不連続な読書日記(2013.05-06

 


【購入】


●ポール・マッケンナ『さあ、脳を進化させよう』(柴田裕之訳,宝島社:2013.05.11)【¥1900

 春眠暁を覚えず。とはいえ、日中の眠気があまりに強烈で、しかもいつまで経っても収まらない。頭が悪くなったのではないかと心配になって。睡眠誘導のCDがついている。毎晩聴いている。(05/04


●エトムント・フッサール『ブリタニカ草稿』(谷徹訳,ちくま学芸文庫:2004.02.10)【¥1300

 渡辺恒夫著『フッサール心理学宣言』が滅法おもしろかったので。渡辺本からのテーマと関心のつながりでいけば、同じちくま学芸文庫から『間主観性の現象学 その方法』に進むべきだが、直観的にブリタニカ草稿を手にした。後にこの選択が的を射ていたことが判明する。(05/05


●谷徹『これが現象学だ』(講談社現代新書:2002.11.20)【¥740

 『ブリタニカ草稿』の訳者解説も滅法おもしろかったので。ほんとうは『意識の自然──現象学の可能性を拓く』(勁草書房)を入手したかった。すこぶる評判がいい本のようだが、価格壱万円也はさすがに怯える。(05/09


●瀬名織江『哲学探偵ベルクソンの事件簿』(彩流社:2013.04.25)【¥1800 300

 『さあ、脳を進化させよう』に、アインシュタインでもシャーロック・ホームズでもシェイクスピアでもクレオパトラでも誰でもいいので、自分が学びたい人の中に「入り込む」、自分が選んだロールモデルに「なる」、その天才になりきってその人がするように体を動かしたり話したりする、というエクササイズが紹介されていた。
 芸術家や文学者や政治家よりも哲学者か宗教家。頭に浮かんだのはウィトゲンシュタインと道元とベルクソンの三人。ウィトゲンシュタインに「なる」のは辛そうだし、道元はよく判らないので、気分はベルクソンになっていた。(05/14


●吉本隆明『改訂新版 心的現象論序説』(角川ソフィア文庫:1971/1982文庫初版、2013.02.25改版)【¥952

 そろそろ『定本 言語にとって美とはなにか』二巻にとりかからねばと思っている。その動機づけのために買った。(05/19


●野矢茂樹『心と他者』(中公文庫:1995.01/2012.11.25)【¥857

 永井均著『哲学の密かな闘い』に野矢茂樹の私的言語論に対する批判が掲載されている。この文章を熟読吟味したうえで玩味吸収したいと思っている。そのためには、永井が批判している野矢の文章(『語りえぬものを語る』一八章)を読んでおかなければならないのだが、その前にいぜんから気になっていた大森荘蔵の書き込みつきの文庫本で準備体操をすることにした。(05/19


●トム・クランシー他『ライアンの代価』1・2(田村源二訳,新潮文庫:2012.12.01)【¥590×2】
●トム・クランシー他『ライアンの代価』3・4(田村源二訳,新潮文庫:2013.01.01)【¥590×2】

 『ロリータ』の次に読む小説をずっと探していてようやく『二流小説家』に決めたのに、いざ買うとなると気が変わった。ジャック・ライアン・シリーズは最近では『日米開戦』と『大戦勃発』を読んでいる。最近といっても、調べてみるといずれも10年以上も前のことになるのでずいぶん久しぶりになる。シニアは大統領選に出馬し、ジュニアが活躍している。第1巻を読んでいる最中に、NSA(NO SUCH AGENCY)による極秘の情報収集が告発された。(06/0515


●小谷野敦『川端康成伝──双面の人』(中央公論新社:2013.05.25)【¥3000

 辻邦生の『薔薇の沈黙──リルケ論の試み』を再読していて、ふと、この作品のかたち(章数や分量)を模範に、自分なりの「康成論の試み」に取り組みたいと思った。突然のことでいつまで続くかわからないが、まず13章仕立ての全体構成の想を練るためのテーマや素材の蒐集から着手することにした。この本を買い求める理由がほしかっただけなのかもしれないが。(06/09


●鈴木光太郎『ヒトの心はどう進化したのか──狩猟採集生活が生んだもの』(ちくま新書:2013.0610)【¥780

 ほぼ毎年、ヒトの心の考古学、といったジャンルの本を愉しみながら読んでいる。最近では『ヒューマン──なぜヒトは人間になれたのか』や『進化考古学の大冒険』。いつだったか忘れたが、『5万年前に人類に何が起きたか? 意識のビッグバン』や『神々の沈黙──意識の誕生と文明の興亡』など。(06/15


