不連続な読書日記(2013.02

 


【購入】


●傳田光洋『皮膚感覚と人間のこころ』(新潮選書:2013.01.25)【¥1100

 朝刊の広告が意識の端に残っていて、立ち寄った書店で気がついたら手にとっていた。リルケの『ドゥイノの悲歌』の詩片が引用されたあとがき「さいごに」を目にしたとき、私の「皮膚感覚」が、これは買い、と告げた。(02/03


●岡ノ谷一夫『「つながり」の進化生物学──はじまりは、歌だった』(朝日出版社:2013.01.25)【¥1500

 岡ノ谷一夫さんのことは小川洋子との共著『言葉の誕生を科学する』(河出ブックス)ではじめて知り(これは名著だった)、つづけて『さえずり言語起源論──新版 小鳥の歌からヒトの言葉へ』(岩波科学ライブラリー)を読んで、「これは使える!」と感銘をうけながら、その後、特段の「使い道」を見つけられないまま今日にいたっている。
 「とにかく面白かった」としか言いようのない池谷裕二さんの名著『単純な脳、複雑な「私」──または、自分を使い回しながら進化した脳をめぐる4つの講義』と同様、現役の高校生を相手の講義録で、出版社も同じ。それだけで期待がふくらむ。「1回の講義に、本1冊分くらいのネタを惜しげもなく入れて」話をしたと「はじめに」に書いてあるのを目にすると、期待が烈しく高まっていく。
 池谷本の副題をもじるなら、「さえずりから言葉へ、言葉から感情、そして心へ、コミュニケーションの進化をめぐる4つの講義」。(02/03


●吉田秀和『マーラー』(河出文庫:2011.3.20)【¥760

 ここ一年近くマーラーの交響曲を聴きこんでいる。聴きこむというほど集中しているわけではないけれども、時にネットからダウンロードした楽譜を眺めながら聴くこともある。(いつか「アナりーぜ」の真似事をやってみたいと思っている。)
 きっかけは昨年の3月10日、金聖響+玉木正之『マーラーの交響曲』(講談社現代新書)を購入して読み始めたから。以来、未完成の第10番と通し番号のついていない「大地の歌」を含めて全11曲の制覇をめざし、ほぼ月に1曲のペースでCDを買いもとめは繰り返し聴くようになった。
 でもなぜ『マーラーの交響曲』を読みたくなったのか。読書日記を読み返すと、DVDで「マーラー 君に捧げるアダージョ」を観て、ほぼ全編を埋めつくす濃密なマーラーの響きに魅了されとりつかれたから、と書いている。
 マーラーは聴かず嫌いだった。なのになぜ突然、一篇の映画を観ただけで強烈に惹かれ、大袈裟にいうと溺れるようになったのか。パーシー・アドロン&フェリックス・アドロン共同監督の作品の力だというよりも、それだけの音楽力をマーラーの交響曲はもっていたということだと思う。
 マーラーの映画はそれ以前にもケン・ラッセルの「マーラー」を観た。なにか濃厚で多層的な意味と官能と感情が塗りこめられた、重苦しくも忘れがたい作品という印象が強く濃く残っている。
 マーラーと映画はとても相性がいい。「君に捧げるアダージョ」に流れていた交響曲第5番第4楽章アダージェットが、かのルキノ・ヴィスコンティの「ベニスに死す」にも流れていた。それだけのことなのかもしれないが、マーラーの交響曲を聴いていると頭の中に映像が立ち上がる。それはいかに冷酷で非情な大自然の映像であったとしても、どこかに人間的な感情や思想のドラマを潜めている。
 マーラーの音楽は、一面でいうと旋律の音楽なのだ。これは、本書に収められた長篇論考「マーラー」のなかでの、シェーンベルクのプラハ講演をふまえての著者の発言だが、マーラーの音楽が連想させる映像が倒錯的な人間臭さをたたえていることの根はここにあるのかもしれない。(02/07

《マーラーの音楽の放射する魅力のうちの最も強烈なもの──聴く者を捉えて、全身的な陶酔の魔力の下におき、麻薬のように一種の中毒状態にまでひきずりこむ力。そして一度その甘美な恍惚にとらえられた経験のある者にとっては、およその中毒がそうであるように、もう、これでよいといって満足することも、飽きるということもなくなり、くり返し、それを求めて立ち帰ってくるように誘うことをやめない力。この力の最大の資源は、この彼の旋律の形成にあたっての「信じられないような」能力にあるのである。》(「マーラー」32頁)


●石川九楊『日本の文字──「無声の思考」の封印を解く』(ちくま新書:2013.02.10)【¥800

 第五章「文字と文体」に、「ひらがなとともに生れた古今和歌」のレトリックは「音による韻律ではなく、文字=書字による韻律、書字詩の当然の帰結である」(214頁)と書かれている。
(ここでいう「ひらがな」は、一音多字、清音表記を特徴とする「女手」のこと。著書によると「女手」の特徴にはもう一つあって、すぐあとで引く「元永本古今和歌集」の小野小町の歌にある「花・色・我・身」のように、その書きぶりがひらがなの表記となじみあったものについては、漢字をも含めて「女手」という。)
 例としてあげられるのが、古今集113番の「花の色はうつりにけりないたつらに我身よにふるなかめせしまに」で、「経る」と「振る」、「長雨」と「眺め」の二重の意味にくわえ、「わかみ」は「若身」=「若い自分自身」とも読めるし、「いたつらに」の「つら」は「面」をもあらわすから、「自分の若い面」が変わってほしくない、という意味にも解釈できると著者は記す。
 音韻的な韻ではなく、「文字に触発された意味の上での韻、字韻」(215頁)。その字韻をふむ、掛詞。以下、縁語、見立、歌枕、と和歌のレトリックをめぐる話題がつづく。ついで、ひらがな歌(女手歌)とは異なる万葉歌(漢字歌)の表現世界の話題、「無声文字の文化、つまり構成要素が声をもたず意味と形を中心とする文化において展開される、詩の性格」(230頁)をめぐる話題がつづく。
 先走って字面だけを流し読んだ。期待が高まる。(02/10


●石井洋二郎『告白的読書論』(中公文庫:2013.01.25)【¥743

 書店の新刊本のコーナーで目にして以来、なぜか気になってしかたがなかった。
 あとがきに「思春期から青年期にかけての読書体験がもたらしてくれたなんともいえない甘酸っぱさやほろ苦さには、やっぱり忘れがたいものがある」と書いてある。共感を覚えつつも、自分にとっての「甘酸っぱさやほろ苦さ」の記憶がいかに不鮮明であるかを思い知り、ついに訪れることのなかった読書体験の累々たる屍に思いがおよんだ。(02/10


●地橋秀雄『実践ブッダの瞑想法──はじめてでもよく分かるヴィパッサナー瞑想入門』(春秋社:2008.10.27)【¥2500

 日経(0210日朝刊)の文化面で永井均さんの「瞑想のすすめ」を読んで、さっそく影響を受けた。
 著者はグリーンヒル研究所[http://www.satisati.jp/index.htm]の所長。同じ春秋社から『ブッダの瞑想法―─ヴィパッサナー瞑想の理論と実践』(200605月)と『人生の流れを変える瞑想クイック・マニュアル―─心をピュアにするヴィパッサナー瞑想入門』(200801月)が出ている。
 書店で『ブッダの瞑想法』を探したが見あたらず、DVDブックを購入。理論より実践から入ることになった。(02/12

     ※
 永井均さんのエッセイは、「半年ほど前から瞑想修行を始めた。座禅から入ったのだが、座禅は退屈である。」「今やっているのは、見かけは座禅とそっくりだが中身はまったく違うヴィパッサナー瞑想といわれるもの。」と始まる。
 ヴィパッサナー(「明らかに見る」という意味のパーリ語)瞑想は、仏陀がさとりをひらいたときに用いたとされるもの。ウィキペディアによると、「仏教において瞑想(漢訳「止観」)を、 サマタ瞑想(止行)と、ヴィパッサナー瞑想(観行)とに分ける見方がある」。
 エッセイの最後に、座禅(サマタ瞑想)との違いが書かれている。

《座禅が煩悩まみれのこの世の生活から離れたただ在るだけの世界に人を連れ戻すのに対して、ヴィパッサナー瞑想は煩悩まみれのこの世の生活から離れたただ在るだけの世界にこの世の生活を変える。》

 これを読んで連想したのが、心(魂)と体の入れ替えをめぐる思考実験だった。
 引用文にある「この世」の「生活」が私の体で、「この世」の「人」が私の心。そして「ただ在るだけの世界」における「生活」と「人」がそれぞれ他人の体と心にあたる。そんなふうにおきかえてみる。
 すると、座禅の場合は私の心が他人の体の中に移っていくのに対して、ヴィパッサナー瞑想では私の体が他人の体に入れ替わる。結果はおなじこと(私の心と他人の体がむすびつく)のようだが、前者は他人の世界での出来事、後者は私の世界での出来事。
 そんなことが言えるとして、それではそのどちらがほんとうの「私」なのか。

 もう一つ、永井エッセイで面白かった文章を丸ごと抜き書きしておく。(文中の「あの野郎」とは、心の中に次々と浮かんでくる想念のひとつの例。これは言わずもがなのこと。)

《ちょっと哲学用語を使わせてもらえば、心の状態には「志向性」と呼ばれる働きがあって、これが働くと思ったことは客観的世界に届いてしまう。世界の客観的事実として「あの野郎」が何か酷いことをしたことになってしまうわけである。すると、作られたその「事実」に基づいて二次的な感情も湧き起こり、さらに行動に移されもする。その観点からの世界の見え方が次々と自動的に膨らんでしまうわけである。
 志向性は言語の働きなのだが、ちょっと内観してみればすぐに分かるように、言語を持つわれわれは、黙っているときでも頭の中で言葉を喋り続け、想念を流し続けている。ヴィパッサナー瞑想の標的はまさにこれなのである。そうした想念の存在が気づかれ、客観的観点から明らかに見られると、想念のもつ志向性は奪われ、それが連鎖的に膨らんでいくことも、それに基づいた二次的な感情が起こって行動に移されることも、止められる。志向性が遮断されれば、心の中で現に起こっている単なる出来事として、ただそれだけのものとなるからだ。》

