不連続な読書日記(2009.11-2010.02)
【購入】
●『SAPIO』2009年11月25日[特集|政治家の死が歴史を変えた瞬間〕(小学館)【¥457】
創刊から数年、毎号購読していた。休日前夜、何年ぶりかで手にして1、2時間眺めて過ごす。「鳩山政権を挟撃する大メディアと官僚「霞ヶ関の笛」連合」
の記事が面白い。
●岡田庄司『とりあえず作ってみる 作曲術入門』(秀和システム:2009.11.1)【¥2400】
DTMや作曲関連の本や雑誌が目についたら「とりあえず」買っておく習慣が身についてしまった。この本は、今度こそ「作ってみる」つもりで、休日の少し
時間に余裕があるときに購入した。
●淺沼圭司『〈よそ〉の美学──亡命としての晩年と芸術家のくわだて』(水声社:2009.6.30)【¥4000】
「日本思想史の核心」を特集した『大航海』(No.67)に、小倉紀蔵氏が「今、よそ──定家・道元・三島を結ぶもの」という論考を寄せている。そのタ
イトルにいう「よそ」とは、定家の、たとえば「年も経ぬいのるちぎりははつせ川尾上のかねのよその夕ぐれ」に詠われたもの。淺沼氏が、本書収録の「「よ
そ」についてあるいは定家再読」の冒頭に、「気になりながら(『映ろひと戯れ──定家を読む』で)中心的に論じることなくおわったもの」と書いているの
が、この「よそ」という語。
●垣根涼介『君たちに明日はない』(新潮文庫:2007.10.1/2005)【¥590】
●ジョン・ハート『川は静かに流れ』(東野さやか訳,ハヤカワ・ミステリ文庫:2009.2.15)【¥980】
垣根涼介の作品は、以前『午前三時のルースター』を読んだことがあって、その鮮烈な読後感は(読後感だけは)いまでも覚えている。ジョン・ハートの本
は、とにかく北上次郎氏が絶賛している(某紙の書評論で、今年のベスト3に推していた)のが心強い。
●内田樹『日本辺境論』(新潮新書:2009.11.20)【¥740】
●松谷明彦『「人口減少経済」の新しい公式──「縮む世界」の発想とシステム』(日経ビジネス人文庫:2009.11.2/2004.5)【¥743】
●熊野純彦編著『日本哲学小史──近代100年の20篇』(中公新書:2009.12.20)【¥900】
●ロラン・バルト『エクリチュールの零度』(森本和夫・林好雄訳註,ちくま学芸文庫:1999.10.7)【¥950】
●星野之宣『宗像教授異考録 第12集』(小学館:2009.12)【¥1238】
●二ノ宮知子『のだめカンタービレ』#23(講談社:2009.11.27)【¥419】
●山崎裕介『あなたも30分でタバコがやめられる!』(フォレスト出版:2009.7.30)【¥1000】
●池上彰『わかりやすく〈伝える〉技術』(講談社現代新書:2009.7.20)【¥740】
●蓑豊『超・美術館革命──金沢21世紀美術館の挑戦』(角川oneテーマ21:2007.5.10)【¥686】
●『ちんかめ4』(宝島社:2009.11.2)【¥933】
●吉田秀和『永遠の故郷──真昼』(集英社:2010.1.10)【¥1600】
●広井良典『コミュニティを問いなおす──つながり・都市・日本社会の未来』(ちくま新書:2009.8.10)【¥860】
●渡辺公三『闘うレヴィ=ストロース』(平凡社新書:2009.11.13)【¥800】
●丸山圭三郎『言葉とは何か』(ちくま学芸文庫:2008.4.10)【¥900】
●八木雄二『天使はなぜ堕落するのか──中世哲学の興亡』(春秋社:2009.12.25)【¥4800】
●フリーマントル『片腕をなくした男』上下(新潮文庫:2009.12.1)【¥629×2】
●福田義之『真田風雲録』(ハヤカワ演劇文庫:2008.3.25)【¥700】
●丸山圭三郎『ソシュールを読む』(岩波セミナーブックス:1983.1)【¥300古】
●松木武彦『進化考古学の大冒険』(新潮選書:2009.12.20)【¥1200】
●『芸術新潮』2010年3月号[特集|没後400年記念特集 長谷川等伯《松林図屏風》への道〕(新潮社)【¥1333】
【読了】
●細見和之『ベンヤミン「言語一般および人間の言語について」を読む──言葉と語りえぬもの』(岩波書店:2009.2.24)
再読。「通常の記号論的な発想を芸術表現に置きなおすとベンヤミンの言語思想理解しやすいこと」(149頁)。命名=表現(芸術制作)
●柳川喜郎『襲われて──産廃の闇、自治の光』(岩波書店:2009.7.24)
もっと劇的に書けたはず。それだけに、生々しいリアリティがある。
●二ノ宮知子『のだめカンタービレ』#20〜#22(講談社:2008.3.13〜2009.8.10)
●かわぐちかいじ『太陽の黙示録 建国編』vol.1〜3(小学館:2008.7.5〜2009.4.4)
いよいよ、のだめの番。
●渡部泰明『和歌とは何か』(岩波新書:2009.7.22)
再読。
●徳永恂『現代思想の断層──「神なき時代」の模索』(岩波新書:2009.9.18)
何を書きたかったのか。
●尼ヶ崎彬『ことばと身体』(勁草書房:1990.1.30)
言葉は認識=思考の回路である。この回路には二つの種類がある。第一の「論理の回路で」では、ロゴス的言語によるロゴス的カテゴリーへのあてはめという
