不連続な読書日記(1993.1〜1993.6)



★1993.1

☆和辻哲郎『日本精神史研究』(岩波文庫)
  郷土の先哲。以前『孔子』を読んで知的刺激を受けた。去年の正月に『鎖国』を読み、今年も和辻哲郎で始まった。

☆赤川次郎『三毛猫ホームズの歌劇場』(角川文庫)
 旅行中の列車で時間つぶしに読む。かなり無理のある殺人動機だが、それはまあ問題ではない。

☆クライブ・カッスラー『タイタニックを引き揚げろ』(中山善之・新潮文庫)
 以前アレクサンドリア図書館に想像力をかきたてられていた頃、『古代ローマ船の航路をたどれ』を読んだ。それ以来、主人公のダーク・ピットはフリーマントルのチャーリー・マフィンと並んで好きなキャラクターとなった。

☆ギャビン・ライアル『深夜プラス1』(菊池光・ハヤカワ文庫)
早川書房編集部編『ミステリ・ハンドブック』の読者が選ぶ海外ミステリ・ベスト100で第2位に選ばれていた。エンターテインメント小説を極めてみたいと、心秘かに志している身としては、必読の書。ちなみに第1位は『幻の女』で、これは学生の頃に読んだ。

☆キース・ピータースン『暗闇の終わり』『幻の終わり』『夏の稲妻』『裁きの街』(芹澤恵・創元推理文庫)
ニューヨーク・スター紙のトップ記者ジョン・ウェルズを主人公にしたハードボイルド。現在までに4作発表されている。連休を3日つぶして読みふけった。酔えた。どの作品もそれぞれ捨て難い味をもっているが、特に主人公が20歳年の離れた女性記者ランシングとついに結ばれる第4作は(だからというわけではないが)絶品。残念なのは一気に読み急いだことで、もっとゆったりと細部にこだわりながら味わいたかった。いずれ再読することになるだろう。

☆レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』『さらば愛しき女よ』(清水俊二・ハヤカワ文庫)

ハードボイルドならフィリップ・マーロウははずせない。というわけで傑作の誉れ高い『長いお別れ』を読んだわけだが、読後ちょっと困った。評論家が絶賛するマーロウとテリー・レノックスの友情云々がいまひとつぴんとこなかった。しばらくして、半日くらいたってから、きた。これがチャンドラーか。最初から読み直してみようかと思ったけれど、他の作品を一通り読んでみることにした。2作目は、まず映画を見た。ロバート・ミッチャムとシャーロット・ランプリング主演のもの。それから読んだ。まだ、文章からストレートに伝わってこない。確かな手ごたえの予感はあるのだが。

☆生島治郎『名探偵ただいま逃亡中』(集英社)
☆佐高信『筆刀両断』(社会思想社)
 日本ハードボイルド小説の草わけである筆者のエッセイ集。そして、ハードボイルド派(?)評論家の辛口エッセイ集。現代日本でチャンドラーの世界を描こうとすれば、たとえば高杉良あたりの企業小説に村上春樹の文体をくっつけたものに近づくのではないか。これに、生島治郎のいう山本周五郎が代表する時代小説のある良質な部分をつけ加えれば完璧だ。藤沢周平も加えたいところだが。この仮説はもう少し時間をかけて考えていこう。

★1993.2

☆レイモンド・チャンドラー『大いなる眠り』(双葉十三郎・創元推理文庫)『プレイバック』(清水俊二・ハヤカワ文庫)
 いよいよ魅せられていく。『プレイバック』を読み終えた時、しばし快い余韻にしびれた。ただ、チャンドラーの作品はストーリーの展開にやや無理な部分がある。プロットの組立なのかもしれない。この不連続をつなぎ止めるのが、俗に「情感」と呼ばれる独特の雰囲気なのだろう。それはそれでいいのだが、気になる。チャンドラー論を読んでみたいし、できれば書いてみたい。

