不連続な読書日記(2006.02)




【書評本】

●茂木健一郎『プロセス・アイ[PROCESS A.I.]』(徳間書店:2006.1.31)

《静かな火星年代記》
 読後の印象を一言でくくると「静かな火星年代記」。ブラッドベリの名作SFはオムニバス形式で編まれ、各編の登場人物も時代も異なる。『プロセス・アイ』はオムニバスというよりはフラッシュバック。プロローグとエピローグを含めた17の章はどこか語り尽くされない余韻を残しながら、それぞれの間隙に(後日譚としてしか語られない)出来事や事件を挿入し、主要人物たちの(日付を持った)言動と感情と思索の物語が淡々と静謐に継起していく。
 これが「静かな」と「年代記」の意味。「火星」は意識や「私」をめぐる思考実験で「中国人」とともにポピュラーなものだ。この作品の素材に即していえば「月」とするべきかもしれない。要は「無重力」の彼方に実在する仮想的で潜在的な時空のこと。
 さて、著者が本書で与えた心脳関係をめぐるハード・プロブレムへの「解答」、すなわち「プロセス・アイ」の理論とは何か。これを書くとほとんどネタばらしになってしまうのだが、それは「通常の言葉の意味を理解するようなやり方では決してその意味が理解できないような形」でしか書き記すことはできない。ここにはほとんどすべての哲学的洞察や宗教的叡智に共通する「形」が言い表されている。
 その理論は「ある特殊なやり方」をもってはじめて完成させることができる。しかもその特殊な状況から離れると、自分が作り上げた理論を理解することができなくなってしまう。では、その「特殊なやり方」とは何か。それは、本書をまだ読んでいない人のためのお楽しみにとっておく方がいいだろう。
 「プロセス・アイ」の理論の面白さは、その完成をもたらす方法にもとづくものではない。だから、その「特殊なやり方」は本当はなんでもよかったのである。小説にとってはそうだが、しかし科学にとってはそうではない。実験的な方法が伴い得ない(あるいは、実験が禁じられている)理論はたんなる夢想でしかないからだ。その意味で、本書の読み所は、理論の「形」よりも方法の考案にある。
 ヒントを一つ。「プロセス・アイ」の「アイ」は、もちろん「A.I.」のことだが、それは同時にプロセスとしての「私」を意味している。さらに、システムの全プロセスを俯瞰する「眼」、すなわち「私」(脳)を包摂するもう一つの「私」(脳)のことであり、後者による前者への「愛」をも含意している。
     ※
 「小説」の読者として気になったところをあげておく。「ツヨは、そのような背景の中で、おそらくはぐさりと心に突き刺さっているはずのジャンの言葉を軽く受け流すかのように、微笑みさえ浮かべている」。短い文章のうちに人物の心理の屈折が二度も「説明」されている。これでは人物のかたちがくっきりと造形されない。これは小説の文体ではない。
 「それに、実はグンジに、伝記を書いてくれと頼まれているのだとツヨは続けようと思ったが、ジャンの表情が余りにも険しいのでやめて、その代わりに次のように続けた」。この場面の前後で、作者はツヨではなくジャンの心理の動きに焦点をあてている。読者はジャンの内面の葛藤に寄り添いながら読み進め、ここにきて突然ツヨの視点からジャンの心理を「険しい表情」として客観視することを余儀なくされる。これも小説の文体ではない。
 これらはけっして些細な疵ではない。この作品が良質な余韻を残しながらも、読後の時間の経過とともにその印象の総体がサハラ砂漠の乾いた砂粒のように砕けしだいに不鮮明になっていくのも、こうした叙述のうちに見られる小さな疵がつもりつもってもたらす効果だったかもしれないからだ。

●飛浩隆『象られた力』(ハヤカワ文庫JA:2004.9.15)

《瑞々しい作品群》
 表題作のほか「デュオ」「呪界のほとり」「夜と泥の」の4つの中編が収められている。いずれもどこか懐かしい。忘れたことさえ忘れてしまった記憶の細片化されたかたちと、希釈された力がひとつの物(たとえば言葉や身体)のうちに再現されている。私と私でないもの、見るものと見られるもの、記号と意味の隔てがその物のうちで消失する。仰々しく表現すれば、そんな感じ。音楽、絵画、映像、とりわけ漫画がもつ言葉を超えた表現力に拮抗するイメージの喚起力に満ちている。
 たとえば、「楽譜には作曲家の感情の振幅が記録されている。それを演奏家が解放する。非常に難しい作業だが、まれにうまくいくと、我々は天才たちの感情に同期して翻弄されることになる」(「デュオ」から)。「人間は五官を通してしか宇宙とかかわってはいけない。五官の外にあるものを、人はついに理解することができない」(「夜と泥の」から)。「「かたち」とは数学的で、抽象的なものである一方、それと同じくらい身体的で肉体的なものだ」。「そうとも。ものを見ることは、見られることは、それほどに淫らなことなのだ。人は眼差しによって事物を犯し、見ることによって事物に犯される。だからこそ、人は見ずにはいられない。形と、力を」(「象られた力」から)。
 これらの断片をつなぎあわせると、なにかもっともらしい思考を紡ぎだすことができるかもしれない。しかし、そんなことはもうどうでもよくなる。
 とりわけ表題作が面白い。エンブレム文字、文様文字、要するに図形言語。その多彩な装飾文様は数十の基本図形に分類される。それらが組み合わさって、そのひとつひとつが抽象的な意味や寓意、神秘的な役割を担う「エンブレム」を構成する。それだけではない。情動、感情の動きを人間の内部から吊り出してくる。
《百合洋[ユリウミ]のエンブレムが感情を抽き出す具体的なメカニズムは解明されていない。しかし大ざっぱに言えば、情動は人間が進化の過程で環境に最適化するために作り上げたツール、機械的な仕組みだといえる。人間の内部にセットされたそのツールを、外部から呼び出したり制御したりするコマンド、それを言語の組みあわせで開発しようというのが詩や演劇や小説といった文学システムだったわけだが、感情じたいがそもそも機械的なものなら、もっと別なコマンドを──たとえば図形の形で──開発することも可能なのではないか。図形化したコマンドを光学読み取りさせて、人間というシステムに指令を出す……どこにもふしぎはない。》(「象られた力」)
 このアイデアがすこぶる面白い。そういえば、テッド・チャンの『あなたの人生の物語』にも、表題作に出てくる非線形書法体系や「七十二文字」に出てくる真の名辞による単為生殖といった秀逸なアイデアがあった。
 手練れの書き手を思わせる部分と、生まれて初めてSFを書いた人を思わせる初々しさ、瑞々しさとが同居している。物語の紡ぎ方、語り方に、どこか稚拙さとすれすれの懐かしいところがあって、それがかえって新鮮に感じられる。

●宮下誠『20世紀絵画──モダニズム美術史を問い直す』(光文社新書:2005.12.20)

《抽象と具象の切実なせめぎ合い》
 絵画は画家が筆と絵の具を使ってキャンバスの上に描いたものだ。このあまりに自明な事柄の「発見」から20世紀絵画は始まる。それは絵画についての絵画の歴史でもあった。人間は自分が見たいものを見る。見たもの(本質)だけを描く。それが抽象ということで、だから絵画とはすべからく抽象なのだ。ヨーロッパの具象絵画は抽象に取り囲まれている。北方ケルトの抽象的組み紐文様。東方ビザンティンのイコノクラスム(偶像禁止)。西方スペインのイスラム的装飾。南方エジプトの幾何学的造形、北アフリカのユダヤ教的抽象世界。これらの厳格な宗教的規律を思わせる抽象の奔流に抗して、古代ギリシャに淵源する有機的具象性や「愛」に基づくキリスト教的なヒューマニズムという「物語」を対置させたところに具象絵画の根拠の一つがある。それは極めて特殊な思想に根ざしたものなのである。20世紀絵画は、こうした抽象と具象の切実なせめぎ合いの中からその豊饒さを紡ぎだしていった。
 こうした「要約」は虚しい。本書の場合、著者自身も認めているように、叙述の進行につれて最初のテーマ(「わからない抽象/わかる具象」という二項対立の無効化)が、旧東ドイツ絵画という「わからない具象」に対する著者自身の個人的「衝撃」を介して微妙にずれていく。だから読者も、著者が本書にちりばめた「理屈」を拾い出して20世紀ヨーロッパ絵画史の手っ取り早い理解を得ようとせずに、著者のガイド(けっして懇切丁寧とは言えないが)を参考にしながら、個別の作品に入れこむことから始めるしかないのである。ただ、それにしては本書に掲載された図版はあまりに小さすぎて細部が判別できない。

●藤原正彦『国家の品格』(新潮新書:2005.11.20)

《ちょっと待って》
 こういう本は、ふだん滅多に読まない。「こういう本」というのは、まさに『国家の品格』がその典型で、たとえば大企業の会長だとか社長が大量に買い込んでは、部下に「これを読め」と配るような本のことだ。その気持ちはとてもよく判る。「そうそうそうなんだよな、オレが言いたかったことはすべてここにある、よくぞ書いてくれた」と胸の支えがおりたような、長引く不調和の後の快便の爽快感のような、いわく言い難い解放感が読中読後のハイをもたらしてくれる。それは、よくいえば他人の頭を使って(効率的に)思考しているということだが、悪くいえば何も考えていないに等しい。
 こういう書き方で中和もしくは解毒を図っているのは、訳あって買い求め、なかば義理で読み進めていって、「なんだ、ここに書かれているのは、当たり前のことばかりではないか」と、さわやかな爽快感といわく言い難い解放感を覚えて、それがちょっと気になったからだ。耳に心地よく聞こえたり、違和感なしに腑に落ちるときは要注意。正しすぎる議論や明快すぎる言説に接したら、「ちょっと待って、それはどういう意味?」と老獪なソクラテスのごとく問いを発しなければいけない。「国家って何?」「品格って何?」「日本人って何?」「日本文化って何?」等々。──物言わぬ花の美しさを思え、と物言う人が語ることのおかしさを自覚してさえいればいい。秘すれば花をあからさまにすることに恥じらいがあればなおよい。

●紀野一義『名僧列伝(一) 明恵・道元・夢想・一休・沢庵』(講談社学術文庫:1999.8.10)

《本人はそのことを知らない》
 夢庭や一休のどこがいったい「名僧」なのか、いくら読んでも理解できない。
《乱世にあって、みごとに自派の教団の基礎を確立していったその力量と見通しのよさには驚嘆するほかない。…しかし、ついて行きたくなるような人であるかと問われたら、わたしは「否」と答えるほかはない。…夢窓国師は卓抜した禅僧ではあったが、庶民の師ではなかったし、もちろん、友などでは絶対なかった。》
《一休禅師が雀の子を可愛がり、その死にあたって一山の僧侶に命じて葬式を出させたのは、雀の子の中にかつて父子の縁を切ったドラ息子の姿を見ていたのであろう。ふだんは立派な高僧が、こと子供のことになると見るもあわれな妄執に振り回される。…しかし、それが偽らざる人間の本然の姿なのであろう。どうしようもない人間の本音なのである。わたしはこの事実に感動した。しかし、わたしはこんな一休禅師が好きではない。》
 それでも道元は別格だ。『正法眼蔵』弁道巻で述べられた「さとりの深化の過程」をめぐって次のように書かれている。
《これをやさしくいうと、ある人がさとると、まわりにいる者がみんな浄化されて次々にさとる。これらのさとった人のはたらきに助けられて、その坐禅人はさらに仏としての修業を積むようになり、遂にはまわりの自然界まで仏のはたらきをあらわすようになる。しかも本人はそのことを知らない。
 こんな生きかたができたらどんなにすばらしいだろうか。自然までが変わってしまうような人間の生きかたを、こんなに明確に説明してくれたのは道元禅師だけである。日本の生んだ思想家の中で道元がピカ一だとわたしが思うのは、人間が生きてゆく上に一番大切なことを、この人が憎たらしいほどぴったりとくる表現でわれわれに教えてくれるからである。体の中にどすーんとくる言いかたで説明してくれるからである。道元禅師に教えられるというのではない。道元禅師を動かしている大いなるものの力に直接教えられているという感じである。こんな思想家はめったにあるものではない。》
 これも結局は「思想家」として道元のすごさであって、「名僧」の話ではない。
 本書を最後まで読めたのは、著者に対する信頼が失われなかったからだ。この人はウソは書いていない。自分に判らぬこと、理解できないことは書かない。名僧の「名僧」たる所以は、実地に接した人にしか判らぬ。文字で伝わるのはその残り香でしかない。そのような潔い断念が本書を救っている。
 著者は巻末の「原本あとがき」に、「この巻に収めた明恵・夢想・道元・一休・沢庵の五人の禅者の歩かれたところ、止住されたところはすべて実地に歩いて見た。その地に行ってはじめてこれらの禅者たちの生きざまが鮮明に知られるようになった」と書いている。
《紀州の明恵上人ゆかりの地をくまなく歩いた時の感激と驚き、出羽三山に沢庵禅師の配所を訪ねた時に鮮烈に浮かび上ってきた沢庵書翰の数々のこと、夢窓国師の造られたという庭をひとつひとつ探して歩いた時に、骨に応えてきた感銘の数々、それらは必ずしも皆、この書の中に書きとどめてあるわけではない。それらはすべて、行間に姿なき文字として書きとどめてある。願わくはその微意を汲んで頂きたいと思うものである。》
 これは真実の言葉ではないかと思う。「行間に姿なき文字として書きとどめてある」ものは著者の個人的な感銘の数々ではなく、名僧の「名僧」たるゆえんであろう。しかも本人はそのことを知らない。

