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 ■ 不連続な読書日記                ■ No.276 (2005/05/21)
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 □ 大森荘蔵『知の構築とその呪縛』
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●953●大森荘蔵『知の構築とその呪縛』(ちくま学芸文庫:1994.7.7/1985)

 『物と心』に収められた「ことだま論」と『知の構築とその呪縛』を読んだ。「
ことだま論」は、最近再読した桑子敏雄さんの『感性の哲学』に話題がでてきたの
でにわかに読みたくなった。桑子さんの処女作『気相の哲学』は大森荘蔵が最期に
読んだ本らしい。これを機に大森本のまとめ読みをしたくなり、まず読んだのが『
呪縛』。

 大森荘蔵の文章を読むたび、その理路に圧倒され、かつそこに「無理」を感じる。
言葉や概念が少しずつ「人間的な」意味を剥奪され、言葉以前、概念以前、古代の
ギリシャ人が「ピュシス」と呼んだ「とほうもない分からなさ」(『現代思想とし
てのギリシア哲学』48頁)の方へとなだれこんでいく。

 『知の構築とその呪縛』には「古代中世の略画的世界観がもっていた、活物自然
と人間との一体感」(17頁)とか「自然の様々な立ち現れ、それが従来の言葉で「
私の心」といわれるものにほかならないのだから、その意味で私と自然とは一心同
体なのである」(238頁)などと書かれているが、そこには「一体感」を感じる私
はもういない。もちろんそのような私(「私の心」)などいなくなってもいいのだ
が、人は論理でもってそのような境地には導かれない。

     ※
 『時間と自我』の「はしがき」に、過去とは夢物語であり「限りなく無意味に近
い制作物ではあるまいか、こうした恐怖を感じさせる奈落に面しては立ちすくむ以
外にはない」(8頁)と書いてある。『時間と存在』の「はじめに」には、「これ
まで度々経験したことだが、自分で出した奇怪な考え[ここでは「自然科学的世界
の空性」という結論]に馴れるのにかなりの年月が必要だろう」(13頁)と書いて
ある。池田晶子さんの「埴谷雄高と大森荘蔵」(『魂を考える』)には次のように
書いてあった。

《物質は「実在」しない、過去もまた「実在」しない、それらは全て、言語によっ
て制作された「存在の意味」なのだ、と落としどころに見事に落とす大森の論理の
運びは痛快である。分析哲学者ならずとも、快哉を叫んだ人は多いと思う。けれど
も、快哉を叫んでいるこの自分は、すると、いったい「どこ」に立っているのか。
足下に開いたでっかい暗い黒い穴ぼこ、これはいったいなんなんだ、いったいどう
しろと言うのだ。/このような感性と、そのような問いを、そもそも所有していな
いことが研究者ということなのだということを私は理解していたので、研究会後の
飲み会の席で、こっそり尋ねたことがある。先生、率直なところ、どのようにお感
じなのですか、と。/彼は、一瞬の沈黙のあと、いつものきっぱりとした口調で、
こう言った。/「ゾッとします」》(『魂を考える』91-92頁)

     ※
 「ことだま論」の前半(129頁と130頁)を読んでいて、なぜか開高健の文章のこ
とを思った。「われわれは屡々表現を求めて模索する。」「こういうとき、或る「
もの」「こと」が立ち現われていて、それを適切な表現で描写する、といった平板
な作業ではない。」「われわれは、それを凝視し、見定めよう、見極めようといら
立つ。そこに、一つの表現(声振り、またはその想像)が立ち現われてくる。もし
それが的を射た表現であるときは、それまで渋々立ち現われていた「もの」「こと
」はきっとその姿相貌を変え鮮やかにくっきりと立ち現われる。」「われわれはそ
の表現を文字に書きとめる。それはやっと立ち現われたその「もの」「こと」を逃
がさぬように文字で縛りとめるためである。」「創作(物語りにせよ詩歌にせよ)
の場合は、ときに、初めに立ち現われる「もの」「こと」がなく、作者は或る立ち
現われを作るのである。前にも述べたように、そうして作られたものは、過去に遡
って作られうる。今日、太古の森の何ごとかを作り、立ち現わしめることもできる。」