☆ローレンス・ブロック『倒錯の舞踏』(田口俊樹・二見書房)
 チャンドラー漬けになってもよかったのだが、ちょっと休憩。アル中の無免許探偵マット・スカダーものの第9作。昨年の秋に10作目が出たらしいが、まだ翻訳されていない。またまた鉱脈を掘りあてた。

☆マイクル・Z・リューイン『そして赤ん坊が落ちる』(石田善彦・早川書房)
 21歳の娘をもつ独身の女性ソシャル・ワーカーが主人公。タイトルに魅かれて読んだ。達者な筆運び。ハードボイルドの可能性を教えられた。

☆デイック・フランシス『本命』(菊池光・ハヤカワ文庫)
 冒険小説かミステリー(ハードボイルド)かと評論家が議論していた作者の競馬シリーズ第1作、だったと思う。実に後味のいい読書体験であった。

☆ウイリアム・アイリッシュ『暗闇へのワルツ』(高橋豊・ハヤカワ文庫)
 確か映画化されたのを観た覚えがある。丹念に組み立てられたストーリーの無理のない展開と、独特の雰囲気。久しぶりに小説を読んだという感じ。

☆サラ・パレツキー『ガーディアン・エンジェル』(山本やよい・早川書房)
 V.I.ウォーショースキーものの第7作。達者な筆だ。ヒロインを取り巻くキャラクターがいい。

☆デイック・クラスター『差出人戻し』(郷原宏ほか・光文社文庫)
 駄作、としか思えない。何度止めようと思ったか。どこが面白いのかわからない。

☆別冊宝島167『学問の仕事場』(JICC)
 ミステリー漬けで頭が硬くなった。しなやかで伸びやかな知性に触れたくなった。12人の存命の学者が取り上げられていて、そのうち白川静と奥出直人が印象深かった。身体の論理、単調な手作業の反復がもたらすものの重要さ。

☆奥出直人『思考のエンジン』(青土社)
 そこで早速読んでみたわけだ。やや難渋させられる屈折した文体。プラトン以来の西洋の知の型。これにかわる身体の論理に根ざした思考とライティング。いずれ整理できないまま何が書いてあったか忘れてしまうのだろうが、簡単に要約できない世界に接することから新しい思索がインキュベートされることを期待しよう。

☆木田元『ハイデガーの思想』(岩波新書)
 以前通勤電車の中で『存在と時間』を速読したことがある。この私のあり方について根底的な考察が加えられていることだけは感じられた。

☆円地文子訳『源氏物語巻一』(新潮文庫)
 桐壷から花散里までの現代語訳。5巻まで続けて読むつもりだったが挫折。

★1993.3

☆関川夏央『「名探偵」に名前はいらない』(講談社文庫)
 国産のハードボイルド(?)を読んだ。独特の比喩を多用したやや生硬な文体に最初は鼻白んだが、馴れてくるとこれがいい味になってくる。おしゃべりなデブの探偵の語りに、橘外男をふと想起する。

☆塩田潮『霞が関が震えた日』(講談社文庫)
☆田原総一郎『「円」を操った男たち』(講談社文庫)
 フィクションを読み疲れて、現実社会に真っ向から取り組んだ作品を読みたくなった。1971年のニクソンショックを題材にした塩田潮のノンフィクションは実に面白かった。国際経済のこと、為替のことが昔からよく判らない。それでも、すごく新鮮な読後感。引続き読んだ田原の作品も面白かった。

☆吉永良正『ゲーデル・不完全性定理』(講談社ブルーバックス)
 ゲーデルに言及した書物はこれで何冊目だろうか。読むたびに以前の知識が曖昧になっていく。結局、原典を読むにしくはないのだろうか。

☆村上龍『長崎オランダ村』(講談社)
 食べてしゃべって、場所を変えてしゃべって呑んで、児童心理や国際情勢や表現やらを論じてまた食べる、奇妙な、しかし村上龍らしい「情報」の詰まった、元気になる作品。