●火坂雅志『黄金の華』(文春文庫:2006.1.10/2002)

《江戸の日銀総裁》
 「江戸の経済を創った男の生涯」という文庫カバーの謳い文句にぐっときて、金融小説として読んだ。大御所家康の側に仕えた商人上がりの金銀改役・後藤庄三郎。金銀改役(きんぎんあらためやく)というのは貨幣発行とその市場流通量を調整する役職で、今の日銀総裁のようなもの。実際、後藤庄三郎の屋敷跡に日銀が建っている。江戸時代、徳川幕府でさえうかうか手が出せない「三禁物」と称されるものがあって、後藤家代々の当主がもつ通貨発行権(金座、銀座の支配)が大奥、朝廷と並んでいたという。家康はかねがね「金銀は政務第一の重事」と口にしていた(『貨幣秘録』)。その家康の信任を一身に受け、「天下の黄金の流れを澱みなくさせ」た男。経済小説、金融小説としては食い足りないが、史実にもとづき淡々と綴られるその半生の物語は地味ながら壮烈。読後の清涼感は逸品。
 

【読了本】

●茂木健一郎『プロセス・アイ[PROCESS A.I.]』(徳間書店:2006.1.31)
●かわぐちかいじ『太陽の黙示録』vol.9(小学館:2005.10.1)
●かわぐちかいじ『太陽の黙示録』vol.10(小学館:2006.2.1)
●火坂雅志『黄金の華』(文春文庫:2006.1.10/2002)
●藤原正彦『国家の品格』(新潮新書:2005.11.20)
●草凪優『みせてあげる』(祥伝社文庫:2006,2.20)
●睦月影郎『おんな曼陀羅』(祥伝社文庫:2006.2.20)
◎内田樹・釈徹宗『インターネット持仏堂1 いきなりはじめる浄土真宗』(本願寺出版社:2005.3.23)
 

【購入本】

●かわぐちかいじ『太陽の黙示録』vol.9(小学館:2005.10.1)【¥505】
●かわぐちかいじ『太陽の黙示録』vol.10(小学館:2006.2.1)【¥505】
●末木文美士『仏教vs.倫理』(ちくま新書:2006.2.10)【¥740】
●ピエール・クロソフスキー『古代ローマの女たち──ある種の行動の祭祀的にして神話的な起源』(千葉文夫訳,平凡社ライブラリー:2006.2.8)【¥1000】
●藤原正彦『国家の品格』(新潮新書:2005.11.20)【¥680】
●内井惣七『空間の謎・時間の謎──宇宙の始まりに迫る物理学と哲学』(中公新書:2006.1.25)【¥800】
●火坂雅志『黄金の華』(文春文庫:2006.1.10/2002)【¥762】
●草凪優『みせてあげる』(祥伝社文庫:2006,2.20)【¥571】
●吉本隆明・梅原猛・中沢新一『日本人は思想したか』(新潮文庫:1999.1.1)《¥250》
●川合光『はじめての〈超ひも理論〉──宇宙・力・時間の謎を解く』(講談社現代新書:23005.12.20)【¥800】
●『RATIO(ラチオ)01号 大特集アジアのナショナリズムを問う』(別冊「本」,講談社:2006.2.10)【¥1700】
●河野哲也『〈心〉はからだの外にある──「エコロジカルな私」の哲学』(NHKブックス:2006.2.25)【¥1020】
●アンリ・ベルクソン/ジル・ドゥルーズ編『記憶と生』(前田英樹訳,未知谷:1999.8.10)【¥2500】
●睦月影郎『おんな曼陀羅』(祥伝社文庫:2006.2.20)【¥533】
 

【ブログ】

★2月1日(水):『象られた力』

 飛浩隆著『象られた力』を読んだ。読み終えたのは先月末で、ちゃんとした感想文を書こうと思ってぐずぐずしているうち、時間がとれなくなってしまった。そんなことはもうどうでもよくなった。面白かったのなら、それだけで十分だと思う。
 収められた四つの作品は、いずれもどこか懐かしい。忘れたことさえ忘れてしまった記憶の細片化されたかたちと、希釈された力がひとつの物(たとえば言葉や身体)のうちに再現されて、私と私でないもの、見るものと見られるもの、記号と意味の隔てがその物のうちで消失する。仰々しく表現すれば、そんな感じ。作者の物語の紡ぎ方、語り方はとても初々しく、かつ瑞々しい。音楽、絵画、映像、とりわけ漫画がもつ言葉を超えた表現力に拮抗するイメージの喚起力に満ちている。
 「感情の力」(「デュオ」14頁)。「楽譜には作曲家の感情の振幅が記録されている。それを演奏家が解放する。非常に難しい作業だが、まれにうまくいくと、我々は天才たちの感情に同期して翻弄されることになる」(同26頁)。「人間は五官を通してしか宇宙とかかわってはいけない。五官の外にあるものを、人はついに理解することができない」(「夜と泥の」194頁)。「スローな意識」(同243頁)。「そうとも。ものを見ることは、見られることは、それほどに淫らなことなのだ。人は眼差しによって事物を犯し、見ることによって事物に犯される。だからこそ、人は見ずにはいられない。形と、力を」(「象られた力」399頁)。
 これらの断片をつなぎあわせて、なにかもっともらしいことを書こうと思えば書けるかもしれないが、そんなことはもうどうでもいい。

★2月2日(木):『20世紀絵画』

 宮下誠著『20世紀絵画──モダニズム美術史を問い直す』(光文社新書)を読んだ。これも読み終えたのは先月末のこと。ちゃんとした書評を書こうとぐずぐずしているうち、時間切れになってしまった。この本は図書館で借りて読んだので、返却期間がきたら返さないといけない。だから大事な本は自腹を切って読まなければだめなのだ。以下は、うろ覚えの記録。
 絵画は画家が筆と絵の具を使ってキャンバスの上に描いたものだ。このあまりに自明な事柄の「発見」から20世紀絵画は始まる。それは絵画についての絵画の歴史でもあった。人間は自分が見たいものを見る。見たもの(本質)だけを描く。それが抽象ということで、だから絵画とはすべからく抽象なのだ。ヨーロッパの具象絵画は抽象に取り囲まれている。北方ケルトの抽象的組み紐文様。東方ビザンティンのイコノクラスム(偶像禁止)。西方スペインのイスラム的装飾。南方エジプトの幾何学的造形、北アフリカのユダヤ教的抽象世界。これらの厳格な宗教的規律を思わせる抽象の奔流に抗して、古代ギリシャに淵源する有機的具象性や「愛」に基づくキリスト教的なヒューマニズムという「物語」を対置させたところに具象絵画の根拠の一つがある。それは極めて特殊な思想に根ざしたものなのである。20世紀絵画は、こうした抽象と具象の切実なせめぎ合いの中からその豊饒さを紡ぎだしていった。
 こうした「要約」は虚しい。本書の場合、著者自身も認めているように、叙述の進行につれて最初のテーマ(「わからない抽象/わかる具象」という二項対立の無効化)が、旧東ドイツ絵画という「わからない具象」に対する著者自身の個人的「衝撃」を介して微妙にずれていく。だから読者も、著者が本書にちりばめた「理屈」を拾い出して20世紀ヨーロッパ絵画史の手っ取り早い理解を得ようとせずに、著者のガイド(けっして懇切丁寧とは言えないが)を参考にしながら、個別の作品に入れこむことから始めるしかないのである。ただ、それにしては本書に掲載された図版はあまりに小さすぎて細部が判別できない。

★2月3日(金):『クレーの絵本』

 好きな画家は誰かと訊ねられたら、きっとたくさんの名前をあげることだろう。ただ一人にしぼれと言われたら、さんざん迷ったあげく、たぶんアンリ・マティスかパウル・クレーの名を告げるのではないかと思う。どちらになるかは、その時々の感情のかたちと身体のあり様いかんによる。
 『20世紀絵画』でも、第一章「抽象絵画の成立と展開」と第二章「具象絵画の豊饒と屈折」の両方に取り上げられているのはこの二人とパブロ・ピカソの三人だけだった(たぶん)。同書に図版が掲載されていたマティスの「赤のアトリエ」や「ダンス」や「金魚のパレット」や「河辺の浴女たち」や「装飾的人物」、クレーの「ガラスのファサード」(裏面も)や「インヴェンション」や「チュニジアの赤と黄色の家」や「インスラ・ドゥルカマーラ」や「もくろみ」や「泣く女」などは、いくら眺めていても飽きることがない。
 好きな画家の話に戻って、今ならマティスとクレーのどちらが好きかとくどく追及されたら、クレーと答える。谷川俊太郎さんが『クレーの絵本』(講談社)の最後にこう書いている。
《クレーは言葉よりもっと奥深くをみつめている。それらは言葉になる以前のイメージ、あるいは言葉によってではなく、イメージによって秩序を与えられた世界である。そのような世界に住むことが出来るのは肉体ではない、精神でもない、魂だ。/クレーの絵は抽象ではない。抽象画には精神は住めても魂は住めない。言葉でなぞることは出来ないのに、クレーの絵は私たちから具体的な言葉を引き出す力をもっている。若いころから私は彼の絵にうながされて詩を書いてきた。ちょうどモーツァルトの音楽にうながされてそうしてきたように。「詩」は言葉のうちにあるよりももっと明瞭に、ある種の音楽、ある種の絵のうちにひそんでいる。そう私たちに感じさせるものはいったい何か、それは解くことの出来ない謎だ。》(「魂の住む絵」)

★2月4日(土):「商業用語について」・その他

 昼前まで寝ていた。泥睡という言葉があるのかどうか知らないけれど、夢も見ずただひたすら眠りつづけて飽くことがないのは随分久しぶりのこと。たぶん夢は見ているのだろうが、それは目覚めとともにどこか知らないところにストックされてしまって、二度とアクセスすることができない。空虚な充実とともに起床し、朝昼兼用の食事をすませてから、近所の図書館で本を数冊返して、また何冊か借りてきた。そのなかに、網野善彦さんの『歴史を考えるヒント』(新潮選書)がある。連続講演の記録をもとにつくられたもので、とても読みやすい。
 「商業用語について」の章が面白くて楽しい。たとえば「市場」の本来の読みは「いちば」で、もともと「市庭」と表記されていた。このことは知っていたけれども、「相場」も最初は「相庭」と書かれていたことは初めて知った。庭は「人々が共同で何かの作業や生産、あるいは芸能を行う場所」を意味していた(「狩庭」「網庭」など)。後に「諸国を遍歴する人々が自らの芸能を演ずる場」であるとともに、その「縄張り」を意味する言葉にもなっていった(「塩庭」「稲庭」「乞庭」「売庭」「立庭」「舞庭」など)。そして庭は「最高の権力者に直結する場」でもあった(「朝廷」も本来は「朝庭」)。
「このように、庭は本来、私的な関係を越えた、特異な空間を表現する言葉だったと考えられます。個人の家の塀や垣根に囲い込まれた現在の庭園とは性質の異なる場と考えなくてはなりません。ですから「市庭」も、「市が立つ庭」つまり共同体を超えた交易の行われる場を示す言葉だったのです。」
 以下、市庭と無縁の場、市庭と歌垣、市庭と都市と話が進む。小切手や切手や酒手の「手」には交換という意味が含まれていた。「切手は「切られる」ことによって「無縁」なものになり、相互に交換が行われるようになった文書を指していた」。「聖なる金融から、俗なる金融へ」。株売買の際の最初の値段を「寄付」というが、「寄る」という語には「人の力の及ばない世界から何かがやって来る」という意味が含まれていた。等々の話題が出てくる。

 東レパン・パシフィックテニスの準決勝シャラポワ対ヒンギス戦をTVで観戦し、そのあと茂木健一郎さんの『プロセス・アイ』を半分まで読み、ヒッチコックの『三十九夜』を観て、休日が終わった。