 開高健の文章は時々読み返したくなる。「みんな酒を飲むときはそれとしらずに
弔辞を読んでいる。」そんな名コピーにあふれたエッセイ集『白いページ』はかつ
てバイブルみたいなものだった。『夏の闇』は選集で読み、文庫で読み、英訳で読
み、何度も繰り返し読んだ。開高健の特集を組んだ『サライ』で、谷沢永一さんが
書いている。「無色透明のピュアモルトにも準えうるような、まだ溶解と流動の過
程にある感受性の原型を、それに相応しい新鮮な言葉によって表現することができ
ないものか、この熾烈な祈りとも交錯する願望が開高健の一代を貫く文学的動機[
モチーフ]であった」。平成元年12月、58歳で永眠。生きていたら今年で75歳、は
かりしれない深みに達した文章を残していたかもしれないし、あるいは開高健は終
わっていたかもしれない。

     ※
 『知の構築とその呪縛』には超越的なものへの目配りが欠けている。前半を読ん
でいて、そのような感想を抱いた。略画的世界観と密画的世界観の間に「形而上学
的断絶」とでもいえるものが潜んでいるのではないか。そもそも略画的世界観が成
立する前景に「形而上学革命」とでもいえるものが潜んでいるのではないか。漠然
とそのような感じをいだいていた。読み終えて印象がすっかり変わった。大森哲学
が描写する世界は、そのあるがままの相において超越的なものに満ち満ちている。
というか、大森哲学は百パーセント純粋な形而上学である。

     ※
 『知の構築とその呪縛』に「何かを描写できない言語でそれを解明することは絶
対にできない」(210頁)と書いてある。これを読んで、にわかに頭が活性化され
た。どこからか「工学知」と「文学知」という対概念が浮かんできた。どこまで描
写=解明できるか判らないが、いま頭のなかでうごめいているものに覚書き程度の
カタチを与えておこう。

 工学知とは手続的知識、いわばアルゴリズムのこと。論理といってもいい。人は
論理に従って思考するわけではない。少なくとも私にとって思考は、それまで考え
たこともない創造的な思考は、いつもどこか(私の意識作用の欄外)で考えられ、
その内容はつねに事後的に明らかになる。なぜそうなるのか判らないが、とにかく
それでうまくいく。そのうまくいった結果から遡及的にふりかえり(ああ私はこの
ようなことを考えていたのだ)、ふたたび現在に至る説明の道筋を論理を使って叙
述する(私はかくかくしかじかと考えた)。

 たとえば上野修さん(『スピノザの世界』)が「説明の体系」「一個の証明機械
」と書いている『エチカ』。あるいは「霊性工学」といった知的システムを考える
こともできるかもしれない。身体技法、修業の体系、瞑想術など。

 これに対して、文学知は物語的整合性(ドゥオーキン)に対する一種のセンスに
支えられた物語的叡知のこと。(言語的制作物のうちに生命的なものを感受するセ
ンス。)たとえば小説の命は描写にある。村上春樹が『アフターダーク』で試みた
「歴史の天使」の視点からの描写。村上龍が『半島を出よ』で試みた多元的なノン
フィクションの描写(魂のノンフィクション)。保坂和志がほとんどすべての作品
で試みている思考=言語未生の知覚描写(小説は読んでいる時間のうちにしか立ち
上がらない)。

 説明がすでに存在している事物・事柄の記述であるのに対して、描写はいわば無
からの創造。ここで創造されるものを強いて名づけるなら、リアリティだろうか。
生命は造ってみなければ判らない。意識や心も、工学的な手順でもって実際に人の
手で造ってみせなければ、それが何であるかは解明できない。描写できなければ解
明できないとは、そのような道理をいっている。

《心の科学者の大半は、自分たちの結果を文学的な表現に置き換える才能に欠けて
いる。もしかしたら、彼らは、自分たちのことをエンジニアだと割り切ったほうが
いいのかもしれない。…エンジニアにとって大事なのは「究極の答え」ではない。
絶対的で最終的で確固たる真実に用はない。…エンジニアは、究極の答えではなく、
一つの答えを探すのである。身近な問題を解決したり状況を改善するのに役立つも
のなら何でもいい。》ジョン・ホーガン『続・科学の終焉』)

     ※
 略画的世界と密画的世界の重ね描き。日常描写と科学的描写の重ね描き。知覚描
写と物理描写の重ね描き。この「重ね描き」という大森哲学のキーワードと「スー
パービーン」(supervene)の妖しい関係が気になる。上野修さんが『スピノザの
世界』で書いている。「一般に、下位レベルでの物質諸部分が協同してある種の自
律的なパターンを局所に実現しているとき、その上に(現代風に言うなら)上位の
個物ないし個体特性がスーパービーン(併発)している。」(116頁)

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