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■ 不連続な読書日記 ■ No.266 (2004/12/29)
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□ 辻信一『スロー・イズ・ビューティフル』
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●921●辻信一『スロー・イズ・ビューティフル──遅さとしての文化』
(平凡社ライブラリー:2004.6.9)季刊誌『住む。』(誌名に出てくる句点はほんとうは右半分が半分欠けている)
に長田弘さんの詩が連載されている。「世界を、過剰な色彩で覆ってはいけないの
だ。/沈黙を、過剰な言葉で覆ってはいけないように。」(「2004年冬の、或
る午後」:9号)とか、「自由とは、新しい生活様式をつくりだすことだ。」(「
シェーカー・ロッキング・チェア」:10号)とか、切りとってこころのなかにし
っかり刻んでおきたい言葉がちりばめられている。和歌に屏風歌といわれるものがある。丸谷才一さんの『新々百人一首』によると、
「屏風絵とは、大和絵屏風の色紙形の部分に書かれた画讃としての歌で、いつそ「
調度的装飾歌」(橋本不美男)と見るほうがわかりやすい文学形式であつた」(新
潮文庫上巻31頁)。長田弘さんの詩文は、出来合のものではない思想や生き方や住
まい方を目に見えるかたちで表現しようとする雑誌の余白に添えられる讃に、いか
にもふさわしい。辻信一さんがやがて世におくることになる『スロー・イズ・ビューティフル』と
いう本の種が蒔かれたのは、一九八○年、モントリオールのマッギル大学に在学中
の著者が、客員教授をしていた鶴見俊輔さんから「ふろふきの食べかた」という詩
のコピーを贈られた時のことだった。この作品は、長田弘さんが当時『婦人の友』
に連載していたものの一つだった。「こころさむい時代だからなあ。/自分の手で、
自分の/一日をふろふきにして/熱く香ばしくして食べたいんだ。/熱い器でゆず
味噌でふうふういって。」この詩を読んで、辻信一さんは、「いつのまにか失っていて、それと気づかずに
いた、ある感情」を思い出した。その感情とは、子どもの時の著者をつつんでいた
はずの「今はまだない未来の自分ではなく、今の自分の、今この時を抱きしめるこ
との歓び」(あとがき)で、それは書名の「ビューティフル」につながっている。
「このビューティフルということばを、ぼくは次のような態度だと定義したいので
す。そのもの本来のあり方を、遠慮がちにではなく、といってことさら誇るのでも
なく、他を否定するのでもなく、他との優劣を競うこともなく、ありのままに認め、
受け入れ、抱擁すること。」(まえがき)この書物は、ゆっくりと読まなければならない。気温の変化に合わせて森は一年
間に五百メートルまで移動できるが、温暖化で三十年間に気温が摂氏一度から二度
上昇すると、樹木たちは一年に五キロもの移動を要求されるという(96頁)。「前
に進むしかないという「進化主義」はひとつの宗教的狂信といっていい。このせい
で、毎年少なくとも二万五千もの種が絶滅している。絶滅種が生態系に開けた穴を
埋めるためにかかる生物進化の時間は少なくとも五百万年だそうだ。この気の遠く
なるような遅さこそが進化の本質だともいえる。ぼくたちは人間の歴史を語るのに
「進化」などということばを使うことを慎むべきだ。」(220頁)そのような生物時間、生物進化の時間、地質学的時間に寄り添いながら、寄り添
うことは無理でも、思いをはせながら、ゆっくりと読まなければならない。スロー
ネス、つまり遅さ、慎み、節度をもって、そして過去への畏れと未来へのノスタル
ジーをもって、ゆっくりと読まなければならない。「ここで重要なことは、多くの
伝統社会がかつて、その大きさや速さや力の限度をわきまえていて、それはまるで
そこに自然界と同様の均衡、調節、浄化の力が働いているかのようだった、という
こと。ぼくは思うのだが、本来、文化とは社会の中にそうした「節度」を組み込む
メカニズムなのではないか。」(216頁)本書から拾った叡智の言葉抄。
川口由一「本来私たち人間はみな答えを生きるものだと思います。……かつては
農民の生き方そのものであった農が、いつの間にか、解決すべき問題としての農業
になってしまった。……しかし本来農民が畑に種を蒔く時にはなんら不安はないの
です。大安心があるから、楽しいんです。未来にとらわれていない。今を生きてい
る。今の中には過去も未来も切り離されずに入っている。答えを生きるとは、そう
いうことだと思います」(29-30頁)大谷ゆみこ「全粒穀物、旬の土地の野菜、自然海塩、海草が四つの必須食品、こ
れだけあれば生きていけるのよ。どう簡単なものでしょ?」(54頁)ジョージア・オキーフ「誰も花を見ようとはしない。花は小さいし、見るってい
うことには時間がかかるから。そう、友だちをつくるのに時間がかかるように。」
(94頁)「ダグラス[・ファー]にとってよい技術とはシンプルな技術のことだ。複雑なテ
クノロジーに比べるとシンプルなテクノロジーを発明する方がずっと難しい。そこ
には哲学が必要だ。より深い知恵と熟考が要る。だから時間もかかる。その意味で
スローなテクノロジーなのだ。」(64頁)「休むことを蔑む者は、疲れを蔑む。休むことの喜びを知っている人は、疲れを敬
う。疲れとは何か。マイケル・ルーニグという人がこう言っている。それは我々人
間が感じることのできる最も自然[ナチュラル]で、力強く、高貴な感覚だ、と。
それほど根源的[ラディカル]な感覚を長く無視し、抑圧し、否定し続ければどう
なるか。おそらくは、良薬が使い方を誤れば猛毒となりうるように、我々にとんで
もない破壊をもたらすことになるだろう。だが我々が住んでいるのは、そんな破壊
に満ち満ちた世界ではないのか。とすれば我々が不幸せであるのも驚くに足らない。
だから、君、猫のように丸くなって休みたまえ。高貴なる疲れに身をまかせなさい、
と。」(126頁)〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
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