不連続な読書日記(1992.9〜1992.12)



★1993.7

☆F.K.デイック『ヴァリス』(大瀧啓裕・創元推理文庫 '90:'81)
 とても最後まで読めないだろうと思いながら、結局読みきった。読みながら、ウィトゲンシュタインの Tractatus はやっぱり天才の書なのだと確認した。

☆代々木忠『プラトニック・アニマル』(情報センター出版局 '92)
 もしかするとこれはすごい書物なのかもしれない。

☆ロバート・ジェームズ・ウォラー『マディソン郡の橋』(村松潔・文藝春秋 '92:'93)
 諸井薫が「純愛的不倫のすすめ」と題したエッセイの中で、確かハヤブサ(放浪者)になれないピートニク世代のための書物だと書いていた。不覚にも涙をこぼしたとも。同感。

☆宝島30 平成5年7月号(宝島社)
 創刊号に続いて隅々まで読んだ。いつまで刊行できるのか本当に心配だ。

☆五木寛之『レッスン』(光文社 '92)
 20年前、著作集を毎月1冊読んでいた。当時「現代の語り部」ともてはやされていた。久しぶりだった。あいかわらずうまい。うまいけれど、私が予想された読者層に入っていないらしくて、テーマのわりには酔えなかった。マーケッティングされた小説だ。

☆丸山圭三郎『文化=記号のブラックホール』(大修館書店 '87)
 丸山の理論は面白いが平板だ。よく整理されているけれど、明瞭すぎてどこか嘘くさい。参考書を読む感覚で何冊か読んだけれど、あまり頭に残っていない。ただ、生命論を基調にした議論には説得力がある。今回、ソシュールのアナグラムは実はアナフォニーだという指摘が有益だった。

☆フリーマントル『終りなき復讐』(染田屋茂・新潮文庫 '92:'88)
 愛すべきチャーリー・マフィン・シリーズの原作者による(グレアム・グリーンとはやや趣の異なった)ヒューマン・ファクターに彩られたスパイ小説。初めてフリーマントルを読んだとき「尋問小説」というジャンルがありうるのではないかと思ったが、考えてみればおよそミステリーというレッテルで大雑把にくくられる作品には人間の秘密や陰謀や野心や欲望を暴きたてる「尋問」によるサスペンスが不可欠なのだ。
 ここで、MY FAVORITE NOVEL を整理しておくと、ハード・サスペンスというレッテルが最もふさわしい。トマス・ハリスの FBI 捜査官もの(サイコ・スリラーというよりこちらの方が実感に合う)、新宿鮫シリーズ(ハードボイルドといってもいいけれど)、彫師伊ノ介シリーズ(大江戸ハードボイルド!)、スパイ・謀略小説のほとんど。これらのジャンルへの嗜好を方向づけたのがジョン・ル・カレで、決定づけたのがブライアン・フリーマントル。

☆斉藤綾子『ルビーフルーツ』(双葉社 '92)
 恋愛小説集と銘うたれているが、性愛小説、快感小説、レズ小説、女が書いたポルノ小説、その他諸々の言い方をすべてまとめて超えてしまいそうな作品集。かいかぶりすぎかも知れないけれど。

☆ヘレン・E・フィッシャー『愛はなぜ終わるのか』(吉田利子・草思社 '93:'92)
“Anatomy of Love”という原題が内容を言い尽くしている。ダーヴィニズム信奉者を自称する著者の筆は、科学者らしく冷徹だがどこか温かい。気持ちのよくなる本。

☆池田清彦『分類という思想』(新潮社 '92)
 著者の提唱する構造主義的分類学とは結局何なのか、いまひとつイメージが湧かなかったが、我々の認知パタンや自然言語に合致する分類体系、つまり最も沢山の人々に受け入れられる分類体系こそが自然分類体系なのだという、「反」科学者たる著者の指摘には納得がいく。

