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 ■ 不連続な読書日記                ■ No.275 (2005/05/20)
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 □ 古東哲明『他界からのまなざし』
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●952●古東哲明『他界からのまなざし──臨生の思想』
                      (講談社選書メチエ:2005.4.10)

 ちくま学芸文庫から古東哲明さんの『現代思想としてのギリシア哲学』が刊行さ
れた。この本は以前講談社の選書メチエ版で読み、とても興奮した。図書館で借り
たのでいつか常備用に買い求めておこうと思っていたし、なによりも永井均さんが
解説を書いているので、選書メチエから同日(4月10日)付けで出たばかりの『他
界からのまなざし──臨生の思想』とあわせて速攻で買った。

 古東さんの本では『ハイデガー=存在神秘の哲学』も素晴らしかった。そのあま
りの濃度に圧倒され序章だけ読んで中断している『〈在る〉ことの不思議』ともど
も、しばらく古東さんの骨太の叙述に浸ってみよう。(「骨太の叙述」は永井均の
言葉。「私の哲学上の仕事は、いわば古東哲学の内部にあって、その細部を穿り返
しては埋めなおすような作業にすぎない」と永井さんは書いている。)

     ※
 ジュリアン・ジェインズ『神々の沈黙──意識の誕生と文明の興亡』によると、
意識は生物学的進化によって生まれたのではない。それは言語に基づいている。意
識は幻聴(右脳がささやく神々の声を左脳が聴く)に基づく「二分心」(bicameral
 mind =直訳すれば「二院制の心」)の精神構造の衰弱とともに、ほぼ三千年前に
誕生した。

 この仮説は、古代ギリシャ哲学が「神の死」(ギリシャ神話は神の殺害のおとぎ
話である)の後の精神状況(死んだ神にかわる新しい至高性の希求)から生まれた
とする古東哲明の議論とつながる。『現代思想としてのギリシア哲学』と同時進行
的に読み始めた大森荘蔵の『知の構築とその呪縛』に出てくる「略画的世界観」か
ら「密画的世界観」への転換の議論とも響きあっている。大森荘蔵に欠けている(
『呪縛』前半を読んだかぎりでの印象)超越的なものとのかかわりで、中沢新一の
カイエ・ソバージュ・シリーズにもつながっている。木田元経由のハイデガー哲学
(フィシスについて)にも通じている。

     ※
 古東哲明『他界からのまなざし』の第二章「反転する浄土──世阿彌能の秘密」
を読む。装置、機械、技法といった語彙が頻出する古東さんの文体はスピノザの「
霊的自動機械」(『知性改善論』)を思わせる。世阿彌の神はスピノザの神(自然
)である。

     ※
 『他界からのまなざし』は、第一章「他界の近さ」で日本人の近傍他界観を、第
二章「反転する浄土」で芸術(世阿彌の離見の見や見所同心)を、第三章「プレシ
オスの鎖」で文学(グノーシスト宮澤賢治の成道精神)を、第四章「空白の共同体
」で哲学(フッサールの間主体論や現象学的還元)を、第五章「遊体論」で宗教(
プラトンの神秘思想=生や世界の遊戯性=宗教的身体技法)をとりあげ、エピロー
グで「だからもう、バスを待つのはやめよう」と呼びかける(修業=遊戯の勧め)。

 臨死から臨生、往路から復路を主題的に論じた第四章が本書のハイライトで、古
東さんは、世阿彌の「離見の見」や大杉栄の「自我の棄却」をフッサールの間主体
性(モナド共同体)論や現象学的還元に結びつけるという離れ業をやってのけたあ
とで、人間の作為や知的構想をはるかに越えた場所、意識作用の欄外を「空白」と
名づける。そして、そのような場所ですでにつねに成立している存在論的コミュー
ン、つまり「人や物が存在するという事実とともに最初から開かれている「〈形而
上学的〉原事実」としての共同体」のことを「空白の共同体」と呼んでいる。

 私は古東さんのいう「空白の共同体」は、意識作用の欄外に居住まいする「哲学
者たちの共同体」のことではないかと考えている。そこには物質としての私や人称
・固有名をもった私はいない。だから考えているのは私ではないし、書いているの
も私ではない。私が引用するのは他者の言葉ではない。それはすでに私が考えたこ
とであり、私が書くはずだった文章だ。しかし、そこに記されているのはただ墓碑
銘であり、暗号記号でしかない。

