不連続な読書日記(2006.06-08)



【書評・感想】

●鎌田東二『霊的人間──魂のアルケオロジー』(作品社:2006.4.20)

《極西と極東のあわいに立ち上がった比較霊性学の書》
「本書でわたしは、能で言う「諸国一見の僧」のように、各所・各人を訪ね、その場と人の声音を聴き取り、その奏でる言葉によるたましいの鎮まりと賦活を試 みようとした。観阿弥や世阿弥や元雅が編み出した新しい身魂[みたま]の作法とは異なる、地霊の呼び声と魂のアルケオロジーを求める「霊的人間」の霊性の モノガタリを語ろうとした。」
 序章に綴られたこの文章が本書の実質を語っている。ここに付け加えるべきことがあるとすれば、それは「能」とはこの場合「ケルト能」(イエイツの「鷹の 井戸」に著者が与えた評言)と見るべきであるということくらいだろうか。
 実際、本書で取り上げられた「霊的人間」──各章の主人公となるヘルマン・ヘッセ、ウィリアム・ブレイク、ゲーテ、本居宣長、上田秋成、平田篤胤、稲垣 足穂、W・B・イエイツ、ラフカディオ・ハーンの九人、終章にその名が出てくる(イエイツが「生まれながらのケルト人」と呼んだ)ウィリアム・モリスのほ か、前著『霊性の文学誌』に引き続き登場するノヴァーリス、ドストエフスキー、ニーチェ、そして出口王仁三郎、宮沢賢治、折口信夫、さらには(いずれ著者 によって主題的に論じられることになるだろう)柳宗悦──は、ケルトと日本の間(あわい)に立ち現われた「人間の「原型」を探求する」旅人たちであった。
 そして「諸国一見の僧」もしくは法螺(貝)を吹く旅の修行者にして歌う神道家たる著者もまた、幽けきものの声音に耳を澄ませ、小さきものの存在を幻視す る「驚覚」──「もののあはれ」を知る心(著者はこれを“a sensitivity to spirituality”と訳す)もしくは「「物」から「者」を経て「霊」に至る「モノ」感覚」──をもって、霊的人間という個物に寄り添いながら「よ り普遍的で、より古い」ものを探求する。
 こうして生まれたのが本書、すなわち(ドイツロマン主義によって媒介された)「極西と極東の相聞歌」もしくはケルトと日本の間(あわい)に立ち上がった 比較霊性学の書である。
     ※
 本書はまた「身魂の作法」とは異なる新しい「カタリの作法」をもって「たましいの鎮まりと賦活」を試みようとするものである。
 モノガタリを語る言葉は「声音」をもっている。そこには「物」と「者」と「霊」が共に内在し、死者と生者が共在する。死者の魂が生者の身体を導管として 蘇えるのではなく、あたかも無数の音の波が合成されて一つの音となるように、声音のうちに死者と生者が重ね合わされている。そこでは死者(「霊的人間」た ち)と生者(鎌田東二)がロバチェフスキー幾何学における平行線のようにパラドキシカルな回路でつながり、直接的な会話を交わす。
 霊性もまた個にして普遍、単数にして複数の平行線が無限に乖離しつつ近接するパラドックスのうちにある。
 霊性とは同じもののうちに精妙な差異(個物たち)を生みだし、同時に異なるものを普遍のうちにつないでいく媒介者である。善悪、雅俗、男女、老若、神と 悪魔、「もののあはれ」と「もののけ」、妖精と妖怪等々、無数の反対物を自らの内に孕み生みだし育みつつ一致させる。著者は、そのような「ロバチェフス キー時空間」は即非の論理(色即是空や魔仏一如など)、反対物の一致(ニコラウス・クザーヌス)、絶対矛盾的自己同一(西田幾多郎)に通じるものだと書い ている。
 霊性は「モノ」のうちに無数の「間」をひらき、その「あわい」から立ち上がる潜在性である。坂部恵が『モデルニテ・バロック』で 「Betweenness-Encounter」と訳した「あわい」(「会う)の名詞形)。それは、そこにおいて関係が関係それ自身に関係するところの界 面(木村敏『関係としての自己』)である。

●加藤幹郎『映画館と観客の文化史』(中公新書:2006.7.25)

《目を開いたまま夢を見る場所》
 本書は「日本語で書かれた初めての包括的な映画館(観客)論」である。著者はそう書いている。
 では、なぜこのような書物が書かれなければならなかったのか。「映画はそれ自体としては存在しえない」からである。「映画館(上映装置)のなかで切り取 られる上映時間という生きられた「現在」の空間的な写像ないしは存在論的な時間の問題をぬきにしては、映画は真に論証の対象にのぼることはできない」。
 長いあいだ映画を見ることは「一枚のスクリーンに拡大投影された映像を不特定多数の観客がひとつの場所で視覚的に共有すること」を意味してきた。しかし 過去一世紀以上にわたる多様な映画興行の歴史を振り返ると、このような考え方は根底から修正をせまられる。映画館の座席に縛られてスクリーン上の表象を現 実と誤認する快楽にひたるという観客の「不動性」は、映画史初期から古典期への移行過程でたまたま獲得された歴史的産物にすぎない。
 こうして、透明な窓の向こうの景色(映画作品)ではなく「窓を窓として窓そのものを論ずる」という本邦初の試みが開始された。
 公共的な見世物(スペクタル)としての興行やこれとは異質なキネトスコープ(覗き箱式の映画装置)による映像体験という最初期を経て、安普請の常設映画 館(ニッケルオディオン)の流行から古典的ハリウッド映画を上映する豪華で巨大な映画宮殿(ピクチュア・パレス)へ。そして「映画のテレヴィ化」の過程で 生まれたドライブ・イン・シアターやシネマ・コンプレックスを経て、かつてのパノラマ館のような見世物への回帰を思わせる巨大なアイマックス・シアター へ。あるいはキネトスコープ以来の「ひとりで映画を見るという経験」を復権させたVCRやDVDの出現。
 アメリカ篇、日本篇の二部構成で叙述される映画館(上映装置)とその観客(享受・受容)の歴史は実に興味深い。とりわけ、映画館と教会との親和性(「そ もそもカトリック教会じたい太陽光によって栄光の物語を上映する映画館であるともいえる」)や、列車旅行と映画体験との密接な関係をめぐる考察(「列車の スピードは人生の奥行きを犠牲にして、平板ではあるが簡便な旅を可能にした。それは新しい幻惑媒体としての映画が観客にあたえることのできるものと似てい た」)は刺激的である。
 ただ、本邦初の「新しい冒険」であるだけに、本書には多くの知見や仮説、論点が必ずしも存分に深められ相互に関連づけられることなく後の考察に委ねられ ている。
 たとえば著者は、映画館とはあくまでも「目を開いたまま夢を見る場所」であり、「ひとは映画館のなかや上映装置のまえでかならずしも映画を見ているとは かぎらない」と書いている。この論点(ひとは映画館という都市装置を使ってでほんとうは何をしてきたのか)は本書の随所に見え隠れすが、それが主題的に存 分に論じられることはない。
 あるいは「ひとが観客になる」とはどういうことか。著者が示した仮説(「カメラの遍在性に裏打ちされた観客の視線の遍在性とパノラマ性が、ひとをして 「観客」たらしめる」)を列車旅行やDVD等々がもたらす体験に即して具体的に検証していくことで、どのような議論がひらけるだろうか。
 そして映画館・観客の文化史と映画受容との関係。「映画館(ないし映画装置)の差異が映画作品の解釈にどのような影響をおよぼすのか」という論点であ る。著者にはすでに『「ブレードランナー」論序説』がある。こうした個々の映画作品をめぐる受容=解釈の歴史の解明を積み重ねていくことで、著者いうとこ ろの「硬直状態」から映画史が救済されるのだろう。

●池田雄一『カントの哲学──シニシズムを超えて』(シリーズ・道徳の系譜,河出書房新社:2006.6.30)

《世界を美学的に見ること》
 カントの三批判書を「九龍城のような建物」あるいは「大地震のあとの廃墟」と譬え、「この建築物の不完全性には、なにか重大な意味が隠されている」、カ ントのテキストは「それが何のために書かれているのかわからない書物として読むべきである」と啖呵を切る序文が素晴らしい。
 また、同じ序文で映画『マトリックス』を取り上げ、その物語世界とカントの批判哲学との親和性を論じているように、「映像の時代」もしくはヴァーチャル なメディア空間の時代、そしてポスト冷戦期の消費社会を生きる現代資本制下の感受性や欲望、思想や政治の状況に関連づけて、カントを軽々と読み囓っていく 手際が見事だ。
 本書の読みどころは、細部の考察のうちに縫い込まれたこうした潔い断言と、そこに無造作に取り入れられた多彩な素材を部品として、本書のキーワードを使 えば「目的なき合目的性」を意識しながら緻密に組み立てていった論述の鮮やかさにある。
 しかしその一方で、それらの細部がたたえる魅力に比して論考全体の印象がずいぶん中途半端なものに見えてしまう。
 そこで「主張」されているのはこういうことだ。カントの批判哲学はシニシズムを帰結する。しかし同時に「シニカルな時代における行動の原理、シニシズム の対抗原理」をそこから読みとることが可能だ。その転回は、あたかもプトレマイオスの天動説から「趣味判断」をもってコペルニクスの体系にシフトするよう にしてなされる。このコペルニクス的転回のための具体的方策は、カントを第三批判書から読み解くことである。世界を美学的に見ることである。
《カントは『判断力批判』のなかで、人体に対しても、それを何に使ったらいいのかわからない道具としてみる必要があると述べている。カントにとって美学的 に世界をみるということは、世界を廃物として眺めるということを意味するのだ。このことは、世界を美しい仮象、スペクタクルとして鑑賞するということを意 味するわけではない。》
 著者はカントの著書を廃墟としての建築物に譬えた。建築物とは「それ自身が世界であるような道具」であった。つまり、著者が言っているのは、カントの三 批判書を「美しい仮象」として鑑賞するのではなく、「何に使ったらいいのかわからない道具」として眺めること、具体的にはカントを第三批判書から読み直す ことである。そのことが「構想力の逆転写」すなわち「対象、その表象から図式、そして悟性的概念へと、判断が逆流する」可能性をひらいていくということで ある。
 本書が全体として与える中途半端な印象は、対象(三批判書)そのものに自ら(シニシズムの対抗原理)を語らせようとする著者の叙述の方法がもたらしたも のだ。それは、実体的なものとして「目的」を語ることによって「目的なき合目的性」そのものの生の感触が消失してしまうことをおそれての戦略だったのだろ う。
 あるいは、カントの三批判書を最後から読み直すことでもってあぶりだされる新しい主体、新しい自由の可能性と、それを実体的に語ることの不可能性との両 面を、叙述の全体でもって示したかったということなのかもしれない。本書末尾の次の文章に心底衝撃を受けるかどうかは、読者がそのことを自らの構想力のは たらきでもって確認できたかどうかによる。
《趣味判断の主体はいったい誰なのか。判断をくだす当人なのか、それとも彼に憑依した不可視の誰かの意志なのか。カントにとって世界を美学的に見るという ことは、世界を怪物と化したサイボーグとして注視し、その声にならない機械音に耳を傾けるということだったのではないだろうか。》

●内田樹『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書:2006.7.20)

《考える人》
 理路の人・内田樹が繰り出す高級漫談の切れ味は鮮やかだ。ところが、圧巻ともいえる「終章」をロジカル・ハイとともに一気呵成に読みきって、はて私はこ の本を読み終えることでいったい何を得たのだろうか、その点がはなはだ心許ない。
 この書物に鏤められた「無謀な着想」や「驚くべき思弁的仮説」や「めまいのするような仮説」の一つ一つを数え上げることはたやすい。
 ユダヤ人とは誰のことか。それは国民名でも人種でもユダヤ教徒のことでもない、それは「国民国家と国民」といった枠組みで思考している限りは理解するこ とのできない、いやそもそも「それ」として語る語彙すら持たない「まったく異質なもの」「端的に私ならざるもの」に冠された名である。「ヨーロッパがユダ ヤ人を生み出したのではなく、むしろユダヤ人というシニフィアンを得たことでヨーロッパは今のような世界になったのである。」
 「ユダヤ人はこの「世界」や「歴史」の中で構築されたものではない。むしろ私たちが「世界」とか「歴史」とか呼んでいるものこそがユダヤ人とのかかわり を通じて構築されたものなのではないか。」

 なぜユダヤ人は迫害されるのか。それは「反ユダヤ主義者はユダヤ人をあまりに激しく欲望していたから」である。非ユダヤ人が「欲望」するのは、ユダヤ人 の知性である。「ユダヤ人が例外的に知性的なのではなく、ユダヤにおいて標準的な思考傾向を私たちは因習的に「知性的」と呼んでいるのである。」
 いずれも内田節(理路)が冴え渡っている。しかしそれらを束ね重ねあわせ、かつ一冊の書物としての結構を踏まえ、内田氏はこの本を書くことでほんとうは 何を言いたかったのかを整理要約して語ることができない。
 『私家版・ユダヤ文化論』には、これを一冊の書物として、つまりそれぞれの章や節に書かれた事柄を一続きの論述として、一個の物語(理説)として編成し 整序する土俵が欠けている。というか、内田氏はそうした土俵(言語と言っていいかもしれない)の起源、あるいはそもそも「考える」とはどういう事態だった のかという問題を、もはや想像することすらかなわぬ知性の起源以前との対比で「考える」という不可能事に挑んでいる。
 だから本書は、その構成において完璧に破綻している。「ユダヤ人」をめぐる認識論(第一章)と存在論(終章)というまったく位相を異にする論考が、その 間に「ユダヤ人」という概念とそれへの欲望の近代日本とフランスにおける使用例・発現例の概観(第二、三章)をはさんで媒介される。異なる書物の異なる章 を任意に切り出し、あたかもカバラか聖書のように編集したもののようだ。それを内田氏は意図的にやっている(たぶん)。「私家版」とはそういう意味だった のではないか。
 内田氏は「新書版のためのあとがき」に、「私のユダヤ文化論の基本的立場は「ユダヤ人問題について正しく語れるような言語を非ユダヤ人は持っていない」 というものである」と書いている。こんな告白を最後の最後になって記すのは実に人が悪いと思うが、ここで注目したいのは、なぜ「新書版のための」とわざわ ざ書かれているかということだ。
 雑誌連載時に書いた「あとがき」風の文章(終章8節「ある出会い」)に加えてといった趣旨なのかもしれないが、そうではないだろう。新書版以外の版が想 定されているからに違いない。それはこれから書かれるものかもしれないし、すでに著されているのかもしれない。あるいは、もう一つの私家版として私の脳髄 の中に常に既に巣くっているのかもしれない。

●山折哲雄『「歌」の精神史』(中公叢書:2006.8.10)

《「耳と心」でたどる日本宗教芸能史》
 「歌」とは身もだえする語りである。「ひとり」をめぐる感受性と情調の千年におよぶ歴史のうちに育まれた伝統的な「叙情という名の魂のリズム」である。 「ひとり」とは外来語としての「個」に対応するひびきをもつ大和言葉で、「魂鎮め」や「魂乞い」というときの魂のことだといっていいだろう。
 「歌」には、実人生へのリアリズム感覚に裏打ちされた深く清冽な情感(悲哀感)が湛えられている。中世という「聴覚の時代」に淵源する「無常観と生命の 昂揚感」の伝統が流れている。この魂の律動、生命の律動を聴き取るには「耳と心」をもってしなければならない。
 それでは今日、日本の詩歌の世界にかつてのような叙情の息吹や香りを感ずることができるだろうか。著者は美空ひばりの死とともに、いやそれに先んじて叙 情はすでにアスファルトのように乾ききっていたと嘆じる。
 宗教的世界観(無常観)と叙事的文学(生命律)を分離し、歌唱の伝統に背を向けてテキストの内部に自閉するひからびた知性の跋扈が、この惨状をもたらし たのである。それは「語りを忘れた人文学」が陥った衰弱と対をなす現象でもあった。
 こうして人文学者・山折哲雄による、日本文化の「遺伝子」あるいは「ウィルス」ともいうべき「伝統的な生命リズム」の系譜をめぐる探求が開始される。
 萩原朔太郎を介して古賀政男と石川啄木が並置され、啄木から西行へ、西行から親鸞の和讃へ、そして今様歌謡などの法悦文芸へと、「叙情の源流」を尋ねる 旅は遡行していく。その過程で挽歌と相聞歌の同質性や釈教歌の意義(道元における歌の切実さ)が明らかにされ、最後に、瞽女唄と盲僧琵琶の調べを経て北原 白秋の童謡へと降る。
 歌唱の伝統のうちに息づく「歴史の旋律、精神の鼓動」に寄り添いながら、著者の筆致は時に軽やかに、時に沈痛に、そして演歌、歌謡曲、童謡の歌詞が引用 された箇所ではおそらく自ら節をとり唄いながら、自在に進んでいく。とりわけ「流離と放浪のなかで浮沈をくり返す盲人の精神史」をあつかった章では、著者 は静かに高揚している。
「芸能と信心が未分化のまま支え合う哀感の歴史、といってもいい。瞽女の唄と語りのかなたから能の詞章が蘇り、浄瑠璃や常磐津のリズムがきこえてくる。中 世の和讃や今様の旋律までがひびく。」
「小林ハルさんの瞽女唄と永田法順さんの盲僧琵琶の語りが、一瞬、そのような長い長い宗教芸能史の起伏に富んだ流れをわれわれの眼前に蘇らせてくれるの だ。小林ハルさんの瞽女唄語りも永田法順さんの釈文語りも、それをきけばわかるように感傷の涙に曇らされることのない強い響きと鋭い感情表現をもってい る。物語の主題をみすえた対象把握の全身的な構えは、おそらくそのきびしい盲目の生活体験によってきたえられ培われたものであったにちがいない。
 現代の歌謡や詩歌からはすでに見失われてしまった叙事的な哀感の調べが、そこにはわずかに流れつづけているように思えてならないのである。」
 雑誌連載という出自がもたらした制約とそれと裏腹な表現の自由度が、著者をして新しい人文学の書を書かしめた。あとがきにいう「瓢箪から駒」とは、おそ らくそのことだ。「思索と体験が出会う究極の到達点」。道元の歌に寄せて語られたこの言葉は、「耳と心」でたどる宗教芸能史という人文学の新しい語り方 (親鸞の和讃に匹敵する)を的確に形容している。

●三浦展編著『脱ファスト風土宣言──商店街を救え!』(洋泉社新書y:2006.4.21)