★2月5日(日):『物質と記憶』(第22回)

 『物質と記憶』独り読書会を再開した。先々週、一気に終章を読み飛ばしてしまい、なんとなく「読了」した気分になっている。まだ巻末の「概要と結論」を読んでいない。それでなくとも、第四章でのベルクソンの思考を追体験する作業をさぼっている。
 この「読書会」を始めたとき、心に決めていたことがあった。それは、けっして読み急いではいけないということだ。細部の議論にこだわらず粗視的に全体を俯瞰したり、遡ってざっとこれまでの叙述を眺めることは時折必要だと思う。しかし、それは議論の流れを見失わないための補助作業であって、基本は、一字一句おろそかにせず、丹念に逐行的に読み込んでいくことに徹しなければならない。判らないところは何度でも足踏みをし、読み返し、できれば(判らないままに)細部の思考の流れをソラで反復できるほどに読み込む。これは私の書いた文章だと思い違いをするほどに読み込むこと。そして何度でもそこに立ち返り、日所座臥の折節に反復すること。だから、この本を(判る判らぬにかかわらず)最後まで読み終えるのに最低1年はかかるだろうとふんでいたのだった。
 もっとも避けなければならないのは、いささかの抵抗感も覚えずに、すらすらと読める状態に陥ってしまうことだ。それだと、読む前から判っていたことをただなぞっているだけのことで、判ること、判っていると思うことの実質を問う動機がなくなる。少なくとも哲学書を読む意味はそこにはない。それよりもむしろ、判らないまま読み終える方がはるかに意味がある。理解不能な巨大な謎をかかえこんで、右往左往、七転八倒する身体のあり様を、文字通り身をもって体験できる。
 いま、ちょっとした曲がり角を迎えている。ベルクソンの議論がすべて判ってしまう。どんなことが書かれていても、直ちに理解してしまうのである。たとえば次の文章を、いまの私はいっさいの抵抗もなく受け入れる。
《延長をもつ物質は、全体として考察すれば意識のようなものであって、そこではすべてが平衡を保ち、補い合い、中和しているのである。それはまぎれもなく私たちの知覚の分割不可能性を呈示するのだ。そういうわけで私たちは、躊躇なく物質の延長の何ものかを、知覚に帰することができるのである。知覚および物質というこの二つの言葉は、私たちが行動の先入観ともいうべきものから免れるにつれて、このように互いに歩みよる。感覚はひろがりを回復し、具体的延長物はその連続と自然的不可分性をとりもどす。また両項の間に越えがたい障壁として立っていた等質的空間は、もはや図式あるいは記号の実在性以外には実在性をもたない。それは物質に働きかける存在の活動にはかかわりをもつけれども、その本質を思索する精神の努力にはかかわりをもたない。
 まさにこのことから、私たちの全研究の焦点をなす問題、すなわち精神と身体の統一の問題が、ある程度まで解明される。二元論的仮説でこの問題がやっかいなのは、物質を本質的に分割可能なものとみなし、精神の状態を、厳密にひろがりのないものとみなすことによって、はじめに両項の連絡を絶ってしまうところからくるのである。それで、この二重の要請を深く追求してみると、物質にかんしては、具体的な不可分の延長とその下にひろがる空間との混同があり、同じくまた精神にかんしても、延長と非延長との間には、程度もなく可能な推移もないという幻想的観念がそこに発見される。しかしこの二つの誤りが共通の誤りを内に含み、観念からイマージュへ、またイマージュから観念への漸次的移行があり、精神の状態はこうして現実すなわち行動へと発展するにつれてそれだけひろがりに近づき、最後に、ひとたび獲得されたこのひろがりは、あくまでも不可分であって、それゆえに精神の統一となんら不調和を来たさないとすれば、精神は純粋知覚の働きにおいて物質と重なり、その結果物質と合一するけれども、それにもかかわらず根本的に物質から区別されることがわかる。精神はこの場合すら記憶力、すなわち未来をめざしての過去と現在の総合であり、この物質の諸瞬間を集約して利用し、その身体との統一の存在理由である行動を通じてあらわれようとする点で、物質から区別されるのである。したがって本書の冒頭で、身心の区別は空間の関数としてではなく、時間の関数として打ち立てられるべきだとのべたことは、正しかったわけである。》(245-246頁)
 この文章に書かれていることの、いったい何が判っているというのだろう。判るとはどういうことなのだろう。言葉でのべられたことの意味が判ることと、「精神と身体の統一の問題が、ある程度まで解明される」こととは一致するのだろうか。
 こうして、独り読書会が再開される。今日のところは、巻頭の「第七版の序」を読み返し、「概要と結論」の前半にざっと目を通した。一から出直し。

★2月6日(月):『物質と記憶』(第22回・補遺の1)

 小林秀雄は『感想』で次のように書いている。
《私は、ベルグソンの著作に、文学書に接するのと同じ態度で接して来た。作者の観察眼の下で、哲学という通念が見る見る崩壊して行く有様に、一種の快感なぞ感じたりして、自分の読み方は十分に文学的であると思っていた。だが、今にして思えば、少しも十分ではなかったのである。様々な普遍的観念の起原や価値をめぐる問題に関する論争で、哲学史は一杯になっているのだが、もし、そういう所謂哲学上の大問題が、言葉の亡霊に過ぎぬ事が判明したなら、哲学は「経験そのもの」になる筈だ、とベルグソンは考えた。実際、自分の哲学をそういうものにした。哲学という仕事は、外観がどんなに複雑に見えようとも、一つの単純な行為でなければならぬ。彼は、そういう風に行為して、沈黙した。彼の著作は、比類のない体験文学である。体験の純化が、そのまま新しい哲学の方法を保証している。そういうものだ。》(新潮社『小林秀雄全集』別巻?,19頁)
 小林秀雄は続けて、『物質と記憶』を熟読するものは少ないだろうが、『創造的進化』なら買ってみる人は多かろう、それはベルクソンの著作のうちで一番文学的であり、いわば「生物学的叙事詩」であると書いている。「彼は、たまたま文才のあった哲学者という様な人ではない。生れながらの詩人が文才と衝突するのと全く同じ具合に弁証法の才と衝突した哲学者なのである。」以下、「詩人の宝は、自ら体験したもの感得したものだけだ」云々と、熊野純彦氏が『メルロ=ポンティ──哲学者は詩人でありうるか?』(シリーズ・哲学のエッセンス,NHK出版)の冒頭に引用した文章が続く。
《体験したもの感得したものは、言葉では言い難いものだ。という事は、事物を正直に経験するとは、通常の言葉が、これに衝突して死ぬという意識を持つ事に他ならず、だからこそ、詩人は、一たん言葉を、生ま生ましい経験のうちに解消し、其所から、新たに言葉を発明する事を強いられる。ベルグソンが、自ら問うたところは、こういうやり方は、果して詩人の特権であるか、それとも、詩人の特権と見られるほど深く世人の眼に覆われて了った当り前な人生の真相なのであるか、という事であった。/彼は先ず「意識の直接与件論」でこの問題を提出した。誤解を恐れずに言うなら、それは、哲学者は詩人たり得るか、という問題であった。》(20頁)
 ──この話題はここで終わる。『物質と記憶』第四章の冒頭(204?210頁)に、関連する叙述が出てくる。このあたりのことを、ベンヤミンの言語論や経験論と関連させてみると面白いと思う。

★2月7日(火):『物質と記憶』(第22回・補遺の2)

 内田樹さんが『インターネット持仏堂1 いきなりはじめる浄土真宗』(その5「宿命」論)で次のように書いている。
《恋というのは「昨日と同じ風景が今日は違って見える」というかたちで顕在化します。それは性的な欲望や不充足とは違うレベルの、「昨日までとは別の物語的文脈へシフトすること」への人間的渇望をおそらく語っています。/「猟奇的な彼女」が「同じ男の子が二度目の前に現れる」という奇跡的な「再臨」にある種の「宿命」を感じなかったとしたら(それは「不気味さ」と本質的には同じものです)、この映画はハッピーエンドにはなりません。/人間を幸福にする手がかりの一つは、無限のランダムな事象のうちから、「これとあれは同一物だ」と同定するこの直感力のうちにあるのではないでしょうか。私はそれもまた一種の宗教的覚知のように思われるのです。》(56頁)
 ──この話題もまた、これ以上発展しない。『物質と記憶』にたくさん出てくる二元論のうち、最後のものが「必然と自由」だった。このあたりのことも、ベンヤミンの運命論や性格論と関連させると面白いと思う。

★2月8日(水):「ガーデン・シティ」をめぐる二つの誤解

 先日、少人数の会合でこれからの住まいや都市のあり方について「対談」する機会があった。1時間ほどのことなので、そんな大それた話にはならなかった。そもそも私は住宅や都市の政策に関してずぶの素人なので、もっぱら相手(その道のプロ)の話によりかかりながら思いつきを述べる程度のこと。それでも一応、人前で話をするための最低限の「準備」はしておいた。以下、用意したメモをもとに、その時頭に浮かんでいたことをいくつか順不同に復元しておく。実際にしゃべった話題もあるし、時間配分を気にして発言をひかえたところもある。

◎「ガーデン・シティ」をめぐる二つの誤解
 もう20年も昔のことになるが、よちよち歩きだった長男を連れて英国へ視察に出かけたことがある。視察のテーマは何かというと、自然環境と「結婚」した都市の原点を見るというもの。つまり「都市と農村の結婚」と称されるエベネザー・ハワードの田園都市(ガーデン・シティズ)の原風景を探る。まわりくどい言い方だが、当時の(そして現在に至る)私の英語力でできることは限られていたので、ナショナル・トラスト本部に出向いて1、2分の会話を交わし会員登録をした以外は、純粋に視覚的な体験をすることに徹した。具体的には、ロンドンやエジンバラの公園を親子で散策し、ストアーヘッドなど英国式(風景)庭園と呼ばれるものをいくつか見てまわっただけのことである。
 この時の経験は今でも懐かしい。その後、訳あって阪神間という「近代ブルジョアジィの古都」と称される地域にそくして都市のあり方を考えたときにも、あの視覚体験と視察の前後に読みあさった書物の記憶が鮮明に蘇った。(その時書いた文章の一部は「生活美学都市について」[http://www.sanynet.ne.jp/~norio-n/ESSAY/TETUGAKU/11.html]と題してホームページに掲載しているのでよかったら見てください。)
 前置きが長くなった。ハワードの「田園都市」のアイデアが日本に移入された際、二つの大きな誤解が生じている。第一に、田園都市(人口3万2千人を限度とした小さな都市でありながらも、そこで働き生活する職住近接の完結した都市機能をもったもの)を「田園郊外」(ガーデン・サバーブ)と取り違えたこと。第二に、‘GARDEN CITIES’を‘GARDEN CITY’と取り違えたこと。以下、昔書いた文章を転用する。

 ハワードのガーデン・シティが日本ではガーデン・サバーブの形態で導入されたことに関して、東秀紀氏は『漱石の倫敦、ハワードのロンドン』(中公新書)で次のように述べている。
《東京の急速な人口増大に対して、郊外に良好な住宅地をつくることは理解できても、職場を分散させて、自立的な新都市群──社会都市[ハワードが独自の意味で使用した言葉:引用者註]を形成する必要性は、当時の日本人には認識されなかったのである。
 急速な近代化を目指していた日本人にとって、すでに社会は成熟期を迎え、生産から生活への人々の価値観の転換の中から現われてきた英国近代都市計画の理念は理解の範囲を越えていた。そのため「田園都市」は、ときには地方振興に、ときには郊外住宅地に誤解され、その語感のもつムードだけが一般に流布していったのである。》
 この文章のうちに、実はガーデン・シティをめぐるいま一つの誤解が浮き彫りにされている。それは、ハワードの著書のタイトルが‘GARDEN CITIES’であって‘GARDEN CITY’ではなかったこと、東氏の言葉でいえば、自立的な都市「群」としてガーデン・シティの思想がとらえられるべきであったことである。
 日本型の田園都市(ガーデン・サバーブ)は、大屋霊城がいうように「離れ島」にすぎなかった。島と島があたかも葡萄状に連鎖して一つの広がり(「人間サイズ」の広がりといってもいいだろう)をもった生活圏を形成していくための基盤、すなわち社会の成熟が、ハワードの思想が紹介された頃の日本ではまだ達成されていなかったのである。
 ハワードが思い描き、ロンドンの郊外レッチワースで実践した‘GARDEN CITIES ’とは、単に一つの郊外都市を建設することではなかった。
《最終的には、ロンドンを周囲を含む大都市圏としてとらえ、都市の周囲の田園をグリーンベルトとして保存し、その外側に都心から職場と人口を移転させたレッチワースのような田園都市を衛星状にいくつも建設して、これらを含む大ロンドン圏(エベネザー・ハワードの言葉を借りれば「社会都市」)を、かつてのロンドンがそうであったような、町と村の集合体──「田園都市」群にしようとしたのである。》

