詩についての記述の為の序想


   Ⅰ
 詩とは何かとは何かが解析されなければならない。詩とは何かが、自立した自給自足的経済システムにかすめとられているならば、詩とは何かとは何 かは、幼児売買市場的経済システムの互換的抽象性にからまりつかれている。詩とは何かとは何かとは一体何か。いや、いっそのこと、私にとって詩と は何かとは何か──の本質が発かれねばならない、というべきだろう。

   Ⅱ
 私にとって私とは何か。
 私とはすでに調査済みの不可触領土に他ならず、発掘されつくした神殿の残滓、あらか・しめ破られた禁忌、束ねられたアリアドネの糸、見透かされ た陰謀の設計図、不毛の沃土、孤独なフライパン、無喜の鳥類についばまれる世界の種子、明晰この上ない拡大地形図──その他もろもろの甲殻虫の血 脈にすぎない。ならば、私にとって私とは何かは、すでに色褪せた隠喩以外のなにものでもない──と断言しても、世界が動じることはあるま・い。す くなくとも手術台の上でイジドールが思索を中断する気づかいは無用であろう。(仮に、思索が一枚の株券に比肩しうる重量を有するものとして。)

   Ⅲ
 私にとって私とは何かとは何か──とは、全権委任状を食べてしまった山羊の苦悩ほどのリアリズムすらもたない、ありあわせの語彙の重ね着であ る。このような議論は、その他の、蟹にとって恒星の運行とは何かとは何かの類の議論とともに「素通り」させていただきたい。

   Ⅳ
 とはいえ、ヒストリカル・イナビリティが大手を振ってまかり通る言語市場機構の支配的三原則についての考察の為に、不本意ながら、私にとって私 たちとは何かとは何かを「素通り」するわけにはいくまいと思う。
 それは、私が「渡す」非在と実在の境界をうずめる海流への命名のための下準備に他ならないであろう。かといって、私たちへの契機として私を措定 するならば、いずれ、なしくずしに自己増殖する語彙の重ね着に窒息するのがおちであろうからには、最早、手短に次のように結語するのが賢明であろ うと思科される。すなわち──私たちとは私の不在による言語交通渋滞を整理する、できあいの交通法規の体系である──あるいは、私たちとは私の対 偶命題である。

   Ⅴ~Ⅷ 欠番

   Ⅸ
 言語自動販売機の運行原理は、従って次の三原理に要約されるであろう。

1.AはAでしかありえない。ゆえに、AはAであることを企図する。
2.Aは非Aではありえない。ゆえに、AはAあることを懐疑する。
3.反Aは非AかAのいずれでしかありえない。ゆえに、AはAであることから緊急避難 できない。

 例示的詩片──・

1.錆ついた千匹の蛾
  地を這って巡礼
  通勤電車に便乗する

2.埋められた千羽の鳥類
  ばらまかれた光の種子ついばみ
  万能調律師宙吊り

3.分解された千本の薔薇
  発かれた秘部は発条[バネ]
  求婚する歯車かみくだく

 (からまった千匹の蛇
  遠心分離法により脱皮
  天球は黄金分割される)

   Ⅹ
 かくて、熱力学第二法則の彼岸に屹立すべき恩寵への侮蔑的自己愛によって屈折した意志として、詩は、なしくずしに解明されるしかないという、哀 れな結語をしか提示できない破目におちいった──としても、これは私の負債、私の貧困、私ひとりの担うべき原罪であろうか?