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 ■ 不連続な読書日記                ■ No.257 (2004/10/03)
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 □ 前田英樹『小林秀雄』
 □ 山崎行太郎『小林秀雄とベルクソン[増補版]』
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今回は、『カルチャー・レヴュー』Web版42号に「存在の一義性」のタイトル
で掲載していただいた文章[http://homepage3.nifty.com/luna-sy/review.html]
からの抜粋です。『小林秀雄とベルクソン』は、以前(No.220)とりあげたことが
あります。今回はその増補版です。

そのカルチャー・レヴューの編集後記に黒猫房主氏が次のように書いています。

 ★私は、ほんとど小林秀雄を通過して来なかった者なのですが、中原氏の論考を
  読むと小林のベルグソン論には興味が惹かれますね。ところで「virtuel」が、
  元々の意味は「力をもった」潜在性であるということをこの論考で知りました
  が、アリストテレスの「dynamis 可能態」との関連はどうなのだろうと思っ
  て中原氏に質問しましたところ、デュナミスがラテン語でヴィルトゥスと訳さ
  れ、英語のヴァーチャリティにつながったそうです。

 ★上記の「仮想」は、クオリアをキーワードに、意識の問題に切り込み続ける脳
  科学者・茂木健一郎が提示した新しい概念「仮想」とも、おそらくは通底して
  いるのでしょう。その概念を展開した最新刊『脳と仮想』(新潮社)の中でも、
  小林のベルグソン論への言及があるようです。これから読んでみたい一冊です。

『脳と仮想』はとても面白い本です。表紙に“The Brain and Imagination”と印
刷されているところをみると、茂木氏のいう「仮想」はヴァーチャルではなくイマ
ジネーションのことのようです。でも、厳密に区別されているのかというとそうで
もなくて、はては「記憶」まで含む多義的な概念として「仮想」を使っている。こ
のあたりのところにかえって議論の可能性が感じられる。とにかく面白い本でした。

──実は今回、『脳と仮想』を保坂和志の『〈私〉という演算』と一緒に(ついで
に、折口信夫の『言語情調論』や幸田露伴の「音幻論」とも組み合わせて)とりあ
げてみたかったのですが、読んだきりでまだ整理できていない本が他にも何冊かあ
って、それにこの週末は作業のための時間がほとんどとれず、次回以降に先送りし
ました。
 

●901●前田英樹『小林秀雄』(河出書房新社:1998.1.14)

 スリリングな論考だ。とりわけ、絵画記号をめぐる『近代絵画』や音声言語をめ
ぐる『本居宣長』との三部作において『感想』(小林秀雄の未完のベルクソン論)
が成し遂げた達成を、様々な水準における二重性──プラティックな行動がもつ能
動性と実在(モビリテの世界)との接触に関わる受動性、知覚(科学)と直観(哲
学)による経験の二重化、物質と精神という実在が私たちの経験に与える二重の相、
あるいは知覚(物質)と記憶(時間)の各々がもつ現実的[actuel]次元と潜在的
[virtuel]次元、等々──に即して腑分けしきった叙述は、質量ともに本書の白
眉をなす。

 著者は、ベルクソン=小林が言うモビリテの世界はプラティックな行動の世界の
奥、物質の潜在的次元、すなわち量子論が顕わにした極微的物質の世界にあると書
いている。しかし「量子論のパラドックスは、潜在的なものの構造を現実的なもの
の用語法によって思考し、その結果を数式の統計的可能性によって表現する、とい
うところから来ていた。それならば、重要なものは言葉、すなわち、実在が持つ二
重の方向を同時に辿りうるような言葉だろう。小林が、この問題を徹底して取り上
げるのは、言うまでもなく、宣長論においてである」。

 ──本書の奥(潜在的次元)には、ドゥンス・スコトゥスの「存在の一義性」の
概念(内在的超越の思想)が据えられている。

●902●山崎行太郎『小林秀雄とベルクソン[増補版]
                ──「感想」を読む』(彩流社:1997.11.30)

 著者は小林秀雄の過激な原理的思考と理論物理学とのきわめて密接な関係──「
小林秀雄の批評は、アインシュタインの「相対性理論」の出現と、ハイゼンベルグ
らの「量子物理学」の出現とに代表される、かつてない大きな二十世紀の「科学革
命」という歴史的状況の中から生まれてきたものであった」──を文壇デビュー以
前から丹念にたどってみせる。そのうえで、小林秀雄という批評家の「火薬庫」と
もいうべき『感想』について、「それまで、秘密のベールにつつまれていた小林秀
雄的思考の急所を、ベルクソン論という形で公開した」「原理論の書」、「ベルク
ソン論というよりベルクソンを素材にして、小林秀雄が、様々な思考実験を行った
評論」、「小林秀雄自身による小林秀雄論」、「遺書」と規定している。

 小林秀雄と理論物理学というテーマ設定そのものはいま読んでも画期的だと思う
が、『感想』刊行後となってはもはやそれだけでは物足りない。そもそも本書の議
論は、理論物理学の話題を抜きにしても語りうるものだ。そこには『感想』におけ
る小林秀雄の思考が強いられた錯綜や紆余曲折に拮抗するもの、あるいは「実在の
複雑紛糾」(『物質と記憶』第七版の序)に由来するもの、端的に言えば「観念論
や実在論が存在と現象に分けてしまう以前の物質」(同)に対するさしせまった「
問い」──「彼の全身を血球とともに循る」(「様々なる意匠」)ほどの──を見
出すことはできない。

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