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 ■ 不連続な読書日記                ■ No.295 (2005/11/06)
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 □ 本村凌二『多神教と一神教』
 □ 高橋睦郎『読みなおし日本文学史』
 □ 丸谷才一『新々百人一首』
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●993●本村凌二『多神教と一神教──古代地中海世界の宗教ドラマ』(岩波新書)
●994●高橋睦郎『読みなおし日本文学史──歌の漂泊』(岩波新書:1998.3.20)

 『多神教と一神教』のあとがきに、三十年におよぶ古代史研究のなかで「つねづ
ね訝しく思っていたことがある。それは古代の作品のなかでも古いものになればな
るほど、なぜ神々の世界があれほど身近に感じられたのかという点である」と書い
てあるのを読んで、かの『神々の沈黙』を連想した。もしやと思って巻末の参考文
献を見てみると、ちゃんと掲げてあるので安心した。ジュリアン・ジェインズの「
とほうもない仮説」(174頁)の話題は第6章「普遍神、そして一神教へ」に出て
くる。

 その『多神教と一神教』に、前二千年紀半ば、楔形文字のメソポタミアとヒエロ
グリフのエジプトとの狭間に群立する小都市国家においてはじまった「アルファベ
ット運動」(「文字表記を簡素化し数少ない文字種で文章を表現しようという動き
」85頁)と「一神教運動」(「神々の吸収合併」87頁)との関係を指摘するくだり
があった。

《そこ[カナンの地]には、ヒエログリフや楔形文字を生み出した文明にふれなが
ら、ことさら自分たちの経験と記憶を書き記そうともがく人々がいた。
 多種多様な神々が乱立する世界と多種多様な文字がちりばめられた世界。それら
をできるだけ少なくすることに意をもちいる人々がいた。ひしめきあう神々のなか
でもわが民の神を至高の存在とする意識と少ない文字種であらゆることを表記しよ
うとする意識とは底流ではつながっているのではないだろうか。一神教運動という
べきものがあるとすれば、それはアルファベット運動の精神と共鳴しあうところが
あるのではないだろうか。まさしく「初めに言[ことば]があった。言は神と共に
あった。言は神であった」(「ヨハネによる福音書」一・1)というわけである。
》(87頁)

 ここを読んでいたく刺激を受けた翌日、『読みなおし日本文学史』の次の箇所に
出会って刺激は累乗化された。

《わが国には遡って何時と数えることのできない悠久の過去から、歌は口頭で発せ
られ口承で伝えられてきた。歌は当然、神のものだった。そこに大陸から文字化さ
れた詩が、言い換えれば人間の詩が入ってきた。声で発せられる神の歌と文字に書
かれた人間の詩とは、第一印象の上ではまるで別のものに感じられたろう。そのう
ち二つが同質のものらしいと意識されたのちも、歌と詩が同列に置かれることはな
かったろう。先進文明の象徴である文字を伴った詩はかつて歌が坐っていた高みに
上げられ、歌は時代遅れのものとして見下されていたろう。

 ところが、歌が見直される時が来た。先進文明の官僚制度を徹底させるためには
天皇の権威が不可欠になり、天皇の権威を確立するためには外来の人間の詩より土
着の神の歌の方が有効だということがわかったのだ。そこで天皇はその祖先を歌を
持つ神神に仰ぐことにした。祖先に仰いだ神神に歌がない場合には、他の神神から
奪って祖先の神神の歌にした。こうして祖先の神神の歌の力によってこの世の神す
なわち現人神となった天皇は、みずから歌を持つとともに他から歌を捧げられた。
(以下略)》(51頁)

 『読みなおし日本文学史』について、松岡正剛「千夜千冊」第三百四十四夜にこ
う書かれている。「日本の文学史はそもそも「歌」を内包した歴史であった…。
ここで歌といっているのは和歌から歌物語や能楽をへて俳諧におよんだ文学をさし
ている。」「高橋さんは、ひとつの歌、ひとつの三味線、ひとつの踊りに、つねに
二つのものが揺れ動くものを見ている。…その二つをきりきりと絞っていくと、そ
れが、とどのつまりは「ますらお」と「みやびお」になるわけなのだ。…実はどん
な芸術者の心身のうちにも、この二つに畢竟する何かの二つが揺れ動いているもの
なのである。高橋睦郎その人の生き方、また、その言葉の世界も、またそういうも
のである。それが言っておきたかった。」

 百人一首ならぬ「千夜千冊」で遊びはじめると時間がいくらあっても足りない。

●995●丸谷才一『新々百人一首』上下(新潮文庫:2004.12.1)

 昨年暮れに購入して以来ほぼ一日一首のペースで読み継ぎ、道半ばにして(関心
が他へうつろいゆき)挫折しかけたものの、突如おそわれた歌狂いの風にあおられ
ふたたび繙き、読み始めたらとまらなくなり、でも一日にそうたくさん読めるもの
ではなく(読めないことはないがしっくりと心に残らない)、もうすっかり丸谷才
一の藝と技のとりこになって、世にいう枕頭の書とはこのような陶酔をもたらして
くれる書物を言うのであろうかと、頁を繰るたびいくどためいきをついたことか。