 心の中の「出来事」と客観的な「事実」という語彙の使い分けが面白い。
 永井さんが『西田幾多郎』で使った言葉におきかえると、言語がもつ志向性の働きによって、「出来事」=「自己意識なき意識」が「事実」=「意識なき自己意識」になる。つまり、クオリアが言葉(の意味)になる。


●ウラジミール・ナボコフ『ナボコフの文学講義』上・下(野島秀勝訳,河出文庫:2013.01.20)【¥1300×2】

 ブランショの『来るべき書物』を読みながら、いかに近現代の西欧文学から遠ざかっていたかを思い知らされた。いや、思い知らされた、というのは間違った言い方で、『来るべき書物』に刺激されて西欧の現代小説を切実に読みたくなり、さかのぼって西欧の近代小説を、ひいては世界文学を系統的かつ集中的に読みたくなった、というのが実情。
 あたるをさいわい、やみくもに、四方八方読み散らかすだけの体力も気力も時間も残されていないので、間違った道に踏み入らぬよう、「小説読みの達人」と評される先達に師事し、まずは自分なりの読書(計画)リストをつくってみることにした。(02/15

     ※
 リスト作成の基礎作業として、モーム《a》と篠田一士《b》の十大小説、「海外の長編小説ベスト100」(『考える人』2008年春号)のうちのトップ10《c》、それに、池澤夏樹が『世界文学を読みほどく──スタンダールからピンチョンまで』でとりあげた10冊《d》、『東京大学で世界文学を学ぶ』の著者・辻原登が(『考える人の』アンケートに答えて)選んだベスト10作品《e》の計50冊、これにナボコフが『講義』でとりあつかっている7冊《f》を加えた合計57冊(重複があるので、実数としては28作家の39作品)のリストを作ってみた。
 うち読了したものは3分の1程度。いま現在「休止」中のもの(プルースト、ジョイス、島崎藤村ほか)を含めても半分に満たない。今後このリストに磨きをかけ、さらに、現代西欧作家、非西欧、日本の作家、古今東西の古典、詩歌・演劇・紀行・ノンフィクション・歴史・神話・思想批評なども加えて、100冊、150冊、200冊、等々のきりのいい数に仕上げていくつもり。もちろんリストにそって、計画的に(10年くらいかけて)読破していくつもり。

『カラマーゾフの兄弟』ドストエフスキー 《a》《c》《d》
『罪と罰』ドストエフスキー 《c》
『悪霊』ドストエフスキー 《c》
『死の家の記録』ドストエフスキー 《e》
『アンナ・カレーニナ』トルストイ 《c》《d》《e》
『戦争と平和』トルストイ 《a》《e》
『白鯨』メルヴィル 《a》《c》《d》
『百年の孤独』ガルシア=マルケス 《b》《c》《d》
『ユリシーズ』ジョイス 《b》《d》《f》

『失われた時を求めて』プルースト 《b》《c》
『スワンの家のほうへ』プルースト 《f》
『赤と黒』スタンダール 《a》《e》
『パルムの僧院』スタンダール 《d》《e》
『城』カフカ 《b》《c》
『審判』カフカ 《c》
「変身」カフカ 《f》
『ボヴァリー夫人』フロベール 《a》《f》
『感情教育』フロベール 《e》
『アブサロム、アブサロム!』フォークナー 《b》《d》

『高慢と偏見』オースティン 《a》
『マンスフィールド荘園』オースティン 《f》
『デイヴィッド・コパフィールド』ディッケンズ 《a》
『荒涼館』ディッケンズ 《f》
『宝島』スティーヴンスン 《e》
「ジギル博士とハイド氏の不思議な事件」スティーヴンスン 《f》

『トム・ジョーンズ』フィールディング 《a》
『ゴリオ爺さん』バルザック 《a》
『嵐が丘』エミリー・ブロンテ 《a》
『伝奇集』ボルヘス 《b》
『子夜』茅盾 《b》
『U・S・A』ドス・パソス 《b》
『特性のない男』ムジール 《b》
『夜明け前』島崎藤村 《b》
『ドン・キホーテ』セルバンテス 《c》
『ハックルベリ・フィンの冒険』トウェイン 《d》
『魔の山』トーマス・マン 《d》
『競売ナンバー49の叫び』ピンチョン 《d》
『紅楼夢』曹雪芹 《e》
『インドへの道』フォースター 《e》
『ある夫人の肖像』ヘンリー・ジェイムズ 《e》


●小松英雄『みそひと文字の抒情詩──古今和歌集の和歌表現を解きほぐす』(笠間書院:2012.08.02新装版)【¥2800

 石川九楊著『日本の文字』を読み終えて、ふと『芸術新潮』2006年2月号の古今和歌集1100年特集「ひらがなの謎を解く」(この特集の内容は後にとんぼの本から『ひらがなの美学』として刊行された)のこと、そこに小松英雄・石川九楊の「ひらがな対談」が収められていたことを思いだした。
 芸術新潮を読んでいたのとちょうど同じ頃、近所の図書館から再々『みそひと文字の抒情詩』を借りてきては、ためつすがめつ眺め拾い読みをして古今和歌の世界に思いをはせていた。昨年、新装版が書店に並んでいるのを目にして以来、いつか常備本として買い求めたうえで、まだ読まずに手元においてある『古典和歌解読──和歌表現はどのように深化したか』や『日本語の音韻』(日本語の世界7)とあわせて通読せねばと思っていた。
 とここまで書いてきて、ふと『日本の文字』とのつながりが深い『日本語の音韻』を手にとって見てみると、付録の月報に丸谷才一・大野晋の対談「和歌は日本語で作る」が掲載されていた。もしやと思い『光る源氏の物語』上下とともにこれも読まずにおいてあった『日本語で一番大事なもの』をひっぱりだしてみると、やっぱりこれは「日本語の世界」の月報の対談を集めたものだった。
 いくつかの本が芋づる式につながっている。(02/24



【読了】


●傳田光洋『皮膚感覚と人間のこころ』(新潮選書:2013.01.25

 とても勉強になったし、とにかく面白かった。科学啓蒙書として出色の出来映えだと思う。(先月読み終えた春木豊著『動きが心をつくる──身体心理学への招待』と関連づけて考えると、きっと面白いことになる。)
よく練られた構成で読み手の関心をつなぎ(例:冒頭で「琵琶湖は生物か」と魅力的な謎をかけ、最後に本書全体を一言で凝縮する生物の定義をもって答えを明かす)、随所に挿入された思想家・文学者の引用(例:朔太郎「猫町」、レヴィナス『存在の彼方へ』、リルケ『ドゥイノの悲歌』)で論述に奥行きをあたえ、ついには読者を知的興奮へと誘う(個人的な例:第9章「新しい皮膚のサイエンス」で熱く語られる、神の与えたもう数学の神秘)。
 以下、読後の余韻がさめやらぬうちに、記憶に残った話題をいくつか箇条書きにしてみる。(02/10

1.スクリーンとしての皮膚─毛づくろいと言語のあいだ
 人類が「毛づくろいしあう」体毛を失い裸になったのは120万年前。「コミュニケーション手段の中心である」言語を持つようになったのは早くても20万年前。この100万年の間、裸の人類はどのようなコミュニケーションの手段を持っていたのか?
 第1章「皮膚感覚は人間の心にどんな影響を及ぼすか」で投げかけられたこの問いに、最終的な解答が与えられるのは第8章「彩られる皮膚」。
 ヒントの1、衣服の発明が10万7千年前だったこと。ヒントの2、「体毛が極端に少ない人間の皮膚は、様々に彩られることによって、他者に対して多様なメッセージを発信する、スクリーンとしての機能も有していた」(153頁)。
 答えは刺青や文身などの身体装飾。
 著者は、コミュニケーション手段あるいは社会性を維持するシステムとしての身体装飾がもつ医学的機能(鍼灸医学との関連性)や情動・自己意識への作用(アンジュー『皮膚─自我』への言及)にふれ、さいごに「喪われた世界の記憶を持つ詩人」リルケの詩句を引用する。

《古代も今もかわりはない。けれどわれわれはいまはもう、古い世の人々のようにその心情をしずかな形象[かたち]に化して眺める力をもたないのだ》(「第二の悲歌」)

2.感覚と知覚の違い─皮膚の視覚と聴覚
 感覚と知覚は違う(ニコラス・ハンフリー『喪失と獲得─―進化心理学から見た心と体』)。感覚は受動的な生理現象で、外部からの刺激に対する一時的応答。知覚は能動的で、感覚から得た情報の中枢神経系による解釈。脳がなければ、「熱い」という意識がなければ知覚は存在しない。
 皮膚は音を感じる。皮膚の聴覚については、やっとその存在が明らかにされてきた段階。それは私たちの情動や整理に大きな影響を及ぼしている可能性がある。今後の展開が楽しみ。
 また、皮膚は光を感じる。今の段階では、皮膚に視覚があるとまでは言えないが、おそらく「無意識につながる情報」として処理されているだろう。
 皮膚には電場も磁場もある。オキシトシンも合成する。ケラチノサイト(人間の表皮を形成する細胞)は偉い。

3.皮膚と意識 皮膚と言語
 第7章「自己を生み出す皮膚感覚」から。
「皮膚感覚は、私と環境、私と他者、私と世界を区別する役目を担っているのです。」(143頁)
「意識は脳という臓器だけでは生まれません。身体のあちこちからもたらされる情報と脳との相互作用の中で生まれるのです。とりわけ皮膚感覚は意識を作り出す重要な因子であるといえるでしょう。」(145頁)
「皮膚感覚は自他を区別し、空間における自己の空間的位置を認識させる。皮膚が自己意識を作っている、と言っても過言ではないでしょう。」(146頁)
「皮膚感覚だけで、我々の言語的意識、あるいは論理的思考を発達させることができるのです。(略)有名なヘレン・ケラーの逸話では、水の触角と言語を結びつける経験を糸口に、高度な言語的意識を構築しています。」(149頁)
「個人の認識と、実在との関係を突き詰めていくと、結局、頼りになるのは皮膚感覚である、という結論にたどり着くのです。皮膚感覚は自他を区別するだけではなく、最も信頼できる世界(自己を含む)認識の機能であると言えます。」(151頁)

     ※
 若干の補遺。
 著者による生物の定義は「さいごに」に出てくる「環境の情報を受容し選択する膜、広義の皮膚で囲まれた有機体」(188頁)で、これは松本元氏の生命観「環境に接する境界に情報やエネルギーの流れを制御する機能がある」(182頁)に触発されたもの。琵琶湖は幕=皮膚をもたないから生物ではない。
 また、個人的な索引として、随所に挿入された思想家・文学者の引用箇所を(皮膚に関するものに限定して)記録しておく。

