【購入】
●ジョン・ル・カレ『繊細な真実』(ハヤカワ文庫:2016.09.25)【¥1060】[10/10]《喜久屋書店》
映画化された「われらが背きし者」と間違えて買った。訳者あとがきに、ル・カレの静かなブームが続いていると書いてある。
●鴻上尚史『発声と身体のレッスン──魅力的な「こえ」と「からだ」を作るために』(ちくま文庫:2012.12.10)【¥900】[10/15]《楽
天ブックス》
文庫解説が安田登。
●『折口信夫芸能論集』(安藤礼二編,講談社文芸文庫:2012.05.10)【¥1400】[10/30]《楽天ブックス》
●『折口信夫文芸論集』(安藤礼二編,講談社文芸文庫:2010.04.09)【¥1400】[10/30]《Amazon》
没年のラジオ講演録「俳句と近代詩」(「文芸論集」所収)が読みたくて
●ジル・ドゥルーズ『フランシス・ベーコン 感覚の論理学』(宇野邦一訳,河出書房新社:2016.02.28)【¥3000】[11/08]
《Amazon》
●本橋信義『新・論理考究──論理がはじめてわかる』(幻冬舎メディアコンサルティング:2016.09.27)【¥1300】[11/08]
《Amazon》
論理について考えるために。「感覚の論理」は山県煕訳で一瞥したことがあるが、手元においておくために(中井正一の「リズムの構造」への接続をねらっ
て)。
●高橋源一郎『丘の上のバカ──ぼくらの民主主義なんだぜ2』(朝日新書:2016.11.30)【¥780】[11/10]《喜久屋書店》
前作は(内容もさることながら)文章がよかった。
●三上春海・鈴木ちはね他『誰にもわからない短歌入門』(稀風社:2015.11.23発行/2016.09.27第四刷)【¥700】[11/11]
《有限会社タコシュ》
この本のことは永井均さんのツイッターで知った。
●藤井貞和『日本文法体系』(ちくま新書:2016.11.10)【¥980】[11/12]《喜久屋書店》
『文法的詩学』と『文法的詩学その動態』の内容を考察し直して、コンパクトに纏めたと「はじめに」に書いてある。こんな本が出るなら『文法的詩学』を買
うんじゃなかった(それも読みにくい電子書籍版で)。
読まずにおいてある『日本語と時間』とあわせて、読むべき時が近づいている。
●川田稔『柳田国男──知と社会構想の全貌』(ちくま新書:2016.11.10)【¥1300】[11/18]《蔦谷書店》
柳田地域政策論(政策民俗学)の勉強本。
●ジョエル・ディケール『ハリー・クバート事件』上下(橘明美訳,創元推理文庫:2016.11.11)【¥980×2】[11/19]《ジュンク堂書店
三宮店》
映画化された『ネバー・ゴー・バック』と間違えて買った。「冤罪もの」しか念頭になかった。
読み始めてすぐ「この趣向、文体は好みでない、失敗」と思ったが、我慢して先に進んでいくうち、しだいにはまっていった。
●和辻哲郎『日本語と哲学の問題』(景文館書店:2016.12.01)【¥520】[11/19]《ジュンク堂書店三宮店》
「精読用テクスト」というアイデアに共感。既刊本にバタイユの「広島の人々の物語」と「魔法使いの弟子」(どちらも酒井健訳)がある。
●和辻哲郎『人間の学としての倫理学』(岩波新書:2007.06.15)【¥800】[11/21]《ジュンク堂書店三宮店》
和辻哲郎が面白くなってきた。仲正昌樹著『〈日本哲学〉入門講義──西田幾多郎と和辻哲郎』が取り上げている。
●末木文美士『日本仏教史──思想史としてのアプローチ』(新潮文庫:1996.09.01/1992.02)【¥670】[11/21]《ジュンク堂書
店三宮店》
国立国会図書館の遠隔複写サービスを利用して、次の2論文を入手した。
その大石論文で再々言及されているので気になって(『人間の学としての倫理学』と一緒に)『日本仏教史』を購入した。
◎山田哲平「トポスなきナショナリズムから他者としての身体へ──貫之論」(岩野卓司編『他者のトポロジー』所収)
◎大石昌史「行為の論理と場の論理──日本的美意識を規定する論理構造の解明」(『グローバリゼーション状況下における芸術の論理と倫理』所収)
●木村敏『時間と自己』(中公新書:1982.11.25/2004.05.20・23刷)【¥150古】[11/21]《あかつき書房》
たしか刊行直後に読んで大きな影響を受けた。「書庫」のどこかに眠っているはずだが、手元においておきたい理由があって。
