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 ■ 不連続な読書日記                ■ No.262 (2004/11/21)
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 □ 實川幹朗『思想史のなかの臨床心理学』
 □ 内田樹『死と身体』
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●914●實川幹朗『思想史のなかの臨床心理学──心を囲い込む近代』
                      (講談社選書メチエ:2004.10.10)

 實川氏によると、知覚を環境との関わりの可能性ととらえる「アフォーダンス」
の理論は中世以来の発想の枠組みのなかにある考えであって、百年ほど前のベルク
ソンによっても語られ、その後メルロ=ポンティが洗練された形で示した(233頁)。
この指摘は、次の文章につけられた註のなかに出てくる。

《一三世紀のトマスにおいては、感覚は「感覚器官の現実態」なのであった。「現
実態(アクトゥス)」とは、古代から中世の哲学用語である。それは「可能態(ポ
テンチア)」から、つまり存在の可能性だけある状態から抜け出して、存在を実現
している状態を意味する。何だか古くさい、かた苦しい言葉づかいに聞こえるかも
しれない。しかし、このような発想自体は、現代の西洋思想でも、あいかわらず、
新しげなよそおいで続けられている。》(72-73頁)

 内田樹氏は『死と身体』で、甲野善紀氏の「人間の身体は、一瞬手と手が触れた
だけで、相手の体軸、重心、足の位置、運動の力、速さがわかる」という言葉と、
「人間は指と指がふれた瞬間に無限の情報が伝授される」というヴァレリーの身体
論を紹介している。

《一九世紀から二○世紀の初めぐらいには、運動性の記憶とか、運動性の知覚と伝
達とかは、ヨーロッパではまっとうな学問として存在していた。それがなぜか一九
二○年代にあらかた消えてしまう。「記憶を司るのは頭ではなく身体である。記憶
は運動的なものである」というベルクソンやヴァレリーの考え方が一掃され、もう
誰も相手にしなくなるのです。(略)プルーストの『失われた時を求めて』では、
つまずいてよろけた瞬間にありありとむかしのことを思い出すという有名なくだり
がありますね。一九世紀までは、ある構えをすると身体記憶、過去の体感が、場合
によっては自分自身が経験していない他者の体感がよみがえってくるというのは「
常識」だったんです。それが九○年ほど前に、常識から登録抹消された。》(114-
115頁)

 この文章の最後に出てくる「自分自身が経験していない他者の体感がよみがえっ
てくる」には強調符がついている。これを目にしたとき、私は『思想史のなかの臨
床心理学』でのある議論(第一次意識革命をめぐるもの)を想起した。

 實川氏は「歴史的には、意識と物質は西洋においても古代以来、一九世紀まで一
体だった」(139頁)という。ところが近代になって、臨床心理学による古代以来
の「物質的な無意識」や「無意識の理性」(神の理性)に替わる新しい無意識の「
発明」に先だち、物質と精神の二面をもつ中性的で根源的な(自然科学を基礎づけ
る究極の事実としての)新しい意識が「発明」された(142頁)。ユダヤ=キリス
ト教的な「神の理性」の後継者としての意識が登場し(意識革命)、世界は「神の
国」から「意識の国」へと変換された。

《ここで、ひとつ注意しておきたいことがある。「意識革命」が起こり、「意識の
国」が築かれたとは言っても、この時代にはまだ、意識は公共のものだったという
点である。すなわち、意識は個々人の内側に閉じ込められてはおらず、もちろん感
覚も含めて、みなが共有できるものだった。(略)意識が、観察できない個々人の
秘められた主観性だと一般に考えられるようになるのは、二○世紀になってからで
ある。》(143頁)

●915●内田樹『死と身体──コミュニケーションの磁場』(医学書院:2004.10.1)

 森岡正博の『無痛文明論』は西欧思想の最深部において「形而上学的な内戦」(
あるいは自爆テロ)をしかけようとする異様・異例な書物だった。あれから一年。
内田樹は本書で、レヴィナスの哲学と武道とフロイトの精神分析(140頁)が交差
する場──「自分自身が経験していない他者の体感」(115頁)をよみがえらせる
身体(運動性記憶を司る身体的知性)、「死んだ後の自分」(148頁)という前未
来形の消失点から「今」を回想する身体(時間感覚の錬磨に裏打ちされた身体的想
像力)、言語活動を起動させる「磁場」(190頁)、根源的なコミュニケーション
(死者とのコミュニケーション)がたちあがる生と死の「中間[medium]」(208
頁)、等々──を活写し、死の恐怖に青ざめた形而上学的テロリストを撃つ。

 内田樹は徹底的な(旧石器時代まで射程に入れた)プラグマティストとしてふる
まう。「人間は自ら善を創造するまで、善が何であるかを知らない」(35頁)。「
倫理というのは、むしろ計量的な問題だろうとわたしは思います」(163頁)。「
わたしはぴたりとつじつまが合った社会理論より、あちこちに矛盾やほころびのあ
る社会理論のほうを信用することにしています。そういう矛盾は「現場」からしか
出てこないことばですから」(167頁)。「理論の有効期限、賞味期限、地域限定、
期間限定についての節度の感覚をもちましょう」(185頁)。「「死者」という概
念を得たことで、人間は「解決できないこと」を考えるという習慣を身につけるこ
とになり、それがそれ以降の爆発的な脳の進化に関与していたことは間違いありま
せん」(215頁)。

 プラグマティスト・内田が称揚する闘いは、残響する死者のメッセージを不法に
代弁しようとする者に対する「霊的反撃」(232頁)である。──フッサール現象
学は「幽霊学」であり、ハイデガーの存在論はガイスト(祖霊)にこだわる「死者
論」(鎮魂論)であった。だが、ハイデガーが体現したキリスト教的西洋二千年の
鎮魂葬送のノウハウでは、第一次世界大戦1300万人の死者たちの「祟り」(英
霊の無念)を鎮めることができなかった。

《ハイデガーは、ナポレオン戦争の戦後と同じく、死者たちを「大地の霊」にする
ことで鎮めようとして、結果的にナチズムと親和してしまう。存在論は葬礼ための
語法としては破産してしまうわけです。
 だから、ラカンやレヴィナスのように第二次世界大戦後の思想的な活動を始めた
人たちは、ハイデガーに代表される「ヨーロッパ的な主体」による葬礼を否定して
いくことになります。「あなたたちにはもう喪主は任せられない。これから後の葬
儀は、わたしたちが仕切る」ということです。
 結論からいえば、何十万人の死者を正しく鎮魂して二度と災厄を出さないように
するためにかれらが選んだのは、人間が人間になった起源の瞬間にもう一度立ち戻
ることでした。つまり、人が人を弔うときの基本的なマナーをもう一回蘇らせる。
それは、「死者は死んでいるけれども、死んでいない」「死者は自分たちに語りか
けている、けれども、そのことばは聞き取れない」という、旧石器時代に埋葬が最
初に始まったときの始原の機能を思い出すことでした。》(229-230頁)

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