★2月9日(木):医・職・住

◎医・職・住
 阪神・淡路大震災の直後、政府におかれた復興委員会でのこと。委員長の下河辺淳氏が、当面の課題を「医・職・住」と規定した。被災された方には高齢者が多かった。医療や保健、福祉といった広い意味での公的なケアサービスの迅速な供給が不可欠である。生活を再建するためには、まず心身の健康を回復し、地域社会での人間関係を取り戻さなければならない。そして同時に職の確保。失業された方もいたし、事業が再開できない人もたくさんおられた。将来への不安を解消するためにも、働く場と機会を確保しなければならない。そして何よりも急がれることは、生活の本拠(住まい)の確保。一日でも早く、応急仮設住宅での暮らしから抜け出すこと。だから「医・職・住」。これらの課題に三位一体で取り組まなければならない。
 この言葉はとてもよくできている。復旧・復興期の緊急課題であるにとどまらず、平時の地域政策の根幹をなすものを言い表している。まず「住」が地域社会の基礎的なインフラであることは見やすい。住宅や住居ではなく「住まい」と呼ぶことで、言葉のニュアンスとしてもよく伝わる。いわば「コモンズ」としての住まい。次に「職」。雇用こそが地域政策の基本だ。私的な会話の中である経済学者がそう指摘していた。この場合の「職」は、職業や賃労働というよりは就業とか仕事と呼ぶ方がいい。共同社会の中で役割を果たすことといってもいい。ただし金銭もしくは物的な対価つき。コミュニティビジネスとか社会起業とか社会責任ビジネスとか。もちろん「医」も地域に根ざしているが、これは思っているより深い。
 「医」(いやす)の語源をたどると「巫」という語に至るらしい[http://pub.ne.jp/onion/?daily_id=20060119]。藪医者の語源説の一つに「野巫医(やぶい)」がある。巫医とは祈り(加持祈祷の類)をもって病を癒すシャーマン(メディスンマン)のことである。それはともかく、このことを踏まえて「医宗同源」を唱える人がいる。ただし、ここで宗教というのは既存の宗教教団のことではない。スピリチュアルな心性も含めた環境や他者とのつながりの意識のことでなければならない。宗教すなわちreligionの語義は結合すること、再会すること。
 余談だが、かつて都市論がブームをよんだことがある。いつだって都市論はブームなのかもしれないが、私が覚えているのは1970年代の後半。いくつか印象に残っている議論の中でいまの文脈に関係するのは、都市には神殿が必要であるというものだ。神殿はアゴラのような広場であってもいいが、いずれにせよ聖なるものの場所が都市の共同性のために必要だという議論。たぶん上田篤氏あたりの主張だったと記憶している。いずれにせよ都市と宗教はつながる。
 さて、医が宗教に関係するとすれば、それは医療・保健・福祉の公的サービスにとどまらず、市民相互の扶助やボランタリーなネットワーク(人的結合)をもいうものである。さらに広義の教育や芸術文化、体育(修業といってもいい)なども含まれる。いずれもこれらのことを抜きにして今後の地域社会のあり方を考えることはできない。ある会合で教育の荒廃の問題を質問された講師の言葉が忘れられない。彼は言下に「教育の問題は地域社会の問題です」と答えた。その講師とは筑紫哲也氏である。
 こうして「医・職・住」がこれからの地域政策の三位一体の課題であることが示された(と思う)。ネットを検索すると、日本政策投資銀行の藻谷浩介氏が「まち(あるいは商業)は花、根は住宅、葉は職場(事業所)、茎は病院や学校、一体となってこそ花は咲く」と持論を展開されている。まさに「医・職・住」のまちづくりである。
 地域政策とは、地域社会すなわち「人が住まう生活の場としての都市」のあり方をよくしていくためのものである。大震災直後につくられた保健医療福祉分野の復興計画の冒頭に、「大きなまちのなかにたくさんの小さなムラをつくる」といった趣旨の理念が書かれていたのを覚えている。小さなムラすなわち「コミュニティ」もしくはコンパクトなまちが葡萄のように連なってよりおおきなまちをかたちづくる。これこそ「ガーデン・シティ」ならぬ「ガーデン・シティズ」である。

★2月10日(金):核家族と郊外化

◎核家族と郊外化
 これからの住まいや都市のあり方をめぐる「対談」に際して、いくつかの本を読み返した。なかでも三浦展著『ファスト風土化する日本──郊外化とその病理』は、何度読んでも新鮮で切れ味の鋭い論考だった。「第二次大戦は傑出した都市と夢のモデルを創造した。核家族と郊外だ」。これは本書(202頁)で紹介されているニューアーバニズムの騎手の一人、都市計画家ピーター・カルソープ(『次代のアメリカ大都市圏』)の言葉。考えてみれば、現在の都市問題、社会問題の根っこのところにこれら二つの「アメリカンドリーム」の残骸がある。
 郊外には、物はあるが「リアルな生活」はない。そこにあるのは「地域固有の歴史や風土、生活と無縁の無色透明の消費社会」(=消費と娯楽のパラダイス)であり、「記憶喪失のファスト風土」だけである(206頁)。
 「重要なのは、街に「働く」という行為を戻すことだ」と著者は言う。「街の中に仕事があるということは、多様な人間を街の中で見るということであり、その人間同士の関係の仕方、コミュニケーションの仕方を知らず知らずのうちに肌で感じるということである。異なる者同士が、仕事を通じてかかわり合い、言葉を交わし、利害を調整し、仕事を進める。それこそがコミュニティがあるということなのだ。別に芝生の公園があることが公共空間なのではない」(210頁)。
 「学校も街の中にあった方がよい。郊外の住宅地の、用途地域指定された区域に高い金網で囲われた学校なんて、まるで牢獄だ。隣が八百屋と銭湯だというくらいのほうがいいのだ。そうすれば毎日が総合的学習、体験学習である」(212頁)。
 その他、退職住民によるNPO・シニア会社の設立とフリーター対策を組み合わせたオールドニュータウン問題への処方箋「社会問題解決団地」の政策提案など、改めて感動する。
 「核家族」に由来する問題群への処方箋は、街に仕事と学校を取り戻すこと。「郊外化」に由来する問題群への処方箋は、人間的魅力を備えた都市、つまり「歩く」ことを前提にした都市をつくること。

★2月11日(土):コモンズとしての都市・その他

◎コモンズとしての都市
 宇沢弘文著『社会的共通資本』[http://www.sanynet.ne.jp/~norio-n/NIKKI/31.html]から。
 社会的共通資本(ソーシャル・コモン・キャピタル)としての都市とは、「ある限定された地域に、数多くの人々が居住し、そこで働き、生計を立てるために必要な所得を得る場であるとともに、多くの人々がお互いに密接な関係をもつことによって、文化の創造、維持をはかってゆく場」(95頁)である。
 「人間的な魅力を備えた都市はまずなによりも歩くということを前提としてつくられなければならない」(121頁)。以下、ジェイン・ジェイコブズの都市再生四原則にもとづく街路のあり方が概観される。「公共交通機関を基本的な交通手段として都市を設計するとき、一つの都市の大きさについて自らある限界が存在する」(同)。──サスティナブル・コミュニティ、コンパクトシティ、スマート・グロウスといった言葉が思い浮かぶ。ある人が「スマート」を「美しい」と訳していた。

◎子どもが増える田園都市
 養老孟司『無思想の発見』から。
 「日本の場合、ある程度大家族でないと、じつは子育ては危険である。(略)だから共同体がまだ生きている田舎、つまり沖永良部島がもっとも人間の再生産率が高く、都市つまり東京都目黒区がいちばん低い。/最近、福島県伊達町の諏訪野[http://www.fukushima-jyukyo.or.jp/suwamain.html]に行った。ここは共同体の再生を考慮に入れて、都市づくりを行っている。コモンと呼ばれる「小さな広場」を数軒の家が囲む形になっており、町全体は西欧の田園都市に近い、樹木を多く取り入れた設計になっている。そこでは「子どもが増えている」のである。外で遊んでいる子どもを、だれか大人が見ているからである。」(30頁)

★2月12日(日):『太陽の黙示録』

 『物質と記憶』の独り読書会はお休み。あいかわらず「激務」が続いている。昨晩はとうとう半徹で、朝方までお持ち帰りの仕事に没頭していた。キース・ジャレットの「ケルン・コンサート」とグレン・グールドの「ゴールドベルク変奏曲」をそれぞれ2回ずつ流し(これは昨年も同じ)、ジョン・コルトレーンの「コートにすみれを」(今年の新趣向)を1回聴いたところで力尽きた。集中力と思考力が拡散して、気持ちも高揚しない。朦朧とした気分のままで、昼前に起きてまた仕事場に出かけていった。
 そういうわけで、このところほとんど活字は読んでいない。読んでいないわけではなくて、仏教関係のもの数冊や茂木健一郎さんの『プロセス・アイ』などは少しずつ回し読みをしている。でも、頭と躰に言葉が染み入ってこず、ほとんど読んだ気がしない。実は『プロセス・アイ』はとうに読み終えていて、それなりに感銘を受けたのだが、それについて何か書き残しておこうという気力が湧いてこない。また元気になったら感想を書く。
 こういう時は、漫画か映画を、何も考えずにぼぉーっと眺めて過ごすに限る。私は、同じ映画を何度でも初めて観るという特技をもっているが、漫画についてもこれと似たところがある。似たところがあるというのはちょっとした嘘で、映画のストーリーはからっきし憶えられないが、漫画はしっかりと記憶している。ではどこが似ているのかというと、映画の場合は何度でも初めて知る物語の筋に興奮できるが、漫画の場合はすっかり馴染みになった物語にあたかも初めてのように没入できるというところだ。別に似ていようが似ていなかろうがどうでもいい話だが、疲れているとそんなことが気になって仕方がない。そういえばミステリーの読書体験は、映画のそれに似ている。犯人が誰だったか、謎解きのキモは何だったかがほとんど憶えられない。

 かわぐちかいじの『太陽の黙示録』(9・10巻)を読んだ。この手の作品は、新刊を1冊だけ読むくらいならいっそ禁欲して読まない方がましだと思うくらい、読み終えて欲求不満が残る。だから最低でも2、3巻分まとめて読むことにしている。『太陽の黙示録』は去年の秋に9巻が出て、たぶん今年になって10巻が出た。11巻が出るのはだいたい4ヶ月先のことだから、春になるまで我慢して、5月の連休明けあたりにまとめ読みをする予定だった。そんな思惑は自分でも忘れて、つい手を出してしまった。次々に重要な役回りを担うキャラクターが登場してきて、この先どういう展開になるのか。まあ、だいたいのところは想像がつくが、そういう予感(期待)を読者に抱かせるのが作者の腕の見せ所なのだから、もうすっかりその術中にはまっている。蛇の生殺しのような真似はやめて、早く完結してくれ。同じ作者の『ジパング』も14巻まで買っていて、これはたしか21巻まで出ているはずだ。そろそろまとめ読みをしてもいい。

★2月13日(月):『仏教vs.倫理』

 末木文美士著『仏教vs.倫理』(ちくま新書)を買った。先月、同じ著者の『日本仏教史──思想史としてのアプローチ』(新潮文庫)を「発見」した。さっそく買い求め、日々の日課のようにして読んでいるが、乾いた砂に水が染み入るようには知識が頭に吸収されない。なんとか頭に入った事柄は、今度は熱砂に撒かれた水のように、あっという間に蒸発してしまう。毎年この時期は、読書不毛の時をすごす。後になってふりかえってみると、この時期に悪戦苦闘した経験はどこか深いところに沈澱していて、必ず何かのかたちで生きてくる。長年の経験でそういう巡り合わせのようなものに気づいてから、焦らずくさらずじっと我慢ができるようになった。
 『仏教vs.倫理』は、今とは別の時であったなら、たぶん購入することもなかったと思う。たまたま偶然『日本仏教史』を読んでいたから、同じ著者による新書がタイミングよく刊行された、その偶然を奇しき縁と感じて手にし、なにかしら得難い読書体験の到来を予感して買い求めた。こういう縁に導かれて繙いた書物には、必ず何かが潜んでいる。不足している栄養素がたくさん蓄えられた食材を、そうとは知らずに躰が求めるようなものだ。とりあえず全体の5分の1ほどの分量を読んでみたが、『日本仏教史』と同様、ぐいぐい引き込まれるほどの興奮はない。それでも、なんとか読み終えて、来る日のための蓄えとしておきたい。これまでのところでは、本覚思想について書かれた箇所が印象に残っている。
《このように、本覚思想によれば、この世界はすべてそのままでよく、何ひとつ改める必要はないことになる。こうした考え方は、天台の本覚思想にもっとも典型的に見られるが、それに限らず、中世の仏教に広く見られるところであり、それをも含めて広義の本覚思想ということができる。本覚思想は中世の日本文化に大きな影響を与えた。無常を無常のままでよしとする発想は、『徒然草』などにも見えるし、自然の草木がそのまま仏の世界であるという思想は、中世の芸能や芸術、茶道・華道などにも生きている。》(28頁)

