不連続な読書日記(1994.1〜1994.6)


    1994.1

 

☆スコット・トウロー『立証責任』上下(上田公子・文藝春秋 '93)

 週刊文春の昨年の海外ミステリー第1位、宝島で第2位(確か)。前作『推定無罪』は読後の感銘がいまでも残る名作だったが、これは苦く重い。やや疲れた。ちなみに『ストーンシティ』が上位に入っていたが(宝島で第1位)、これも重すぎた。

 

☆高村薫『マークスの山』(ハヤカワ書房 '93)

 昨年の国産ミステリー第1位。出版された時からいつか読もうと思っていた。最後に明かされる過去の事件の顛末がやや説得力に欠けるように思う。物語が十分に展開しきったという圧倒的な充実感にも欠けるとこがある。読み疲れたせいか点が辛い。会話の部分が地の文とやや雰囲気が異なっていて違和感がある。

 

☆島田雅彦『漱石を書く』(岩波新書 '93)

 にわかに漱石に興味が湧いてきた。入門の積もりで読んだ。「書く」という意味がもう一つよく判らない。

 

☆江藤淳『漱石とその時代 第三部』(新潮選書 '93)

 吾輩は猫である=sはpであるの西欧式論理学を異化する仕掛け。名前はまだない=名辞以前の世界の示唆。冒頭の仮説を豊富な引用と緩慢なまでの叙述でもって論証する前半は刺激的で、告白の隠ぺい、そして名前のある作中人物による小説的世界の隠ぺいの上に成り立つ『坊っちゃん』を論じたあたりまでは結構面白かった。勢いで最後まで一気に読んだが、すべてが論じ切られていないという印象が残る。誰かが書評で書いていたが、日露戦争後の世相との関係もいま一つ不鮮明で物足りない。それでも久しぶりに書物を読んだという実感があったのはなぜだろうか。

 

☆國文學第38巻13号「ブックガイド<知>の連環」

 全部で11に分けられた章名はいずれも興味深いものばかり。たとえば「<耳>の復権、<声>の力」「天使論」「誘惑論」等々。

 

☆チェーホフ全集8小説(1888〜91)(神西清他・中央公論社)

 全集を購入したのは11年前。以来半年に1巻ずつ読み進めてきたが、第8巻を読み切るのに5年はかかった。退屈な話や決闘など「絶望の詩人チェーホフ」の印象的な作品が収録されている。アントーシャ・チェホンテもよかったがチェーホフ作品が与える感動はやはり深い。

 

☆大橋良介『日本的なもの、ヨーロッパ的なもの』(新潮選書 '92)

☆伊東俊太郎『比較文明と日本』(中公叢書 '90)

☆梅原猛・中上健次『甦る縄文の思想』(有学書林 '93)

☆佐々木高明『日本文化の基層を探る ナラ林文化と照葉樹林文化』(NHKブックス '93)

☆山折哲雄『神と仏 日本人の宗教観』(講談社新書 '83)

 ハンチントンの「文明の衝突」を読んで、日本文明論を考えてみたくなった。それも生態史観を踏まえたスケールの大きいものを。

 

☆丸山真男『「文明論之概略」を読む』下(岩波新書 '86)

 7年前に上巻と中巻まで読んで放置していた。福沢の「入欧」は原理論で「脱亜」は時事論だとの指摘は面白い。

 

☆寺田透編『露伴随筆集(下) 言語篇』(岩波文庫) 

 「普通文章論」を熟読し、「音幻論」で挫折。というより、まだ機が熟していないと判断した。小論ながら「文章及び言語の向上」は深い。

 

★1994.2

 

☆柄谷行人『<戦後>の思考』(文藝春秋 '94)

 柄谷行人の本はいつも最後まで読めない。途中で勝手に思考が働きだして、律儀に文章を追うのがまどろしくなる。それほど刺激的であるということだ。一度、無理をして一気に最後まで読み切ったことがある(『近代日本文学の起源』)。頭がぐちゃぐちゃになった。細部の刺激がなぜか全体を構想させない。というか、独特の屈折と反語と否定に満ちていて、猛スピードで運動し続ける精神についていけなくなる。今回は講演録なので比較的楽だったが、京都へ梅原猛の話を聴きにいった車中で一気に読み、やはり頭がぐちゃぐちゃになった。もしかすると柄谷は分裂病者なのかもしれない。常に言葉を秩序づけて排出し続けないと、失語症か誇大妄想に陥ってしまう危機を内部に抱いているのかもしれない。細部は異常なまでに明せきなのに、細部と細部が有機的に(弁証法的に?)全体を構成しない。微分はあっても積分がない。それが批評ということか。

