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 ■ 不連続な読書日記                ■ No.293 (2005/10/22)
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 □ 萩尾望都『バルバラ異界2〜4』
 □ 岡野玲子・夢枕獏『陰陽師13 太陽』
 □ 諸星大二郎『孔子暗黒伝』
 □ 中沢新一『アースダイバー』
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●987●萩尾望都『バルバラ異界』2〜4
               (小学館:2004.4.20,2005.1.20,2005.10.20)

 バルバラの謎が明かされる最終巻を読んでいる間、とりわけ夢先案内人・渡会時
夫の記憶が上書きされていく場面では、私自身の脳内過程が二重化されたかのよう
な眩暈に襲われ、軽い頭痛と嘔吐感をさえ感じた。読み終えた刹那、一瞬のことだ
ったけれど、目に見える部屋の情景が夢の世界の出来事のように思えた。北方キリ
ヤへのトキオの思いが切なく迫ってくる。自我の孤独と「ひとつになること」。

 記憶の「上書き」というと、ボードレールが『人工楽園』で人間の脳髄や記憶に
準えた「パランプセスト」(書かれた文字を抹消して重ね書きされた羊皮紙)を想
起する。夢と現実の重ね描き。ここで「夢」とは「未来」(死後の世界)のことで、
エズラ・ストラディの語るところによると、「人間のもつ抽象思考能力は未来の出
来事に影響をおよぼす いわばみる夢は──実現するのだ」。この言葉はこの作品
そのものの成り立ちを告げている。

 いや、漫画そのものがパランプセストなのだ(あるいは日本の藝能、文藝に通底
するものとしてのパランプセスト)。岡野玲子の『陰陽師』と萩尾望都の『バルバ
ラ異界』。ほぼ同時期に完成したこの二つの作品世界を縦横に遊弋し、そこに重ね
描かれた観念や形象を存分に論じきった批評を読みたい(書きたい)。

 とりあえず『バルバラ異界』については、先の抽象思考能力云々と、死者の心臓
に宿る記憶物質(福岡伸一『もう牛を食べても安心か』を参照すべし)、そしてケ
ルトが手掛かりになる。「わたしの一族の発生は古い エルベ川ぞいで鉱脈をさが
しながらヨーロッパを南下したケルトの古い末えいだ……男も女も早く老いた 20
歳をすぎると老人になった 背も低く そう…「白雪姫と七人の小人」の物語の鉱
脈堀りの小人のような ハハハ…」。

 あらためて思う。『バルバラ異界』には萩尾望都が書き得たすべての作品の記憶、
そしてこれから書かれるであろうすべての作品の予感がパランプセストのように重
ね描きされている。

 ※ 不連続な読書日記No.182で第1巻をとりあげています。

●988●岡野玲子・夢枕獏『陰陽師13 太陽』(白泉社:2005.10.4)

 読み終えてしばし言葉を失う。「あとがき」に綴られた文章を読むにつけ、岡野
玲子はとりかえしのつかない時空の彼方にとんでいってしまった。この作品は白い
光と化した音楽をかたどっている。『music for 陰陽師』(このCDには、
『陰陽師』完結のあかつきにこそ聴かれるべき祝祭曲がたちこめている)の「覚書
」に記された著者の言葉を引用しておく。

《真の音楽とは、高等魔術である。そしてそれは、弾け散るような白い光の姿をし
ている。このCDに関わっていた一年の間、地球上に生まれたがゆえに、ダークサ
イドではあるが、誇り高い怨霊も、存在する。勝利の曲は勝利の喜びを知るものの
手で作られ、勝利の喜びを知るものの手によって奏される。そんな言葉が頭の中を
流れた。陰の極みと陽の極み両極に共通してあるものは、美と誇りと、存在するこ
との祝福と、喜びである。雅楽の真髄は、強靱である。》

●989●諸星大二郎『孔子暗黒伝』(集英社文庫:1996.11.20)

 『陰陽師』最終巻を読み終えて、箸休めではないが『孔子暗黒伝』を少し読み進
め、結局、翌日の昼下がり、『music for 陰陽師』(ブライアン・イーノ
ではなくて伶楽舎の雅楽の方)を聴きながら一気に読み終えた。読後、眼精疲労と
軽い頭痛に襲われた。文庫では活字が小さすぎる。描線が濃すぎる。少年ジャンプ
掲載時に断片的に読んだ記憶があるが、もう少しのびやかな印象だった。

 奇譚、伝奇、異説(トンデモ)本としての面白さは格別だが、なによりマンガと
しての出来が破格。どこか身心の歪みと時空のズレを内蔵した人物・風景の描画と
ぎくしゃくしたストーリー展開が読者の想像力をかきたてる。

 『孔子暗黒伝』を読んだら『暗黒神話』も読まなきゃダメ。だれかがブログにそ
んなことを書いていた。で、そのふたつを読んだら『西遊妖猿伝』も読まなきゃダ
メとも。で、『暗黒神話』を続けて読もうと思ったが、眼と頭のことを考えてひか
えた。

 京阪神エルマガジン社の『ミーツ・リージョナル』(11月号)に「街人の「イマ
ヨミ」読本。」という特集があって、筆頭に内田樹さんの「脳内リセット故人伝」
というインタビュー記事が載っている。そこにとりあげられた三冊の本のひとつが
白川静『孔子伝』で、諸星大二郎『孔子暗黒伝』と酒見賢一『陋巷に在り』の知ら
れざる原作本として紹介されている。「読んでびっくり、世界は「呪い」に満ちて
いる。」ちなみに、他の二冊は『氷川清話』と『明治人物閑話』。