 第3番・二条后「雪のうちに春はきにけりうぐいすの氷れる泪いまやとくらむ」
や第60番・藤原俊成女「隔てゆくよよの面影かきくらし雪とふりぬる」の評釈など、
超絶技巧やらアクロバティックやらと形容する言葉もむなしくただ痺れゆくしかな
い。王朝和歌の終焉・入寂の時を告げる第31番・正徹「沖津かぜ西吹く浪ぞ音かは
る海の都も秋や立つらん」、第49番・心敬「世は色におとろへぞゆく天人[あまひ
と]の愁[うれへ]やくだる秋の夕ぐれ」に寄せられた文など絶品、逸品、畢竟の
域に達している。

 いまなお継続して読み続けている(というか、このての本を読み終えることなど
できない)下巻から引くならば、第76番・和泉式部「黒髪のみだれもしらず打伏せ
ばまづかきやりし人ぞ恋しき」をめぐって「王朝和歌の基本的な技法の一つである
本歌どりは、単なる模倣では決してなく、継承であり、展開であり、唱和であり、
それゆゑ一つの批評のあり方なのだ」と書き、また第95番・慈円の「旅の世にまた
旅寝して草まくら夢のうちにも夢を見るかな」について「かういふ和歌はただ口ず
さめばそれでいい。まるで自作をつぶやくやうにして。あるいは空港の待合室で、
あるいは夜半の寝覚めに」と綴る。そこに丸谷才一の文学観があますところなく示
されている。

 丸谷才一が王朝和歌にかける思い──というか、俵万智との対談「百人一首腕く
らべ」(下巻)で「僕は、ケンブリッジ学派の文化人類学的な芸術研究と折口学派
の民俗学的な文学研究の影響を受けていて、文学を呪術から展開してきたものと捉
えています」と語る丸谷才一の反アララギ的王朝和歌観──は、上巻に収録された
林望との対談「王朝和歌は恋の歌」の次のくだりにあますところなく示されている。
(ちなみに林望の「恋=(魂を)乞う」説は、折口信夫「日本藝能史六講」の第四
講にでてくる。「つまりそれは相手の魂を招きこふ動作、それがこひなのです。」)

《 林 》恋と王権の話に戻りますが、折口流の「色好み」という価値観からすると、
天皇は日本最高の色好みとなる。(略)なぜわが国においてはそうなるのか。おそ
らく恋とは本来魂を「乞う」こと、魂を読んで鎮魂することだと考えられるからで
しょうね。ですから国の統治のシステムとして天使が恋をするのは当たり前で……。
《丸谷》というか、積極的に恋をしなくてはならない。つまり、霊的なものと恋愛
とが深く結びついているんですね。帝と后が恋をすることによって一切の動植物を
刺激する。動植物の繁殖を促す。そういう霊的な力をもっているのが日本の帝であ
って、だからこそ帝が后に言い寄るときの恋歌が大事なものになる。日本文化にお
いては呪術と言葉とが密接に結びついています。
《 林 》感染呪術[かまけわざ]、とそういうのを呼びますが、これぞ日本文化の
根幹ですね。
《丸谷》歌に恋のファクターを読み取っていると林さんは指摘してくださったけれ
ど、さまざまな形で恋を詠むのが王朝和歌全体の主題だった。あるいは基本的な性
格だったと思っているんです。しかもその恋は単なる恋ではなく、宗教的行為や政
治的行為に結びつく。そうした恋歌を中心に持つのが日本文化の基本なのですね。

     ※
 『ミーツ・リージョナル』(11月号)に「街人の「イマヨミ」読本。」という特
集があって、筆頭に内田樹さんの「脳内リセット故人伝」というインタビュー記事
が載っている。そこにとりあげられた三冊の本のひとつが白川静『孔子伝』で、諸
星大二郎『孔子暗黒伝』と酒見賢一『陋巷に在り』の知られざる原作本として紹介
されている。「読んでびっくり、世界は「呪い」に満ちている。」ちなみに、他の
二冊は『氷川清話』と『明治人物閑話』。

 古代社会において、呪い(呪術)とは政治である。この「呪い」でつながるのが、
丸谷才一『恋と女の日本文学』(講談社)。あとがきを読むと、著者は、詞華集を
手がかりにして文学と共同体の関係を論じた『日本文学史早わかり』(1978年)が
本の形にまとまったころ、三部作仕立ての日本文学史を書こうと思っていた。ケン
ブリッジ・リチュアリストたち(フレイザーほか)およびその弟子筋に当る折口信
夫を参照して日本文学と呪術との関係をあつかう第二部。日本文学が恋愛と色情に
特殊な関心を寄せていることに注目した第三部。第二部は『忠臣蔵とは何か』に、
そして本書が第三部にあたる。

 講演をもとにした二編、「恋と日本文学と本居宣長」と「女の救はれ」が収めら
れている。前者を読んでいると、王朝和歌でもっとも重きをなした恋歌の伝統が俳
諧にもうけつがれ、「芭蕉の名声のかなりの部分は、恋の座の付けとその捌きとに
よるものであった」(45頁)ことの例証として、越人・芭蕉の両吟「雁がねの巻」
(『阿羅野』)の話題が出てきた。「きぬぎぬやあまりかぼそくあてやかに 芭蕉
/かぜひきたまふ声のうつくし 越人」。安東次男『完本 風狂始末──芭蕉連句
評釈』に評釈がある。

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