 

☆司馬遼太郎『「明治」という国家』(日本放送出版協会 '89)

 昔読んだ書物。日本文明について考えているうち思い出して手にとりぱらぱらと眺めているうち、面白くなって読み通してしまった。しばらく司馬づけになりそうだ。

 

☆司馬遼源太郎『春灯雑記』(朝日新聞社 '91)

 この語り口は本当に癖になる。スコットランドのことが書かれていて、雑誌掲載時から気になっていた文章が入っている。

 

☆志水辰夫『生きずりの街』(新潮文庫)

 いつか読もうと思っていた。文庫に入ったのを機に読んだ。仕事がたてこみ活字を追う体力が萎えた中でむさぼるように読んだ。情交場面には、『吉原御免状』以来、陶然とさせられた。

 

☆ヘーゲル『小論理学』上(松村一人・岩波文庫)

第一部「有論」にたどり着くまで、序文、序論、基礎概念が全体332頁の約4分の3も延々と続く。6ヶ月かかった。ヘーゲルの文体は時として快楽をさえ与えてくれた。書かれていることは至極単純で「悟性的抽象」から「理性的普遍」あるいは「具体的普遍」への道筋に尽きると思うのだが、読むほどに「抽象」への嗜好が逆に強くなっていった。

 

☆夏目漱石『明暗』(新潮文庫)

 昨年暮れに読み始めて帰りの通勤電車20分足らずを使って読み継ぎ2月かかった。この間まったく飽きなかった。どうしてこんなに面白いのだろう。ユーモア小説なのだと思う。明暗のタイトルが暗示するように、登場人物も筋も対照的な二つの世界の均衡と破綻への予感の上に言動し展開していくのだが(たとえば津田と小林)、作者の視点の随時の移動によってこの不安定さが微妙にずれていく。続編を水村美苗が書いているのでいずれ読むことになるだろうが、これは未完のままでもいい。

 

☆『立原道造詩集』(岩波文庫)

 目覚めの時、いわくいいがたい喪失感にとらわれていることがある。そんな時には叙情的な世界に浸るに限る。それにしても立原道造のリリシズムは「具象的抽象」とでもいうほかはない独特の屈折(挫折?)に裏打ちされている。最近、未発表草稿が発見されたことが、違和感を覚えるほど大きく報道されていた。

 

☆リワノワ『リーマンとアインシュタインの世界』(松野武他・東京図書)

 リーマンの名は憧れの気持ち抜きに語れない。無限と無界、無限小の幾何学、非ユークリッド幾何に対するガウスの沈黙の意味等々、リーマンを扱った第1部は結構刺激に満ちていたが、第2部はやや退屈だった。これまで数論とか代数といったあたりに関心が集中していたが、幾何学にも捨て難い魅力がある。

 

★1994.3

 

☆新井満『森敦ー月に還った人』(文藝春秋 '92)

 宮沢賢治と稲垣足穂と森敦をセットで論じてみたいと思いついて、まず森敦の入門書の積りで読んだ。一気に読めたのは、新井満の筆力か。

 

☆森毅『森毅の学問のススメ』(筑摩文庫)

 森敦との対談が掲載されているので読んでみた。文庫用に浅田彰と対談した数学談議の方が面白かった。

 

☆司馬遼太郎『坂の上の雲 一』(文春文庫)

 気持ちのいい小説が読みたくて、高校時代からいつか読みたいと思っていた長編にとりかかった。なるべく時間をかけてじっくり読みたい。

 

☆高杉良『濁流』(朝日新聞社 '93)

 週刊朝日に連載されたいた頃、時々読んでいた。主人公の田宮大二郎の優柔不断ぶりが妙に気に入って面白かった。

 

☆岸根卓郎『宇宙の意思』(東洋経済新報社 '93)

 熟読するには文章が粗雑。中身が平板で薄い。宗教と科学と芸術を数学によって結ぶという最終章が読みたくて、大部の書物を猛スピードで読み飛ばした。

 

☆金塚貞文『オナニスムの秩序』(みすず書房 '82)

 昔図書館で借りて刺激を受けた書物。10年ぶりに再版されたのを機に購入、読み返してやはり面白かった。

 