◎安部公房『第四間氷期』
「人間の情緒が、多分に皮膚や粘膜の感覚に依存していること」(32頁)
◎萩原朔太郎「猫町」
「とりわけ女の人の声には、どこか皮膚の表面を撫でるような、甘美でうっとりとした魅力があった。」(90頁)
◎トーマス・マン『魔の山』
「皮膚というものはつまり、あなたの外脳です」(120頁)
◎ポール・ヴァレリー「固定観念 あるいは海辺の二人」
「すべては皮膚の発明物なり」(140頁)
◎リルケ『ドゥイノの悲歌』
「おんみらが肌と肌とを触れあって至高の幸をかちうるのは、愛撫が時を停めるからだ」(149頁)
◎D・アンジュー『皮膚=自我』
「皮膚感覚は、人間の子供を出生以前からかぎりなく豊かで複雑な世界へといざなう。この世界はまだとりとめがないが、知覚−意識系をめざめさせ、全体的また付随的な存在感覚の基礎を形づくり、最初の心的空間形成の可能性をもたらすものなのである。」(166頁)

 ついでに、皮膚に直接言及していないその他の引用箇所も記録しておく。

◎アントン・チェーホフ「退屈な話」(130頁)
◎エマニュエル・レヴィナス『存在の彼方へ』(132頁)
◎『荘子』(136頁)
◎大森荘蔵『流れとよどみ』(151頁)
◎クロード・レヴィ=ストロース『悲しき南回帰線』(157頁)
◎『魏志倭人伝』(158頁)
◎川田順造『アフリカの心とかたち』(162頁)
◎パウリ/ユング『自然現象と心の構造』(171頁)


●白川静+梅原猛対談『呪の思想 神と人との間』(平凡社:2002.09.09

 奇人・梅原猛、大奇人・白川静。二人の知の巨人(知の妖怪と知の怪物)が今世紀の初頭、三度にわたって対峙した。歴史に刻まれるべきその対談のテーマは、漢字(=饗)と孔子(=狂)と詩経(=興)。
 2001年5月(「卜文・金文 漢字の呪術」)と8月(「孔子 狂狷の人の行方」)の二つの対談は、別冊太陽『白川静の世界 漢字のものがたり』(2001.12.20発行)に掲載されたもの。再読して、高橋和巳『わが解体』のS教授が白川静であったこと、梅原猛が選ぶ「白川先生の三作」が『孔子伝』と字統・字訓・字通の字書三部作と『詩経』研究であったことを再発見した。
 別冊太陽刊行後の2002年2月の対談(「詩経 興の精神」)で、白川文字学の出発点(万葉との比較研究)となった「詩経」の二つの原理が明かされる。
 すなわち、風・雅・頌の様式的規定と賦・比・興の表現、発想、修辞上の区分。賦は数え上げる、比はなぞらえる(比喩)、そして興は生命を呼び起こし、土地の霊を呼び覚ます。貫之の「かぞへ歌」「たとへ歌」「たとへ歌」の訳も「まんざら間違いではない」(梅原)。
 記念に白川静の発言を二つ。(02/11

「大体僕の考えではね、初期万葉は殆ど呪歌であったと思う。単なる叙景とかね、或いは想いを述べるというようなものではなしにね、相手に対してもっと内的に働きかけるという、そういう意味合いを持った歌がいわゆる初期万葉であると。」(214頁)
「そもそも『万葉集』自体が社会生活の中で広く伝承されるようなものでなく、殊に最終の四巻は大伴家持の日記みたいなもので、大伴家に残されておって、大伴家が何か疑獄事件で被害者になって、家宅捜索された時に見つかった。」(283頁)


●モーリス・ブランショ『来るべき書物』(粟津則雄訳,ちくま学芸文庫:2013.01.10

 分量的な意味での本書の折り返し点にあたるブロッホ論を読み終えたところで、中間総括的な感想を書いておこうと思いたった。
 「小説は読んでいる時間の中にしかない」とは保坂和志の至言だが、批評は読んでいる時間の中やその前後にあるのではなく、「読んでいる時間の外」にしかない。「読んでいる」のは批評家で、批評文を読んでいる読者はその批評家が「読んでいる」小説を読んでいるわけではないからだ。
 それは文字通り読者が批評の対象となった小説を読んでいない場合もふくめで、批評家の読書体験は読者のそれではない(批評家の「読んでいる時間」を読者は経験できない)というしごく当たり前のことを言っている。
 なにが言いたいのかというと、読んでいない小説や小説家について書かれた批評文を読む権利(精確には、読んで愉しみ思索をめぐらす自由)が読者にはあるということだ。

 カフカ、マラルメをはじめ、ジョイス、プルースト、アルトー、クローデル、ボルヘス、ヴァージニア・ウルフ、ブロッホ、そして、ヘンリー・ジェイムズ、ムージル、ヘルマン・ヘッセ、等々。本書はこれら20世紀文学の巨匠たちの諸作品を取り上げる。
 その多く、いやほとんどの作品が未読もしくは未読了である(私の場合)にもかかわらず、なぜどうしてブランショの批評文を読むことができるのか。その多く、いやほとんどの議論がまるで理解できないかもしくはおぼろげにしか理解できない(私の場合)にもかかわらず、なぜどうしてブランショの批評文を面白く(精確には、読む価値があるものとして飽きずに)読めるのか。
 それはきっとブランショだからだろう。
 あの(「戦前のポール・ヴァレリーに比せられる戦後最大のフランスの文芸批評家」とウィキペディアに書かれている)ブランショが書いた文章だから、そして『文学空間』とならぶ高名な(「文芸批評の金字塔」と文庫の帯に書かれている)書物だからこそなのだろう。
 ここにはなにかしら決定的に重要な未聞の事柄が語られている。そんな心の構えをもって臨むからこそ、たとえばブランショの文章の「わからなさ」さえもが一種のブランドとなって、読者(私)の脳髄に読み解かれるべき謎を刻印するのだ。

 これは皮肉を書いているのではない。
 高名な書物の前半を読み終え、あの巨匠たちの傑作群を相手どってこれに拮抗しうる文章を綴ることができるのはあのブランショだからこそなのだと、そしてここには紛う事なき真性の批評が息づいているのだという内容の伴わない形式的な、それでいてリアルな(精確には、書かれていることの内容はよくわからないが、なにか確かなことが語られていることはわかるという)感想が立ち上がってきたことを書き残しておきたかった。

 以上で感想は終わり。記念に二つ、引用しておく。前段は「プルーストの経験」から。後段は「ブロッホ」から。

《かくて、ゲルマント家の中庭の不揃いな敷石にけつまずいた一歩が、突然──まったくこれ以上の唐突さはない──かつてサン・マルコ寺院の洗礼場の不揃いな敷石にけつまずいたあの一歩となる。これは、同一の一歩であって、「すぎ去った或る感覚のかげやこだまではなく……その感覚そのものであり」、ささいではあるがいっさいをくつがえす力を持った事件であり、それは、時間の横糸を断ち切り、その切断によって、われわれを或る別の世界に導き入れるのである。時間のそとへ、とプルーストは、大急ぎで語っている。彼は断言するのだ、そうだ、今や時間はほろび去っている、なぜなら私は、ヴェネチアでの一瞬とゲルマント家での一瞬とを、ひとつの過去とひとつの現在としてではなく、持続の流れ全体によってわけへだてられた両立しがたいさまざまな瞬間を或る感覚的な同時性のなかに共存させる或る同一の現在として、束の間ではあるが否定しえぬ現実的なとらえ方で、同時にとらえているからである。かくてここには、時間そのものによって消し去られた時間がある。ここには死があるのだが、この死は、中断され中性化され空しい無害なものとされた時間の働きなのである。なんという一瞬だろう!》(32-33頁)

《ジョイスにおいては、思想とイマージュと感覚は並置されていて、それらを運ぶ巨大な言語の流れ以外にそれらを一つに結びつけるものは何ひとつない。ブロッホにおいては、人間的現実のさまざまな深みのあいだに交換作用があり、刻々に、感情から瞑想への、なまな経験から反省によってとらえられたより巨大な経験への移行がある。──そして、次いでまた、新たに、この巨大な経験が、より深い無知のなかに没するのであり、この無知がまた、より内的な知へと変形するのである。》(254-255頁)

(前段の文章を読んだときに頭に浮かんだのは、小林秀雄が歴史について、頭を記憶で一杯にするのではなく心を虚しくして思い出さなければならないと語ったことだった。過去の知覚体験を記憶のなかから想起するのではなく、現在の体験として経験すること。クオリアを媒介にして、過去の経験と現在の経験が「同一」のものになる。後段の文章がなぜ記憶に残ったのかは、残念ながら思い出せない。)

 訳者あとがきに、前半のブロッホ論と後半のヘッセ論にブランショの批評の技の冴えがみられるといった趣旨のことが書いてある。「ヘッセ論における精妙な対位法的構成、ブロッホ論の言わば重層的な論法」。
 期待して後半を読み始めるとすぐ、カフカの手帖(「カフカがさまざまな物語の草稿を書きつけたあのノート」)について書かれた文章がでてきた。本書冒頭の「物語とは、出来事の報告ではなく、出来事そのものなのである。」(21頁)というフレーズと響き合っている。(02/05

《そこには、多くの草稿が書かれているが、これらの草稿は、作品そのものである。時には、ただの一ページだったり、ただの一句だったりすることもあるが、この一句は、物語の深みと関わっている。この一句がひとつの追求であるとしても、それは、物語自身による、物語の追求なのである。これらの断片は、あとになって役立てられる素材ではないのだ。プルーストは、はさみや糊を使う。また「書き加えた原稿をあちらこちらにピンでとめ」、これらの「紙きれ」でその書物を築きあげるが、「大寺院を建てるようにこまごまと語り尽すことまでは敢てせず、ただ単に、服を作るように語る」のである。他の或る作家たちの場合は、物語は、外部から構成されえない。物語は、もしそれ自身が、あの進展運動を、それを通して物語が自己を実現する空間を見出すあの運動を保持していなければ、いっさいの力と現実性を失うのである。書物の場合、このことは必ずしも人知れぬ非合理的な一貫性を意味するわけではない。たとえば、カフカの書物は、その構造という点から見れば、ジョイスの書物以上にはっきりしている。プルーストの書物ほど読み辛くもなければ入り組んでもいない。》(264-265頁)