☆『現代の建築家6 安藤忠雄 挑発する箱』(丸善 '86)
 昔から、ユリイカに確かドローイングが掲載されていた頃から、気になる人だった。安藤の文章がちょっと凄い。

☆安藤忠雄『安藤忠雄の都市彷徨』(マガジンハウス '92)
 文学臭がなく下手な思想的言辞も弄さず、具象に即しながら透き通った空の高みのような抽象性を損なわず、観念をきりきりと造形するような文章。これこそプロセスとしての創造や思索の現場を生成させる「紀行」文の魅力だ。

☆宝島30 平成5年8月号(宝島社)
「皇室の危機」と題した宮内庁勤務の仮名氏の文章が面白かったけれど、本当に大丈夫なのかなあ。

☆田村隆一『灰色のノート』(集英社 '93)
 老境の詩人の至芸か(「文字で読むものではない/耳で触れるものだ」[言葉]とか)、行分けされた駄文あるいはエッセイか。昔読んだ詩人の作品にはもっと緊密な言葉のきらめきがあったように思う。それとも最近文語詩とか古代歌謡とか謡曲とか漢詩に魅力を感じ始めているせいか。

☆隆慶一郎『吉原御免状』(新潮文庫 '89:'86)
 小説として読むと随分欠陥だらけの作品だと思う。主人公が突然貴種と判明したり、長々と挿話が続いたり、伏線が十全に展開しなかったり、結末が完結しなかったり。しかし物語として読むとこれがまたいい味わいなのだ。わくわくしながら癖になりそうな世界にすっかりのめり込んでしまった。特に、松永誠一郎が初めて高尾太夫と結ばれる場面は、最高の官能描写だと思う。

★1993.8

☆『世界の街案内 18 ニューヨーク』(近畿日本ツーリスト '89)
 ニューヨークへ行きたいと思う。そう思う気持ちを意図的にかきたてている。そのうち本気になるだろう。

☆森本哲郎『サハラ幻視行 哲学の回廊』(河出書房新社 '71)
 サハラ砂漠の秘境、タッシリ高原の岩に描かれた絵を見に出かけた哲学科出身のジャーナリストの思索と過酷の旅の記録。哲学の原風景、というとちょっと文学味がかちすぎるか。

☆樋口忠彦『日本の景観 ふるさとの原型』(春秋社 '81)
 日本人の精神的創造物ともいうべき景観を、盆地(秋津洲やまと型・八葉蓮華型)、谷(水分神社型・隠国型)、山の辺(蔵風得水型・神奈備山型・国見山型)、平地に分けて記述する。そして、谷ー盆地ー谷ー平野という地形を、街路ー広場ー街路ー郊外というアナロジーで見、都市の景観を好ましい棲息地の景観、生きられる景観にするための処方箋を書く。じっくりと後になってからきいてきそうな刺激に満ちた書物。「私達平地の時代の人間は、平地においてどれだけ後世に残せるような価値ある景観を創造することができるか、真に問われているのである。」

☆河合隼雄『とりかえばや、男と女』(新潮社 '91)
 物語とは、人間の一瞬のイメージ体験をわかりやすく話をしたものだという指摘が面白い。とりかえばや物語を是非読みたいと思った。そういえば宇津保物語もいつか読みたいと思っている。

☆秋山仁『数学講義の実況中継(下)』(語学春秋社 '87)
 一つの章を読み終えるたびに「鮮やか」を連発。高いところから見通す快感を存分に味わった。しかし導士がいないと自力で解けるだろうか。

☆『ニュー・エイジの600冊』(宝島社 '93)
 昔からニューサイエンスやニューエイジ系の語り口には反発を覚えずにはいられなかった。そのくせ意志の力が消耗した時にはつい魅かれてしまう。良質な部分だけを吸収するためには、一度はどっぷりとその世界にひたらなければだめなのだと思う。

