不連続な読書日記(2005.12)




★12月1日(木)

 堀江敏幸『熊の敷石』(講談社文庫)を買った。ほんとうは世評の高い『雪沼とその周辺』を読んでみたかったのだが、この人の作品は初めてなので、初期投資額を抑えるために薄い文庫本を選んだ。表題作を含めて三篇収められている。いちばん短い「城址にて」と川上弘美の解説を読んだ。一人称で書かれた文章なのに「鳥瞰感」が漂っている。空間的なものではなく時間的、視覚的というよりは触覚的。視覚的でないというわけではない。それが巨視的パノラマ的でないというだけのことで、微細な動きに寄りそいながら、生理に即して表現されている。触覚的というより、感覚の原器のようなものに触れている。あたりまえのことだが、それは文章で造られている。文章の手触りがつねにつきまとう。ほとんど詩に近づいているようでいて、紛れもない散文。その証に、短い叙述で造形される人物のかたちに揺らぎがない。小説を読むとは筋や情景描写を読むことではなく、文章を読むこと。

 あわせて長田弘の詩集を入手しようと思っていたが、適当な本が見つからなかった。検索して、ネット上の長田弘の文章や詩文を拾い読みしていて、坂本龍一との対談「暴力の前に言葉・音楽は無力か」(2002年1月7日朝日新聞朝刊)の抜粋を見つけた。長田弘の発言の一部分をペーストしておく。
《歴史には2つあると思う。「ファスト・ヒストリー」(手っ取り早い歴史)と「スロー・ヒストリー」(ゆっくりと見えてくる歴史)です。今は「ファスト・ヒストリー」が世を席巻しているように見えるけど、「ファスト・ヒストリー」がもたらすのは結局、成りゆき。人々の生きる日々をつくるのは「スロー・ヒストリー」です。今、切実に問われているのは、一番大切なのは何だという問いただしだと思う。》

★12月2日(金)

 臨床哲学という語を最初に使ったのが誰なのか知らない。そもそもの発端は中村雄二郎さんが提唱した「臨床の知」あたりではないかと思うのだが、よく知らない。外国語にあるのかどうかも知らない。私が知るかぎり、養老孟司さんにそのものずばりの書名の著書がある。大阪大学の鷲田清一さんのところに "clinical philosophy" の訳語をふった研究室がある。木村敏さんは自分の仕事をそう呼んでいる。浜渦辰二「報告:臨床人間学の試み」[http://anthropos.hss.shizuoka.ac.jp/shama/versuch-ka.htm]にはこう書いてある。
《この時期[大阪大学大学院文学研究科で倫理学専攻が「臨床哲学専攻」に改称されたことをさす]以降、他にも、臨床社会学、臨床文化人類学、臨床政治学、臨床経済学、臨床法学、臨床歴史学というように、「臨床」という語を広義に使う用法が広まっていった。しかし、以上挙げたもののいくつかは、養老孟司の命名によるものであるが、養老の『臨床哲学』(哲学書房、1997年)は、「哲学を横から見てときどき何か言いたくなる」という関心から、「それぞれの哲学者をとって、調べてみたい」「臨床哲学というのは、哲学の具体的な応用であると同時に、哲学者の臨床分析でもある」という主旨の書であり、本稿の脈絡からははずれる。それとともに私たちは、右のような「臨床」概念のインフレに組みするものではない。》

 養老孟司さんの臨床諸学に関する論考が収められた『毒にも薬にもなる話』には、「臨床時間学」「臨床生物学的歴史学」「臨床中国学」なる語も出てくる。私はさらに臨床文学とか臨床言語学といった語を使って、臨床概念のインフレに与したいと思う。というのも、「対話・面接・インタヴュー・交流・調査・フィールドワークといった相互的な対面関係のなかで、それまでに学んだことを現場で磨きながら、そのなかからいろいろと学び取ることに比重を置いた研究と教育」という浜渦論文にある臨床の定義に賛同するからだ。
 いや、そういうことを書きたかったわけではない。臨床という語がインフレを招いたのには、それなりの時代なり思想の背景があるからではないかということを考えたかったのだ。私はかつて、実験理性批判という語を考案したことがある。実験(室)という語が思考や社会のあり方を根底的に規定する格別に重要なメタファーであった(現にある)時代を想定することができるのではないかと睨んでのことである。修道院や庵という語もそう言う意味では魅力的だ。それと同じ意味合いで臨床の概念を考えることができるのではないか。そういう趣旨なのだが、今日のところは力尽きた。

★12月3日(土)

 臨床つながりの話題から。「臨床仏教カウンセリング協会」[http://www.geocities.jp/bukkyoucouncelling/]というのがある。定款を見ると第四条に「本会は、「臨仏カ」に関連して、次の活動を行う」と書いてある。「臨仏カ」とは面妖だが仏の力の臨在を思わせる力強い言葉だと感心していると、これは「臨床仏教カウンセリング」の略称で「力」はカタカナの「カ」だった。そのホームページを見ていると、NHKの「ニュース10」(2004年9月20日放送)で紹介された「健康長寿・日本一の秘密」が掲載されていた[http://www.geocities.jp/bukkyoucouncelling/fl-kunou/fl-roujin/nhk-0920.htm]。「山梨大学医学部の山縣然太朗教授は、「どうして山梨県は健康寿命が長いのか」アンケート調査によって分析研究した。その結果、興味深い結果がみられた。……」 
 昨晩、その山縣教授を招いた私的な講演会「山梨県の長寿の秘訣」[http://www.indranet.jp/jinsha/051202yamagata.html]が神戸であった。主催者から「面白いよ」と声をかけられていたので参加した。講演には間に合わなかったが、質疑応答と引き続きの懇親会に顔を出して深夜までつきあった。仕事でやつれていたけれど、午前様で帰宅した時分にはすっかり元気になっていた。
 山梨には無尽(講)という互助組織の伝統が残っている。無尽を楽しむ人のADL(生活活動能力)が高いことが疫学的に立証されたのだという。山縣教授が用意されたレジュメ(パワーポイント原稿)にはこう書いてあった。

・金銭の融通を目的として、一定の期日ごとに講の成員があらかじめ定めた額の掛金を出し、所定の金額の取得者を抽選や入れ札などできめ、全員が取得し終わるまで続けること。鎌倉時代に成立し江戸時代に普及した。現在でも、農村を中心として広く行われている。無尽。頼母子講。
・山梨では「定期的な会合、食事会、飲み会」として、現在でも盛んにおこなわれている。
・沖縄の「模合(もあい)」など全国に残っている。
・「無尽」は、山梨県で今も盛んに行われる人付き合いの形態であり、社会的ネットワークのひとつの形である。仲間と健康の話をしたり、世の中の話をしたりして無尽を楽しむことも健康寿命延伸に寄与すると期待される。

 山梨では一人で複数の無尽に入っていることはざらなのだそうだ。気心の知れた仲間内の集まり、単なる飲み会との違いはいまひとつ実感として判らないが(でも昨晩のような飲み会が無尽の楽しさなのだとしたら、それが健康寿命につながることは体感で判る)、社会的にも経済的にも認知されているらしい。「今日は無尽ですから早く帰ります」といったことが官民の組織で通用するし、たとえば甲府湯村温泉のホームページ[http://www.yumura.com/news/pr/mujin.htm]などを見ると、「無尽会幹事さん」向けに「無尽会専門プラン まわる湯村の厄除け無尽手形」という年間予約のコースが用意されている。
 会場からの質問に答えて山縣教授が、「無尽の基本は閉鎖性なんです、何年暮らしてもよそ者(山縣教授は山口県出身)にはなかなか声がかからない」と発言をされたのが印象に残った。懇親会で、メールは便利だがチェックに2時間もかかると「なんだこれは」と思うといった話題になったとき、おおよそ次のようなことを話した。
 すでに人間関係ができている人とのメールのやりとりはとても重宝だ。それは無尽の閉鎖性とも関係する。ネットの世界で認証システムが課題になっているように、社会関係でも完全にオープンなシステムはとても危険だ。そこで必要なのは承認システムではないか。マズローの欲求五段階説では最後の自己実現欲求がよく(皮相に)とりあげられるが、実はその一つ前の承認欲求の方が重要なのではないか。(これは太田肇さんの『認められたい!──がぜん、人をやる気にさせる承認パワー』[http://www.sanynet.ne.jp/~norio-n/NIKKI3/285.html]の受け売り。余談ながら、この承認の問題をドイツ観念論に遡って考えると面白い。)
 承認欲求は相互性をもっているはずで、他者を承認したいという欲求もある。同郷のよしみであれなんであれ、人は偶然の一致にかこつけて他者を承認(信用)したがっている。それが、閉鎖性をもった社会がその閉鎖性を守りながら他者を受け容れる際の口実、方便になる。閉じつつ開く仕掛けになっている。閉じつつ開いているのは躰も同じこと。この中間性、偶然性がネットワークの本質なのではないか。閉じつつ(偶然を奇貨として)開き、開きつつ(承認のルールを守って)閉じる中間性。

★12月4日(日)

 『物質と記憶』。第三章の四節「過去と現在の関係」を読む。このあたりまで来ると、なにも一節ずつ律儀に読まずとも一気呵成に最後まで突入できそうなものだが、それをやるとたんなる黙読にすぎず、独り読書会の意義を失う。では独り読書会の意義は何かと問われると困るが、ベルクソンの議論の細部をリテラルに祖述しながら、それがじわじわと躰と脳髄に浸透していく過程を克明にたどり、違和であれ親和であれ意識しつつ反芻することによってこそ見えてくるものがあろうと思うのだ。もちろん細部に沈潜することで全体の眺望を見失うこともあるだろう。もう少し今の作業をつづけ、一度機会を見て俯瞰のための小休止をとることにしよう。

 本節では記憶力の二つの形態の関係が図示される。第一の記憶力についての説明をベルクソンの言葉で拾うと、有機体の中に定着したもの、私たちを現在の状況に順応させ、私たちがこうむる作用をおのずから延長させ多少とも適合した反応にまで発展させるさせるもの、記憶力というより習慣。習慣が組織した感覚=運動系の総体からなる身体の記憶力。ほとんど瞬間的な記憶力。その行動に一般性の刻印を捺す(衝動の人の・もしくは児童の)まったく運動的な記憶力。第二のそれについては、たんなる習慣ではなくて本当の記憶力、意識とひろがりをひとしくするもの、私たちのあらゆる状態を保持し順序どおり配列しながら、各事実に場所をあたえ日付をしるし本当に決定的な過去の中で動くもの。個別的なもののみを視界にとらえるまったく観想的な(夢想家の・もしくは大人の)記憶力。
 この二つの記憶力は深く異なったものだが、密接につながって一つになろうとする。私の身体と私がよぶこのまったく特殊なイマージュ、すなわち一瞬ごとに一般的生成の横断面をなすもの、受けては返される運動の通過点、私に作用する事物と私が働きかける事物との連結線、一言でいえば感覚=運動的現象の座においてである。かくして、かの有名な平面と円錐体の隠喩でもって両者の関係が図示されるわけだ。私の身体のイマージュ(S)を含み、それに作用を及ぼしかつそれからの作用を受けるすべてのイマージュでもって構成される平面P(宇宙にかんする私の現実的表象)。底面AB(過去に位して不動のまま)を上部に、頂点S(あらゆる瞬間に私の現在をあらわす)を下部にもつ逆円錐SAB。それらの接点をなすS、不断に前進するSにおいて二つの記憶力が一つになる。
《習慣が組織した感覚=運動系の総体からなる身体の記憶力は、ほとんど瞬間的な記憶力なのだけれども、過去の本当の記憶力がその基盤をつとめている。両者はばらばらな二つのものではなく、第一のものは、すでにのべたように、第二のものによって経験の動く平面にさしこまれる動的先端にほかならないから、この二つの機能が互いに支持を与え合うことは当然である。じっさい一方では、過去の記憶力は感覚=運動的諸機能にたいし、それらを導いて任務につかせ運動的反応を経験の教示する方向におもむかせうるすべての記憶を呈示する。近接と類似による連合は、まさしくそこにおいて成立するのだ。しかし他方では、感覚=運動機構は無力な、すなわち無意識な記憶にたいし、身体を獲得して物質化する手段、つまりは現在となる手段を提供する。じっさい、ある記憶が意識に再現するためには、それは純粋記憶の高みから、行動の遂行を見るまさにその地点にまで、下りてくることを必要とする。換言すれば現在こそ、記憶の応答する呼びかけの出発点であり、現在の行動の感覚=運動的要素こそ、記憶が熱気を借りて活力を与えられる場所なのである。》(172-173頁)
 それでは過去の記憶はいったいどこに保存されるというのか。それが身体(脳)ではないことは、すでに第一部の議論から明らかだ。いまはただ、溺死や縊死から蘇生した人の報告にあるように、過去の記憶は「もっとも微細な事情にいたるまで、起こったとおりのそのままの順序で」保持されているという事実を受け容れよう。《それ自身イマージュであるこの身体は、数多のイマージュの一部をなすものであるから、数多のイマージュを貯蔵することはできない。だからこそ、過去の知覚はおろか現在の知覚でも、脳に限局しようとする企ては空想的なのだ。それらの知覚が脳の中にあるのではない。脳こそそれらの中にあるのだ。》(171頁)

★12月5日(月)

 熊野純彦訳のレヴィナス『全体性と無限(上)──外部性をめぐる試論』(岩波文庫)を買って20頁ほどの序文を読んだ。内田樹さんの『他者と死者』(24頁)に、レヴィナスとラカンはわざと分かりにくく書く「大人」であると書いてある。また、彼らが量産する「邪悪なまでに難解なテクスト」が狙っているのは、「あなたはそのような難解なテクストを書くことによって、何が言いたいのか?」という「子どもの問い」へと読者を誘導することである、とも。ここで云われる「子ども」は「追う者」のこと、つまり弟子である。私は別にレヴィナスの弟子になんかなるつもりはないが、レヴィナスのテクストを読むということはレヴィナスの弟子になることである、そういう構造をレヴィナスの「邪悪な」テクストが持っているのだとしたら仕方がない。腹をくくって弟子入りするしかない。それが嫌なら読まずに放置することだ。
 これまでレヴィナスについて書かれた書物や解説の類をいくらかは読んできたが、レヴィナスその人の著書は『実存から実存者へ』(西谷修訳,講談社学術文庫)の序章と『レヴィナス・コレクション』(合田正人訳,ちくま学芸文庫)に収められた文章のうち『エティカ』の書評その他二、三篇を読んだ程度で、『存在の彼方へ』(合田正人訳,講談社学術文庫)にいたっては訳者あとがきを眺めたまま頁すら繰っていない。強烈に惹かれているくせに、私はレヴィナスが嫌いなのだ。どこか押しつけがましくて嫌なのだ。というより、怖がっている。斎藤慶典さんは『レヴィナス──無起源からの思考』(35頁)で、「人間」の起源と誕生の「時」に関わる「太古の」哲学者と呼んでいる。その思考の「太古性」が私を怯えさせる。
 読まず嫌いはそろそろやめて、怖いモノ見たさで思い切って読んでみるか。幸い、序文を読むかぎりその難解さは邪悪とまでは思わない。分からないところはいくらでもあるけれど、あまり気にならない。それどころか、「諸存在は、かくして、叙事詩のかたちをまとってあらわれるものであ」(15頁)るとか、「倫理とは一箇の光学なのだ」(19頁,32頁)とか、「その冒険は結局は想像的なもの、オデュッセウスのみちゆきのようにわが家に帰還するものなのである」(27-28頁)といった、訳が分からぬままでもグッとくるフレーズが散見される。存在の実現と啓示という本質的な両義性をもつ「生起(production)」の概念(25頁)などは蠱惑的だ。謎を謎のまま頭に刻みつけて先へ進むことができそうな気がする。問題は、いつ読むかだ。

★12月6日(火)