★2月14日(火):『古代ローマの女たち』

 ピエール・クロソフスキーの『古代ローマの女たち──ある種の行動の祭祀的にして神話的な起源』(千葉文夫訳,平凡社ライブラリー)を買った。この本は以前、哲学書房版の『ローマの貴婦人』で読んだことがあるはずだが、ほとんど憶えていない。どうせ、いい加減な気持ちでぱらぱらと流し読みをして、ちょっとした「気分」を味わってハイ終わりだったに違いない。そんなふうにして時間を無駄に過ごしたことが、これまでにいったい幾度あったことだろう。今でもうっかりすると、そうした「気分」で流し読みをしてしまうことがある。そんなことで不毛な時間を費やすくらいなら、野に咲く花の一輪でも飽かず眺めているほうがはるかに優れた「精神衛生法」というものだ。
 この「精神衛生法」というのは、田中純氏の「巻末エッセイ──鬼神たちの回帰」に出てくる語彙で、この短い文章からは、ほかにもたくさんの言葉や言い回しを拾い集めることができた。ここにそのいくつかを抜き出しておくと、まず、「この作家=画家にとってタブローとはさまざまな情念[パトス]の顕現、つまりパトファニーであり、それはすなわち、神々の顕現[テオファニー]にほかならなかった」という評言は、「見せ物神学」や「演劇的神学」といった言葉ともあいまって、クロソフスキーという謎めいた人物の作品の本質を衝いて余すところがない。(余すところがないなどと、これまで曲がりなりにも読み通したのは『生きた貨幣』[http://www.sanynet.ne.jp/~norio-n/NIKKI/50.html]くらいなもので、それも訳者・兼子正勝氏の懇切的確きわまりない解説を手がかりに這々の体で読了した程度でしかないのによく言うよなあと、これは自戒の言葉。)
《彼のタブローは、不可視のダイモン=情念を男女の神々の似姿によって模造し、ダイモンをその似姿のなかへと誘惑して祓うための手段である。タブローを描き、偶像[シミュラクル]を造ることとは、ダイモンとしての妄執的な情念、そのファンタスムに対する悪魔祓いの策略なのだ。それは魂のトポロジーとしての「情念の論理[パトロジー]」に基づいた、一種の実践的な精神衛生法である。クロソフスキーが鉛筆ないし色鉛筆によって実物大の人体の希薄なシミュラクルを際限もなく繰り返し描き出し、小説中のエクフラシスで架空の画家の作品を詳述するのは、ダイモンに対してそんな罠を仕掛けるためにほかならない。この罠を通して、日常的な言語記号によっては伝達しえない情念が、眼に見えるファンタスムとして顕現する。肉体を得ようとして罠に陥るダイモンたちの、「かくも不吉な欲望」……。》(156-157頁)
 こういう文章に接するのは久しぶりだ。実に心地よい「気分」が漂っている。──「エクフラシス」という言葉は、今回初めて知った。平凡社ライブラリー版の訳者あとがきによると、それは「絵画の描写もしくは記述を言葉でおこなう」(151頁)ことなのだそうだ。この訳者による二つのあとがきにも「気分」は濃厚にたちこもっていて、田中純氏のエッセイとあたかも二重奏のように響き合っている。ジッドが『贋金つくり』で使った「中心紋の技法」や、この作品に登場する「シミュラクル」という語が後のクロソフスキーにつながったことなど、驚くべき事実(私が知らなかっただけのことだが)も初めて知った。
 というわけで、本体はまだ読んでいない。クロソフスキーのデッサンをしばし眺めた程度で、正真正銘、本物の「気分」のただ中にわけいるには、時と場所を選ばなければいけない。

★2月15日(水):『贋金つくり』からの抜き書き

 昨日、クロソフスキーのことを書いていて、ジッドの『贋金つくり』にいきついた。この本は以前読んだことがあって、結構面白かった。昔書いた文章、というか編集したもの[http://www.sanynet.ne.jp/~norio-n/ESSAY/TETUGAKU/30.html]で取り上げたことがある。そこで抜き書きしたアンドレ・ジイド『贋金つくり』(川口篤訳,岩波文庫)からの引用を、文脈を無視して順番にペーストしてみる。通して眺めてみると何かが起こるかもしれない。

◎エドゥワールの純粋小説論
《小説から、特に小説本来のものでないあらゆる要素を除き去ること。先ごろ、写真が、ある種の正確な描写に対する苦労から絵画を解放したように、近い将来、おそらく蓄音機が、写実作家のしばしば自慢する写実的会話を一掃することになろう。外部の出来事、偶発的事件、外傷的疾患は、映画の領分で、小説はこれらのものを映画に任せて置けばいい。人物の描写でさえ、本来小説に属するものとは私には思えない。然り、純粋小説は、(そして芸術においては、他の何事においても同様だが、純粋性だけが私には大切なのだが、)そんなものに意を用いるべきではないように思われる。その点、劇の場合と同様だ。劇作家がその人物を描写しないのは、観客が舞台の上に彼らの生きた姿を見られるからだなどと思ってもらっては困る。なぜなら、われわれは幾度舞台で俳優に邪魔されたことだろう。そして、俳優さえいなければ実に正確に人物のイメージをつかんでいるのに、その人物に俳優が似ても似つかぬことに、幾度苦しめられたことだろう。──小説家は、通常、読者の想像力に十分の信頼を置いていない。》(101頁,上巻)

◎夢の話から始まる会話、火挟みで焔をつかもうとする人
 ボリスの治療を担当する精神科医ソフロニスカ夫人とエドゥワールの対話。
《「それでは、あなたに告白しなければならないことが、あの子にあるというお見込みですか? 失礼ですが、御自身があの子に告白させたいと思っていることを、暗示したりしないという確信がおありですか?」(略)「早い話が、私たちの会話が、どんな風に始まるとお思いになりまして? ボリスが、前の晩に見た夢の話をすることから始まるのです。」/「作り話をしているのではないということが、どうしておわかりです?」/「かりに作り話をするとしても……病的な想像力から生まれる作り話は、すべて、何かを明らかにしてくれるものなのです。」/彼女は、しばらく口をつぐんだが、やがて、/「作り話、病的な想像力……いいえ、そうではありませんわ。言葉というものは、私たちの真意を裏切るものですからね。ボリスは、私の前で、声を出して夢を見ますの。毎朝、一時間のあいだ、そういう半睡状態でいることを承知してくれたのですが、そういう状態で私たちに浮かんで来る幻影は、理性では制御できません。それは普通の論理によってではなく、思いがけない関連性で集まったり、結びついたりするのです。(略)理性で捉えられないものは、たくさんあります。人生を理解するために理性を用いようとする人は、火挟みで焔をつかもうとする人に似ています。(略)/彼女は、再び口をつぐんで、私[エドゥワール]の著書の頁を繰りはじめた。/「あなたは、人間の心を深くえぐることをなさいませんのね。」と、彼女は叫んだ。それから、急いで笑いながら、付け加えた。――「いえ、特にあなたの事を申しているのではありませんわ。《あなた》と申しますのは、小説家という意味ですの。あなた方のお書きになる人物は、大方、杭の上に建てられているように思われますの。土台もなければ、地階もありません。」》(236-7頁,上巻)

◎自然に近づくこと─文学におけるフーガの技法
《小説が将来に期する唯一の進歩と言えば、より一そう自然に近づくことです。(略)なるほど、心理的真実は個々の真実しかないでしょう。しかし、芸術は普遍的な芸術しかないのです。問題は、かかってそこにあるのです。個々によって普遍を表現すること。個々によって普遍を表現させること、です。(略)…真実であると同時に現実から遠く、個人的であると同時に普遍的で、人間的であると同時に架空的な小説が書いてみたいのです。(略)一方において、現実を提示するとともに、他方、…その現実を消化する努力を見せたいのです。(略)…現実が提供する事実と、観念的な現実との闘争…。(略)『感情教育』や『カラマゾフ兄弟』の日記、つまり、作品の歴史、その受胎の歴史といったようなものがあったら!(略)観念は、人間のように生きています。戦います。死の苦しみを味わいます。無論、観念は人間を通してはじめて認識されるのだとは言えましょう。風にそよぐ葦によって、はじめて風を認識するのと同様です。しかし、やはり風の方が葦よりは大事なんです。(略)僕が狙っているのは、フーガの技法といったものなんです。それで、音楽で可能なことが、なぜ文学で不可能なのか、合点がいかないのだが……》(244-51頁,上巻)

◎神の訪れの状態
 ドゥーヴィエ(ローラの夫、叙情味[リリスム]がない男、つまり神に打ち負かされることを承知しない男、自分の感じるものの中に決して自我を没入しない男、したがって決して偉大なものを感じることがない男、霊感を持つことのできない男)をめぐるエドゥワールとベルナールの会話。
《「僕も、抒情的状態を克服しなければ、芸術家たり得ないと思うね。しかし、それを克服するには、まずそれを経験しなければだめだ。」/「そういう神の訪れの状態は、生理学的に説明されるとはお考えになりませんか? つまり……」/「愚論だな!」と、エドゥワールは遮った。「そういう考え方は、いかに正確であっても、愚民を惑わすだけのことだね。たしかに、どんな神秘的運動にも、物質的な裏打ちのないものはないさ。だからどうだというのだ? 精神が顕現するには、物質がなくてはすまされない。キリスト降生の神秘も、そこにあるのだ。」/「逆に、物質は立派に精神がなくてもすみますね。」/「そいつは、われわれにはわからない。」》(127頁,下巻)

◎ストゥルーヴィルーのダダイズム?
《文学は、少なくとも、過去を一掃しない限り、生まれ代ることはできないんじゃないかとさえ思えてくるんだ。われわれは、既成の感情の上に生きている。読者もそれを実感しているような気になる。読者なんて、印刷されたものは何でも信用するからな。そこが作者のつけめさ。自己の芸術の基礎と信じている約束事に頼ると同じようにね。こうした感情は、数取り札同様、怪しい響きを立てるが、結構通用するんだ。そして、《悪貨は良貨を駆逐する》ことをみんな知っているから、本物の貨幣を大衆に払おうとすると、ごまかされるように思うんだ。みんながいかさまをやっている社会では、本物の人間がペテン師に見えるのさ。ことわって置くが、もし僕が雑誌を引受けるとしたら、革袋を引き裂いて、あらゆる美しい感情とか、言葉という約束手形の流通をとめちまうためだ。(略)今日、目のきく若者たちは、とにかく詩のインフレーションにはあきたらず思っているんだぜ。巧妙な韻律、響きのいい抒情的なきまり文句の裏に、どんな臭いものが隠れているか、ちゃんと知っているんだ。ぶち壊そう、と言い出せば、手を借す[ママ]奴はいつ何時でも見つかるさ。一切合財ぶち壊すことだけを目的とした一派を、二人で興さないか?》(149頁,下巻)

★2月16日(木):『貨幣とは何だろうか』からの抜き書き

 昨日の続きで、今度は今村仁司著『貨幣とは何だろうか』(ちくま新書)からの自己引用。

◎経済小説と貨幣小説
 今村仁司氏は『貨幣とは何だろうか』で経済小説と貨幣小説を区別している。経済小説とは──たとえばバルザックやゾラの作品にしばしば商人や産業家や銀行家が登場するように──経済的現象そのものを扱う小説をいう。これに対して貨幣小説とは──ゲーテの『親和力』からボードレールやマラルメの贋金論、ポーの『黄金虫』までの作品系列、そしてジイドの『贋金つくり』に見られるように──「媒介形式」としての貨幣の問題を、経済だけではなく広く人間の根源的経験にかかわる問題として、つまり「文学的認識」の問題として扱った小説のことである。

