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■ 不連続な読書日記 ■ No.250 (2004/07/11)
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□ リチャード・G・クライン他『5万年前に人類に何が起きたか?』
□ 山本貴光・吉川浩満『心脳問題』
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●882●リチャード・G・クライン/ブレイク・エドガー
『5万年前に人類に何が起きたか? 意識のビッグバン』
(鈴木淑美訳,新書館:2004.6.15)東アフリカ・ケニアのエンカプネ・ヤ・ムト(黄昏洞窟)から出土した一三個の
卵殻製のビーズ。ダチョウの卵の固い殻に穴を開け、一個一個周囲をこすり落とし
て精巧なリングにしたてあげられていた。四万年前の人類は生きるためにもっと本
質的な活動をする必要があったはずなのに、なぜ一握りのビーズ作りにこれほど長
い時間を費やしたのか。考古学者スタンレー・アンプローズは、カラハリ砂漠で生活するクンサン狩猟採
集民の「ホサロ」と呼ばれる贈与交換システムに着目した。クンの人々にとって、
ダチョウの卵の殻で作ったビーズの鎖は近隣あるいは遠隔地のバンド(共同体)ど
うしの互助関係を表わす軽量で運搬可能なシンボルである。環境の突然変化によっ
て食料が底をつくと、人々はかねてからホサロで結びついていた他のバンドの領地
に移り援助を受ける。ビーズは長期間・遠距離にわたる「社会安全システムの通貨
」であり「健康保険」もしくは「ライフライン」のようなものなのだ。アフリカの古代遺跡で発見されたビーズがこの種の社会的ギフトであったかどう
かはわからないと著者は書いている。しかし、もしこのビーズにクンの場合と同様
のシンボルとしての意味が与えられていたならば、黄昏洞窟は現生人の行動におけ
る曙光、すなわち「ヒト文化の曙」(the dawn of human culture:本書の原題)
を記録するといえるだろう。シンボル(言語)を用いてコミュニケーションをはかること、そして「現実世界
」についての知的モデルを構築し他人に伝えること、さらに「〜だったらどうなる
?」という仮定の問いに取り組むことは、私たち現生人の特徴にほかならない。「
ヒトの進化という大きな視野でみると、シンボルを用いる行動は、ごく最近に起こ
った新機軸である」。こうして五万年前のアフリカで起こった文化の「ビッグバン」へ到る長い物語が
始まる。本書の読み所は二足歩行に始まる人類の進化史をめぐる探求譚にあるのだ
が、タイトルに惹かれ読み始めた者にとってそれはあまりに長すぎる前史でしかな
い。ようやく最終章になって著者は「ヒト文化の曙」の基盤に関する生物学的・神
経学的仮説を提示する。完全な現生人の脳(言語を獲得した脳)へと発展を促すよ
うな偶然の(遺伝子)変異が「曙」をもたらした。しかしそれもまたあまりに淡々
と慎ましく語られる。物足りない思いが残るが、外連のない誠実な叙述には好感が
持てる。──落ち穂拾いをいくつか。
《ネアンデルタール人もまた食人をおこなっていたとみられるが、日常的な習慣で
はなかった。またこれが絶滅を招いたとしても、影響は一地域の個体群にとどまっ
ていた。とはいえ、私たちの知る限り、大型類人猿は食糧不足の場合でも仲間を食
べることはしない。[略]…栄養目的の食人習慣は、…最後の祖先から受けついだ、
ヒト特有の傾向なのかもしれない。》(151頁)《ジェリソンが指摘するように、言語は一種の第六感である。人々は言語のおかげ
で、他人の主要感覚器官から情報を引き出し、五感を補うことができる。この点で
みれば、言語はきわめて複雑な知的モデルの構築を促す「知覚」のようなものだ。
[略]五万年前に起こった完全に現生人らしい行動の発展──「人間の文化の曙」
──は完全に現生人らしい言語の発展を特徴とするのではないか。さらに、この発
展の一因は神経学的変化にあっただろう。》(158頁)●883●山本貴光・吉川浩満『心脳問題──「脳の世紀」を生き抜く』
(朝日出版社:2004.6.9)21世紀は「脳の世紀」である。脳科学の発展は新たな答えと問いを同時に突き
つけてくる。それにたいしてわたしたちがどう考え行動するのかが問われている。
本書はそのような時代における「脳情報のリテラシー」(脳の世紀を生き抜くため
に必要な基礎知力、すなわち「週末の科学者」が軽々しくかつもっともらしく繰り
出す「科学の知見を不当に拡張したおしゃべり」に騙されないためのリテラシー)
を提案しようとするものである。著者たちは冒頭にそう書いている。そのためまず前半部ではギルバート・ライル(科学の説明と日常の経験との「ジ
レンマ」や「カテゴリー・ミステイク」)とカント(自由と自然法則をめぐる「第
三アンチノミー」)と大森荘蔵(科学的描写と日常描写の「重ね描き」)を決定的
な導きの糸として心脳問題の核心=震源地に迫りその解決=解消を図る。次いで(
本書の意図から言えば中核をなす)後半部において心脳問題を現代的な文脈(コン
トロール型社会と脳工学と脳中心主義のトライアングル)のうちに位置づけその「
政治性」に説き及ぶ。そして終章では「一般化しえない特異な出来事が継起する[
もしくは時間の流れのなかで履歴を重ねながら存在しつづけている]事物の本来的
なありかた」としての「持続」の概念を提示する。戦略性をもって鮮やかに練り上げられた構成(「ジェットコースターに乗ってい
るようなめくるめく展開」と大澤真幸)とそれに相応しい明快な主張をもった本(
「知性の書」と石田英敬)である。なにより巻末の「作品ガイド」で紹介された百
冊ほどの書物から摘み取られたいくつかの概念を巧みにコラージュしていく自在な
語り口が見事だ。「二人で一人」のドゥルーズ/ガタリならぬ「二人合わせて半人
前」(あとがき)の著者たちによるもう一つの『哲学とは何か』。──心という非物質的なものと脳という物質的なものとの関係を問題にするとき、
「心」とは何か、「物(物質・もの)」とは何か、「関係」とは何かが三位一体的
に解明されなければならないと思う。(本当は「問題」とは何か、あるいは誰が問
題にするのか、そして解明するとは何かを含めた四位一体的な考察を通じて第五の
問題として心脳問題が浮上してくるのだと思う。)その意味で本書では科学者たちによる「物質とは何か」(物質としての生命=シ
ステムとは何かを含む)をめぐる思考があまりにも早々と切り捨てられている。(
だから前半部のうち物質としての脳の研究史をめぐる長い挿入が完璧に浮いていて
本書の唯一の構成上の疵となっている。)またそもそも本書では「心とは何か」を
めぐる叙述にほとんど見るべきものがない。(だから大森荘蔵流の心脳問題の解決
=解消や最後に出てくる「持続」の概念にそれほどの衝撃や迫真性が伴わない。そ
こでいったい何が解消され持続するのかがよく判らない。)でも本書の核心は間違
いなく後半部にある。心脳問題が孕んでいた現代的な意味を白日のもとにさらした
本書後半部の達成はそれだけで充分素晴らしい。〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
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