 レヴィナスは嫌いだし怖いが、ウィトゲンシュタインには昔から惹かれつづけてきた。実際に会って話をすると、レヴィナスは慈愛と親愛に満ちた師であり、ウィトゲンシュタインは峻厳で冷酷な友なのかもしれない。もちろんそんな想像にはなんの意味もない。
 『ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1930-1932/1936-1937』巻末の訳者解説を読んだ。鬼界彰夫「隠された意味へ」。力のこもった、でもこれは本当の話だろうかと目を疑うほどに判りやすい叙述だった。『論考』という自己の過去/原罪(偽善)に正対し、自らの死と再生を通じて自らを浄め離し、それによって『探求』という清らかな次元を実現できる新たな精神へ。いわば旧約(論理哲学論考)から新約(哲学探究)へといたる、特異な夢の到来によって「パンクチュエート」された困難な精神の運動の記録。
《それは、別の角度から見れば、ウィトゲンシュタインの精神が「信仰」という特別な状態へと入ってゆくこと、あるいはそうした状態が彼の精神に訪れることであった。それは彼の宗教の歩みにほかならなかった。そして『哲学探究』という記念碑的作品は、この宗教の歩みの結果としてのみ生み出されたのである。これこそが日記が我々に与える最大の驚きである。》(296頁)
 ウィトゲンシュタインにとって、聖書の教えは究極的に「神が世界を創造した」と「キリストは自らの命を犠牲にして人間を罪から救い出した」の二つに収斂する。前者の教えからは「神はいつでもお前からすべてを要求できる」「神がお前に生の賜物を与えてくださるよう誓い願え!」(1937年2月16日の日記)という態度(信仰)がもたらされる。後者の教えからはまずキリストにならい完全な者として生きること、すなわち「自らの此の世での命と生活を犠牲として捧げる倫理的責務を負う」(302頁)という厳しく恐ろしい解釈がもたらされる。だが1937年3月26日、ウィトゲンシュタインの思考に劇的な転換が生じ、新しい態度(信仰)が訪れる。「それは救おうとする者から、救われる者への転換である」(304頁)。「私は自分のあるがままにおいて、自分のあるがままに照らされ、啓かれている。私が言いたいのは、私の宗教はそのあるがままにおいて、そのあるがままに照らされ、啓かれているということだ。」(1937年3月26日の日記)

 鬼界氏の読解がどれほどの正統性を持つのか。それは生の資料(日記)に実地にあたった上であらためて確認するしかない。ここでは、鬼界氏がウィトゲンシュタインのテキスト分析に用いた「スレッド・シークエンス法」を取り上げる。『ウィトゲンシュタインはこう考えた』の第一部「ウィトゲンシュタインのテキストの特徴と読み方」に、大要次のように書かれている。
 ウィトゲンシュタインのテキストは独特の内的構造を持っていて、通常とは異なる読み方を読者に要求する。その一つが「スレッド・シークエンス法」である。ウィトゲンシュタインが哲学的思考を展開し、その結果を手稿ノートに書きつけてゆくとき、相互に密接に関連する二つないし三つの主題(たとえば「独我論」と「私的言語」、「数学の基礎」と「規則」)を同時に考え、それぞれに関する思考を交互に書きつけてゆくのが習慣だった。いま交互に登場する主題をスレッド(思考の糸)と呼び、A、Bで表示するなら、ウィトゲンシュタインのテキストの構造は「a1-a2-a3-b1-b2-a4-a5-a6-b3-b4-b5- ……」となる。
 これをそれぞれの主題の本性に即して読解するためには、まず「a1-a2-a3-a4-a5-a6- ……」と「b1-b2-b3-b4-b5- ……」の二本の繊維に分け、その上でそれぞれを理解しさらに統合するる必要がある。こうした作業の起点になるのが、テキストをパンクチュエートすること、つまり句読点(切れ目)を入れて、「a1-a2-a3」「a4-a5-a6」「b1-b2-b3」「b4-b5」のシークエンスに区切ることである。
 これだけだとどうということもないが、そしてこれ以上のことを補うことはできないのだけれど、この「スレッド・シークエンス法」という方法には、常に複数の書物を同時並行的に読み進める習慣をもつ(だから不連続な)私にとってとても他人事とは思えない「懐かしさ」がある。

★12月7日(水)

 小林恭二『俳句という遊び──句会の空間』(岩波新書)を買って「はじめに」とプロローグとエピローグ「句会とは何か」、そして「あとがき」を読んだ。「俳句を媒介にして、日常とりえないような高度で玄妙なコミュニケーション(=遊び)をとれるような座、そういうのをまっとうな句会という。」この「大人の遊び」は、往々にして「お遊び」に堕す。現に近代日本における俳句の活字化、結社誌の普及とともに、句座の場は際限ない権威主義、点数主義へと走った。《そもそも句会というのは、元来ごく普通のコミュニケーション手段であった。そう、かつて茶会や歌合せがそうであったように。/ちなみに我が国において文芸が、作家による一方通行的なマニフェストとして発達せず、複数の連衆によるコミュニケーションの媒体として発達したことは、研究に値するテーマである。皮肉に言えば我が国の近代は、そのようにして発達した芸術が、西欧的な「芸術家対大衆」というかたちに組み込まれて、大袈裟に言えば解体してゆく過程であったと捉えることもでよう。》(248-249頁)本編を読むのが待ち遠しい。91年初刊の第16刷。「ご要望にお応えして/アンコール復刊 春爛漫の甲州にて/流派を超えた真剣勝負!」と帯にある。

★12月8日(木)

 岡田暁生『西洋音楽史──「クラシック」の黄昏』(中公新書)を買って「まえがき」と「あとがき」と目次を読んだ。北沢方邦『音楽入門──広がる音の宇宙へ』がまだ半分も進まないのに、ある人が絶賛していたのにつられて入手したのだが、この人の文章は実にいい。文章がいいというより、西洋音楽史を「私」という一人称で語り、「私」という語り手の存在(プレゼンス)を中途半端に隠さないことに徹しようとする志が素晴らしい。歴史はたんなる情報や事実の集積ではない、事実に意味を与えるのは結局のところ「私」の主観以外ではありえないとする断念が潔い。音楽と音楽の聴き方(「どんな人が、どんな気持ちで、どんなふうに、その音楽を聴いていたか」)とを常にセットで考え、だから西洋クラシック音楽を、たとえそれが世界最強のものであるとしても徹頭徹尾「民族音楽」として、つまり音楽を聴く場に深く根差した音楽として見るその視点(聴点?)に惹かれる。「ただ一つ、本書を通して私が読者に伝えたいと思うのは、音楽を歴史的に聴く楽しみである。」著者はそう書いている。音楽を歴史的に聴くとはどういう態度なのか。本論を読むのが待ち遠しい。

★12月9日(金)

 堀江敏幸の短編集を二冊つづけて読んだ。なぜこれまでこの人の作品にふれることがなかったのだろうという、ありえたにちがいないたくさんの大切な時間をとりかえしようもなく喪った悔いの思いと同時に、これからこの人のけっして多産ではない過去の作品群をいまちょうどもぎとられたばかりの新鮮な果実を味わうようにして読めることへの歓びが静かにこみあげてくる。
 いつどこでどのようなかたちで聴こうとも音楽は音楽だという考え方がある。そうではなくて、音楽はそれを聴く時と場所、形態、それをとりまく状況や文脈、身体のあり様に大いにかかわるという考え方がある。考え方というより、そのような特殊な環境のなかでしか経験できない(聴きとることができない)音の質が事実としてあるということだ。どちらの考え方あるいは経験が正しいかを一般的に論じるのはあまり意味がない。たぶんある偶然によってもたらされた後者(a music)の個別的な経験を通じて前者(the music)への普遍的な感覚が培われるというのが真実に近いのではないかと思うが、いきなり音楽そのものがイデア的な響きをもって聴き手の経験のうちに到来することもありうるだろう。
 小説を読むのもこれと同様だ。とりわけ堀江敏幸の作品を読むという経験は、それが収められた器である一冊の書物の造本や装幀や紙質、活字のポイントや配置、行間、上下の余白、等々にはじまって、どのような生と思惟と感情の履歴をもった読み手がいつどこでどういういきさつで、またどのような場で、さらにはいかなる身体の構えでそれを読むのかに大いにかかわっている。しかしそれでいながら、そうした特殊で個別的な読書体験がもたらす堀江敏幸固有の作品世界は、たとえそれを読む人が一人としていなかったとしても最初からそこにひっそりとしかし確かな感触をもって存在していただろうと思わせる普遍的な質を湛えている。それこそ言葉という、人が生み出したものであるにもかかわらず人を超えた実在性を孕みながら自律的にそこにありつづける媒質の生[なま]のあり方というものだろう。

 『熊の敷石』に収められた三つの作品(「熊の敷石」「砂売りが通る」「城址にて」)はいずれも時間の三つの相、すなわち未来、現在、過去の厳密な区画が融解した不安定な「あわい」において事物と記憶、瞬間と永遠がきりむすぶ鮮烈な経験を、一枚のスナップショットのくっきりとした輪郭や切り出されたばかりの石の重量感と、波に洗われる砂の城のような危うく脆い均衡のうちに立ちあがった生々しいものあるいは熊の背でできた敷石のような腥いものとの対比のうちに叙述しきっている。
 その経験を綴る文章は複雑で鋭敏な時制感覚によって屈折し、過去の体験とあいまって累乗化される鋭い歯痛(「熊の敷石」)や、二度と到来することのない未来の喪失の予感(「砂売りが通る」)や、永遠に見失われ現在に幽閉されることへの滑稽な恐怖に凍りついた瞬間(「城址にて」)を言葉のスナップショットとして定着する。読み手は本来表現されることのない「あわい」の時間に宙吊りにされ、一篇の作品が永続的に生きつづけるための濃く深い陰影をともなった領域を心のうちにしっかりと穿たれる。それが堀江敏幸の文章が達成したことである。
 幕切れのあざといまでの鮮やかさは『雪沼とその周辺』の七つの作品(「スタンス・ドット」「イラクサの庭」「河岸段丘」「送り火」「レンガを積む」「ピラニア」「緩斜面」)でも微妙な味わいの違いをもって反復される。しかしここでの堀江敏幸の文章は技巧性を奥深く内向させ、より事物と人物に即したかたちで綴られている。ピラニアの歯か結晶の鋭角を思わせる極微のとげとげしさは溶けた雪のように跡形もなく消えさり、あるいはイラクサの葉陰にたくみに隠されて、その結果、思わぬことだがその文章に読み手の思惟と感覚の運動を凌駕するスピード感がともなうのである。
 遠隔から近傍、全体から細部へと空間を瞬時に移動する視覚。過去と現在と未来を一気に通り越す暗い暗渠をくぐりぬけて時間の襞にわけいる記憶。七つの短編はこうして七つの生と老いと死の実質を透明な時空のうちに、やはり言葉で写しとられたスナップショットして鮮やかに定着する。堀江敏幸の特異な時制感覚は、ここでは美しいイメージを喚起する地名をもつ土地に暮らす人々によってひそかに語り継がれるフォークロアの文体を造形している。
(堀江敏幸の「特異な時制感覚」についてもう少し書いておきたいことがあった。が、このことは明日書くことにする。)
     ※
 『熊の敷石』の文庫解説「水を描くひと」で川上弘美さんが書いている。「繊細さに裏打ちされた勁[つよ]い知性によって」書かれた堀江敏幸の「さらさらとした清潔な」文章の気持ちよさは「生理にねざした、野蛮といってもいいようなもの」につながっている。「淡いけれどもじゅうぶんに禍々しい、予感。/静謐できもちのいい描写の中に、いくつもいくつも紛れこんでいる不安の種が、微妙ないろっぽさを、よびおこす」。
《水の上を流れていく一枚の葉の軌跡、を描くことが多くの小説であるとするなら、堀江敏幸の小説は、一枚の葉を流してゆく水のさまざまな姿、を描いているのかもしれない。水はいたるところにあって、澄んでいたり濁っていたり、あるときは流れあるときは淀み、凍ったりもするし蒸発して空気に溶け入ってしまったりもする。それらを描くとき、文章は移る。》
 評するも人、評されるも人。『雪沼とその周辺』が文庫化されるとき、その巻末に堀江敏幸の散文に拮抗しうるたしかな実質を備えた文章を寄せることができるのはいったいだれだろう。

★12月10日(土)

 昨日、堀江敏幸の文章が「複雑で鋭敏な時制感覚」によって屈折していると書いたことについて。あるいは、堀江敏幸の「特異な時制感覚」といいうるものがあるとして、はたしてその実質はなにかをめぐって。
 私が念頭においていたのは、過去のある時点で撮られた写真を今この場で見ること(「熊の敷石」「城址にて」)、あるいは今この場に鋭く立ちあがった身体の痛みが過去のそして未来の匿名の時点をリアルに想起させ予感させること(「熊の敷石」)、たとえばそのような経験のうちに言語以前のものとして埋め込まれている時間感覚のことだった。より具体的には、点の過去・線の過去などと説明される複合過去と半過去、さらに単純過去、大過去、前過去、あるいはラカンによって特異な意味づけがなされた前未来といったフランス語の文法における時制のことだった。
 これを作品に即していうならば、「熊の敷石」には今まさに進行しつつある現在と、その現在に近接する過去や遠い過去や語りの中にしか存在しない歴史的過去、そしてすでに到来しもしかするとあらかじめ完了している未来、さらに加えると堀江敏幸がこの作品を書いている(作品内世界にとっての)未来といった複数の時制がきりひらく時空が重層的に設えられている。あるいは『雪沼とその周辺』の冒頭におかれた「スタンス・ドット」には、よりシンプルなかたちではあれ完了した未来のある時点から回顧された現在、過去のうちに氷結した現在、さらにはありえたかもしれない現在といったニュアンスの異なる直説法時制がやはり混在しているのである。
 これらのことを詳細に分析しそのニュアンスを味わいつくすためには、川上弘美さんが試みていたように個々のセンテンスをとりあげて、時制(tempus)のみならず法(modus)、相(aspect)または態(voice)といった文法的概念にのっとって微細な表現の差異を腑分けし吟味していくことが必要になるだろう。だが、今はその作業に没頭するだけの余裕と知見をもちあわせていないので他日を期すことにして、ここでは二、三の気になっていることについて(素材のみ)書きとどめてこれもまた他日の考察に委ねることにする。

【アオリスト】
 ある人いわく「ギリシャ語の未完了過去形はフランス語の半過去に、アオリストは単純過去に似ている」。──ギリシャ語の過去時制に「未完了過去」と「アオリスト」の二つがある(らしい)。後者は「不定過去」とか「無限定過去」とか訳されていて、過去に起きたただ一度の出来事の記述やこれから起こることが確実な出来事の預言として用いられる時制である(らしい)。現在に深く影響する過去の決定的な出来事を表現するもので、たとえば「言葉は神であった」「言葉は神である」のいずれでも訳することができ、未来の出来事としても訳することができる(らしい)。
 たとえば「ムーミンパパのバイブル研」[http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Icho/3902/bible.html]の「原書構文解析」から「ヨハネによる福音書序文」の頁をたどっていくと、『ヨハネ福音書』第1章3節をめぐって次のように書いてあるのが目にとまった。ちなみに同福音書第1章冒頭の3節の日本語訳は次の通り(新改訳聖書刊行会、括弧は引用者による)。「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」(1節)「この方[言葉]は、初めに神とともにおられた。」(2節)「すべてのものは、この方[言葉]によって造られた[成った]。造られた[成った]もので、この方[言葉]によらずにできたものは一つもない。」(3節)
《3節は簡潔に天地創造の物語を表現していますが、主語は「(神と共にある)言葉」になっています。「芽生えさせよ」とか「群がれ」という神様の言葉によって万物が出来たことを言い表しています。新共同訳では「成った」と訳されていますが、これも「存在」の概念が含まれていると考えてよいでしょう。「成った」("egeneto")はアオリスト形ですから、この場合は過去にスポット的に起こったという事をさします。時々起こった「啓示」や「預言」も、言葉によるスポット的な神様の意志の伝達でした。一方で、「造られた」というのは完了形ですから、創造された行為の結果が現在に及んでいる事を意味します。(英語の過去完了形とはアスペクトが違います。)
 1節と2節で「始めに」という言葉を2回繰り返して用いていますが、フォーカスは現在に有るとみていいでしょう。神様の業は言葉を以て成されてきた。今もそうです。また、万物の全てがその言葉によって現れた。言葉によらずに現れたものはなかった。いまだに例外はない、という微妙で繊細なニュアンスが浮かびます。また4節以降の準備として「創造のはじめから今に至るまでの、連綿とした神の働きの形象としての言葉」ということを語っているのだと思います。》
 また「Pastor Nakao's Home Page」[http://penguinclub.net/nakao/]の「礼拝説教集」から2001年9月9日のメッセージをたどると、次のように記されている。《ヨハネ3:3に「すべてのものは、この方によって造られた。」と言われている「造られた」という言葉は「アオリスト、不定過去形」といって「いつかどこかで存在をはじめた」という意味がありますが、「初めに、ことばがあった。」という時の「あった」というのは「継続形」で、「ずうっと継続して存在している」という意味があります。聖書は非常に注意深く言葉を選んでイエス・キリストが永遠の神であると、私たちに教えています。》

