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 ■ 不連続な読書日記                ■ No.237 (2004/05/15)
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 □ 池田晶子『あたりまえなことばかり』
 □ 池田晶子『ロゴスに訊け』
 □ 池田晶子『魂を考える』
 □ 池田晶子『メタフィジカル・パンチ』
 □ 池田晶子『考える人』
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●846●池田晶子『あたりまえなことばかり』(トランスビュー:2003.3.20)
●847●池田晶子『ロゴスに訊け』(角川書店:2002.6.20)
●848●池田晶子『魂を考える』(法藏館:1999.4.10)
●849●池田晶子『メタフィジカル・パンチ──形而上より愛をこめて』
                          (文藝春秋:1996.11.20)
●850●池田晶子『考える人──口伝[オラクル]西洋哲学史』
                          (中央公論社:1994.9.7)

 勤め先の近くの古本屋で『新・考えるヒント』を300円でゲットした。たぶん
一度も本屋の店頭に並んだことはないだろう美麗本で、こんな掘り出しものを見つ
けた日はとても心豊かに時間がゆったり流れていく。でもたいがい読まずに飾って
しまう。だいだい池田晶子の本はこれまでからほとんど読み通せない。『ヒント』
の巻末に著書リストが載っている。単著が17冊、共編著が2冊(ここにあがって
いない本もあったはず。処女作『最後からひとりめの読者による「埴谷雄高」論』
とか『メタフィジカ!』とか)。ソクラテス三部作以外は一度は手にしたが、最後
まで読み通したのは初期の三冊『オン!』『事象そのものへ!』『考える人』と最
近の一冊『14歳からの哲学』で、あとは読み囓り。

 むかし柄谷行人の本がなかなか読み通せなかった。途中で思考がかってに動き出
して、無理して読み通すと頭が固まってしまう。それとはちょっと違うが、池田晶
子の本も一気に読み通すのがしんどい。一つにはその文章の質のせいだと思う。思
考と表現の一致。たしかそのような趣旨の言葉がどこかに書かれていた。考える(
哲学)とは、考えてもわからないことを考えることだ。考えることと書く=表現す
ることとは本来別物だ。『あたりまえなことばかり』に収められた「プラトン、ロ
ゴスの果て」にはこう書いてある。《思考することは表現することを決して要求し
ていない。思考は、ある意味では、あらゆる表現がそれによって可能になるもの、
それをこそ思考しているからである。プラトンによって、それは「イデア」と呼ば
れた。》(40頁)

 言葉で表現できるくらいなら、考えなくてもわかっている。最初からわかってい
ることなら、そもそも書く必要がない。だからこそ思考と表現の一致なのだ。保坂
和志が「小説というのは読んでいる時間の中にしかない」と言っているのとたぶん
同じことなのだろう。ちなみに保坂が『書きあぐねている人のための小説入門』で
書いていることは、小説=文学=芸術=表現全般に言えることだし、もっと言えば
哲学にも妥当する。思考と表現の一致。理性[ロゴス]と言葉[ロゴス]の一致。
「物の秩序・連結」と「観念の秩序・連結」の一致(『エティカ』第2部定理7)。
思想と生活の一致。「四六時中溌剌と生きて、生活の隅々まで浸透していなければ、
思想とは認められないというのが彼ら[青山二郎と小林秀雄]の思想であった。」
(白洲正子)

 池田晶子ほど「思考を言語で表現することのパラドックス」(「プラトン、ロゴ
スの果て」)に自覚的な書き手もいない。「私」とは「池田某」の謂ではなくて、
「理性」(考えること)の謂である(『ロゴスに訊け』155頁)。そんな台詞をぬ
けぬけと口にするのだ。「哲学の巫女」が書いた、いやオラチオした本に難渋する
のは、だから読み流せないことにある。一字一句とまで言わないまでも、一頁に一
度はつまずく。受動的に読むことを拒む、というか嘲弄する文体なのだ。野蛮と含
羞の一致。あるいはピュアな凶暴さ。本人はそれを「逆説と反語」ないし「諧謔と
意地悪」と表現している(『あたりまえなことばかり』あとがき)。

 『新・考えるヒント』を読む前に、読み囓りのままでたまたま手許にあった池田
某の本を四冊ばかりと、雑誌(その昔、岩波から出ていた『よむ』)連載時から愛
読していた一冊とを並べてしばし観察してみたら、あらためて池田某にとっての小
林秀雄の存在の大きさに気づかされた。といっても小林某の名が時々出てくる(『
メタフィジカル・パンチ』には「小林秀雄さん」と「小林秀雄への手紙」というエ
セーまである)といった程度のことなのだが、これはひとつの発見だった。(もう
一つ、『ロゴスに訊け』の「書けない!」という文章に「口伝・大論理学」の話が
出てくる。いつ完成するのだろう。)