《ファスト風土は現代の無縁の空間である》
 本書を読みながら、「ファスト風土」は現代の「無縁」(網野善彦)の空間ではないかということを考えている。それは、柄谷行人の『世界共和国へ』を読ん でいて、官僚制組織こそが、いいかえれば「個人として責任をとらない『システム』」(石牟礼道子)こそが「無縁」から発生する組織の一つの完成形態なので はないかと考えたことと呼応している。
 本書収められた「日本の商店街は世界のお手本」で服部圭郎氏が、9.11の背景にはイスラム都市のファスト風土化現象があると書いている。どういうこと かというと、同時テロの主犯の一人モハメッド・アタは「カイロ大学で建築を、ハンブルグ工科大学で都市計画を学び、西洋の悪い影響がシリアの古都アレッポ の美しい都市景観と風土を破壊していることに対しての怒りをつねづね述べていたそうだ。グローバル経済、そして自動車、高層ビルによって、イスラムの魂が 失われていることに強く憤っていたのである。」
 「グローバル経済・自動車・高層ビル」の三題噺で、現代文明の本質をさくさくと捌くことができそうだ。たとえば、高層ビルが林立するマンハッタンはゲッ トー(ユダヤ人居住区)の風景の現代版だと、出典は忘れたがどこかで読んだ記憶がある。自動車は高速移動(高速体験は異界=他界への通路をひらく)、匿名 空間(人を変える空間)のメタファー。株やダイヤなどのポータブルな資産を持ち運び、ホテルの高層階で暮らす裕福なユダヤ人。そんなステレオタイプなミス ター・グローバルエコノミーの人物像が頭に浮かぶ。
 ファスト風土は現代の「無縁」である。官僚は「無縁の原理」の体現者である。これだけだと何も言ったことにならないし、あまりに漠然かつ粗雑である。 『宣言』での三浦展との対談で、オギュスタン・ベルクが「人工的な都市の都市性の欠乏をどういうふうに分析していくか」が「以前から私が抱いているテー マ」だと語っている。ここでいわれる「都市性」について、「本物の街の特徴とは、出会いが可能であるということ」「都市性とは社会のエッセンスなんです」 と語っている。これをヒントに、ステレオタイプな仮説を提示する。仮説というほどの実質はないが。
 かつて都市は匿名の空間、人を共同体のしがらみから自由にする無縁の場であった。しかし、人がそこで暮らす空間としての都市はやがて村落とは違うもう一 つの共同体を生みだし、無縁の場がもつエネルギーは「悪所」へと封じ込められていった。その囲い込まれた無縁の空間は「官僚」(忘八者?)が娑婆の倫理を 超えた作法で管理するようになった。そして現代の高度資本主義の時代になると、かつての「悪所」が都市という共同体の制約を超えてグローバルに、ユビキタ スに跳梁するようになった。この都市を囲い込む空間(郊外)を新たな「官僚」が管理する。
 あまり面白くはないが、この線でしばらく考えてみよう。いま「無縁の場がもつエネルギー」と書いた、そのエネルギー(悪の力?)はどこから来るのか。神 仏といってしまえば簡単だが、では「神仏」とは何か。それら、もしくは「それ」はどこにいるのか。あるいは、そもそもこれが「共同体」ですと、モノのよう に認識することができるのか。村の寄り合いのように、だらだらと飲み食いしながらあーでもないこーでもないとお喋りするプロセスのうちにしかないのではな いか、等々。

●網野善彦『日本中世に何が起きたか──都市と宗教と「資本主義」』(洋泉社MC新書:2006.5.22)

《悪という力》
 巻末の「あとがきにかえて 宗教と経済活動の関係」で網野氏は、かつて『無縁・公界・楽』(1978年)の「まえがき」に書いたことを述懐されている。 高校教師をしていたとき、生徒から「なぜ、平安末・鎌倉という時代にのみ、すぐれた宗教家が輩出したのか。ほかの時代ではなく、どうしてこの時代にこのよ うな現象がおこったのか」と問われ、一言の説明もなしえず頭を下げざるをえなかったと。
 高校生の質問を受けてから三十年。「本書はそれ以後の模索の中で、どうやら見えてきたように思われるこの問題の私なりの「解決」への展望の中でまとめた ものである」。では、その「解決への展望」とは何か。それは「悪」、すなわち「人のたやすく制御することのできぬ得体の知れない力」にかかわってくる。網 野氏の文章をそのまま書き写す。
《十三世紀から十四世紀にかけての時期は、銭貨の本格的浸透に伴う人間関係のあり方の大きな変化、それ以前の神仏の権威の低下という、自然と社会の関係の 転換に伴い、この「悪」をめぐって、政治的・思想的にきびしい緊張関係が生まれた。政治的には「悪党」・「海賊」を徹底的に禁圧し、商業・金融を抑圧しよ うとする「農本主義」的政治路線と、むしろ商人、金融業者と積極的に結びついて流通路を支配し、悪党・海賊もそのために動員することを辞さない「重商主 義」的路線との間の鋭い対立がつづくが、思想的には、まさしくこの「悪」の問題と正面から向かいあった思想家たちが、鎌倉仏教の祖師となっていったという ことができるのではないか、と私は考えてみたいのである。
 その中には、「悪人」を積極的に肯定し、自らもその中に身を置いた親鸞、一遍、日蓮などの動きと、それをやむをえぬあり方として承認し、それなりの位置 づけを与えようとした律宗、禅宗などの動きとの違いはあったが、いずれも「悪」についての思索と対処を通してそれぞれの宗派を形成していったと見てよいの ではなかろうか。
 もとよりこれに対して、『天狗草紙』や『野守鏡』のような烈しい批判に代表される圧迫があったことはいうまでもないが、十四世紀から十五世紀にかけて、 禅宗・律宗は幕府と結びついてその立場を確立し、十五、六世紀には真宗、時宗、法華宗もその教線を拡大し、とくに真宗、日蓮宗は教団として大きな力を持つ にいたったことは周知の通りである。
 そしてこれが、多くの先学の研究に学びながら到達した最初にのべた高校生の質問に対する現在の私の解答ということになる。日本列島の人類社会は、日本国 が出現してからの歩みの中で、それまで経験したことのない大きな転換期にさしかかりつつあり、そこに生じた「悪」をはじめとするきわめて深刻な問題に、思 想家たちは真向から否応なしに取り組まざるをえなかったのである。「すぐれた宗教家」がこのときに輩出した理由はここに求めることができよう。》
 さて、この「解答」に件の高校生は納得するだろうか。「日本列島の人類社会」に最初に訪れた「自然と社会の関係」をめぐる大きな転換期の意義を、身体感 覚に根ざしたかたちで理解すること(「思い出す」こと)ができるだろうか。日本国出現(七世紀末)以前の「原始」といわれた社会のうちに淵源をもつ商品・ 貨幣・資本、すなわち人の力を超えた「聖なる世界」(神仏)と結びついた資本主義。それが14世紀前後で大きく変質する。「現代の人類社会」を生きる高校 生なら、たぶん解るはずだ。

●渡辺公三・木村秀雄編『レヴィ=ストロース『神話論理』の森へ』(みすず書房:2006.4.14)

《「写真は、映画によってみずからの静止性を発明した」》
 本書に納められた鈴木一誌さんの「重力の行方──レヴィ=ストロースからの発想」という文章が滅法面白かったので、少しばかり抜き書きしておく。
 レヴィ=ストロースと音楽という、ありきたりといえばありきたりな切り口からではなく、写真や映画からレヴィ=ストロースを論じる。「映像を使用した人 類学なのではなく、映像的な視角による人類学」。しかも、それが最後になって、重力と無重力の対比を通じて、写真・映画と音楽と神話が同じ次元で論じられ る。「写真が切りとる〈薄さ〉には、おそらく重力が写っていない。」「物音は現実世界に根をおろし、いわば重力をもっているのに対し、「音楽以外のなにも のも模倣しない」音楽をなりたたせる楽音には、重力がない。」「重力のある地平と無重力の場の往還、つまりは「天と地のコミュニケーション」から神話の駆 動力が生みだされている。」
 なんの要約にもなっていないし、そもそも『レヴィ=ストロース『神話論理』の森へ』の書評になっていないが、とにかく「重力の行方」はスリリングな論考 だった。以下、とりわけぐっときた一節を引用しておく。
《映画監督ロベール・ブレッソンはこう書きとめている。/「トーキー映画は沈黙を発明した」/映画が音声をもつことで、表現としての〈沈黙〉が出現したの だと言う。サイレント映画における単層は〈沈黙〉をもちえなかったのだ。ブレッソンにならって言えば、写真は、映画によってみずからの静止性を発明したと 思えるのだが、かといって、映画には運動があらかじめ与えられていたのではない。静止写真の集積にほかならない映画は、見る行為によって連続化され、運動 を獲得する。静止写真の非連続性をつなぎえたことが、観客の「映画を見た」との達成感の基本にある。写真は世界の複写である、と言え、写真が世界の複製で あるかぎりで、写真は世界へと連続している。対象に従属することなく、被写体の物語に誘引されずに、写真を、フィルムや印画紙上の感光材料や顔料にすぎな い〈薄さ〉へと滞留させ、結果的に写真と世界のあいだに非連続をもちこむことが、写真を生きることにほかならない。》
 これほど見事なレヴィ=ストロースの、そして『神話論理』の紹介があるだろうか。しかもそれはほんの一例なのである。本書に収められた十のエッセイと一 つのインタヴューは、その一つ一つが硬質の輝きを放ちながら『神話論理』の深い森の中の道を照らし出している。

●中沢新一『芸術人類学』(みすず書房:2006.3.22)

《職人が奏でる抽象の協奏曲》
 中世の職人歌合に、学者と芸者が並べて描かれているのを宗教学を学ぶ甥に見せて、網野善彦がこう語った。
「ほうら、学者も芸者みたいに、正確にものごとを認識したり、表現したりできないとだめなんだぞ。芸者は正確に芸ができなくっちゃあいけない。天皇だって そうだ。天皇は儀式をおこなう職人だというのが、長い間の日本人の認識だったんだよ。その職人技を手放してしまうと、いったい天皇にはなにが残るのだろ う。職人技の基礎のない学者は、いずれ政治家かジャーナリストになっていくしかないだろう。それと同じように、よい和歌を詠み、宮中の儀式を正しくおこな える職人としての技量が、天皇にも必要だったわけさ。君も学問を志すならば、まず何かの職人にならなくちゃあいけない。そうでないと、なにも生み出せな い」。
 宗教学を学ぶ甥というのは著者のことで、この話は本書に収められた「友愛の歴史学のために」に出てくる。ちなみに著者は、職人技(たとえば、歴史学者に とっての古文書解読の技術)と並んで学者の創造力にとって必要なものは「抽象力」であると語っている。
「「人民」という概念が、戦後の新しい日本の歴史学を開いていきました。しかしそれがほんとうの意味での「民衆史」となるためには、網野さんによる「非農 業」という新しい構造層の発見が必要でした。それを発見するには、たんなる実証的な研究を超えた、ある種の抽象力がなければなりません。「非農業」という 概念は、たんに職人についての実証的研究を積み重ねていけば、自然にあらわれてくるようなものではないのだということを、私は強調したいのです。あらゆる 創造的な学問は、新しい概念の発見が生み出してくるものです。そういうことはめったにはおこりませんが、網野善彦の学問には、それがおきたのです。」
 新しい概念を作ること。「新しい認識が新しい生き方の創出に結びついていけるような」新しいサイエンスを創造すること。本書は、そのような中沢新一の学 問(未完の「芸術人類学」)へ向けられた十二のスケッチ集である。レヴィ=ストロースとジョルジュ・バタイユ。バイロジカルな野生の思考と非知。宗教理論 と唯物論。コーラとイデア。精神と自然。物質科学と人文学。古論理とマトリックス論理。メビウスとトーラス。これらの二つの論理、二つの極の中間領域で奏 でられた美しい協奏曲である。

●吉本隆明『カール・マルクス』(光文社文庫:2006.3.30)

《紙一重》
 文庫本で吉本隆明の著書を二冊、同時に読み進めた。『カール・マルクス』(光文社文庫)と『最後の親鸞』(ちくま学芸文庫)。なんど読み返しても、咀嚼 しきれない濃厚な残余が後を引く。思想家としての吉本隆明の凄さが判る。そんな気がする。どちらにも中沢新一の解説(「マルクスの「三位一体」」,「二十 一世紀へむけた思想の砲丸」)がついていて、力がこもっている。
 ここでは、思考をめぐるなにか根源的な事柄が語られている。けれども、それはまだ朦朧としている。今のところはただ一点、二つの書物の冒頭にあたる箇所 にでてくる共通の語彙をめぐって、前後の文脈をぬきにして抜書きしておく。
《ひとは、たれでもフォイエルバッハのこの洞察が、ほとんどマルクスと紙一重であることをしることができるはずだ。そういった意味では、この紙一重を超え ることが思想家の生命であり、もともとひょうたんから駒がでるような独創性などは、この世にはありえないのである。
 マルクスにとっては、フォイエルバッハのように、〈自然〉は、人間と自然とに共通な基底ではなかった。それは〈非有機的身体〉と〈有機的身体〉として相 互に浸潤しあい、また相互に対立しあう〈疎外〉関係であった。わたしのかんがえでは、フォイエルバッハが、あたかも光を波動とかんがえたとすれば、マルク スはそれを粒子という側面でかんがえてみたのである。それは、マルクスがギリシア〈自然〉哲学の原子説を生かしきったことを意味している。フォイエルバッ ハの〈共通の基底〉を、〈疎外〉にまで展開させたおおきな力は、この紙一重の契機であった。》(「マルクス紀行」,『カール・マルクス』)
《けれど法然と親鸞とは紙一枚で微妙にちがっている。法然では「たとひ一代ノ法ヲ能々学ストモ、一文不知ノ愚とんの身ニナシテ」という言葉は、自力信心を 排除する方便としてつかわれているふしがある。親鸞には、この課題そのものが信仰のほとんどすべてで、たんに知識をすてよ、愚になれ、知者ぶるなという程 度の問題ではなかった。つきつめてゆけば、信心や宗派が解体してしまっても貫くべき本質的な課題であった。そして、これが云いようもなく難しいことをよく 知っていた。
 親鸞は、〈知〉の頂きを極めたところで、かぎりなく〈非知〉に近づいてゆく還相の〈知〉をしきりに説いているようにみえる。しかし〈非知〉は、どんなに 「そのまま」寂かに着地しても〈無智〉と合一できない。〈知〉にとって〈無智〉と合一することは最後の課題だが、どうしても〈非知〉と〈無智〉とのあいだ には紙一重の、だが深い淵が横たわっている。》(『最後の親鸞』)


【読了】

●池田雄一『カントの哲学──シニシズムを超えて』(シリーズ・道徳の系譜,河出書房新社:2006.6.30)
●内田樹『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書:2006.7.20)
●山折哲雄『「歌」の精神史』(中公叢書:2006.8.10)
●加藤幹郎『映画館と観客の文化史』(中公新書:2006.7.25)
●鎌田東二『霊的人間──魂のアルケオロジー』(作品社:2006.4.20)
●福田アジオ編『結衆・結社の日本史』(結社の世界史T,山川出版社:2006.7.15)
●手嶋龍一『ウルトラ・ダラー』(新潮社:2006.3.1)
●司馬遼太郎『新装版 播磨灘物語(一)』(講談社文庫:2004.1.15)
●司馬遼太郎『新装版 播磨灘物語(二)』(講談社文庫:2004.1.15)
●司馬遼太郎『新装版 播磨灘物語(三)』(講談社文庫:2004.1.15)
●司馬遼太郎『新装版 播磨灘物語(四)』(講談社文庫:2004.1.15)
●二ノ宮知子『のだめカンタービレ』♯15(講談社:2006.6.13)
●かわぐちかいじ『太陽の黙示録12』(小学館:2006.9.1)
●草凪優『祭りの夜に』(双葉文庫:2006.7.20)
●草凪優『ふしだら天使』(双葉文庫:2004.9.20)
●草凪優『月子の指』(徳間文庫:2006.4.)
●草凪優『発情期』(徳間文庫:2006.8.15)
●神崎京介『女薫の旅 情の限り』(講談社文庫:2006.5.15)
●アダム・ファウアー『数学的にありえない』上下(矢口誠訳,文藝春秋:2006.8.25)


【購入】

●茂木健一郎『食のクオリア』(青土社:2006.6.10)【¥1400】
●鎌田東二『霊的人間──魂のアルケオロジー』(作品者:2006.4.20)【¥1900】
●鈴木一誌『画面の誕生』(みすず書房:2002.9.20)【¥3200】
●末木文美士『日本宗教史』(岩波新書:2006.4.20)【¥780】
●郡司ペギオ−幸夫『生きていることの科学──生命・意識のマテリアル』(講談社現代新書:2006.6.20)【¥760】
●手嶋龍一『ウルトラ・ダラー』(新潮社:2006.3.1)【¥1500】
●二ノ宮知子『のだめカンタービレ』♯15(講談社:2006.6.13)【¥390】
●『考える人』2006年夏号(新潮社)【¥1333】
●小島信夫『残光』(新潮社:2006.5.30)【¥1600】
●池田雄一『カントの哲学──シニシズムを超えて』(シリーズ・道徳の系譜,河出書房新社:2006.6.30)【¥1500】
●内田樹『子どもは判ってくれない』(文春文庫:2006.6.10/2003)【¥629】
●フランコ・カッサーノ『南の思想──地中海的思考への誘い』(ファビオ・ランベッリ訳, 講談社選書メチエ:2006.7.10)【¥1800】
●草凪優『祭りの夜に』(双葉文庫:2006.7.20)【¥571】
●草凪優『ふしだら天使』(双葉文庫:2004.9.20)【¥581】
●草凪優『月子の指』(徳間文庫:2006.4.15)【¥571】
●草凪優『発情期』(徳間文庫:2006.8.15)【¥571】
●神崎京介『女薫の旅 情の限り』(講談社文庫:2006.5.15)【¥590】
●福田アジオ編『結衆・結社の日本史』(結社の世界史T,山川出版社:2006.7.15)【¥3200】
●加藤幹郎『映画館と観客の文化史』(中公新書:2006.7.25)【¥860】
●内田樹『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書:2006.7.20)【¥750】
●司馬遼太郎『新装版 播磨灘物語(一)』(講談社文庫:2004.1.15)【¥629】
●司馬遼太郎『新装版 播磨灘物語(二)』(講談社文庫:2004.1.15)【¥629】
●司馬遼太郎『新装版 播磨灘物語(三)』(講談社文庫:2004.1.15)【¥629】
●司馬遼太郎『新装版 播磨灘物語(四)』(講談社文庫:2004.1.15)【¥629】
●司馬遼太郎『街道をゆく9 信州佐久平みち、潟のみちほか』(朝日文庫:1979.2.20)【¥520】
●司馬遼太郎『ペルシャの幻術師』(文春文庫:2001.2.10)【¥543】
●『GOETHE〔ゲーテ〕』2006年9月号(幻冬舎)【¥667】
●三中信宏『系統樹思考の世界──すべてはツリーとともに』(講談社現代新社:2006.7.20)【¥780】
●元ちとせ『ハナダイロ』【¥3200】
●ジョディ・フォスター『フライトプラン』【¥3200】
●山折哲雄『「歌」の精神史』(中公叢書:2006.8.10)【¥1500】
●『ナンバープラス 永久保存版|中田英寿』(文藝春秋:2006.9.3)【¥933】
●かわぐちかいじ『太陽の黙示録12』(小学館:2006.9.1)【¥505】
●アダム・ファウアー『数学的にありえない』上下(矢口誠訳,文藝春秋:2006.8.25)【¥2095×2】


 【ブログ】

★6月1日(木):「私的言語」に関する覚え書き

 昨日書いたことの補足。入不二基義さんの『ウィトゲンシュタイン』で、第三章の私的言語をめぐる議論についていけなかったことについて。要するに、「私 的言語」とは何かが腑に落ちていないのだと思う。『哲学探究』をちゃんと読めば判るのかもしれない。この本はもうずいぶん昔から部屋の本箱の隅に鎮座して いるし、何度も拾い読みをした覚えはあるのだが、まともに最初から最後まで読み通したことがない。読みもしないで「判らない」もあったものではない。だか ら、読みもしないで私的言語について思いつきを書くのは噴飯ものだ。いつか噴飯する日のために書いておく。