【前未来】
 内田樹さんの「明日は明日の風と共に去りぬ?2002年2月」[http://www.tatsuru.com/diary/tomorrow/tm0202.html]にラカンの前未来をめぐる記述が出てくる。そこで原文とともに示されたローマ講演「精神分析における言葉と言語活動の様態と領野」の一節を、内田訳で以下にペーストしておく。
《私は言語活動を通じて自己同定を果たす。それと同時に、対象としては姿を消す。私が語る歴史=物語の中に現れるのは、実際にあったことを語る単純過去ではない。それはもう存在しないからだ。いま現在の私のうちで起きたことを語る複合過去でさえない。歴史=物語のうちに現れるのは、私がそれになりつつあるものを、未来のある時点においてすでになされたこととして語る前未来なのである。》
 「暴力以前の力 暴力の根源」と題された今村仁司さんの講演の記録[http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/hss/bouryoku/r01.html]から、関係すると思われる一節をペーストする。
《普通の言語表現ではひとは「われわれの現在」というが、その「現在」を「言う」(知る)ことはできない。瞬間としての現在は「知る」ことができない。あえて「われわれの歴史的現在」を言おうとするなら、 すでにアルチュセールが指摘したように(『マルクスのために』)、また彼の後でデリダが述べるように(『法の力』)、フランス語文法の「前未来形」で語るほかはない。要するに、過去の視点から瞬間的現在をあたかも未来の出来事として語るのである。すでに過去でありながら、未来的なものとして瞬間をとらえる。瞬間は非知であるから、それを語り知るためには比喩をもってするしかない。これはひとつのパラドクスである。もしそうならあらゆる瞬間はこの逆説をかかえる。》

★12月11日(日)

 『物質と記憶』の独り読書会。第三章の五節「一般観念と記憶力」と六節「観念連合」を読む。類似=知覚と差異=記憶。「意識をもつ自動人形」(175頁)によって演じられる生きられた類似と「自己の生活を生きるかわりに夢みるような人間存在」(同)によって夢見られる差異。それらが相互浸透し、結晶化と蒸発の二つの流れが交叉する中間的断面。そこ(自然=運動の領域)から立ちあがる精神生活(思考の領域)の本質的な現象。循環論法をすり抜ける生の実相と知性によるその模倣。すなわち有節言語の誕生。『物質と記憶』全体のハイライトをなすこのあたりのベルクソンの議論は、ほとんど抵抗も違和感もなく滑らかに頭に入ってくる。前後の文脈を離れて取りだしても、それだけで存分に鑑賞玩味できるベルクソン節ともいうべき名調子が随所にちりばめられている。

 たとえば五節から引くならば、「百合の白さは雪野原の白さではない。それらは雪や百合から切りはなされても、やはり百合の白さであり雪の白さである。それらが個別性を捨て去るのは、私たちがそれらに共通の名をあたえるため、類似を考慮するときだけだ」(177-178頁)。「草食動物をひきつけるのは草一般である。力として感ぜられこうむられる…色や香だけが、その外的知覚の直接的所与である」(179頁)。「水滴の中を動きまわるアミーバの意識がたぶんそうであるような萌芽的な意識を考えるとしよう。極微動物は同化しうるさまざまな有機物質の類似を感じても、差異を感ずることはあるまい」(180頁)。「一般観念は表象されるまえに、…感ぜられ、こうむられるのである」(181頁)。「一般観念は…互いに他方へと進む二つの流れの内に成立する、──たえず結晶して発音された語になろうとするか[高名な逆円錐と平面の図でいえば、底面ABから頂点Sの下向きの方向]、蒸発して記憶になろうとしているか[頂点Sから底面ABの上向きの方向]である」(182-183頁)。
《一般化するためには類似を抽象せねばならないが、有効に類似をとり出すためには、すでに一般化することができねばならない、と私たちは言った。本当は、循環論法などありはしないのだ。精神がまず抽象するさい出発点とする類似は、意識的に一般化するとき到達する類似ではないからである。精神の出発点となるそれは、感ぜられ、生きられる類似、あるいはお望みとあれば、自動的に演ぜられる類似である。精神の帰り場所であるそれは、知的に認知され思考される類似である。そしてまさしくこの進行中に、悟性と記憶力の二重の努力によって、個体の知覚と類概念が構成される。──記憶力は自然発生的に抽象された類似に差別をつけ加え、悟性は類似による習慣から明晰な一般性の観念をとり出すのである。この一般性の観念は、元来は、多様な状況における態度の同一性についての私たちの意識にすぎなかった。それは運動の領域から思考の領域へと遡る習慣そのものであった。しかしこうして習慣によって機械的に輪郭を示された類から、私たちはこの操作そのものについて成しとげられる反省の努力によって、類の一般観念へと移ったのである。で、いったんこの観念が構成されると、私たちはこんどは意図的に、無数の一般的概念を構築したのだ。この構築の細部にわたって、知性の後を追うことはここでは必要でない。ただ悟性は自然の仕事をまね、自分もまた、こんどは人為的な運動機構を組み立てることによって、無限に多様な個別的対象にたいし、有限数の反応をさせるとがけ言っておこう。これらの機構の総体が、有節言語なのである。》(181頁)。

 あるいは六節から引くと、「私たちは類似から類似した諸対象へと進みながら、類似というこの共通の布地の上に、個々の差異の多様性を刺繍するのである。しかもまた私たちは、全体から部分へと解体作業によって進むものであり…。[観念]連合は、したがって、原始事実ではない。分解こそ私たちの出発点であり、すべての記憶が他の記憶を参加させようとする傾向をもつことは、知覚の未だ分かたれていない統一へ精神がおのずから復帰するということから説明のつくものである」(186頁)。「私たちは、類似による連合と近接による連合を、その源泉そのものにおいて、またほとんど渾然一体をなした姿で──もちろんすこしも思考されているのではなく演ぜられ生きられているのだが──ここにとらえているわけである。これは私たちの精神生活の偶然的形態ではない」(188頁)。
 第一章四節「イマージュの選択」を読んでいた頃のあの陶酔(フィロソフィカル・ハイ)が甦ってきた。一気読みへの内圧が高まってくる。しかし、今日のところは集中力が切れてそれは不発もしくは予感のままにとどまってしまった。この内圧、予感を大切に持続させること。

★12月12日(月)

 茂木健一郎『クオリア降臨』読了。読み始めに覚えた違和感(茂木氏の文学観に対する)が最後まで足をひっぱって、いまひとつ読中感が高揚しなかった。それでも、エピソード記憶と意味記憶をめぐって開高健『夏の闇』の「女」の話題が樋口一葉や小林秀雄と並んで出てきたのは嬉しかった(「「スカ」の時代を抱きしめて」140頁)。「人間は、未だ、情報というものをとらえ切れていない」(同149頁)とか、「「私」の脳の中の情報を全てコンピュータに置き換えれば、「私」という体験が複製されるという技術者の冒険主義は、クオリアの私秘性という意識の現象学的存在基盤によって否定されるしかないのである」(「複製技術時代」174頁)といったくだりにはぐっときた。
 また、坂口安吾や丸谷才一の小林秀雄批判のうちに深い愛を読みとったり(「愛することで、弱さが顕れるとしても」199頁など)、政治家や官僚たちの体験のリアリティが文学的表現や鑑賞の対象とならなかったことを嘆き(「感じるものにとっては、悲劇として」226頁)、イギリスのTVコメディの深い文学性を指摘するあたり(同236頁)や、長与又郎の「夏目漱石氏剖検」筆記に「ああ、ここに文学があった」と述懐するところ(「文学と科学の間に」259頁)などには、茂木氏の文学観が徐々に深化し広がりをもったものに変貌していくさまが覗き見られて少し心が躍った。
 とりわけ私が惹かれたのは、漱石をめぐって綴られた次の文章である。
《意識を持ってしまった人間は、「反生命原理」と「生命原理」が交錯するところでしか生きられない。だからこそ、夏目漱石は私たちにとって特別な意味を持つ作家なのだろう。漱石こそ、もっとも反生命的な危険な精神の狂気の気配を漂わせつつ、しかしあくまでも生活の現場に踏みとどまろうとした、類い希なる文学者であったように、私には思えるのだ。/普遍と個別の間の相克に悩む者が陥る病理、別の言い方をすれば「適応」として現れるのが、ユーモアのセンスである。ユーモアとは、個別と普遍の間の裂け目から吹き出す一種の狂気に他ならない。死すべき「個別」たる人間が、宇宙の「無限」やイデア世界の「普遍」とまともに向き合っていては、命がもたない。ユーモアの一つや二つでも処方しないと、やってられない。》(「言葉の宇宙と私の人生」269頁)
 『クオリア降臨』は文芸誌連載という「制約」(茂木氏にとっては一つの「自由」をもたらす枠組みだったのかもしれないが)を離れて、むしろ漱石論として最初から書き下ろされるべきであった。読後、つくづくそう感じた。そういう意味では、この書物は来るべき作家・茂木健一郎にとってのスプリングボードなのかもしれない。

 つづいて『脳の中の人生』読了。「読売ウィークリー」に連載された文章と6つの章のそれぞれの頭に置かれた書き下ろしの「考えるヒント」を収めたコラム集。
 医学に基礎医学と臨床医学があるように、脳科学にも「一人一人の人生の中で起こる具体的な出来事に脳の視点から向き合う「臨床脳科学」があってもよいのではないか」(まえがき「人生という具体の海に飛び込まなければならない」)。これはほとんど茂木版「バカの壁」であり、茂木流「手入れの思想」の書だ。これに、茂木氏いうところの「養老さん独特の、ひんやりと肝に響くロジックの痛快さ」(198頁)が加われば鬼に金棒だが、茂木健一郎は養老孟司ほどにヒトが悪くない。『ケータイを持ったサル』の正高信男が茂木健一郎を「多動症」と診断したと本書に書いてある(119頁)。なるほど多動症では目が、いや腰が据わっていないわけだ。
 それにしても、この人はほんとうに文章が上手い。この調子でいけば、政治や経済や経営のことを明快に論じることなど朝飯前だろう。実際、本書には企業の研修会に呼ばれた経験を踏まえて「個人と組織の関係がどうあるべきか」と考える「あなたの会社は「野球型」?「サッカー型」?」が収められている。脳科学者兼サイエンスライターとしての茂木健一郎ファンたる私としては、茂木氏にはこういう種類の文章を書いてほしくないのだが、それは茂木氏の勝手だろう。

★12月13日(火)

 佐々木力『数学史入門──微分積分学の成立』を買った。20周年を迎えたちくま(学芸)文庫から「Math & Science」というシリーズが出ることになった。「通勤電車のなかにピュタゴラス、カフェにはアインシュタインがいたりしたら、面白いと思いませんか?」。本書はその初回、ディラックの『一般相対性理論』やヒルベルトの『幾何学基礎論』と並んで刊行された書き下ろし。書き下ろしといっても「あとがき」を読むと、著者がこの本の原稿を書いたのは昨年暮れから年明けにかけての2週間のことで、「当初はどこかの新書向けにと計画していたのであったが,ちくま学芸文庫の一冊として吉田武著『オイラーの贈り物』が刊行されたのを思い起こし,その定評ある文庫の新たな一冊に加えていただくべく」筑摩書房編集局に提案したとある。
 話はそれるが、ここに出てくる『オイラーの贈り物』は、序論「数学史とはいかなる学問か?」で言及される高木貞治著『近世数学史談』(岩波文庫)ともども、いつの日かまた心静かに読みかえしたい名著である(私が推奨するまでもないが)。その『オイラーの贈り物』の文庫版あとがきには、著者吉田武が「駅の売店で数学書が買える,これは“小さな事件”である」と感慨深く記しているらしい。これはまさに数学と自然科学を中心とした「本格的理系文庫」発刊に寄せられるべき賛辞ではないかと思う。
 あとがきには「わが国では数少ない数学史のプロフェッショナルである私が渾身の力をふりしぼって書き下ろした」とある。ここまで書くのは相当な自信に裏打ちされてのことだろう。私が選ぶ個人的な名著の殿堂入りを果たすかどうか、それは読んでみなければ判らない。で、さっそくざっと斜め読みしたところ「ユーラシア数学」という聞き慣れない言葉が目に止まった。──その地理的条件から、アラビア数学はギリシャ数学とインド数学を特異に結合発展させる国際的な数学文化となって開花した。
《アラビア数学は,開花期の9世紀から,その成果が「12世紀ルネサンス」(Charles H. Haskins)の精力的な翻訳運動を介してキリスト教ヨーロッパ世界に伝えられるまで,世界史上,きわめて枢要な役割を担った.それは,前述のような国際的性格を有していたがゆえに,ユーラシア大陸全般にわたる数学文化としての特徴をもち,一般に「ユーラシア数学」(Eurasian mathematics)の一環として理解するのが適当であろう.われわれは,たとえば,中世ヨーロッパのピサの商人レオナルド(フィボナッチ=[一説では,ボナッチ家の子]という名前でも知られる.1170または1180頃?1240頃)以降の数学をごく単純に西欧数学と見なすかもしれないが,正確には,それをギリシャ,インド,アラビア,ヨーロッパの文化的特徴が混交した「ユーラシア数学」の西方的形態と呼ぶのが最も適当であろう.》(98頁)
 
 なお、創刊20周年を記念して、これまで文庫巻末に寄せられた「解説」から傑作・力作をセレクトしてつくった「どこにも売っていない「ちくま文庫」」が読者にプレゼントされるらしい。そのためには、ちくま文庫か学芸文庫の新刊を2冊買わないといけない。あと一冊。で、さっそく人選ならぬ本選を始めたところ、ちくま文庫来月の刊行予告に、橋本治『大江戸歌舞伎はこんなもの』やミシェル・ウェルベック『素粒子』などと並び今泉文子訳『ノヴァーリス作品集?』(全3巻)が掲げられているのを見つけた。これに決まり。

★12月14日(水)

