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 ■ 不連続な読書日記                ■ No.252 (2004/07/18)
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 □ 加藤郁也編『吉田一穂詩集』
 □ 坂本龍一・天童荒太『少年とアフリカ』
 □ 金谷武洋『英語にも主語はなかった』
 □ 斎藤環『解離のポップ・スキル』
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●885●加藤郁也編『吉田一穂詩集』(岩波文庫:2004.5.18)

 6月6日付け朝日新聞の読書欄で歌人の穂村弘さんが中井英夫『新装版 虚無へ
の供物』や夢枕獏『腐りゆく天使』と並べて紹介している(「今こそリアル 反世
界・反時代の思想」)。いわく「西脇順三郎をして「若しこの人が詩生活をせずに
自然科学を専門にやっていたらノーベル賞に値する何か原理を発見したかも知れな
い」と云わしめた吉田一穂の詩集が文庫化された。裏返しの「自然科学」としての
「詩」に懸けた彼もまた「この時空に現存しない私のふるさと」を想い続け、反・
世界への翼を広げた一人であった」と。

 かつて『吉田一穂大系』(仮面社)に驚愕し、「あゝ麗しい距離[ディスタンス
]」(「母」)、「燈[ラムプ]を点ける、竟には己れへ還るしかない孤独に」(
「白鳥」)、「望郷は珠の如きものだ。私にとって、それは生涯、失せることなき
エメラルドである」(「海の思想」)といった切れ切れの詩句断片に憑依された私
にとって、このコンパクトに凝縮された「反世界」の書物は、汲めども尽きぬ霊感
と戦慄をもたらす聖典である。

 加藤郁乎の「解説」がいい。抽象化され幾何学的に展開された「思考本位の詩人
」、「絶対詩の世界」、「純粋絶対詩」といった語彙群、「古代緑地を髣髴する北
の極への誘い、地球上には存在しないながらおのれの意識現在にのみ存在する〈白
鳥古丹〉[カムイコタン]、そしてケルト的薄明への傾倒は吉田一穂の詩作におけ
る永久磁石のようなものである」などの評言は、それ自体がひとつの玲瓏堅固な詩
的世界を造形している。「詩は三行で良い。天と地と人──生物、生命でし」と詩
人が吐露した「詩的心情」や、地質学者井尻正二の「一穂論を書くなら積丹半島か
らの海や背後の山や森を眺めてからにして欲しい」という言葉が素晴らしい。

●886●坂本龍一・天童荒太『少年とアフリカ
     ──音楽と物語、いのちと暴力をめぐる対話』(文春文庫:2004.4.10)

 社会と世界の状況を「定点観測」しながら、フィクションに抗する想像力、妄想
を培う時間に裏打ちされた思考力、そして「ルーマニアの小さな村のおばちゃん」
が「ああ!」と思ってくれる作品を生み出す表現力をめぐって自在に繰り広げられ
た三つの対談。

 第一の対談(「少年」)で音楽家は言う。自分の息子が殺されたら「僕は殺した
やつを殺しに行く」。息子が人を殺したら「息子を殺すと思う。僕は許さない」。
小説家は答える。「でも、僕は殺すより、被害者や遺族に対して、刑罰とは別の形
で、いのちある者として、罪をどうつぐなわせていくかを、自分とその子に、少な
くとも遺族が生きている限り課しつづけるほうが、大事じゃないかと思ってる」(
74頁)。

 第二の対談(「アフリカ」)で音楽家は語る。「許さないけれども、でも殺すこ
とにはつなげない、そこを考えていく思考力が人間にはあるんじゃないかってね、
初めて今朝思ったんです。(略)最愛の人が殺された。仕返ししてやる──そうで
はない思考力が、人間にはある」。小説家は応じる。「いま、僕はとても幸せです。
坂本さんの、その言葉を聞けただけで、涙が出るくらい嬉しい」(211頁)。

