〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
 ■ 不連続な読書日記                ■ No.254 (2004/08/29)
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
 □ 野沢尚『龍時03─04』
 □ 池田晶子『新・考えるヒント』
 □ 岡潔・小林秀雄「人間の建設」
 □ ブライアン・グリーン『エレガントな宇宙』
 □ ライプニッツ「モナドロジー」
 □ ピーター・P・トリフォナス『エーコとサッカー』
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓

先月末あたりから極度の夏バテが続き、込み入った本を読むのが面倒になった。一
時、小林秀雄─ベルクソン─ジェイムズの線で集中しかけていたけれども、いまや
観念のガラクタが堆積しているだけ。感想を書くのも億劫でたまらない。前田英樹
の『小林秀雄』や清水高志の『セール、想像のモナド』など、読み終えて一月以上
もたつのに何も書けない。アジア杯・決勝リーグの「奇蹟」を目撃してからTVの
スポーツ観戦にすっかりはまってしまった。いまやアテネ・オリンピックにどっぷ
りと怠惰につかっている。

●893●野沢尚『龍時[リュウジ]03─04』(文藝春秋:2004.7.10)

 金子達仁の文庫(『龍時01─02』)解説のタイトルが「日本人作家による史
上最高のサッカー小説」。新刊(『龍時03─04』)の帯に「本邦初の本格サッ
カー小説、シリーズ第三弾」とある。サッカー小説というと、村上龍の『悪魔のパ
ス 天使のゴール』くらいしか読んだことがなかった。そもそもそんなジャンルが
あるのかどうか知らない。(イギリスには専門の作家がいる、もしくは、いたらし
い。)

 ──サッカーは集団競技である。だから組織と個人の確執がサッカー小説の醍醐
味である、というのは浅はかな考えだ。前田英樹描くところの小林秀雄=ドゥルー
ズではないけれど、対象の質的分割、個体化の原理、理念的=潜在的なもの、実在
との接触、問題と回答、等々の語彙が浮かんでは消えていく。

 ──作者が亡くなったので続編が読めなくなった。ワールドカップ・アジア最終
予選での志野リュウジの活躍を観る、いや読むことはできなくなった。八木沢千穂
やマリア、父や母、そして第三作で登場した平義監督とリュウジの関係がどう糾わ
れていくのか。誰にもアクセスできない場所で物語は続いている。

●894●池田晶子『新・考えるヒント』(講談社:2004.2.10)

 小林秀雄の文章はエピゴーネンの出現を許さない。なぜか。「そこには主義も主
張もなく、ただ絶対的な作品の姿があるだけだからだ」。意は似せ易く、姿は真似
難い。「小林をではなく小林から学ぼうという池田の真意が、君などにわかろうは
ずもない」。この「言葉」と題された章に出てくる池田の言葉の姿は潔い。

●895●岡潔・小林秀雄「人間の建設」
               (小林秀雄全集第十三巻,新潮社:2001.11.10)

 前田英樹の『小林秀雄』に、ドゥルーズの『ベルクソンの哲学』を小林秀雄が読
んでいたことを、ある対談でのごく短い発言から窺う箇所が出てくる。それは河上
徹太郎との「歴史について」で、岡潔との対談ではなかった。「人間の建設」には、
小林秀雄のアインシュタイン・ショックの話が出てくる。「それから暫くたって、
ぼくは感じたのです。新式の唯物論哲学などというものは寝言かも知れないが、科
学の世界では、なんとも言いようのないような物質理論上の変化が起こっているら
しい。そちらのほうは本物らしい、と感じて、それから少し勉強しようと思ったの
です。」

●896●ブライアン・グリーン『エレガントな宇宙
    ──超ひも理論がすべてを解明する』(林一他訳,草思社:2001.12.25)

 松岡正剛の千夜千冊の第千一夜目(尾学)に『エレガントな宇宙』が登場した。
「どんな「思想」も「表現」も、その起源には宇宙観が関与していたものなのであ
る。」「われわれの想像力の根底にあるものは、古代から今日にいたるまで、なん
ら変わらない。/まとめれば、その根底にあるのはフィジカルイメージとバイオイ
メージの姿、あるいはその二つがエッシャーふうに絡まった姿というものだ。」─
─偶然、同じ本を(竹内薫の『超ひも理論とはなにか──究極の理論が描く物質・
重力・宇宙』と一緒に)読んでいた。ベルクソンの『物質と記憶』、小林秀雄の『
感想』、ジェイムズの「純粋経験」やライプニッツの「モナドロジー」、ノヴァー
リスにペンローズ……。夏バテからようやく蘇りつつある頭のなかでとぐろを巻い
ているそれら切れ切れの思惟の断片が「超ひも」へと一直線になだれ込んでいく?

●897●ライプニッツ「モナドロジー」(清水富雄他訳,中央公論『世界の名著』)

 一時間で読める哲学の古典と言えば「モナドロジー」。読むたびにひらかれるモ
ナドの襞。──松岡正剛は『遊学T』で、単子(モナド)は「ライプニッツ魂理学
の中枢概念」であって、それは原子(アトム)に代わる物質の究極単位でも精神単
位でもなく「存在を見る単位」というものだろうと書いている。ライプニッツは存
在を見る単位としてのモナドを論理単位としてつかい、神を存在するものとしてで
なく記述の論理のための収束者としてつかっている、とも書いている。どういう意
味だろう。

●898●ピーター・P・トリフォナス『エーコとサッカー』
                   (富山太佳夫訳,岩波書店:2004.3.26)

「ウンベルト・エーコによれば、サッカーとは文化のかかえる神経症である。」(
14頁)「エーコが「サッカ」ーと呼んでいるものは単なるスポーツではなく、記号
論的なゲリラ戦のひとつのかたちである。」(33頁)

〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
 ■ メールマガジン「不連続な読書日記」/不定期刊
 ■ 発 行 者:中原紀生〔norio-n@sanynet.ne.jp〕
 ■ 配信先の変更、配信の中止/バックナンバー
       : http://www.sanynet.ne.jp/~norio-n/index2.html
 ■ 関連HP: http://www.sanynet.ne.jp/~norio-n/
 ■ このメールマガジンは、インターネットの本屋さん『まぐまぐ』 を利用し
  て発行しています。http://www.mag2.com/ (マガジンID: 0000046266)
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