 図書館で借りた本は気楽に読めていい。摘み読みとか拾い読み、斜め読み、一点読みに部分読み、目次読み、速読、はては継続、継続の積ん読という高度な(そして傍迷惑な)戦術まで、自在に駆使することができる。これに対して自腹を切って買った本は、投下資本に見合うなにかを回収せずにおくものかという妙な思い入れがこもっていて、つねに恨めしげな圧迫感をもってにじり寄ってくるから鬱陶しい。長篇小説など買った日には、いつも時間のやりくりに往生する。
 このところ私の部屋の机の上には、行きつけの図書館から借りてきた数冊のエッセイ本の類が所狭しとちらばっている。就眠前のひとときなど、とっかえひっかえ手にしてはまとまった箇所を眺めて過ごし、その夜の夢の素材を蒐集している。
 そのうちの一冊、野崎歓氏の『五感で味わうフランス文学』に「夢の海鮮料理」というマンディアルグ論が収められている。そこに「マンディアルグの美食家たち[『大理石』の主人公たち]は、「何かどろどろしたもの」を前にひたすら女性的な、受け身な存在と化し、刺激に満ちた異物をわくわくと体内に受け入れ、悦びにむせぶ。そして料理との交わりの結果、夢が胚胎されるのだ」と書いてある。これと関連して、「ある人々にとっては眠りはもう一つの人生であり、一種の長い小説のようなものである」と書いたブリア=サヴァランの『美味礼賛』に、「食餌は夢を規定する」との立場から各種食物と夢の因果関係を説明したくだりがあることが紹介されるのである。
 野崎氏のいう「何かどろどろしたもの」とは、私の場合、就眠前に無造作に読み散らかした不連続な文章の切れ端が原形をとどめず渾然一体となった様そのものだ。
 さてこの小論は、『大理石』『燠火』『城の中のイギリス人』『ボマルツォの怪物』『満潮』『海の百合』といったかつて私も愛読した作品群を、そこに鏤められた形象や事物やイメージのエッセンスを生の触感ごとあまさず手際よく紹介し、そこから海と女、海産物趣味とエロティシズムとの「間然とするところのない相互浸透」というマンディアルグの最初期からのモチーフを抽出したうえで、「マンディアルグ的な料理の夢、夢の料理はことごとく、娘たちの体を循環する海のエキスへの羨望からあふれ出たものではないだろうか」と結ぶ。まことに陶然とさせられる筆の運びで、その文章自体が夢見の素材として良質極まりない。
 『五感で味わうフランス文学』は白水社の雑誌「ふらんす」に連載されたものが元になっている(ただし、マンディアルグ論は『ユリイカ』)。同じく「ふらんす」連載稿をまとめたのが堀江敏幸氏の『郊外へ』で、これもまたまことに香しい散文集である。なお、同時並行的に眺め暮らしている他の書物たちの名をあげておくと、『おぱらばん』『回送電車』『本の音』の堀江本と丸谷才一『ゴシップ的日本語論』。

★12月15日(木)

 梅原猛『美と宗教の発見』の第一部末尾に次の文章が出てきて、歌論を中心に据えながら日本の「感情の論理」(桑原武夫:209頁)や「感情の配置」(304頁)を論じる第二部へのつなぎの役割を果たしている。かつ第三部で主題的にあつかわれる日本の宗教心性(清き自然に対する崇拝)をめぐる問題への伏線が張られている。
《先に私は、自然を心の象徴として見るのが日本の詩歌の特徴であるといった。しかし、その象徴というのは、フランス象徴詩の象徴という意味と同じなのであろうか。心は果たしてとらえやすいものであろうか、それともとらえがたいものであろうか。それは比喩というべきであろうか、それとも象徴というべきであろうか。私はその問いを疑問のままにのこしてきた。この疑問はもっと深く問われるべきであろうが、今は次のように考えてみたい。日本の詩でいう象徴という意味は、フランス象徴詩の象徴という意味と違うのではなかろうか。日本の場合、象徴されるべき心も、象徴すべき自然も、本来は同じものであるという確信が、その世界観の背後に存在していないであろうか。われわれ人間も、自然そのものも、同じ生命の現われである。それ故、人間の心がどんなに複雑になろうとも、それは必ず自然の姿によって表わされるであろうという確信が、その背後にひそんでいるのではなかろうか。》(160-161頁)
 文中「それは比喩というべきであろうか、それとも象徴というべきであろうか」とある点については、引用箇所より少し先のところで「比喩の場合、比喩さるべきものは明確に把握出来うるものであるにたいし、象徴の場合は、象徴さるべきものは明確に把握出来ず、したがってそれは象徴によってしか暗示出来ないものである」(143頁)と説明される。
 ここで私が注目したいのは、「日本の場合、象徴されるべき心も、象徴すべき自然も、本来は同じものであるという確信が、その世界観の背後に存在していないであろうか」という部分である。梅原猛は『美と宗教の発見』第二部に収録された「壬生忠岑「和歌体十種」について」で、とりわけ「余情体」「写思体」「高情体」と名づけられた歌体(歌の風体、様式)に即して、このような「世界観」(和歌にあらわれた感情の論理)のありようを詳細に分析している。

 実は『美と宗教の発見』を入手して最初に読んだのが「美の問題」をあつかった第二部だった。とりわけ「壬生忠岑「和歌体十種」について」とこれに続く「世阿弥の芸術論」は、それこそこの二つの論考を読むために本書を購入したようなものだから、むさぼるように読み、鮮烈かつ深甚な知的感銘と感覚的・感情的刺激を受けた。
 「この時期[14?15世紀]の歌論、連歌論、その他多くの芸道論の類には、日本におけるひろい意味での哲学的制作に今後活用されるはずの多くの精神史的リソースが眠っているだろう」。坂部恵(『モデルニテ・バロック』)のこの一文から始まった私の中世歌論への関心、それをより一般化すれば、歌と神、身体と貨幣といった問題系を中世以降の日本の都市と村落の芸能と経済の歴史のうちに探索するといった大袈裟なものになるのだが、それはともかく、そうした関心からみて、これこそ私が読みたかった論考だと思った。
 その興奮の余韻はいまでも静かにつづいている。しかし、なにしろ第二部を読み終えたのはかれこれ一月ちかく前のことだから、梅原猛の議論の細部は私の頭の中でほとんど雲散霧消もしくは瓦解し、ただ空虚な輪郭と中身の残り香のようなものしか掬うことができない。じっくりと四股を踏んでいるうちに化粧回しが解けてしまった。こうして大仰で空疎な言葉ばかり書き連ねているのは、あの時私の頭の中にひらけていた見通しのラフスケッチでも残しておきたいという思いからだが、その作業はこことは違う場で行うべきことだろう。というわけで、いまあらためて梅原猛の論考を読み返している。

★12月16日(金)

 坂部恵『仮面の解釈学』によると、日本の古語における「しるし」とは「一つの現象[あらわれ]が、他のことなった現象[あらわれ]をしるしづけるところに成立する二重化された現象[あらわれ]にほかなら」(163頁)ず、「しるしにおいて、〈しるすもの〉と〈しるされるもの〉の間に、絶対的な序列は存在しない」(165頁)。
《この点、〈しるし〉という日本語は、シニフィアン(意味するもの)とシニフィエ(意味されるもの)の両側面をもつものとしてとらえられ、イデア界的な〈生ける現前〉としての〈先験的な意味されるもの〉le signife' transcendantal の先在という〈現前の形而上学〉を背景にもつものとして、デリダがやっきになってその解体をくわだてる〈記号〉signe の概念とは別物である。〈しるし〉の背景には、そのような、究極の〈しるされるもの〉の(いわゆる超感覚的・可想的な世界の)存在を想定する形而上学は、もとからして、ない。/しるしとは、すでにみたように、二重化された現象[あらわれ]にほかならない。〈しるすもの〉がひとつの現象[あらわれ]であるのとおなじく、〈しるされるもの〉もまた、もうひとつの現象[あらわれ]以上のものではない。したがって、〈しるすもの〉と〈しるされるもの〉の関係は、場合に応じて、逆転可能である。》(165頁)
 坂部恵の論は、これにつづいて「しるし」のさまざまな変奏形態をたどり、さらに「うつし身」へと転じ、さいごに「ことだま」へといたるのだが、このそれ自体ひとつの論理詩ともいうべき華麗なロジックとレトリックでもって綴られた酒精度の高い散文を、それ以上詳細にたどり反芻することが私にはいまだにできそうもない。かつて井筒俊彦の『神秘哲学』に酩酊したように、なにもかも忘れて没頭し耽溺しつくしたいとの思いがしだいに高じつつあるのだが、残念ながらいまの私はそこからたちかえるだけの体力に自信がない。
 坂部恵の「しるし・うつし身・ことだま」は歌学・歌論の書である。あるいは歌学・歌論のうちに織り込まれた「精神史的リソース」を濾過し、より広いフィールドに映し、移していくための手がかりが惜しげもなく鏤められている。少なくとも、そのような関心をもってこれを読むことができる。そして、梅原猛『美と宗教の発見』第二部の議論と接続することができるだろう。私が書きたかったのはそういうことだったのだが、昨日も書いたように、その作業はこことは違う場で行うべきことだろう。

★12月17日(土)

 岡田暁生『西洋音楽史──「クラシック」の黄昏』読了。「諸君、脱帽したまえ、名著だ!」
 本書は「音楽の聴き方」についてのガイドである。著者は自著をそう解説している。その意味は「音楽を歴史的に聴く」ということだ。西洋芸術音楽は「書かれたもの(エクリチュール)」である。そのルーツは中世グレゴリオ聖歌に遡るが、それはまだ日本の声明にも似た一種の呪文(神の言葉)であって、建築のように設計され組み立てられた「書かれた音楽」ではなかった(8頁)。西洋芸術音楽はまた必ずしも耳に聴こえる必要はなかった。「音楽は現象界の背後の数的秩序だ」という「特異な考え方こそ、中世から現代に至る西洋芸術音楽の歴史を貫いている地下水源である」(23頁)。たとえばバッハの偉大さは作曲家にしか理解できず、そのフーガの凄さは楽譜を「読んだ」時に初めて理解できる(89頁)ものだし、その「純粋な運動感覚」としての面白さは演奏家にしか実感できない(93頁)。
 そのような西洋芸術音楽の誕生と転身、興隆と衰退の歴史を、著者は記譜法や楽器の開発といった技術面、教会・王侯貴族・教養市民といったパトロン層や音楽が演奏される場の推移、そして宗教や民族意識といった精神史的系譜との関係をたくみに織り込みながら達意の文章で物語る。躍動感をもって綴られるその叙述には過不足がない。あまつさえクラシック音楽という、私たちが好むと好まざるとにかかわらずその中に生きている「音楽環境」もしくは「音楽制度」をあたかも異文化として聴く(いや「読む」)態度へと導いてくれる。

 私がとりわけ惹かれたのは、第二次大戦後の現代音楽の状況を前衛音楽・巨匠の名演・ポピュラー音楽の三つの相に分節して論じ、かつては福音であった実験・過去の伝統の継承・公衆との接点という三位一体がなぜ20世紀後半以降ことごとく呪縛に転じたかを描く終章だ。著者はそこで「一つ確実にいえることは、われわれはいまだに西洋音楽、とりわけ一九世紀ロマン派から決して自由にはなっていないということ、その亡霊を振り払うのは容易ではないということである」(228頁)と語る。そしてその唯一の例外がモダン・ジャズであったと書いている。
《第二次世界大戦以後の最も輝かしい音楽史上の出来事は、私の考えでは、一九五○─六○年代のモダン・ジャズである。大戦前のディキシーランド・ジャズやデューク・エリントンのビッグバンドやペニー・グッドマンのスイング等は娯楽音楽の領域を大きく超え出るものではなかったが、それに対して戦後のモダン・ジャズは、一種の「芸術音楽化」の路線を歩んだ。マイルス・デイヴィスやジョン・コルトレーン、セロニアス・モンクやビル・エヴァンズ、あるいはバッハ演奏でも知られたMJQなどにおいては、「即興」はほとんど見せかけにすぎない。楽譜として書き下ろしていたかどうかはともかく、演奏の細部に至るまで、彼らはあらかじめ相当緻密に設計していたはずだ。またマイルスのいわゆるモード・ジャズでは、頻繁にフランス印象派を連想させる旋法が現れるし、コルトレーンのポリリズム(異なるリズムを並走させる手法)──彼はアフリカやインドの音楽からも強い影響を受けたといわれる──は、ストラヴィンスキー並の複雑さだ(有名なアルバム《至上の愛》[一九六五年]には、もはや娯楽音楽の要素はまったくない)。ほとんど「作品」と呼んでさしつかえない構成の緻密さ、そして複雑かつ独創的な音システムの飽くなき探求の点で、モダン・ジャズは西洋芸術音楽と同様の性格を示しているのである。》(226頁)

 読後あらためて感じたのは、本書の通奏低音をなす二つの要素、すなわち宗教と経済、あるいは西洋音楽の始点に位置する「神の顕現する場としての音楽」とその対極をなす「商品としての音楽」、そしてそれらの中間にあって両者を媒介する「感動させる音楽」、すなわち西洋音楽のハイライトとしてのロマン派との三つ巴の相互関係の複雑かつ精妙なありようである。本書最終章の末尾に著者は次のように綴っている。
《現代社会において音楽が、ジャンルを問わず経済原理に呑み込まれ、消耗品となりつつあることは確かだ。クラシック音楽であれ現代音楽であれ、あるいは「世界音楽[ワールド・ミュージック]」と呼ばれる各地の民族音楽であれ、この事情に大差はない。よくポピュラー音楽がその元凶のようにいわれるが、…そもそも音楽の商品化は一九世紀西洋ではじまったとすらいえるだろう。それでも今なお音楽は、単なる使い捨て娯楽商品になりきってはいない。諸芸術の中で音楽だけがもつ一種宗教的なオーラは、いまだに消滅してはいない。カラオケに酔い、メロドラマ映画の主題歌に涙し、人気ピアニストが弾くショパンに夢見心地で浸り、あるいは少ししか聴衆のいない会場で現代音楽の不協和音に粛々と耳を傾ける時、人々は心のどこかで「聖なるもの」の降臨を待ち望んでいはしないだろうか? 宗教を喪失した社会が生み出す感動中毒。神なき時代の宗教的カタルシスの代用品としての音楽の洪水。ここには現代人が抱えるさまざまな精神的危機の兆候が見え隠れしていると、私には思える。》(228-229頁)
 神なき時代に生きる人々にとって「聖なるもの」が降臨するもうひとつの場が劇場ではないか。いや、電子テクノロジーと映像技術によって仮想化された映画館こそがそうなのではないか。少なくとも20世紀のある時期、そのような時代があったし、今なおそうなのではないか。たとえば本書の随所に、名演を収録したCDとともにかつて音楽が聴かれた場を追体験できる映画がいくつか紹介されている。たとえばグレゴリオ聖歌が唱えられた中世修道院世界(『薔薇の名前』:8頁)、「王の祝典のための音楽」が奏でられたバロック時代の宮廷(『カストラート』『王は踊る』:68頁)など。映画と音楽のあいだには、(おそらく)いまだ汲み尽くされていない水脈が流れている。

★12月18日(日)

 『物質と記憶』第三章の残り五節を読んだ。生命体の感覚=運動的基体をなす知覚の平面と記憶の逆円錐。本性上異なるこれら二つのものがただ一点で交わり、記憶はそこで現実と接触する。たんに「演ぜられる」心理的生活(知覚の平面S)ともっぱら「夢みられ」てだけいるようなそれ(記憶力の基底=円錐の底面AB)。この二つの極限状態の間を動いて、かわるがわる中間的断面にあらわされる位置をとる通常の心理的生活(A'B',A''B'',……)。本書183頁に示されたこの高名な図を念頭におけば、ここでのベルクソンの叙述はいささかの抵抗もなくすんなりと頭に入ってくる。
 知覚の平面で経験される「感ぜられ、生きられる類似」(181頁)が「精神の工作」(185頁)を経て、それ自体で自足している記憶心象・独立的イマージュを産み出す。まず記憶力のはたらきが類似の布地の上に差異の多様性を刺繍し、個を弁別する。次いで悟性が全体から部分への解体作業を進め、類を構築する。第三章末尾の五節では、こうした類似と近接による観念連合のプロセスをめぐる議論が説得力をもって展開される(現代の脳科学者がこの議論に説得されるかどうかは判らない)。

 大雑把にいえば、類似とは空間的(正確には無時間的)な位置関係や形にかかわるもので、近接とは時間的(正確には時空間的)な先後関係のことだろう。この二つはどこか意味記憶とエピソード記憶の区分を連想させる。だとすると、ベルクソンが「記憶力の基底をあらわす極限の平面では、近接によって先立つ出来事ばかりか後に来る出来事の全体とも結びついていないような記憶はない」(191-192頁)というとき、夢想の平面(AB)における極限のエピソード記憶とは、まさに(終末論的な)未来感覚をもった歴史記憶とでもいうべきもので、それはショーペンハウアーの「意志」の世界にうごめいているものなのではないか。
 そのほか、私たちがもつ「現実感」とは「私たちの有機組織が刺激にたいして自然に反応するための効果的運動について、私たちがもつ意識のことである」(197頁)という言い方はどこかスピノザを思わせるとか、あるいはベルクソンが語る記憶の存在様式はホログラフィとかフラクタルを連想させるなど、あれこれ「発展」させると面白い素材がふんだんに盛りこまれている。
 あるいはまた、純粋イマージュ(AB)から行動(S)へと収縮する記憶の運動には法則があって、「人の心を描く画家」(191頁)すなわち心理小説家が描く観念連合が真実であるかどうかはこの法則に適っているかどうかによるという議論は、心理小説ではなく『物質と記憶』のような哲学書の場合にはどうなるのか。端的にいうと、ここ数か月つづけているこの独り読書会は、八年を要したという『物質と記憶』執筆時のベルクソンの高次の精神生活を反復しえているのだろうか。

