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 ■ 不連続な読書日記                ■ No.236 (2004/05/09)
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 □ 植島啓司『「頭がよい」って何だろう』
 □ 小林昭七『なっとくするオイラーとフェルマー』
 □ 中村亨『数学21世紀の7大難問』
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●843●植島啓司『「頭がよい」って何だろう
      ──名作パズル、ひらめきクイズで探る』(集英社新書:2003.9.22)

 植島啓司といえば『男が女になる病気』とか『快楽は悪か』とか『オデッサの誘
惑』とか『聖地の想像力』を想起するけれど、なぜ「名作パズル、ひらめきクイズ
で探る」なのだろう。あるホームページ※に「1947年東京生まれ。アジアの宗教と
文化、生態系、コミュニケーション論などに興味をもち、なお競馬、麻雀のプロを
かつては自称、飲み、打つを実践しつつ宗教を人間的な出来事としてとらえようと
する」と書いてあった。このあたりに手掛かりがあるのか(たとえばコミュニケー
ションとパズルの関係とか、シャーマニズムとクイズとか)ないのか、などと考え
ていたら、あとがきに答えが書いてあった。
 ※ http://www.natureinterface.com/j/ni05/P20-21/

 ある日、ブルトンとカイヨワの前にメキシコからいんげん豆が届いた。どういう
わけか、手も触れないのに跳ねる。中に虫がいるに違いない、すぐ豆を割いてみよ
うとカイヨワ。ブルトンは、その不思議に陶酔していたいので、そのままにしてお
こうという。

《このエピソードこそが本書と宗教人類学(著者の専門分野)とを結びつけるもの
である。キイワードは「不思議大好き」。つまり、「われわれが理解できないもの
(たとえば、霊魂)は存在しないのではなく、別のレトリックによって支配されて
いるのではないか」ということである。宗教を信じるか否かというような問題はな
かなかデリケートで、ここで観単に述べられるようなことではないが、少なくとも、
この世には人智の及ばない「わからない」事柄がたくさんあって、なにもかも「わ
かる」ことよりも、そのほうがずっとすばらしいことなのだと、ここでは協調して
おきたい。》

 もう一つ答えが用意してあった。「おわりに〜巻末解答編」に書かれているのも
なにか意味深長だが、それは件の「ディスコミュニケーション」の概念──「ただ
伝達できればいいという時代は、実は一○年以上も前にすでに終わっている。これ
からは、何が伝達されないのか、どうして伝達されないのか、さらに、どうしたら
伝達なしに済ませられるのか、という問いをあらためて立てなければならないだろ
う。」(174頁)──に関連させて述べられていた。ことは「思考の原初形態」に
かかわるというのだ。

《いかにしたら、そうした思考の根源的な働きへと立ち戻ることができるか、とい
うことである。そう、自然環境や食べ物だけではなく、思考にもエコロジカルな発
想が必要なのである。(略)サム・ロイドのパズルもそうなのだが、むしろ、なぞ
なぞやマジックや語呂合わせや目の錯覚の中にこそ、数百年(あるいは数千年?)
にわたって脈々と伝えられてきたわれわれの思考の本質的な部分が隠されているの
である。今後それらを楽しみながら徹底的に検証しなおしていきたいと思っている。
》(176-177頁)

 なんとなく解らないでもないが、「幼いときからパズルとかクイズとかトリック
の類が好きだった」(201頁)と言われる方が素直に得心がいく。この「幼いとき」
というのがキイワードだと思う。

●844●小林昭七『なっとくするオイラーとフェルマー』(講談社:2003.1.30)
●845●中村亨『数学21世紀の7大難問──数学の未来をのぞいてみよう』
                      (ブルーバックス:2004.1.20)

 宗教人類学とパズル、あるいは思考の原初形態とクイズ(植島啓司『「頭がよい
」って何だろう』)ではないけれど、哲学と科学と芸術の三組み──ドゥルーズと
ガタリが『哲学と名何か』で関連づけている三組み、あるいは保坂和志が『書きあ
ぐねている人のための小説入門』で哲学、科学、小説の三つによって包含されてい
るのが社会・日常であって、その逆ではない」と言っている三組み──と数学との
関係、より端的に言えば脳と数学との関係を考えることはとても楽しい。

 でもこのことを考えるためには、数学を使えなくてはならない。骨董は買ってみ
なければわからない。それと同じで、数学も使ってみなければわからない。いや、
哲学だって身体を使って考えてみなければわからないし、科学だって芸術だって同
じこと。たとえばゼータ関数と森羅万象、つまり実在との関係に強烈に惹かれるの
であれば、実在の襞のなかに分け入るようにしてゼータ関数をわが身をもって味わ
ってみなければならない。外国語をマスターするのと、要は同じこと。

 そこまではわかっている(ほんとうに?)。だから何度も何度もチャレンジしよ
うと手を出すのだが、語学と同じで、すぐ頭を使って割り切ってしまいたくなる。
で、教科書や入門書や啓蒙書の類が消化不良のまま累々と積み重なっていく。もし
かすると数学は、武道や芸事と同じで、師匠について実地にたたみこんでいかない
と身につかないのかもしれない。

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