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 ■ 不連続な読書日記                ■ No.238 (2004/05/23)
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 □ 河合隼雄『ココロの止まり木』
 □ 河合隼雄『明恵 夢を生きる』
 □ 河合隼雄『とりかへばや、男と女』
 □ 白洲正子『両性具有の美』
 □ 河合隼雄対談集『物語をものがたる』
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●851●河合隼雄『ココロの止まり木』(朝日新聞社:2004.5.30)

 河合隼雄の顔は怖い。直接言葉を交わす機会はなかったけれど、講演会などで何
度か「肉顔」に接し、映像や写真で眺めるたび、そう思ってきた。なにもかも受け
入れ、包み込んでしまう怖さとは違う。慈顔と鬼面が交錯する、というか騙し絵の
ように共在している。人間的迫力といってしまえばそれまでだろうが。──先日、
東京で「わたしのリーダー論」と題された講演を聴いた。手を伸ばせば握手できる
くらいの近くにいて、気のせいだろうが時々視線がからまった。「知の巨人」とい
う主催者の紹介に「知の阪神」にしてくれ(河合長官はトラキチ)と応じるギャグ
に始まって、数分に一度の爆笑、微苦笑、くすくす笑い、ときおり飛び出すウソか
ホントかわからない与太話(なにしろ長官はNUC、日本ウソツキクラブの会長。
講演後の二次会で、ホントのことを言うためにはウソをつかなきゃならんと仰って
いた)と、絶妙の話術に心地よく手玉にとられながらも、やっぱり時々怖かった。

 講演は、日本神話の構造からとられた「中空均衡型」、つまり全体との調和を旨
とする何もしないタイプのリーダーシップと、言葉による説明と原理に立脚した西
洋流の「中心統合型」リーダーシップとの比較から始まった。先行モデルに「追い
つけ、追い越せ」でやってきたこれまでの日本は「中空均衡型」でもよかった(あ
ーうー、言語明瞭意味不明、オブツとかオダブツさんとか呼ばれた総理のことを思
えばいい。でも、二次会で河合長官は、ライオン丸との比較で大平、小渕両元首相
の国を思う心を讃えていた)。だが、これからはそうはいかない。否応なしに西洋
の流儀と真っ向から対峙しなければならなくなった。これからのリーダーは、中空
均衡と中心統合を意識して使い分けなければいけない。危機存亡の時は中心統合(
私にまかせろ)、成功したらば中空均衡(皆様のおかげです、私は何もしませんで
した)。カルロス・ゴーンはまさにそれで成功した。20世紀の歴史は資本主義対社
会主義で動いてきたが、私(河合)に言わせるとそれは二本槍と一本槍の闘いだっ
た(資本主義国はどんどん社会主義的政策を導入してきた、純粋な資本主義国など
ない、社会主義はその原理上、資本主義を取り入れることはできない)。勝ったの
は二本槍で、21世紀は異なるものの共在という矛盾にいかに対処していくかが課題
である。

 話がここまで進んだとき、ふと思いあたった。河合隼雄の顔は中空均衡と中心統
合との均衡、あるいは統合そのものだったのだ。東京までの「のぞみ」の中で読ん
だ『ココロの止まり木』に、南伸坊が河合隼雄の顔を「とても気持のいい笑顔と、
むちゃくちゃに迫力のある、眼光の鋭さを持った不思議な顔面の持主」と評したこ
とが紹介されていた(「顔」)。これを受けて「エビス顔とヤクザ顔をブレンドす
ると、カウンセラーの顔になる」とあるのには根拠があって、「心の病を持った人
に適切に接してゆくためには」仏の優しさと同時に不動明王の怒りのような厳しさ、
コワサがなくてはならないと著者は別のコラム(「仏の姿」)に書いている。矛盾
にいかに対処するかという問題の解がここにある。「私のようにたくさんの人の相
談に応じてきた者は、人生に偶然はつきものと思う。偶然によって途方もない悲劇
や幸運が実際に生じるのだ」(「ナンセンスな人生」)とか、「心理療法の過程の
なかで、立ち直っていった人たちは、すべて「起こり得ないこと」を経験している
」「言うならば、「起こり得ないこと」は「必ず起こる」のである」(「起こり得
ないこと」)など、文化庁長官らしく歌舞伎(『菅原伝授手習鑑』)やオペラ(『
フィガロの結婚』)やシェークスピア劇(『ペリクリーズ』)に託して語られるこ
れら言葉は、いずれも同じ根から発している。大賢は大悪に似たり。