 そして「九・一一」後の第三の対談(「イグノランス」)で音楽家は総括する。
「メッセージなんかないよ、表層しかないよ、深度なんかないよという八○年代の
ポストモダン的なゲームはもう終わり、飽きちゃっているしね。きちんとしたこと
を聴きたいし、言いたいし、受け取りたいと実はみんな思っている」(273頁)。
文庫版の後書きに小説家は書く。「現実に起きていることを「否認」せずに見つめ
るだけで、あなたが見る周囲の世界は変わってくるということを伝えられたらと思
う」(283頁)。

 読後、「日本の作家はなんで英語で書かないんだろう」(198頁)という坂本龍
一の言葉が印象に残った。

●887●金谷武洋『英語にも主語はなかった──日本語文法から言語千年史へ』
                      (講談社選書メチエ:2004.1.10)

 「日本語はある状況を、自動詞中心の「何かがそこにある・自然にそうなる」と
いう、存在や状態変化の文として表現する」。つまり「自然中心」の発想・世界観
に裏うちされた「ある」日本語。あるいは「虫の視点」(移動)で状況をコトバ化
する人称代名詞不要・アスペクト優位の日本語。「一方、英語は同じ状況を、「誰
が何かをする」という意味の、他動詞をはさんだSVO構文で示す」。つまり「人
間中心」の発想・世界観に裏うちされた「する」英語。あるいは「神の視点」(不
動)を得た人称代名詞必要・テンス優位の印欧語。

 ここまでならよくある(現在に固有な現象を普遍化し過去に遡及して見出す)「
比較」文化論の別ヴァージョンでしかない。面白いのは、西洋語の「自然離れの航
海」を遡って古英語と日本語の構文の類似を確認し、印欧語古語に見られる「中動
相[Middle Voice]」(形は受動相、意味は能動相)を「印欧語における無主語文」
と喝破し、黙殺された三上(章)文法=土着の文法へのオマージュで結ばれる後半
部。

 ──柄谷行人は「ネーション=ステートと言語学」で「一九世紀の史的言語学[
印欧比較言語学]は、ネーション=ステートの拡張としての帝国主義のイデオロギ
ー」であったと書いている(『ネーションと美学』176頁)。著者は本書でイデオ
ロギーとしての日本語文法の解体修復を試みている。

●888●斎藤環『解離のポップ・スキル』(勁草書房:2004.1.15)

 「現代はまさに「解離の時代」と呼びうるほどに、この問題は重要な位置を占め
ている」。「本書は私の最初の著作『文脈病』の問題意識を、潜在的に引き継ぐも
のである[『文脈病』の主要な論点の一つは、心的装置を記述するにあたり精神分
析とマトゥラーナらの「オートポイエーシス理論」の相互排除的なパラダイム機能
をいかに使い分けるべきかというもので、解離現象はこうした議論の応用編にうっ
てつけの対象]」。「本書に一貫した問題意識を一言で言えば、いかにして「解離
」を精神分析化するか、ということに尽きる」。以上、「あとがき」からの抜き書
き。

 「ヒューム=ドゥルーズ以来の伝統というべきか、意識ないし心的組織を、多数
の匿名的でダイナミックな作動または因子の束として理解するというポストモダン
的発想に、われわれは長らく親しんできた」(305頁)。「超越論的志向にもかか
わらず、治療を目指すという捻れと矛盾を自覚的に生きること。より具体的な方法
論を、ここでは二つの箴言として示しておこう。/一、判れば判るほど判らない/
二、変われば変わるほど変わらない/超越論的な姿勢のもとに前者を、経験論的な
姿勢のもとに後者を理解すること。超越論と経験論とが抵抗を介して唯物論的に出
会う場所は、常にこのような箴言的態度のもとに、準備されるよりほかはない」(
315-316頁)。以上、「解離とポスモダン、あるいは精神分析からの抵抗」からの
抜き書き。

 ──本書に収められた11篇の論文と3つの対談・鼎談の多くは、雑誌掲載時に読
んでいる。これまで折にふれて頁を繰り、しばしば発想のヒントを得てきたけれど
も、まだ最後まで読み通していない常備本『文脈病』をあらためて読んでみようと
思った。

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