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 ■ 不連続な読書日記                ■ No.251 (2004/07/11)
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 □ 茂木健一郎『脳内現象』
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●884●茂木健一郎『脳内現象 〈私〉はいかに創られるか』
                       (NHKブックス:2004.6.20)

 意識の科学の現状は、物質である脳から心が生み出される第一原理を未だ解き明
かせない「錬心術」の段階にある、と著者は言う。一六世紀西洋の医師にして錬心
術ならぬ錬金術師パラケルススは、人間の精液と血で「ホムンクルス」(人造人間
)を造った。少なくともその著書にホムンクルスの製法を書きつけた。ちなみに、
日本でも西行法師が人骨から人間を造る「反魂の術」を行ったと、中世の説話集「
撰集抄」に書いてある。

 それはともかく、私たちの意識は、あたかもホムンクルスが「小さな神の視点」
(宇宙全体を見渡す「神の視点」=近代科学の視点ではなく、〈私〉という意識体
験の核の周りに中心化された視点)をもって、脳内各領域の神経細胞の活動を見渡
しているかのように成り立っている。それでは、脳という一リットルの空間(フラ
スコ)の中に、いかにして〈私〉というホムンクルス(主観性の座・枠組み)が生
まれるのか。著者は本書で、意識の起源をめぐるこの問いに対して「メタ認知的ホ
ムンクルス・モデル」を提示した。

 このモデルでは、脳のなかの幽霊ならぬホムンクルスは脳の「外」(メタ・レベ
ル)に出て、神経活動を心的状態や言葉の意味といった特定の「クオリア」(意識
の中で同一性が成り立つ形式)として認知する。ここで大切なことはクオリアと〈
私〉(ホムンクルス)が同時に成立することである。

《こうして私たちは、「双対的圧縮」とでも言うべき意識のモデルに到達する。一
方の極では、変項として機能する神経細胞の活動が、空間的・時間的につぶされて
一つのクオリアになる。もう一方の極では、不変項として機能する神経細胞の活動
が、同じく空間的・時間的につぶされて一つの〈私〉となる。そのようにして双対
的につぶされた〈私〉と「クオリア」が出会うことで、単一の〈私〉が、同時並列
的に様々なクオリアを感じている。
 このような、双対的な〈私〉と「クオリア」の出会いが、それぞれ、前頭前野を
中心とする神経細胞の志向的ネットワークと、後頭葉を中心とする神経細胞の感覚
的ネットワークの間の相互作用として実現することで、人間の意識は生み出されて
いる。
 メタ認知的ホムンクルスのモデルの下で、意識の起源はこのように理解されるの
である。》(210頁)

 もちろんこれで問題が解決したわけではない。それは、著者が予言する「不変項
ニューロン」(様々なクオリアをメタ認知する〈私〉を成り立たせる脳内システム
の一部)が未だ発見されていないことを言うのではない。また著者が「最大級のミ
ステリー」と名づけた「意識における完全性」の問題(離散的でノイズに満ちた神
経細胞の活動から、いかにしてプラトン的完全さを供えたクオリアが生み出される
のか)、あるいは「哲学的ゾンビ」の問題(メタ認知的ホムンクルスのモデルで記
述されるシステムが仮にあったとして、それが意識体験を持たないゾンビでないの
はなぜか)が解けていないことを言うのでもない。そもそもそれらは解けるかどう
か分からない。

《一○○○億の神経細胞がつくる相互作用のネットワークの中に意識が生まれるか
どうかは、科学とは独立の問題である。しかし、私たちの意識が実際に存在する以
上、世界は意識が生み出されるようなものとしてあるということを「公理」として
認めざるを得ない。神は、意識を持たないものとして世界をつくり出すことができ
たかもしれないが、実際この世界には意識がある。ならば、そのような事実を前提
に私たちは物事を考えざるを得ないことになるだろう。
 私たちは、意識がメタ認知的ホムンクルスのメカニズムを通して生み出される脳
内現象であるというモデルに達した。このモデルは、意識が生み出される第一原理
を未だ解決するものではないが、少なくとも、意識が因果的、客観的科学法則とど
のような関係にあるかということを説明する。科学は、意識があろうとなかろうと
どちらでもかまわないという。ならば、メタ認知的ホムンクルス・モデルとは、す
なわち、意識の問題の科学からの独立宣言なのである。》(226-227頁)

 世界に意識があることを「公理」として認める意識の学。それは、神話(物語)
と数学、本質存在(力への意志)と事実存在(永遠回帰)、アリストテレス‐トマ
ス主義的(有機体論的)自然観とプラトン‐アウグスティヌス主義的(機械論的)
自然観、そして存在論と認識論を連結(古代ギリシャ的な意味で?)させることか
ら始まるだろう。

 そして、そのためにはまず「賢者の石」が探求されなければならないだろう。(
そのヒントは、たとえばメルロ=ポンティの「世界の肉」もしくはライプニッツの
「モナドの襞」にあるのではないかと思うが、これらは未だその製法が解っていな
い概念の素材でしかない。)

 ──ライプニッツが「モナドロジー」(『世界の名著』)の中で「もしわれわれ
の表象のなかに、傑出した、いうならばくっきりとして、香りたかいところが少し
もなかったら、われわれはいつまでも茫然とした状態に、とどまっていることにな
るだろう」(24節)と書いているのは、クオリアの機能のことだろう。

 また、充実した世界においてはあらゆる物質が結びあっていて、なんでも見える
人の目には「各物体のなかのあらゆるところでいま現に起こっていることがらだけ
でなく、いままで起こったこと、これから起こるであろうことまで読みとることが
できる」のだが、しかし「魂が、自分自身のうちに読みとることができるのは、そ
こに判明に表現されているものに限られている」、というのも「魂は自分のひだを
一挙に開いてみるわけにはゆかない、そのひだは、際限がないからである」(61節
)と書き、「というわけで、創造されたモナドはどれも全宇宙を表現しているが、
特別にそのモナドのためにあてられていて、そのモナドを自分のエンテレケイアに
している物(肉)を、より判明に表現する」(62節)と書いているのは、メタ認知
的ホムンクルス・モデル(第六の知覚としての言語を基礎に据えたモデル?)にお
いて見られた脳の実相のことだろう。

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