◎『贋金つくり』─家族の物語
《近年では、しきりにシミュラークルの時代であるとか、シニフィエなきシニフィアンの時代であるとか、さかんに議論されたが、完全に指示対象がない、あるいはリアルなものが完璧に消滅する、などということはできない。もしそうなら人は現実性なるものについて語りえないのだから、まさにかげろうのごとき世界になるのだが、そうしたことは十九世紀リアリズムの対極にある贋物中心主義になる。たしかに、そうしたことが事実なら、それは幽霊の世界であろう。しかしそうした幽霊はこわくない。それは張り子の幽霊である。本当にこわい幽霊は、本物であり贋物であるという存在である。すべての存在が本物にして贋物であるという両義的なものになることこそ、恐怖の理由なのである。/アンドレ・ジッドはこの問題をじつに正確に把握している。それは十九世紀の歴史的現実と人間の自己理解とはちがうものが出現したことへの驚きが、彼の小説のなかにはあるのだ。本書の主題に引きこんでいえば、人間が両義的存在になることは、人間がついに完全に貨幣形式に包摂されたことを指している。そしてそのときのみ、厳密に、文学においても、人間を描くときに貨幣の言葉を使うことが正当な語り方になる。ジッドが小説の題名を『贋金つくり』としたのは、偶然ではなく、考えぬかれた結果であるといわなくてはならない。》(140-1頁)

◎終わりなき反復と二つの実験、金本位制の崩壊と宙吊り
《さて、こうして二人の代弁者をもって闘わせられる文学論争は、結局は、同じ土俵の上での論争であることがわかる。エドゥワールは、現実から遠く離れた純粋言語を追求して、それを現実理解の媒介者に仕立てたいと願う。しかし彼の試みは、今度は逆にイデア的なもののインフレーションを引きおこす恐れがある。(略)インフレは、定義によって、価値の低下を引きおこす。本物であるべきイデア(純粋理念)の減価であり、すなわち贋金である。他方、ストゥルーヴィルーは、現実の通貨の贋金性(非兌換の通貨)を批判する一種の「経済学批判」をやるのだが、実際にできることは、クリスタルガラスを本物と思いこませる手品にすぎない。(略)エドゥワールのように、純粋の本物をめざして出発しても、贋金に帰着するし、ストゥルーヴィルーのように贋金のなかに本物をまぶして流通させようとしても、やはり贋金しか流通させることはできない。こうして小説は終わりなき反復を見せはじめる。(略)これはどういうことか。おそらくジッドは、この文学論争のどちらも可能であると思いながら、同時にどちらにも賛成できない、という宙吊り状態のなかにいるかに見える。(略)この宙吊り状態は、二つの選択肢(純粋小説路線か、言語の破壊か)が決着のつかないままに睨みあっている現実を反映している。それはジッドの宙吊りであるばかりでなく、その後の歴史の経験全体の宙吊り状態、つまりわれわれの宙吊り状態なのである。エドゥワール的実験もすでに行なわれてきた。ストゥルーヴィルー的実験も数多くなされてきた。しかしそれで何かが前進したのか。家族的価値、経済的価値、政治的価値、芸術的価値その他の面で、そうした実験の結果として画期的展望が開かれたとは思えない。依然として世界は、ジッドが描く状態にとどまっている。/ジッドの小説には、金本位制が崩れて通貨と金との兌換が不可能になる事態の先どりがある。非兌換制下の通貨は、十九世紀の金本位制の立場から見れば、贋物の貨幣でしかない。そうした事態は、一九三◯年代以降に世界経済の常態になるだろう。文学のリアリズムが崩壊しただけではない。社会関係のあらゆる領域で、秩序の原点になる「一般等価形態」の崩壊現象、あるいは文化価値としての「金本位制」の崩壊現象が滔々と進展していた。文学における言葉と物との照応の信念が崩れることと、経済、政治、家族などにおける価値中心(金銀という素材貨幣、自由主義国家、父権など)への信念の解体とは、本質的に連動している。/したがって、ジッドの小説は、関係の媒介者としての一般等価、すなわち貨幣形式の崩壊を先どりし、新たな媒介形式がまだ見あたらない事態の過渡期を忠実に映しだしているとも読めるだろう。それは過去のことではない。ある意味では、ジッドの小説は、いま再びアクチュアリティーを帯びはじめているのだ。贋金と本物が区別できない状態は、ジッドの時代にもまして全世界的になっているからだ。》(160-3頁)

★2月17日(金):『国家の品格』

 クロソフスキーや『贋金づくり』をめぐる濃厚な「気分」が続いたあとに書くのは少し気が引けるが、最近、藤原正彦著『国家の品格』(新潮新書)を読んだ。こういう本は、ふだん滅多に読まないし、ましてや買わない。「こういう本」というのは、まさに『国家の品格』がその典型で、たとえば大企業の会長だとか社長が大量に買い込んでは、部下に「これを読め」と配るような本のことだ。その気持ちはとてもよく判る。「そうそうそうなんだよな、オレが言いたかったことはすべてここにある、よくぞ書いてくれた」と胸の支えがおりたような、長引く不調和の後の快便の爽快感のような、いわく言い難い解放感が読中読後のハイをもたらしてくれる。それは、よくいえば他人の頭を使って(効率的に)思考しているということだが、悪くいえば何も考えていないに等しい。
 こういう書き方で中和もしくは解毒を図っているのは、訳あって買い求め、なかば義理で読み進めていって、「なんだ、ここに書かれているのは、当たり前のことばかりではないか」と、このところの「激務」ですっかり回転がにぶってしまった脳髄が、この本にさわやかな爽快感といわく言い難い解放感を覚えて、それがちょっと気になったからだ。耳に心地よく聞こえたり、違和感なしに腑に落ちるときは要注意。正しすぎる議論や明快すぎる言説に接したら、「ちょっと待って、それはどういう意味?」と老獪なソクラテスのごとく問いを発しなければいけない。「国家って何?」「品格って何?」「日本人って何?」「日本文化って何?」等々。──物言わぬ花の美しさを思え、と物言う人が語ることのおかしさを自覚してさえいればいい。秘すれば花をあからさまにすることに恥じらいがあればなおよい。思考停止寸前の頭では、そう書き記しておくだけで精一杯。

★2月18日(土):『黄金の華』

 先日、日帰りで東京にでかけ、行き帰りの新幹線の中で、忙中閑の時間がとれた。その日は神戸空港開港の日でもあり、一番機に乗る手もあったのだが、往復6時間弱の車中の読書時間の魅力が勝った。鞄には「厳選」した本を二冊しのばせておいた。トマス・ネーゲルの『コウモリであるとはどのようなことであるか』(永井均訳)と火坂雅志『黄金の華』(文春文庫)。『コウモリ』は往路で表題作を再読・熟読する予定が、列車が動き出すと同時に猛烈な眠気に襲われて、2頁ほど読んだきりでそのまま熟睡。読みたい哲学本は山ほどたまっているけれど、このところにわかに『コウモリ』への熱が高まっている。なにかこの本を求めてやまないものが私の中にあるということだろう。そのうち「激務」から解放されるはずなので、頭と心と躰をリフレッシュさせてからもう一度取り組むことにしよう。なにか思考の兆しが芽生えたら、こんどの「マルジナリア」に書いてみよう。
 復路では一転、座席に坐り頁を繰りはじめたとたん、終日続いた眠気がすうっと引いていった。火坂雅志(ホサカカズシならぬヒサカマサシ)の小説を読むのは初めて。というよりそういう作家がいるのも知らなかった。時代小説を読むのはずいぶん久しぶり。時代小説というより、「江戸の経済を創った男の生涯」という文庫カバーの謳い文句にぐっときて、金融小説として読むつもりで買った。大御所家康の側に仕えた商人上がりの金銀改役・後藤庄三郎。金銀改役(きんぎんあらためやく)というのは貨幣発行とその市場流通量を調整する役職で、今の日銀総裁のようなもの。実際、後藤庄三郎の屋敷跡に日銀が建っている。江戸時代、徳川幕府でさえうかうか手が出せない「三禁物」と称されるものがあって、後藤家代々の当主がもつ通貨発行権(金座、銀座の支配)が大奥、朝廷と並んでいたという。家康はかねがね「金銀は政務第一の重事」と口にしていた(『貨幣秘録』)。その家康の信任を一身に受け、「天下の黄金の流れを澱みなくさせ」た男。経済小説、金融小説としては食い足りないが、史実にもとづき淡々と綴られるその半生の物語は地味ながら壮烈。読後の清涼感は逸品。

★2月19日(日):「今週の本棚」

 今週もまた『物質と記憶』はお休み。昼前に駅前の貧相なカフェで不味い珈琲を啜りながら、読みかけの書物の頁を繰っては、思いのままに思索(というほどのものではない)をめぐらせる。滾々とわきでてくるアイデア(というほどのものでもない)をノートに書き留める。そんな優雅な休日から遠ざかって久しい。で、今日も仕事に出かけ、遅い昼食をむりやり流し込みながら、毎日新聞の「今週の本棚」を読んでいる。この欄は、以前なら毎週かかさず熟読して、まだ見ぬ書物、遠からぬうちに読むべき書物、すでに読んだ書物、未来永劫読むことはない書物への想像をかきたて、評者の技と洞察と批評眼に賛嘆(もしくは警戒)していたものだが、そういう習慣からも遠ざかって久しい。
 今日のレビューを読んで関心をもった本は、亀山郁夫著『大審問官スターリン』(沼野充義評)とジェレミー・リフキン著『ヨーロピアン・ドリーム』(森谷正規評)と伏木亨著『人間は脳で食べている』(小西聖子評)と…、と書き出していったらどんどん増えていく。確実に買い求めることになりそうなのは、海部宣男氏が内井惣七著『空間の謎・時間の謎』と一緒にして書評を書いている『はじめての〈超ひも理論〉』(講談社現代新書)で、この本は図書館から借りて読みかけたことがあった。現役の科学者とサイエンスライターが組んで作った本。こういう趣向の本はもっとたくさん出してほしい。(『謎』の方は、実はいま読んでいる。)──さて、仕事を再開するか。

★2月20日(月):『空間の謎・時間の謎』

 このことは昨日も触れたけれど、いま、内井惣七著『空間の謎・時間の謎──宇宙の始まりに迫る物理学と哲学』(中公新書)を読んでいる。「ライプニッツ恐るべし」という意味不明のキャッチコピーに惹かれて、いつ読むというあてもないのに衝動で購入した。最近は買うばかりで、全然読めない。コクのある読書の時間をまとめてとることができない。欲求不満が高じて、その結果、また新刊書に手を出すことになる。本を買うこと自体がストレス発散になっていく。
 大学を2年留年して、不毛な日々を過ごしていたことがある。バイトは億劫で、食費にまわすべき生活費を切りつめて本を買いあさっては、読まずに飽かず眺めるだけで、精神的空白を埋めようとしていた。たとえば、桃源社の澁澤龍彦集成などはその時のもので、全7巻を揃えようとしたものの金策尽きて、手帖シリーズ篇、サド文学関係篇、エロティシズム研究篇、美術評論篇あたりで終わった。今でも一冊千円程度で入手できるようだが、事後的に蒐集してみても、あの頃の自分がある思いをもって購入したという出来事が身体に根ざした独特の感覚とともに甦ってこない。書物は買うものであって、読むものではない。もちろん読みたければ読んでもいいが、読むことだけが書物とのつきあい方ではない。昔、ある人から、本は背表紙を読むものだと、積ん読の効用を教えられたことがある。三木清がそういうことを書いているとも教えられたように思うが、なにしろいい加減な記憶なのであてにならない。
 『空間の謎・時間の謎』のことに話を戻したい。といっても、何も書くべきことが思い浮かばない。「空間と時間の哲学」という言葉が、今の私にとって途方もなく蠱惑的で、ほとんどエロティックな響きをもっているということだけを記録しておく。