☆秋山さと子『ユングの性格分析』(講談社 '88)
 感覚・直感・感情・思考の4区分、それと外向・内向の2区分の組合せで合計8つの性格のタイプが分類できる。秋山さと子の恋愛論の中でこのユングのタイプ(性格)論を知って以来気になっていた。原典にあたるのはおっくうなので、啓蒙書でお茶を濁した。自分の主たるタイプはどれで副次的にはどのタイプか、彼女は、彼はと考えていると面白い。ちなみに、私は内向的思考型を主として外向的直感型を副とするタイプではないか。そして私にとってのアニマは、外向的感覚型を副とする内向的感情型か。

☆沢木耕太郎『深夜特急 第一便 黄金宮殿』(新潮社 '86)
 『安藤忠雄の都市彷徨』を読んで以来紀行文が面白くなった。そこで前から読んでみたいと思っていた深夜特急三部作に取り組むことにした。(あと読んでみたい紀行文はD.H.ロレンスのエトルリア紀行)

☆沢木耕太郎『深夜特急 第二便 ペルシャの風』(新潮社 '86)
 香港、マカオ、バンコク、シンガポールと進んだ第一便には旅の初めの躍動と刺激と興奮があったが、インド、ネパール(カトマンズ)、アフガニスタン、イランと進む第2便には内省と倦怠と消耗が通奏低音のようにわだかまっていて、読後感が少し重かった。

★1993.9

☆井尻正二『弁証法をどう学ぶか』(大月書店 '91)
 ヘーゲルが面白い。特に『論理学』が。今年はベルクソンでいこうと思っていたが文体にやや難渋して、というかフィットせず頓座した。どうせなら超難解な文章に七転八倒してみたくなった。そこで入門書のたぐいを手当りしだい読んでいる。

☆T.バーニー『胎児は見ている』(小林登・祥伝社 '82)
 胎児も意識をもっている。知覚能力をもち、母親の感情や思いを読みとっている。また人は誰も出生時の記憶をもっているのだが、ある女性ホルモンの作用で記憶を喪失している。今となってはもはや旧聞に属することなのであまり知的刺激は受けなかったが、何か根源的な事が語られているという思いで読んだ。そういえば、ヘーゲルは子供の意識についてよく言及しているとかいうことを誰かが書いていた。

☆ダフニ&チャールズ・マウラ『赤ちゃんには世界がどう見えるか』(吉田利子・草思社 '92)
 胎児(新生児)が最初に感じる色彩は青だということ、新生児は対象を抽象的に知覚しているということ。どこかで読んだ記憶のあるこれらの知識の出処を求めて一読。新生児はニューロンのC(光速度)に乗った観察者であるという比喩が刺激的だった。

☆富島健夫『女人追憶第2巻 地球の夜の巻(上)』(集英社文庫 '93)
昔からこの作者の作品はよく読んできた。久しぶりだったけれど、退屈な反復を読ませる技巧はあいかわらず。

☆秋山さと子『男ともだち』(徳間文庫 '93)
 不思議な本だ。ヴァン・デル・ポストととの老年(?)の恋の顛末、チューリッヒのユング研究所での濃密な人間関係、「ユング・フラウ」のこと、恋愛論、ノンフィクションとエッセイと恋愛相談と学問論、ユング心理学論とが一体となって、秋山ワールドを作り出している。友情論は恋愛論や性愛論以上に刺激的だ。

☆池田晶子『事象そのものへ!』(法蔵館 '91)
 1960年生まれの女性による、なんといえばいいのか、論理、詩、科学、心理、神をめぐる「哲学詩」的エッセイ集。筆者自身の言葉でいえば、認識と表現を一体化させる「哲学の言語」の可能性を切り開こうとした試み。意識について意識をもって意識すること、思考について思考をもって思考すること。意識や思考の外部に出ることではなく、無限が強いる認識を有限の表現に感受する、新しい言語の可能性の探求。

