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 ■ 不連続な読書日記                ■ No.256 (2004/09/25)
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 □ 竹内薫『世界が変わる現代物理学』
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世界が変わってしまう。実は誰でも、狂気に陥らずとも、経験していることだ。子
どもの頃に見えていた世界を思えばいい。「変わったのは身体の方で、世界は何も
変わっていない。目の前にあるこのモノを見よ。モノは変わらない。世界は同じモ
ノで出来ている。世界が変わったと思うのは、お前の身体と世界の関係が変わった
からだ。」そういう君は子どもの頃の君ではない。君の世界は変わってしまった。
だから以前の世界は思い出せない。「そういうお前も『子どもの頃に見えていた世
界』など思い出せないはずだ。それはお前が勝手に考えだした虚構にすぎない。言
葉にすぎない。」そうとも、それが僕の「思想」だ。思想を離れて世界はない。思
想が変われば世界は変わる。

──その「感覚」は、ある対談での養老孟司の発言を読んだときに訪れた。(ちょ
うどその箇所を読んでいたとき、たまたまテレビの番組で『誰も知らない』の是枝
裕和監督が、子どもの頃は誰もが世界の複雑さについて精一杯の思考をめぐらせて
いたのだ、といった趣旨のことを語っていた。)養老孟司はそこで、胎児の超音波
診断から出産シーンまでをルポした映像を観て「こういうことはみんな知っている
」とレポートに書いた男子学生に怒っていた。標本(生身の人間の一部)と模型(
プラスティック)の違いに気づかない都会人を嘆いていた。「私は私」で世界は変
わらないと思っている「情報化=脳化」の時代を生きる現代人に苛立っていた。

《大事なことは、人が変われば世界の見え方が違ってしまう、ということです。(
略)/極端な例をいうと、「あなたはガンですよ。あと半年しか命がないんです」
といわれて、それを自分が納得したら、世界がどう見えますか。ぜんぜん違って見
えるんです。/桜が咲いていたら、もうあの桜は来年見られないと思う。「さあ、
どうしよう……」と考えます。「今までいったい自分はどういうつもりで桜を見て
いたんだろう」という疑問が起こるけれど、そのことはなかなか思い出せない。/
世界が違って見えるということは、自分が変わってしまったということです。変わ
る前の自分は、自分に変化が起こったあとの世界のことを考えることができない、
ということに、どうして人は思い到らないのだろう。思い当たれば、「その先はど
うなるんですか」といった、よくある質問は意味がないということがわかるんです。
》(「脳から身体へ」,『対論・筑紫哲也 このくにの行方』43頁)

きっかけは何でもよかったし、いま読みかえしてもあの「感覚」そのものは蘇らな
い。「思想が変われば世界は変わる」。それもまた「思想」(虚構、言葉)でしか
ないとしても、その時、一回かぎりの生々しいリアリティをもって迫ってきた。一
瞬、感覚的な眩暈に襲われた。「思想」を「世界の見方」に置き換え、「世界が変
わる」を「世界の『見え方』が変わる」に読み替える。そのような操作をもってし
ても、あの「感覚」の記憶(身体に残る余韻)は消せない。世界というモノが先に
あって、それをどう見るかが思想なのではない。思想ととともに世界は立ち上がる。
世界の「見え方」が変わることと、世界そのものが変わることとは区別できない。
そのような区別を立てる視点は世界のどこにもない。世界が変われば「自分」も変
わるのだから。
 

●900●竹内薫『世界が変わる現代物理学』(ちくま新書:2004.9.10)

 竹内薫は「この本は科学思想の書」(8頁)であり、「私は、あくまでも思想と
しての物理学を語りたいのです」(191頁)と書いている。思想としての物理学。
著者はそれを「SF化」(虚構と現実の境界のゆらぎ)という概念をもって語る。

 世界はあたかも複素数のように、リアルな部分(モノ)とイマジナリーな部分(
コト)から出来ている。「モノからコトへ」という現代物理学の潮流を決定づけた
相対論と量子論は、そうした「世界の二重構造」をかつての神話の解像度をはるか
に凌駕する精度をもって厳密に記述しはじめた。それどころか最近のループ量子重
力論にいたっては、時空という究極のモノさえもコト化され、さらには非虚構と虚
構の区別さえ消え、純粋にコト的な世界としての宇宙(森羅万象)が立ち現れよう
としている(物理学から「事理学」へ)。

《物理学の最先端で起きている革命は、宇宙から次々とモノが消えてコトになって
ゆく過程としてとらえることも可能ですが、見方を変えて、そもそもモノとコトの
境界などなかったのだ、と解釈することも可能でしょう。/私は、このような、(
現実としての)モノと(虚構としての)コトの境界がゆらいで、個々の局面におけ
るSF化により、くるくるとモノとコトの役割が入れ替わり、複雑にからみあった
多層構造となってダイナミックにうごめいているのが、宇宙の実相であり、現代物
理学は、そのような宇宙の姿をはじめて精確かつ精密にとらえつつあるのだと考え
ています。/宇宙はSF的な構造をもっており、それを記述する現代物理学もSF
的な構造を反映しており、宇宙を写し取って進化してきて、物理学を紡ぎ出してい
る人間の脳もまた、SF的な構造になっています。》(225-226頁)

 思想(物理学)が変われば世界は変わる。そして、世界が変われば「自分」も変
わる。──竹内薫が「忙しい情報化時代に生きる現代人、とくに文系の読者」(7
頁)を想定して、「宇宙の叙事詩」(10頁)とも形容すべき数式を使わず現代物理
学の世界観を解説した本書に、あえて「少なからぬ数の読者の反論と否定的な評価
を予測しながら」(184頁)未完成の「思想」小説の一部を掲載し、また「本書の
主題からはずれることを承知で」(219頁)長いあとがきを付したのは、本書を思
想としてではなく知識(情報)として読み流し「こういうことはみんな知っている
」と感想を述べるだろう読者に対して、あるいは「命がけの思想」(179頁,229頁
)という言葉に冷笑をあびせるだろう「忙しい情報化時代に生きる現代人」に対し
て苛立っているからだ。

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