★2月21日(火):「ヒボコ」

 先週の土曜(18日)の晩、西宮にある県立芸術文化センターの大ホールでミュージカルを観た。日本ミュージカル研究会主宰の高井良純氏が作・作曲・演出した「ヒボコ 天日槍物語?水と炎と愛の伝説?」[http://www011.upp.so-net.ne.jp/gekidan-jma/jma.html]。この作品は、以前も別の劇場で観たことがある。木の香りがあたりいっぱい漂っている真新しい会場で、最初のうちは睡眠不足(このところ、ナポレオン級の睡眠時間しかとっていない)ゆえの眠気にしばしば襲われながら、そのうち、なにゆえにかにじみ出てくる涙のごときもの、フィナーレでは思わず嗚咽しそうになりながら見終え、気力充実して帰宅した。体力はあいかわらず最低最悪だが、実にいいものを観た。
 演劇であれ舞踏であれ音楽であれ、舞台芸術を観ていると、最初のうちは必ず冷ややかな批判的気分が蔓延している。それほど経験を積んでいるわけではなく、見巧者どころか超がつく初心者でありながら、頭だけがでっかくなって、あら探しのようなことばかりしている。ところが1時間ほど経ったあたりからそういう賢しらな気分がしだいに薄れはじめ、終演まぢかのクライマックスを迎えると今度は目も当てられないくらいに高揚して、最後はなかば放心してしまう。冷静さを失って、なんでも受け入れられるし、受け入れたい気持ちになってしまう。うまくいくと、躰と頭と心と魂が更新されて、生まれ変わった人間として劇場をあとにする。ナチスの時代のドイツに生まれていたら、きっと熱烈なヒットラーびいきになっていたのではないかと自分を疑う。
 舞台芸術に接したあとは、きまってつづけて観に行きたくなる。毎月一度くらいは通いたくなる。DVDやビデオで観る映画、CDで聴く音楽、録画して観る演劇やスポーツでは味わえない、躰の中から勝手にわきあがってくる情緒と情感の質と味わい(要は感動)が忘れられない。しかし、数日経つとすっかり元にもどってしまう。祝祭的高揚は、日々の些事にかまけているうち、ビット数のレベルを対数的に落としてしまう。なんどもくりかえしコピーしていくうち画像の鮮度が落ちていくように、気持ちの濃度が薄まってしまう。

★2月22日(水):歴史とクオリア

 いま目の前でミュージカルを観ている時の、たとえば群舞するダンサーたちの筋肉の躍動や皮膚ににじんだ汗や迸るかけ声のなまなましい「印象」と、後になってからそれを想起している時に頭に浮かんでいる、あるいは蘇っているもどかしくも朧気な「印象」とは、まったく質の異なるものである。知覚と想起、現在と過去は違う。この違うものを一緒くたにして、現在の知覚の場面で論じようとするから混乱が生じる。難攻不落の心身問題が生じる。これは中島義道氏が『時間を哲学する』(講談社現代新書)に書いていることだ。心身問題は時間の問題に帰着するというわけである。この指摘は正しいと思う。正しいと思うが、そこから先どうすればいいのかが私には見えない。
 小林秀雄の批評は「印象批評」だと言われる。この「印象」とは「クオリア」のことである。これは茂木健一郎氏の説で、初めて目にしたときは、あまりに我田引水じゃないかと思った。が、よくよく考えてみると、確かにあたっている。茂木氏も言うように、モーツアルトの音楽を耳にした時にしか感じられないユニークなクオリア(音の質感)が、忘れがたい印象として猥雑な日常の中に、たとえば夜の道頓堀を彷徨っていた時に訪れたとして、そこに何の問題もあろうはずがない。むしろ、そういった忘れがたい印象(クオリア)を離れて芸術を論じることは無意味である。
 小林秀雄の批評は「クオリア批評」である。だとすると、とても面白いことになる。何が面白いといって、そこに「歴史」をからませると一筋縄ではいかなくなるからだ。クオリアと歴史の関係、すなわち知覚=現在と想起=過去の関係という「心身問題」のオリジンがそこに立ち上がる。歴史とは思い出である。思い出が僕らを一種の動物である状態から救うのだ。小林秀雄はそう語っていた。
《歴史には死人だけしか現れて来ない。従ってのっぴきならぬ人間の相しか現れぬし、動じない美しい形しか現れぬ。思い出となれば、みんな美しく見えるとよく言うが、その意味をみんなが間違えている。僕らが過去を飾りがちなのではない。過去の方で僕らに余計な思いをさせないだけなのである。思い出が、僕らを一種の動物であることから救うのだ。記憶するだけではいけないのだろう。思い出さなくてはいけないのだろう。多くの歴史家が、一種の動物に留まるのは、頭を記憶で一杯にしているので、心を虚しくして思い出すことが出来ないからではあるまいか。》(「無常ということ」)
 そういえば、冬の道頓堀で小林秀雄の頭に突然鳴り響いた「交響曲第40番ト短調」も、いまそこに現に鳴り響いているものではなく「思い出」としての音楽だった。現に、あの文章には楽譜が添えられていた(はず)。楽譜は、記憶のためというよりは想起(思い出すこと)としての再演のための記号(言語)である。思い切って書いてしまうと、印刷された文字もまた本来、想起のための装置だったのではないかと思う。だとすると、小林秀雄の「歴史」とは「印象」すなわちクオリアであり、むしろ「歴史」の側からクオリアの問題を考えることにこそ、小林秀雄の批評の実質があったのではないか。私はなにも小林秀雄の骨董趣味のことを言いたいわけではないが、小林にとって骨董は女体のようなもので、だから「歴史」とは「身体」のことだ。

★2月23日(木):「小林秀雄の霊が降りてきた」

 昨日の話題の続き。というか、種明かし。──文藝春秋の3月号に、茂木健一郎氏の「小林秀雄の霊が降りてきた」という文章が掲載されている。「科学者の私が恐山のイタコに心動かされたわけ」と副題が添えられていて、なかなか面白いエッセイだった。小笠原ミョウさんという七十を超えたイタコを通じて、小林秀雄の霊と語り合った(?)茂木氏は、その時の体験を次のように綴っている。長いが、最後まで省略せずに抜き書きしておく。

《小林秀雄がかつて鎌倉の中華料理の猥雑の中で音楽の永遠を語った、それと同じことが目の前で起こっている。小笠原さんは手を伸ばせば届くところに生身の人間として存在しながら、日常の中で忘れてしまっている何ものかの感触を伝えてくださっている。
 私の脳の中で、過ぎ去ってしまった時間の総体と、その中で懸命に生きた人間が一つになって表象されたのである。小林秀雄という個人が確かに降りてきたかどうか、そんなことはどうでも良い。かつて私たちと同じように悩み、惑い、時には飛び上がるような喜びを感じつつ生きていた数限りない人間たちが、小笠原さんを通して私に語りかけている。動かし難いものになってしまった過去が、小笠原さんの口を通して私に意を通じようとしている。
 何も、小笠原さんから発せられる言葉に限られたことではない。そもそも、言葉というものは一度発せられてしまえば、死者の世界と同じように動かし難いものではないか。一つひとつの言葉の中に、死者の世界に通じる入り口がある。そのような普遍的原理に、小笠原さんの語りに接して気づかされた。小林秀雄を口寄せしてもらおうと思い定めていなければ、そのような気づきもなかったろう。
 小笠原さんにとっては、私は数限りなく訪れてきた客の一人に過ぎなかったことはわかっている。一回性と反復性が向かい合う時、そこに演劇性が生じる。患者に癌を告げる医者。信者の涙ながらの告白を受ける神父。一度きりの体験が、繰り返しの熟練と向き合う時、そこに秘儀が生まれ、役者が誕生する。
 演技性の核を見極め切れなかったという後ろ髪を引かれるような割り切れなさ。それもまた、イタコ体験の味わいの一部だったのだろう。
 厚く御礼を申し上げて、小笠原さんのもとを辞した。小林秀雄その人には会えなかったかもしれないが、もっと大きな何者かに出会えたという実感があった。渡海の忙しい日常の中でも、あの時私を包んだ動かし難い、しかし温かい広大な世界の感触は、時々私の中によみがえる。
 科学技術を発達させた人類は、世界のことなど何でも知っているような顔をしているが、本当は時間のことさえわかってはいない。過ぎ去ってしまった「あの時」は、どうなるかわからない「この今」とどのような関係にあるのか。小林秀雄が『感想』などの仕事を通して取り組んだ掛け値なしの難問は、現代の脳科学の中に、イタコの口寄せを熱望する人々の心の中に、そして何気ない日常の言葉の中に今も未解決のまま潜んでいる。》
 ベルクソンの『物質と記憶』の最後に、物質にとって過去は現在のうちにあり、精神にとって過去は演じられるものだといった趣旨のことが書いてあったはずだが、いま手元に本がないので確認できない。

【後記 06/02/25】
 やはり、記憶だけで書くといい加減になる。『物質と記憶』の末尾はこうなっている。
《ところで、すでに示したように、精神の最低段階──記憶力のない精神──ともいうべき純粋知覚は、真に、私たちの理解しているような物質の一部をなすであろう。さらにつっこんで言えば、記憶力といえども、物質がいかなる徴候ももつことなく、すでにそれなりに模倣していないような機能として介入してくるのではない。物質が過去を記憶しないとすれば、それは物質が過去をたえず反復するからであり、必然の支配下に、それぞれ先立つものと等価でそこから導出されうるような諸瞬間の系列をくりひろげるからである。このようにして、物質の過去はまぎれもなくその現在のうちにあたえられている。しかし多少とも自由に進化する存在は、刻一刻新しいものを創造する。だから、もし過去が記憶の状態でその中に沈澱しているのでないとしたら、その現在の内にその過去を読もうと努めても無益であろう。このようにして、本書ですでにいくたびか出てきた比喩をくり返すならば、同様な諸理由によって、過去は物質によって演ぜられ、精神によって思い浮かべられるのでなくてはならぬ。》(248-249頁)

★2月24日(金):最近買った本──『日本人は思想したか』

 近頃は買った本の話ばかりで、読み終えた本の感想、書評もどきの文章がまるで書けない。そもそもまともに読めないのだから、どうしようもない。とっかえひっかえ本を手にして活字を眺めてはいるのだが、まるで頭に入ってこない。心に染みこまない。一月近くに及んだ「激務」からようやく解放されて、また以前のように静かな、しかしそれなりに気忙しい日常に戻ったら、これまでの睡眠不足を取り戻すかのように躰と頭がだるく弛緩して、かっことした輪郭の手触りがまるで感じられない。スポーツのあとの心地よい筋肉の虚脱感とはまたニュアンスの違う類の感覚で、乾ききった不毛の砂がさらさらとこぼれていくように、時間が私のテリトリーから離れていく。活字が薄れていく。

 吉本隆明・梅原猛・中沢新一『日本人は思想したか』(新潮文庫)を買った。この本は昔、単行本が出た時に買って、それなりに面白く読んで人にプレゼントした。調べてみると、11年前の夏のことで、その時の感想は一言「吉本の発言が難解」とだけ記している。昨年から、日本中世の歌論、連歌論の類にいたく関心をいだくようになり、年が変わる前後から日本仏教思想に惹かれるようになった。そうした関心から、いつか再読しなければと思い始めた矢先、いきつけの古書店の店頭に、定価514円のところほぼ半額の250円で新刊同様の文庫版が並んでいたので買い求めた。
 鼎談の仕切役・中沢新一が、最初の方で次のように語っている。「すこし大げさなことを言えば、これは日本人にとって大切な意味を持つ話し合いになり得ると思います。僕たちは、もう精算すべきものと、そうでないものを、分別する時にきています。そういう曲り角で行われた、重要な話し合いにしてみたいのです。」(14頁)
 全体が五つの章に別れていて、その3が「歌と物語による「思想」」、その4が「地下水脈からの日本宗教」。「日本人にとって」どうかは判らないが、少なくとも私にとって、この話し合いはとても重要な意味を持つもののように思える。

