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 ■ 不連続な読書日記                ■ No.230 (2004/05/03)
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 □『僕たちの好きな村上春樹』
 □ 加藤典洋編『村上春樹 イエローページ』
 □ 加藤典洋編『村上春樹 イエローページ PART2』
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●818●『僕たちの好きな村上春樹』別冊宝島743(宝島社:2003.3.27)

 最近、しきりに村上春樹の短編小説を読みたいと思う。全集でしか読めない未読
の作品もあるけれど、文庫本で読むのがいい。『中国行きのスロウ・ボート』『カ
ンガルー日和』『螢・納屋を焼く・その他の短編』『回転木馬のデッド・ヒート』
『パン屋再襲撃』『TVピープル』『レキシントンの幽霊』『神の子どもたちはみ
な踊る』。なにしろ装幀がいい。『スロウ・ボート』以外はどれも文庫本で500
円以下の薄さ。この薄さがいい。(保坂和志の文庫本もみな薄い。)

 『僕たちの好きな村上春樹』に出てくる「不思議な多面体ハルキワールド」とい
う言葉は、短編小説にこそふさわしい。「作者はこれまで短編小説において、未来
を占う様々な実験を試みてきた」(辻本圭介,141頁)。村上春樹において、長編
(物語)に対して短編(実験小説)がもつ意味は何か。別にそんなことを考えるた
めでなくても、村上春樹の全短編(全集収録作品も含めて)を読み通すのは心躍る
試みだと思う。

 以下、クロニクル・ハルキワールド(「時代の喧噪から遠く離れて、消えゆく声
に耳を澄ます。それが春樹文学だ」)からの切り抜き。──「49-69 日本が沸点へ
向かう時、春樹は大人になった」「70-79 皆が居場所を探し始める。春樹文学を作
った十年」「80-82 春樹は新しい作家になった。見た目は「安定」の80年代幕開け
」「83-84 より力強い物語を。作家の想像力が発熱する」「85-87 作家が描いた「
世界の終り」。日本は繁栄の頂点へ」「87-89 バブルへ向かう日本。作家は遠く離
れた島へ行く」「90-92 作家はふたたび海の向こうへ。世界が仕組みを大きく変え
る」「93-94 作家は井戸を掘り続ける。バブル崩壊、溶け始めた日本」「95-97 作
家の想像力に何が起こった? 故郷が、国が崩壊する」「97-99 出口のない社会の
裏側で、作家は小さな声を拾い集める」「00-01 21世紀幕開け。異様な様相を頁呈
す世界。新しい物語は生まれるのか?」

●819●加藤典洋編『村上春樹 イエローページ』
              作品別[1979〜1996](荒地出版社:1996.10.10)
●820●加藤典洋編『村上春樹 イエローページ PART2』
               作品別[1995〜2004](荒地出版社:2004.5.1)

 中国で『ノルウェイの森』がベストセラーになっている。販売禁止になった『北
京ベイビー』を17歳で書いた春樹(チュン・シュ)も、村上作品のなかでは『ノル
ウェイの森』が一番好きだという(『ソトコト』5月号の記事、ちなみに「春樹」
というペンネームは台湾の詩人・古龍の作品からつけたもの)。

 『PART1』によると、『風の歌を聴け』(79年)は「金持ちなんて・みんな
・糞くらえさ」(金持ちの「鼠」が吐くセリフ)という過去のモラルのバックボー
ンである否定感情の前に、「気分が良くて何が悪い?」(「僕」が親炙する小説家
デレク・ハートフィールドのエッセイ集のタイトル)というまったく新たな肯定の
感情を対峙させ、そうした「ポップスな気分」によって書かれた(日本で)最初の
小説である。

 そして、村上春樹が「きわめて個人的な小説」だという『ノルウェイの森』(87
年)は内閉世界からの回復を描く物語、それも『世界の終りとハードボイルド・ワ
ンダーランド』(85年)のように自分との関係で描くのではなく他者との関係で描
いた物語である。村上自身が付したキャッチフレーズ「100パーセントの恋愛小
説」は、まさにこの小説が他者との関係で描かれた内閉からの回復の物語だという
ことを表わしている。(『ソトコト』の特集「懐かしい未来、北京へ」を読むと、
「“プライベート”こそが現在の中国のキーワードなのだ」と書いてある。)

