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 ■ 不連続な読書日記                ■ No.218 (2004/02/14)
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 □ ポール・オースター『孤独の発明』
 □ ポール・オースター『消失』
 □ ポール・オースター『空腹の技法』
 □ 飯野友幸編『現代作家ガイド@ポール・オースター』
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●780●ポール・オースター『孤独の発明』(柴田元幸訳,新潮文庫:1996.4.1)

 私は昔から、架空の書物をめぐる空想にふけるのがとても好きだった。(たとえ
ばベルクソンの『物質と記憶』とハイデガーの『存在と時間』を足しで二で割って
できる「物質と時間」「存在と記憶」の二冊の未生の哲学書。)

 また、実在しない書物について書かれた文章にいたく刺激を受けてきた。いま咄
嗟に思い出せるかぎりでいくつか例をあげてみると、村上春樹の『世界の終りとハ
ードボイルド・ワンダーランド』の巻末に、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの『幻獣辞
典』と並ぶ参考文献として掲げられていたバートランド・クーパー著『動物たちの
考古学』(牧村拓訳、三友館書房)。スタニスワフ・レムが著した架空の書物をめ
ぐる書評集『完全な真空』と、同じく序文集『虚数』。

 あるいは、ベンヤミンの遺稿『パサージュ論』に「夢の街と夢の家、未来の空間、
人間学的ニヒリズム、ユング」という項目名でまとめられた資料・覚書の束があっ
て、そのエピグラムの一つにカール・グツコウ『パリからの手紙』の「私の父親は
パリに行ったことがある」という一文が引用されていることに関する鹿島茂氏の解
釈。

《それならばなんのために、ベンヤミンがこの引用を行ったかといえば、それは彼
が、古本コレクションの一冊として集めたいと願いながら現実には存在しないため
にいっそ「自分の手で書こう」と決心した「夢の街と夢の家」というタイトルの本
を、この引用が部分的ながら実現しているからである。つまり、グツコウのこの引
用は、「夢の街と夢の家」という幻の古本の一章あるいは一節にほかならず、ベン
ヤミンは、こうした断片を拾い集めて、かくあらまほしと願っていた幻の「古本」
に仕立てあげているのである。》(『『パサージュ論』熟読玩味』)

 この『パサージュ論』について、鹿島氏は「偉大なる書物蒐集家が残した特殊な
形態のブック・コレクションの売り立て目録である」と書いているのだが、その口
吻を真似るならば、さしずめ『孤独の発明』の第2部「記憶の書」は、詩人から散
文作家(あるいは息子から父)への転身を図りつつあったオースターによる、未刊
の散文作品群の見本帳であり、未来の読者へ向けたオークション・カタログである
といったところだろうか。

 実際、冷え冷えとした孤独とともに、というより社会から撤退したまま家の崩壊
とともに亡くなった父の、息子の記憶のうちに再現された死後の生と二度目の死(
息子による父の抹消、文字通りの消失)を一人称で綴った第1部「見えない人間の
肖像」とはうってかわって、作者自身の個人史をたぶんそのまま取り入れた切れ切
れの回想や都市と事物と言葉と偶然をめぐる錯綜した考察を三人称で書きとどめた
断章、そしてライプニッツやヘルダーリン、フロイトやプルーストといった旧大陸
系の書物からのおびただしい引用からなるこの作品には、作中人物のA(オースタ
ー)がそこでいま書き続けている作品として十三篇の「記憶の書」が入れ子式に挿
入されている。

 その一篇一篇が、やがてオースターが散文作家として世に問うことになる息子た
ち、つまりニューヨーク三部作や『ムーン・パレス』、『偶然の音楽』などの小説、
さらには『スモーク』や『ルル・オン・ザ・ブリッジ』といった映像作品が醸しだ
す世界と、ある不可視の回路を通じて響きあう韻を踏んでいるように見えるし、あ
るいはこれから書かれるであろう物語の予告編(あらかじめ夢見られた物語)とし
ていまなお機能しているようにも思えるのだが、それはあまりにも穿ちすぎた見方
というものだろう。

 いずれにせよ、『孤独の発明』は書物から書物が生まれてくるからくり(「ある
意味では、すべてのものは他のすべてのものの注解として読むことができる」)、
あるいは実在しない幻の書物が現実のかたちを与えられる現場(「記憶──物事が
二度目に起きる空間」「部屋は子宮であり、鯨の腹のなかであり、想像力の生まれ
出る源だった」)の探求譚であり、石の発する言葉に魅入られた孤独な、というよ
り世界から隔絶された詩人(マリーナ・ツヴェターエヴァ「このもっともキリスト
教的世界にあって/あらゆる詩人はユダヤ人なのだ」)が、多声的で「無限に錯綜
した結びつきの総体」としての世界への通路を自らの精神のうちに見いだしていく
プロセスそれ自体を叙述した作品なのである。