 呪文と祈りと私的言語の三つ組を考える。「呪文」は、神社やお寺や教会で「神様仏様どうか」とお願い事をする、いってみれば他人任せの言葉。これだけ信 心を積んだのだからと、それ相応のお返しを期待する。あてがはずれると「神も仏もない」と拗ねる。「祈り」はもうちょっと高級、もしくは人品骨柄に気品が あって、返礼を求めず、ただひたすら祈る。祈ることで気分がすっきりする(あきらめがつく)効用があるが、そういう効用を期待してのことではない。祈る相 手は「神様仏様」と手軽にすがられる相手ではない。絶対に届かないところに、いや届く届かないの議論が無効になるような場所(入不二流の言い方では「な い」よりもっと「ない」ところ)に向かって、祈りの言葉は発せられる。
 私的言語は、「光あれ」というと「光」が到来する、そういう言葉のこと。もっと気の利いた名(たとえば「預言」とか「啓示語」とか「ジョイス語」とか) を与えたいが、にわかに思いつかない。その卑近な例をあげると、「痛い」という言葉は、「私はいまこれこれしかじかの部位に炎症を起こしている」ことの報 告ではなく、言葉が言い表している事態がまさにその言葉を発することにおいて出現している。「痛い」は痛い。だから「痛い」が本当に痛いかどうか(真実か どうか)を検証することはナンセンスだ。『ウィトゲンシュタイン』では、このことに気づいてウィトゲンシュタインは『論考』の言語観(写像説)をあらため たと書かれていた。うろ覚えで怪しいが。
 呪文の双方向、祈りの一方向に対して、私的言語はそういった諸々の「言語ゲーム」が営まれる土俵そのものを創造する。ふたたび卑近な例をあげる。心の中 で思ったことがそのまま現実になってしまう事態を想定してみる(「心の中で思う」のも言葉なくしてはできないのだから、これも私的言語の一つのバージョン である)。神の思惟が、現実世界となるような事態。あるいは、これもまた私には経験がないが、統合失調症の人が妄想に苦しんでいるような事態。
 この場合、「心の中で思った」ことを「心の中で思ったこと」と認定するのは、「私はそのように(現にいま世界がそうであるのと同じように)心の中で思っ た」と述懐する「私」だ。「そのようなことを心の中で思ってはいけない」と思うのもその同じ「私」だ。だとすると、「私」が「『そのようなことを心の中で 思ってはいけない』と心の中で思った」とき、現実世界はいったいどうなっているのだろう。
 いや、そういうことを考えたかったわけではない。私がここで考えたいのは、「心の中で思った」ことと「現にいま世界がそうである」ことが同時に成り立っ てしまうとき、そのような事態を認定する「私」を想定することができるか、というよりはたして意味があるか、ということだった。入不二氏の議論は、そうい うことだったのではないか。自信はないが、もしそうだったら、「私的言語」の問題は、「私」自身の問題である。

★6月2日(金):「私的言語」に関する覚え書き(補遺)

 昨日書いた「のおもいつき」のネタを二つ、後日の噴飯(最後の噴飯)の日のために記録しておく。その1は、柄谷行人著『世界共和国へ』の「普遍宗教」を あつかった箇所に出てくる。
《ここで、私が考えたいのは、宗教史や宗教社会学において語られてきた問題を、交換様式からとらえなおすことです。たとえば、宗教は呪術の段階から発展し たと考えられていますが、呪術とは、超越的・超感性的な何かへの、互酬的な関係です。すなわち、超感性的な何かに贈与する(供犠を与える)ことによって、 それに負い目を与えて人の思う通りにすることが、呪術なのです。ウェーバーは、祈願、供犠、崇拝という宗教的な形態が、呪術に由来するのみならず、ほとん どそれを脱していないことを指摘しています。
 預言者宗教はこうした呪術を否定しますが、そこでもやはり呪術が強く残る。《宗教的行為は「神礼拝」ではなくて、「神強制」であり、神への呼びかけは、 祈りではなくて呪文である》。《すなわち、「与えられんがために、われ与う」(Du ut des)というのが、広くゆきわたっているその根本的特質である。このような性格は、あらゆる時代とあらゆる民族の日常的宗教性ならびに大衆的宗教性にの みならず、あらゆる宗教にもそなわっている。「此岸的な」外面的災禍を避け、また「此岸的な」外面的利益に心を傾けること、こういったことが、もっとも彼 岸的な諸宗教においてさえも、あらゆる通常の「祈り」の内容をなしているのである》(『宗教社会学』、武藤一雄ほか訳)。
 ウェーバーが指摘する「呪術から宗教へ」あるいは「呪術師から祭司階級へ」の変化は、社会的には、共同体から国家への移行に対応するものです。そこで、 祭司階級は支配階級の一環としてあります。読み書きに堪能な祭司階級が官僚体制と接合したのです。一般に、呪術師は雨乞い祈祷師ですが、メソポタミアやア ラビアでは、収穫を生み出すのは雨ではなく、もっぱら灌漑であると見なされた。このことが、国王の絶対的支配を生んだわけですが、同時に、大地や人間を産 み出す神ではなく、それらを「無から」創り出す神という観念を生ぜしめる一つの源泉となった、とウェーバーはいっています。》(柄谷行人『世界共和国へ』 89-91頁)

 その2は、「晶文社WONDERLAND」[http://www.shobunsha.co.jp/]に掲載された斉藤環さんの「生き延びるためのラ カン第17回 ボロメオの輪の結び方」[http://www.shobunsha.co.jp/h-old/rakan/17.html]から。
《だから簡単に言えば、ジョイスは妄想を持たないパラノイア患者で、作品がその妄想の代わりになったということになる。ラカンはジョイスの作品が、無意識 とは関係なく作られているとみなす。つまり、それは意識的に発揮された「技術」の産物だってことだ。この指摘はちょっと面白いね。シュールレアリズム運動 の人たちに限らないけど、無意識こそがインスピレーションの源泉で、無意識をじょうずに解放できれば素晴らしい作品ができると信じている芸術家はいまだに 多いからね。でも、そういうことを主張するような人の作品ほど、頭でっかちで観念的なものになりがちにみえるのは、どうしてなんだろう。これは僕の偏見な んだろうかなあ。
 ラカン理論によれば、もしジョイスが作品を書かなかったら、彼は精神病を発症していたことになる。なぜなら、ジョイスにおいては、「ボロメオの結び目」 が外れかけていたからだ。もっと具体的に言えば、ジョイスの場合、現実界(R)と象徴界(S)が、想像界(I)を抜きにして、直接に絡まり合っていたって わけだ。
 なぜそう言えるかって?さっき引用したベケットの言葉[『フィネガンズ・ウェイク』についてベケットが述べた言葉──「これは何かについて書かれたもの ではなく、その何かそれ自体なのである」]を思い出してほしい。ジョイスの小説は、「何かについて書かれたもの」じゃない。これが何を意味するか。ふつう 僕たちが書いたり喋ったりすること、つまり象徴的な行為は、必ず「何かについて」なされている。これはわかるね。僕たちが言葉をつかって行うことのほとん どは、きまって「何かについて」だ。こういう行為においては、僕たちはまず「現実」から意味を受け取り、それを言葉に乗せて、たがいに伝達しあっている。 言い換えるなら、ここで現実界は、想像界(=「意味」)を介して、象徴界に影響を及ぼしていることになる。
 しかしジョイスの小説は「何かそれ自体」だという。この言葉の意味するところはもうわかるね。ジョイスの言葉は、そのまま出来事、つまり「現実」なん だ。だからジョイスの小説をふつうに読もうとしても、かなり難解で意味が取りづらいし、素晴らしい情景がありありと浮かんでくる、なんてこともない。ラカ ン的な言い回しを使うなら、そこにあるのは純粋な享楽ということになる。言語遊戯、言語実験そのものの享楽ってことだ。だから翻訳が難しいのも当然だ。ア イルランド人の享楽を日本人の享楽に置き換えなきゃならないんだからねえ。》

★6月4日(日):『記憶と生』(第3回)

 あいかわらず「持続の本姓」に収録された五節分の文章の周辺をうろついている。前田英樹さんが「訳者まえがき」に、「ひとつの節ごとを、節と節との繋が りを、ごくゆっくりと読んでもらいたい。そうすれば、ドゥルーズの考案したタイトルの総体が、いかに驚くべきものかも、だんだんとわかってくる」と書いて いる。驚くためにはゆっくりと読まねばならない。「コップ一杯の砂糖水を作りたいとすれば、どのようにしても、…砂糖が溶けるのを待たねばならない」 (18頁)ように。あるいは、太極拳の緩慢な動きのうちに、高密度の力の塊を解き放つように。
 そういえば、読書の体験は「持続」を思わせる。ベルクソンは、「夢」の例をあげて純粋意識の領域を説明していた。「その時、私たちは、もはや持続を測定 するのではなく、感じる。持続は、量から質の状態へと復帰する。流れた時間の数学的認識は、もはや行われない。」(15-16頁)だとすると、読書の時間 は夢に似ている。読み終えた頁数や要した時間の多寡が問題なのではない。ふと気がつくと、読み終えていた。そのような読書の体験から遠ざかって、もうずい ぶん久しい。

 ものを書くという体験もまた同様だ。(ふと気がつくと、書き終えていた。だとすると、その時書いていたのは、いったい誰なのだろうか。)いま引用した夢 の話に続けて、ベルクソンはこう書いている。
《目覚めている状態においてさえ、日常の経験は、質としての持続、すなわち意識が直接に到達し、たぶん動物も知覚する持続と、言わば物質化された時間、す なわち空間内の展開によって量となった時間とは、区別すべきであると私たちに教えている。私がちょうどこの数行を書いているとき、近くの時計が時刻を打っ ている。だが、うわのそらの私の耳がそれに気付くのは、すでに何回かの鐘の音を聴いたあとである。だから、私はそれらを数えてはいなかった。それでも、私 がすでに鳴った四つの鐘を合計し、それらを今聴いている鐘の音に付け加えるには、振り返る注意の努力があればよい。もし、自分自身に立ち返り、そこで今何 が起こったかを注意深く自問してみるなら、私が気付くことは、まず最初の四つの音は私の耳を打ち、意識さえも揺るがしたということ、ところが、それぞれの 音によって生じた感覚は、並置されたのではなく、互いに溶け合っていたということだ。それは、全体に固有の面貌を与え、全体を一種の楽節とするようなやり 方によってである。》(16頁)

 ここを読んで、とくに「全体に固有の面貌を与え、全体を一種の楽節とするようなやり方」というところを読んで、私は、このところ毎晩、就寝前のほんの数 刻をベットに腹ばいになり、日替わりでとっかえながら読み進めている(というか、目をあけたまま夢を見るようにして眺めている)二冊の本のことを想起し た。レヴィ=ストロースの『神話論理T』とヒッチコック/トリュフォーの『定本 映画術』。いまなにを連想していたのかは、覚えていたら、明日書く。

★6月5日(月):ヒッチコック語録──『記憶と生』(第3回・補遺)

 昨日書いたことの補遺。ベルクソンが「持続の本性」をめぐって、次のように書いていた。原稿書きに熱中して、ふと気がつくと五つ目の鐘が鳴っていた。こ の状況に対して注意深い自問を加えてみると、たしかにすでに鳴った四つの鐘の音は私(ベルクソン)の意識を揺るがしたのだが、それぞれの音が私(ベルクソ ン)にもたらした感覚は互いに溶け合っていた、「それは、全体に固有の面貌を与え、全体を一種の楽節とするようなやり方によってである」。これを読んで、 いま同時並行的に読んでいる二冊の本を連想した。

 その1.『神話論理T』。いま「序曲U」を読んでいる。「音楽は神話に似ている」(26頁)、音楽と絵画の違いといったことを、レヴィ=ストロースが滔 々と論じている。「全体に固有の面貌を与え、全体を一種の楽節とするようなやり方」云々のベルクソンの議論へと接近してくる。このことについては、もう少 し私の思考が熟成してから書く。

 その2.ヒッチコック/トリュフォー『定本 映画術』。『サボタージュ』という映画の中で「最高のシーン」とトリュフォーが絶賛する殺人の場面をめぐって、ヒッチコックが演出のねらいを滔々と語り、 最後にこう締めくくっていた。
《映画づくりというのは、まず第一にエモーションをつくりだすこと、そして第二にそのエモーションを最後まで失わずに持続するということにつきる。映画づ くりのきちんとした設計ができていれば、画面の緊迫感やドラマチックな効果をだすために、かならずしも演技のうまい俳優の力にたよる必要はない。わたしが 思うに、映画俳優にとって必要欠くべからざる条件は、ただもう、何もしないことだ。演技なんかしないこと、何もうまくやったりしないこと。そして、とにか く、できるだけ柔軟性のある動きができること。いつでも監督とキャメラの意のままに映画のなかに完全に入りこめるようでなければならない。俳優はキャメラ にすべてをゆだねて、キャメラが最高のタッチを見いだし、最高のクライマックスをつくりだせるようにしてやらなければならない。》(100頁)
 この本の序「ヒッチコック式サスペンス学入門」で、トリュフォーが「サスペンスとは、ずばり、一本の映画の物語の素材をドラマチックにすること、あるい はむしろ、諸々のドラマチックなシチュエーションをできうるかぎり強烈に提示することである」と書いている。
《古典的な映画文法によれば、サスペンスのシーンは一本の映画のなかでとくにきわだった瞬間、すなわちそこだけはとくに記憶に残る鮮烈なシーンを構成する ものである。ところが、ヒッチコックは、彼の作品群をずっと追って見れば気づくことだが、映画に手を染めてからずっと、どんな瞬間もとくにきわだった瞬間 であるような作品、彼自身の言うところによれば「ポコッと穴があいていたりしみなんかがついていない」映画をつねにつくりあげようとしてきたのである。観 客の注意を絶対にそらすまいとするこの強烈な意志、ヒッチコック自身も言っているように、観客に緊張感をあたえつづけるために「エモーションを生みだし、 ついでそれをずっと持続させること」を鉄則にした彼の意識と方法が、彼の作品をきわめて特異な、だれにもまねのできないユニークなものにしていることはま ちがいない。》(14-15頁)
 これらと「全体に固有の面貌を与え、全体を一種の楽節とするようなやり方」云々のベルクソンの議論との関係。このことについても、思考の熟成をまって書 く。

★6月7日(水):『東京タワー』と『杯』

◎リリー・フランキー『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』(扶桑社)

《人の一生のうちでただ一度だけ起こること》
 だれでも一生に一冊、小説が書けるという。笑いや涙、感動や共感を誘う小説。誘わなくとも、読者の心の奥深いところ、情動にはたらきかける小説。ありの ままの事実をただ書き連ねるだけでは、そのような小説は書けない。人生は小説ではない。ありのままの事実をありのままに書くことなど、並の力量ではできな い。そもそも、ありのままの事実などどこにもない。ありふれた出来事などどこにもないように。ありのままの事実であれ、ありきたりの出来事であれ、それは そのような事実や出来事を生きる人の、当の事実や出来事に対する態度のうちにしかない。
 小説を書くということは、小説を書くという強い意識を伴う行為である。知らぬ間に小説を書いていた、などということはない。知らぬ間に書いた文章が、そ れを読む人の心の奥深いところ、情動に知らぬ間にはたらきかける、などということはもっとない。しかしそのあり得ないことが、人生に一度だけ起こる。それ が書物として世に現れることは、もっともっと稀有なことだ。リリー・フランキーの『東京タワー』を読むということは、そのようなあり得ない稀有な出来事に 遭遇することである。
 この人の文章はひどい。とても読めたものではない。しかし、そのような文章でしか表現できない実質がある。というより、ある実質がそのような文体を強い ている。この作品を、たとえば堀江敏幸の文体で読むと、読者はより深い文学的感銘を受けるかもしれないが、それはもう『東京タワー』ではない。当たり前の 話だが。リリー・フランキーは、堀江敏幸とは異なる次元で、小説には「いま」しかないということを作品を通じて表現している。この作品には、ほんとうは相 互に無関係の異なる複数の「いま」が、それぞれの「いま」に固有の感情と体感にくるまれて息づいている。だから、この作品はけっして回顧譚ではない。読者 はほんとうはそのことに気づいている。だから、リリー・フランキーにとってのかけがえのない「いま」が、だれにとってもかけがえのない「いま」としての輝 きをもって表現されていることに愛惜の涙を誘われるのである。人の一生のうちでただ一度だけ起こる表現の奇跡に立ちあえたことに、深い感銘を覚えるのであ る。

◎沢木耕太郎『杯〔カップ〕──緑の海へ』(新潮文庫)

《疲労の名前》
 日本と韓国をくりかえし移動しながら、日韓ワールドカップの主要なゲームを観戦する。なんと贅沢な「仕事」だったことだろう。羨ましさと妬ましさが入り 交じった冷ややかな視線をもって読み始めた。
 沢木耕太郎の文章は「疲労」の影を深く濃くたたえていた。そこに混じっている感情の質も量も私のそれとは比較にもならないだろうが、この疲労感は私自身 もたしかに経験したものだ。この一点を確認できたことで、このドキュメンタリーは、ある精神のかたちをめぐる優れた考察の書として、忘れがたいものとなっ た。
 リアルタイムでTVで見、ビデオで何度も確認しては、鈴木の初ゴール、稲本の勝ち越しゴール、中田のだめ押しゴールの感動をすりきれるくらいに反芻し た。しかし、それらはすべて対トルコ戦の終了とともに凍りついたままだ。あの時の熱狂の疲労が、いまでも休火山の地底奥深くでとぐろをまいている。
《決勝トーナメントの初戦で敗れたことは間違いなく残念なこと、悔しいことだった。もしかしたら、私たちが、日本代表とともに、このワールドカップで手に 入れることのできた最大のものは、敗北を受け入れるのではなく、敗北を無念なことと受け止める、この思いなのかもしれない。》(403頁)
 愛国心やナショナリズムといった言葉でくくってしまっては、その実質はとらえることができない。あの体験を名ざす言葉を、すくなくとも私はまだ手に入れ ていない。あれから4年経った。「臥薪嘗胆」にかわる新しい語彙を見つけることができるだろうか。

★6月8日(木):「「街育」のすすめ」

 三浦展編著の『脱ファスト風土宣言──商店街を救え!』を継続的に読んでいる。私の神戸の居宅の近所で「ガーデンシティ舞多聞」[http: //www.maitamon.jp/]というプロジェクトが進んでいる。面白そうなので、「老後の住まい」の候補に資料を取り寄せてみた。この事業にか かわっている神戸芸術工科大学の齋木崇人氏が「真の田園都市を目指して──神戸・舞多聞みついけプロジェクト」という文章を寄稿されている。「歴史的経験 に裏づけられたコミュニティの空間デザイン」や「経済の仕組みを取り込んだ地域コミュニティのマネージメント」といった魅力的な議論が展開されている(で も、もっともっと具体的な話が聞きたいと欲求不満が残る)。
 今回書いておきたいのはこのことではなくて、編著者の三浦氏が執筆した序章「「街育[まちいく]」のすすめ──ファスト風土以外の環境に住むことは、わ れわれの基本的な権利だ」。その冒頭に次の文章が出てくる。ファスト風土のどこか問題か、という問いに対する八つの答えのうちの第一、「世界の均質化によ る地域固有の文化の喪失」を説明した節の出だしの文章。
《本来風土というものは、その土地土地の自然に制約されている。自然が農林漁業のあり方を規定し、それがその土地で生産される手工業製品を規定する。した がって、それはその土地の産業、職業を規定し、そこからさらに生活や文化を規定する。こうしてできた生活や文化は、それ自体が文化風土・精神風土を形成 し、その土地に生まれた人間を、他の土地に生まれ育った人間とは異なる人間として育てていく。だからこそ、その土地土地で異なる多様な風土を持った日本に は、異なる地域文化があり、多様な人間性を生み出してきたといえるであろう。》(15頁)
 なんでもない平凡なことが書かれている。そんなことはよく判っていると、つい読み飛ばしてしまいそうになる。ここに書かれていること、「自然⇒農林漁業 ⇒手工業製品⇒産業・職業⇒生活・文化」⇒「文化風土・精神風土⇒人間性」の(二段階の、もしくは「産業・職業」の前にもう一つの切れ目を入れて三段階 の)推移は、とても深いものだ。人間を、というよりこの私自身を考える際、あるいは地域政策というときの「地域」の概念を定義する際に、最低限押さえてお かなければならないことが指摘されている。吉本隆明が「マルクス紀行」(『カール・マルクス』)で論じたマルクス思想の旅程、すなわち「自然哲学」「宗 教・法・国家」「市民社会(経済学)」の三つ組ともかかわってくる。だからどうした、と問われても困るが、とにかく私は三浦氏のこのフレーズを読んで、と ても深いと思ったのだ。