☆村上龍『エクスタシー』(集英社)
 サイバネティクスの理論を踏まえたRPG小説(?)。そうすると「僕」が探求していたのは結局何だったのか。快楽を表現する言葉か。そうであれば、快楽とは結局脳の情報処理の問題なのだから、薬物を持ち出す必要などなかったのではないか。

☆セレナ・ウォーフィールド『少女ヴィクトリア』(中村康治・フジミロマン文庫)
 昔愛読した富士見書房のロマン文庫が復刊された。記念に一冊書って読んだ。ジュルジュ・バタイユの『眼球譚』を想起させる趣。

☆立花隆『中核VS革マル』上下(講談社文庫)
連合赤軍事件の判決が出た。あの頃、結局何がどうなっていたのか、友人の赤ヘルを預かったことがあるだけでデモにさえ参加したこともなかった一学生にはよく判らなかった(判りたいとは思わなかったけれど)。しかしあの頃の空気のようなものは今でもきっかけさえあれば鮮烈に蘇ってくる。60年安保のブントから始まって革共同の結成、その三次にわたる分裂の結果中核と革マルが誕生、路線の対立からやがて後戻りのできない凄惨な内ゲバへ。1975年までを克明にかつ筆者らしい冴えた「論理学」を交えながらフォローしたレポート。1976年に世に出た森田童子の『ぼくたちの失敗』を繰り返し聴きながら読んだ。

☆大沢在昌『屍蘭』(光文社カッパノベルズ)
 待望の新宿鮫シリーズ第3作。発売日に購入し一晩で読んだ。鮫島が、そして晶が登場する導入部のぞくぞくとくる感じ。久しぶりに堪能した。ただ、サイコスリラーの雰囲気ととハードサスペンス(ハードボイルド)との融合が完璧に成功しているとは思わなかった。

☆フランチェスコ・アルベローニ『エロティシズム』(泉典子・中央公論社)
 ノートを取りながら読んだ。ポルノを素材として男女のエロティシズムの違いを分析している導入部や、精神分析学風の壮大な理論展開がなく淡々とした叙述に終始していることに物足りなさを感じたが、相当大量のインタビュー調査に裏打ちされているらしく、読み進めていくうちにその説得力に魅せられていった。

☆スタンダール『赤と黒(下)』(小林正・新潮文庫)
10年ぶりの再読。いや通算すると4〜5回になるか。レーナル夫人の上巻ではなく、マチルドの下巻を無性に読みたくなった。ある心理状態のしからしむるところ。

★1993.4

☆秋山さと子『恋愛願望』(PHP研究所)
☆水野麻里『セカンド・ヴァージン症候群』(講談社)
☆水上洋子『嫉妬(ジェラシー)を輝きに変えて』(KKベストセラーズ)
 恋愛をめぐる書物を続けて読んだ。秋山さと子のものが一番面白い。恋愛心理を考える上でいろいろ有益な記述あり。ユング心理学に入れ込むことになりそうだ。水上洋子は期待ほどではなかった。処女作があまりにも強烈だったからか。

☆樋口清之『日本人はなぜ水に流したがるのか』(PHP文庫)
 知人が読書会で取り上げることと、解説を鎌田東二が書いていることから読んでみたが、途中から流し読み。実証性のないステレオタイプの連続。雑学の種本にはなるか。

☆別冊宝島174『威風堂々!ワイセツ大行進』(JICC出版局)
 全体の4分の3まで読んだところで息切れ。井上章一や呉智英や岸田秀や粉川哲夫がわいせつを論じたり語ったりしている部分が未読。わいせつは論じるものではなくて感じるもの、だ。

☆ロバート・リテル『ロシアの恋人』(雨沢泰・文春文庫)
 久しぶりのスパイもの。大仕掛の謀略、プロのしびれる行動と判断、苦い結末。随所で引用される詩が結構秀逸。児童文学とポルノ小説とスパイ小説を系統だてて読んでみたいと考えている。