 書物を読んですらすら頭に入ってくるときは要注意だ。特に哲学書を読んで抵抗なく理解でき、空想・連想・妄想の類が跋扈するときは危険だ。図式化され平板化された了解をただなぞっているだけで、そこにはいささかの記憶の収縮も精神の緊張も伴っていない。哲学的思惟もどきが自動的に演ぜられているだけだ。自戒の意味もこめて、以下に第三部末尾の文章を二つ抜き書きしておく(現代の脳科学者がこの議論に説得されるかどうかは判らない)。

《しかし観念は、生きていく力をもつためには、どこかで現実にふれること、すなわち段階を追うて、それ自身を漸次減少あるいは収縮しながら、精神によって表象されると同時に身体によって多少とも演ぜられうることが必要であろう。私たちの身体は、一方ではそれが受け入れる感覚と、他方ではそれが遂行しうる運動とをあわせもって、まさに私たちの精神を固定させるもの、精神に底荷と平衡をあたえるものである。精神の活動は記憶の累積を無限に超えるものであり、記憶の累積自身もまた、現在時の感覚と運動を無限に超える。しかしこの感覚と運動が、生活への注意ともいうべきものを条件づけているのであり、それゆえに、精神の正常な働きにおいては、ちょうど頂点を下にして立つピラミッドのように、すべてがそれらの凝集にかかっているのである。
 さらに最近の発見から明らかになったような神経系の精細な構造を一べつするとよい。伝導体はいたるところにみとめられそうだが、中枢はどこにもみとめられそうにないだろう。数多の繊維が端と端を向き合わせて並んでいるし、流れが通過するときはたぶん先端と先端が近づくらしいが、それだけしかわからない。またもし、私たちがこの書物の中でずっと仮定してきたように、身体は受けた刺激と遂行される運動との出合う場所にすぎないということが本当ならば、おそらくそれだけのことしかないであろう。しかし外界からの動揺や刺激を受けとり、適切な反応という形でそれらを外界へ送り返すこれらの繊維、末梢から末梢へといかにも精妙に張りめぐらされたこの繊維は、まさしくそれらの結合の堅実さと、交錯の精確さによって、身体の感覚=運動的平衡、すなわち現在の状況への順応を確保する。この緊張がゆるむか、この平衡が破壊されるかすれば、あたかも注意が生活から離れ去ったかのように見えるだろう。夢や狂気は、ほとんどこれ以外のものとは見えない。》(195-196頁)

《身体が記憶を脳の装置の形で保存するとか、記憶力の喪失や減退がこの機構の多少とも完全な破壊を本質とするのにたいし、記憶の高揚や幻覚は反対にその活動の行き過ぎにあるとかいう考えは、それゆえ、理論によっても事実によっても確証されない。(中略)すべての事実、またすべての類推は、脳にただ感覚と運動の媒介のみを見ようとする理論、すなわち、この感覚と運動の総体を精神生活の先端、出来事の織物の中にたえずはいり込む先端であるとし、こうして記憶力を現実へと向け現在に結びつける唯一の機能を身体に帰しつつ、この記憶力そのものを物質から絶対独立したものとみなすような理論に有利である。この意味で脳は有益な記憶を喚起する役に立つが、さらに他の記憶を暫定的に斥けるのにもいっそう寄与するところが多い。記憶がどうして物質の中に住むようになるかは知らないが、──現代のある哲学者の意味深い言葉にしたがって──「物質がわれわれの内に忘却を置く」ということは、私たちにはよくわかるのである。》(198-199頁)

★12月19日(月)

 イグナシオ・マテ‐ブランコの『無意識の思考──心的世界の基底と臨床の空間』(岡達治訳)を買った。以前、『現代思想』(vol.24-No.12,1996)でブランコの「分裂症における基礎的な論理─数学的構造」(廣石正和訳)を読んだことがある。無意識の論理は、科学的な二値論理を代弁する「一般化の原理」とそれからの違反・逸脱としての「対称の原理」からなるバイロジカルなものである。ブランコはそのように規定した上で、数学の無限集合論を使って対称の原理の一つの帰結である部分と全体の同一性を考察している。以下に、その「原理」を書き写す。

【一般化の原理】
1.無意識は個体(人間、事物、概念)を、他のメンバーもしくは要素を含む集合もしくはクラスのメンバーであるかのようにあつかう。無意識はこのクラスを、より一般的なクラスのサブクラスとしてあつかい、このより一般的なクラスを、さらにより一般的なクラスのサブクラスもしくは部分集合としてあつかい、以下同様に進んでいく。
1-1.クラスや上位のクラスを選ぶにあたって、無意識は、一面では一般性を増すとともに他面では出発点となった個体の個別的特徴を保持してもいるような命題関数を選好する。

【対称の原理】
2.無意識は、あらゆる関係の逆をその関係と同一のものとしてあつかう。いいかえれば、非対称的な関係を対称的であるかのようにあつかう。
2-1.対称の原理が適用されるとき、時間的継起はありえない。
2-2.対称の原理が適用されるとき、部分は全体とかならず同一となる。
2-2a.対称の原理が適用されるとき、ひとつの集合もしくはクラスのあらゆるメンバーは互いに同一のものとしてあつかわれ、また全体の集合もしくはクラスと同一のものとしてあつかわれる。したがって、それらのメンバーは、そのクラスを定義する命題関数をめぐって互換的なものとなり、またそれらのメンバーを区別するあらゆる命題関数をめぐって互換的なものとなる。
2-2aa.無意識は個体を知らず、クラス、あるいはクラスを定義する命題関数しか知らず、それゆえ個体を命題関数であるかのようにあつかう。
2-2aaa.クラスもしくは命題関数は個体の特徴をもつかのようにあつかわれる。すなわち、それらは「拡大された」もしくは「一般化された」個体のようなものである。
2-2b.対称の原理が適用されるとき、pかつpの否定というタイプに属するものを命題関数とするクラス、つまり定義のうえでは空となっているクラスが、空でないかのようにあつかわれることがある。
2-2c.対称の原理が適用されるとき、全体の各部分のあいだに隣接の関係はありえない。

 この論文も含めてブランコのことは、中沢新一『対称性人類学』(カイエ・ソバージュ?)でも再々言及されていた。ブランコの研究は、中沢人類学(対称性人類学)において、神話の思考と無意識を結ぶ最後のリンクであったという(7頁)。
 神話の思考の特徴は、現実世界の非対称性を反転する対称性の論理、イメージの圧縮や置き換えによる高次元的リアリティの表現、全体と部分がひとつながりになる「クラインの壺」の構造(高次元トポロジー)の三つに要約できる。レヴィ=ストロースは「神話は無意識のおこなう思考である」と語った。だとすると、ここにあらわれた特徴はすべて「無意識」のうちにそっくりみいだされなければならないはずだ。無意識といえば精神分析学の特権的な研究分野だったわけだから、精神医学の側からこのような視点に立って無意識を描いた研究がどうしてもほしくなってくる。こうして中沢氏はブランコをもちだすのである(52頁)。
 そこで取りあげられるブランコの著書は『無限集合としての無意識──複論理[バイロジック]の試み』(The Unconscious as Infinite Sets──An Essay in Bi-logic,Karnac Books,1975)である。本書『無意識の思考──心的世界の基底と臨床の空間』(Thinking,Feeling,and Being──Clinical Reflections on the Fundamental Antinomy of Human Beings and World,1988)はそれ以後に書かれた著書で、訳者まえがきによると、ここに展開されているのは「無意識という“多次元空間・無限次元空間”の鳥瞰図」である。
 買いためて読み囓っては放置したままの本が山積みになっている。いつ読めるかわからないが、もしかするととんでもない鉱脈が『無意識の思考』のうちに眠っているかもしれないと私の直観が告げる。年末年始にでも読めればいいと思うが、どうなるかわからない。

★12月20日(火)

 梅原猛『美と宗教の発見』第三部の第一論文「「固有神道」覚え書き」の冒頭に次の文章が出てくる。「しばしば物の真相は、一つの体系で説明されるより、そのものの真相を追究する多くの断片的に見える観察と思惟の束によって明らかになることがある。私はここで哲学者の体系の一貫性よりも、芸術家の感性の豊富さを学びたい。」(309頁)ここに書かれていることは「固有神道」一篇だけにではなく、本書に収められた十篇の論文のすべてにあてはまるだろう。とりわけ第二部の、それもこれまでこの日記で再々(その内容にはほとんどふれずに)言及してきた「壬生忠岑「和歌体十種」について」と「世阿弥の芸術論」において。歌論や能論の話に入るときりがなくなる。ここでは第三部の話題に限定して、この平田篤胤批判の「固有神道」が「世阿弥」に、続く第二論文「浄土教的感情様式について」が「壬生忠岑」に相即していることを指摘して、今後の作業のための覚え書きとしておく。

 梅原猛は、神道の価値の中心は清浄にあるという(323頁)。たとえば林羅山『神道伝授』はこう記す。「心の清きは神のまします故也。鏡の清く明なるが如く。弥清くする故に、鏡の中の、にごりのガをのけて、カミと申也。」この浄の価値は美的価値概念に尽きるものではなく、善・真・聖をもとり入れている。「宣長は、おぼろげにこのことを自覚していた。「都美[ツミ]」ないという清浄の境地は、同時に「つゝみなく」という意味でもあると彼は言う。つつみなく真の自分をかくさない。どんな自分のみにくいすがたでもありのままにあらわすことがつつみなくなのである。/鏡が神の象徴として用いられたのも、このような価値論のためなのである。」(325-326頁)
《浄という価値は、美的価値を中心とする価値の化合物であった。この化合物を最高価値とすることによって、日本人は一つの価値の専制からまぬがれたのである。真なら真、善なら善の価値のみが支配することは、結局、人生と世界との半端な見方である。特に善の価値を中心にし、しかも最大の善の価値を、たとえば『法華経』を崇拝するなどという、はなはだ恣意的なものに置こうとするとき、その価値論は、暴力的に集団のエゴイズムをあらゆる人におしつけようとする価値論になるであろう。われわれの民族は既に何千年の昔から、このような一元的価値論よりはるかに精妙で自由な価値論をもっていたのである。》(「「固有神道」覚え書き」328頁)
 このような価値論は日本人の生活そのものを貫いている。たとえば『坊っちゃん』に人気があるのは坊っちゃんの心の清さ故であろうし、坊っちゃんにとっての理想の人は清[きよ]であった。また漱石は『明暗』で唯一の理想的人物として清子を登場させている(333頁)。ところが国学者たち、特に平田篤胤による純粋化(仏教の影響の排除)を経た明治以降の神道(古神道=固有神道)は政治に従属するものとなった。清浄という価値論だけでなく、生けるものとしての自然を中心にする神道の存在論も政治に従属させられた。それは人間中心の存在論と神の人間化をおし進めた「ヨーロッパ的な神道」(335頁)にすぎなかった。
 以上が「「固有神道」覚え書き」のあらすじである。ここに出てくる美と政治のかかわりは「世阿弥の芸術論」のテーマにつながる。

 梅原猛は、世阿弥の芸術論のほとんどすべてが歌論に範をとったものであり、その中心をなす三体論(女体、老体、軍体)には後鳥羽院の和歌三体和論(恋旅=艶に優しく、秋冬=細くからび、春夏=太く大きに)の影響があったのではないかと考えている。
《私はここで必ずしも世阿弥に後鳥羽院の直接の影響があったと断定する気はない。もし私がそう断定したら、実証ということだけで芸術や芸術論が理解出来ると思っているかのような世阿弥研究家たちは、私の乱暴な結論を非難するであろう。しかし直接の影響より、もっと大切な問題がある。それは一つの文化の流れにおける精神の構造の類似性である。一つの精神の流れにおいて、深く思惟する思想家たちは、おのずと思想的情熱の内面的必然性により、先人と同じ問題を考えることにより思想の類似性を獲得するのである。世阿弥が後鳥羽院と同じような分類に達したのは、彼らが同じ精神の流れにおいて、生命そのものの持つ形を熟視したからである。戦後、人は物質だけに形があり、精神には形がないと思っているが、精神は客観的なそれ自身の形と論理を持っているのである。その精神の形を見つめることから新しい精神史の試みがなされねばならぬであろう。後鳥羽三体と世阿弥三体との間には精神の形の類似性がある。しかし、類似性と同時に差異性も無視することが出来ない。後鳥羽三体が美的理念の分類を主として季節の差異によって行なったに対し、世阿弥はそれを人間の生命の様式の差異によって行なった。人間の生命の差異という客観的な差異の基準を見出したという点において、世阿弥の三体の方が論理的であろう。》(「世阿弥の芸術論」255-256頁)
 長々と引用した。「精神は客観的なそれ自身の形と論理を持っている」という本書全体の通奏低音ともいうべきテーゼの前後の文脈を省略することなく抜き書きしておきたかった。そして歌体とは感情の形(様式)であると同時に「生命そのものの持つ形」であり「精神の形と論理」であるという、このところ私が強烈に関心を寄せているテーマにかかわる重要な命題を正確に書き写しておきたかった。さて、美と政治の問題。このことについては、「世阿弥の芸術論」末尾の一文に尽きている。
《世阿弥の芸術論のことを考えるとき、私はいつも金閣寺のことを思うのである。世阿弥の保護者であった足利義満によって建てられた金閣寺は、三層の建物である。一層は王朝風の寝殿造り、二層は武士風の書院造り、三層は禅宗風の建物であると言われているが、私はこの三層の奇妙な配置の中に、義満の文化統合の原理を見るのである。つまり、基本に王朝精神をおき、その上に武士道精神と禅宗精神をおく、三重の精神構造は、義満の文化統合の原理ばかりか、政治統合の原理であったかもしれない。世阿弥の三体論は、その精神構造において、義満と同じなのである。一層に幽玄の女体を、その上に軍体と老体を置いているのである。たしかにその点で、世阿弥美学は義満美学と同じものであったろうが、世阿弥には、幸福な政治的支配者のもたない独自な美の世界があった。それは、おそらく、狂人と鬼と死霊を主人公とした闇の煩悩の荒れ狂う世界であったが、そのような衝動のはげしさが、ここでは静かな観照の精神と共存しているのだ。世阿弥においては、まだ明らかにされねばならない多くのものがある。そしてそれを明らかにするのは、同時に、日本文化そのものを明らかにすることなのである。》(「世阿弥の芸術論」270-271頁)

★12月21日(水)