★6月9日(金):三浦語録

 三浦展氏の「「街育」のすすめ」(『脱ファスト風土宣言』序章)から、ぐっときたフレーズをもう少し拾っておく。ほとんど各頁から一つ、だらしない抜き 書きになる。この人の「思想」は、どこか深いところへ届いている。

◎「…流動性と匿名性は都市だけの特徴ではない。道路網の整備によって、日本中のどんな田舎でも流動的で匿名的な空間になったのだ。」(19頁)
◎「…ファスト風土では悪所が偏在化する。」(20頁)
◎「ファスト風土化」(大規模量販店の進出による郊外農村部の急激な変容)は人々の人間観や倫理観にまで影響を与える。「それを具体的にいえば、「人間も 大量生産される物であるという感覚」である。」(21頁)
◎大型ショッピングセンターに陳列された物(商品)には顔が見えない。そこでは「人だけでなく、物自体もまた匿名」である(22頁)。
◎「…東京の魅力というのは、物の豊かさだけではない。いろいろな人がいて、多様な生き方があり、本当のプロがいる。そこでいろいろな人と出会い、より広 い視野を持ったり、個人の多様な可能性を感じたり、自分でもその可能性を試そうという気持ちになったりするという点が東京のような都市の魅力であり、存在 価値であると私は考える。」(23頁)
◎「ファスト風土は、閉じた空間である。」(24頁)
◎「ショッピングモールが一見都市に似て、都市と違うのは、この没社会性[他者との出会いと会話の欠如]にある。」(24頁)
◎「…非効率で無駄の多いコミュニケーションこそが人間社会の基本ではないのか。」(26頁)
◎「現代においては、個人が自らのアイデンティティを確立しようとするとき、地域社会に規定されたいとは誰も思わない。他方、地域社会自体が弱体化してい るので、個人のアイデンティティを規定する力を持っていない。/では、どうなるのか? そのとき若者は、一気に国家にすがる可能性があると私は考える。」 (27頁)
◎「ファスト風土以外の(以前の)風土や街が、選択肢として存在し続けなければならない」(28頁)。
◎「…社会を具現化したものが街なのだ。」(29頁)
◎「…街がなくなるということは、そうした連関[物をつくる人がいて、運ぶ人がいて、売る人がいて、買う人がいる…]が見えなくなるということである。そ れは社会がなくなるということなのである!/それは、ひいては、そこで育つ子どもが社会の存在に気づく機会が失われるということであり、最終的には、子ど もの社会化が阻害されるということであろう。」(30頁)
◎「街育[まちいく]」とは、「「悪所」も内包した本来の街」をつくるということである(30頁)。
◎「子どもが社会を学ぶ場所という観点に立てば、逆に街に何が必要かもよく見えてくる。」(31頁)

★6月13日(火):ファスト風土は現代の無縁の空間である

 三浦展編著の『脱ファスト風土宣言』を読みながら、「ファスト風土」は現代の「無縁」(網野善彦)の空間ではないかということを考えている。それは、柄 谷行人の『世界共和国へ』を読んでいて、官僚制組織こそが、いいかえれば「個人として責任をとらない『システム』」(石牟礼道子)こそが「無縁」から発生 する組織の一つの完成形態なのではないかと考えたことと呼応している。
 『宣言』に納められた「日本の商店街は世界のお手本」で、服部圭郎氏が、9.11の背景にはイスラム都市のファスト風土化現象があると書いている。どう いうことかというと、同時テロの主犯の一人モハメッド・アタは「カイロ大学で建築を、ハンブルグ工科大学で都市計画を学び、西洋の悪い影響がシリアの古都 アレッポの美しい都市景観と風土を破壊していることに対しての怒りをつねづね述べていたそうだ。グローバル経済、そして自動車、高層ビルによって、イスラ ムの魂が失われていることに強く憤っていたのである。」(38頁)
 「グローバル経済・自動車・高層ビル」の三題噺で、現代文明の本質をさくさくと捌くことができそうだ。たとえば、高層ビルが林立するマンハッタンはゲッ トー(ユダヤ人居住区)の風景の現代版だと、出典は忘れたが、どこかで読んだ記憶がある。自動車は高速移動(高速体験は異界=他界への通路をひらく)、匿 名空間(人を変える空間)のメタファー。株やダイヤなどのポータブルな資産を持ち運び、ホテルの高層階で暮らす裕福なユダヤ人。そんなステレオタイプなミ スター・グローバルエコノミーの人物像が頭に浮かぶ。
 ファスト風土は現代の「無縁」である。官僚は「無縁の原理」の体現者である。これだけだと何も言ったことにならないし、あまりに漠然かつ粗雑である。 『宣言』での三浦展との対談で、オギュスタン・ベルクさんが「人工的な都市の都市性の欠乏をどういうふうに分析していくか」が「以前から私が抱いている テーマ」だと語っている。ここでいわれる「都市性」について、「本物の街の特徴とは、出会いが可能であるということ」「都市性とは社会のエッセンスなんで す」と語っている。これをヒントに、ステレオタイプな仮説を提示する。仮説というほどの実質はないが。
 かつて都市は匿名の空間、人を共同体のしがらみから自由にする無縁の場であった。しかし、人がそこで暮らす空間としての都市は、やがて村落とは違うもう 一つの共同体を生みだし、無縁の場がもつエネルギーは「悪所」へと封じ込められていった。その囲い込まれた無縁の空間は、「官僚」(忘八者?)が娑婆の倫 理を超えた作法で管理するようになった。そして現代の高度資本主義の時代になると、かつての「悪所」が都市という共同体の制約を超えてグローバルに、ユビ キタスに跳梁するようになった。この都市を囲い込む空間(郊外)を、新たな「官僚」が管理する。
 あまり面白くはないが、この線でしばらく考えてみよう。いま「無縁の場がもつエネルギー」と書いた、そのエネルギー(悪の力?)はどこから来るのか。神 仏といってしまえば簡単だが、では「神仏」とは何か。それら、もしくは「それ」はどこにいるのか。あるいは、そもそもこれが「共同体」ですと、モノのよう に認識することができるのか。村の寄り合いのように、だらだらと飲み食いしながらあーでもないこーでもないとお喋りするプロセスのうちにしかないのではな いか。等々。
 いずれにせよ、物事や事象、観念や概念にはつねに二重性がある。中沢新一さんの言い方をかりるならば、かつて「公」ということばが「権力としての公(お おやけ)」と「アジールとしての公」の二つの異なる意味をもっていたように、「トーラス」と「メビウスの帯」で表象される二つの論理が高次元で連結されて いる(「公共性とねじれ」,『芸術人類学』)。そういったあたりをじっくりと考えていこう。

★6月14日(水):悪という力

 昨日書いたこととの関連で、網野善彦著『日本中世に何が起きたか』(1997年)をとりあげる。巻末の「あとがきにかえて 宗教と経済活動の関係」で網 野氏は、かつて『無縁・公界・楽』(1978年)の「まえがき」に書いたことを述懐されている。高校教師をしていたとき、生徒から「なぜ、平安末・鎌倉と いう時代にのみ、すぐれた宗教家が輩出したのか。ほかの時代ではなく、どうしてこの時代にこのような現象がおこったのか」と問われ、一言の説明もなしえず 頭を下げざるをえなかった、と。
 高校生の質問を受けてから三十年。「本書[『日本中世に何が起きたか』]はそれ以後の模索の中で、どうやら見えてきたように思われるこの問題の私なりの 「解決」への展望の中でまとめたものである」(236頁)。では、その「解決への展望」とは何か。それは「悪」、すなわち「人のたやすく制御することので きぬ得体の知れない力」(242頁)にかかわってくる。網野氏の文章をそのまま書き写す。

《十三世紀から十四世紀にかけての時期は、銭貨の本格的浸透に伴う人間関係のあり方の大きな変化、それ以前の神仏の権威の低下という、自然と社会の関係の 転換に伴い、この「悪」をめぐって、政治的・思想的にきびしい緊張関係が生まれた。政治的には「悪党」・「海賊」を徹底的に禁圧し、商業・金融を抑圧しよ うとする「農本主義」的政治路線と、むしろ商人、金融業者と積極的に結びついて流通路を支配し、悪党・海賊もそのために動員することを辞さない「重商主 義」的路線との間の鋭い対立がつづくが、思想的には、まさしくこの「悪」の問題と正面から向かいあった思想家たちが、鎌倉仏教の祖師となっていったという ことができるのではないか、と私は考えてみたいのである。
 その中には、「悪人」を積極的に肯定し、自らもその中に身を置いた親鸞、一遍、日蓮などの動きと、それをやむをえぬあり方として承認し、それなりの位置 づけを与えようとした律宗、禅宗などの動きとの違いはあったが、いずれも「悪」についての思索と対処を通してそれぞれの宗派を形成していったと見てよいの ではなかろうか。
 もとよりこれに対して、『天狗草紙』や『野守鏡』のような烈しい批判に代表される圧迫があったことはいうまでもないが、十四世紀から十五世紀にかけて、 禅宗・律宗は幕府と結びついてその立場を確立し、十五、六世紀には真宗、時宗、法華宗もその教線を拡大し、とくに真宗、日蓮宗は教団として大きな力を持つ にいたったことは周知の通りである。
 そしてこれが、多くの先学の研究に学びながら到達した最初にのべた高校生の質問に対する現在の私の解答ということになる。日本列島の人類社会は、日本国 が出現してからの歩みの中で、それまで経験したことのない大きな転換期にさしかかりつつあり、そこに生じた「悪」をはじめとするきわめて深刻な問題に、思 想家たちは真向から否応なしに取り組まざるをえなかったのである。「すぐれた宗教家」がこのときに輩出した理由はここに求めることができよう。》(243 -244頁)

 さて、この「解答」に高校生は納得するだろうか。「日本列島の人類社会」に最初に訪れた「自然と社会の関係」をめぐる大きな転換期の意義を、身体感覚に 根ざしたかたちで理解すること(「思い出す」こと)ができるだろうか。日本国出現(七世紀末)以前の「原始」といわれた社会のうちに淵源をもつ商品・貨 幣・資本、すなわち人の力を超えた「聖なる世界」(神仏)と結びついた資本主義。それが14世紀前後──坂部恵の「精神史的転換期」の第二期、「個(体) の思考」の時期(日欧ともに14-15世紀)と重なる──で大きく変質する。「現代の人類社会」を生きる高校生なら、たぶん解るはずだ。

★6月16日(金):職人技と抽象力

 中世の職人歌合に、学者と芸者が並べて描かれているのを宗教学を学ぶ甥に見せて、網野善彦がこう語った。「ほうら、学者も芸者みたいに、正確にものごと を認識したり、表現したりできないとだめなんだぞ。芸者は正確に芸ができなくっちゃあいけない。天皇だってそうだ。天皇は儀式をおこなう職人だというの が、長い間の日本人の認識だったんだよ。その職人技を手放してしまうと、いったい天皇にはなにが残るのだろう。職人技の基礎のない学者は、いずれ政治家か ジャーナリストになっていくしかないだろう。それと同じように、よい和歌を詠み、宮中の儀式を正しくおこなえる職人としての技量が、天皇にも必要だったわ けさ。君も学問を志すならば、まず何かの職人にならなくちゃあいけない。そうでないと、なにも生み出せない」。

 宗教学を学ぶ甥というのは中沢新一のことで、この話は『芸術人類学』に収められた「友愛の歴史学のために」に出てくる(347頁)。ちなみに、中沢新一 は、職人技(たとえば、歴史学者にとっての古文書解読の技術)と並んで学者の創造力にとって必要なものは「抽象力」であると語っている。
《「人民」という概念が、戦後の新しい日本の歴史学を開いていきました。しかしそれがほんとうの意味での「民衆史」となるためには、網野さんによる「非農 業」という新しい構造層の発見が必要でした。それを発見するには、たんなる実証的な研究を超えた、ある種の抽象力がなければなりません。「非農業」という 概念は、たんに職人についての実証的研究を積み重ねていけば、自然にあらわれてくるようなものではないのだということを、私は強調したいのです。あらゆる 創造的な学問は、新しい概念の発見が生み出してくるものです。そういうことはめったにはおこりませんが、網野善彦の学問には、それがおきたのです。》 (『芸術人類学』345頁)
 「職人技」ときけば、前田英樹の『倫理という力』にでてきた宮大工やトンカツ屋のおやじを想起する。「抽象力」に関しては、柄谷公人のたとえば『世界共 和国へ』の次の記述が連想される。「貨幣は国家を超えて通用するような力をもつ。では、その力は何によるでしょうか。/経済人類学や経済史の知見によっ て、これを説明することはできません。それを考えるのにも「抽象力」が必要です。」(72頁)

★6月21日(水):月と蛙

 W杯がはじまるともういけない。毎晩やっていることといえば、食事の用意・後かたづけとサッカー観戦だけ(入浴もする)。新聞はW杯関連記事を再読・三 読・未読し、サッカー関連の雑誌を繰り返し眺めている。本など悠長に読んでいる暇がない。というか、睡眠不足で頭がまともに働かない。俄もしくは筋金入り のサポーターの浮かれっぷり(とくに韓国)を報道で目にするにつけ、それよりもテポドンの方がもっとずっと大事だろう(やしきたかじん)と私もそう思うの だが、部屋にこもって黙読ならぬ沈視しているよりは、はるかに「健康的」かもしれない。
 それにしても、ワールドカップ・サッカーにこれほど惹きつけられるのは一体なぜなのだろう。サッカーのボールは切り落とされた首(「ころがる首」=生命 力の象徴=杯ならぬ胚)であるとか、国別対抗戦は戦争の代替であるとか、ゴールは一つの奇蹟(神の降臨、脱自=エクスタシーの瞬間)であるとか、いずれに せよ人の心を深層から揺さぶる何か(太古的なもの)がそこに潜んでいるからに違いない。でも、それだけでは何もいったことにならない。メディアの商業主義 が演出した一時的な熱狂にすぎないのかもしれない。

 中継、録画でいくつもの試合を観戦しているうち、しだいに毎晩つくって食べている料理の味わいとだぶってくる。大量に仕入れたじゃがいもとたまねぎを ベースに、手近な野菜とベーコンやソーセージ状の豚肉を適当に刻んで放り込み、スープの素と一緒にぐつぐつ煮込むだけの初心者料理。もうたいがい飽き飽き しているのだが、このいたって原始的な味わいがサッカーの試合を観ている時、観終わった時の、興奮と静寂、苦痛と鎮魂の感情と不思議と似通っているのだ。 個々の食材(選手)のかたちが崩れ、しだいに一つのスープ状のものに煮詰まっていく。すべてが終わった時、そこにはただ「スピリット」とでも表現するしか ない、かたちのないものだけが残っている。

 中沢新一さんが「壺に描かれた蛙──考古学と民俗学を結ぶもの」(『芸術人類学』)に、次のように書いている。──料理の火の発見という「技術革新」を 通じて、人類社会は自然から文化へと移行した。火を使って「焼くこと」と「煮ること」。前者が自然から文化への移行をストレートに表現しているのに対し、 後者はそこにふたたび自然への逆行を導入している。縄文文化は、「煮ること」に重きを置いて独特な土器を発達させてきた。土器は粘土と水を混ぜ合わせて製 作される。煮炊きに利用されることで、食材(非連続な個体)をどろどろの液体に溶け込ませてしまう。
《こうして土器は成形時と調理の際と、二度にわたって水と深い関わりをもつことになる。ところで神話的思考においては。水はしばしば火と対立しあうものと して思考されている。火を使った調理は「焼くこと」では、湿ったものから乾いたものへ、連続しているものから非連続なものへ、液体状のものから固体状のも のへの変化をつくりだすのに、「煮ること」はこの過程をふたたびもとの状態へ逆行させようとする。こまかく切り刻まれた材料は土器の中で、水気をたっぷり 含んだ、どろどろの液体とひとつに溶け込んでいく。
 このように、土器を使った煮炊き料理は、火の使用に関してあきらかに両義的な性質をしめすことになる。「煮ること」を社会的コードに移して隠喩的に思考 すると、Endogamy 的な行為につながっていく。これは、小さな家族関係の中に閉ざされた状態で食事やセックスをする傾向であり、家族関係や母子関係の外に広がる大きな社会関 係に広がっていこうとする Exogamy 的な行為と対立しあう。「焼くこと」が Exogamy 的であるならば、「煮ること」はあきらかに Endogamy 的なのだ。》(『芸術人類学』324頁)
 ここから中沢氏は、縄文中期の土器にあらわれた月と蛙のイメージの解析へと進んでいく。蛙=大地性。月=周期性。──もう家に帰って食事の準備を始めな いと、早朝のイングランド対スウェーデン戦の録画を観て、ポルトガル対メキシコ戦をリアルタイムで観戦するのに間に合わない。以下、駆け足で「要点」のみ 記す。蛙は重力に縛られた選手たちであり、月は切り落とされた首(サッカーボール)であり、土器はピッチである。何が言いたかったのかというと、サッカー の試合は、(料理と同じように)感覚と抽象のこねあわせ、観念の蒸留と概念の精錬の場であるということ。そして、サッカーとは何かについても「焼くこと」 と「煮ること」と同様の二つの見方があるのではないかということ。

★7月29日(土):最近の読書事情

 ブログを書かなくなって一月が過ぎた。湿気がひどくて暑くてなにも書く気がしないし、そもそもろくに本を読んでいないものだから、書く材料がない。この 間に買った本はざっとながめて20冊はくだらないけれど、読み齧りばかりで、まともに読み終えた本といえば、手嶋龍一の『ウルトラ・ダラー』と池田雄一の 『カントの哲学──シニシズムを超えて』くらい。そのほか『のだめカンタービレ』の最新巻とか草凪優の官能本新旧二冊(『祭りの夜に』と『ふしだら天 使』)をだらしなく読み、最近、司馬遼太郎の『播磨灘物語』の第一巻をようやく読み終えたばかり。この4月以来、新聞にしっかり目を通し、「ニューズ ウィーク日本版」を毎号かかさず隅々まで丹念に読むようになったりもしたので、日々眺める活字の総量はそれほど減っていないと思う。けれども、なにしろ読 み齧り読み流すばかりで定着するものがなにもない。だから、書評めいた文章をアップする意欲がわかないし、ぐっときたところを抜き書きする元気もわいてこ ない。だったら書かなければいいようなものだが、このままずるずるブログから遠のいてしまうのもちょっと寂しいと思ったので、ウォーミングアップのつもり で書いてみた。