☆富山和子『日本の米』(中公新書 '93)

 友人が絶賛していたので読んでみたが噂に違わず絶品。静かなる悲憤、といった痛切な表現が時折噴出する。部分的には、江戸の土木技術と和算の関係を論じたところが面白い。

 

☆河合隼雄『物語と人間の科学』(岩波書店 '93)

 講演集。性の問題は心や体ではなく魂の問題である、物語が語るのは魂のことである、などじわっときいてくる語り口。昨年、確か物語と生命といったテーマで神戸で開催された記号論学会で、直接話を聴いた。その時誰かが物語は最高の情報処理技術であると言っていたのが印象に残っている。

 

☆吉田健一『シェイクスピア』(新潮文庫)

 文学を志すなら吉田健一を読むべきだと、どこかで誰かが書いていた。新潮文庫で復刻版が出たので購入した。深い。そして面白い。

 

☆山際遥『俺はオンナだ!?』(フランス書院 '94)

 ナポレオン文庫が創刊された。エッチと夢と冒険の近未来ノベルズというキャッチフレーズで、割と好きなパターン。やや失望。

 

☆『数学セミナー 1994.4』(日本評論社)

 読者モニターになった。熟読、いやほとんど素読した。

 

☆鎌田敏夫『キス・フレンド』(角川文庫)

 出張帰りのバスの中で暇潰しに読んだ。実によく出来たショートストーリー6編。癖になりそうだが、日常の頭で読むとどうか。

 

☆秋山仁・吉永良正『秋山仁の遊びからつくる数学』(講談社ブルーバックス '94)

 離散数学の面白さと、森毅さんとは少し違った肩の力の抜けた語り口を堪能。観念ではなく事実、身体から入る数学に開眼。

 

☆フリーマントル『狙撃』(稲葉明雄・新潮文庫)

 チャーリー・マフィン・シリーズ第8作。一日ゆっくり時間をかけて読み込み、期待通りの快感を得る。

 

☆北村薫『冬のオペラ』(中央公論 '93)

 真実が見えてしまう「名探偵」巫弓彦と記録係・姫宮あゆみの取り合わせが実にいい。表題作では珍しく殺人事件が扱われ、やや苦い後味。

 

☆川本俊二『マリア』(河出書房新社 '93)

 前作「rose」と比較すれば失敗作だろう。秋恵、篠原真理亜そして母マリアという3人の、おそらくは醜い女達の相互の関係がいまひとつ理解できない。

 

☆鎌田敏夫『恋愛前夜』(角川書店 '92)

 日常の頭で読んでもよかった。よく出来たストーリーを読む悦楽。

 

☆勝目梓『抱擁』(白水社 '90)

 インポテンツになったポルノ作家が死んだ女と交わる。

 

☆糸川英夫『驚くべき重大発見 新解釈“空”の宇宙論』(青春出版社'91)

 面白い本を読みたくて、森敦のことが書いてあったのと気になる数式が出ていたので購入したが、時間の無駄遣いだった。

 

★1994.4

 

☆足立恒雄『√2の不思議』(カッパサイエンス '94)

 前作「無限の果てに何があるか」に比べるとやや難渋したが、それはこちらの頭が鈍っていたからだろう。読むべき時に読めば結構刺激的だったろうと思う。

 

☆中里恒子『時雨の記』(文春文庫 '77:'81)

 日本版「マディソン郡の橋」という新聞広告にひかれて読んだ。不思議な叙述方法。

 

☆山田太一『遠くの声を捜して』(新潮文庫)

 ファンタジー3部作の最後で、第2作が「異人たちとの夏」。もっと酔えるかと思ったが。読後感はまあいい。

 

☆『数学セミナー 1994.5』(日本評論社)

 とにかく素読した。

 

☆村上龍編『現代ホラー傑作選第2集 魔法の水』(角川ホラー文庫)

 休日の暇潰しに読んだ。ホラー小説というより不思議な味わいの短編集。山田詠美の文章がよかった。

 

☆『別冊ムー MIND POWER HIGH Vol.1 最新 潜在能力開発マニュアル』(学習研究社 '94.5)

 頭の働きが鈍っている。いろいろな訓練方が掲載されている。半分ほど読んで嫌になった。

 

☆小林信彦『イーストサイド・ワルツ』(毎日新聞社 '94)

 「涙が止まらないー大人の恋の美しき究極」という帯の文章に引かれた。東京案内とミステリー風の趣向と初老の男の恋の物語が達者に組み合わされて、それでもどこかに清新さが残る。いい小説だ。