     ※
 ヘッセ論(「H・H」)は素晴らしかった。『デミアン』について6頁にわたって論じられていたのが嬉しかった。(前半のヴァージニア・ウルフと後半のヘッセにはとても誘惑された。すべての作品を読みたいと強く思った。)

 ヘッセ論は素晴らしかったが、後半の圧巻はやはりマラルメ論(「来るべき書物」)だった。さっぱりわからないのだが、その難解さがたまらなく名人芸的で魅力的なのだ。
 20世紀文学の二人の巨魁が相四つに組んで一歩もひかない。しめあげられる筋肉のきしみが悲鳴となって聞こえる。「『骰子一擲』は、来るべき書物である。」(496頁)この行司の勝ち名乗りは、非人称的な空間で闘われた文学的四つ相撲の「何の名前も持たぬ」勝者の名を告げている。
 「書物の交流」というアイデアが面白かったので、ブランショの文章を引く。

《作者も読者も持たぬ‘書物’は、必ずしも閉じられたものではなく、つねに運動状態にあるが、もしこの‘書物’が、何らかのかたちで自分自身の外に出ないならば、また、その構造にほかならぬ動的な内奥性に応ずるために、おのれのへだたりそのものと触れあうような外部を見出さないならば、いかにしてそれは、おのれを構成するリズムにしたがっておのれを断言しうるだろう? この‘書物’には媒介者が必要だ。それが、読むという行為そのものなのである。ここに言う読む行為は、つねに著作をおのれの偶然的な個人性に近付けようとするそこらの読者の行う読書ではない。マラルメは、この本質的な読書の声となるだろう。作者として消滅し排除されるが、この消滅を通して、彼は、‘書物’の、立現われながら消え去っている本質と関わるのだ。この‘書物’の交流にほかならぬ絶えまないゆれ動きと関わるのだ。》(502頁)

《彼[マラルメ]は、真の意味で読者ではない。読む行為そのものなのである。それを通して、書物が書物自身に交流する交流運動そのものなのである──、この運動は、まず第一に、用紙の可動性がそれを可能にし必然的にするさまざまな物理的交換(*)によって行われるのであり、次いで、言語がさまざまなジャンルさまざまな芸術を統合することによって作りあげる新たなる理解の運動によって行われる。最後にまた、書物がそれを出発点として、それ自身の方へ、またわれわれの方へおもむき、われわれを空間と諸時間の極限的な作用にさらすような、例外的な未来によって行われる。》(502-503頁)

 よくわからない。わからないけれど気になってしかたがない。
 後段の引用文中「(*)」の印で示した箇所にブランショは、マラルメの「草稿によれば、書物は、ルーズ・リーフによって構成される」と註をつけている。面白い。

 前半でもふれたカフカの断片に関する文章を「日記と物語」から引いておきたい。

《われわれには、何故作家が、自分が書いていない作品の日記しかつけえないかがわかる。その日記は、想像的なものとなり、それを書く人間と同様、仮構という非現実性のなかに沈むことによって、はじめて書かれうるということもわかる。この仮構は、それが準備している作品と必ずしもかかわりを持たぬ。カフカの『日記』は、彼の生活と関係のある日付のついた記述や、彼が見た物会った人の描写ばかりではなく、数多い物語の草稿で出来ている。そのなかの或るものは数ページに及ぶが、たいていはほんの数行であり、多くの場合すでにはっきりと形をなしてはいるが、すべて未完成である。そして、もっともおどろくべきことは、ほとんどどれひとつとして、別の草稿と関係がなく、すでに用いられた主題のくり返しではない点だ。同様にまた、日々の出来事とはっきりした関係を持たぬ点だ。ところが一方、われわれは、マルト・ロベールが指摘しているように、これらの断片が「生きられた事実と芸術とのあいだで」、生きているカフカと書いているカフカとのあいだで「口にされている」ことをはっきりと感ずるのである。そしてまた、われわれは、これらの断片が、おのれを現実化しようとしている書物の何の名前も持たぬ謎めいた足跡を形作っていることを予感する。だがそれは、これらの断片が、それらの出発点だったと思われる現実の生活とも、それらがその接近を形作っている作品とも、何らはっきりした親近関係を持たぬ限りでの話である。こういうわけで、もしわれわれがここで、創造的経験の日記となりうるようなものの予感を抱くとしても(*)、われわれは同時に、この日記が、完成した作品と同じように閉じられており、そういう作品以上にわけへだてられているという証拠をも手に入れるわけだ。なぜなら、秘密の周辺は、秘密それ自体以上に秘められているからである。》(393-394頁)

 ブランショの原註は、「他にもいくつかある」として『マルテの手記』やバタイユの『内的体験』『有罪者』を挙げ、「これらの作品が持つ密やかな法則のひとつは、その運動が深まれば深まるほど、それが抽象作用の非人称性に近付くという点である」と記し、アヴィラの聖女テレサの打明話やマイスター・エックハルトの説教に言及している。実に面白い。
 そのほかプルースト(431-432頁)やノヴァーリス(472頁ほか)に関する文章も引いておきたいが、これらは割愛。

     ※
 1月29日に読み始めてちょうど2週間後の2月12日に読み終えた。時間にして(ほぼページ数に見合う)500分強。
 いったん読み始めたらさいご意味がとれようがとれまいが、内容が理解できようができまいがいっさいこだわらず、とにかく一定の速度をもって期限をさだめひたすら愚直に一気に読み進める。ただただ身をもって言葉の礫をうけとめる。
 そんな読み方でしかその内部の(非人称的な)空間と時間(の外)を経験できない書物はある。
 全行程のほとんどを重く垂れ込める闇に視界を遮られながら、たまたま木漏れ日となって到来した陽光にしばし時を忘れて全身で浸る。そんなことを繰りかえしているうちになんとか最終地点にまでたどりついた。
 何も残っていないが、何かが通りすぎていった。そのたしかな感触はしっかりと記憶のうちに残っている。空虚な充実感とでも言おうか。
 もう一度はじめから読むとまったく別の空間と時間にまよいこむことになるだろう。それはとても蠱惑的な体験だろうが、いまはまだその気になれない。

 そこで語られている書物を手にして実地に読んでみたい。あるいは埃をかぶった書庫から探し出してもう一度読みかえしてみたい。そんな思いを強く読後に残す誘惑の力。それこそ文芸批評の力だと思う。
 ブランショが語る作家や作品の多くが未読もしくは囓りかけのままになっている。数年かけて系統的に読み込んでみたいと切実に思い始めている。まずはリストづくりから。
 『偶然性の問題』『身ぶりと言語』『弓と竪琴』『来るべき書物』と続いた朝の読書・文庫篇。次はル・クレジオの『物質的恍惚』の予定。(02/12


●九鬼周造「文學の形而上學」(『九鬼周造全集 第四巻』岩波書店:1981.03.19

 九鬼周造の文章を読むと、心地よい眩暈のようなロジカル・ハイに襲われる。
 昨年、『連続性の問題』を読んでいて、硬質の抒情味をたたえたあざやかな(まるで豆腐を縦と横と水平にスパッ、スパッ、スパッと刻み、瞬時に八つの断片に切り分けるみたいな)論理の冴えにしばし陶酔した。
 「文學の形而上學」は、四百字詰め原稿用紙に換算すると九十枚足らずの論考で、分量的には『連続性の問題』の四分の一に満たないが、その短さゆえにかえって論理の切れ味に鋭さが増し、その抒情性に凄味が加わったように感じられた。
 この文章が収められた全集第四巻には、そのほか「風流に関する一考察」や「日本詩の押韻」などが収録されている。つづけて読みたいが、そのためにはしばしの休息が必要。(02/15

     ※
 九鬼周造の文章のどこに抒情性を感じるのか。哲学談義のなかにときおり挿入される江戸情緒あふれる話題のとりあわせなど、なによりもその喩え、例示の面白さに独特の旨味の秘密があるように思う。
 たとえば、詩の押韻をめぐる議論のなかで、「ニツツジノ ニホハムトキノ」や「サクラバナ サキナムトキニ」という頭韻をめぐって次のように書く。

《どうして韻が成立するかといふことを時間性の構造の上から考へて見ると、時間が多様性の相互侵徹を特色とする質的時間であるため、ニツツジノのニとニホハムトキノのニとが互に他の中に入り込んで相侵し合ふからである。またサクラバナのサとサキナムトキニのサとが記憶に於て持續しながら互に浸透し合うからである。さうして、ニとニのやうに、またサとサのやうに、相應和する韻と韻とは、たとへ同音であつても、持續の潤色を受けてその具體性に於て質的相違を示してゐることは、吉野山で別を惜んだ靜と鶴岡八幡宮で舞をした靜とのやうなものである。》(全集第四巻19頁)

 吉野山で別を惜んだ靜と鶴岡八幡宮で舞をした靜! これと似た指摘が、リズムや脚韻(や頭韻)や畳句といった、小説(川端康成の『雪國』)の中の詩的要素をめぐる文章に見られる。

《小説の中の詩的要素については川端康成の『雪國』を例に擧げることができる。この小説は非現實な夢幻の世界を喜ぶ主人公島村の性格によつて既に内容上も詩的なものとなつてゐるとも考へられるが、内容の上だけではそれを打ち毀す程の強烈な現實的日常性も前面へ出て來てゐる。この小説を詩的なものとしてゐるのはむしろ形式の上にあると思ふ。この小説には詩のリズムとか韻とか疊句に當たるやうなものが用ひられてゐて全體が深みを有つた現在として直觀されてゐる趣がある。新緑の初夏と年の暮の冬と紅葉の秋と三つのリズムをなして同じ北國の温泉村の情景が繰り返されてゐる。駒子の唇が美しい蛭の輪のやうに滑らかだといふ同一の形容が初夏と冬と秋と三度まで出て來てゐるのは三つのリズムに應ずる三つの脚韻のやうな役目をしてゐる。汽車の窓ガラスに窓外の夕景色と車内の葉子の美しい姿とが一しよに寫つたこと、山の白雪を寫した鏡のなかに駒子の眞赤な頬が浮んだこと、待合室のガラスが光つて駒子の顔がその光のなかにぽつと燃え浮んだこと、駒子が窓際へ持ち出した鏡台に紅葉の山と秋の日ざしが寫つたこと、鏡のなかで牡丹雪の冷たい花びらが駒子の首のまはりに白い線を漂はしたこと、これら同一の非現實的感覺が詩の疊句のやうに適宜の間隔を置いてまたしても繰り返されてゐる。また葉子の聲が悲しいほど美しく澄み通つて木魂しさうだといふ主題も三四囘繰り返して變奏曲のやうに響いてゐる。其他「嘘のやうに多い星」、「氷の厚さが嘘のやうに思はれて」、「桐野三味線箱……これを座敷へ擔いで行くなんて嘘のやうな気がして」、「嘘みたいにあつけなかつた」、「なんだか靜かな嘘のやうだつた」などと現實の非現實性を強調する同一の言ひ廻しが頭韻のやうにところどころに出て來る。「心にもないこと。東京の人は嘘つきだから嫌ひ」といふ同一の言葉を駒子は年の暮と翌年の秋とに繰り返してゐる。これらの反覆によつて小説の叙述は詩の直觀のやうな形式となり、時間的性格に於て現在が特に著しく強調されてゐるのである。》(同52-54頁)