★8月2日(水):考える人──『私家版・ユダヤ文化論』(1)

 前回(7月29日)の「最近の読書事情」で、日々だらしなく読み齧り読み流すばかりで定着するものがなにもないと書いた。それは厳然たる真実なのだが (ほとんど下痢状態なのだが)、そうしたなかでも若干の例外はある。内田樹著『私家版・ユダヤ文化論』はまちがいなくその筆頭で、そこに綴られた高級漫談 (話術)の鮮やかさと理路(ロジック)の冴えは、ふやけきった脳髄にびんびんと刺激を送り込んでくれた。

 それにしてもこの書物は難解である。圧巻ともいえる「終章」をロジカル・ハイとともに一気呵成に読み終えて、はて、私はこの本を読み終えることでいった い何を得たのだろうか、その点がはなはだ心許なく、曖昧で要領を得ないのである。通読によって得た個々の知識や知見や創見を一つ一つ数え上げることはたや すいし、それらはいずれも平明でわかりやすく、かつ内田節が冴え渡った刺激的なものなのだが、しかしそれらを束ね重ねあわせ、かつ一冊の書物としての結構 を踏まえた上で総括して、内田氏はこの本を書くことでほんとうは何を言いたかったのか、を自分なりの言葉で整理し要約して語ることができない。
 それは私の頭が朦朧としていたからかもしれないが、そうではないような気がする。本書の難解さは、そこで問われている問題そのものの本質に起因するのか もしれない。
 『私家版・ユダヤ文化論』には、これを一冊の書物として、つまりそれぞれの章や節に書かれた事柄を一続きの論述として、一個の物語(理説)として編成し 整序する土俵が欠けている。というか、内田氏はそうした土俵(言語と言っていいかもしれない)の起源、あるいはそもそも「考える」とはどういう事態だった のかという問題を、もはや想像することすらかなわぬ「考えない」こととの対比で「考える」という不可能事に挑んでいる。
 だから本書は、その構成において完璧に破綻している。「ユダヤ人」をめぐる認識論(第一章)と存在論(終章)という位相を異にする論考が、あたかも前 提、結論の関係であるかのように澄まし顔で同居している。その間に「ユダヤ人」という概念とそれへの欲望の近代日本(第二章)、そしてフランス(第三章) における使用例・発現例が概観されるが、それらはその前後の原理的かつ「古代」的な論考を媒介するものとしてはいかにも弱く、あたかも通りすがりに紹介さ れた挿話群のように読めてしまう。
 まるで異なる書物の異なる章を任意に切り出し、ある(邪悪な?)意図をもってカバラか聖書のように編集したもののようだ。それを内田氏は意図的にやって いる(たぶん)。「私家版」とはそういう意味だったのではないかと思う。

 内田氏は「新書版のためのあとがき」に、「私のユダヤ文化論の基本的立場は「ユダヤ人問題について正しく語れるような言語を非ユダヤ人は持っていない」 というものである」(240頁)と書いている。こんな告白を最後の最後になって記すのは実に人が悪い(まあ、丹念に読めば、そういう趣旨のことは本編に ちゃんと書いてある)。
 それはともかく、ここで注目したいのは、なぜ「新書版のための」とわざわざ書かれているのかということだ。雑誌連載時に書いた「あとがき」風の文章(終 章の7節「結語」のあとに置かれた8節「ある出会い」)に加えて、といった趣旨なのかもしれないが、そうではない。新書版以外の版が想定されているからに 違いない。それはこれから書かれるものかもしれないし、すでに著されているのかもしれない。あるいは、もう一つの私家版として私の脳髄の中に巣くっている のかもしれない。


★8月3日(木):考える人──『私家版・ユダヤ文化論』(2)

 実は『私家版・ユダヤ文化論』が刊行される前に、著者と養老孟司の対談を読んでいた。季刊誌『考える人』(2006年夏号)に掲載された「ユダヤ人、言 葉の定義、日本人をめぐって」の後編。内田流ユダヤ文化論を養老氏が「唯脳論」にひきつけて読解していく理路が面白かった。

 余談だが、この「理路」というのは「理説」や「理法」や「行程」などと並ぶ内田語の一つで、私が見るかぎり、内田樹と養老孟司は現代日本における「理路 の人」の双璧である。
 理路とは文字通り「理」が流れゆく「路」のことであって、理が流れるのは理法(自然の摂理)のしからしむることである。たとえそれが無意識的なものであ れ、人間の欲望などによって歪曲される筋合いのものではない。あるいは、人間個人もしくは社会集団の意識、無意識の欲望によって動かされゆくこと自体が一 つの理法であるとするならば、理路は人間の計らいによってどうこうできるものではない、と言うのが正確かもしれない。そのような理路をたどることによって 言語化されたものが理説、その理説が現実社会においてある効果をもたらしていく道筋が行程。
 以上は、私の勝手な定義であって、内田氏がそう語っているわけではない。ここで言っておきたかったのは、内田流ユダヤ文化論を養老流脳科学にひきつけて 論じることは、いま定義した意味での「理路」にもとづくものであって、決して養老孟司の恣意的な理解(理屈)なのではないということだ。(なぜおまえにそ れが判るのかと詰問されても、いや、それもまた理路だからとしか答えようがない。誰も詰問しないか。)

 前置きが長くなった。養老流の読解その一は、レヴィナスの「始原の遅れ」をベンジャミン・リベットの実験にひきつけて理解していること。端的に言ってし まうと、「ユダヤ人とは意識のことだ」と養老孟司は読解しているのである。以下、詳細は省いて、個人的な覚え書きに徹して書いておく。
 まず、内田樹がレヴィナス(の理説?)に依って、「ユダヤ人」の本質を「そのつど遅れてその場に登場するもの、常に他人に先手を打たれているもの」(す でに始まっているゲームに、ルールを教えられないままに投じられている存在者)と定義する。そして、言語活動はまさに「世界に遅れて到来するもの」(どん な過激な思考も法外な感情も、日本語その他のすでにそこに与えられた言語システムの枠組みの中でやりくりすることでしか表現できない)の典型であって、そ ういう「遅れ」に自覚的な人にこそイノベーティヴなことはできる。ユダヤ人はそういった「知的習慣」を持つ集団だ。
 このあたりのことを、『私家版・ユダヤ文化論』から(少し余分に、切れ端も含めて)拾っておく。

◎「ラカンの言うとおり、「ユダヤ人と非ユダヤ人」という対立は現実的な世界から導き出されたものではない。そうではなくて、「ユダヤ人と非ユダヤ人」と いう対立の方が「現実の世界に骨組みと軸と構造を与え、現実の世界を組織化し、人間にとって現実を存在させ」たのである。」(55頁)
◎「私たちはユダヤ人という語がすでにある種のコノタシオンを帯びて流通している世界に、遅れて到着した。そうである限り、私たちはもう「ユダヤ人という 概念がまだ存在しない世界」にいる自分、その自分が見ている風景を想像することができない。その事実の取り返しのつかなさをもう少し真剣に受け止めてみた いと私は思っている。/私のこの次の問はだからこんなふうに定式化される。/「ユダヤ人という概念がまだ存在しない世界」から「ユダヤ人がいる世界」への 「命がけの跳躍」がなされたとき、世界は何を手に入れたのか?」(56頁)
◎「ユダヤ人たちが民族的な規模で開発することに成功したのは、「自分が現在用いている判断枠組みそのものを懐疑する力と『私はついに私でしかない』とい う自己緊縛性を不快に感じる感受性」である。(略)イノベーションとは、要するに「そういうこと」ができる人がなしとげるものだ。」(178頁)
◎「ユダヤ人が例外的に知性的なのではなく、ユダヤにおいて標準的な思考傾向をわたしたちは因習的に「知性的」と呼んでいる」という「驚くべき」思弁的仮 説(182頁)
◎「ユダヤ人はこの「世界」や「歴史」の中で構築されたものではない。むしろ、私たちが「世界」とか「歴史」とか呼んでいるものこそがユダヤ人とのかかわ りを通じて構築されたものではないか」という「めまいのするような仮説」(199頁)

 対談で、養老孟司は次のように語っている。
「ぼくは最初に、ユダヤ人論の中の「始原の遅れ」の部分を読んで、意味がよくわかりませんでした。それが、「あれれ」と気づいたのは、その意識の部分だっ たんです。意識自身が、「遅れている」と自らの遅れについて認識ができるということに気づいたんです。/ユダヤ人は、よくものを考える人たちです。つま り、意識という機能を徹底的に使っている。「遅れ」さえも徹底して意識し、それが知性につながっているんです。」
 要するに、ユダヤ人とは意識のことである。養老孟司はそう言っている。ためしに、先の『私家版・ユダヤ文化論』からの抜き書きに出てくる「ユダヤ人」を 「意識」に(「非ユダヤ人」は「無意識」に?)置き換えて読んでみるといい。筋の通った論述になる。それこそ理路にかなっている。
 正確に書くと、ユダヤ人とは自分が意識であることを自覚(意識)している意識である、養老孟司はそう規定している。自分(意識的活動)は脳の産物だとい うこと、そして自分は脳の実際の活動に対して0.5秒遅れて意識化され言語化される(「後知恵」であり「後だしジャンケン」である)ということを自覚して いる意識。
 「考える人」すなわち「理路の人」は、そういう「意識」を備えている。「自分が現在用いている判断枠組みそのものを懐疑する力と『私はついに私でしかな い』という自己緊縛性を不快に感じる感受性」を持っている。そこに「時間」と「主体」(と「神」)の問題がからんでくる。話は次の次元に進む。

★8月4日(金):考える人──『私家版・ユダヤ文化論』(3)

 内田流ユダヤ文化論の養老流唯脳論による読解その二は、「始原の遅れ」(意識のズレ)を視角と聴覚のズレに置き換えること。対談から該当部分を抜き書き する。

養老「視角というのは、時間を表現するするものを捉えられません。写真を考えたら、そこに時間はない。逆に、聴覚は、時間はとらえられても空間はとらえら れない。その視角と聴覚を統一するのが、意識の働きだろうと考えました。視角と聴覚のズレを埋めるために、時空という概念を発生せざるをえないのです。自 分自身のズレを埋めるために、時空という新しい概念をつくるしかない。自然科学出身のぼくはそこから考えました。」
内田「視角と聴覚の問題こそ、まさにユダヤ教思想の核心なんですよ。」

 以下、ユダヤ教の偶像(造形芸術)禁止の話と、その反面においてユダヤ教では信仰の表現は音楽(時間の芸術)に向かったこと、空間的表象形式は「無時間 モデル」であって、そこには「遅れ」が発生する余地はないし、時間(神と人間を隔てる絶対的な時間差)のないところには真の宗教性が生まれてこない、云々 の議論が続く。

養老「あれ? そうしたら、ユダヤ教徒の中で、目が見えない人はどういう位置づけになるんでしょうか」
内田「うーん、これは困った」
養老「これは、死ぬまでにはとても片付かない問題ですね。だけど、こういう死ぬ前に片付かない問題を抱えることが大切なのだと思いますよ。」

 ここから先、一見脱線しているように見えてその実「ユダヤ的知性(というか知性そのもの)の聴覚=時間的本質」にかかわる話が続き、養老孟司による内田 樹の(ユダヤ文化論にとどまらず内田樹の思想そのもののあり方、いや内田樹という意識の成り立ちそのものの)読解へと移行する。それは、レヴィナスと武道 をめぐる共通の「マトリクス」にかかわるものだ。以下、まるごと発言を引用する。

養老「普通だったら、レヴィナスは「理屈」を言っているとしか思えないのだけど、武道を体得していく過程で、レヴィナスは「理屈」ではなく「本音」を言っ ていると気づいた。レヴィナスの言葉が身体の血肉となっていくことをどこかで悟られたのではないですか?
 逆に、それは言葉の持つ恐ろしいほどの力を理解したともいえますね。レヴィナスを本の中で読んで、論理的な「理屈」としてとらえるのではなく、身体で感 覚としてとらえられるようになると、瞬時に言葉がすべてを変えてしまうということがわかってくる。それほどの影響力を持つものだということがわかる。
 近代人は無意識のうちに、言語というものは、「理屈」であって、いつでも論理的な意味を持つと誤解しています。でも、言葉は相手の脳に訴えかけるもっと 強い力を持っている。言葉は「直達」する力を持っている。」
内田「そうかー。ぼくはレヴィナスと武道をそうやって両立させていたのか(笑)。」

 以下、話題は「その人それぞれの「現実」(自分が現在用いている判断枠組み)が脳の中にはある」ことへと転じ、二人の理路の人による対談(自問自答)が 完結する。実のところ、私はこの対談録に『私家版・ユダヤ文化論』より以上の刺激を受け、知的興奮を味わった。その刺激、興奮の実質をいまここに簡潔明瞭 に括ることはできない。それはあくまで「理路」をたどることで得られたものなのであって、無時間的な「理屈」がもたらした刺激や興奮ではないからだ。

★8月7日(月):考える人──『私家版・ユダヤ文化論』(4)

 余談を一つ。内田樹・養老孟司の対談「ユダヤ人、言葉の定義、日本人をめぐって」(後編)が掲載された『考える人』(2006年夏号)は、「戦後日本の 「考える人」100人100冊」を特集している。そこに大森荘蔵の『新視角新論』がとりあげられていた。選者・評者は養老孟司である。私はうっかり、唯脳 論者と無脳論者は永遠に相容れない宿敵であると勘違いしていたので、ちょっとした驚きだった。
 養老孟司はこう書いている。哲学の本を読んで衝撃を受けることは少ない。なぜなら、たいていは「もっともなこと」を述べているからだ。しかし、大森さん は違う。とんでもないことをいう。科学哲学会で「無脳論」対「唯脳論」という対談をさせていただいた。議論の中身なんて、どうでもよかった。対談させてい ただくことで、私は大森さんに敬意を表したかった。

「亡くなられる前に、おそらく最後の対談をさせていただいた。そのとき、「先生の作品を読んで、私は禅の十牛図を想起しました」と申し上げた。「そう思っ てもらえば幸いです」と大森さんはいわれた。まさに禅問答というしかない。でもそれでいいのだと思う。哲学を理屈だと思うのは、西欧哲学に毒されているだ けのことではないか。」

 哲学は理屈ではないというときの「理屈」は、前回とりあげた養老孟司の発言に出てくるそれと同義である。つまり、身体で感覚としてとらえられるもの、相 手の脳に「直達」する恐ろしいほどの力を持った言葉。それを内田樹のキーワードでいいかえれば「理路」もしくは「理説」ということになる。ユダヤ式知性、 端的に知性といいかえてもいい。
 さらにそれを「意識」といいかえてもいい、というのが先の対談での養老説。ただし、それは内田樹いわく「自分が判断するときに依拠している判断枠組みそ のものを懐疑すること、自分がつねに自己同一的に自分であるという自同律に不快を感知すること」という「民族誌的奇習」を自らの「標準的な知的習慣」に登 録した意識のことである(『私家版・ユダヤ文化論』180-181頁)。
 こううやって書いていると、つくづく大森荘蔵という哲学者の「ユダヤ性」が際だってくる。もう一人の理路の人。

★8月8日(火):考える人──『私家版・ユダヤ文化論』(5)

 余談をもう一つ。郡司−ペギオ−幸夫著『生きていることの科学──生命・意識のマテリアル』(講談社現代新書)を読んでいて、原理的(というより理路 的)には『私家版・ユダヤ文化論』と同じ事柄が論じられているのではないかと思った。
 私のいつもの悪い癖で、たまたまその時、同時進行的に読んでいる本の中身を勝手に結びつけてしまう「個人的奇習」がそう思わせているだけのことなのかも しれない。あるいは、この本の帯に養老孟司の推薦の辞(「彼の話はむずかしい。でもその本気の思考が、じつに魅力的なのだ」)が印刷されていることからの 連想にすぎないのかもしれない。誤解なら誤解でも構わない。創造的誤解ということだってあるのだから。
 読んでいるといっても、まだほんの入り口あたりを夢うつつで彷徨っているだけのこと。「はじめに」と題されたたかだか10頁に満たない文章を繰り返し読 んでいるうちに、そこで予告されている「マテリアル」という独特の概念の定義が、内田樹のいう「ユダヤ人」という概念と重なって読めてきた。(正確に書い ておくと、郡司のいう「マテリアルの影」が内田の「ユダヤ人」に重なって読めてきた。)

 よくは判っていないのだが、郡司−ペギオ−幸夫いうところの「マテリアル」とは、どうやら「存在と認識の不適合」をつくりだし、かつこの不適合(時間の 空間化、あるいは普遍的なものの一般化がもたらすところの論理的矛盾?)を「野生の感覚」(直観)をもって媒介する「何か」であり、かつ媒介される当のも の、あるいはそうした媒介性という概念そのもの(これもよくは判っていないけれども、どこか「コーラ」の概念を思わせるもの)、と定義できるもののようで ある。(ちなみに、養老孟司との対談の中で内田樹は「僕も意識活動のズレというか、存在と認識の不適合のうちに知性の起源があると思っているんです」と 語っていた。)
 マテリアル(物自体)を人間の知性でもって十全に認識することはできない。人間の意識のうちに表現(表象)される「モノ」は、必ずその「外部」(そのも の性、その「モノ」が身体である場合は「こころ」)をはらんでいる。その「外部」は認識することはできないが、「認識ではないある種の直観、感覚」を通し て感得される。それは通常「リアリティー」と名づけられている。郡司氏はそれを「マテリアルの影」と呼ぶ。

◎「一方で認識とその外部の分離を可能とし、他方その区別を無効にするがゆえに両者を媒介できる。この二つが、マテリアルにおいてつながっている。わたし が示すマテリアルとは、そういった概念であり、そのような逆説を通して、マテリアルが構成されることになります。」(6頁)

 ここから先の郡司氏の議論を「理屈」として理解しようとすると、何が言いたいのかまるで判らなくなる。そこに書かれていること自体(日本語で書かれた 「モノ」としての文章)はもちろん文字通りに受け止めることはできるのだが、その「こころ」がなかなか「直達」してこないのである。
 郡司氏は書いている。「生命・意識とは何か」という問題は、生命や意識がそれを問いただす「私」に直接関与する概念だから、むしろより直接的に「私の生 命・意識とは何か」という形で問いただすほうがしっくりくる。「ところが、わたしは、私という一人称を前面に押し出すことに面映さ、ある種の恥ずかしさを 感じます。(略)この面映さや、躊躇を伴わざるを得ないという様相が、生命や、意識という問題の核心をなしている。私はそう思っています。」(7頁)
 ここに出てくる「わたし」と「私」の言葉の使い分けの首尾一貫性のなさがとても興味深いけれども、それは単なる誤植にすぎないのかもしれないので、この 点は素通りする。続けて郡司氏は書いている。

◎「「私だけではない。他者は、世界は、実在する」このような感覚が、我がこととして血肉となること。他者、世界を実感すること。」(7頁)

◎「原理的に世界の中心にいることしかできず、その意味で特権的でありながら、同時に、自分の自由にならない世界内にあって、これを受け入れるしかない。 意識は能動的でありながら、世界の内側に置かれてしまっているという受動性を併せ持つ。私の、という一人称が面映いのは、あたかも、私の存在の引き受ける 受動性を無視し、窺い知れない世界との接触に関するリアリティーに、まったく言及していないように思えるからでしょう。いや、むしろ、リアリティーという ものを感じ、理解することの困難さに留意しない、感受性の欠如に、しっくりこない感じを抱くのかもしれません。
 すると、この面映さ、一人称を強調する気恥ずかしさの感覚は、世界内存在という存在形態を直観するもの、ではないでしょうか。世界・内・存在は、世界に 対する私の能動性と、世界に生かされる受動的な私の齟齬と動的調停を示唆する意味で、生命や意識の核心を成します。面映さが直観するものは、これなので す。」(8-9頁)