●オスカー・ベッカー『美のはかなさと芸術家の冒険』(久野昭訳,理想社:1964.11.25/1949.10.15第10刷)【¥718古】
[11/26]《もったいない本舗(Amazon)》
●オスカー・ベッカー『ピュタゴラスの現代性──数学とパラ実存』(中村清訳,工作舎:1992.10.10)【¥1061古】[11/26]《もったい
ない本舗(Amazon)》
永井均さんが『〈仏教3.0〉を哲学する』で言及していた。「パラ実存」という語に惹かれて。
●枡野浩一『君の鳥は歌を歌える』(マガジンハウス:1999.10.21)【¥499古】[11/28]《 巨人のみぎうで小人のおへそ書房
(Amazon)》
映画化やノベライズと同じ感覚で「ひとさまの作品」を「短歌化」する。帯には「前代未聞のレビュー&エッセイ」と。雑誌『鳩よ!』に連載された。
永井均著『子どものための哲学対話』を「短歌化」したのがこれ。
左翼とか右翼とかいう対立は
あなたがたには大事でしょうね
●原田マハ『総理の夫 First
Gentleman』(実業之日本社文庫:2016.12.15/2013.07)【¥639】[12/06]《JAPAN BOOKS》
この作家が一番面白い。
●赤瀬川原平・山下裕二『日本美術応援団』(ちくま文庫:2004.03.10/2015.04.10第五刷/2000.02)【¥1150】
[12/10]《ジュンク堂書店三宮店》
山下裕二さんの講演(若冲)を聴いて、著書を読みたくなった。
●エトムント・フッサール『内的時間意識の現象学』(谷徹訳,ちくま学芸文庫:2016.12.10)【¥1722】[12/10]《ジュンク堂書店三宮
店》
いま「無意識」と「論理」を考えていて、次のテーマが「夢」と「時間」。渡辺恒夫著『夢の現象学・入門』と九鬼周造の時間論と併読する。
●カンタン・メイヤスー『有限性の後で──偶然性の必然性についての試論』(千葉雅也他訳,人文書院:2016.01.20)【¥2200】
[12/16]《蔦谷書店》
帯のコピー「人文学を揺るがす思弁的実在論、その最重要作、待望の邦訳」に反応して衝動買い。
●ジャック・ラカン『テレヴィジオン』(藤田博史・片山文保訳,講談社学術文庫:2016.12.09/1992)【¥600】[12/16]《喜久屋書
店》
ラカンのことはどうしても気になる。入門書の類は何度でも読みたくなる。本文百頁の薄さがいい。十七頁に及ぶ「訳語−原語対照表」が素晴らしい。
●『谷崎潤一郎作品集 [Kindle版]』【¥99】[12/17]《Amazon》
とりあえず買っておいた。
●折口信夫『古代研究T 民俗学篇1』(角川ソフィア文庫:2016.12.25改版)【¥920】[12/25]《喜久屋書店》
安藤礼二の新版解説「依代論から王権論へ」付き。講談社学芸文庫の安藤編集本四作とあわせて来年は折口漬けになるか。
●中沢新一・小澤實『俳句の海に潜る』(角川学芸出版[電子書籍版]:2016.12.26)【¥1555】[12/26]《楽天KOBO》
『日本文学の大地』に続き電子書籍版で中沢新一の日本古典文学談義を読む。
【読了】
●佐藤公治『音を創る、音を聴く──音楽の協同的生成』(新曜社:2012.07.25)[10/10]
読み終えてかなり時間が経つ。印象がぼやけている。それでも、たくさんの先人の引用がちりばめられていて、それが的確で面白かった記憶は鮮明に残ってい
る。小林秀雄、ヴィゴツキー、木村素衛、木村敏、中井正一、等々。
終章「「中間世界」の中の人間の活動」で、市川浩の「他者による顕身」が引用されている。「演劇が、観客(他者)と共有する具体的な場としての〈劇場〉
(建物という意味ではなく)を必要とするように、思考もまた、他者と共有する具体的な思考場を源泉として発生する。」(『現代芸術の地平』231頁、本書
257頁)
坂部恵の名がでてくるのは、「中間世界」を「中動態」や「中動相」に置き換える文脈でのこと。
《私たちは一つの閉じられた個人の認識系や活動系の中に生きているのでも、自分の外部にある環境系に一方的に規定されているのでもなく、この二つの世界の
間を行ったり来たりしている。中間の世界で私たちは生きている。そして一つの中間世界ではなく、複数の中間世界が関係しながら存在しており、それぞれの中