●吉田秀和『マーラー』(河出文庫:2011.3.20

 詩人か作曲家か数学者。子供の頃、いつか自分が就くことになる職業、というか天職はこのうちのどれか一つ、あるいは複数のものを兼ねることになると信じて疑わなかった。「就くことになる」であって「なりたい職業」や「あこがれの仕事」ではなかった。天賦の才と運命によって、いつかおのずからそのようなものになっていくのだと思いこんでいた。だから詩人や作曲家や数学者になるための努力などは一切しなかった。
 長じて、人は生まれながらにして詩人や作曲家や数学者になるのではないことがわかってきた。
 ヴァレリーの『カイエ』に「グラディアートル」と題された断章群がある。グラディアートルとは有名な競走馬グラディアトゥールをラテン語で表記したものだが、ヴァレリーはこれを「精神の調教、鍛練」の意味で使った。そのヴァレリー的な含意をもったグラディアートルに、ラテン語の本来の意味である「剣闘士」がもつフィジカルなニュアンスを加味した「調教」の長い期間をくぐり言葉や音や数理をさばく技術を体得してはじめて、人は詩人や作曲家や数学者になっていく。
 そのような調教の苦しみにたちむかい、かつこれに耐えぬく力(耐えぬこうと思える力)が天賦の才能であり、そうした調教の機会や指導者にめぐりあうこと、めぐりあわざるをえないことが詩人や作曲家や数学者にとっての運命なのではないかと、今はそう考えている。

 前置きが長くなった。
 なにが言いたかったのかというと、詩人か作曲家か数学者かのいずれかになる、あるいはそれらを兼ねる(詩も書き作曲もする)のではなく、人は同時に詩人であり作曲家であり数学者であることができるということだ。それが批評文を書くこと、とりわけ音楽批評家であることなのではないか。
 吉田秀和に小林秀雄の「モーツアルト」を論じた文章がある。そこにこういった趣旨のことが書いてあった。いわく、あの論文の天才的独創性は日本語の力、日本語の天才と結びついたものだ。ほかのどこの国の人たちよりも日本語のわかる人たちの共感を呼び覚ますものになっている。つまり、他国語に翻訳されたら、ほとんどわからないのではないか。
 吉田秀和の文章を読んで私が感じたのは、他国語に翻訳されたら…のところ(吉田秀和の小林秀雄批判)を除き、これと似たものだった。
 そうして、詩を書かずに詩人であること、作曲をせずに作曲家であること、公式の証明をせずして数学者であること、つまり詩や音楽や数学の精神や精髄、その技術性、客観性、形式性を過不足なく文章化し、かつそこに(けっして主観的、感傷的ではない、分析的といってもよい)抒情性や人を駆り立てる冷めたマグマのようなものを織り込んで表現することの生きた見本をそこに見出したのだった。
 たとえていうと藤原俊成や定家などの、日本の中世の歌論書が(ほんとうは)めざしていた文章が、小林秀雄という希代の文章家による屈折を経て、吉田秀和において結実した。そんななことが言えるのではないか。ほかのどこの国の人たちよりも日本語のわかる人たちの共感を呼び覚ますものでありながら、同時に、他国語に翻訳されてもそれと同程度に、いやそれ以上にクリアーにわかる批評文。
 それは、吉田秀和が本書のなかで書いている次の批判を、「心理」という語を「精神」(音楽や数学の精神というときの精神)におきかえ、かつ、「論理的判断よりも心理的アプローチ」を「論理的かつ精神的アプローチ」におきかえたときにみえてくるものなのではないか。

《一般に、この国の批評用語には演奏の仕方そのものより、演奏にみられる奏者の心理的状態のあり方に敏感な評語が豊富にみられる。これもおもしろい、日本の音楽批評の特質の一つではあるまいか。いや、この国の批評に論理的判断より心理的アプローチがより強く、かつ敏感に出てくるのはひとり音楽批評に限らず、文章や美術の批評文にもかなり強く出てきている傾向といってよいのではあるまいか。》(「カラヤンのマーラーふたたび」113-114頁)

 それにしてもずいぶんひさしぶりに「文章」を読んだ。一字一句、一文一文に深みと味わいがあり、批評があり、つまり精神の躍動がある。何度でもくりかえし読みたくなるし、くりかえし読み、からだにしみこませることではじめて理解できる。それはちょうどCDを一度聴いたらそれでおしまいではなく、全曲もしくは気に入った箇所を何度も何度もくりかえし聴くことではじめてひらかれる世界があるのと同じことだ。
 さて肝心なマーラーのこと。
 これからしばらく、もしかしたら数年単位の長丁場にわたって、私はこの本を手引きに(とくに「マーラー」という題名の39の譜例が掲載された文章に導かれながら)マーラーの交響曲を飽きるまでくりかえし聴くことになるだろう。私自身のマーラーをつかむまで。
 吉田秀和のマーラーについて書くのは、そのときまで待たなければならないと思う。ここではただ心に残った箇所を抜き書きするにとどめておく。(02/15

《…マーラーの音楽で、まず、私のような聴き手にとって躓きの石になったのは、それがひどく主観的な性格をのっけから露骨に出していることだった。音楽の「対象」──というのも、おかしな言い方だが──になっているものが、「宇宙」だとか「自然の様相」だとか「救済」だとか、といった表象や思想であるような場合でも、それを考え、表現する作曲家の態度というのはきわめて主体的で、いってみれば、愛も宇宙の秩序も絶対自我みたいなものを離れて、その外部に存在するのではなくて、すべてが、これを想じる主体を通した視点、ないしは主体からの視点によって、価値づけられ性格づけられるといったところが、私には、はじめ馴染みにくかったのである。これはロマン主義といっても、シューベルトやシューマンといった人びとのそれとは、まるで、違うものだ。彼の交響曲がどのくらいの長さになるか、その楽章の一つ一つの性格と様式と構造がどう構成され決定されてゆくか、すべてが、作曲家の「内部」の真実の表現としての役割からきめられることである。ソナタ形式とかロンド形式とか、あるいはレントラーとかいった形態をとっているときも、あれはベートーヴェンやハイドンたちの音楽における形式とは、まるで違う根拠から生まれたものだし、結局は、同じ名で呼ぶのがおかしいくらい、違ったものになってしまうのだ、マーラーは、ある崩壊感覚を同時代の誰よりも鮮やかに表現するのに成功した最初の交響音楽家だった。
 それが、次第に、この音楽を、外側からでなくて、内側から、作者の内的な必然としての芸術として見るようになったのについては、いくつかの機縁があったのだが、その最大のものは、故バルビローリの指揮した《第九交響曲》を聴くようになってからである。》(「交響曲第八番」141-143頁)

《要するに、アルバン・ベルク、アルノルト・シェーンベルクの音楽が、そこ[マーラーの管弦楽曲]から切れ目なしに続くその世界がここにあるのである。ベルクが詳細を極めた分析を捧げ、シェーンベルクが終生、マーラーのための熱烈な擁護にまえあったのも故なしとしない。
 表現主義的なネオ・バロック。もし、こういう言い方が許されるなら、そうして、この言い方でヴィヴァルディたちのあの簡明なバロックでなく、モンテヴェルディのあの極度の劇的迫力とバッハ、ヘンデルの極度の緊張感のみなぎった音楽を指向するものを考えてもらえるなら、そう呼びたい音楽。》(「表現主義的ネオ・バロック 交響曲第九番」154-155頁)

《マーラーは、ヴァーグナーが楽劇のなかで総合したものを、交響曲の枠の中でやろうとした。つまり交響曲の形式と枠を維持しながら、思想的な深さ、言葉を歌う人声、ロマン的な抒情性といったものを、そこに織り込もうとしたのである。その結果は曲は非常に膨大複雑なものにならざるをえなくなった。
 あるいは、もっと外側から見れば、彼の音楽は幾世紀にわたって蓄積されてきたヨーロッパ音楽文化の遺産の重みに押しつぶされ、それぞれの間で、矛盾し排斥しあうものがあっても、それを選び分け、とりのぞくのでなくて、何も彼も一身に背負い込んでしまった、いわゆる世紀末の混沌と苦しみの反映だともいえるだろう。マーラーの音楽までくると、われわれは、あのドイツ音楽の伝統が、あとからくるものにどれくらい重荷になってしまったかを感ぜずにはいられない。
 彼の作品には、天才的で絶妙な音楽的着想がふんだんにあるのだが、その反面あやうく通俗の域すれすれの感傷的な側面も聴き逃せない。》(「大地の歌」174頁)

 この最後の引用文を読むと、私は新古今時代、藤原定家の時代の和歌のありようを想起する。


●岡ノ谷一夫『「つながり」の進化生物学──はじまりは、歌だった』(朝日出版社:2013.01.25

 以前、山内志朗著『天使の記号学』に「最後に現れるものが、最初にあたかも原因であるかのごとく、いやたぶん実際に原因として存在する」と書いてあったのを見つけて、とても刺激を受けた。
 以来、西欧中世哲学について書かれた書物にでてくるこの命題の適用事例が、さまざまな分野において、とりわけ心や意識や言語の起源を問う文脈の議論のなかでしばしば見られることに驚いてきた。
 異なる領域間での概念や理論の流用には、尋常ならざる慎重な手続きが必要であることは重々承知しているつもりだが、それでもここには文科、理科、その他の細々としたジャンルの区分を超えた何か深甚な理路が潜んでいると思わざるを得ない。
 本書でもこの謎めいたループは、議論のキモにあたる箇所で出てくる。

