二つのエッセイに触発されていま頭の中に巣くいつつある もの(ひとつの観念、あるいは生煮えの概念?)を粗描するための断片的な素材のみ記録しておく。

◎鈴木一誌の「遠くへ──侯考賢『戯夢人生』」(『画面の誕生』)から。──「映画を思いだすことのなつかしさとでも言ったらよいだろうか。クローズアッ プを使用しないキャメラ。十分な距離をもって見つめられる人物。風景の遠望。/なにかが終わったあとの映像を見つづけたのではないかという感触が残ってい る。」(11頁)「…何にも所属しない風景の記憶は残る。」(19頁)「フレームのなかで演じられる劇は、屋外のできごとなのか、あるいは室内でのことな のだろうか。」(19頁)「映画が、映写幕にフィルムからの透過光を投げかけたときにメディアとしてあるのだとすると、映写室ですでに巻きとられ過去と なったフィルムと、これから投影されるはずの未来をになうフィルムは実在しないことになる。」(26頁)「観客は過去と未来を見ている。待ち焦がれ思いだ すことの総和として映画はある。」(26頁)
「それでもわたしはコマを繋がねばならない。運動体のないところに運動をつくることが自分であるのだろう。」(27頁)「生の姿を完成させるために現在は 過去になる。(略)わたしの生とは、わたしが記憶しうるかぎり無数の生の姿の配列であり、彼の生とは、わたしが記憶するかぎりの彼の生ま身の配列なの だ。」(27頁)「カットはそれ自体で美しく、かといってほかのカットに連続しないわけではない。」(28頁)「映画をつくることは現在を殺すことだ。」 (30頁)「見えないものを見えているかのように描写するのではなく、見えないものを見えないものとして描く。」(35頁)「彼は観客であるわたしを見て いる。」(36頁)「ひとりという切断された非連続体がどのようにわたしというひとりに繋がるのか。距離を埋めるのではなく、隔たりを回廊にして、運動体 のない運動を生みだす回路がさぐられている。見ることが見ることと向き合う総和が、わたしの見ることだ。」(38頁)

◎内田樹の「「四人目の会席者」と「第四の壁」」(『映画の構造分析』)から。──「「私がひとりきりで海辺にたたずむ姿」を遠景からとらえている、とい うような視覚記憶を私たちは持つことができる。これは私が見たものでもないし、その場に居合わせた骨肉を備えた「誰か」が見たものでもない。それは抽象的 な、ほとんど観念としての「誰か」の視線がとらえた風景である。/私たちの視覚記憶はそのようにつねに「私と誰か」の合作である。その「誰か」は具体的な 人間であることもあるし、私を見つめている抽象的で機能的な「視線」である場合もある。/私たちは「自分の肉眼が見ているはずのないもの」を自分の視覚記 憶として思い出すことができる。これは厳密に言えば非合法的な記憶操作だが、私たちはみな無意識にそのような記憶操作を行っている。/しかし、そのような 非合法的な記憶操作を犯しても、それでもなお「見えないもの」が残る。」(190頁)
「なぜヒッチコックは「第四の壁」を構造的に画面から排除したのか。別に私に確たる答えがあるわけではない。私に分かるのは、「この風景を見ているのは誰 なのか?」という問いを、映画を見ている観客に、意識させないように意識させる、という矛盾した要請をすぐれたフィルムメーカーはみずからの技術的な課題 として引き受ける、ということだけである。」(204頁)
「すぐれたフィルムメーカーは「この映画の表象秩序を基礎づけている視線は、誰のものなのか?」という問いにそれぞれの映像的な解決を与えようとする。/ 小津安二郎が『秋刀魚の味』で試みたような、観客を「物語の中にあるのだが、そこには誰もいないはずの場所」に誘導するというのはひとつの技術的頂点であ るだろう。ヒッチコックは『裏窓』で「すべてがそこから見られる第四の壁そのもの」についての故意の言い落としに観客がいつ気づくのか、皮肉な挑戦を試み た。(略)私たちが「見る者」であろうと欲望するかぎり、私たちは決して自分が「どこから」見ているのか、「何が」私たちに見ることを許しているのかを主 題的に問うことがない。その点について「一歩先んじる」ことによってのみ、フィルムメーカーは観客を「完璧に誘導する」ことができる。そのことをこの二人 は熟知していたのである。」(205頁)
「表象秩序を制定するものの不可視の権力の座を実際に占めているのは、その表象秩序に映り込んでいる私たち自身だ…。「見られることなく私たちを見ている もの」は私たち自身だ…。/表象の天才たちはその事実を、秘やかな目配せによって、私たちに告知するのである。」(209頁)

 「四人目の会席者」や「第四の壁」から、「四人称の記憶」という言葉が浮かんできた。「四人称」という語は、横光利一の「純粋小説論」に出てくる。「キ ルケゴールの『反復』は映画体験の先取りではなかったか。あるいは横光利一の「四人称」とはカメラ・アイのことではなかったか。」ネットで検索していて、 自分が昔書いた文章に出あった。このことをもう一度、残光型記憶(もうそんな勝手な言葉は使わなくてもいいと思うが)の実質とあわせて考えなおしてみたい (ほんとうの「他日」に)。