私が生まれた日


              1

       私は解読不能の古代文字のように老いの形をもって生まれた

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       私が生まれた日
       私のからだとたましいに刻み込まれた
       聖痕が無残にはぎとられ
       薄暗い納屋にしまい込まれた
       一部始終を私は視ていたに違いない

              3

       時の正確無比な測量を私は希い続けてきた
       数知れぬ私とは無縁な死者たちの寡黙な悲しみの堆積のなかで
       私はものいわぬものたちと夥しい時を蕩尽し
       摘みとったことばの編纂作業にあけくれしていたのだ

              4

       若い恋人のやわらかな皮膚に私は日付を刻印する
       二度とありえぬ
       あるいはかつて一度もありえなかった私の生誕の日付を

       崩れていく私のからだからは死臭はにおわない
       私は恋人の胸の双丘に繰り返し接線を描き
       とこしえの死への漸近線のうえで
       ディクレッシェンドの韻律をたたきだす
         (老いさらばえた裁き手として)

              5

       最期の時を この世の尽きる果てを私は視るだろう
       それが私の定めならば私は一切の断念と祈りをききとどけ
       狂うことなく視つづけてみせようと思う
       そして裁かれることのなかったすべての有罪者の
       存在しえぬ判決の日付を書きつけておきたいと思う
       生まれ出ることのなかった者たちの
       奪われた生誕の日付に添えて

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       私が生まれた日
       一切は私の記憶のうちに眠るだろう
       発掘された日付入りの陶器の図象のなかで
       いましめられた死児の破片として再生するときまで

         (子どもたちはひからびた石を並べる
          それは遊びというより苦役に近い)

       私には聞こえる
       順番を待つこどもたちの騒がしいポリフォニー
       流れ出る血の静謐な凝固する音が

         (私はとおに知っていたのではないだろうか
          何万年も昔に絶滅した巨大な象たちの最後の唱和に似た
          今消えつつある者たちの無意味な飢餓の苦しみを)

              7

       祈りはききとどけられることなく
       凍てついた氷河のなかに結晶している
       再び融ける日に 虚ろな唱和となって
       空位となったその座にとどくのであろうか?

       庭園に凍りついた半人半獣の石像の悲哀
       法典の最後の頁に欠けた署名を探し求めて
       あらかじめ任命された冒険譚の主人公
       古代ペルシャ語辞典の盲目の編纂者
       決算書の様式の改訂作業にあけくれていた

              8

       ことばの響きが溶け合ってつかのまの静寂を紡ぎ出している
       すべてのものが息絶え
       進化の糸口はことごとく縫い合わされてしまった
       私はかつて知っていた旋律の刻み込まれた石片を拾い集めてみるが
       私たちの最後の交わりから生まれるのは不信と断念と死ばかり…

              9

       黒々としきつめた葉のなかに裸体の幼女がうつぶせに倒れている
       双生児 虚をみつめる四つの目 白く うちにこもる光によって
       私の愛撫にこたえようとする口唇 浮びあがろうとする少女のカラダ
       欠けた石膏像の沈潜した悲しみの表情
       月の光に照らされた墓地 苦悶の造形 秋の森

              10

       私は盲いている
       最後の情景を視とどけるときまで 私の両眼は開かない
       私の体は縫い合わされている
       縫い目からしのびこむ声に犯され続けている…

       生まれながらにして老いた体 ただ不毛の貧弱な肉の残骸として
       夢見る力すら与えられず
       だから彼らには「現実」など知るすべもなく
       おびただしい残餌の腐っていく海を
       レディメードのことばの群れとして流れていく
         (私は捧げよう すりきれた古代貨幣の謎めいた肖像
          死せる王の骸を)

              11

       梳きととのえられた語尾たちの半永久的な眠り
       愛煙家のうちには思想は棲みつかない

       哀しみの眼を縫い込められた鳥たちの自嘲的な求愛の森
       薄暗い森の奥の光の溜り場で憩う鳥たちに
       声をかえしてやるがよい 求婚者たる汝

       区画され幾層にも積み重ねられた書物の街区
       深く深くおりていく 若い女たちの
       透けていく肢体を通りすぎて 私のコトバが
       空に響く 崩れていくものたちの口腔から
       盗まれたコトバ
       語ってはならない いや語られることの
       かつてなかったそのくさぐさ
       喪失の忘失の毛質のコトバ

              12

       飽食の魚たちの寄木細工の夢のように
       白濁してゆく私の自意識
       そのぬめぬめとした表層に
       痕跡となってとびかう夏の昼の情景
       崩れている 果てしなく
       晩歌 キコリたちの趣味のキノコづくり
       キノコ狩りの夜のその夜の連星の呪言
       神が…

       海が… 揺れる風の律動に
       砕け散る光の量子たち そして 再構成された生きもののように
       私の名をさけて すりぬけていく 手がかり
       むしろ 私が生まれた日の やがて来ることの確実さこそが
       この海のひろがりにとっては 懐かしいようだ