◎「世界から受ける受動的な刺激と、私が能動的に創り上げる表象。この二項対立は、モノと言葉、トークン(個物)とタイプ(類)、世界と観測者の対立で す。」(10頁)

 ここで私は躓く。モノとこころ、モノとその外部、表現とその外部、これらの二項対立(先に私はそれを、内田樹の言葉を借用して「存在と認識の不適合」= 脳活動と意識活動の間のズレと同類視した)と、いま出てきた「モノと言葉」以下の二項対立との関係がよく判らなくなる。郡司氏が使う「モノ」という語の意 義が、というよりその「モノ」が置かれている場面、立ち位置がまるで異なっているのではないかと思うのだ。
 モノとこころ。モノと言葉。どちらの二項対立も、マテリアルすなわち「通約不可能でありながら調停される関係にある媒介性」(11頁)によって動的に調 停=媒介され、「二つが共立するということ、両者が場合によっては矛盾するにもかかわらず同時にそこにある、という様相」(同)がもたらされるというのだ から、理路としては同じものである。だから、こころと対比されるモノと、言葉と対比されるモノは、同じ「モノ」でも意味が違う。前者のモノは認識の対象 (「私」が能動的に創り上げる表象)だが、後者のモノは外部=世界=存在にかかわるリアリティー(受動的な刺激=マテリアルの影=野生の感覚によって感得 されるもの)のことだ。
 このあたりの言葉の使い方の一貫性のなさは、実は意図的なのではないかと私は勘ぐっている。言葉の意味の動的な変転。そうだとすると、同じようなことが 今度は「言葉と記号」といった二項対立のうちに反復されて、そこでは「言葉」はリアリティーの影を纏うことになる(ユダヤの神秘思想のように?)。そして さらに「記号とX」云々と続く。

 話がすっかり横へそれてしまった。本題を見失いかけている。私がここに記録しておきたかったことは、郡司−ペギオ−幸夫のいう「一人称を強調する気恥ず かしさ、面映さの感覚」と内田樹がいう「ユダヤ的知性(端的に知性そのものの)」とはオーバーラップしているのではないか、ということだ。なぜ私はそのよ うに考えたのか。そのことを縷々書き連ねるつもりだったのだけれど、今日は気分が乗らない。

     ※
 以上に書いたことと関係があるのかないのかよく判らないのだが、「ユダヤ人とは誰のことか?」と題された『私家版・ユダヤ文化論』の第一章に気になる記 述がある。簡潔に要約するのが面倒なので、いたずらに長くなるけれど全文を抜き書きしておく。文中にラカンの引用が出てきて、その中に「受動的」態度と 「能動的」態度の対表現が出てくるが、気になると書いたのはそのことではない。

《ヨーロッパ世界は歴史のある段階で「ユダヤ人」という概念を手に入れ、その記号によってはじめて分節できたところの前代未聞の意味に出会った。以後ヨー ロッパの人々はさまざまな類カテゴリーを渉猟してきたが、ついに「ユダヤ人」に代わる記号を見つけ出すことができなかった。私はそういうふうに考えてい る。
 使える言葉がそれしかないので、(うまく定義できない言葉であることを分かっていながら)仕方なくそれを使うしかない言葉というものが存在する。「男と 女」がそうであるし、「昼と夜」もそうだ。私たちはその語を毎日のように使っているが、改めて、「昼」そのもの、「夜」そのものを、厳密に定義せよと言わ れても、そんなことは誰にもできない。私たちは、「昼」を「夜ではないもの」として、「夜」を「昼ではないもの」として差異化する因習のうちに抜け出しが たく嵌入しているからである。一度、「昼/夜」という二項対立で世界を分節した言語集団の人々は、それ以後はもう決して、「夜抜きの昼」とか「昼抜きの 夜」を概念として取り出すことができない。(略)
 ジャック・ラカンはこの点について卓見を語っている。
「男とか女とかいうシニフィアンは、受動的態度と能動的態度とか、攻撃的態度と協調的態度といったこととは異なるものです。つまりそのような行動とは別の 次元のことです。そのような行動の背後に間違いなく或るシニフィアンが隠れているのです。このシニフィアンは、どこにも決して完全には具体化されません が、『男』、『女』という語の存在の下で最も完全に近い形で具現化されるのです」
 ラカンはここで「命名されることで事象は出来する」という構築主義的命題を棒読みしているのではない。すべての言葉は、「隠されたシニフィアン」の言い 換えだと言っているのである。間違えずに読んで欲しいのは「隠されている」のは「シニフィエ=意味されるもの」ではなく、「シニフィアン=意味するもの」 だということである。どこかにそれを発見すればすべてのシニフィアンの意味がわかる「究極のシニフィエ」があるわけではない。私たちが記号の起源を遡及し て最後にたどりつくのは、「もうそこにはないものの代理表象」だということである。(略)
 ラカンはこう続けている。
「昼と夜、男と女、平和と戦争、こういう対立は他にも幾つでもあげることができます。これらの対立は現実的な世界から導き出されるものではありません。そ れは現実の世界に骨組みと軸と構造を与え、現実の世界を組織化し、人間にとって現実を存在させ、その中に人間が自らを再び見出すようにする、そういう対立 です」
(略)
 この[「ユダヤ人と非ユダヤ人」という]二項対立のスキームを構想したことによって、ヨーロッパはそれまで言うことのできなかった何かを言うことができ るようになった。けれども、その「何か」は現実界に実体的に存在するものでもない。それはある「隠されたシニフィアン」を言い換えた別のシニフィアンに他 ならない。けれども、「ユダヤ人」というシニフィアンを発見したことによって、ヨーロッパはヨーロッパとして組織化されたのである。ヨーロッパがユダヤ人 を生み出したのではなく、むしろユダヤ人というシニフィアンを得たことでヨーロッパは今のような世界になったのである。》(52-55頁)

★8月15日(火):考える人──『私家版・ユダヤ文化論』(6)

 前回、郡司−ペギオ−幸夫著『生きていることの科学』に登場する「マテリアル」の概念に関して、その同義語として「物自体」という(カント由来の)語彙 を使った。郡司氏自身も「モノそれ自体」という言い方で、単なる素材性を超えたマテリアルの特質を説明しているのだから、それほど的をはずしてはいないと 思う。

「うん、僕が言いたい、モノそれ自体ってそんな感じだね。通常、素材、材料、モノって可能なものにおける現実的制限で、実現可能・不可能の図式そのものだ よね。実現可能・不可能の区別と独立に存在したり、区別と対峙するような第三項としては決して機能しない。(略──ここで、質料とは「可能・不可能に対す る第三項で、両者の違いを無効にする媒介者」であるといった議論が展開される。)
 なんか、質料が実現可能・不可能の区別を無効にする、という過程は、あらかじめ存在してわかっているものじゃない、ってところが重要なんじゃないかな。 事後において、はじめてわかる。」(27-28頁)

 このあたりはどこかベルクソンを思わせる(例の「コップ一杯の砂糖水を作りたいとすれば」云々)。それはともかく、「あらかじめ存在してわかっているも のじゃなくて、事後において、はじめてわかる」というところは、途方もなく重要な点だと思う。時間性とか聴覚性とか意識とかユダヤ的知性とかがまるごとこ れに関連してくるのではないかと思う。
 が、いまはそのことを詳しく論じている時ではないので、もう一つ、郡司氏の議論がカントを想起させる場面を取り出しておく。といっても、「意識は能動的 でありながら、世界の内側に置かれてしまっているという受動性を併せ持つ」がどこかカントのアンチノミー連想させるという他愛のないもので、だからどうと いうこともなく、この話題はこれ以上発展しない。
 ここで唐突にカントの名をだしたのは、『私家版・ユダヤ文化論』の議論を池田雄一著『カントの哲学──シニシズムを超えて』にひきつけてみたかったから だ。たとえば、『判断力批判』をとりあげた第三章の冒頭に、趣味判断が味覚の隠喩にもとづいていることを論じたくだりがある。視角、聴覚に対して味覚がど ういう立ち位置にあるのかということも興味深いが、それはともかく、池田氏は続けて味覚の二重性を論じている。すなわち、味覚とは「一方で身体的かつ受動 的な感覚であり、他方では精神的かつ能動的な感覚だ」(146頁)というのである。
 このあたりのことなどを手がかりにして、前回までの話題に接続し、ひいては池田氏が描写するところのカントの世界(世界を美学的に見るときにあらわれて くる様相)と「ユダヤ人」の意識世界、レヴィナスの倫理などを比較してみると面白いと思ったのだが、今回もまた気が乗らず、この話題はここで終わる。

     ※
 以前、『カントの哲学』を一気読みして以来、なかなかこの本に「決着」がつけられなくて、心のどこかでずっと気になっていた。けっこう集中して、かなり の刺激を受けながら読み進めていたのに、読後、その印象が散漫なものになってしまったのだ。大胆な読解を、批判をおそれることなく繰り出していながら、最 後の最後になってその気迫がしぼんでしまったように思えた。読み手の側の集中、緊張がとぎれて、なにか肝心なところを読み飛ばしてしまったのではないかと 気になっていた。

 昨日、今日と最初から読みなおしてみて、やはり同じ印象をもった。著者は肝心なことを語っていない。そもそも「それ」を語る言葉などないのかもしれない が、そうであればこそ、語り得ないという事態そのものにもっと肉薄してもよかったのではないか。しかし、それはもはや「カントの哲学」の射程外だというこ とかもしれないし、そう思うならおまえがやれと逆襲されそうなので、以下、さきの「印象」のよってきたるところについて書いてみる。

 カントの三批判書を「仮設に仮設を継ぎたして創られた、まるで九龍城のような建物」あるいは「大地震のあとの廃墟」と譬え、「この建築物の不完全性に は、なにか重大な意味が隠されている」、そしてカントのテキストは「それが何のために書かれているのかわからない書物として読むべきである」と啖呵を切る 序文が素晴らしい。
 カント哲学のエッセンスを一瞬一瞬に見切っていくこの威勢のよさ、あるいは独学者の覚悟をもってカントを「サクッと」(あとがき)読み通した余韻がもた らす初々しい息づかいは、本書の要所要所に顔を出して作品のリズムをかたちづくっていく。
 また、たとえば同じ序文で映画『マトリックス』を取り上げ、その物語世界とカントの批判哲学との親和性を論じている(「自分たちの住む世界が、人工的に 構造化されている、という世界観はカントからはじまっている」)ように、「映像の時代」(117頁)もしくはヴァーチャルなメディア空間(80頁)の時 代、そしてポスト冷戦期の消費社会を生きる現代資本制下の感受性や欲望、思想や政治の状況に関連づけて、カントを道具として、軽々と読み囓っていく手際は 見事だ。
 実際この書物の読みどころは、細部の考察のうちに縫い込まれた潔い断言と、そこに無造作に取り入れられた多彩な素材(おそらくはカントを読んでいた時に 著者がたまたま想起したか、その周辺で目にし耳にした映画や論考や思想書)を部品として、本書のキーワードを使えば「目的なき合目的性」を意識しながら緻 密に組み立てていった論述の鮮やかさにある。
 それは哲学書としては当然の作法なのだが、しかしその一方で、それらの細部がたたえる魅力に比して論考全体の印象がずいぶん中途半端なものに見えてしま うのである。
 そこで「主張」されているのは、要するにこういうことだ。カントの批判哲学はシニシズムを帰結する。しかし同時にカントから「シニカルな時代における行 動の原理、シニシズムの対抗原理」(98頁)を読みとることが可能だ。その転回は、あたかもプトレマイオスの天動説から「趣味判断」(「身体を中心とした 理性の使用方法」122頁)をもってコペルニクスの体系にシフトするようにしてなされる。このコペルニクス的転回の第二弾を敢行するための具体的方策は、 カントを第三批判書から読み解くことである。世界を美学的に見ることである。

《カントは『判断力批判』のなかで、人体に対しても、それを何に使ったらいいのかわからない道具としてみる必要があると述べている。カントにとって美学的 に世界をみるということは、世界を廃物として眺めるということを意味するのだ。このことは、世界を美しい仮象、スペクタクルとして鑑賞するということを意 味するわけではない。》(序文,17頁)

 著者はカントの著書を「廃墟としての建築物」に譬えた。建築物とは「それ自身が世界であるような道具」(191頁)であった。つまり、著者が言っている のは、カントの三批判書を「美しい仮象」として鑑賞するのではなく、「何に使ったらいいのかわからない道具」として眺めること、具体的には、カントを第三 批判書から読み直すことである。そのことが、「構想力の逆転写」すなわち「対象、その表象から図式、そして悟性的概念へと、判断が逆流する」(193頁) 可能性をひらいていくということである。
 本書が全体として中途半端な印象を与えると先に書いた。その印象は、叙述の対象(三批判書)そのものに自ら(シニシズムの対抗原理)を語らせようとする 著者の叙述の方法がもたらしたものだろう。批判哲学に対する批判を当の批判哲学自身に敢行させること。実体的なものとして「目的」を語ることによって「目 的なき合目的性」そのものの生の感触が消失してしまうことをおそれての戦略だったのだろう。
 あるいは、カントの三批判書を最後から読み直すことでもってあぶりだされる新しい主体、新しい自由(さらにいえば新しい時間、新しい神)の可能性とそれ を実体的に語ることの不可能性との両面を、叙述の全体でもって示したかったということなのかもしれない。本書末尾の次の文章に心底衝撃を受けるか、それと も単なる舌足らずなほのめかしと受け止めるかは、読者がそのことを自らの構想力のはたらきでもって確認できたかどうかによる。

《自分の手足を、何かの技術の産物のようなものとして眺めること。それは自己の身体を、解体され廃棄されたサイボーグの身体=部品としてみることを意味し ている。自分の、他人の手足が、いったい何のためにあるのか。それらのパーツに、合目的性を見出すこと。それは対象への過度の転移という事態をも引きおこ すだろう。しかしそれはいったい誰への、何への転移だというのか。趣味判断の主体はいったい誰なのか。判断をくだす当人なのか、それとも彼に憑依した不可 視の誰かの意志なのか。カントにとって世界を美学的に見るということは、世界を怪物と化したサイボーグとして注視し、その声にならない機械音に耳を傾ける ということだったのではないだろうか。》(第三章「出来損ないのサイボーグ、そして構想力の革命」,195頁)

★8月16日(水):考える人──『私家版・ユダヤ文化論』(7)

 そろそろ「決着」をつけておこう。日々だらしなく書物を読み齧り読み流すなかで、内田樹の『私家版・ユダヤ文化論』だけは例外的にふやけきった私の脳髄 に刺激を与えてくれた。そこからこの「連載」は始まったのだが、肝心の『私家版・ユダヤ文化論』から話題がどんどん拡散していき、着地点を見失ってしまっ た。
 この、「無謀な着想」(55頁)や「驚くべき」思弁的仮説(182頁)や「めまいのするような仮説」(199頁)が鏤められた書物を、もう一度最初から 読み直してみるならば、おそらくそこからまた別の「シリーズ」が生まれてくることだろう。
 今回、長い「終章」のなかの「結語」と題された一節をあらためて拾い読みして、とりわけそこで紹介されているレヴィナスの特異な思考(ホロコースト後の 弁神論)を、それがどこまで可能であったかどうかはともかく追思考(追体験)するように熟読してみて、そこに記された「理路」に躓くことでしか、私自身の 知性は働かず、思考は開始されないのだということをおぼろげながら実感できたような気がする。そして同時に、私の知性といい私の思考というときの当の 「私」は、もはや「ヨーロッパ文明があらゆる体験の基礎にすえていた観照的主体」もしくは「ヨーロッパ・ローカルの思考上の奇習」(232頁)にすぎない それではもはやないだろうということも。
 さらに言えば、「外国に定住する日本人、日本国籍を持たない日本人、日本語を理解せず日本の伝統文化に愛着を示さない日本人」を「日本のフルメンバー」 にカウントする習慣を持たないという、世界のマジョリティと共有する「民族誌的奇習」(14-15頁)、そして「夾雑物なき純良な国民国家のうちに国民が 統合されていることが「国家の自然」であるという日本人の願望(あるいは妄想)」(91頁)のうちにたち現れる「日本人」や「国民」ではありえないという ことも。
(昨日とりあげたカント的世界、正確に言えば池田雄一によって切り出された、「理論」ではないひとつの「態度」=生き方を通じて見られる世界の様相と、ユ ダヤ的知性、というより知性そのものの起源をとりまいていた世界の実相。この両者の関係が、やはり気になる。)

《そのつどすでに遅れて登場するもの。
 この規定がユダヤ人の本質をおそらくはどのような言葉よりも正確に言い当てている。そして、この「始原の遅れ」の覚知こそ、ユダヤ的知性の(というより 端的に知性そのものの)起源にあるものなのだ。
 この言明と、前節の最後に記した、[反ユダヤ主義者はどうして「特別の憎しみ」をユダヤ人に向けたのか? どうしてそれは「特別の」と言われるのか?  それは]「反ユダヤ主義者はユダヤ人をあまりに激しく欲望していた[から]」という言明の二つを併せて読んで頂ければ、私が本書で言いたかったことはほぼ 尽くされている。》(213頁)

《驚くべきことだが、人間は不正をなしたがゆえに有責であるのではない。人間は不正を犯すより先にすでに不正について有責なのである。レヴィナスはたしか にそう言っている。
 私はこの「アナクロニズム」(順序を反転したかたちで「時間」を意識し、「主体」を構築し、「神」を導出する思考の仕方)のうちにユダヤ人の思考の根源 的な特異性があると考えている。
 この逆転のうちに私たち非ユダヤ人は自分には真似のできない種類の知性の運動を感知し、それが私たちのユダヤ人に対する激しい欲望を喚起し、その欲望の 激しさを維持するために無意識的な殺意が道具的に要請される。
 ユダヤ的思考の特異性と「端的に知性的なもの」、ユダヤ人に対する欲望とユダヤ人に対する憎悪はそういう順番で継起している。》(217-218頁)

《ユダヤ人の神は「救いのために顕現する」ものではなく、「すべての責任を一身に引き受けるような人間の全き成熟を求める」ものであるというねじれた論法 をもってレヴィナスは「遠き神」についての弁神論を語り終える。神が顕現しないという当の事実が、独力で善を行い、神の支援ぬきで世界に正義をもたらしう るような人間を神が創造したことを証明している。「神が不在である」という当の事実が「神の遍在」を証明する。この屈折した弁神論は、フロイトの「トーテ ム宗教」ときれいに天地が逆転した構造になっている。
 勧善懲悪の全能神はまさにその全能性ゆえに人間の邪悪さを免責する。一方、不在の神、遠き神は、人間の理解も共感も絶した遠い境位に踏みとどまるがゆえ に、人間の成熟を促さずにはいない。ここには深い隔絶がある。
 この隔絶は「すでに存在するもの」の上に「これから存在するもの」を時系列に沿って積み重ねてゆこうとする思考と、「これから存在させねばならぬもの」 を基礎づけるために「いまだ存在したことのないもの」を時間的に遡行して想像的な起点に措定しようとする思考の間に穿たれている。別の言い方をすれば、 「私はこれまでずっとここにいたし、これからもここにいる生得的な権利を有している」と考える人間と、「私は遅れてここにやってきたので、〈この場所に受 け容れられるもの〉であることをその行動を通じて証明してみせなければならない」と考える人間の、アイデンティティの成り立たせ方の違いのうちに存在して いる。》(228-229頁)