☆『cine-script book ローマの休日』(マガジンハウス)
 英語の勉強本。映画を字幕なしでビデオに録画している。しかしこれは完璧な作品だ。

☆富哲世『血の月』(蜘蛛出版社)
☆太田肇『プロフェッショナルと組織』(同文舘)
 詩集と学術研究書。まったくジャンルの異なった書物だが、いずれも15年前、前後して知り合った友人が出版したもの。富さんの詩は出版記念パーティで本人の朗読で3篇ほど聞いた。言葉だけでは表現できないものを内部にかかえた詩人の今後の活躍(あるいは挫折)を見守りたい。太田氏の作品は、組織と個人というテーマを独特の切口で扱ったもの。一般書のかたちでリライトすると、現代のサラリーマンに受けるのではないか。

★1993.5

☆秋山さと子『素敵な女の磨き方』(芸文社)
☆『秋山さと子の「いい女」論』(三笠書房)
 著者自身の生き方が面白い。直接話を聞いてみたかった。

☆大島清他『ビジネスマンのSEX学』(情報センター出版局)
 これは名著だと思う。ココロとカラダのこと、男女の新しい関係のことを考える上で必読の書。

☆橋爪大三郎・副島隆彦『現代の預言者 小室直樹の学問と思想』(弓立社)
☆小室直樹『中国共産党帝国の崩壊』(カッパビジネス)
 小室直樹の本は結構読んできた。すごい学者だということも知っていた。前書で学問の凄さを改めて堪能させられ、オーソドックスな勉強の大切さを再認識させられた。後書は一気に流し読み。独特の文体にややひっかかったが、あいかわらずの切れ味は刺激的。それにしても凄い人だと思う。

☆吉本ばなな『キッチン』(福武書店)
 『ノルウエイの森』と同様、読むタイミングをはずしていた本。ホラー小説というジャンルについて思いを巡らせていて、ふと誰かが吉本ばななの作品にはスティーブン・キングの影響がある云々と指摘していたのを思いだして、古本屋で買い置きしていたのを捜し出して読み始めた。読み始めると止められない、という高揚を久しぶりに感じた。これはうかつに批評できない。批評家の力量を問う恐い作品だ。別に批評家ではないけれども。

☆鷲田小彌太『自分で考える技術 現代人のための新哲学入門』(PHP研究所)
 「思考は、表現だ」という言葉に出会った。それだけで十分。

☆フランチェスコ・アルベローニ『友情論』(泉典子・中央公論社)
 『エロティシズム』に続いてノートを取りつつ読了。恋愛と友情とエロティシズムの違いを分析した章が面白い。「私たち」という新たな統合へと至る<生成の状態>と時間を超越した<出会い>と人格の一時的無化による快楽の<経験>がそれぞれの特徴を記述するキーワードなのだが、このように言葉で整理してしまうのはまずい。じわじわと脳髄に浸透してくるのを待つべき。

☆三遊亭円朝『怪談 牡丹燈篭』(岩波文庫)
 語り口の妙味につられ一気に読了。

☆フィリパ・ピアス『トムは真夜中の庭で』(高杉一郎・岩波少年文庫)
「30年に一本の傑作」と評した人がいたそうだ。最初、ありきたりなパターンだと退屈に思った(と言えるほど児童文学に精通しているわけではないが)。中盤から夢中になり、一気に読み急ぎ最後で少し感動的な気分になった。これは文字どおり傑作だと思う。

☆養老孟司・甲野善紀『古武術の発見』(光文社カッパサイエンス)
 昔の日本人は走れなかった。それが証拠に一揆を描いた絵で逃げまどう百姓はバンザイをして右往左往している(ええじゃないか踊りのように)。そんな雑学の種本としても面白いが、「質的に転換した動きを育てる」とか「多方向異速度同時進行」、円ではなく二力合成の平行四辺形をベースにした「井桁崩し」など武術家の言葉が新鮮。気に入ったのは「年ごとに咲くや吉野の山桜木を割りてみよ花のありかは」という柳生但馬守宗距『兵法家伝書』の極意。