《情動から歌が生まれ、そこから言語が生まれると、世界は言語によって切り分けられるようになります。言語を生み出した情動それ自体も、言語によって切り分けられ、より複雑な感情が生まれてきます。
 こうして人間のコミュニケーションは、言語と、感情の2つの要素から成り立つようになりました。これら2つの要素は、同じ場面にあっても、必ずしも同じ情報を伝えるわけではありません。》(216-217頁)

 情動→発声→歌→(音の流れの切り分けと状況=文脈の切り分けが協調する相互分節化:143頁)→言語→感情。ここで感情とは分節化された情動なのだから、情動(感情)→言語→感情。すなわち最後に現れるものが、実は最初に存在していた。
 いまひとつ例をあげると、著者は、意識と感情の関係をめぐって次のように語っている。

《僕は、意識は、自分の感情や記憶など、心全体をモニターする仕組みだと考えています。われわれは意識を通して自分の心のありようを知るのだと思う。》(226頁)

 言語→感情→(自己)意識。ここで感情は記憶その他とあわせて「心」をかたちづくる。ところがその心は意識によるモニターの後に知られるのだから、感情(心)→意識→心。すなわち最後に現われるものが、実は先に存在していた。

《自己意識ができる前に、「心の理論」と「ミラーニューロン」という2つのシステムがあった。最初は他人に心があると仮定して他人の行動をうまく予想することが適応的になりました。次に、他人の心を予想するシステムをミラーニューロンで照り返し、流用することで、自分の心を予測するようになったのではないか。
 自分の心は、他者に心を仮定する能力の副産物としてできた。これが、前適応にもとづく心の起源の仮説で、「心の他者起源説」と呼んでいます。》(251頁)

 つまり、意識=心の理論(他者の心を予想するシステム、他者に心を仮定する能力)+ミラーニューロン(他者の行動を自分の行動に変換するしくみ)。この意識のはたらきによって、他人の心=「仮定された心」(概念としての心)が自分の心=「感情や記憶」(なまなましいクオリアを伴う心)へと変換される。ここにも最後に現われるものが最初から原因として存在するというプロセスがみられる。
 最後に、以上を総合する。

《言語が、他者に向けた歌から生まれたように、伝えたいと思う自分自身の心さえも、他者との相互作用から生まれてくる。僕は、心が、コミュニケーションが生み出した、最も重要なものなのではないかと考えています。》(254頁)

 伝えるべき心があるからコミュニケーションができるのではなくて、そのような「伝えるべき心があるからコミュニケーションができる」という事態しのものが、端的には「伝えるべき心」がコミュニケーションによって生まれてくる。ここにもあのループ、あの循環がある。
 まだうまく整理できないが、だいたいこういった話題が本書のキモになる。これはもうほとんど哲学の世界である。(02/16

     ※
 そういえば本書には印象的な問いが二つでてくる。
 一つは、講義を聴講している高校生の発言にあるもの。「そもそも、なぜ僕たちは死ぬのが嫌なんだと思いますか。」という著者の問いに答えて、「確かに、人って、この世にいない時間のほうが確実に長いのに、なんで死ぬのが怖いんだろう。生まれる前は存在しないのに。」(81頁)
 もう一つは、世界には約6千の言語があるが、そのほとんどが他の言語に翻訳可能であるのはなぜかというもの。ただし本書(91頁)ではただ事実として異なる言語間の翻訳可能性が述べられているだけで、それをなぜかと問うているわけではない。
 これらの問いは、そこに答えのない問題を感じとる(感じとらざるをえない)人にとっては哲学的な問いになる。解明すべき問い、なんらかの方法によって解明できる問題ととらえる人にとっては、それらは科学の問題である。
 本書にでてくる「哲学的ゾンビ問題」(231頁)も、そこに問題性を感じるか解明すべき謎ととらえるかによって、真正の哲学の問いになったり擬似哲学問題(科学の問題)になったりする。
 著者の問いのたてかた、もしくは問題性の感じ方、とらえ方はこの(哲学的と科学的の)二つの問いの世界にまたがっている。そこが面白い。

 この本の面白さはほかにもある。いくつか備忘録として書いておくと、たとえば、再帰的な演算能力の物凄さについて(84頁)。
 ヘレン・ケラーが初めて世界の事物に名前がついていることを理解したときに起こっていたのは、「AならばB」から「BならばA」(事物=水をさわることでそのシンボル=指文字をつくる)を推論する誤謬推論の能力の獲得、つまりシンボルと意味の対応関係を両方つくることだった(138頁)。
 言葉の超越性、すなわち過去、未来、地球の裏側のことも言えること(99頁)。
 音の流れを切り分けること、文脈を切り分けること、シンボルと意味との対応が双方向的であること、これらの性質が、言葉のはじまりにとって大切だったこと(139頁)。
 相互分節化仮説。歌を切り分ける大脳基底核の働きと、状況(文脈)を切り分ける海馬の働き、このふたつの働きがうまく協働して、人間は言語を獲得した(142頁)。


●石井洋二郎『告白的読書論』(中公文庫:2013.01.25

 書店の新刊本のコーナーで目にして以来、なぜか気になってしかたがなかった。
 あとがきに「思春期から青年期にかけての読書体験がもたらしてくれたなんともいえない甘酸っぱさやほろ苦さには、やっぱり忘れがたいものがある」と書いてある。
 共感を覚えつつも、自分にとっての「甘酸っぱさやほろ苦さ」の記憶がいかに不鮮明であるかを思い知り、ついに訪れることのなかった読書体験の累々たる屍に思いがおよんだ。

 読み進めながら、あまりの共通項(読書体験の共有)の多さに驚き呆れかつ震えるほどの悦びを感じていた。
 まるでこれは私が書いた、あるいは私が書くべき文章ではないか。そんな思いがわきあがり、ついには著者の真似をして、私自身の「告白的読書論」を構想し始めていた。

 読み終えて、これは私小説のひとつのあり方なのではないかと気づいた。
 小中学生から思春期、高校時代へという特権的な時間と特異な身心の状況のもと、書物との接触という官能的な経験のなかから立ち上がってくる諸々の観念や奇想天外な「空想[そらおも]い」(223頁)や淫靡な妄想やらを、まとまった言説、整序された概念のうちに補足される前のなまなましい形姿においてすくいだし、言葉にする。
 それはきっと、誰もが一生に一度は書ける、いいかえると一生に一度しか書けない幸福な私小説へと、一冊の美しい書物へと結実していくだろう。

《要するに、読書は固有の時間と空間と不可分の、けっして再現することのできない絶対的に一回きりの行為なのだ。だからこそ逆にいえば、わたしたちは同じ本を何度開いてみても、そのたびに「別の本」を読むことができる。一冊の本を相手にして、何度でも異なる読書体験をすることができる。
 この意味で、読書行為はわたしたちの身体感覚と密接に結びついている。一冊の書物を手に取り、活字を目で追い、指先でページをめくり、紙の匂いを鼻から吸いこむ──それだけでも語感のうち少なくとも三つの感覚(視覚、触覚、嗅覚)が動員されるが、場合によっては、聴覚(そのときに流れている音楽)や味覚(そのときに味わっている紅茶)などが経験の形成に関与することもありうるだろう。
 読書はともすると純粋に知的ないとなみであるかのように思われがちだが、本の内容は忘れてしまっても、その本を読んだときの身体的な記憶だけは消えないということは往々にしてあるものだ。》(271頁)

 珠玉の言葉だと思う。まるで読書行為とは人生の出来事(たとえば恋愛体験)そのものであると言わんばかりではないか。(02/17

 その他、心に残った言葉の落ち穂拾い。
 「難解」で「むずかしい」本、たとえばニーチェの『ツァラトゥストラ』やランボーの詩をめぐって。「わたしたちはその「わからなさ」をそのまま受けとめ、そこにうごめいている言葉のエネルギーに身をゆだねればそれでいいのである。ニーチェやランボーが「わかる」というのはそういうことだ。」(183頁)
 「危険な書物」の効用をめぐって。「四十になっても五十になっても、一冊の書物を読むことで、体内に沈殿する思考の淀みが一気に浚渫され、それまであたりまえのように考えていたことが考えられなくなるということ、そして今度は晴れやかに澄みきった自由のなかで、逆にそれまでけっして考えられなかったことが考えられるようになるということは、確かにあるものだ。」(223頁)


●ルース・タトロー『バッハの暗号──数と創造の秘密』(森夏樹訳,青土社:2011.1.10

 2年越しの懸案をようやく解決した。ただ流し読みをしてしまったので印象は薄い。ドキュメンタリー番組で映像と音声の助けを借りて観たいと思った。つづけて同じ時期に買った『137』を繙く。数秘術(数学というより数の学、数秘術、ほかには音楽と言葉の神秘学)には今でも強烈に惹きつけられる。(02/22


●石川九楊『日本の文字──「無声の思考」の封印を解く』(ちくま新書:2013.02.10

 西洋の恋する男は女性が暮らす部屋の窓の下で歌を歌って求愛するが、東アジアの男は恋文を書いて思いを伝える(152頁)。西洋では声の美しい男がもてて、東アジアでは美しい文字を書く男がもてる。
 それはなぜかというと、それぞれで使っている文字が違うからだ。西洋のアルファベットは母音子音の有声の単位で構成されるが、東アジアは無声の点画(一字で一語の漢字を構成する符号)を文字の構成単位とする。西洋の言語は声をもつが、東アジアの言葉は声をもたない(126頁)。
 このことはまた中心となる芸術の違いをもたらす。有声の構成要素からなるアルファベット文明圏(話す文明)では発声つまり声を基盤とする音楽が、無声の構成要素からなる漢字文明圏(書く文明)では書字を基盤とする書が表現の基本を形成する(129頁)。

