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 ■ 不連続な読書日記                ■ No.264 (2004/11/28)
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 □ 中沢新一『僕の叔父さん 網野善彦』
 □ 丸谷才一『思考のレッスン』
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●918●中沢新一『僕の叔父さん 網野善彦』(集英社新書:2004.11.22)

 この長大な追悼文を著者は「死者たち」とともに書いたという。古代からの「オ
ルフェウスの技術」をもって死者を現在の時間の中に生き生きと呼び戻すこと。現
実世界をつくりあげる運命に抗ってそれとは別の世界を切り開いていこうとする自
由な意志(揺るがない魂)の活動を語ること。それこそ歴史の「語り部」にしかな
しえないわざである。著者が「最上の文章」と自讃する本書は網野善彦という希有
な歴史家に捧げられた感動的なオマージュであり、それ自体ひとつの高品質の歴史
書である。

 本書は網野歴史学の骨格をなす三つの著作(『蒙古襲来』『無縁・公界・楽』『
異形の王権』)にそくした三つの文章からなる。網野史観の根底をなすもの、人類
の原始から立ち上がってくる根源的なものとしての「民衆」という概念(近代の「
底」を抜いたところに生まれてくる大地的概念)の生成を描いた第一章「『蒙古襲
来』まで」。南島の秘密結社が伝承する「仮面の神」の儀礼を生み出してきた野生
の思考と、所有者から無縁となった商品たちの市場への集合を促す「貨幣」経済の
土台をなす思考とがひとつに結びつく領域(根源的自由を求めるトランセンデンタ
ルな欲望が稼働する領域)に立地した新しい歴史学の誕生を描いた第二章「アジー
ルの側に立つ歴史学」。列島人民の形成してきた Country's Being(国体)の土壌
に根ざした「非農業」的精神(農業的日本よりもっと深い人類的な地層につながり、
自然と直接わたり合いながら活動する野生あふれる精神)の深度を正確に測定する
網野歴史学の「深層のリアル」をなす自然哲学をあますところなく描く第三章「天
皇制との格闘」。そのそれぞれの決定的場面において(中沢宗教人類学の誕生にも
つながる)比類なく幸福なコラボレーションがはたらいている。

 それにしても網野善彦という叔父をもつこと、そして中沢新一という甥をもつこ
とはなんと幸福で贅沢な叔父─甥関係(冗談関係)であったことか。その死に際し
て次のような告別の辞を心底から捧げられる友をもちえた著者に、私はつよい嫉妬
を覚える。《死は人生最善の友である。それに網野さんは揺るがない魂をもつ唯物
論者だから、きっと恐れずにこの最善の友の手に、自分をゆだねていくのだろう。
人生は神秘にみちている。私は自分が網野さんのような人と出会い、叔父と甥の関
係をとおして親友のように仲よくなり、たがいが心に思うことを存分に語り合うこ
とができた、そのことにかぎりない人生の神秘を感じるのだ。私は思うさま泣いて、
そして深く感謝した。このようなつたない人間でしかない私を最後まで心からかわ
いがってくれた「僕の叔父さん」、長いあいだほんとうにありがとうございました。
》(178頁)

●919●丸谷才一『思考のレッスン』(文春文庫:2002.10.10/1999)

 小林秀雄と吉田健一。この二つの批評家の系譜でいえば、あきらかに後者に属す
る丸谷才一は、小林が吉田を認めず、河上徹太郎に「あれは見込みがないから破門
しろ」と言ったエピソードに触れて、「このことは、逆に、小林秀雄が指導的批評
家である時代が終れば、吉田健一の文学観が支配的である時代がくることを暗示し
てますね。そして事実そうなっています」(65頁)と語る。丸谷の文学観の根底に
は、バフチンのドストエフスキー論(ポリフォニー理論とカーニヴァル理論の二本
柱)がある。小林秀雄と吉田健一とバフチン。この三つに共通する型をみつけて、
その仮説に名を与えること。それが丸谷流思考レッスンの終了者(私)にあたえら
れた欄外の課題。

 本書にちりばめられた丸谷節。──近代日本文学には様式がない(95頁)。文体
の問題をなおざりにしているのはわれわれの文明の病弊の一つだ(132頁)。現代
日本語の文体は現代日本人が思考するのにふさわしいだけの成熟にまだ達していな
い(226頁)。近代日本の口語文は小説家が西洋19世紀の(客観的三人称の)小
説の影響を受けてつくった文体だ、18世紀の(書簡体の)西洋文学を学んでいれ
ば口語文の敬語表現はもっと洗練されていたろう(246頁)。

 記憶に残ったレッスン。──まとまった時間があったら本を読むな、本は忙しい
ときに読むべきもの、まとまった時間があったらものを考えよ(137-138頁)。考
えるコツは仮説をたてること、仮説をたてるコツは多様なもののなかに共通する型
を発見すること、型をみつけたら名前をつけろ(214頁)。ものを書くときには頭
のなかでセンテンスの最初から最後のマルのところまでつくれ、つくり終わってか
らそれを一気にかけ(229頁)。

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