★8月18日(金):「耳と心」でたどる日本宗教芸能史──山折哲雄『「歌」の精神史』

 「歌」とは身もだえする語りである。「ひとり」をめぐる感受性と情調の千年におよぶ歴史のうちに育まれた伝統的な「叙情という名の魂のリズム」(41 頁)である。「ひとり」とは外来語としての「個」に対応するひびきをもつ大和言葉で(121-122頁)、「魂鎮め」や「魂乞い」というときの魂のことだ といっていいだろう。
 「歌」には、実人生へのリアリズム感覚に裏打ちされた深く清冽な情感(悲哀感)が湛えられている。中世という「聴覚の時代」(79頁)に淵源する「無常 観と生命の昂揚感」(216頁)の伝統が流れている。この魂の律動、生命の律動を聴き取るには「耳と心」(93頁)をもってしなければならない。
 それでは今日、日本の詩歌の世界にかつてのような叙情の息吹や香りを感ずることができるだろうか。著者は美空ひばりの死とともに、いやそれに先んじて叙 情はすでにアスファルトのように乾ききっていたと嘆じる。
 宗教的世界観(無常観)と叙事的文学(生命律)を分離し(77頁)、歌唱の伝統に背を向けてテキストの内部に自閉する(91頁)ひからびた知性の跋扈 が、この惨状をもたらしたのである。それは「語りを忘れた人文学」(65頁)が陥った衰弱と対をなす現象でもあった。
 こうして人文学者・山折哲雄による、日本文化の「遺伝子」あるいは「ウィルス」(50頁)ともいうべき「伝統的な生命リズム」(43頁)の系譜をめぐる 探求が開始される。
 萩原朔太郎を介して古賀政男と石川啄木が並置され、啄木から西行へ、西行から親鸞の和讃へ、そして今様歌謡などの法悦文芸へと、「叙情の源流」(109 頁)を尋ねる旅は遡行していく。その過程で挽歌と相聞歌の同質性や釈教歌の意義(道元における歌の切実さ)が明らかにされ、最後に、瞽女唄と盲僧琵琶の調 べを経て北原白秋の童謡へと降る。
 歌唱の伝統のうちに息づく「歴史の旋律、精神の鼓動」に寄り添いながら、著者の筆致は時に軽やかに、時に沈痛に、そして演歌、歌謡曲、童謡の歌詞が引用 された箇所ではおそらく自ら節をとり唄いながら、自在に進んでいく。とりわけ「流離と放浪のなかで浮沈をくり返す盲人の精神史」をあつかった章では、著者 は静かに高揚している。

「芸能と信心が未分化のまま支え合う哀感の歴史、といってもいい。瞽女の唄と語りのかなたから能の詞章が蘇り、浄瑠璃や常磐津のリズムがきこえてくる。中 世の和讃や今様の旋律までがひびく。」(178頁)

「小林ハルさんの瞽女唄と永田法順さんの盲僧琵琶の語りが、一瞬、そのような長い長い宗教芸能史の起伏に富んだ流れをわれわれの眼前に蘇らせてくれるの だ。小林ハルさんの瞽女唄語りも永田法順さんの釈文語りも、それをきけばわかるように感傷の涙に曇らされることのない強い響きと鋭い感情表現をもってい る。物語の主題をみすえた対象把握の全身的な構えは、おそらくそのきびしい盲目の生活体験によってきたえられ培われたものであったにちがいない。
 現代の歌謡や詩歌からはすでに見失われてしまった叙事的な哀感の調べが、そこにはわずかに流れつづけているように思えてならないのである。」(191 頁)

 雑誌連載という出自がもたらした制約とそれと裏腹な表現の自由度が、著者をして新しい人文学の書を書かしめた。あとがきにいう「瓢箪から駒」とは、おそ らくそのことだ。「思索と体験が出会う究極の到達点」(141頁)。道元の歌に寄せて語られたこの言葉は、「耳と心」でたどる宗教芸能史という人文学の新 しい語り方(親鸞の和讃に匹敵する)を的確に形容している。

★8月21日(月):『記憶と生』(第4回)

 週に一度、時間にしてほぼ1時間程度、ベルクソンの『記憶と生』を熟読する。二ヶ月あまりの中断を経て、その習慣が甦ってきた。レヴィ=ストロースの 『神話論理』とヒッチコック/トリュフォーの『定本 映画術』を夜ごと眺めては、ベルクソンの読書体験への接続をはかっていく。ほとんど記憶からとんでいたこの「戦略」も、最近になってようやく忘却の淵から 甦りかけている。
 先週までで、第1章「持続と方法」の第1節「持続の本性」を再読し、昨日、第2節「持続のさまざまな性格」を通読した。その最後に「持続、それは絶対で ある」という『物質と記憶』から切り取られた文章(通し番号10)があり、そこに「連鎖の両端」という語が出てくる。

《音は静寂と絶対的に異なっており、ひとつの音は別の音と異なっている。光と闇の差異、さまざまな色彩の間、さまざまなニュアンスの間の差異は、絶対的な ものである。或るものから別のものへの移行は、それ自体が絶対的に実在する現象なのだ。したがって、私は連鎖の両端を捉えているのであって、その一方は私 のうちの筋肉感覚となり、もう一方は私の外部にある物質の感じうるさまざまな質となる。いずれの場合でも、もしそこに運動というものが在るのなら、私はそ の運動を単なる関係として捉えはしない。なぜなら、それはひとつの絶対だからである。》(33頁)

 この箇所は、第四章に出てくる「知性の全体像」(通し番号67)という『創造的進化』から切り出された文章と響き会っている。

《したがって、私たちは、鎖の両端の輪を掴んでいるが、そのほかのたくさんの輪は捉えるに至っていない。それらは、いつまでも私たちの手から逃れるのだろ うか。私たちが定義するような哲学は、まだ自分自身を完全には意識していなかったと考えねばならない。物理学は、それが物質を空間性の方向に推し進める時 には、自分の役割を理解している。しかし、形而上学が、まったく単純に物理学の後追いをし、同じ方向でもっと遠くに行きたいと空想していた時、一体自分の 役割を理解していただろうか。反対に、形而上学に固有の努めは、物理学が降りて来た坂道を登ること、物質をその起源に連れ戻すこと、もしこう言ってよいな ら、逆向きにされた心理学であるような、ひとつの宇宙論を漸進的に形成していくことではないだろうか。》(199-200頁)

 ここに出てくる「鎖の両端」という言葉は、「或る体系をそれより大きい別の体系に結びつけるさまざまな糸」(19頁)という語とも響き会っている。
 この語は「心理学を超えて:持続、それは全体である」(通し番号3)に出てくる。そこでベルクソンは、科学は徹底して物質を孤立化させるが、それは研究 の便宜のためであって、いわゆる孤立した体系が外側からのいくつかの影響(糸)に左右され続けることを暗に認めていると書いている。この孤立化は太陽系に 達して完成するが、それとて孤立化は絶対的なものではない。

《それを宇宙の他の部分に結び付けている糸は、たぶん極めて細い。けれども、宇宙に内在する持続が、私たちが生きる世界の取るに足らない小片にまで伝わっ てくるのは、この糸を通してなのだ。/宇宙は持続する。時間の性質を掘り下げるほど、いよいよ明らかになってくることは、持続とは発明であり、形態の創造 であり、絶対的に新しいものの絶え間ない生成だということだろう。科学によって限定された諸体系が持続するのは、ただそれらが宇宙の他の部分に分かちがた く結び付いているからに過ぎない。実際、あとで述べるように、宇宙それ自体のなかでは、対立する二つの運動が区別されなくてはならない。そのうちのひとつ は〈下降〉であり、もうひとつは〈上昇〉である。》(19-20頁)

 今回は、素材の抜き書きのみ。ここで以前、『物質と記憶』を読みながら、この書物でベルクソンはまったく新しい「物質の理論」を構想し、その予備的考察 を行っている、つまり『物質と記憶』にはまだベルクソンの物質の理論は書かれていない、と考えたことを想起している。郡司−ペギオ−幸夫著『生きているこ との科学──生命・意識のマテリアル』が、その「未完」の物質理論に挑んでいる。

★8月22日(火):目を開いたまま夢を見る場所──加藤幹郎『映画館と観客の文化史』

 「本書は日本語で書かれた初めての包括的な映画館(観客)論となる」(292頁)。著者はあとがきにそう書いている。
 それでは、なぜこのような書物が書かれなければならなかったのか。「映画はそれ自体としては存在しえない」(27頁)からである。「理論的予備考察」と 題された序章で、著者はそう述べている。「映画館(上映装置)のなかで切り取られる上映時間という生きられた「現在」の空間的な写像ないしは存在論的な時 間の問題をぬきにしては、映画は真に論証の対象にのぼることはできない」(27頁)し、「映画が立ち現れる場所以外に映画に訪ねるべき起源がない」(29 頁)からである。
 「リュミエール兄弟の映画[シネマトグラフ]の初公開(一八九五年)以来、長いあいだ映画を見ることは、一枚のスクリーンに拡大投影された映像を不特定 多数の観客がひとつの場所で共有することを意味してきた」(51頁)。しかし、過去一世紀以上にわたる多様な映画興行の歴史からみれば、このような「リュ ミエール映画史観」(48頁)は根底から修正をせまられるだろう。映画館の観客が座席に縛られたも同然の状態で、スクリーン上の表象を現実と誤認する快楽 にひたるという「映画(モーション・ピクチュア)の観客のこの「不動性(モーションレスネス)」は、…歴史的産物にすぎず、…映画史初期から古典期への移 行過程でたまたま獲得されたものにすぎない」(20頁)からである。

 こうして、スクリーンを虚構世界が現出する場そのものとして論ずること、つまり透明な窓の向こうの景色(映画作品)ではなく「窓を窓として窓そのものを 論ずる」(35-36頁)という本邦初の試みが開始された。
 「すべてを見る[パノラマ]」(19頁)こと、すなわちひたすら「異世界の運動の写実的再現」(19頁)につとめる公共的な見世物(スペクタル)として の興行や、これとは異質なキネトスコープ(覗き箱式の映画装置)による「唯我論的な」映像体験という最初期を経て、安普請の最初の常設映画館(ニッケルオ ディオン)の流行から古典的ハリウッド映画を上映する豪華で巨大な映画宮殿(ピクチュア・パレス)へ。そして「映画のテレヴィ化プロセス」(138頁)の 遂行──テレヴィ産業の隆盛とともに生まれたドライブ・イン・シアターから「映画がテレヴィに完敗したことのまぎれもない証左」(156頁)であるシネ マ・コンプレックス(映画を見るための場所への純化)の形態へ──を経て、かつてのパノラマ館やシネマトグラフのような見世物への回帰を思わせる巨大なア イマックス・シアターへ。あるいはキネトスコープ(「唯我論的世界観を可能にする心的装置」:52頁)以来の「ひとりで映画を見るという経験」(149 頁)を復権させたVCRやDVDの出現。

 アメリカ篇、日本篇の二部構成で叙述される映画館(映画上映装置)とその観客(映画の享受・受容)の歴史は実に興味深い。とりわけ、映画館と教会との親 和性の指摘──「ニッケルオディオン期にはしばしば教会が改装されて映画館に生まれ変わり、ニッケルオディオンのない田舎街[スモールタウン]では巡回上 映技師が教会を代用映画館として利用し」(137頁)たこと、「シネマ・コンプレックス期に入ると。しばしば在来型映画館は教会へと衣替えした」(138 頁)こと──や、列車旅行と映画体験との密接な関係をめぐる考察(第1部第4章第2節「ヘイルズ・ツアーズ──擬似列車旅行」)はひりひりするほど刺激的 である。

《映画宮殿[ピクチュア・パレス]はたんに宮殿と映画館を合体させただけのものではなかった。それは同時に光の神殿でもあった。ピクチュア・パレスのロ ビーの高窓にはしばしば壮麗なステインド・グラスが嵌めこまれ、館内に射しこむ外光が「神は光なり」という聖書の言葉を具現化したカトリック教会のよう に、ひとびとに心の安寧もたらした。そもそもカトリック教会じたい太陽光によって栄光の物語を上映する映画館であるともいえる。(略)映画史がリュミエー ル(光)兄弟からはじまったとする説をとれば、「光よあれ」というキリスト教の神の言葉はキリスト教文化圏にはじまった映画というテクノロジー文化にもっ ともふさわしいモットーとなるだろう。映画はまた死者が生前と変わらぬ姿で現れる媒体であり、その意味で映画は霊媒であり、映画館のスクリーンは永遠の生 をあがなう祭壇である。》(111頁)

《列車の驚異的な速度が風景とその知覚者(旅客)とのあいだに見えない壁をつくりだし、見る者と見られるものとを組織的に隔てるようになった。列車の乗客 は車窓をとおして風景を見ることはできるが、かつての騎馬や馬車旅行者のように旅を五感で味わうことはできなくなった。そのかわりに得たものは、よくいえ ば視角の特権化であり、車窓につぎつぎとあらわれては消えてゆく「奥行きを失った」風景の連続、つまり「シーンの連続」の体験であり、それは映画が編集段 階をへて獲得する効果とも似ていた。
 列車旅行者は旅をもっぱら視覚的にしか体験できなくなってしまっていたが、その視覚的経験は列車の速度において、めくるめく体験となった。車窓からの眺 めは、齣撮りによるあわただしい花弁の開花のように、それまで見慣れていたはずのものにまったく新しい表情をあたえた。列車のスピードは人生の奥行きを犠 牲にして、平板ではあるが簡便な旅を可能にした。それは新しい幻惑媒体としての映画が観客にあたえることのできるものと似ていた(「現実」の再現装置とし てのフラットなスクリーンの経験は、「切り返し」編集による立体感創出にもかかわらず人生の「奥行き」の喪失の経験であり、「シーンの連続」は係留点とし ての自我の喪失、すなわちエクスタシーの経験である)。そして旅の経験を視覚的幻惑に還元する列車をその極限にまで推し進めることによって、擬似列車旅行 体験装置ヘイルズ・ツアーズは映画に行き着いた。ここにおいて映画と列車旅行は文字通り合体したのである。》(178-179頁)

     ※
 ただ、本邦初の「新しい冒険」(あとがき)であるだけに、本書には多くの知見や仮説、論点が必ずしも存分に深められ相互に関連づけられることなく後の考 察に委ねられている。著者自身「続篇」の必要性を痛感しているゆえんである。

 たとえば、「ひとは映画館のなかや上映装置のまえでかならずしも映画を見ているとはかぎらない」(31頁)と著者は書いている。この論点(ひとは映画館 という都市装置を使ってほんとうは何をしてきたのか──あるいは映画館の闇と教会の光との関係?)は本書の随所に見え隠れしている。その一端は、第2部 (日本篇)第3章のポルノ映画館を取り上げた次の箇所に出てくる。しかし、それらが主題的に存分に論じられることはない。
《同性愛者という社会的少数派[マイノリティ]が自分たちの居場所[コミュニティ]を都市の片隅に維持しえているという事実は、たとえそれが老朽化した映 画館であったとしても慶賀すべきことであろう。都市というものが、たえず自己変革してゆくものであるとすれば、変革の埒外、再開発計画から取りのこされた 場所が性の(再)生産の場たりうることは悦ばしいことである。
 映画館が不安と懊悩の場所だという話はあまり聞かない…。映画館はあくまでも目を開いたまま夢を見る場所である。たとえ映画作品とのすばらしい出遭いが なかったとしても、ポルノ映画館は同性愛者同士の愛の出遭いをかなえるはずである。映画館と作品と観客の均質化ということで言えば、シネマ・コンプレック スのほうがよほどポルノグラフィックな産物であろう。ポルノグラフィとは性的に卑猥な画像という原義から派生して、ステレオタイプ、静態的常套、おさだま りのパターン、要するに均質性といった含意をもつからである。》(281-282頁)

 あるいは、「ひとが観客になる」とはどういうことか。著者は、第1部(アメリカ篇)第5章「観客の再定義」で、このことの理論的考察(ただし中間段階 の)を行っている。以下は、古典的ハリウッド映画の最大の特徴のひとつである「切り返し」編集(見る者のショットと見られるもののショットとを繋ぎあわせ る編集)こそが、登場人物への感情移入ないし自己同一化による観客の物語世界への参入(没入)を促すしかけであったことにふれた後に出てくる文章である。
《しかしハリウッド映画をのぞく世界のさまざまな製作現場では今日「切り返し」編集を(ほとんど)使用しない映画が多数つくられており、「切り返し」はひ とが観客になるための絶対的条件ではない。むしろ重要なことは、「切り返し」編集が前提としているもの、すなわちカメラは基本的にどこにでもおくことがで きるという単純な事実である。このカメラの遍在性がひとをして観客たらしめる最大の要因である。カメラは世界中どこにでもポジショニング可能であり、それ ゆえ観客は世界のあらゆる場所を見ることができる。カメラの遍在性に裏打ちされた観客の視線の遍在性とパノラマ性が、ひとをして「観客」たらしめる。観客 はいながらにして世界のあらゆる場所、あらゆる時間を眼下におさめる超越的な主体となりうる。ひとが真に自己同一化しているのは、映画のなかの主人公とい うよりも、むしろこの超越的な見る主体である。そしてそれが一般にひとが観客になるということである。》(202-203頁)
 ここに示された仮説を、たとえばパノラマや列車旅行がもたらした映像体験、そしてVCRやDVDという「動画を見ているのはつねに自分ひとりであり、そ してその動画の動画たる根拠、すなわちいつどのようにそれに動きを吹きこむかを決定するのは自分であるという、いささか唯我論的な世界観を可能にする心的 装置」(150頁)がもたらす視聴覚経験などの具体の状況に即して検証を深めていくと、そこからどのような議論がひらけるのだろうか。

 そして最後に、映画館・観客の文化史と「解釈」という名の映画受容との関係。著者自身の言葉でいえば「映画館(ないし映画装置)の差異が映画作品の解釈 にどのような影響をおよぼすのか」(あとがき)という論点である。
《じっさい映画作品の解釈は、わたしたちが映画作品をいつどこでどのように受容するかによってさまざまに異なってくるはずである。(略)映画館(上映装 置)の様態の違いにもかかわらず、つねに中立的、客観的な映画作品の受容=解釈が可能になるという考えは、形而上学的虚構か映画史的無知かのいずれかであ ろう。(略)本書で映画館とその観客の歴史が問題になるのは、作品の解釈の変化の歴史が問題になるからである。映画作品はどの時代の、どの観客にも、つね に同じ意味を明示するわけではない。じっさいいかなる作品も、その多様な解釈の根拠をみずからの脱構築のうえに有している。脱構築とは、この場合、作品を 受容、解釈するたびごとに生きられる事件というほどの意味である。》(26-27頁)
 私は未読だが、『「ブレードランナー」論序説 映画学特別講義』が「DVDプレイヤーが、いかに脱構築的な読み(それまで観客が夢にも思わなかった映画 テクストの非均質性)を明示しうるものであるかということの実例」(293頁)だということなので、この本は至急入手して読んでみよう。こうした個々の映 画作品の「解釈の変化の歴史」を積み重ねていくことが、著者いうところの「硬直状態」(27頁)から映画史を救済することにつながるのだろう。

★8月24日(木):マテリアルとスピリチュアリティ──鎌田東二『霊的人間』(1)