☆高村薫『わが手に拳銃を』(講談社 '92)
 いまをときめく人気作家。期待通りの筆の運びで導入部はわくわくさせられたが、中盤あたりから陶酔に浸り切れなくなった。

☆高橋和巳『人は変われる』 (三五館 '92)
 雑誌の紹介文を読んで以来探していたが見つからず、東京新宿の紀ノ国屋で山積みになっていたのを購入。目から鱗がとまではいかなかったが、客観視の能力、絶望の能力、純粋性を感じる能力、主観性といったキーワードは、ボディーブローのようにじわじわときいてきそうだ。

☆沢木耕太郎『深夜特急 第三便 飛光よ、飛光よ』(新潮社 '92)
 内省にまとわりつかれたやや重苦しい旅の記録が、地中海世界に抜けると随分異なった印象を与えるものに変貌した。旅の終わりをもたらすものは結局何だったのか、読後、かなり経ってしまったのでよく思い出せない。再読すべきなのだろうか。

☆諸井薫『男の止まり木』(文春文庫 '88:'85)
 森瑶子とともに最近気になっている作家の一人。軽いエッセイ集あたりから付き合いを始めることにした。掌編小説ともなんとも形容し難い独特の文章(筆者にいわせれば「根も葉もある嘘」)は新鮮だった。

☆秋山さと子『素敵な出会いをひらく 性格の本』(芸文社 '90)
 ユングタイプ論の応用。

☆コリン・デクスター『ニコラス・クインの静かな世界』(大庭忠男・ハヤカワ文庫 '90:'77)
 知人が誉めていた作者。とりあえず読んでみた。結構面白かった。

☆山田智彦『水中庭園』(福武文庫 '89:'76)
 久しぶりの青春小説。

★1993.10

☆高村薫『神の火』(新潮社 '91)
 何か違う。陶酔できそうで出来ない。体調のせいだろうか。

☆伊集院静『海峡』(新潮社 '91)
 達者すぎて鼻白むほどにうまい。

☆隆慶一郎『かくれさと苦界行』(新潮文庫 '90:'87)
 『吉原御免状』の続編。

☆コリン・ウィルソン『ユング 地下の大王』(安田一郎・河出文庫 '93: '84)
 コリン・ウィルソンの作品はどれを読んでも結局書かれていることは一緒なのではないか。ユングのことをもっと知りたくて読んだけれど、これはやはりコリン・ウィルソンの本だ。

☆宝島EX『ニッポンを誤解させない英会話』(宝島社 '91)
 英語の勉強の副読本。

☆大沢在昌『新宿鮫 無間人形』(読売新聞社 '93)
シリーズ第4作。こういう読後感は随分久しぶりだ。ファン心理は、人生を楽しいものにしてくれる。

☆森瑶子『砂の家』(新潮文庫 '91:'89)
 前々からこの作者の作品を読もうと思っていた。TVで『デザートはあなた』を下敷にしたドラマもどきの番組が始まり、第1回で宮沢りえと岩城なんとかという男優が軽妙で含蓄のある会話を交わしているのを観て、思い切って長編恋愛小説を読んでみたわけだが、これはよかった。

☆エド・マクベイン『殺しの報酬』(井上一夫・ハヤカワ文庫 '76)
 これもTVの番組で87分署シリーズを原作にしたドラマを観て、その出来がなかなかいいのはエド・マクの力に依るのだろう、それではいい機会だから(?)一度読んでみようと図書館で借りて取り組んだわけなのだが、これが結構いい雰囲気をもっていて病みつきになりそうな気配。何十冊と翻訳が出ている。老後の楽しみの一つにとっておくか。

☆森瑶子『嫉妬』(集英社文庫 '84)
 240頁ほどの小さな文庫本の3分の2をしめる標題作をなんとか読み終え、残り短編は断念した。この作者の作品はしばらくいい。