《ひとつの言葉はもうひとつの言葉になり、ひとつの物がもうひとつの物になる。
考えてみれば記憶と同じはたらき方である。彼は自分の内部に巨大なバベルの塔を
思い描く。そこにはひとつのテクストがあり、それがみずからを無数の言語に翻訳
する。思考の速度でもってセンテンスが彼のなかからあふれ出る。一つひとつの単
語がそれぞれ別の言語から放出される。彼のなかでけたたましく騒ぎたてる千もの
言葉。それらの言語の喧騒が、無数の部屋や廊下や階段からなる数百階建ての迷路
に響きわたる。もう一度言おう。記憶の空間のなかでは、すべてがそれ自身である
と同時にほかの何ものかなのだ。そしてAは徐々に思いあたる。自分が記憶の書に
記録しようとしていることはすべて、自分がこれまで書きつづってきたことはすべ
て、おのれの人生のなかのごく短い瞬間の翻訳にすぎないのだと…》(記憶の書・
その九)

 記憶の空間(バベルの塔)で紡がれるもの。それは、何か一つの観念を究極のと
ころまでつきつめる詩的思考でも概念の組み立てをめぐる哲学的思考でもなく、ま
さに小説的思考としか名づけようのないもの──そうした思想(声)が無数に生ま
れ出る現場をまるごと叙述しきったまさに(戯曲でも詩でも批評でもない)小説そ
のものがもつ、音楽にこめられた容れ物としての力に拮抗しうる思考──である。
オースターは、あるインタビューに答えて次のように語っている。

《言語、記憶、それこそ孤立感に至るまで、頭に浮かぶあらゆる思いは他者とのつ
ながりから生じている。それが、「記憶の書」で探求した問題だ。「孤独」という
言葉の両面を探ること、まるで自分の底を見下ろしている気分だった。そして、そ
こで見つかったものは自分だけではなかった──世界が見つかったんだ。(略)あ
の本の著者は何十人もいる。私を通して、彼ら全員に語ってもらいたかった。つま
るところ、「記憶の書」は共同作業の成果だ。》(『空腹の技法』、畔柳和代訳)

 そして散文作家になるということは、父を殺し(ヨナ=イエスのように?)父を
探すこと(ピノキオのように「本物の子供になるには底深き海に飛び込んで父親を
救わねばならない」)、すなわち自らの父を生むことなのである。

 「見えない人間の肖像」の終末、「父はもう一度見えない人間になった」という
一文と、オースターの息子ダニエルの「甘美で獰猛な、小さなイメージ」をめぐる
文章の間に引用されたキルケゴールの言葉。──「働くことを欲しない者には、イ
スラエルの処女たちについてしるされていることがぴったりあてはまる。つまり、
彼は風を産むのである。しかし、働くことを欲する者は、彼みずからの父を生む。」

●781●ポール・オースター『消失──ポール・オースター詩集』
                      (飯野友幸訳,思潮社:1992.12.1)
●782●ポール・オースター『空腹の技法』
                 (柴田元幸・畔柳和代訳,新潮社:2000.8.30)
●783●飯野友幸編『現代作家ガイド@ポール・オースター』(彩流社:1996.3.31)

 パウル・ツェランの詩が好きだ。たとえば坂本龍一のオペラ「LIFE」にもと
りあげられた「死のフーガ」。──「夜明けの黒いミルクぼくらはそれを晩に飲む
/ぼくらはそれを昼に飲む朝に飲む夜に飲む/ぼくらは飲むそして飲む」とたたみ
かける言葉の旋律、そして戦慄。〔http://music.ug.to/life_todesfuge.html〕

 「白い空間」(『消失』所収)は『孤独の発明』のための序文のようでもある。
『現代作家ガイド』で見つけたこの言葉に導かれて、はじめて目にしたもう一人の
PAULの詩の世界は、言葉を厳として拒絶する「厳しい石」の頻出(柴田元幸さ
んの説)とあいまって、まさに「沈黙と測りあえるほどに」はりつめた緊張と孤独
を紡ぎ出していた。──「極小の石の/つぶやき」(「消失」)「石は存在に耐え
ている。耐えることしかないのである。」(武満徹「自然と音楽」)

 そして、「小説家オースターが誕生する前に書かれたこの本こそオースターの最
大傑作だ」と訳者(柴田元幸)がいう『空腹の技法』でのツェラン評。──「それ
らの詩[晩年の十年間の作品]に、縮こまりと広がり、その両方を人を感じる。あ
たかも自分の一番奥深いところに旅するなかで、ツェラン本人は消えてしまい、自
分の彼方にある、より大きな力とひとつになったかのように──そして同時に、自
分の孤立のなかにより深く沈んでいったかのように。」

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