       無数のおびただしい菌糸がからみあうようにして
       はりめぐらされた 推論の手法の 体系化
       やつれた… 流されていく この 日

       腐っていく私はにおいを放って固くなるものをみている
       その重みの内側に捕捉されてピンでとめられた
       符蝶

       永劫に時の進行を停めて ただ陳列されている肢体
       孕んだ女のように私は重く そして…

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       巻きとられていく
       うすい光の布置
       時おり交わされる密約
       見返る鳥 地に沈む森
       動かぬものの気配
       空の胃の腑に響く律動
         (何かが生まれつつある)

              14

         (見捨てられた貝殻の腐っていく無臭の過程に…)
       編目模様の光の間隙に私の意志はまどろんでいる
       盲目の臆したまなざしの届く領域には
       色と形のない「固まり」が浮遊しているはずだ
       耳をすますと周期的な旋律が「固まり」の中からきこえる
       記譜しえない音階が未分化のままたち消えていく

       私は眠りの中で暝想している
       視覚化されたことばがまどろみの沼の淵に湧き上がり
       突然 ある固有の重力をもって飛びかう
         (キリンの形に私の魂は凝集していく…)
       固くなる光の束 たばねられた光の結晶
       鋭角的に 断面に反映する壊れた発条仕掛けの筆跡

         (凝固するもの 痕跡をとどめる叫び 追いすがる…)
       変成された石塊の虚心に吊された目的

              15

       縫いあわされたカラダ
       ほつけていく縫合糸 犬の模型 人体模型 球と球を結ぶ糸と
       糸は力を支えている 力を伝えている 力を… 生みだしている?
       球は膨張している
       しかしそれ以上に膨張している私の眼球は
       ちぢんでいく球を記憶せよと私に命じるのだ

       亀裂をのぞきこんだ彼女の眼球から血が湧きだしている
       正四面体に刻まれた彼女の屍肉から…
       結合 NとNとNと…
       折り目をつけられ 閉じ込められ 開かれ
       組み合わされた…
         (世界は 正四面体から出来ている 109.5 0 の…)

       中心から垂直に立ちあがった燃焼
       呼び掛けることばの収集
       整理されることなく袋づめにされていく

       私のたくらみによって解剖された彼女たち
       彼女らのたくらみによって解体された私
       この同型反復による創詩術を編みだしたのは
       遠い国の伝説的な古老たちによる大陪審

              16

       象の死骸が崩れていく
       形が重みのない実質を支える足がかりを失って
       消えていく歴史の虚数解が重なりあうように

       声をたてない生き物たちの体の上で
       死は無言劇のように織り重なる
       重さのない頁が風に操られていく
       索引だけの書物が項目の欠落を埋め合わせる
         (狩人たちが帰還する
          見えない獲物を腑分けする手捌きがもつれあう
          男たちは脱色した表皮をきしませて
          高等数学の解法を復唱する)

                17

       私のことば 私の語ったことば 私の語り得なかったことば
       私の帰還 私の消失 私の肢体 私の劣情
       私の生まれた日 私の生まれた場所 私の名前

       私の死 私の死んだ日 私の死を死ねなかったからだ
       私の殺意 私の作品 私の比喩 私の悪癖
       私の声 私の仕事 私の形

       そのからだを流れる透き通った青い血
       腑分けしたからだのすきまを
       私の記憶はやすやすとすりぬけていく
       私の生きていた思い出 私の失った記憶

       私をとらえて離さないもの
       私のいのちの脈打ち 襲いかかる数々の喜悦
       きれぎれにつぎはぎされた連続 形が保とうとする 崩壊
       むしばまれていくもの 私のからだ

       樹々の深い蔭を踏みつける ことばの森 ざわざわと音をたてる死
       鎧を脱いだ透明なからだ からだの中にほの青く燃える火
       一本の糸のようにのびてゆく私のからだ
       何百人の後衛たちのひとりとして朽ちていく 独身者たち
       不毛な語らい 不毛なうなずき 不毛な食欲… 腑分け

       世界はいずれにせよそこにある
       私はこのことを出発点にしようと思う
       私の根底に明滅するもの
       存在しかつ存在しないもの
       非在 不在の形でそこにあるもの
       私のたましい 私のからだ 私の記憶
         (私がひとりであることを忘れたとき私はひとりになる)

              18

       夜の黒い墓石に
       私の名前が刻まれている

       切断された光
       私の投げた石が光の表皮をかすめたそのあたりに

       夜 私は突然我に帰る(しかし どこから?)

              19

       ぼくたちの体からぬけでたその形 輪郭を撫でる手
       語彙がはりつき 透きとおった遠い声となって 落ちる
       ぼくたちの体の 重みのない中心へ 落ちる
       ぼくたちは重なり合って動く 影の無言の拒絶の姿勢に逆らって
       散種された土地の地表を移動する 時が 既に
       失われたものの方へ向って 逆流する その時

         (長い午睡からぬけだして 砕け散った夢の断片)

       ぼくの手の上に折り重なって死んでいる重さのない双翅類
       閉じたまなざしの裏側につきささった光の破片
       砕け散り その切断された断面に刻み込まれた言葉を映し出す

               20

       夏の糸 組み込まれた反復への距離
       信仰心の厚い海藻から
       ただれた関係が分泌されている
       鉄の寝台に横たわる蝋状の肉塊を
       深夜の推敲がひそかに消尽させている
       さし出された指先が
       私でないものの方向へ長くのびていく
       見開かれた双眼