 骨太の叙述。すなわちクリプトグラム(墓碑銘・暗号記号)としての哲学書。ほ
とんど詩(古代ギリシャの哲人の訥弁で語られたな叙事詩)と見紛う文体で綴られ
たこの書物には、しかし実質的なこと(古東哲明の思想)は何も書かれていない。
読み終えて何も残らない。幸福な充填と愉悦に満ちた空虚(密儀としての読書)。

     ※
 第四章を読んで不満が残った。章末に記された「ある新しい予感にみちたエチカ
」(=シュヌーシアの磁場がかたちをとった新しいエチカ)の詳細については「他
日を期す」とされている。肝心要のところで他日を期されては欲求不満になる。第
五章が『現代思想としてのギリシア哲学』第五章「ギリシアの霊性」の引き写しだ
っただけにこれでは詐欺にひとしい。

 『シュヌーシアの磁場がかたちをとった新しいエチカ」とはいったいなんだ。『
「私」の考古学』(岩波書店「宗教への問い3」)に収められた論考「魂と自己―
ギリシア思想およびグノーシス主義において」で彌永信美さんが、グノーシス主義
のシュジュギアー(合一)体験や『トマスによる福音書』(「ギリシアの霊性」の
章末でも引用されている)の記述から「シジジイ」(細胞核の移動と融合と再分裂
)による単性生殖へと筆を運んでいたが、それと関係するのか。はっきりしてほし
い。

     ※
 いま『他界からのまなざし』の第五章が『現代思想としてのギリシア哲学』の引
き写しだと書いたけれど、一箇所だけとても重要な加筆があった。「青人草[あお
ひとくさ]」という言葉があるように、古代の日本人は身体を植物組織のようにみ
なしていた。カラダ=殻胴・枯胴、エダ=手足、芽=眼、葉=歯、花=鼻ときて最
後に実=耳(実々)=身。

《このように、古代の日本人は、目で見えるもの以上に、音で聞こえるなにかを貴
重で神意的で、だから最終的なことと感じていた。それは第一章でもふれたように、
音の訪れを神秘的なほど神々しいなにかの到来とみた古代人のルーツフィーリング
と深く関わっている。だからこその言霊思想でもあったろう。そしてそんな音を聞
く聴覚器官としての「耳」に、「生命の結実態」としての「実」を、あるいは「生
命活動の最終兄弟」としての「実」を重ね合わせたのだと、考えられる。
 と同時に、そんな耳と実との類推から、人間の生命活動のほんとうの正体とか最
終的な形態として「生きた身体」の次元に、「身」という言葉を対応させた。そう
考えることができる。》(『他界からのまなざし』171頁)

 ここに出てくる「耳」は『神々の沈黙』の「二分心」の説に通じる。(折口信夫
の「神=マレビトの訪れ=音連れ」とか、鎌田東二さんが『記号と言霊』に書いて
いた「人類は言葉を話す以前に、何万年も、何十万年も、いやことによると何百万
年もの長い期間にわたって、その[太古の]声を聴いていたのだ」にも。)

     ※
 上の引用文に出てくる「身」のことを古東さんは「プシューケー」や「器官なき
身体」になぞらえている。『現代思想としてのギリシア哲学』は、再読してもやっ
ぱりこのプラトンの章がハイライト。

 プラトンのイデア論を背後世界論や背後世界論といった西洋形而上学特有の二世
界論として解釈するのは間違いだ。それは「生死を超脱した、しかも実在的な《こ
の世界》についての理論」なのだ(224・229頁)。そもそも「プラトン哲学」なる
ものはない。プラトンが書き残した対話篇は、「たましい」(=プシューケー=身
・ミ=生命の息吹)の向き変え・改変(ペリアゴーケー=実存転調・身体変容)へ
の誘いであった(226頁)。その根底にエレウシスの密儀体験(死と再生)がある
と、古東さんは書いている。

《そもそも密儀なんかなかった。そういってもいい。生ける身体(身)の、語りよ
うもない深部に起こる、まさに〈転身劇〉が、エポプテイア(奥義開顕)だったか
らだ。それは、文字どおり、その〈身〉で示すしか、示しようもないことがらであ
る。(略)かさねていうが、ポイントは、この世を生きるぼくたちの生き方(実存
・ミ)に、根本的な革命がおき、それに呼応し、この世この生の相貌が全く変容す
る、ということだ。》(『現代思想としてのギリシア哲学』225頁)

     ※
 これを読んで大森荘蔵のことを想起した。正確には「大森哲学の感触」を想起し
た。そもそも「大森哲学」なるものはない。そこにあるのは、ただ神秘体験なき神
秘主義の感触(存在感触)で、それは永井均さんの書き物に通じている。

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