推論が営まれる。第ニの「レトリックの回路」では、「わざ言語」(‘craft
language’の訳、生田久美子『「わざ」から知る』)もしくは「心身態勢の型」による未知のカテゴリーの発見・作り出しという営みが遂行される。
「レトリックとは、言葉による身体への働きかけ」(226頁)である。それは身にしみ・身につく言葉(概念)を通じて、身体で覚えられる。あるいは意味が
受肉される。「音楽が音楽として、絵が絵として経験されるためには、私たちの身体によって意味を受肉させられねばならない」(166頁)。
この二つの回路は芸道稽古においても観察される。たとえば書道でいう「臨書」(模倣)と「摸(も)書=敷き写し」(なぞり)。前者は外形的な「形」の模
倣であり、後者は身体運動の「型」の経験である。「和歌はその心身態勢から見られた相貌を語ることによって、間接的にその心身態勢の「なぞり」を喚び起こ
す」(200頁)。「相貌の提示はそれを見る心身態勢を喚起する。そして心身態勢はそれに応ずる相貌を見出す。この循環する回路こそが隠喩のメカニズムで
ある。」(205頁)
「…文学は、とりわけ詩歌は隠喩を用いる。いや隠喩だけではない。さまざまなレトリックを縦横に駆使する。その効果は何か。レトリックは読み手をロゴス的
構造の世界から「らしさ」の世界へ、対象的認識から身体的認識へと引き戻すであろう。言葉はもはや外在的情報を伝えるものではなく、読み手の身体を場とし
て改めて意味を受肉させ、理解させ、頭ではなくからだで納得させるであろう。だからこそ優れた詩は(そしてすべての芸術は)、私たちを原初の意味生成の現
場へと連れ戻し、世界を新たな眼で見ることを、いや生きることを教えるのである。」(208頁)
「したがって、レトリックの機構を探ってゆけば、それは言葉が形をとる以前の、半ば無意識の心の働きの仕組みを探ることになるだろう。いや、ひょっとした
ら、それはもはや「心」の働きでさえないかもしれない。」(あとがき)
●淺沼圭司『映ろひと戯れ──定家を読む』(水声社:2000.10.20/1978)
ある時代の余波。
●垣根涼介『君たちに明日はない』(新潮文庫:2007.10.1/2005)
リストラ請負人・村上真介シリーズの第一弾。達者な筆づかいで、安心して堪能できる。
●井筒俊彦『読むと書く──井筒俊彦エッセイ集』(慶應義塾大学出版会:2009.10.26)
●内田樹『日本辺境論』(新潮新書:2009.11.20)
●星野之宣『宗像教授異考録 第12集』(小学館:2009.12)
●二ノ宮知子『のだめカンタービレ』#23(講談社:2009.11.27)
●ジョン・ハート『川は静かに流れ』(東野さやか訳,ハヤカワ・ミステリ文庫:2009.2.15)
●蓑豊『超・美術館革命──金沢21世紀美術館の挑戦』(角川oneテーマ21:2007.5.10)
●池上彰『わかりやすく〈伝える〉技術』(講談社現代新書:2009.7.20)
●山崎裕介『あなたも30分でタバコがやめられる!』(フォレスト出版:2009.7.30)
●『ちんかめ4』(宝島社:2009.11.2)
●ロラン・バルト『エクリチュールの零度』(森本和夫・林好雄訳註,ちくま学芸文庫:1999.10.7)
●丸山圭三郎『言葉とは何か』(ちくま学芸文庫:2008.4.10)
●ジョルジョ・アガンベン『言葉と死──否定性の場所にかんするゼミナール』(上村忠男訳、筑摩書房:2009.11.25)
●西平直『世阿弥の稽古哲学』(東京大学出版会:2009.11.20)
●レイモンド・チャンドラー『さよなら、愛しい人』(村上春樹訳,早川書房:2009.4.10)
●渡辺公三『闘うレヴィ=ストロース』(平凡社新書:2009.11.13)
【ブログ】
★2月28日(日):Web評論誌『コーラ』9号のご案内
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本誌は〈思想・文化情況の現在形〉を批判的に射抜くという視座に加えて、〈存在の自由〉〈存在の倫理〉を交差させたいと思います。そして複数の声が交響
しあう言語‐身体空間の〈場〉、生成的で流動的な〈場なき場〉の出現に賭けます。賭金は、あなた自身です。
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●シリーズ〈倫理の現在形〉●
残念ながら、今号は寄稿者の都合により休載といたします。
●連載:哥とクオリア/ペルソナと哥●
第13章 ラカン三体とパース十体(序)
中原紀生
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●連載:新・映画館の日々」第9回●
人でなしの恋――『シルマリリオン』論序説
鈴木 薫
http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/eiga-9.html
●コラム「コーヒーブレイク」その3●
歌謡「おさななじみ」にみる〈公的記憶の改竄又は無化〉
橋本康介
http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/column-3.html