 昨日書き残したこと。「浄土教的感情様式について」と「壬生忠岑「和歌体十種」について」の不即不離の関係。いずれも日本の宗教と和歌にあらわれた「精神の形と論理」をめぐるマグマのような熱のこもった論考で、要領よくその論旨を捌いてみせても(そんなことはとてもできない)冷え切った火山岩がごろごろと醜い姿をさらすだけのこと。ここではただ素材を生のまま抜きだしておく。まずは平安朝貴族たちの「浄土的意識」における「否定の美学」を論じたくだりから。
《[闇につつまれた現在の世界の]遠い向うに、光[浄土]がある。光は既に現在においてあきらかになっている。しかし、光はまだ十分、明らかでない。実在する光を、遠く離れた距離から、ちらりちらりとほの見ること、この既に光を見る喜びとまだない悲しみの交錯した美意識が、おそらく「幽玄」と称せられる中世の美意識の姿であり、その美意識の形成に、浄土教が大きな役割をしているのではないかということは、既に私が他の論文で分析した所である。》(「浄土教的感情様式について」)
 次に、その「他の論文」の該当個所を(前後の脈絡を抜きにして)引用する。
《これはたいへんむつかしい問題である。この問題は美と宗教の交錯する問題であり、たとえ忠岑の十体論における美的評価が、『観無量寿経』にとくに浄土教的感情内容と類似しているとしても、十体が、浄土教を受け入れやすくなっていた平安貴族の感情を語っているのか、あるいは十体の中にすでに浄土思想のはっきりした影響があるのか、今の私は前の説をとりたいが、一概に断定出来ない問題である。しかし、はっきりいえることは、少なくとも近代まで、人間の感情には宗教というものが大きな影響をあたえたものであり、したがってわれわれは、感情のもっとも明瞭なあらわれを美や芸術に見るにせよ、この美や芸術の感情の形を宗教との関連において考えねばならないということであろう。人間が作り出したもっとも微妙で神秘な世界、それはおそらく芸術と宗教の世界であろうが、この両者の関係をとくかぎがこの感情というものなのである。
 とにかくこの忠岑十体は、日本人の美意識に大きな影響をあたえる美意識を、高情としての幽玄の美意識を作り出したのである。その美意識は、浄土教的なものと調和出来る美意識であり以後の日本人の美意識に大きな影響を与える。この美意識が平安時代を貫く美意識であったとすれば、新しい歌はそれにたいする反駁として出現する。「貫之、[……]余情妖艶の体をよまず」といって歌を寛平以前の姿にかえそうとした定家の主張は、おそらくは忠岑に始まり、公任[藤原公任]によって一層はっきりさせられた歌論への反駁であったのであろう。》(「壬生忠岑「和歌体十種」について」235-236頁)

 ついでに忠岑十体のエッセンスが述べられる部分を(これもまた前後の脈絡を抜きにして)引用する。
《このように十体論を見ると、われわれには忠岑の「十体論」がかなり精密な美的感情の分類であるばかりか、そこに一種の美的感情の発展運動さえみとめられるように思われる。まず古歌体で、対象の動きのはげしい感情が拒否され、直体において、感情はうつりゆく自然や人生への喜び悲しみとなり、余情体ではその悲しみが得られない対象を思う感情に深まり、その悲しみの感情が更に写思体では絶望の自己意識となるが、一転して高情体では、感情は遠い実在する光にたいするあこがれとなり、更に器量体ではその光が広々と眼前に広がる爽快の感情となるが、最後にこの感情が、理性化され、あるいは推論し、あるいは観察し、あるいは比較する感情の希薄化された姿で終るのである。この十体論の中にあるいは漢詩の起承転結の法則を忠岑は意識的にもりこんだのかもしれない。
 それは見事な意識の動きのとらえ方のように思われるが、写思体から高情体への変化の中に一つの大きな転換があるかに思われる。それは対象が、人間から自然にうつったのみではない。絶望にまで否定的に深まった意識が、ひそかに肯定の感情へと転化されるのである。忠岑が余情体を重んじながら、高情体を一番重視したのは、一つの美意識の革命であったように思われる。おそらく余情体、写思体に属することが多いと思われる六歌仙時代の悲哀の調子の強い歌体より、遠い光への憧れを歌う古今以後の歌体へと変化するのである。こうして幽玄の理念が形成されるのである。忠岑においては幽玄は余情体ではない。幽玄は高情体である。それは悲哀の色濃い感情ではなく、深く隠れた実在者がヴェールの彼方から見えがくれする、憧れと悲哀のまざった複雑な感情なのであろう。高情体、幽玄体が歌の最高理想とされることにより、悲哀のはげしい歌よりおぼろな憧憬の歌の方が、中古の理想となるのである。》(「壬生忠岑「和歌体十種」について」232-233頁)

★12月22日(木)

 抜き書きが楽しくなってきたので、もう一つついでに。「浄土教的感情様式について」に「二十五三昧式」(『恵心僧都全集』)からの引用文──「次に、人道とは此の身常に不浄にして、雑穢其の中に満つ。内に生熟臓あり、外には皮膜を相ひ覆へり」云々──を「見事な文章である」と讃える箇所がある。「われわれはそこに『平家物語』や『徒然草』や『方丈記』の文章の先駆を見るであろうが、われわれがこうした感情や、こうした思想を創造者の手によるより、模倣者の手によって知ってきたとしたら何と悲しむべきことであろう。」(345頁)これと同趣旨のことは第一部にも何度か出てくる。いまその一例を引用しておく。
《廃仏毀釈は決して、既に終った歴史的事件ではない。国学や水戸学は既に影響力を全く失ったわけではない。たとえば、国語教育。明治以来、すべての中学生は、国語と漢文を習った。国語では、主として、『枕草子』『徒然草』『方丈記』『おくのほそ道』など、漢文では『論語』に、『孟子』に、『十八史略』などを習った。もしもこのようなものが、日本および中国の古典であるとすれば、かつて日本人の教養の中で、大きな位置を占めていた仏教の教養はどうなったのだろうか。たとえば、雄大な思想を比類なく雄渾な文体にもった見事な空海の文章、一言一句が無常な人生の前にたつ緊張感にふるえるかのような源信の文章、あるいは、内面の深い罪のうめきを、執拗に追いかけるような親鸞の文章、そして、無類の宗教的情熱を、断定的な命題に託した日蓮の文章、それらの文章は、日本のもっともすぐれた人間が達することの出来た、もっとも深い精神の表現だと思うが、こうした文章は、一切国語教育から落されてゆく。熱烈に自己の主張を語るとき、人は必ず宗教的にならざるをえないが、こうした宗教的な文章は、いっさい国語の教材から落される。そして兼好とか長明とかという、人生にたいする積極的情熱を欠いたニヒルな人間の文章が、日本の文章の模範とされるのである。
 国語教育は、その国の最高の人間が書いた、豊かな思想と深い情感にみちた最良の文章によって行なわれるべきである。そして、古い文化をもち、しかも仏教が文化の中心にしみこんだこの国では、もっともすぐれた精神は、多く仏教思想のかたちをとって己れの思想を語った。しかも仏教はキリスト教のように、単一の教義への信仰ではなく、むしろ、それは仏説の実にさまざまな解釈をゆるす百花繚乱たる思想なのである。(以下略)》(89頁)
 「日本人の宗教的痴呆」のサブタイトルをもつ第一部の第二論文「明治百年における日本の自己誤認」からの抜き書きである。このあと数頁にわたって梅原猛の名調子が続く。「かつて日本人は『観経』を読み、そこに魂の深い不安の姿を見た。かつて日本人は『観音経』を読み、そこに生命の変化の神秘を感じた。かつて日本人は『般若心経』を読み、そこに煩悩を離れる生命の知恵を見た。こうしたいくつかの深い精神の書から、われわれは永い間遠ざかってしまった。」(91-92頁)全文引用しておきたいが、これくらいで止める。(いまは歌論で手一杯。とても「深い精神の書」にまで手がだせない。)

★12月23日(金)

 昨日まで二泊三日で東京へ出張。旅先ではいつもきまって食べ過ぎる。食いっぱぐれるのをおそれるからだが、とうに夕食をすませているのにコンビニでカップ麺やらバターピーナツやらを買ってホテルに持ちこみ、買った以上は食べないともったいないと思って胃腸薬といっしょに胃に押しこむのはどう考えたって倒錯している。寒波には負けなかったけれど、おかげで躰の調子がおかしくなって頭がぼおーっとしている。
 旅先で読んだのは薄い文庫本三冊。まず、ちくま学芸文庫から先月出たジョルジュ・バタイユの『ランスの大聖堂』(酒井健訳)。本文が150頁で、訳者の解説やあとがきが50頁。本文にも詳細な訳註や図版がついていて、読むだけなら新幹線で新神戸から東京までの2時間少々で十分読み終える勘定だが、なにしろバタイユのテクストは訳者がいうように「寝転がって読めるだとか、通勤電車のなかで楽しめるといった気楽な読書からは程遠い」代物だから、二つか三つの短いテクストを繰り返し読んでいるうちあっという間に予定の時間が過ぎていった。ちくま学芸文庫からはこれ以外に『文学の悪』(山本功訳)と『エロスの涙』(森本和夫訳)と『宗教の理論』(湯浅博雄訳)と『呪われた部分 有用性の限界』(中山元訳)と『エロティシズム』(酒井健訳)の五冊が出ていて、いずれも読み囓ったまま。バタイユの著書は学生の頃、チェーザレ・パヴェーゼの作品とともに『眼球譚』や『空の青み』といった小説に熱中して以来、これまでから何度も何度も読んできたが、小説作品以外まともに最後まで読み通せたためしがない。これを機に、ピエール・クロソウスキーともども集中的に読みこんでみたいという思いが募ってくるけれど、当面の「読書計画」にもぐりこませるのは至難の業。
 文庫カバー裏の紹介文がよく出来ていたので、書き写しておく。《21歳での処女出版『ランスの大聖堂』と、第2次大戦前後の重要テクスト選集。1918年の表題作は信仰時代の青年バタイユの貴重な証言であり、すでに聖性における究極の脱自という生涯のテーマがうかがわれる。ほかに、信仰放棄後の地母神と大地の闇に光を当てるディオニュソス的母性論、消尽のエネルギーを論じるプロメテウス=ゴッホ論など『無神学大全』の思索の原型から、戦後のシュルレアリスムへの逆説的擁護や実存主義との対決、凝縮されたイメージに神を透視する論考など17のテクスト。バタイユ最初期から中期のエッセンス。》

 旅先で読んだあとの二冊は、新潮文庫の『桜の園・三人姉妹』と『かもめ・ワーニャ伯父さん』(神西清訳)。いわゆるチェーホフの四大劇。いずれも同じ神西清訳の中公全集版で読んだことがあるし、文庫もたぶん持っている。チェーホフの戯曲のなにがこれほど面白いのか、それを言葉で説明することはむつかしい。「静劇」と呼ばれるチェーホフ独特の舞台空間。そこでは出来事らしい出来事が何も起きない。出来事はすべて舞台の外で進行する。そういった言い古された言葉が、しかしそうした言い方でしか表現できないある空虚な実質をともなって、チェーホフの戯曲を読むという体験とともに立ちあがってくる。
 それにしてもチェーホフの戯曲を読むというポジションには独特のものがある。その昔、宇野重吉の『チェーホフの『桜の園』について』を読んで、なるほど演出家とはこういうふうに戯曲を読むのかと感心し(具体的な中身はまるで覚えていないが)、同時にチェーホフの戯曲がはらんでいるある過剰なもの、そしてそのことと表裏をなすものとしてのある過小さ、もしくは意図的に書き込まれていないものが読み手の側の解釈や批評へ向けた欲望をかきたてる、そうしたチェーホフ独特の作劇術に驚きかつ魅了されたことがある。昨日、一昨日と続けて読み耽ってみて、あらためてそのことに思い至った。いったいどうしてこれほどまでに面白いのか。面白く読んだのならそれでいいじゃないか、ではなぜか納得できないのである。
 バタイユと並べて読むのにふさわしかったかどうかは何とも言えないが、とつぜんチェーホフの戯曲を読んだことには訳がある。先日、なにか新刊書をサクサクと読みたくなり、タイトルに惹かれて『チェーホフの戦争』(青土社)を買った。数頁読んで、この文体はあの『よくわからないねじ』や『茫然とする技術』で「脱力感みなぎる」エッセイを書いている宮沢章夫の文体だと思いあたって、著者名を確認するとやはり宮沢章夫だった。この人の本職は劇作家・演出家で、ネットに残っていた「富士日記」や「不在日記」を読むとたしかに劇作や演出をしているし、小説も書いている。
 そういうことはどうでもよくて、『チェーホフの戦争』をちゃんと読むためには、そこでとりあげられているチェーホフの四大劇をきちんと読み直しておかないといけないと思ったので、さっそく読んでみたわけだ。チェーホフ熱が再発したのはその余禄のようなもので、ようやく9巻目にさしかかった中公全集版をひもといてみるのもいいけれど、「寝転がって読めるだとか、通勤電車のなかで楽しめるといった気楽な読書」のために、旅行からの帰りに新潮文庫から出ている三冊目のチェーホフ本『かわいい女・犬を連れた奥さん』(小笠原豊樹訳)を買ったのだが、これもたぶん持っている。

★12月24日(土)

 宮沢章夫『チェーホフの戦争』読了。書名に惹かれて衝動買いをして、それほど期待もしないで読み始めたらたちまち引き込まれ、とうとう最後まで一息に読み切ってしまった。息継ぎを忘れたわけではないが、気分としてはチェーホフの四大劇を幕間の休憩もなしに一気に観終えてようやく一息ついた感じ。思わぬ拾い物だった。拾い物どころか、これは画期的に面白い名著だ。
 どこが画期的かというと、まず『桜の園』=バブル経済下の「不動産の劇」、『かもめ』=高度消費社会とフェミニズムの文脈で読まれるべき「女優という生き方をめぐる劇」、『ワーニャ伯父さん』=リストラ中年男性の鬱を若い女性の視点から身体化した「憂鬱の劇」、『三人姉妹』=仄暗い未来の予兆に苛まれた「戦争についての劇」と、資本主義経済が極まった1980年代後半から「戦争前夜」ともいえる現代にいたるここ20年の日本の社会状況、とりわけ経済と政治の趨勢をたくみに重ね合わせながら、チェーホフの戯曲がもつ「現在的な読みの可能性」(183頁)を鮮やかに引き出してみせた宮沢章夫の手腕が素晴らしい。
(本の腰巻きにはこう書いてある。「「資本」をめぐる四つの悲しい喜劇」。「土地、女性、自殺、戦争……没後百年を経て、ますます生々しさをますチェーホフの4大戯曲を、気鋭の劇作家/演出家が精緻に読みとき、現代の〈戦争〉にそなえるための構えを模索する傑作評論」。)
 その手腕が存分に味わえる本書の読み所は、「ある目的、つまり「あるせりふ」を言わせるための伏線を緻密に組み立てるきわめて構築的な作家である」(202頁)チェーホフの戯曲に対して、かのエッセイ群でいかんなく示された宮沢章夫の細部(と細部の関係)への、いささか狂気じみたこだわりがものの見事にフィットしているところだろう。「人々のやりとりのあいだに、ひっそり埋め込まれている」(207頁)不可解なせりふへの注視をはじめ、人物の登場や退場の仕方、衣装や年齢や場所についての指示、舞台の外から聞こえる音、「間」、「舞台空虚」等々のさりげなく記されたト書きへの注目。
 演出家ならではの着眼点といいたいところだが、そうではない。それらはチェーホフの場合「わざわざ」書き込まれている。「こうした細部にこそ見落とすことのできない劇の核心があるとも読める」(202頁)。だからこそ細部を読み解かないかぎり、戯曲を戯曲として「読解」するという本書のねらいは果たされない。すなわち、劇は動かない。チェーホフがその戯曲のうちにしかけた運動性のようなものが見えてこないのである。