◎『考える人』
 「はじめに 哲学とは何か、むしろ哲学者とは何者か」で「様々なる意匠」の一
節が引用される。「人は様々な真実を発見することは出来るが、発見した真実をす
べて所有することは出来ない、或る人の大脳皮質には様々な真実が観念として棲息
するであろうが、彼の全身を血球と共に循る真実は唯一つあるのみだ」。池田晶子
はここから「血球的真実」というキーワードを抽出している。

◎『魂を考える』
 「〈魂〉の感じ方」というエセーでも「様々なる意匠」の同じ文章がその前後と
ともに引用されている。「しかし彼は彼以外のものにはなれなかった。これは驚く
べき事実である。」「…血球と共に循る一真実とはその人の宿命の異名である。」
《ある人を他の人ではなくその人たらしめているところの「真実」とは、〈魂〉で
ある。明らかに小林はそう言っている。(略)作家もしくは作品とは、とりも直さ
ず、〈魂〉である。そうでしかあり得ないその人の必然である。小林は常にそれを
見ている、そしてそれしか見ていない。常にそれしか見ていないのだが、それが言
語によって論じられる際、作家もしくは作品というあきらかな具体がそこにある。
それで、〈魂〉というそれ自体では扱いかねる抽象も、語り得るものとなるわけな
のだが、失敗したのが、あのベルクソン論だ。/小林は、そこで、いきなり〈魂〉
を論じようとしたのだ。誰かや誰かの作品によせてではなく、いきなり〈魂〉、そ
れ自体を論じようとしたのだ。しかし、誰かや誰かの作品としての〈魂〉ではなく、
誰でもない〈魂〉それ自体を書くとは、言ってみれば、キャンバスに描かずに空中
に描こうとするに似た困難ではなかろうか。》(60-61頁)

◎『メタフィジカル・パンチ』
 「小林秀雄への手紙」(第一信、第二信)は「連綿たる恋文」だった。だからこ
っそり覗き見するだけで、抜き書きなど姑息な真似はよそう。──「小林秀雄に惚
れている私は、実は何に惚れているのだろう。」(105頁)「『意匠』によって精
神にカツを入れ、『宣長』によって精神を慰労する、そういう読み方を私はしてい
る。」(109頁)
《「私は」「私は」と人は自身を語り、対象を語る。しかし、どの私であり、何が
私なのか、知ってしまった小林には、全てがあまりに明瞭にみえすぎた。そうだ、
私は対象を語る。しかし、私が語るのではない、対象が語るのだ。私は、対象を語
る私を語るのではない、対象が語ることを語るのみである。自在なり自己、その正
体は、無私である。同様の理由によって、今日の様々なる意匠の皆様には、形而上
学的一撃[メタフィジカル・パンチ]。》(「小林秀雄さん」,108頁)

◎『ロゴスに訊け』
 わが国の「考える文章」の最高峰、小林秀雄が『本居宣長』に書いた一節(宣長
は「終点から引き返して来るような書き方に、自ずから誘われた」云々)が引用さ
れ、それに続けて、「「読む」ということに関わる根本的な努力を人々が忘れてい
る」。
《噛まなくてもすむお粥みたいな文章ばかりがよく売れて、哲学書ですらそんなふ
うに読めるものと勘違いされているから、普通の日本語なのに何を言っているかよ
くわからない池田の本などちっとも売れない。無理もない。/小林秀雄が(的はず
れながらも)よく論評されるようには、池田の本は誰も論評してくれないから、自
分で論評するしかなくなる。自画自賛になっても仕方ないじゃないの。》(「哲学
の真髄は逆説にあり」,127頁)

◎『あたりまえなことばかり』
《小林秀雄の文章には、なぜ笑いがないのかということが、私の年来の疑問である。
実生活では、野卑な笑いを笑う人だったように思えるのだが、なぜその文章には笑
いがないのか。書く時、書くことは、ひたすら真面目である。なぜなのか。/「一
流」ということに関連しているのではないかという気がする。彼の一流志向、一流
好みは、常に史上の一流、天才のみを素材として俎上に乗せるから、それにふさわ
しく襟を正して端座する。そういうことだったのかもしれない。そして、彼が描く
のは、天才の「精神」、それがそれぞれに存在と格闘する現場であって、存在その
ものの側ではなかったからなのかもしれない。》(「哲学と笑い」,70頁)

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