 郡司ペギオ−幸夫は『生きていることの科学──生命・意識のマテリアル』で、「痛み」は「傷み」であると書いている。郡司氏の精密な議論を荒々しく要約 してしまうと、次のようになる。
 痛みは「プログラム」(わたしというシステム)によって計算される「データ」(刺激)やその変形(刺激データの変換の変換の…と無限に続く)ではない。
 認識主体(私というシステム)のフィルターを通した現実世界(仮想世界と区分されるところの現実世界)とは異なる「存在する現実世界」(プログラムと データの外部にある現実世界)というものがあって、プログラムとデータの両者は各々それとの接点を持っている。
 だから「わたしというシステム」が外界から刺激を受け取ったとき、刺激に対してデータとしての対応とプログラムとしての対応とを同時に要請される。つま りデータとプログラムの変形・変換が双対的に生じ、データとして評価することと評価機構の損傷、すなわち「傷み」とが同時進行する。

《データは計算論的意味を有し、認識される表象を有する。プログラムは摩耗、疲弊をともなうことで、物質的意味を有し、感覚やクオリアを有する。データと プログラムの両者が質料を介して連関し、まさに質料によって、互いの関係が解体されることで、各々が現実世界との接点を持ちうる。それが認識や感覚であ る。そう議論してきた。
 質料は、最初に想定された二つ──内包・外延、プログラム・データ、現実世界・仮想世界──の裂け目で、外部から滲み出るものだ。それは区別を創り出し つつ、潜在的なものによって区別を無効にする。表象は素材性がもたらす顕在的な区別に依拠し、クオリアは潜在性に依拠するが、ともに質料を経由して出現 し、それ自体質料を啓発する。すべては区別可能でありながら、分かちがたく結びついている。
 このような分離の困難、未分化な質料の痕跡に対して、「痛み」という言葉を使いたいと思う。内包・外延の齟齬と調停が引き起こす、まるごとの現象が担う 質料の痕跡、それを痛みと呼ぶわけだよ。》(146-147頁)

 また「痛み」は二人称の問題である。

《これを扱うアプローチにおいて、いわゆる主観と客観のダブルスタンダードは許されない。媒介者、質料なくして痛みは成立しない。一人称としての、いまこ こにあるわたしの痛みは、わたしにおいて疑う余地がなく、論じる必要がない。三人称の痛みという、わたしと完全に切れた痛み概念は存在しない。痛みの問題 は、常に、わたしが対峙する他者の痛みの問題であり、わたしの痛みを他者に伝える際の問題である。だからそれは、わたしの痛みを理解し、表現する、という 問題として成立する痛みであり、二人称の痛みの起源としてのみ、成立するんだと思う。
 退けるべきダブルスタンダードは、対象レベルとメタレベルの言説を、媒介者なしに用意して、ある場合には前者、別の文脈では後者というように、適宜使い 分けることだよね。…そこには外部が現れない。だから僕たちの現実世界と無関係になる。痛みでは、所有性・私秘性ということもよく議論されるけど、これを 理解するにも、部分と全体の関係・調停の理解が不可避だよね。》(149頁)

     ※
 長々と別の書物からの引用を重ねたのには、わけがある。鎌田東二いうところの「モノ(スピリチュアリティ)」が郡司氏の「質料(マテリアル)」の概念と 重なって読めたからだ。鎌田氏は『霊的人間──魂のアルケオロジー』のあとがきで、次のように書いている。

《ところで、この十年ほど、わたしは「モノ」にこだわってきた。わたしの「モノ」への関心は、最初、「モノのけ」から始まり、その後、「モノがたり」を経 て「モノのあはれ」に移行し、現在は「モノづくり」に多大な関心を寄せている。
 子供の頃、「オニ(鬼)」と呼ぶほかない「モノのけ」を何度も目撃し、十歳で『古事記』という「モノがたり」を読んで次のステージに突入し、その後平田 篤胤や柳田國男や折口信夫の「モノのけ」研究にインスパイアーされ、ここ数年は本居宣長の「モノのあはれ」論を再吟味しつつ、柳宗悦の民藝運動などの「モ ノづくり」伝承の厚みに“驚覚”を重ねている。
 そうした「モノ尽くし」の結果、日本列島文化においては「モノ」の見方の中に「霊性」のはたらきがあったと考えるようになった。そこにおいては「モノ」 は単なる物質でも物体でもなく、「者(モノ)性」も「霊(モノ)性」もともに内在させている。この物質・物体(物)から人格的存在(者)を経て霊性的存在 (霊)に及ぶ「モノ」の位相とグラデーションの繊細微妙さ。》(187頁)

 郡司氏の精緻なロジック(概念の精錬)と鎌田氏の「モノ尽くし」(概念の重ね合わせ)とをいっしょくたにすることにはためらいがある。
 でも、「「私だけではない。他者は、世界は、実在する」このような感覚が、我がこととして血肉となること。他者、世界を実感すること」(『生きているこ との科学』7頁)という表現と、「驚覚」もしくは「驚き・不思議の感覚」(『霊的人間』185頁)、「「モノ」感覚」(同188頁)という語彙とはたしか に響き会っていると思う。
 郡司氏は、マテリアルとは「媒介者」(「一方で認識とその外部の分離を可能とし、他方その区別を無効にするがゆえに両者を媒介できる。この二つがマテリ アルにおいてつながっている」6頁)であり「潜在性」(「区別を創り出しそれを無効にする力を潜在させるもの」124頁)であるという。鎌田氏の「モノ」 もまた、そのような媒介性・潜在性をもっている。

★8月25日(金):極西と極東のあわいに立ち上がった比較霊性学の書──鎌田東二『霊的人間』(2)

《本書でわたしは、能で言う「諸国一見の僧」のように、各所・各人を訪ね、その場と人の声音を聴き取り、その奏でる言葉によるたましいの鎮まりと賦活を試 みようとした。観阿弥や世阿弥や元雅が編み出した新しい身魂[みたま]の作法とは異なる、地霊の呼び声と魂のアルケオロジーを求める「霊的人間」の霊性の モノガタリを語ろうとした。》(11頁)

《文学(芸術)も宗教も学問も、ある驚きや不思議の感覚から端を発している。(略)わたしはこれら三つの領域に長いこと関わってきたが、その出自には共通 の“驚覚”があると思う。本書ではその“驚覚”の赴くまま、「魂のアルケオロジー」を求めてやまない「霊的人間」の諸相を実況中継するかのように、語りの 舌を動かしてきた。(略)彼らは人間の「原型」を探求する旅に出た旅人たちである。存在の根源としての魂のアルケオロジーを追い求める捜索者である。わた しもそのような旅人=捜索者の末端につらなっていると思っている。(185-187頁)

 序章とあとがきに綴られたこれらの文章が、本書の実質を余さず語っている。もしここに付け加えるべきことがあるとすれば、それは「能」とはこの場合「ケ ルト能」(イエイツの「鷹の井戸」に著者が与えた評言:130頁──松岡正剛の「千夜千冊第五百十八夜」[http: //www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0518.html]にも同じ言葉が出てくる)と見るべきであるということくらいだろ うか。
 実際、本書で取り上げられた「霊的人間」──各章の主人公となるヘルマン・ヘッセ、ウィリアム・ブレイク、ゲーテ、本居宣長、上田秋成、平田篤胤、稲垣 足穂、W・B・イエイツ、ラフカディオ・ハーンの九人、終章にその名が出てくる(イエイツが「生まれながらのケルト人」と呼んだ:179頁)ウィリアム・ モリスに加えて、前著『霊性の文学誌』に引き続き随所に登場するノヴァーリス、ドストエフスキー、ニーチェ、そして出口王仁三郎、宮沢賢治、折口信夫、さ らには(いずれ著者によって主題的に論じられることになるだろう)柳宗悦──は、ケルトと日本、極西と極東の間(あわい)に立ち現われた、「「潜在」的で 「普遍」的なモノを見透す想像力」と「叡智的直観」(184頁)を持った探求者たちであった。
 そして「諸国一見の僧」もしくは法螺(貝)を吹く旅の修行者にして歌う神道家たる著者もまた、幽けきものの声音に耳を澄ませ(11頁,166頁)、小さ きものの存在を幻視する(152頁)「驚覚」──「もののあはれ」を知る心(著者はこれを“a sensitivity to spirituality”と訳している:188頁)もしくは「「物」から「者」を経て「霊」に至る「モノ」感覚」(188頁)──をもって、霊的人間と いう個物(モノ=者)に寄り添いながら「より普遍的で、より古い」(184頁)ものを探求する。
 こうして生まれたのが本書、すなわち(ドイツロマン主義によって媒介された)「極西と極東の相聞歌」(130頁)もしくはケルトと日本の間(あわい)に 立ち上がった比較霊性学の書である。

     ※
 訊き質すのではなく「聴き取る」こと。踏み入るのではなく「おとなひ・おとづれる」こと。傍観者的に眺め記述するのではなく「モノガタル」こと。ともに 霊的世界の探求をめざす「民俗学と心霊研究」(164頁)を統合した、というより文学(芸術)と宗教と学問を「モノ学」(188頁)へと総合しようとする 著者の捜索方法は、霊性をもって霊性を語らせようとするものだ。
 それは観阿弥・世阿弥・元雅三代による「身魂[みたま]の作法」(「新しい身体の身振りを創出し、その身体作法によって鎮まらぬ諸霊のたましいを呼び出 だし、そのたましいに怨みや怒りや悲しみや思いのたけを語らせ舞わせて、諸霊を鎮撫するという新しいタマフリの作法」9頁)とは異なる、新しい「カタリの 作法」をもって「たましいの鎮まりと賦活」を試みようとするものである。
 本居宣長を取り上げた章に、「「詩」を生み出す力は「精霊」だというゲーテの直観は、日本の国学者たちが「やまとことば」、とりわけ「やまとうた」の中 に「言霊」の力の発現を見て取っていたことと相呼応する」(69頁)と書いてある。モノガタリを語る言葉は「声音」をもっている。そこには「物」と「者」 と「霊」が共に内在している。「そこにおいては「モノ」は単なる物質でも物体でもなく、「者(モノ)性」も「霊(モノ)性」もともに内在させている。この 物質・物体(物)から人格的存在(者)を経て霊性的存在(霊)に及ぶ「モノ」の位相とグラデーションの繊細微妙さ。」(187頁)
 そしてそこには死者と生者が共在する。死者の魂が生者の身体を導管としてこの世に蘇えるのではなく、声音のうちに死者と生者が重ね合わされている。あた かも無数の音の波が合成されて一つの声音となるように。あるいはあの世とこの世が「ロバチェフスキー時空間」において邂逅するように、そこでは死者(「霊 的人間」たち)と生者(鎌田東二)の直接的な会話(カタリ)が成り立つ。「さて足穂は、ロバチェフスキー空間では平行線が平行にならず、無限大に背反して いくという。(略)自分が自分に交わることなく無限大に遠ざかっていくが、しかし馬蹄形に湾曲してすぐ近くに見える。無限大に離れているのに、間近に見え るというパラドックス。」(123-124頁)

 霊性もまた個にして普遍、単数にして複数の平行線が無限に乖離しつつ近接するパラドックスのうちにある。
 霊性とは同じもののうちに精妙な差異(個物たち)を生みだし、同時に異なるものを普遍のうちにつないでいく媒介者である。善悪、雅俗、男女、老若、神と 悪魔、「もののあはれ」と「もののけ」、妖精と妖怪等々、無数の反対物を自らの内に孕み生みだし育みつつ一致させる。著者は、先に引用した文章に続いて、 稲垣足穂の「弥勒=ロバチェフスキー時空間」を即非の論理(色即是空や魔仏一如など)、反対物の一致(ニコラウス・クザーヌス)、絶対矛盾的自己同一(西 田幾多郎)に通じるものだと書いている。
 霊性は「モノ」のうちに無数の「間」をひらき、その「あわい」から立ち上がる潜在性である。坂部恵が「生と死のあわい」(『モデルニテ・バロック』)で 「Betweenness-Encounter」と訳した「あわい」(「会う)の名詞形)。それは、そこにおいて関係が関係それ自身に関係するところの界 面(木村敏『関係としての自己』)である。
《混乱を極める21世紀を生き始めたわたしたちに必要な知と力とは、生の多様の中に息づき、立ち現われてくる、このような「潜在」的で「普遍」的なモノを 見透す想像力ではないかと思う。本書で取り上げた「霊的人間」たちは、それぞれの探求と叡智的直観を通じてそのことを予感し、それぞれの時代と地域の困難 を生きぬこうとした。そうした「霊的人間」たちの探求が指し示す生と思想をしっかりと読み解き、みずからの霊性を通して受け継ぎ、この時代の困難を自在に 生き抜いていかなければならない。》(184頁)

     ※
 最後に、著者のカタリの巧みさについて簡単にふれておきたい。
 それは、たとえばヘッセとブレイクをノヴァーリスでつなぎ、ブレイクとゲーテをケルト民族の詩篇『オシアン』でむすび、ゲーテと宣長を「原型」探しの苛 烈な精神において「二卵性双生児」と見るといった、各章の「間」をうずめていく語りの趣向のうちに端的に示されている。
(ゲーテと宣長の共通点は松岡正剛(千夜千冊)[http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0970.html]の指 摘を踏まえている。足穂とイエイツについて「ともに、月に憑かれて妖精─妖怪的人生をそぞろ歩いたルナティックな人物である」(134頁)とあることなど も含め、本書には鎌田東二と松岡正剛の「ロバチェフスキー的関係」が見え隠れする。)
 しかしそれらは見やすい例にすぎないのであって、序章から終章、あとがきにいたる本書の構成のうちには、おそらく私などが迂闊にも気がつかない大掛かり な仕掛け(霊性もしくは霊的人間のロバチェフスキー的邂逅)が施されているに違いない。実際、叙述のなかの一見何気なく鏤められた言葉のうちにさえ、その 痕跡のようなものが仄見えるのである。
 いま思い出すままに若干の例をあげるならば、ヘッセの章の『デミアン』を話題にした箇所(17頁)に出てくる「カインのしるし」は、平田篤胤の章 (103頁)に出てくる「顔にアザアルノガ、兄弟ヲコロシテ家をウバフ相也トテイヤガラレ」(襖の下張りから発見された篤胤の手紙)と相呼応していない か。
 また同じく『デミアン』の語り手シンクレールの夢の中に出てきた「鋭い精悍なハイタカの頭をした猛鳥」(アプラクサス)とイエイツの章の冒頭に登場する 女が化身した鷹(「鷹の井戸」)は不可視のロバチェフスキー的導管を通じて相互変換の関係にあるのではないか、等々。

★8月27日(日):休日の読書事情──『数学的にありえない』ほか

 金曜の夜、ひさしぶりの衝動買いでアダム・ファウアー『数学的にありえない』上下(矢口誠訳,文藝春秋)を購入し、これも随分ひさしぶりの一気読みで土 曜一日をしっかりと棒にふった。「徹夜必至の超高速超絶サスペンス!」とか「ここに前代未聞のアイデアを仕込んだジェットコースター・サスペンスが幕を開 ける」とか「前代未聞、徹夜必至の物語のアクロバット。記念すべき第1回《世界スリラー作家クラブ新人賞》受賞作」とか、まあ仰々しい売り言葉がたっぷり とちりばめられている。どことなく以前『ダ・ヴィンチ・コード』(角川書店)を衝動買い・一気読みしたときの雰囲気に似ていると思っていたら、案の定「ダ ン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』が切り拓いた知的サスペンスの分野に、それをはるかに凌駕する傑作が誕生しました」とも書いてある。どう評価しよ うが勝手だが、「はるかに凌駕する」とはいくらなんでも言い過ぎだろう。

 一日棒にふってでも読む価値があったかどうかは、この作品になにを期待するかにかかっている。確率論や統計学と脳科学と深層心理学が薄っぺらく結合した 現代版アカシック・レコードのアイデアを「前代未聞」と言われてもにわかに賛同しかねるし、数学や量子力学の講義が説明口調で長々と挿入されるのは興をそ ぐ。そういう趣向、味付けの部分は別にして、「ジェットコースター」の方面でも、上巻のストーリー展開がどこかもたもたしているし、唐突で都合のよすぎる 出来事の連続に後で説明がつくことは判っていても「なんでそうなるの」とイライラが募るし、随所にはさまれる回顧談が流れを遮断するし、そもそもいったい どの人物に感情移入したらいいのか気持ちが定まらない。
 とまあ悪口ばかり書いたけれど、最後まで飽きず一気に読めたし、それなりに快感があったのでよしとしよう。これは映画だと思って、自分なりに映像を想像 しながら読めばけっこう楽しめる。上巻の終わりあたりでこのことに気がついた。一つだけ映像では表現できないトリックがあるのだが、それも工夫しだいでな んとかなるだろう。こういう作品だとわかっていてもう一度金曜の夜に戻ったら衝動買いをしたかどうかはなんともいえない。ディレクターズ・カット版でもプ ロデューサーズ・カット版でもどちらでもいいので『ブレードランナー』のDVDを買った方がよかったと今この時点では思うけれど、それは既に決定された現 在だからそう思うだけのことなので、実際その時になると結局は衝動買いの誘惑に負けているかもしれない。

 エンタメ系の小説にしろ映画にしろ、読んでいる時、観ている時はそれなりに楽しんでいたくせに、本を閉じ映画館を出る(DVDをパッケージにしまう) と、それがよく出来た作品であればあるだけ理不尽な不満がおしよせてきて「ああまた時間を棒にふった」という思いが嵩じてくる。それは「楽しい時間が終 わってしまって、また退屈な時間が始まる」という不満に近いような気もするが、たぶんそれとは違う。「よく出来た作品であればあるだけ」と書いたが、その 「よく出来た」の部分が関係してくるのだと思う。
 それは、ここ一月ばかり断続的に読み進めてきてちょうどこれから最後の第四巻を一気に読みきろうと思っている『播磨灘物語』にもあてはまることで、読み 終えたときに襲われるに違いない不満の感触がいまのうちから想像できる。『数学的にありえない』や『ダ・ヴィンチ・コード』と司馬遼太郎の長編小説とでは まるで作品の仕立て方が違うので一律にはあつかえないが、「ああとうとう終わってしまった」という虚脱感、こう書くと先ほどの「楽しい時間が終わってし まって、また退屈な時間が始まる」に似ているけれど、これとは微妙に違う不満がやっぱり到来するに違いない。「よく出来た」作品は、その出来具合の違いを 超えて「終わってしまう」という一点で共通する。どれほどの熟達や天才の筆をもってしてもこれだけはどうにも避けられない。

 ただ、最近つづけて観ているヒッチコックの作品や、いま読みかけていて『播磨灘物語』のあとでもし時間があればこれもついでに最後まで読みきってしまお うと思っている小島信夫の『残光』などは、たとえ観終わり読み終えてもそれ(作品を観、読んでいる時間)が「終わった」という感じがしない(後者について は「と思う」と書くべきだが、最後まで読まなくてもわかるのであえて断定しておく)。
 『残光』をいまそれについて書いているエンタメ系の作品と同列に扱うのはどうかと思うが、作品中に再々登場する保坂和志の言葉を借りて「読んでいる(観 ている)時間の中にしかない」作品が、それを読み終えた(観終わった)後でも続いていると感じるのは、元祖「ジェットコースター」のヒッチコックと同質と まではいわないまでも少なくとも私には分別できない。
 エンタメ系の作品は「つくりもの」で、そうでない作品はそうではない、などと言ってみてもはじまらない。「つくりもの」といえばすべての作品がそうなの だから、とにかく「終わってしまう」ものと「終わらない」ものがある、それがなぜだかは判らない、としか言えない。それは趣味、好みの問題だといわれれ ば、それはそうかもしれないとしか言えない。