間世界は他の中間世界を参照することで成立している。
人間の活動という側面に注目すると「中間世界」という言い方と同時に「中動態」という表現が出てくる。能動態でも受動態でもない二つが同時に存在してい
る、分けることなどできない中間にあるという意味で「中動態」である。この「中動態」、あるいは「中動相」という言葉は。坂部恵が木村敏との対談の中で何
度か述べていたものである。》(262-263頁)
◎「対談・生と知のアクチュアリティ」(木村敏・坂部恵監修『臨床哲学の諸相:身体・気分・心』)
◎「対談・〈作り〉と〈かたり〉」(木村敏・坂部恵監修『臨床哲学の諸相:〈かたり〉と〈作り〉』)
●竹村公太郎『水力発電が日本を救う──今あるダムで年間2兆円超の電力を増やせる』(東洋経済新報社:2016.09.01)[10/11]
ダムは太陽エネルギーの貯蔵装置。@多目的ダムの運用を変更し空き容量を発電に活用する。A既存ダムを嵩上げし、B現在は発電していないダムに発電させ
る。そうすることで水力発電の年間電力量が1000億kWh増加すれば現在の電気料換算で2兆円、100年で200兆円分の国産電力が生まれる。だから日
本のダムは「油田」だと著者は言う。
そして、C砂防ダム・農業用水路などにおける1000kW以上の小水力発電。小水力発電を前進させるため、「利益はすべて水源地域へ」という原則のも
と、@水力開発の専門家集団が事業計画を支援し立案し、その事業の判定を行っていく、A保証実施体制(電力会社などによる)が後ろ盾となり、事業資金を地
方の金融機関から調達する、BSPC(特定目的会社)が事業を運営していく、といった仕組みの法制化が必要だと著者は提唱する。
本の造り方がとても丁寧。
第1章 なぜ、ダムを増やさずに水力発電を2倍にできるのか
第2章 なぜ、日本をエネルギー資源大国と呼べるのか
第3章 なぜ、日本のダムは200兆円の遺産なのか
第4章 なぜ、地形を見ればエネルギーの将来が分かるのか
第5章 なぜ、水源地域が水力発電事業のオーナーになるべきなのか
第6章 どうすれば、水源地域主体の水力発電は成功できるのか
●市川浩『〈中間者〉の哲学──メタ・フィジックを超えて』(岩波書店:1990.01.25)[10/19]
読み終えてかなり時間が経つ。プロローグ「身体による世界形成」とエピローグ「〈中間者〉の存在論──トランス・フィジックの試み」はいつか読み返さね
ばと思っている。
なにが琴線に触れたのか思い出せないが、二箇所、角を折っている。「もの=クオリア、他者=ペルソナ、身=ウタ」。そんなメモが残っている。
《…〈身〉と〈世界〉が分化し、世界が〈‘もの’〉と〈他者〉に分極化する。それはまた身みずからが、‘もの’と他者とのかかわりにおいて、潜在的に身分
けされることを意味する。》(116頁)
《…自他が未分化な共生状態から、‘もの’と‘他者’を身分けすることによって、身みずからを身分けする人称的自己は、実体ではないのはもちろん、一義的
あるいは複−一義的に規定される存在でさえない。人称的自己は、さまざまの‘他なるもの’および自己自身との関係が交叉する網目のうちに生起する多重帰属
的・依他的な関係的存在である。》(122頁)
●渡部泰明『和歌とは何か』(岩波新書:2009.7.22)[10/31再読]
●尼ヶ崎彬『日本のレトリック』(ちくま学芸文庫:1994.10.6/1988)[10/31]
「哥とクオリア/ペルソナとしての哥」の参考書として。
●ジョン・ル・カレ『繊細な真実』(ハヤカワ文庫:2016.09.25)[11/04]
うまくはまることができなかった。マーク・グリーニーの分かりやすさが今は頭と体に合っている。
●矢部宏治『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないか』(集英社インターナショナル:2014.10.29/2016.08.06第10刷)
[11/05]
面白かった。続編『日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか』をいつどんなタイミングで読もうかと考えている。
●高橋源一郎『丘の上のバカ──ぼくらの民主主義なんだぜ2』(朝日新書:2016.11.30)[11/18]
中身より文章が素晴らしい。中身も素晴らしいが、それはこの文体があればこそだ。「左翼」の新しい文体?