《西洋文化圏における音楽の位置づけを象徴するのが交響楽である。多彩な楽器によるオーケストラ演奏に匹敵する音楽が、東アジアではついに生まれてこなかった。日本にも太鼓を用いた迫力のある音楽が存在すると考える人もいるだろうが、交響曲のハーモニーに比べると、質的にまったく異なる音楽である。日本の太鼓が西洋でも人気を博しているといっても、それはあくまでアジア的なエスニック音楽として受容されているだけのことである。
 逆に、日本のひらがなの書、あるいは中国の漢字の書の美しさの表現は、西洋にはまったく存在しないものである。西洋にも文字を外部に飾り立てる花文字のようなカリグラフィがあるが、その表現は文字を内部で支える東アジアの書が到達した表現レベルの深みには比べるべくもない。
 西洋における音楽と比肩できるのは、東アジアにおいては書である。これは間違いがない。西洋が培ってきた音楽と同じ質を、東アジアでは書に培ってきた。書という芸術は、音楽や劇などの要素を含みこんだ複雑な表現である。
 そして日本の音楽は、西洋におけるカリグラフィに相当する。カリグラフィとは文字を美しく飾り立てるものであり、東アジアの音楽もまた同じようにその基底は、声を外部に飾り立てるものである。これは日本の伝統的な音楽に限った話ではなく、現在の日本の音楽にもあてはまる。日本の流行歌で大切なのは、音曲性よりもむしろ歌詞。歌詞がどのような心情を歌っているかが重要なのであって、曲の方はさほど重要視されない。
 その事実が最も典型的にあらわれているのが、能の謡や詩吟である。》(149-150頁)

 文字の構成要素が声をもつ「音符」か声をもたない「形符」か。この違いが言葉、ひいては文明の違いをかたちづくる。

《日本語が現在のような音訓両用、[語彙的には漢語と和語に分裂し、構造的には漢語の詞を和語の辞が支える─引用者註]二重複線言語であり続けている理由は、漢字の性格に由来する。無声の構成要素から成り立っている無声の点画文字であるために、読み方を自由に当てはめることができる。この漢字の特性によって、第一段階の有無を言わせぬ圧倒的な水圧の漢詩・漢文・漢語の流入(漢字)にとどまらず、第二段階でのこの訓読による翻訳(カタカナ)、さらには第三段階の翻訳確定語(現地語・和語)の文[かきことば]化(ひらがな)という三文字、三文体言語の日本語の体系がつくられていったのである。》(137-138頁)

 詩もまた文字の違いの影響下にある。詩とは韻律をともなった文であり、この点においては西洋も東洋も同じである。しかし西洋では韻律が「音の韻」になるのに対して、東洋詩、とりわけ日本の和歌の場合、韻律が音にとどまらず「書く韻」「字の韻」になる(204頁)。以下、本書のハイライト(私にとって)である第五章「文字と文体」の議論へと続く。

 そのほかにも記憶にとどめおきたい話題がふんだんにもりこまれている。
 第四章「点画の書法──東アジアの「アルファベット」」にでてくる「基本点画」の画像つき解説は見ているだけで楽しい。西洋における楽譜のアナリーゼに相当するものといえようか。いちいちとりあげていてはきりがないのであと一つだけ、四季と性愛の表現に長けた和歌の誕生と洗練をめぐる文章を抜き書きしておく。(02/16

《漢字で書かれている万葉集の歌は和歌とは呼ばない。宛字という意味で「仮字[かな]」とはよぶものの、万葉仮名は漢字にほかならないから女手=ひらがなのような「かな」歌ではなく、漢字歌である。これに対し、「古今和歌集」の歌は女手で書かれた、真正の和歌である。女手は語を単位とする分かち書き化へと踏み出した文字であるから、なめらかに書かれる。なめらかに書くこと──書字自体の優位化、優先は、複雑で微少な差異をならし、平準化を進める。母音の五母音への簡素化と、現在で言う清音、濁音の一体化つまり清音表記も進んでいった。
 また、清らか、なめらかに書くところから、掛筆が生れ、掛筆は掛字を、そしてそれは掛詞を生むことにもなった。声による韻律よりも、書字(掛筆)に発する掛詞が清音表記によってさらに増幅され、表現の可能性が広がり、和歌の表現が洗練されていった。意味の韻、文字の韻、書くことから生れる韻律によって成り立つ和歌が、女手の誕生とともに生れたのである。ここに東アジアの漢字の「詩」とは異なる「和歌」が誕生した。
 これらの掛詞や縁語を和歌のレトリックの技巧と考え、従来の国文学者のなかには、それをおもしろがる人たちと技巧的でありすぎると批判する学者が存在した。和歌の技巧性に対する見解は相違しているが、両者は共通に、西洋の音韻律を存在基盤とする詩をモデルとしてこれらを和歌の技巧と捉えている。だが、これらは、和歌のレトリックではなく、意味の韻律、字の韻律を基盤に成り立っている和歌という詩の構造から生じた表現なのではないだろうか。》(223-224頁)

     ※
 読後の余韻を愉しみかつ確かめるために、かつて愛読した『芸術新潮』2006年2月号の古今和歌集1100年特集「ひらがなの謎を解く」の図版を眺めてみた。伝紀貫之筆「寸松庵色紙」や「高野切」、伝藤原行成筆「升色紙」、「秋萩帖」の美しいこと。

《日本を代表する歌集は何かと尋ねられたなら、本居宣長や正岡子規であれば『万葉集』と答えるだろうが、ほんとうのところは『古今和歌集』に尽きる。書でいえば、さきほど言及した「寸松庵色紙」。これら平安時代中期につくられた作品が日本の美学を象徴しており、この頃が世界で日本が最も輝きを放っていた時代である。》(『日本の文字』61-62頁)

 日本を代表する歌集は何かと尋ねられて本居宣長が万葉集と答えるとは思えない(新古今和歌集だろう)が、その点をのぞいて、日本の美学に関する石川説は妥当なのではないかと思う。(02/24


●松木武彦『進化考古学の大冒険』(新潮選書:2009.12.20

 『日本の文字』の読後談をもう一つ。
 石川九楊氏は、「文字とは話し言葉を記すためのたんなる記号ではなく、ひとつの文、文体をつくり支えるもの」(10頁)と定義した。文体は「詩体」(203頁)に通じ、集団、社会、国家、ひいては文明の「かたち」に通じていく。

 『日本の文字』に触発されて、松木武彦著『進化考古学の大冒険』(新潮選書)の最終章「文字のビッグバン」を読み返してみた。実に面白い。
 文字がなぜ誕生したか。誕生した文字がヒトの心や行動、社会をどう変えたか。
 文字の使用には法典(制度、規範)と史書・叙事詩(集団のアイデンティティ)と教典(神の物語)の三領域があること。
 まぼろしに終わった「弥生文字」(銅鐸や土器の表面などに描かれた文様が記号化したもの、シカ=三日月形、龍=S字形、呪術者=I字形など)があったこと。
 六世紀から七世紀前半にかけて、「文字にもとづく世界宗教としての仏教」(243頁)の経典の伝来とともに、日本列島の文字社会化が進行し、その結果、五世紀なかばすぎに頂点に達していた「古墳という民族モニュメント」(245頁)の衰退がもたらされたこと。
 この話題は「ヒトはなぜ巨大なモノを造るのか」の章にダイレクトでつながり、それはまた「狩猟革命と農耕革命」の章の話題につながり、そうこうしているうちに関心は「美が織りなす社会」の章の「ホモ・エステティクス」の話題に飛び火する。
 で、結局、全体をざっと再読することになった。実に面白い。

「モニュメントは、そこで行われる儀式などとともに、人びとの心の動きに直接訴えることを通じて、集団のまとまりを保つ「われわれ意識」を高揚させ、そのアイデンティティを強める機能をもっている。
 文字を用いた制度によって人びとのまとまりを保とうとする、いわゆる国家の段階になると、モニュメントはその役割を後退させ、小さく地味になって、やがては作られなくなる。」(『進化考古学の大冒険』180-181頁)

 この文章を読みながら、私はふと古今和歌集は無形の人工物で、その編纂は文字によるモニュメント建立の企てだったのではないかと思った。
 松木氏は、「形はなぜ変化するのか」の章で、物の形の三段階、「フォーム」(物理的な機能を担う)と「スタイル」(社会的な機能を体現する)と「モード」(スタイルの形の規則をこわさない範囲での細部の形状やデザインの変化)の区分をたてていた。
 この議論を「詩体」とりわけ「歌体」の分類に応用するとどうなるか。(02/24

     ※
 世界は表現だといっていい。これは、養老孟司著『身体の文学史』の「表現とはなにか──あと書きにかえて」の書き出しの言葉。
 文学、絵画、音楽、法律、制度、都市、そして考古学が研究対象とする人工物、それらはすべて意識の表現である。それらは意識の外部への定着手段であって、かならずしもたがいに排除するものではない。

「ただし、たとえば都市と文学はなぜか矛盾するらしい。秦の始皇帝は万里の長城を築くが、焚書坑儒を同時に行う。立派な建造物は必要だが、本はいらないというのである。始皇帝陵の発掘で知られる驚くべき規模の遺跡は、建築型の意識の定着法と、文字型の意識の定着法とが、たがいに抗争することを示すように思われる。西方では、エジプト人のピラミッドと、ユダヤ人の旧訳聖書の差を思えばいいであろう。どちらを採るか、そこにはおそらく無意識が関与しているに違いない。」(新潮文庫『身体の文学史』206頁)

 この議論は、そのまま進化考古学の話題につながっていく。


●ル・クレジオ『物質的恍惚』(豊崎光一訳,岩波文庫:2010.5.14

 昔、たぶん大学生の頃だったと思うが、アンリ・ミショーの詩やデッサンに強く惹かれていた時期があった。小海永二氏の著書か訳書を何冊か買い求めたような気がするのだが記憶が不確かで、詩集『みじめな奇蹟』を所持していたかどうかも思い出せない。
 もしやと思って検索してみると、千夜千冊の977夜[http://1000ya.isis.ne.jp/0977.html]が『砕け散るものの中の平和』をとりあげていた。「アンリ・ミショー! あれは、未詳。あられな、三娼。あんぐり未詳の、稀少倶楽部の、みせう、未詳。」
 とくに共感したのは次の文章。というのも、私はミショーのメスカリン詩よりメスカリン・デッサンの方により強く惹きつけられていたからだ。