●川端康成『文芸時評』(講談社文芸文庫:2003.09.10)【¥1600 古1800

 佐竹昭広「「見ゆ」の世界」(『萬葉集抜書』)に谷崎潤一郎の「盲目物語」をめぐる川端康成の文芸時評の一節、「この作品は文体の物語なのである。」云々が引用されていた。きびきびと論理の筋目の通った文章に意外の思いを強くもった。川端康成はこんな文章が書けるのかと思ったのである。
 小谷野敦著『川端康成f──双面の人』には、「川端の文藝時評は抜群に優れたもので、小林秀雄を超えている。小林は非論理だが、川端は論理的で、かつ名文である。」(128頁)と書かれている。書店で探したがどこにも見当たらず、amazon 経由の大阪・天牛書店から購入。(06/16


●西村義樹・野矢茂樹『言語学の教室──哲学者と学ぶ認知言語学』(中公新書:2003.06.25)【¥840

 いまもっとも興味があるのは、言語学と心理学と脳科学と認知科学と歴史学と考古学と哲学が重なり合う領域で、「進化認知心理学的言語哲学」とでも名づけられる訳の分からないものになる。(06/23



【読了】


●渡辺恒夫『フッサール心理学宣言─他者の自明性がひび割れる時代に─』(講談社:2013.03.21

 実に面白く読んだ。現象学熱に罹った。(05/06

 「幻想実験室&おもしろ死生学──渡辺恒夫研究室の秘密のページ」[http://homepage1.nifty.com/t-watanabe/]に「アマゾンで世界秘密名義でブックレヴューを始めました。お奨めレヴュー「エロティック・キャピタル」(キャサリン・ハキム著、共同通信)。」とあった。さっそく読んでみたら、これがけっこう面白い。
 現象学関連では、浜渦辰二さんの「はまうず・ホームページ」[http://www.let.osaka-u.ac.jp/~cpshama/hamauzu.html]が充実している。さっそく「他者と異文化フッサール間主観性の現象学の一側面」[http://www.let.osaka-u.ac.jp/~cpshama/gyouseki/tasha-ibunka.html]を読んだ


●梅原猛『人類哲学序説』(岩波新書:2013.04.19

 これほど大味な哲学本は読んだことがない。梅原猛が語っているから最後まで読めたのだと思う。(05/09


●野矢茂樹『心と他者』(中公文庫:1995.01/2012.11.25

 ていねいに読んだ。和歌論にむすびつく。続編がまもなく刊行されるらしい。(05/31


●谷徹『これが現象学だ』(講談社現代新書:2002.11.20

 現象学は食わず嫌いだった。これほど面白いとは知らなかった。それはフッサールの現象学が面白いからではなくて、谷徹の解説の手さばきが見事で素晴らしいからなのだと思う。(05/20

◎マルティン・ハイデガー『現象学の根本問題』(木田元監訳,作品社:2010.12.10
◎ハイデッガー全集第24巻『現象学の根本諸問題』(創文社:2001.2.20
◎木田元『ハイデガー拾い読み』(新書館:2004.12.15
◎斎藤慶典『フッサール 起源への哲学』(講談社選書メチエ:2002.05.10

 ネットでみつけたハイデガーの文章を実地に確認したくて二つの翻訳書を読み比べた。結局、探していた文章はみつからなかったが、おかげでふだんならとても読み通すことのできない哲学書を通読することができた。通読であって精読ではない。精読ではわからないことが(そもそもほとんど読み通せないし)、通読だと手にとるようにわかる。これまで何度も経験してきたことなのにあらためて実感した。木田本と斎藤本は再(通)読。(06/01


●熊野純彦『埴谷雄高──夢みるカント』(講談社:2010.11.25

 三章のうち二章まで読んで中断していた。休日の午後、なぜか手にとり最後まで読みあげた。「存在する sein」という概念はなんら「実在的述語」ではないという、カント−ハイデガーにつながる話題がでてきた(207頁)。
 カントの議論を逆手にとって埴谷雄高がたちあげた「未出現の宇宙」を「夢みる」形而上学(213頁)。この「無出現を内包した存在論」は死者たちの無念を背負わされた「亡霊の形而上学」であり(223頁)、「虚」の存在論であり、西田幾多郎の絶対無の思考ととなりあうものである(231頁)。よく理解できていないが、面白かった。(06/02