     ※
 古代社会において、呪い(呪術)とは政治であった。この「呪い」でつながるの
が丸谷才一『恋と女の日本文学』。あとがきを読むと、著者は、詞華集を手がかり
にして文学と共同体の関係を論じた『日本文学史早わかり』(1978年)が本の形に
まとまったころ、三部作仕立ての日本文学史を書こうと思っていた。ケンブリッジ
・リチュアリストたち(フレイザーほか)およびその弟子筋に当る折口信夫を参照
して日本文学と呪術との関係をあつかう第二部。日本文学が恋愛と色情に特殊な関
心を寄せていることに注目した第三部。第二部は『忠臣蔵とは何か』に、そして本
書が第三部にあたる。

 講演をもとにした二編、「恋と日本文学と本居宣長」と「女の救はれ」が収めら
れている。前者を読んでいると、王朝和歌でもっとも重きをなした恋歌の伝統が俳
諧にもうけつがれ、「芭蕉の名声のかなりの部分は、恋の座の付けとその捌きとに
よるものであった」(45頁)ことの例証として、越人・芭蕉の両吟「雁がねの巻」
(『阿羅野』)の話題が出てきた。「きぬぎぬやあまりかぼそくあてやかに 芭蕉
/かぜひきたまふ声のうつくし 越人」。安東次男『完本 風狂始末』に評釈がある。

●990●中沢新一『アースダイバー』(講談社:2005.5.30)

 ほぼ五ヶ月、手塩にかけて断続的に読み継いだ。以前、仕事で東京へ出かけた際、
空き時間をつかった散策のガイドブックとして携帯したことがある。その時は、渋
谷・明治神宮から東京タワーまで、全体のほぼ半分ほどの文章(「水と蛇と女のエ
ロチシズム」と「死の視線」に彩られた土地とモニュメントの話題、とりわけ東京
タワーをめぐる叙述は、後半の浅草をめぐる話題とともに本書の白眉)に目を通し
たものの、結局、実用書としては使えなかった。

 霊的スポット探索のための手軽な道案内としては使えなかったけれど、その後、
折りにふれ読み進めていくうち、この白川静の漢字学やベンヤミンの『パサージュ
論』にも通じる作品のうちに、「中沢新一の方法」ともうべきものがくっきりと輪
郭をあきらかにしていることに気づいた。その方法とは、記憶や夢や観念の物質(
アマルガム)、つまり「泥」をこねて「遊び」に興じることである。

(泥は存在のエレメントである。坂口ふみ『〈個〉の誕生』によると、ラテン語
 substantia の語源となり、persona とも訳されたギリシャ語の「ヒュポスタシス
」には古く「固体と液体の中間のようなどろどろしたもの」という意味があった。
また、折口信夫『日本藝能史六講』第四講によると、遊びは日本の古語では鎮魂の
動作であった。)

 泥をこねて形象をつくること。あるいは、形象のうちに泥をイメージすること。
王朝和歌の歌人のように。あるいはサイコダイバー、ドリームナビゲーターのよう
に。それが中沢新一の方法、つまりイメージ界のフィールドワークである。松原隆
一郎さんが朝日新聞の書評(7月31日)で「文学的想像力」とか「遊び心」といっ
た言葉を使っている。まことに適切な評言だ。

《興味をひくのは、この語[ヒュポスタシス]のもっとも早期の意味に、液体の中
の沈澱とか、濃いスープとか、膿というものが見られることである。沈澱とは流動
的な液体が固体化したものを言い、おそらくそれから濃いスープや膿などの液体と
固体の中間のようなどろどろしたものという意味が出てきたのであろう。そしてこ
の基本的な意味は、哲学的に用いられるようになっても、残りつづけていると思わ
れる。ギリシア語の『七十人訳聖書』その他の、「存在を得る」という意味にも、
非存在から存在が現われてくるという、動的変化のイメージがある。これは液体か
ら沈澱が生ずる時のイメージと共通のものである。そしてレヴィナスが使うイポス
ターズにも、この「液体の中に固体が現われてくる」というイメージは生きている。
》(『〈個〉の誕生』116-7頁)

     ※
 ほぼ日刊イトイ新聞に中沢新一と糸井重里とタモリの鼎談が載っていた。「中州
産業大学&ほぼ日刊イトイ新聞 presents はじめての中沢新一。アースダイバー
から、芸術人類学へ。」[http://www.1101.com/nakazawa/index.html]

◎第7回「資本主義が生まれる瞬間」から。
《タモリ》簡単な埋葬の時代と古墳を作る埋葬の時代は、死の認識が変わりますよ
    ね。
《中沢》根本的に変わるんじゃないですか。
《タモリ》変わりますよね。死の認識がはっきりするということは、おおきな意味
    でいえば、資本主義のもとがあるかもしれませんね。
《中沢》そのとおりですね。死の認識がなければ資本主義は動かないですからね。
    縄文時代は村があって、村は円環じゃないですか。その真ん中に、埋葬し
    ていたから死体は身近ですよね、夜になるといっしょにおどるわけで。そ
    れがやはり墓が離れると……資本主義になってきます。

◎第11回「なんか、皮がムケました」から。
《糸井》『アースダイバー』って、どのぐらいかかってつくったの?
《中沢》アースダイバーは一年。『週刊現代』の連載だよ?
《糸井》(笑)それもすごい。
《中沢》雑誌の中でも、だんだん、うしろにまわされてった(笑)。最終的には『
   特命係長只野仁』と『女薫の旅』にはさまれちゃった連載だよ。
《糸井》(笑)只野仁の隣にアースダイバーが連載されてたんだ!連載しようと思
   った人はえらいなぁ。(略)『只野』を読んでた人の心を冷まさないでくれ
   という?(笑)
《中沢》(笑)そうそう。読者を冷まさないで、そのまま神崎さんの『女薫』に突
   入できるように。

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