「ぼくははっきり告示することができるのだが、ミショーのドローイングこそは真の意味での図象文字であり、神経の運動知覚記号そのものであるにちがいない。」

 アンリ・ミショーのことを思い出したのは、『物質的恍惚』の文庫解説「ル・クレジオの王国を統べるもの」で今福龍太氏がル・クレジオのミショーへの傾倒について書いていたからだ。
「ミショーとル・クレジオは、言語意識の彼方からの異形の声に耳を澄ませ、客体としてのかたちを失った世界の無限定の輪郭を凝視しながら、詩的言語を介して社会への敵意・呪詛を語り、物質的凝集への陶酔感を描きだす衝動を共有していた。」(446頁)
 今福氏はつづけて、両者に共通する「二つの相関し合う、創造に向けての実験的主題」があったと書く。
 その一は「麻薬体験による意識の拡張・深化への真摯な探究」。「やや大胆にいえば、『物質的恍惚』という前−言語意識の究極の探究を頭脳のなかで完遂したル・クレジオにとって、インディオの幻覚性植物との出遭いは、ほとんど宿命として約束されたものであり、書きつづけるための唯一可能な道程でもあった。」
 その二は「言語の極北、具体性と観念の一体化への究極の試み」(448-449頁)で、それはまさに『物質的恍惚』がそのクライマックスにおいて到達しようとするものであった。
 今福氏の解説は力のこもった長編論考で、これを読むためだけにこの文庫本を買ってもいいほどの出来映えだと思う。(豊崎光一氏の「訳者のことば」もこれに負けず劣らず素晴らしいものだった。)

 本書は序章「物質的恍惚」、本篇「無限に中ぐらいのもの」、終章「沈黙」の三つからなる。誕生−生−死。今ちょうどその本篇を構成する9つの文章のうち最後の「鏡」の直前まで読み終えたところ。
 感想めいたものはまだかたちをなさないが、漠然と頭をよぎっているのは、(あたかも『ドクラ・マグラ』の巻頭で「胎児よ/胎児よ」と歌う歌い手のような)この書物の語り手はいったい誰なのか、そして誰もしくは何にむかって語っているのかという疑問だった。
 それは、つまり『物質的恍惚』の語り手たる「ぼく」とは「集団的なエクリチュール」(454頁)もしくは「匿名の、集合的な声として織り上げられた神話的思考」(455頁)のことなのだと、今福氏ならそう答えるだろうか。
「ロートレアモンやミショーとならんで、レヴィ=ストロースの著作[『野生の思考』や『神話論理』全四巻]のなかにも、ル・クレジオは集団的なエクリチュールの夢を探究するための道標を、確かに発見していたのだった。」(454頁)
 あるいは、今福、豊崎の両氏が共通して引用している「ぼくは他人たちの考えでもって書く」(112頁:それぞれ415頁と453頁で引用)のうちにそのヒントが潜んでいるのだろうか。

 語りとともにそこで語られる当の世界が(物質的に)出現し、その世界に向かって語りつづける声が当の世界のなかに(物質的な声として)響きわたってゆく。
 それは神ではないか。語っているのは神なのではないか。そのような語りを語るもののことを神というのではないか。
 それは言語なのではないか。語っているのは言語そのものにほかならないのではないか。
 言語以前のことが、精確には物質(声、書痕)としての言語以前のことが、端的に言えば誕生以前の世界、そして死の世界が、今福氏の使った語彙を借用すれば「前−言語的欲動」(455頁)をもって語られる。
 今福訳によるミショーの『氷山へ』の一節が、その答えを示唆しているのだろうか。

《それは言葉なのだろうか? 言葉とはなんなのか、イメージとは、観念とはなんなのか、ぼくにはもうよくわからない。いや、それは物質なのだ。それは輝き、おのれの力による重みを持ち、静かで美しく、どこからでも見える。それは隠しごとのない記号、明るいデッサン、踊る肉体、叫び、鵜のゆったりとした飛翔、氷河の海をすばやく横切る鮫、遙かに雪を戴いた尖峰、峡谷、船の航跡、エンジンからたなびく煙、そして砂の上に残された足跡。》(「ル・クレジオの王国を統べるもの」450頁)

 それは物質なのだ。語っているのは物質なのだ。クオリアは少なくともその身の半分が物質の領域に属している。(02/22

     ※
 石井洋二郎著『告白的読書論』に、「わたしたちはその「わからなさ」をそのまま受けとめ、そこにうごめいている言葉のエネルギーに身をゆだねればそれでいいのである。ニーチェやランボーが「わかる」というのはそういうことだ。」と書いてあった。
 「わからなさ」に身もだえしたわけではないし、賢しらに「わかる」を連発したいとも思わない。わかる、わからないの次元が違う世界に誘われたという思いが強く残っている。語っているのは誰なのか。書いているのは誰もしくは何なのか。
 『物質的恍惚』を読み終えたいま、ル・クレジオの言葉のエネルギーに身をゆだねきった希有の経験を記憶に深く刻みこむため、厳選した一つの文章をここに記録することしか思いつかない。(厳選することなどほんとうはできない。最後にドッグイヤをつけた文章を転記した。)(02/26

《言語の彼方、意識の彼方、すべて形であって生きていたものの彼方に在るのが、全的な物質、生[なま]の物質、目的なくそれ自体に委[ゆだ]ねられた物質の拡がりだったのだ。ぼくの自我の彼方、ぼく個人の真実というプリズムを越えて、自己を表現しようとしないこの世界があったのだ。ぼくが生きているかぎり、ぼくが見ているかぎり、ぼくは何ごとをも知りえまい。ぼくが感じることすべては、虚偽であるのではなく、まぼろしであるのではなくて、在るものではないだろう。ぼくが母のほうへ回帰しようとしても空しい、母はぼくを迎え入れはしないだろう。母は生きているぼくなどいらないと言うだろう。母がぼくを受け容れてくれるのは、ぼくがもはや何ものでもないときにすぎまい。それが母の掟[おきて]なのだ。》(「沈黙」348-349頁)


●ウラジミール・ナボコフ『ナボコフの文学講義 上』(野島秀勝訳,河出文庫:2013.01.20

 昔、阪神淡路大震災よりも数年前に読んだマヌエル・プイグの『蜘蛛女のキス』が面白かった。(1992年9月以降に読んだ本は記録しているが、蜘蛛女はそこにでてこない。)
 千夜千冊の270夜[http://1000ya.isis.ne.jp/0270.html]に、「この小説は映画の物語なのである。映画のような小説なのではなく、映画を見るということそのもの、映画を語るということそのものを取りこんだ小説なのだ。映画に体感エクリチュールというものがあるとすれば、その体感エクリチュールが文学になったといえばいいだろうか。」とある。

「モリーナが『千夜一夜物語』よろしく、毎晩、続きもののように、映画の物語を聞かせるわけなのだ。語られる映画は6本にのぼっていて、そうとう細部まで語られる。そればかりかモリーナは脚本家の立場、監督の立場、批評家の立場をすべて引きとって、しかも役者にもなってみせている。バレンティンはその語りの中へ入っていく」

 モリーナとバレンティンはホモセクシャルな関係にある男たちで、ブエノスアイレスの監獄にいる。
 というようなことはこの際あまり関係がなくて、『ナボコフの文学講義』を読み進めながら、この「映画を語ることそのものを取りこんだ小説」のことを、その無類の面白さの「体感エクリチュール」を思い出していた、そのことを忘れないように書いておきたかった。

 いまちょうどジェイン・オースティンの『マンスフィールド荘園』をあつかった最初の講義を読み終えたところ。未読の小説なのにかつて味わった感銘(体感エクリチュール?)を反芻する再読の愉悦に浸っているような、どこか倒錯した快楽に陶然となっている。
 個人的な体験でいえば、私にとって映画を観ることはつねに、経験したことのない過去の出来事や心象風景を想起することであり、そして観終えると同時にそれらはまた二度と再び再現できない忘却の彼方に消失してしまう。ちょうどそれと同じことがいま生じているわけだが、ただひとつ違うのは、その経験が文章によってもたらされたものであるということだ。
 そういえばオースティン関連の映画は、「ジェイン・オースティンの読書会」(ロビン・スウィコード監督)と「プライドと偏見」(ジョー・ライト監督、キーラ・ナイトレイ主演)を観た。いずれも印象深いものだった。ただしそれらの映画を構成する細部の映像は二度と再び再現できない忘却の彼方に消失し、それらの映画を観ていたときの「体感エクリチュール」は着地点を見出せないまま虚空を漂っている。(02/22

     ※
 上巻を読み終えた。(02/27
 オースティン(『マンスフィールド荘園』)の陶酔のあと、ディケンズ(『荒涼館』)で少し道に迷い、フロベール(『ボヴァリー夫人』)では圧倒された。

「フロベールがこう論じてもらいたいと思っていたように、ここで『ボヴァリー夫人』を論じてみたい。つまり構造(彼はこれを「運動[ムーブマン]」と呼ぶ)、主題の糸、文体、詩、それに人物の点から論じることにする。」(「ギュスターヴ・フロベール」310頁)

 とりわけ構造と文体が肝要だ。そして技法。
 たとえば、オースティンの「ナイトの動き」(167頁)や「独特のえくぼ」(169頁)、ディケンズの「物語の動かし手」や「かたつむり(perry)」(249頁)、そしてフロベールの「対位法的手法」(347頁)や「構造的移行」(355頁)、等々。これらのナボコフ語による技術論に説得力がある。
 小説にとって大事なことをめぐるナボコフの言葉も印象深い。

「なによりも細部に注意して、それを大事にしなくてはならない。」(「良き読者と良き作家」53頁)
「文学は、狼がきた、狼がきたと叫びながら、少年がすぐうしろを一匹の大きな灰色の狼に追われて、ネアンデルタールの谷間から飛び出してきた日に生まれたのではない。文学は、狼がきた、狼がきたと叫びながら、少年が走ってきたが、そのうしろには狼なんかいなかったという、その日に生まれたのである。」(「良き読者と良き作家」61頁:池澤夏樹氏の「解説──精緻な読みと巧緻な作り込み」でも引用)
「文学とはこういうつまらぬもの[ディールの海港の描写]から成り立っているのだ。事実、文学を成り立たせているのは、一般的な観念ではなく、個別的な啓示なのである。」(「チャールズ・ディケンズ」287頁)

 学生への試験問題の見本が「付録」に掲載されている。
 『荒涼館』に関する第3問、「『荒涼館』の構造と文体について論ぜよ」。
 『ボヴァリー夫人』の第5問、「『ボヴァリー夫人』のなかには、「馬」「石膏細工の司祭」「声」「三人の医師」といった数多くの主題の糸がある。これら四つの主題について完結に記せ。」
 同第7問、「「そして」という言葉をフロベールがどのように使っているか論ぜよ。」
 こんな切り口や視点で小説を読む!