●ナボコフ『ロリータ』(若島正訳,新潮文庫:2006.11.01

 『ナボコフの文学講義』に教えられた読み方(小説を読む姿勢、構え)をもって読み込んでいった。いつか再読することになる。川端康成は「あれは汚い」と評した。(06/04


●吉本隆明『改訂新版 心的現象論序説』(角川ソフィア文庫:1971/1982文庫初版、2013.02.25改版)

 この本は改版前の角川文庫がでたばかりの頃にいちど読んでいる。この本だけでなく『言語にとって美とはなにか』も『共同幻想論』も同じ角川文庫でつづけて読んでいる。『共同幻想論』は大学に入って(たぶん一番最初に)ハードカバー版で読んでいる。もう三十年以上も前に読んだ本なのに、まるでつい昨日か一昨日読み終えたかのように読中読後の印象がくきりと残っている。小説を読んだときのように鮮明に覚えている。
 原生的疎外から純粋疎外、生命から言語への「ベクトル変容」という言葉がくっきりと印象に残った。(06/10

●鈴木光太郎『ヒトの心はどう進化したのか──狩猟採集生活が生んだもの』(ちくま新書:2013.0610

 第一部、600万年前にチンパンジーと分岐してから3万年前の洞窟壁画までのヒトの歴史、ヒトをヒトたらしめている6大特徴(直立二足歩行、道具の製作と使用、火の使用、大きな能、言語と言語能力、文化)。ホモ・モビリタス、ネオフィリア(新しもの好き)。
 第二部、数百万年にわたる狩猟採集生活が生んだ「これぞヒト」と思う3つのもの(動植物に対する強い関心、遊びとスポーツ、分業と性差)。ホモ・ルーデンス、バイオフィリア(生き物好き)。
 第三部、「心の理論」とミラー・ニューロン、そして言語との関係(入れ子構造)。ホモ・ソシアリス(社会的なヒト)、ホモ・イミタトゥス(まねするヒト)、ホモ・ロクエンス(しゃべるヒト、ことばを操るヒト)、ホモ・レリギオスス(神や超自然的存在を信じるヒト)。
 最後の文章が印象的。「そう、あなたは心を介してほかの人とつながっている。あなたの頭のなかには、たくさんの人々の思い出も詰まっている。いまこの世にいない人も、あなたの思い出のなかで生きている。あなたの生のなかには、ほかの人の生も入れ子のように入っている。逆に、あなたを知るほかの人の頭のなかにも、あなたが生きている。」(06/19


●西村義樹・野矢茂樹『言語学の教室──哲学者と学ぶ認知言語学』(中公新書:2003.06.25

 自然科学が自然現象のメカニズムを解明するように、言語学は言語のメカニズムを解明する科学だという意識が多くの言語学者に見られるのではないかと哲学者が問う。生成文法の専門家のほとんどはイエスと答え、認知言語学者の多くもそう答えるだろうと認知言語学者が答える。

「だけどぼく自身は、自戒の念を込めて言うと、認知言語学的な研究の多くは「言語のメカニズムを解明する科学」ではないと考えていますし、「機械の仕掛けを解明するかのような工学的な」発想で言語学を行っていると思われるのにはかなり強い抵抗感があります。とはいえ一方で、なんでもありの分野にしないためには、ある意味で「実証的」であることも必要でしょう。そういう点で、言語学はむしろ歴史学に似ていると思うんです。起こったことをあとから見て、こういう経緯で考えるのが納得が行くんじゃないかっていう感じで。」(200頁)

 ある意味でこの書物の価値はこのやりとりのうちに凝縮されている。ここから、認知言語学の理論がもつ魅力は「言語現象に対する新たなカテゴリー化を提示して、それによって言語現象に対する新たな見方をわれわれに与えてくれる」(198頁)ことにあるという哲学者の発言がでてくる。認知言語学が生き残るとしたら「可塑的で流動的であるのが言語の本質的な特徴であり、固定された規則によって無限に文を生み出していくという面の方がむしろ付帯的な現象である」(212頁)という言語観にあるとする認知言語学者の発言がでてくる。
 野矢茂樹の『心と他者』と同様、和歌論に応用できるアイデアがいっぱいつまっていた。(06/28


●トム・クランシー他『ライアンの代価』1・2(田村源二訳,新潮文庫:2012.12.01
●トム・クランシー他『ライアンの代価』3・4(田村源二訳,新潮文庫:2013.01.01

 終盤はほとんどこの本を読む愉しみのためだけに生きていた。一気読みを抑制するのに難儀した。(06/0506/30