☆フィリップ・カー『偽りの街』(東江一紀・新潮文庫 '92:'89)
 1936年オリンピック開催中の、ということはナチス政権下のベルリンの私立探偵物。

★1993.11

☆真木裕介『自我の起源』(岩波書店 '93)
 久しぶりに新刊書を読んだ。最後まで読み切らないうちに他人に貸してしまった。副題は「愛とエゴイズムの動物社会学」。

☆J・グリシャム『法律事務所』(白石朗・新潮社)
☆ミッチェル・スミス『ストーン・シティ』上下(東江一紀・新潮文庫)  期待して読んだが、どちらもややはずれ。好みと合わないのか。

☆太宰治『津軽』(新潮文庫)
 再読。語り口はやはり絶品。

☆日高敏隆・竹内久美子『ワニはいかにして愛を語り合うか』(新潮文庫)
「素数蝉」のことを読みたくて購入。「音の信号」と「匂いの信号」の途中まで進み、続きと「視覚の信号」はいずれじっくり読むことにした。

☆加藤幸子『莓畑よ永遠に』(新潮社 '93)
 みずみずしく、しなやかで、少し苦い。いい読物。

☆ジッド『背徳者』(石川淳・新潮文庫)
 仕事が込んで疲れて、閉店まじかの書店で衝動的に購入した。やや難渋したが、途中から文章に酔い始めた。結局何が書かれていたのか、最近この手の小説から遠ざかっていたので勘が冴えない。

☆品川嘉也ほか『脳を鍛える俳句ing』(朝日ワンテーママガジン12)
 昨年、自己流の心理療法のため俳句を集中的に作ったことがある。またやろうかと思っている。

☆河合隼雄『中年クライシス』(朝日新聞社 '93)
 近代現代の文学作品を素材にして、中年の恋愛や仕事や社会や自己との関係について極めて示唆に富む心理学的分析を施したもの。かなり影響を受けそうだ。

☆山田太一『丘の上の向日葵』(新潮文庫)
 河合隼雄の本で『異人たちとの夏』が紹介されていた。これは以前読んだので、適当に選んだ。中年の主人公が出てくる大人の寓話。面白い小説を読みたくなった時、安心して取り組める作者を一人発掘した。

★1993.12

☆山田太一『ふぞろいの林檎たち II』(大和書房 '88)
 パートIは以前読んで、ちょっと感動した。休日二日を費やしてじっくり頭の中でドラマを組立ながら読んだ。楽しめた。

☆秋山さと子『運命の不思議を知る本』(史輝出版 '90)
 ユング心理学と易の関係に触れた文章と、コイン3枚使って簡単にできる易占いを紹介した部分からなる書物で、前半に関心をもって読み始めたがいつのまにか易そのものに夢中になってしまった。

☆日沖宗弘『学問としての四柱推命』(福武書房 '90)
☆高田淳『易のはなし』(岩波新書 '88 )
☆『易経』上下(岩波文庫)
 易占いに凝っていて、その参考書。

☆谷川俊太郎詩集『空の青さをみつめていると』(角川文庫)
 このみずみずしさ、言葉の躍動は絶品。

☆文藝春秋 '94.1
隅々まで、それこそ広告に至るまで完読した。「坊っちゃん」の「寅さん」的な魅力とはという副題のついた江藤淳の対談記事に興味を引かれた。

☆牧村僚『義母特別授業』(フランス書院文庫)
久々のアダルトノベル。

☆ユン・チアン『ワイルド・スワン』上下(土屋京子・講談社 '93:'91 )
 噂通りの息をつかせぬ面白さといいたいところだが、そして確かに一気に結末まで読み切ったのだが、これは事実そのものからくる迫力なのか、三代にわたる女性の記憶と筆者の表現力からくるのか。

☆大島清『願望表現の技術』(ごま書房)
☆富田隆『恋愛の心理』(ごま書房)
 暇潰しに、その割には真剣に読んで、指針を得た。