 しかしこの本の本当の面白さは、そうした戯曲「読解」の趣向や手法や技倆だけにあるのではない。いま「本当の面白さ」と書いたが、面白さにホンモノとニセモノがあるわけではない。AかBか、否定の否定は肯定であるといった単純な論理でチェーホフの戯曲や宮沢章夫の文章を読むほど愚かしいことはない。「本当の面白さ」は、ホンモノとニセモノの区分のもう一つ外側にある。
 チェーホフの作品は上演当時「静劇」と呼ばれた。舞台の上では何事も起こらず、舞台の外で事件は起こる。宮沢章夫は本書で、「チェーホフの劇作法として特徴的な、「舞台上に起こっている出来事と、その外部で発生している出来事」との関わり」(46-47頁)について考えた。そして、陰鬱で悲劇的な『桜の園』や『かもめ』にきっぱりと記された「喜劇、四幕」の意味について考えた。その「読解」の結果、宮沢章夫が見出したものは、チェーホフ的な「醒めた目」(55頁)であり、「メタレベルで演劇を見ているチェーホフの視線」(65頁)であり、「空虚を表現として出現させるチェーホフ特有のイロニーに充ちた技法」(198頁)であった。
 たとえば『三人姉妹』第一幕ト書きで「円柱のならんだ客間。柱の向うに大広間が見える」と指示された舞台空間をめぐって、宮沢章夫はこう書いている。
《舞台に二つの空間が設定されている。「大広間」とは隔離された場所(=客間)を設けることによって、たとえばイリーナとトゥーゼンバフだけが残ってマーシャについて語るように、「客間」に二人の姿だけが残され、ほかの者らに会話を聞かれないようにするのは、ごく単純な技法として読める。けれど、空間そのものが表現としてあるとも想像できるのは、なにしろ、「広間では一同テーブルにつく。客間には人影がない」と書かれたとき、「人影がない」というその空虚さが、まず一番に観客の目にも届くものだからだ。空虚を通して「円柱」の向こうで演じられる劇を見ることになる。同時に、舞台に広がるのは、先にも書いたような「朗らかさ」である。「朗らかさ」を裏付ける照明の光は、舞台を覆うように降り注ぐと想像できるが、空虚を表現として出現させるチェーホフ特有のイロニーに充ちた技法によって、幾重にも光は屈折し、登場人物たちをまた異なる姿として出現させるだろう。》(197-198頁)
 「メタレベルで演劇を見ている」のは作家チェーホフであり、同時に批評家宮沢章夫である。その「メタレベル」においてこそ、桜の木に斧を打ち込む「遠い音」がバブル経済の槌音と響き合い、妊娠した女優に向かい「女優だったらその窓から飛び降りてみろ」と言い放つ演出家の言葉にこめられた演劇集団の生‐政治性が浮かび上がり、47歳のワーニャの鬱が同年齢の宮沢章夫や石破防衛庁長官(イラクへの自衛隊派遣当時)の身体性(の欠如)と通じあい、未来の戦争の予兆に苛まれた「作家の鋭利な知覚」(230頁)がはたらく。宮沢章夫が本書で達成したアクロバティックな、それでいて身体の運動性にしっかりと寄りそった「読解」は、来るべき「批評」の一つのかたちを示している。

     ※
 上に書いたことと直接の関係はないが、以下に、本書を読むために再読したチェーホフの四大戯曲から、印象に残ったせりふを一つずつ抜き書きしておく。
「時どき人間は、歩きながら眠ることがある。」(『かもめ』第三幕でのトリゴーリンのせりふ,新潮文庫『かもめ・ワーニャ伯父さん』68頁)
「この年まで僕は、生活を味わったことがない、生活をね!」(『ワーニャ伯父さん』第三幕でのワーニャのせりふ,同171頁)
「ことによるとおれは、人間じゃなくって、ただこうして手も、足も、頭もあるような、ふりをしているだけかも知れん。ひょっとするとおれというものは、まるっきり存[あ]りゃしないで、ただ自分が、歩いたり食ったり寝たりしているような、気がするだけかも知れん。」(『三人姉妹』第三幕でのチェブトイキンのせりふ,新潮文庫『桜の園・三人姉妹』192-193頁)
「一生が過ぎてしまった、まるで生きた覚えがないくらいだ。」(『桜の園』幕切れでのフィールスのせりふ,同111頁)

★12月25日(日)

 今年最後の『物質と記憶』独り読書会。第四章「イマージュの限定と固定について──知覚と物質、心と身体」の最初の二節、「二元論の問題」と「従うべき方法」を読んだ。
 冒頭で、これまでの三章から引き出される「一般的結論」が示される。すなわち、身体(脳を含む)は伝導体である。その本質的機能は、精神生活を行動のために限定することである。それは知覚と記憶力のいずれにかんしても、表象にたいする選択の道具にすぎない。「私たちがこの仕事を企てたのは、精神生活における身体の役割を定義するためだから」──とベルクソンは書いている──「厳密にいって、私たちはここまでにしておいてもかまわないであろう」(200頁)。
 おいおい待ってくれ。それだけではあまりに切ないし、だいいち尻切れとんぼだ。第七版の序に書いてあったことはどうなる。そこには「ひと口にいえば私たちは、観念論や実在論が存在と現象に分けてしまう以前の物質を考察するのだ」(6頁)と書いてあった。そのために第一章で「物質はイマージュの総体である」「物質は事物と表象の中間にある存在である」といった物質の見方を確立し、第二、第三章で手がけられる「この研究の眼目をなす当の問題、つまり精神と身体の関係の問題」(8頁)にかかわる限りで、そこから引き出される諸帰結を第四章で示すと予告されていたはずだ。
 こうして読者に気をもたせた後で、ベルクソンはおもむろに「心身結合の問題」(201頁)へと説き及んでいく。三つの二元論(唯物論と観念論、経験論と独断論、決定論と自由意志論)をすりぬける第三の立場、中間の道を探求する。いわく、純粋知覚の理論は extension という観念の中に非延長と延長の接近の可能性をひらき、純粋記憶の理論は緊張(収縮)と弛緩の考察を通じて質と量の接近の道を準備する(唯物論と観念論にかわる第三の説)、等々。
 第四章最終節の結語を先読みすると、それらは「延長をもつ物質は、全体として考察すれば意識のようなものであ」(245頁)るとか、「身心の区別は空間の関数としてではなく、時間の関数として打ち立てられるべきだ」(246頁)とか、「過去は物質によって演ぜられ、精神によって思い浮かべられる」(249頁)といった議論に結びついていく。いずれも、第一章で議論された「物質=イマージュ説」から一足飛びに引き出されるものだ。
 要するに、結論はもうとうから見えている。(実は最初から、『物質と記憶』を読む前から判っていた。)あとはただこの既知感の実質をなぞるだけのことだ。すでに知っている事柄を再確認するだけのことでしかない。もちろん、論証の過程で新しいアイデアがいくつか示されることだろう。今日読んだところでいえば、たとえば「空間を通してなされる純粋持続の一種の屈折作用」(207頁)、つまり直接的な「現実との接触」(「真の経験、すなわち精神とその対象がじかにふれ合うことから生まれる経験」205頁)から「経験の曲がり角」を経て実生活の必要のために行われる「現実の細分化」へといたる作用がそうだ。
 また「哲学的探求の最終段階は、まぎれもない積分の努力なのである」(207頁)とか、純粋持続の理論を物質に適用して、アフォーダンスの理論の先触れのようなことを述べたり、物質をその背後にひろがる「記号的図式化」(等質的空間)から解放する直接的認識の可能性に言及したりするくだり(207-208頁)には興奮させられる。
 しかしそうした細部の議論も、結論を先取りした脳髄には通りすがりの心惹かれるエピソードでしかない。これではだめだと思う。哲学的思索の書を読んで、そこに結論をしか見ないのであれば、そもそも読む価値がない。なにかが判るために読んでいるわけではないのだ。もっと逐行的に、細かく割って読まないといけない。
 内田樹が『死と身体──コミュニケーションの磁場』(109頁)で、「一流のピアニストが指一本でポンと弾く音と、ぼくが同じようにポンと弾く音では音の厚みが違う」と書いている。「どうして音が違うかというと、プロのピアニストはキーに触れてからキーが止まるまでの指の動きを、たとえば一○に割って、その一つひとつの動作単位に緩急濃淡をつけることができる。(略)ぼくたちが人の身体表現を見て、「厚みがある、深みがある、美的な感動を受ける」というときには、たいていはその動きの「割れ方」が緻密だからなのです」。
 このことと関係しているのかどうか自信はないが、ベルクソンは次のように書いている。決定論と自由意志論に対する第三の立場として、「ちょうど花から実を結ぶようにそこ[行動]から発展しつつ、何か絶対に新しいものをそこにつけ加えるという風なのである」と説明される、純粋持続の「現実に生きられた連続」に身を置くことが示された後につづく文章である。
《しかし考える存在である人間においては、自由な行動は感情と観念の総合ともいうべく、そこへ導く発展は合理的な発展であるといえる。この方法の工夫はといえば、要するに、日常的ないし功利的な見地と真の認識のそれとを区別するだけのことである。私たちが自分の行動を注視するときの持続、自分を注視することが有益であるときの持続は、諸要素が互いに分解し並列する持続である。しかし私たちが行動するときの持続は、私たちの諸状態が互いに溶け合うときの持続であり、行動の本性について思索する例外的な唯一の場合、すなわち自由の理論においては、私たちは思考によって、まさにそのような持続の内にこそ、身を置きなおすことをつとめねばならないのだ。》(208頁)

★12月26日(月)

 昨日、『物質と記憶』の結論が見えている、そういう頭で読み進めてはいけない、もっと細部を細かく割って読まなければいけないと、自戒の言葉を書き連ねた。これを言いかえれば、よく判らない箇所がある、そういうところを読み飛ばしてはいけない、というしごく当たり前のことだ。
 たとえば、「純粋持続の理論を物質に適用して、アフォーダンスの理論の先触れのようなことを述べたり、物質をその背後にひろがる「記号的図式化」(等質的空間)から解放する直接的認識の可能性に言及したくだり」とおぼろげに要約しておいた次の箇所。昨日抜き書きした文章に続くもので、冒頭「この方法」と書かれているのは「再び純粋持続に身を置く」こと。
《この方法が、物質の問題に適用されうるだろうか。問題は、カントの語ったこの「現象の多様」の中で、ひろがりをもつ傾向のある漠然たる総体が、──ちょうど私たちの内的生活が再び純粋持続と化するように無限の空虚な時間から分離されえたのと同じく──その押しあてられる場所であり私たちの手でそれを分割する媒介でもある等質的空間のこちらがわで、つかまりそうかどうかを知ることである。もちろん、外的知覚の基本的条件を超えようなどと企てるのは空想もはなはだしいだろう。しかし私たちがふつう基本的とみなしているある種の条件は、私たちが事物についてもつことのできる純粋な意識よりも、むしろはるかに事物の使用、その実際的効用にかかわるものでないかどうかという点に問題がある。さらにくわしくいえば、具体的で連続し、多様化しつつもまた組織された延長にかんしては、背後にひろがる無定型な活力のない空間と結ばれているということに異議を申し立てることもできるのだ。その背後にひろがる空間は、私たちが無限に分割し、そこから任意に図形を切りとるものであって、そこでは何ものも過去と現在の凝集を保証しないから、運動そのものも、他のところでのべたように、ただ瞬間的位置の多様性としてあらわれるにすぎないのである。だから、ある程度まで、延長を去ることなく空間からはなれることができるわけであり、この点にこそ直接的なるものへの復帰があるだろう。というのも、私たちは空間を図式的にとらえることしかしないけれども、延長はというと、それこそ本当に知覚するからである。この方法は、直接的認識に、得手勝手に特権的価値を付与するものとして非難されるだろうか。しかし私たちは或る認識を疑うという考えそのものをいつか抱くことはあるにしても、反省の示す困難や矛盾なしには、哲学の提起する諸問題なしには、疑うべきいかなる理由もない。そのさいもしこれらの困難、矛盾、問題が、とりわけこの認識をおおいかくす記号的図式化から生まれるということ、すなわち私たちにとって実在そのものと化し、高度な例外的努力のみがその壁を突き破るのに成功する記号的図式化から生まれるということを明らかにすることができれば、直接的認識はそれ自身の内に正当な根拠と証明を見いだすのではあるまいか。》(209-210頁)
 この文章が「延長をもつ物質は、全体として考察すれば意識のようなものであ」るという驚くべき命題、しかし「物質はイマージュの総体である」からの当然の帰結に関係していることはよく判る。が、いまひとつ頭の中にすっきりと入ってこない。たんなる国語の問題なのかもしれない。『意識に直接与えられたものについての試論』を再読すれば、それですむことなのかもしれない。後に続く議論を読めば、すんなり理解できることかもしれない。いずれにしても、この「よく判らない」という感じは大切にしなければいけない。と、また自戒。

★12月27日(火)

 『NewsWeek』年末恒例の特集「ISSUES 2006」を読んだ。キーワードは「知の経済」。あいかわらずきびきびした文章と冴えた視点と(それに賛同できるかどうかは別として)明確なスタンスをもってバランスよく配分された記事。記憶に残った箇所を抜き書きしておく。
 その1.「IQマグネット」(最先端の知識や才能が集中している地域)なる語を考案したビル・ゲイツが「考えるソフトが導く新世界」で、情報とは異なる知識の奥深さについて書いている。「今こそ成長のチャンスなのだが、知識の活用は意外に難題だ。知識は情報に比べて伝達しにくく、より主観的で、簡単に定義できない」。「しかしソフトウエアが知識を合成したり、管理するのにも役立つようになってきた」。「ウェブで情報を検索するように、世界トップクラスの思考にアクセスできるようになれば、ビジネスや科学や教育に革命が起きるだろう。それは私たちの思考法を変え、真にグローバルな知識経済を実現する一助になる」。
 そうした検索システムの一つが、WWWを考案したコンピュータ科学者ティム・バーナーズリー(MIT)が提唱する「セマンティックウェブ」だ。ウェブ上の個々の情報に、主語・目的語・述語のように機能する3つの「しおり」をつけることで、情報を知識に変える検索エンジンをつくろうというものである(「検索は頭脳派エンジンで」)。よくわからん。
 その2.知の経済の眼目は「共有」にある。「経済学の父アダム・スミスは市場のメカニズムを「神の見えざる手」と形容した。それが今、「見えざる握手」に形を変えようとしている」。それはピア・トゥ・ピア(P2P)やオープンソースのソフトウェアやSETI@homeやウィキペディアなどに現われている。「コンサルタントや学者はこうした現象を定義する言葉を模索しており、「創造性の分配」とか「協業生産」などといった用語が生まれている。呼び名はどうであれ、根底にあるのは知識を共有すればそれが報われるという共通概念だ」。「従来の利己主義と競争に基づく経済モデルはオープンソース哲学の圧力にさらされ、「幸福を探る科学」に変身した。経済的な利益以上に人を満足させるものは何か。その答えの一つは、他者と密接につながって世界を動かす役割を果たすことにあるだろう」。「重要なのは、集団は個人よりも多くの情報を蓄積することができるということだ。知識は力だ。決してヤワな力ではなく、本物の力である。これにはアダム・スミスも同意するはずだ」。以上、「「知識力」を分かち合う選択」から。
 その3.何事にも光と影がある。「「知の経済」の落とし穴」によると、知識経済の最大の弱点は無知である。「データベースや音楽のダウンロード、金融取引……現在の私たちはこうした「ミクロの知識」にどっぷり漬かっている。(略)しかし一方で、歴史を動かす偉大な力となる「マクロの知識」が存在する。新たなアイデアやテクノロジーが生み出す社会的影響、政治や社会制度の変化、地政学的な関係の進展、文化の変容などに関しては、私たちは昔も今も無知なままだ」。イギリスの歴史家ニアル・ファーガソン(ハーバード大学)は現代と第一次大戦前の類似性を指摘している。「ファーガソンがとくに注目しているのが、経済学と地政学の断絶だ。(略)金融市場は迫り来る危機を察知せず、株価や金利といったリスクを知らせるはずの指標はなんの信号も発しなかった。「ヨーロッパで最も情報に精通していた人々が、(開戦間際まで)戦争は起きないと考えていた」と、ファーガソンは語っている」。

★12月28日(水)