☆園田恵子『娘十八習いごと』(思潮社)
いまが旬の詩人。浄瑠璃の語りのような、早口で朗読すると恍惚となる詩。感覚的に合わない、というか少し肌寒くなるような詞がところどころ目につく。女性の書いた詩だと思うからか。

☆秋山さと子『「愛」を決断するための心理学』(KKベストセラーズ)
 愛されるより愛すること、愛は損得ではない etc. 最近続けて繰り返し読んだ秋山恋愛論の集大成。

☆『STUDIO VOICE 』Vol.210 平成5年6月号(流行通信社)
 今月からすみずみまで読み込んだ雑誌も記録することにする。特集名は「NEW TEXT スタジオ・ボイス副読本300冊」で、食指をそそられる書物がたくさん紹介されていた。見開き2頁に20冊以上、カラー写真で小さく並べれた書物は、昔コレクションしていた切手のストックブックを眺めているようなわくわくした気持ちにさせる。

☆川端康成『山の音』(新潮文庫)
 STUDIO VOICE の特集で「エロティシズム」の項に紹介されていた。自分の息子の嫁に心動かす舅の「心の動きの緩慢さがもぞもぞする感じである」と。そこで急遽読むことにした。これはひとつじっくりと「批評」してみたいものだと思った。

☆小松和彦『説話の宇宙』(人文書院)
 ある時期この著者の書物を集中的に読んだことがある。『神々の精神史』(北斗出版)とか『異人論』(青土社)とか。一番刺激的だったのは栗本慎一郎との対談本だった。今回読んだのは学者相手の論文集で、これほど単純明快なことをどうしてくどくど論じなければならないのかといらいらしながら流し読み。

☆神一行『「お伽草子」謎解き紀行』(KKベストセラーズ)
 先日、神戸市内の某私大で開催された「記号論学会」を傍聴した。学会のテーマ(生命の記号論)が物語に大いに関係していた。物語とは情報組織技術の集積であるというわけだ。それ以来、物語論・説話論への関心を再び高めている。人文系、それも文学部系のそれではなく、社会科学系、自然科学系の。桃太郎、浦島太郎、一寸法師、酒呑童子の伝説に隠された古代史のメッセージを解読するという本書の趣向は、記憶の装置=情報組織技術の集積としての物語を人文系の学問の中で扱う一つの方法だろう。小松和彦が説話の形態論的構造分析から民俗社会論へと向かったように。

☆別冊宝島176『わかりたいあなたのための社会学・入門』(宝島社)
 どとうのごとく読んだ。昔、大学院の組織論のゼミの教授が「社会学者は気楽でいい」云々と言っていたのを思い出す。個人的には、面白ければそれでいい。

☆筒井康隆『本の森の狩人』(岩波新書)
 メタ・フィクション、小説論を埋め込んだ小説、作家の論説が顔を出す小説。筆者の関心の中心は虚構のほつれ目を見つけ出して、徹底的に愉しむことにあるとみた。すべての小説は、虚構の自乗によってリアルな世界を作り上げている(¬¬A=A)?

☆大類信『ヌード 1990-1960』(河出文庫)
 ただただ衣服を纏わぬ様々な肢体を眺めるだけの書物。ただただ心愉しく過ごした。ここに映っている女の子達がいまも生きているとしたら…。古いヌード写真を見るときいつもそんなことを考える。

☆高橋三雄『パソコン・ソフト入門』(岩波新書)
 駆け足でパラパラと頁を繰った。言葉のシャワーを浴びるため。

☆東山紘久他編『「夢」を知るための109冊』(創元社)
 魂の言語としての夢という題のユング派の心理学者の書物があったが、魂の言語としての詩という言い方もありうることをこの本で知った。ココロとカラダとコトバのことを考える上で、夢の問題は外せないだろう。