 講演会は聴衆との活発なやりとり(質問が終わらぬうちから講師は話し初め、よ
しもとばななが語る父のこだわり「寝るなら雨戸を閉めろ」とか、『とりかへばや、
男と女』につながる父性原理と母性原理の拮抗譚など止まるところを知らず、講演
をもう一本おまけで聴いているようで、談論風発とはまさにこのこと)といい、そ
の後の二次会での応酬(たとえば、毎日新聞の岸井成格さんが「『バカの壁』は長
官の話を脳にあてはめたものではないか、つまり脳=中空均衡説である」と切り出
すと、長官は「そうなんです、養老さんは面白いですよ」と応じ、その後話題は「
光源氏=中空説」へと転じ「源氏物語は浮舟を読めばよい」という有益な助言が飛
びだした)といい、とんでもなく豊饒な時間の記憶を残して終わった。なかでも印
象深かったのは、死後の生はあると思われますかとの問いに、たぶんあると思うと
答えられたこと。『ココロの止まり木』でも死のテーマは、通奏低音のように家族
や思春期の問題など他の反復するテーマと響きあっていた。世界で唯一の存在であ
る「私」を自覚するのはどうも10歳あたりらしい(「「私」の発見」)という指摘
ともども、心の深いところに落ちていった。

●852●河合隼雄『明恵 夢を生きる』(講談社+α文庫:1995.10.20/1987)
●853●河合隼雄『とりかへばや、男と女』(新潮社:1991.1.25)
●854●白洲正子『両性具有の美』(新潮社:1997.3.25)
●855●河合隼雄対談集『物語をものがたる』(小学館:1994.2.10)

 講演会と二次会での河合隼雄のしたたかで懐の深い二つの顔(ウソツキクラブ会
長の顔と鋭い政治観察者の顔、エビス顔とヤクザ顔)を見てにわかに読みたくなっ
たので、手近にあったいくつかの著書と関連する(と思った)白洲正子の本をぱら
ぱらと眺めた。『紫マンダラ 源氏物語の構図』は再読。といっても前回(No.141
)同様の拾い読みなので、同じく摘み読みに徹した上記の四冊(いずれも初見)を
含め、目下の関心事にひきつけて印象に残ったことをいくつかメモしておく。

 『紫マンダラ』で、白洲正子の『いまなぜ青山二郎なのか』から「三角関係のひ
とつのあり方を示す卓見」が引用されていた。「中原中也の恋人を[小林秀雄が]
奪ったのも、ほんとうは小林さんが彼を愛していたからで、お佐規さん[長谷川泰
子]は偶然そこに居合わせたにすぎない」「男が男に惚れるのは『精神』なのであ
り、精神だけでは成り立たないから相手の女(肉体)がほしくなる」。

 『とりかへばや物語』を知ったのは明恵の『夢記[ゆめのき]』研究を通じての
ことだと、河合隼雄は『とりかへばや、男と女』のあとがきに書いている。『夢記
』の「性夢」などに出てくる女性像の変化(端正な女性から「以ての外に肥満」し
た女性へ、クライマックスとしての「善妙の夢」へ)は明恵の内的な成熟を示して
いる。「明恵は…女性との肉体的接触を拒否することによって、はじめて女性との
真の接触を可能にしたのである。これはなんともすごいパラドックスである」「た
だ明恵の仕事は、あまりにも他の日本の人々とスケールが異なっていたので、その
真の後継者は一人もなかったと言えるだろう」「彼のなし遂げたことは、わが国が
西洋の文化と接触し、本当の意味でのそれとの対決がはじまろうとしている現在、
意義をもつのではないか、と筆者は考えている」(『明恵 夢を生きる』317頁)。

 その『明恵 夢を生きる』のことが『両性具有の美』の「粘菌について」に出て
くる。白洲正子に南方熊楠を読むよう勧めたのは小林秀雄で、小林は「あんなに記
憶がよくて、いつ物を考えるのだろう」と読後の感想を述べたという(「浄の男道
」)。──小林秀雄の名が出できたので一応の結構がついたが、いま一つ。『とり
かへばや、男と女』の第四章「内なる異性」の第5節「協会への挑戦」で、エリア
ーデによる両性具有化の儀礼(イニシエーション)やシャーマンの両性具有の話題
が、境界例(精神分裂病と神経症の境界に存在する症状で、境界例の人の夢には性
変換の夢がよく生じたり、実際行動の上でも女性が男言葉を使う、男性がなよなよ
と女らしくふるまうといった性同一性の混乱が見られる)の現代的意味に関連づけ
て述べられていた。

 おまけをもう一つ。河合隼雄との対談「能の物語・弱法師」での白洲正子の発言。
《私、ちょっと気になったのは、神話学者のヴァルダー・オットーという人が『デ
ィオニュソスの一生』で、こんなことを書いているのです。「仮面とは出会いその
ものである。出会い以外のなにものでもなく、対面以外のなにものでもない、仮面
には裏がなくて、霊には背がないとことわざにいわれていることと同じように」。
そういう意味のことを詳しく書いているのです。ところが日本の仮面は、ギリシア
の仮面とはちがうのですね。つまり、日本の仮面は向きあうだけのものではなくて、
なかにも向いているわけです。実際にいっても、面の裏がよくないと、とってもぐ
あいが悪いのです。だから霊には背がないといったって、お能だったらあるわけで
す、背中にそういうものをしょっている。》(『物語をものがたる』94-95頁)

 このほか、『ココロの止まり木』で「これまでの仕事の集大成」(「出雲の旅」
)と書かれていた『神話と日本人の心』にも目を通したのだが、これはもっときっ
ちり読み通しておきたいので、ここでは取りあげない。

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