 ところで、『PART2』に次の文章が出てくる。

《いまわたし達のいるところから見れば、『風の歌を聴け』以来の村上の初期作品
がいまなお日本で読まれているのは、もうけっしてかつてのようなイノセンスや「
喪失」やデタッチメントのためではない。そうであれば、それはもう、現在の中国
や韓国でならいざ知らず、少なくとも現在の日本社会でなら、時代遅れとなってい
るはずだ。それらはいまも、日本の若い読者に広く読まれ続けているが、その理由
は、もう以前とはたしかに違うものなのである。》(209-210頁)

 ここに出てくる「違い」とは、第一期(79年〜95年)の村上春樹の文学の「スト
ラクチャー」が「その根源に喪失を抱え、都会的な感性のまにまにあるイノセント
なものを追い求める」(206頁)というものであったのに対して、第二期(95年以
降)のそれは「デタッチメントから、コミットメントへ。「イノセンス」から、「
広義の意味での愛情」へ」(210頁)と表現されるものであること。

 あるいは、第一期の村上の作品が「「こちら側」と「あちら側」という二つの世
界からなるパラレル・ワールドの構造をもっていた」(20頁)のに対して、阪神淡
路大震災と地下鉄サリン事件を通過した第二期では、「先端的な都市風俗を体現す
る、しゃれた、ビールと糊のきいたチノパンで代表される、いわば文学的な(?)
現実」によって表現された「こちら側」が二段構えになり、そこに「「ただの人」
が生きる、ふつうのはげちょろけたざらざらした現実」が加わると同時に、「あち
ら側」もまた死の世界=「他界」と、「生きたまま「あちら側」に連れ去られ、身
体は「こちら側」にいるが、魂は死んでいる」ゾンビの世界=「異界」へと分岐す
る(22-23頁)、といったかたちで言い表されるものだ。

 いま、『PART2』の終末と冒頭のサワリの部分だけをつまみ食い的に引用し
た。この本がもつまさに「イエローページ」的な面白さはそのような概論的な部分
にあるのではない。個別の作品の解読を通じて、対位法的な村上春樹の小説世界の
構造が複々線化し充填化されていくスリリングな道行きそのもの、そしてそれを丹
念にトレースすることでもってかつての読書体験が鮮明に、かつ言語化不能な無意
識の「深い闇をくぐって見事に形象化される」(171頁)ことがもたらす快感とと
もに蘇ってくることそのものが、本書の醍醐味なのである。

 しかしそうした加藤典洋の解読は、村上春樹だけに適応可能なものなのではない
かという疑問がわいてくる。村上春樹の作品を読み込むこと、その読書体験の質を
可能なかぎり言語化すること、そのような営みの結果生まれたのが『イエローペー
ジ』シリーズでいかんなく効力を実証した「構造化」の方法だったのではないかと
いうことだ。

 たとえば『小説の未来』で取り上げられた十二の作品のうちもっとも鮮やかな読
みの水準が示されたのはやはり『スプートニクの恋人』で、「戦後の日本ではじめ
ての確信犯的なポストモダン小説」と規定された保坂和志の『季節の記憶』(96年
)の読解は、それはそれで優れたものだとは思うのだが、それは必ずしも「構造化
」の手法が機能したからではない。結局のところ『イエローページ』の面白さとは、
かたちをかえた祖述、語り直しの面白さだったということなのかもしれない。(ち
ょうど、小林秀雄にとってのドストエフスキーのように。)

 いま保坂和志の名前を出したことにはわけがある。それというのも『書きあぐね
ている人のための小説入門』に通りすがりのように村上春樹の名が三度ほど出てく
る(79頁,80頁,82頁)からだ。それらはいずれも「初期の村上春樹の「気の利い
た会話」」をめぐる話題に関してなのだが、その時ふと村上春樹と保坂和志のライ
バル関係というアイデアが浮かんだ。

 保坂和志はデビュー作『プレーソング』(90年)を書いた際、いくつかのルール
を設定した。その第一が「悲しいことは起きない話にする」ということだったのだ
が、その理由は「ネガティブなもの(事件、心理……など)を以て文学」という風
潮が嫌だったからだ。

《…回想する感傷的な小説はひじょうに書きやすい。小説にはネガティブな磁場が
充満しているから、何を書いても簡単にさまになってしまうのだ。/私はその磁場
を徹底的に拒絶する闘いをやったわけだが、その結果は皮肉なことに、ほとんどの
読者にはただ「平板」とか「眠たい感じ」としか受け取られなかった…。》(65頁)

 このくだりを読んだとき、私は「100パーセントの回想小説」『ノルウェイの
森』を想起したのだ。保坂和志はあきらかに村上春樹を意識している。というか、
反・村上春樹の立場を鮮明にしている(?)。

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