名もない私の・その他


  名もない私の

今日という日を日記帳の中に押し込めて、私は残された番外の時間に居ます。
人の想いが世のすみずみを翔けるというのは嘘っぱちですね。
私の想いはさっきからいったりきたりしている。おまえという惑星のまわりで。

はたして幾夜、私にはすぎた事と案じながらこの身一点のしあわせに包まれたことか。

つまらない、つまらない、つまらない。何度呟いてみてもどうにもなりゃしないのだ。
だからせめて私は、私の思念にまとわりつくおまえの虚像をいつまでも背負いこんで生きていたいのです。

私がいくじなしだとしてもそれは私のせいではない。
いい人がいっぱい居るのです、私のまわりには。いっぱい居すぎて、しかも私にはやさしさの切り売りが出来ない。
だからせめて私は、私の一挙一動の中におまえへの想いを込めて、いくじなしの生を生きていたいのです。
名もない私の、ひっそりとした、いのち……

   ※

わたくしには論ずる事は出来ない
おまえの口もとにたたえられた悲しみを
だからわたくしの仕事は祈る事です
おまえを慕い続けること

そうしてわたくしはどこへゆくのだろうかと
ふとよぎる不安に事寄せて
おまえに手紙を出すでしょう
──心なき人よわたくしの

凍結しちまったおまえ
忘れ尽くす事もあきらめた
もはやわたくしに残されたのは
絶え間ない反復です

おまえよ──
わたくしの呼びかけを
虚しいとは思わないでくれ
さあれ悲しみをたたえたおまえに


   意味

なぜ僕は立ち止まったのだろうか
いやいやそれは考えずにおこう
どうせあてない旅のきまぐれ
疲れた旅人オアシスに憩う──それだけの話さ

砂漠の夜は若い魂には禁物ですと
誰かが言ってたっけずっと昔
何億光年のまたたきがたった今
僕にメッセージを運んできた

ああ狂おしい地の響き
蹴っても蹴っても鳴り響く
わあんわあんわあおおん

ところで僕はそこで何を見たか
どなたか解釈して下さいませんか
僕が見たもの──星を映した僕の目の意味



   今は

今は土曜日の午後です
 ショパンを聴こうにも
  僕は悲しい恋をしている訳ではなく

開きっぱなしの本を閉じると
 降りまどむ雨の中に
  息絶えるのではないかと恐れ

路行く人のかすかなわらいに
 大慌てで微笑をかえし
  かくも静かな土曜日の昼下がりです



  秋の外出

   ──ホーム・シックは海での嘔吐 コクトー

僕は部屋の吊り篭に毎朝毎朝昨日使い古した
僕の心のっけてファンシー・ケースから新品の服をひっぱり出して
颯爽と外出するのですそしてすっかりくたびれきって
帰って来ては汗とほこりと虚しさのこだわる僕のひからびた心を
湯につけてじゃぶじゃぶ洗っては鼻歌なんぞにしばし
我を忘れるのです

夜がふけて眼の玉ひんむいたまま死ぬしかない魚のように
僕は視覚だけの生き物になりぞっとすることも忘れて
考え続けます
(人はそんな僕を見てしあわせそうに眠っているなんて言うのでしょうが)

さて翌日またしても僕は昨日使い古した心を吊り篭に
のっけるわけですがしかし時たま夏から秋への
移り変わり程度の気紛れで僕はふっと
懐かしさに包まれて昔の心取り出しては補強用具で
しっかりぽっかりとあいた僕の心の空隙に取り付け
いくじなしの態で外出する時もあるのです
そうたとえば枯葉がやけにのんびり往来を行く
人々の語らいに耳を傾けるようなやたら
うら悲しい夕暮のやって来そうな今日のような日に



   そぞろ歩き

     Ⅰ
ぞろ歩きの似合う男になりたい── 
 そう言って僕は君達と別れたんだっけね
あれから幾年経たことか いやはや
 今だになんともそぞろ歩きは不恰好!

ところで君達はみんな元気?
 寄る辺のない僕はこうやって毎日
今は失せた君達との語らい繰り返し
 ひそかな悦びにひとときを過ごしている

そぞろ歩きの僕の歩調は
 ミナサン ゲンキデ オスゴシ ネ

     Ⅱ
その昔私とこの道歩いた人は
 今はどこで私を想ってくれているやら!

私は常に私の生に対して臆病でありました
 一枚のスナップ写真にすぎぬものを 

人が人を識り人が人と別れるということを
 そうさあなたは愚かしく想い違えて早合点

人よもう私に構うことは止めて
 人よそして私を哀れとは思わないで

そぞろ歩きには散りかけた
 一枚の葉っぱがよく似合うなんてつぶやいて

ミナサン ゲンキデ オスゴシ ネ
 僕は今だに散りやらぬ葉っぱ

    Ⅲ
そぞろ歩きの私の背なに
 ついぞ覚えぬ風が吹く
風は運んだ遥かな人の
 ふいと洩らしたちいさな息を
いやさて私は迂闊なことを
 聞き洩らしたはどなたの名前
風の運んだかわいい人の
 吐息の中のふるえる響き