☆副島隆彦・山口宏『法律学の正体』(JICC出版局)
 司法試験の勉強でも始めてみたくなった。和声学や詩学と並べて法律学を論じている点に、日本の法律学者をけなしながらも法律学そのものをけなしているわけではない二人の対談者の法律への屈折した思いが伺える。

☆大津栄一郎『英語の感覚(上)』(岩波新書)
 英語の人称代名詞は人格的・形而上学的な内容を指示しており、日本語にはこれに相当する品詞はないとか、眼から鱗が落ちる指摘が再々ある。論述に深みがなく時として平板な箇所もあったが、直接法・仮定法・命令法(インド・ヨーロッパ語には、他に願望法という法もあるそうだ)の関係、つまり「法(MOOD)」が結構面白いことに目を開かせてくれたことをもって、英語の勉強以上に十分意味があったとしておこう。

☆ジンメル『社会学の根本問題』(清水幾太郎・岩波文庫)
 個人と社会をめぐってあまり刺激的とは思えない議論が延々続く、と思うのは私の知識・見解がジンメルを超えているからか、それとも私の知識・見解の枠組みそのものの原典がジンメルだったからなのか。論述の流れには古典の風格があり、たとえば「社交」をめぐる議論には現代に通じる鉱脈が潜んでいる。

☆三羽信比古『プログラムされた死』(岩波書店)
 生物には自殺のプログラムが内在している。「なぜ効率的で合理主義者のはずの生物がこのような一見不合理なプログラムを仕組んだのか」。このような問いが可能であること自体が面白い。

☆吉永良正『ウィルスが「人間」を支配する』(KAPPA SCIENCE)
 タイトルの「人間」とは近代的人間のことで生物種としてのヒトでなはい、近代人は「分子的無意識が命じる自己目的しかもたない戦争機械の論理」(=ウィルスの論理)に支配されていると著者はいう。あと、ウィルスとはハードウェアを欠いたソフトウェアそのものである、その意味でコンピュータ・ウィルスも本来のウィルスだという指摘が面白い。

☆朝日ワンテーママガジン『数学ゲンダイ』(朝日新聞社)
 最近また数学熱が再発した。吉永良正の文章が刺激的だった。ライプニッツの普遍数学のアイデアが面白い。哲学と数学の統合。

☆足立恒雄『無限の果てに何があるか』(光文社 KAPPA SCIENCE)
 再読。数論の世界にのめり込むと大変なことになりそうだ。

☆河合隼雄『イメージの世界』(青土社)
 先日、平安時代の物語をめぐる著者の講演を聴いた。柔軟でしかも強靭な人柄とみた。アイデアの忘備録のような書物。

★1993.6

☆『宝島30』 平成5年6月号(宝島社)
 別冊宝島特別編集。創刊号。5月8日の発売日を心待にして、すみずみまで読んだ。期待通りの雑誌だが果して何号まで続くか。

☆岩波文庫編集部編『読書のすすめ 第2集』
 80頁足らずの小冊子。9人の識者が読書をめぐる短いエッセイを書いている。阿部謹也さんの文章が実に面白い。『学問の仕事場』を思いだした。

☆長谷川真理子『オスとメス=性の不思議』(講談社現代新書)
☆大島清『ヒトは愛すると、なぜ美しくなれるのか』(二見書房)
☆榎本知郎『愛の進化 人はなぜ恋を楽しむか』(どうぶつ社)
 性をめぐる書物をまとめて読んだ。

☆田沼武能編・長部日出雄文『木村伊兵衛 昭和の女たち』(筑摩書房)
☆椎名誠『草野国の少年たち』(朝日新聞社)
 写真と短文。木村伊兵衛の写真は地味だけれどなぜか懐かしく忘れられない。椎名誠の写真も捨て難い。

