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 ■ 不連続な読書日記                ■ No.244 (2004/06/14)
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 □ 結城英雄『ジョイスを読む』
 □ ダン・ブラウン『ダ・ヴィンチ・コード』
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●868●結城英雄『ジョイスを読む──二十世紀最大の言葉の魔術師』
                         (集英社新社:2004.5.19)

 ブルームズデイ百年祭までには、つまり2004年6月16日までには、『ユリシーズ
』を読み終えたかった。でも、かなわなかった。そのかわり、にはならなかったけ
れど、本書を読んで、『ダブリンの市民』に痺れて以来のジョイス熱が再発し、『
ユリシーズ』再読への、そして『フィネガンズ・ウェイク』挑戦への、意欲をかき
たてられた。「ジョイス産業」にどっぷりと身と心を浸した著者の、たとえば、「
こうしてスティーヴンは単一の視点を求め、ブルームは多様な視点を包摂する。ス
ティーヴン的なものからブルーム的なものへのジョイスの文学的転換はモダンから
ポストモダンへの転換と言い換えることもできるだろう」(144頁)といった、い
かにも業界向けの、何事かを語りながら結局は何も語っていない、内容空疎な、し
かし、だからこそ好感がもてるし、読者を「楽しいジョイス」へと誘ってやまない
叙述を透かして、重ね書きされたジョイスの豊饒な文学世界が浮かびあがってくる。
本書がふんだんに提供してくれる、入門者向けの情報のなかで、『ユリシーズ』を
めぐるT・S・エリオットの評価と、ヴァージニア・ウルフのアンビバレントな辛
辣との対比が、とりわけ面白かった。──これは雑談だけれど、『ユリシーズ』を
読むマリリン・モンローの写真を見たことがある。あれは好きだ。

●869●ダン・ブラウン『ダ・ヴィンチ・コード』
                    (越前敏弥訳,角川書店:2004.5.30)

 読み始めてすぐに『奇岩城』(原題「中空の針」1908−1909)や『813』(副
題「アルセーヌ=ルパンの二重生活」1910)や『続813』(副題「アルセーヌ=
ルパンの三つの犯罪」1917)といったモーリス=ルブランの作品が思い浮かんだ。
暗号推理の傑作というだけではなくて、冒険の始まりを告げる作品の雰囲気がとて
も似ているように思った。読み進めていくうちに(映画で観ただけの)『ハリー・
ポッター』を思い浮かべるようになった(上巻230頁にその名が出てくる)。読み
始めたらとまらない徹夜本の気配が濃厚に漂ってきて、くっきりとした映像が頭の
中で自在に動き出した。

 上巻から下巻に進む頃になると、ダイイング・メッセージや暗号の解読といった
パズル小説の趣から、編集され重ね書きされた歴史の謎をめぐる神学ミステリーへ、
そして「シオン修道会」や「オプス・デイ」(神の御業)が入り乱れての聖杯探求
譚へと物語は一気にドライブしていった。これほどの素材、趣向をこれほど軽やか
に描いたエンターテインメントにはそうめったに出会えるものではない。

 それだけではない。『ダ・ヴィンチ・コード』が遡り解き明かした謎は、封印さ
れた歴史の闇だけではなかった。西欧原産の「文学」の源流、すなわち神話や伝説
(暗号)が伝承するものとその復号化。そしてエンターテイナーの源流、すなわち
トゥルバトゥール。これら二つのことが、『ダ・ヴィンチ・コード』の最終場面に
出てくる次の文章と響き合っている。

《「わたしたちの魂のたすけとなるのは謎と驚きであって、聖杯そのものではない
のよ。聖杯の美ははかなさにこそ本質がある」マリーは礼拝堂を見あげた。「ある
者にとって、聖杯は永遠の命をもたらす杯。またある者には、失われた文書と謎め
いた歴史への探究。そして大半の者にとって、聖杯はただの壮大な幻想……今日の
混沌とした世の中においてさえ、わたしたちに希望を与えてくれる、すばらしい夢
の宝物ではないかしら」/「しかし、サングリアル文書が隠されたままなら、マグ
ダラのマリアの話は永遠に失われてしまう」/「そうかしら? まわりを見てごら
んなさい。彼女の話は芸術や音楽や本のなかで語られているわ。日々増してさえい
るかもね。振り子は揺れているのよ。人類の歴史と……破壊の道の危うさを、だれ
もが理解しはじめている。そして、聖なる女性を復活させる必要も」マリーは間を
置いた。「聖なる女性の象徴について原稿を書いているとおっしゃったわね」/「
ええ」/マリーは微笑んだ。「ぜひ書きあげてね、ミスター・ラングドン。彼女の
歌をうたってちょうだい。世界は現代の吟遊詩人を求めているのよ」》(下巻294-
295頁)

 本書を読み終えて、二つのことが頭に浮かんだ。一つは、「英文学」の始まり十
九世紀のインドであった、という『ジョイスを読む』(結城英雄)の『ユリシーズ
』を解説した箇所(139頁)に出てくる指摘。(ジョイスにとって英語は植民者の
言葉だった。)いま一つは、同じく『ジョイスを読む』の『フィネガンズ・ウェイ
ク』を解説した箇所(157-158頁)に出てくる、「ジョイスは書いては圧縮し、さ
らに追加しては圧縮することを繰り返した。重ね書き(パリンプセスト)とも呼べ
るし、漆塗りの技法にたとえる人もいる」という文章。(ジョイスの文章は「ケル
ズの書」に現れるケルト渦巻き文様にもたとえられる。)これら二つのこともまた、
ロスリン礼拝堂で交わされた上述の会話と響き合っている。(レックス・ムンディ
=世界の王キリストとケルト。黒いマリア=マグダラのマリアとケルト。)

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