 総合雑誌といわれるものを、たまには読む。
 『中央公論』1月号。甲野善紀と内田樹の対談「“学び”とは別人になることだ」を読んだ。ここには叡智の言葉が惜しげもなく鏤められている。
 学びとは商品の売買ではない、「本当の意味での学びのプロセスでは、学ぶ前と後では別人になっている」、だから「これを勉強して何の役に立つんですか?」と問う子どもに、大人=教師は「僕はこれから君たちの語彙に今存在しないもの、あるいは君たちの価値観では価値として認知されたことのないものを伝える。語彙にないことだから、それが何の役に立つのかを君は決して自分で自分に説明することができない。だから、黙って聞け」と告げることしかできない、と内田。
 小学校は国語と歴史と体育があればいい、国語はコミュニケーションを取るために絶対必要、あとは理科も算数も社会も全部歴史の中で「人間が何を発見し、何をやってきたか」をまとめて、しかも体を通して学べばいい、体育とは「体を通して表現や、モノを感じることを学ぶ」ということだ、また学校では宗教とは何なのかを考えさせるべきだ、空海が唐で学んだことやなぜ親鸞が法然にこだわったかなどをもっと踏み込んで教えるべきで、「人が生きるとは何なのかを考えさせないと、学びの意味がない」、と甲野。
 養老孟司の連載「鎌倉傘張り日記」は「「先生」が成り立たない時代」と題して、内田樹の『先生はえらい』を絶賛している。
「つい先日、体育学会で講演したら内田氏が来ていた。仏文科の教授がなんで体育学会なのだ。もっとも他人のことはいえないので、死んだ人を解剖していた人間が、なんで体育学会なのだ、死んだ人の体はもう育たない。/つまり先生とはそういうものなのである。なにがどういうものか、さっぱりわからないであろうが、内田氏は合気道もやるのである。私はそういう類のものは一切やらない。虫を捕るだけである。それも上手ではない。虫捕りなら私より上手な人はいくらでもいる。/武道家としての内田氏は、先を取ることにかけては専門家である。それをとことん詰めていくと、内田流教育論ができる。それが『先生はえらい』なのである。」
 そのほか、鷲田清一「〈老い〉はまだ空白のままである」も読んだ。
「〈老い〉は、…できないことが一つひとつ増えてくる時期であるとともに、みずからの〈死〉への待機の時期でもある。自分が待機中であることが、じわりじわり意識されるようになるのが、〈老い〉というものである。なのに、〈老い〉を一人ひとりがどのように迎えるかが問われるよりも先に、〈老い〉が匿名のままで、まずは「問題」としてしか話題にならないのは、いったいどういうわけか。」
 最後に引用された中井久夫(『看護のための精神医学』)の言葉。「成熟とは、『自分がおおぜいのなかの一人(ワン・オブ・ゼム)であり、同時にかけだえのない唯一の自己(ユニーク・アイ)である』という矛盾の上に安心して乗っかかっておれることである」。

 『文藝春秋』1月号。養老孟司「司馬遼太郎さんの予言」を読んだ。
 このところしばらく遠ざかっているけれど、司馬遼太郎の文章にはまると中毒になる。一つの小説、エッセイ、紀行文、講演、対談、なんでもいいが、読んでも読んでも読了感が伴わない。司馬遼太郎という巨大な作品があって、あたかもそれはその人が一秒ごとに一文字ずつ刻むことで編纂された無尽蔵の活字の連山であるかのようなのだ。(ためしに計算すると、50年間文字通り寝食を忘れて書きつづけたとしたら、400字詰めで400万枚に達する。)だから一冊読み終えると、連載小説のつづきを読むようにして次の書物へ、さらに別の書物へと、怒濤の数珠繋ぎに邁進してしまう。こういうのを「司馬漬け」と名づけてきた。
 養老孟司の文章にもそれに似たところがある。なにを読んでも、いくら読んでも、一つの巨大な生きた作品のほんの一部を読んでいるにすぎないようなもどかしさ、というか未読了感が伴って、次から次へと手を出してしまう。そこには、あたりまえのことだが、養老孟司にしか書けない文章の質、人格ならぬ文格、「養老節」というしかない文体がある。
 なにを読んでも結局同じことしか書かれていない。そう言ってしまうとかなりニュアンスが違う。なにか「原理」と呼びたい言葉以前の身体のあり様に根ざした論理の湧出点があって、そこから事象に即してこんこんと言葉が湧きだしている。それが、司馬遼太郎と養老孟司に共通するものだ。「司馬遼太郎さんの予言」からそれを言い表した言葉を拾うならば、「相対思考」(神=絶対にもとづく西洋的思考に対する、如来=相対にもとづく日本的思考)、世間知と結びついた柔軟な「無思想の思想」、「リアリズム」、身体を目一杯使って感覚で生き抜く「職人的発想」、そして「大きな耳」(人には「口の大きな人」と「耳の大きな人」の二つのタイプがある、と養老さんは書いている)といったところだろうか。
「『街道をゆく』がその典型だが、司馬さんは実際にその場に足を運び、対象の前に立ち、何かを見て、何かを感じることを大切にしていた。その「大きな耳」で、過去の膨大な資料から聞こえてくる音を漏らさず聞き取りながら、「大きな目」で視野に飛び込んでくる光景を捉え、自分の考えを養っていた。/私もまた、全国各地に講演に出かけ、ブータンなどに逃げたりしては、道端や森の植生などをじっと見ている。私にとってそれは「解剖」の一環で、対象は人体だろうが自然だろうが手法は変わらない。私と司馬さんの似ているところは、案外このあたり、「よく見る」というところにあるのかもしれない。そういう意味で司馬さんは社会学者、いや、もっといえば科学者に近い目線を持っていたように思う。」
 そのほか、「世界に輝く日本人20」の中の「ハルキ文学は三島を超えた」を読んだ。

★12月29日(木)

 最近買った本。その1.『小林秀雄対話集』(講談社文芸文庫)。9月に刊行されたときから、いずれ購入して読むことになるだろうと思っていた。実際、翌月ほとんど買いかけていたのにレジに向かう寸前になって気が変わり、結局『柳田國男文芸論集』を選んだ。『文芸論集』には、小林秀雄が講演「信ずることと知ること」でとりあげた『山の人生』について自ら語る一文が収められているので、まんざら関係がないわけではない。年末年始の休みを、小林秀雄と柳田國男で過ごすことにした。手にした『対話集』は12月1日発行で第五刷。よく売れているのだ。
 その2.ユクスキュル/クリサート『生物から見た世界』(岩波文庫)。木田元さんによると、ハイデガーのネタ本。6月に書店で見かけたときに速攻で買っておくべきところ、なにかの事情で他日を期したらいくら探しても見当たらなくなった。入手したのは9月24日発行の第四刷。この本もよく売れている。
 そのほか、アルフレッド・ヒッチコックのDVDを買ってまだ観ていない。『恐喝(ゆすり)』『バルカン超特急』『汚名』『白い恐怖』『三十九夜』『疑惑の影』『海外特派員』『見知らぬ乗客』の8枚で(オードリー・ヘプバーンの『ローマの休日』もついでに買った)、『レベッカ』と『ロープ』はもう買って観たから、現時点で入手できる500円DVDのヒッチコックは全部そろう。そのうちまとめて観るつもり。映画とあわせて読もうと思って、スラヴォイ・ジジェクの『ヒッチコックによるラカン──映画的欲望の経済[エコノミー]』を図書館から借りてきた。

 最近読んだ本。その1.佐々木力『数学史入門──微分積分学の成立』(ちくま学芸文庫)。やや期待がはずれた。「ユーラシア数学」という聞き慣れない言葉に胸躍らせて、驚愕未聞の精神史的考察の書をイメージし、勝手な期待を膨らませすぎたのかもしれない。それでも、本書からは十分な刺激を受けた。その一端を記録しておくと、ギリシャ数学には証明や理論の公理論的整序の側面とともに発見的側面があり、前者は「総合」(シュンテシス:synthesis=composition)、後者は「解析」(アナリュシス:analysis=resolution)という語彙と結びつけて理解される(53頁)。ここに出てくる‘composition’は「結論」の章での音楽の話題と響きあう。十二音技法とブルバキズムの類比性(203頁)。数学における言語的思考様式の転換と音楽における「様式」(Stil;style)の変容の類似性(207頁)。また‘resolution’は非ギリシャ世界がもつ具体的・実践的な真理観、たとえば中国のプラグマティックな数学観につながる。それはニーチェの「力への意志」の発現たる「歴史内存在」としての数学にもつながっていく(211-212頁)。このあたりのことは、今後ボディブローのように効いてくるだろう。
 その2.小林恭二『俳句という遊び──句会の空間』(岩波新書)。八人の俳人による二日間の句会の全記録。仕掛け人兼評者兼記録者の小林恭二の文章が実にいい。俳句評がいい。俳人評がいい。俳句史の挿入もいい。コンテンツ一つひとつに藝と味があり、配列編集に妙と技がある。ルポルタージュ(句会録)として出色。あまつさえ、そこには俳句という切り口からなされた現代の文芸のあり方に対する鋭い批評がある。「わたしは現代俳句が半ば意識的にこのコミュニケーションとしての句会、つまり全員が同じ立場に立って俳句を流通させる句会、をおろそかにしたことは、一種痛恨事だと思っている」(249頁)。しかし「コミュニケーションとはある種の結果であって、目的ではない」(252頁)。それでは、句会の目的とは何か。答えは簡単である。いわく、大人の遊びの空間。すなわち、座。収められた全句中、飯田龍太の「百千鳥雌蕊雄蕊を囃すなり」が強く記憶に残った。この句そのものより、高橋睦郎の評「その句面白いね。なんか伊藤若冲の絵みたいで」の印象が強烈。
 今年は歌の凄さに目覚めさせられたが、俳諧の世界も深い。『新々百人一首』(丸谷才一)につづきほぼ毎夜就眠前に読み進めてきた『完本 風狂始末』(安東次男)は「狂句こがらしの巻」がようやく終わった。とても適わない。凄すぎる。深すぎる。しばらく休み、萩原朔太郎『郷愁の詩人 与謝蕪村』を読んでいる。「うは風に音なき麦を枕もと」の評釈にこう書かれている。「俳句の如き小詩形が、一般にこうした複雑な内容を表現し得るのは、日本語の特色たるてにをはと、言語の豊富な連想性とによるのであって、世界に類なき特異な国語の長所である。そしてこの長所は、日本語の他の不幸な欠点と相殺される。それ故に詩を作る人々は、過去においても未来においても、新しい詩においても古い詩においても、必須的に先ず俳句や和歌を学び、すべての技術の第一規範を、それから取り入れねばならないのである。未来の如何なる「新しい詩」においても、和歌や俳句のレトリックする規範を離れて、日本語の詩があり得るとは考えられない。」(50頁)
 そのほか、折口信夫『日本藝能史六講』(講談社学術文庫)と三浦展『団塊世代を総括する』(牧野出版)と池谷裕二・糸井重里『海馬──脳は疲れない』(新潮文庫)と山口瞳・開高健『やってみなはれ みとくんなはれ』(新潮文庫)と星野之宣『宗像教授伝奇考』第一巻と星野之宣自選短編集『MIDWAY 歴史編』と同『宇宙編』と館淳一『触診』(幻冬社アウトロー文庫)を読了。川崎謙『神と自然の科学史』と北沢方邦『音楽入門』も読んだが、これらは改めてとりあげる。

★12月30日(金)

 川崎謙『神と自然の科学史』読了。こういう本を読みたかった。
 第?部で、ロゴス(言葉=神)の枠組みの中で展開された西洋形而上学と西洋自然科学(自然哲学)の歴史が簡潔的確に叙述される。これと対比させながら第?部では、道元によって日本的に変容された諸法実相の枠組み(五感にふれる万物にカミの霊性の「活らき」をみる神道的心情)における自然の実質があますところなく摘出される。漱石の作品から安藤昌益『刊本・自然真営道』序へ、親鸞「自然法爾書簡」、道元『正法眼蔵』第四三「諸法実相」、『臨済録』といった仏教書、はては吉田兼倶『唯一神道名要集』、山脇東洋『蔵志』、杉田玄白『蘭学事始』へと、原典を参照しながら、西洋的世界観という鏡がなければたぶん見えなかっただろう「日本自然科学」(著者がそういう言葉を使っているわけではない)の過去とそのありうべき未来への見通しを描く後半部が素晴らしい。

 「アヒル‐ウサギ図」というものがある。ゲシュタルト心理学者のJ・ジャストローが考案した図で、左を向いたアヒルと右を向いたウサギが合成されてできている。アヒル文化人(古代ギリシャ人の方法で考える西洋人)はこれをアヒル(ネイチャー=神の被造物)と言い、ウサギ文化人(「ことあげせぬ国」の日本人)はこれをウサギ(自然=無上仏)と見る。それ自体はインクのしみにすぎない無意味な素材が、言語のなかに織り込まれた世界観を通じて二つの秩序に分岐する。ネイチャーという書物に隠された神の創造の秘密を読み解き、自然「を」学ぶアヒル文化人。「われわれに隠されているものはなにも存在しない」と考え、自然「に」学ぶウサギ文化人。後者にとって実験とはエクスペリメントではなくエクスペリエントであり、観察するとはオブザーブではなくコンテンプレートである。「源信の説く念仏は仏のすがた(色相)を観察することであった」(中村元『日本人の思惟方法』)。いま、任意にとりだしたのは本書の議論のほんの一例にすぎない。

★12月31日(土)

 北沢方邦『音楽入門──広がる音の宇宙へ』読了。
 荘子は音楽を「天(宇宙)の音楽」「地(自然)の音楽」「人間の音楽」に区分した。著者は本書の前半(第一章?第三章)で、わが国の古代を含む環太平洋文明圏における「スリット・ドラムまたは太鼓という楽器の象徴論」を探る旅をかわきりに、日中の雅楽、バリ・ガムランからインドへと、野生の思考(神話的思考)にもとづく「宇宙論的音楽」の諸相をたどる。後半(第五章?第七章)では、西欧社会における「人間の音楽」の登場と挫折と没落を、16世紀の宗教改革にはじまり、ロマン派による「主観性の反乱」やドビュッシー、ラベル、ストラヴィンスキーらの「革命」(人間の音楽=主観性の音楽からモノとしての音へ)を経て、二つの大戦後の「記号的ニヒリズム」へといたる一つづきの物語として描いている。そして最後に、音楽における身体性と種族性(エスニシティ)と宇宙論の復権によって音楽という記号の意味の回復をはたす「世界音楽」(ゲーテ・ベートーヴェン的な意味での)を提唱している。
 いずれも濃厚な刺激に満ちた文章だが、とりわけ前半(東方)と後半(西方)をつなぐ第四章「われ楽園にありき──楽園または神の国の音楽」が素晴らしい。そこに描かれた中世イスラームの神秘主義者(スーフィー)たちが奏でる象徴的・抒情的な「声のアラベスク」の物語はこよなく美しい。本書のあとがきに著者は次のように書いている。
《われわれはいまこそいっさいの偏見から離脱し、西欧に限らず世界音楽を「世界音楽」として認識しなおさなくてはならない。/アフガニスタンやイラクでの戦乱や危機以来、その多くの犠牲や破壊のうえに成立した唯一の収穫は、中近東やイスラーム文明についての知識が、一般的にひろまったことである。だがそれは知識にとどまり、理解にまでいたってはいない。異文化の理解とは、それがわれわれの感性や身体性にまで訴えかけたとき、はじめて生まれるものである。/私にとっては、イランやアラブの古典音楽に親しみ、イスラーム寺院や宮殿の建築を、その壁のみごとなアラベスク模様、あるいは楽園の模像としてのアランブラやヘネラリーフェの庭園などへの賛嘆があったからこそ、それらの知識は身近なものとなり、イスラーム文明への理解が進んだといえるだろう。/世界音楽を「世界音楽」として認識する、というのはそのことである。》(221-222頁)

 壮大な見通しのうちに人類がこれまで音楽との間に結んできた関係の総体がコンパクトに凝縮された入門書で、その細部を精緻に拡大し、実際の音響体験と著者の深甚な学殖とでもって本書に記載されなかった情報と知見を補填していけば、途方もない書物が完成するであろう。ウェーベルンとアルヴォ・ペルトにこよなく惹かれる私の個人的な関心をいえば、20世紀初頭の「革命」後、「いったんモノに還元した音は、だが二つの方法によって意味の伝達を可能とする」と書かれているところをもっと噛み砕いて解説してほしかった。(このあたりのことは、佐々木力『数学史入門』に出てきた十二音技法とブルバキズムの類比性や中国数学のプラグマティズムといった話題にも関係してくるように思う。)
《つまりひとつは、音の鋭く複雑な波濤のなかに民族的素材がみえかくれすることによって、それらの旋律が表現していた古風で温かな世界を喚起し、不安と苦痛にみちた現代と対比する。/もうひとつは、古典主義の形成を変形──黄金分割やフィボナッチ数列にそって導入したり──しながらも忠実に踏襲することで、たとえばベートーヴェンの、とりわけ後期の作品との類比を可能にし、古典の意味論の先鋭な現代化であることを暗示する。》(186-187頁)