★2月25日(土):最近買った本──『〈心〉はからだの外にある』

 今日もまた、読んだ本ではなくて買った本の話題。河野哲也著『〈心〉はからだの外にある──「エコロジカルな私」の哲学』(NHKブックス)の序章「心理主義の罠」と第一章「環境と共にある〈私〉──ギブソンの知覚論から」とあとがき「心理学と探偵小説」を読んだ。乾ききった不毛の砂に慈雨が注ぎ、濃密な時間が私のテリトリーのうちに帰還してくる。久しぶりの熱中本になりそうな予感がする。チェックを入れた箇所をいくつか、任意に抜き書きしておく。(あとがきは、それ自体が一篇のすぐれたエッセイになっているので、部分的な抜き書きなどできない。)
 序章から。「本来は社会的・政治的であるはずの問題を、その人たち個人の問題へとすり替えて、問題を「個人化」することは政治的プロパガンダの典型的な手法である。」「デカルトの原理が「我思う、ゆえに我あり」ならば、生態学的立場から引き出される、それに対抗する原理は「私は死ぬ」である。」「「障害は個性である」もミスリーディングな主張であり、そこにおいて本来希求されているものは、自分の属してきた共同体を相対化して、参加すべき社会を選択しようとする個人主義の原理である…。」
 第一章から。「エコロジカルな自己とは、環境と相互作用する身体そのものに他ならない。」「「自分探し」とは本来、「自分」を探すことではなく、既存の環境のなかで自分が居やすい場所を見つけたり、つくり出したりすることだ。」「私たちが知覚している世界は、人間の心(ないし、脳)が生み出した表象やイメージではなく、私たちがそれを知覚しているか否かにかかわらず、そのままの姿で実在している。(ギブソンの直接知覚論)」「ギブソンによれば、神経のなかを移動しているものがあるとすれば、それは単なるエネルギーや興奮である。「情報」「信号」「記号」「メッセージ」「命令」といった言葉に類比的なものが神経内で伝達されていくという想定はミスリーディングである。」「知覚世界は、私たちの身体の外側に、まさしく見えているそこに存在している。」「デカルトにとって「思惟」とは、「自分で自分の声(言葉)を聞くこと」である。「考える」とは、黙読のように音量をゼロにまで絞った発話に他ならない。」「作用(action)の本質は、求められている一定の効果を生み出すことにある。心の作用も、それだけで抽象的に存在することはできず、それが向かう対象の変化のなかに己の姿を現している。」「計算が何であるかは、その過程ではなく、「数字を使った問題に回答を与える」という結果から定義される。したがって、計算という「心的機能」を、不可視の精神の内的な動きとして捉えてはならない。それは、ある種の道具や器具を通して、一定の結果を現実世界にもたらす実践的な行為のことである。」「…私たちが同一の存在でありつづけているのは、世界(あるいは、環境)が同一であるからだ…。心的作用の同一性が維持されるのは、それらを支えるさまざまな内部機構が同じ対象に関わり、外部の対象に収斂するように組織化されているからである。」「環境知覚と自己知覚はいつも同時に生じており、相補的な関係にある。自己知覚は環境についての知覚なしにはありえない。」「知る自己の働きは環境のなかに書き込まれているのであり、透明な幽霊のような心的機能などありえない。」「結局、デカルトが自己意識と呼んだものは、「フランス語によって自分の状態について報告できる」ということ以上ではない。」「自分の経験だけを論じる主観主義の哲学にとっても、死は身体である他人にだけ生じる事態であり、心である自分は死ぬことがないのである。」「これに対して、生態学的立場にとって自己とは、身体的自己のことである。したがって、私は死ぬ。私はひとつの身体である。」「デカルト的な「私」は死なない。だが、エコロジカルな私は死ぬ。」「誰の死であろうと死そのものが邪悪なのである。」「生態学的な立場から言えば、道徳や倫理の最終的根拠は、死体への共鳴にある。」

★2月26日(日):『物質と記憶』(第23回)

 『物質と記憶』独り読書会を再開した。前回、「一から出直し」と書いた。今日、三週間ぶりにようやく本を開き、とりあえず「概要と結論」の後半に目を通そうとしたけれど、まるで集中力が働かず、早々に断念。しばらく「リハビリ」が必要かもしれない。
 昨日とりあげた河野哲也著『〈心〉はからだの外にある』の第一章「環境と共にある〈私〉──ギブソンの知覚論から」を読みながら、しきりに桑子敏雄さんの議論とベルクソンのことを想起していた。桑子さんについては、「身体の配置」や「空間の履歴」といった桑子哲学のキーワードがアフォーダンスの理論に親和的であるという、ただそれだけの単純な思いつき。何しろ、『環境の哲学』も『西行の風景』も『理想と決断』も、それから以前、本人から送っていただいた雑誌掲載論文のいくつかも、いまだ読み終えていない。いつかまとめて集中的に読み込むつもりなのだが、その「いつか」はなかなかやってこない。
 ベルクソンとアフォーダンスの関係については、實川幹朗著『思想史のなかの臨床心理学──心を囲い込む近代』に印象的な指摘がなされていた。ここのところはとても大切だと思うので、以前書いた文章[http://www.sanynet.ne.jp/~norio-n/NIKKI3/262.html]をまるごとペーストしておく。(そういえば、ベルクソンと中世神学の関係については、ジルソンの『神と哲学』[http://www.sanynet.ne.jp/~norio-n/NIKKI3/277.html]にも印象的な叙述があった。)

 實川氏によると、知覚を環境との関わりの可能性ととらえる「アフォーダンス」の理論は中世以来の発想の枠組みのなかにある考えであって、百年ほど前のベルクソンによっても語られ、その後メルロ=ポンティが洗練された形で示した(『思想史のなかの臨床心理学』233頁)。この指摘は、次の文章につけられた註のなかに出てくる。
《一三世紀のトマスにおいては、感覚は「感覚器官の現実態」なのであった。「現実態(アクトゥス)」とは、古代から中世の哲学用語である。それは「可能態(ポテンチア)」から、つまり存在の可能性だけある状態から抜け出して、存在を実現している状態を意味する。何だか古くさい、かた苦しい言葉づかいに聞こえるかもしれない。しかし、このような発想自体は、現代の西洋思想でも、あいかわらず、新しげなよそおいで続けられている。》(同72-73頁)
 内田樹氏は『死と身体』で、甲野善紀氏の「人間の身体は、一瞬手と手が触れただけで、相手の体軸、重心、足の位置、運動の力、速さがわかる」という言葉と、「人間は指と指がふれた瞬間に無限の情報が伝授される」というヴァレリーの身体論を紹介している。
《一九世紀から二○世紀の初めぐらいには、運動性の記憶とか、運動性の知覚と伝達とかは、ヨーロッパではまっとうな学問として存在していた。それがなぜか一九二○年代にあらかた消えてしまう。「記憶を司るのは頭ではなく身体である。記憶は運動的なものである」というベルクソンやヴァレリーの考え方が一掃され、もう誰も相手にしなくなるのです。(略)プルーストの『失われた時を求めて』では、つまずいてよろけた瞬間にありありとむかしのことを思い出すという有名なくだりがありますね。一九世紀までは、ある構えをすると身体記憶、過去の体感が、場合によっては自分自身が経験していない他者の体感がよみがえってくるというのは「常識」だったんです。それが九○年ほど前に、常識から登録抹消された。》(『死と身体』114-115頁)
 この文章の最後に出てくる「自分自身が経験していない他者の体感がよみがえってくる」には強調符がついている。これを目にしたとき、私は『思想史のなかの臨床心理学』でのある議論(第一次意識革命をめぐるもの)を想起した。
 實川氏は「歴史的には、意識と物質は西洋においても古代以来、一九世紀まで一体だった」(『思想史のなかの臨床心理学』139頁)という。ところが近代になって、臨床心理学による古代以来の「物質的な無意識」や「無意識の理性」(神の理性)に替わる新しい無意識の「発明」に先だち、物質と精神の二面をもつ中性的で根源的な(自然科学を基礎づける究極の事実としての)新しい意識が「発明」された(同142頁)。ユダヤ=キリスト教的な「神の理性」の後継者としての意識が登場し(意識革命)、世界は「神の国」から「意識の国」へと変換された。
《ここで、ひとつ注意しておきたいことがある。「意識革命」が起こり、「意識の国」が築かれたとは言っても、この時代にはまだ、意識は公共のものだったという点である。すなわち、意識は個々人の内側に閉じ込められてはおらず、もちろん感覚も含めて、みなが共有できるものだった。(略)意識が、観察できない個々人の秘められた主観性だと一般に考えられるようになるのは、二○世紀になってからである。》(同143頁)

★2月27日(月):『物質と記憶』(第23回・補遺)

 とうとう、アンリ・ベルクソン/ジル・ドゥルーズ編『記憶と生』(前田英樹訳)を買った。『物質と記憶』の副読本として、ドゥルーズの『ベルクソンの哲学』(宇波彰訳)を常備し、折にふれて部分読みや流し読みをしている。でも、ドゥルーズの文章は「雰囲気」は濃厚に伝わるのだが、なかなか腑に落ちない。随所にちりばめられた決め言葉は実に鋭く、簡潔に概念を言い表していると思うのだが、これをどう希釈すればいいのか手がかりがつかめない。希釈などしなくていいのかもしれないが、そのままだと濃縮されすぎていて、「実用」に向かないのだ。たとえば、「持続は本質的に記憶であり、意識であり、自由である。そして持続が意識であり自由であるのは、それがまず第一に記憶だからである」(51頁)。これなど、ほとんど『物質と記憶』の全議論を一言で要約している。しかし、哲学の議論を要約してみたところで、それはなんの役にも立たない。出来合の砂糖水を労せず飲むようなものだ。ベルクソンを知りたければ、ベルクソンを読まなければならない。
 ドゥルーズによる選文集『記憶と生』は、ベルクソンの主要著作(7冊)からの抜粋(77篇)を組み合わせ、これらにタイトルを含めて章節の結構を与えた「ベルクソン自身のもうひとつの主著」(訳者まえがき)である。『物質と記憶』の独り読書会が、最後の最後で「頓挫」しかかっている。この際、いったん単独のテキストから離れて、前田英樹いうところの、ドゥルーズが自らの出発点に打ち込み生涯変わらず保持しつづけた「ベルクソニスムという楔の形」なるものを味読してみようか。前田氏は「ひとつの節ごとを、節と節との繋がりを、ごくゆっくりと読んでもらいたい」と書いている。「そうすれば、ドゥルーズの考案したタイトルの総体が、いかに驚くべきものかも、だんだんとわかってくる」。この「ゆっくりと」読むこと、「だんだんと」わかってくることが、哲学書を読む秘訣であり、醍醐味だろう。私(水)のうちに思考(砂糖)が浸透し、私が私でないもの(砂糖水)に成ること。

★2月28日(火):最近買った本──『RATIO』

 たぶん読まないだろうな、と思いながら『RATIO[ラチオ]』(1号)を買った。講談社初の思想誌なのだそうだ。巻頭論考「今、われわれの根本問題をどう考えるか、どう考えうるか」では小泉義之(「自爆する子の前で哲学は可能か──あるいは、デリダの哲学は可能か?」)、大澤真幸(「「靖国問題」と歴史認識」)両氏の文章が掲載されている。大特集「アジアのナショナリズムを問う」に続く特集「世界の現代思想を読む」には、リチャード・ローティ(「予測不能のアメリカ帝国」)とジョルジュ・アガンベン(「人間の仕事」)の特別寄稿が掲載され、これが本号のウリであるらしい。最後の特集「現代哲学はどこへ向かっているか」では、再び小泉義之氏が登場して、郡司ペギオ‐幸夫氏との「生物学と哲学を越境する渾身対談」に挑んでいる。
 とりあえず、この対談「物語をやめよ!=「生きる」このと哲学を構想する」を読んだ。あいかわらず難解で、しかし妙に気になる(蠱惑的な、といってもいい)議論が展開されている。よくは判らなかったが、郡司ペギオ‐幸夫がいう「質料」や「肉」の概念が気になった。フロイトの「夢」の概念が質料に似ているとか、夢や質料は非論理的なものをつなぐ「糊」であるとか、糊が無際限に「ない」ものをつなぎ合わせていくと、結果、「ある」ものを作ってしまうとか、腐っていくという過程は糊と同様、存在を不在へと帰る過程であるとか、いずれもよくは判らないが、判らぬなりに面白い。

 それにしても、本書には刊行の辞も編集後記もない。雑誌ではなくて一般書籍だからかもしれないが、一般書籍にだってまえがきやあとがきというものがある。論文集だと、編者の序文のごときものがしばしば寄せられる。あまりにそっけない。装幀も含めてあまりにそっけない。まるで同人誌のような趣が漂う。掲載論文のタイトルや特集名を見れば、この「思想誌」のねらいは判るということか。それは判るが、本書を構成する四つのパーツを貫くものが見えない。寄せ集めの印象が拭えない。どういう方針でこれらの論考が同じ書物のなかに並列させられているのか。ウェブ上で、ある個人があちこちのページにリンクを張ってこしらえた「本」がそのまま物質化した感じ。
 講談社のホームページ[http://shop.kodansha.jp/bc/books/ratio/]に「刊行の辞」が掲載されている。これを読むと、やはりこの本はネット上で編集されるべきではなかったかと思った。ペースとしておく。
《日本を含めた世界は、今まさに、これまで経験したことのない新しいステージに立たされています。それをもっとも端的に象徴するのは、9.11後の国際社会の現実でしょう。現代は、あらゆる理論、思想、政策が無効になり、誰もが新たな解答を見出せないまま、途方に暮れているように見えます。
 人類はこれまでこのような事態を、さまざまな思想を提出しあうことによって、解決してきました。それが人類の歴史でもあります。今、出口なしの状態にあるということは、逆に言えば、これから、新たな思想の時代が到来する、という前ぶれに他なりません。RATIOは、そのような新しい思想の可能性を探り、吟味し、検証するために生まれました。
 今、来たるべき思想の時代を予見するかのように、日本にも世界にも、新しい思想の萌芽が見られます。若い言論が生まれつつあります。そのような、可能性に満ちた論考が自在に参集する場として、この雑誌が枢要な役割を演じられることを念じつつ、02号、03号と続けていきたいと考えております。
 ぜひ一度、のぞいてみてください。どれでもいいから、読んでみてください。どれも意外に読みやすく、しかも深いことがおわかりいただけるはずです。》