●本橋信義『新・論理考究──論理がはじめてわかる』(幻冬舎メディアコンサルティング:2016.09.27)[11/21]
なにか大切で肝心なことが語られていると確信できるが、それがなんだかつかめない。
●藤田一照・永井均・山下良道『〈仏教3.0〉を哲学する』(春秋社:2016.09.25)[11/21]
この本についてはブログでとりあげることにした。実に久しぶり。
●和辻哲郎『日本語と哲学の問題』(景文館書店:2016.12.01)[11/28]
一読では歯が立たない。二読、三読、精読にふさわしいテキスト。
哲学の基本問題「あるということはどういうことであるか」を形成している日本語、「こと」「いうこと」「いう者」「ある」を微細にわたって分析してい
る。「こと」をめぐる議論が煩瑣でついていけなかったが、その前後はすこぶる面白い。
「あることはいかなることであるか」が問われているのではない。哲学は「こと」を問う。より精確には「いうこと」を問うのだ(50頁)。
「いうこと」の根源的な意義は「人間の行為的連関における実践的了解の自覚の契機」である。この「自覚」が言としての「こと」の真相である(60頁)。
しかしそれは誰の自覚か。私か汝か彼か世人か賢人か。いわく、すべての人が言うのである。個人的・社会的な二重構造を有する人間存在の自覚としてのみ
「言」は生起し発展する(63頁)。
いま印象に残ったところを任意に抜粋したが、面白いのはやはりその前後で、(たとえば、「である」=「事物の本質
essentia」でも「がある」=「事物の存在
existentia」でもない「ある」、日本語において根柢的な無限定の「ある」をめぐる議論)、だからこのテキストは二読、三読、精読にふさわしい。
●ジョエル・ディケール『ハリー・クバート事件』上下(橘明美訳,創元推理文庫:2016.11.11)[11/30]
面白い趣向だった。
●井筒豊子『白磁盒子』(中公文庫:1993.03.10/1959.05)[12/02]
橘外男と久生十蘭を足して微量の澁澤龍彦をふりかけたような極上のテイスト。珠玉の七編。
佐藤春夫の叙文(これが素晴らしい文章)は「完成の域からはやや遠い感なしとせぬ」と厳しいが、前後の文脈から高度な褒め言葉と読めないこともない。
村上博子の文庫解説(これも素晴らしい文章)に井筒豊子の「モロッコ国際シンポジウム傍観記」が紹介されている。なんとかして入手したい。(後日、国会
図書館の遠隔複写サービスを利用した。)
◎井筒豊子「モロッコ国際シンポジウム傍観記」(『中央公論』(1982年4月号)所収)
●永井均『改訂版 なぜ意識は実在しないのか』(岩波現代文庫:2016.06.16)[12/17]
この本も『〈仏教3.0〉を哲学する』に続いてブログで取り上げようかと思っている。
●ジャック・ラカン『テレヴィジオン』(藤田博史・片山文保訳,講談社学術文庫:2016.12.09/1992)[12/24]
これほど訳が分からないのに気になる本も滅多にない。
●ジェイムズ・エルロイ『ホワイト・ジャズ』(佐々田雅子訳,文春文庫[電子書籍版]:2016.05.20)[12/26]
断続的に読んだのでストーリーと登場人物とその関係がグチャグチャになった。でも独特の断定的なリズムと全篇に漂う絡みつくようなテイストが次第に心地
よくなり、とうとう最後まで何が何だかよく分からないまま楽しめた。
●苫米地英人『カジノは日本を救うのか?』(サイゾー[Kindle版]:2014.11.13)[12/28]
説得力のあるカジノ批判の本。
●原田マハ『総理の夫 First Gentleman』(実業之日本社文庫:2016.12.15/2013.07)[12/28]
もっとリアルな政治劇を期待していたが、タイトル通りの作品だった。それでも(当てが外れたけれど)存分に楽しめた、
●三上春海・鈴木ちはね他『誰にもわからない短歌入門』(稀風社:2015.11.23発行/2016.09.27第四刷)[12/]
本のタイトルや装丁からは想像できないくらい濃密で真摯で鋭い本格的な短歌論であり、作品批評の書だった、とブログには書いた。この本が素晴らしかった
のか、これまで食わず嫌いだった現代短歌が素晴らしかったのか、たぶんその両方だと思う。