☆渡辺格『物質文明から生命文明へ』(同文書院 '90)
☆半田智久『知能のスーパーストリーム』(新曜社 '89)
☆『Brutus』297 1993.6.15「コンピュータ最終案内(マガジンハスス)
 知能の進化ということ、物質・生命・精神に続くX(渡辺)とは何かについて、コンピュータの発達を見据えながら考えてみた。

☆森岡正博『意識通信』(筑摩書房 '93)
 電子架空世界における新しいコミュニケーションをめぐる実に刺激的な論考。最終章は筆者の意気込みは感じられるものの、やや平板。

☆福島英『ヴォイストレーニングここがポイント』(音楽之友社 '92)
 形而上的なものと形而下的なものの境界に位置する「声」はとても大切なものだと以前から思っていた。

☆『DIME』'93.7.1 NO.13 (小学館)
 情報のぎっしり満載された雑誌だけれど、気力とイメージ喚起力と想像力が充実している時に読まないと散漫な時間を過ごすことになっていしまう。

☆マックス・ヴェーバー『職業としての政治』(脇圭平・岩波文庫)
☆山口二郎『政治改革』(岩波新書 '93)
☆大前研一・田原総一朗『日本大改造論』(徳間書店 '92)
☆大前研一『平成維新』(講談社 '89)
☆細川護煕・岩國哲人『鄙の論理』(光文社 '91)
☆細川護煕『日本新党 責任ある変革』(東洋経済新報社 '93)
☆別冊宝島180『官僚のボヤキ』(宝島社 '93)
 宮沢内閣不信任案の可決、衆議院の解散、自民党羽田派の新党結成と一連の出来事が続いた。政治について、地方分権(あるいは地方主権)についてじっくり考えてみたいと思った。

☆森毅『数学の歴史』(講談社学術文庫 '88:'79)
 森毅独特の掴みどころのない文体から社会や歴史と深くかかわる思想としての数学の香りが立ちのぼってくる。名著だと思う。<法則性>のあるところには<数学>がある。チョムスキーの文法構造、レヴィ・ストロースの親族構造、ピアジェの認識構造はすでに数学である。それはライプニッツの<普遍学>の二十世紀における達成でもあった。確率過程論は微視的状況と巨視的状況との関連を考えるものであった。統計学は十九世紀の近代国家の成長とともに発達した。──現代数学に関する記述からだけでもこれだけの名句が引用できる。いつか細部の記述の意味するところを数学的に理解できるようになりたい。

☆秋山仁『数学講義の実況中継(上)』(語学春秋社 '86)
 森毅と並ぶ名物数学者の予備校講義の実況中継。鮮やかな解法に快感を覚えながら読了。ただし問題を自分の力で解けといわれればほとんど不可能。

☆稲垣良典『トマス=アクィナス』(清水書院 '92)
☆大島末男『カール=バルト』(清水書院 '86)
 昔『イエス』『パウロ』(いずれも八木誠一著・清水書院)を読んで以来、神学に強い関心を抱いてきた。あまり知的興奮はなかった。やはり原典を読むべきか。

☆『これだけはおぼえよう 中学英語基本文』(旺文社 '82)
 英語の勉強本。中学英語と英単語とヒアリングをやれば英語はマスターできるとある本に書いてあったのを実践した。

☆チャンドラー『かわいい女』(清水俊二・創元推理文庫 '59:'49)
 英語の勉強を兼ねて原書を半分ほど読んだところ。先に翻訳書を読んでしまった。

☆村上春樹『ダンス・ダンス』(講談社)
☆村上龍『超電導ナイトクラブ』(講談社)
 休日、フィクションを読みたくなって、図書館で両村上作品のうちまだ読んでいない長編を選んだ。「ダンス」の方は10年前読んだ『羊をめぐる冒険』の続編で、あの寂寥感とも救済の予感ともつかない雰囲気がしだいに袋小路に入っていく息苦しさがあった。「ナイトクラブ」の方は、酔えなかった。