 

☆花村萬月『渋谷ルシファー』(集英社文庫)

 結構癖になりそうな作家だ。

 

☆赤川次郎『屋根裏の少女』(双葉社 '94)

 久しぶりに読んだが、相変わらず達者な作家だ。

 

☆志水辰夫『オンリィ・イエスタデイ』(講談社 '87)

 「行きずりの街」の陶酔はなかった。

 

☆加藤尚武『ヘーゲルの「法」哲学』(青土社 '93)

 少し硬い本を読む気力が湧いてきた。連休2日を費やして読んだ。疲れた。

 

★1994.5

 

☆野口悠紀雄『「超」整理法』(中公新書 '93)

☆佐和隆光『平成不況の政治経済学』(中公新書 '94)

☆村松岐夫『日本の行政』(中公新書 '94)

 連休中、脳が腐りそうになり、世の中のことを少し勉強しようと思い立った。経済学に夢中になりそうだ。

 

☆『数学セミナー 1994.6』(日本評論社)

 解析学の特集。通読するのが苦痛になってきた。

 

☆山田智彦『銀行密室会議』(廣済堂出版 '94)

☆村上由佳『天使の卵』(集英社 '94)

☆フィリップ・フリードマン『合理的な疑い』上下(延原泰子・ハヤカワ文庫 '94)

 脈絡なく、小説を読んだ。

 

☆中沢新一・細野晴臣『観光 日本霊地巡礼』(筑摩文庫 '90:'85)

 人に贈ろうと思って文庫を購入、ついでに読み返した。以前読んだ時と時代が違ってしまっている。

 

☆紀田順一郎・荒俣宏『コンピューターの宇宙誌』

 

☆荒俣宏『データベース夜明け前』(ジャストシステム '92)

 

☆立花隆『電脳進化論』(朝日新聞社 '93)

 

NHK「メディアの未来」プロジェクト班『ニューメディア社会はこうなる』(日本放送出版協会 '89)

 情報ネットワークの仕事をやることになって、雰囲気を掴むために拾い読みした。

 

☆北方謙三『約束』(幻冬社 '94)

 昔はこの雰囲気が好きだったのに。酔えない。

 

★1994.6

 

☆八代尚宏『結婚の経済学』(二見書房 '93)

 改めて、社会(意識)の下部構造としての経済、社会現象を合理的に説明する言説としての経済学への関心が高まった。

 

☆宮本政於『お役所の掟』(講談社 '93)

 読物としては面白い。

 

☆村上龍『五分後の世界』(幻冬社 '94)

 「愛と幻想のファシズム」ほどではないけれど、好きな作品。

 

☆勝目梓『獣たちの熱い眠り』(徳間文庫)『炸裂』『はみだし者』『肉狩り』(講談社文庫)

☆花村萬月『真夜中の犬』(光文社カッパノベルズ '93)『虹色の夢』(徳間書店 '93)

☆夢枕漠『牙鳴り』(祥文社ノン・ノベル '93)

☆唯川恵『あなたが欲しい』(大陸書房 '92)

 気持ちがすさんでいて、読み漁った。唯川恵の作品が一陣の涼風。花村の「虹色」も秀逸。

 

☆水村美苗『続明暗』(新潮文庫 '93)

☆夏目漱石『彼岸過迄』(新潮文庫)

 漱石の作品は退屈だけれど止められない。「続明暗」はやや退屈さに欠けるところはあるけれど、それはそれでよかった。

 

☆『数学セミナー 1994.7』(日本評論社)

☆『大学への数学 1994.6』(東京出版)

 全然解らない、というより解るまで読む根気がない。

 

☆日本経済新聞社編『ゼミナール日本経済入門』(9版 '94)

 経済学が面白くなってしばらくは夢中になって読んだけれど、3分の2くらいで挫折。

 

☆吉田武『オイラーの贈物』(海鳴社 '93)

 1年くらい前から読み進めてきたけれど、4分の3くらいで息切れ。でもいい本だと思う。

 

☆吉本ばなな『ユリカの永い夜/バリ夢日記』(幻冬社 '94)

 長い物語の後日談のような不思議な救済感の漂う小説と、旅日記。

 

☆松浦理英子『親指pの修行時代』上下(河出書房 '93)

上巻、久しぶりに小説を読む悦びを覚え、下巻でややだれた。