〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
 ■ 不連続な読書日記                ■ No.213 (2004/01/11)
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
 □ 土屋賢二『ソクラテスの口説き方』
 □ ニコラス・ブリンコウ『ラリパッパ・レストラン』
 □ ネルソン・デミル『アップ・カントリー』
 □ ブレット・イーストン・エリス『ルールズ・オブ・アトラクション』
 □ グレン・ミード『亡国のゲーム』
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
 

●758●土屋賢二『ソクラテスの口説き方』(文春文庫)

【評価:A】
 その昔、東海林さだおや山下洋輔や伊丹十三や椎名誠といった面々のエッセイに
ハマったことがあって、一時期、来る日も来る日も貪り読み、抜け出せなくなった。
いま読み返してみてもやっぱり面白いし、名品揃いだと思うが、一時に大量読むの
はよくない。トローチのように一粒ずつゆっくり舐めて、せいぜい一日五粒くらい
にしないと胃が荒れる。とくに若い頃の大量摂取は、その後の精神の質を歪にする
おそれがあってよろしくない。土屋賢二のエッセイには、東海林さだおや山下洋輔
や伊丹十三や椎名誠といった面々の文章に通じる中毒性がある。いや、もっとたち
が悪い。なにせ哲学者なのだから、一筋縄でいくはずがない。柔で未熟な精神は、
そこにくっきりと描かれたパーソナリティ(ツチヤ教授)を著者の人格そのものと
取り違えてしまう。過激過剰をユーモアと誤解する。書くという行為がいかに意図
的なものか。だからそこでは悪意と欲望を巧妙に韜晦する技術がいかに狡猾に駆使
されているか。そういったことを充分弁えた上で、味わわないといけない。だらし
なく読み続けて、ゲラゲラ笑っているだけでは馬鹿になる。随所に挿入された稚拙
で素朴なイラストが愛らしいが、騙されてはいけない。

●759●ニコラス・ブリンコウ『ラリパッパ・レストラン』(玉木亨訳,文春文庫)

【評価:C】
 「一種独特なアホ」のホギーと「オリンピック級の精神異常者」のチェブのいか
れたコンビは、いつもラリっていて危なげでどうしようもない人物だけれど、妙に
心に残る。小麦文明論をのたまう売人のナズにしても、スーザンやジュールズにし
ても、大虐殺事件にまきこまれるその他大勢の人物にしても、いずれも妙に気にか
かる。ストーリーはまるで面白くないし、読み終えてなんの感銘も残らない。ただ
独特の雰囲気、ある時代の気分のようなものは濃厚に漂っている。それだけで充分
なのかもしれない。誰と名ざすことはできないが、しかるべき男優、女優を得て映
画化されたならば、珠玉の名品になったかもしれない。「ラリパッパ・レストラン
」という邦題は、よくできているとは思うけれど、ちょっと損をしているのではな
いか。

●760●ネルソン・デミル『アップ・カントリー 兵士の帰還』上下
                         (白石朗訳,講談社文庫)

【評価:A】
 アップ・カントリー(田舎のほう)。軍隊の内輪の言葉で、都会を出て、行きた
くない場所(たとえば山林やジャングル)に赴くこと。陸軍犯罪捜査部を退役した
ポール・ブレナー(あの『将軍の娘』での活躍が懐かしい、でも映画でブレナー役
を演じたジョン・トラヴォルタはミス・キャストだと思う)にとって、それは封印
した過去へ、ヴェトナム戦争での忌まわしい記憶へと遡行することだった…。三十
数年前の戦場での殺人事件の謎解きと冒険、法的正義と政治的謀略をめぐる確執、
魅力的なスーザン・ヴェバーとの虚実まじえた駆け引きや執拗で陰湿なマン大佐と
の「友情」、ヴェトナムの諸都市と山岳地域、過去と現在をめぐる蘊蓄や情報。な
んともゴージャスで読みごたえのある雄編なのだが、解説子(吉野仁)がいう「観
光小説」の部分がやたらと冗長で、物語のスピードと質を損ねている。(二つの小
説を同時に読んだと思えば、それは許せるのだけれど。)──ブレナーとスーザン
のへらず口のたたきあいがとてもいい。なかでも傑作なのは上巻の493頁。「き
みと三日間も過ごしたら、そのあと三日間の保養休暇が必要になりそうだよ」「年
を食ってるにしては、きちんとシェイプアップしているくせに。泳げるの?」「魚
も顔負けにね」「山歩きは?」「ロッキーを駆けぬける山羊なみに」「ダンスは?
」「ジョン・トラヴォルタもまっ青さ」

●761●ブレット・イーストン・エリス『ルールズ・オブ・アトラクション』
                    (中江昌彦訳,ヴィレッジブックス)

【評価:B】
 気のせいかもしれないけれど、初めてヌーベルバーグ映画を観たときの印象がよ
みがえった。名著『〈映画の見方〉がわかる本』の著者町山智浩さんが書いた解説
によると、この作品には、ジェームズ・ジョイスの「意識の流れ」とドストエフス
キー(『地下生活者の手記』)の延々と続くモノローグとヘミングウェイの一人称
の語りという、三つの文学的伝統が脈打っているという。まことに鮮やかな分析で、
この比類ない言語体験をもたらしてくれる作品世界の質を見事に言い当てている。
ただ、やや読み急いだため、その世界にじゅうぶん浸りきることができなかった。
読む時と心身状態を得ていたならば、きっと忘れ難い作品になっただろうと思う。

●762●グレン・ミード『亡国のゲーム』上下(戸田裕之訳,二見文庫)

【評価:AA】
 周到に練りあげられた無駄のない構成。丹念に書き込まれた(まるで映画のカッ
トをまるごと文章化したような)細部の積み重ね。適度に類型化されたわかりやす
い人物群。物語の骨格をなす主要人物たちが奏でる対位法(ロシアの血が混じった
チャチェン人テロリストのニコライ・ゴレフとパレスチナ人テロリストのカルラと
その息子ヨセフ。FBI捜査官ジャック・コリンズと亡くなった妻子、そして現在
の恋人ニッキとその息子ダニエル。これら二組もしくは三組の男女、親子の関係の
対比。ロシア連邦保安局のクルスク少佐とゴレフとの友情。アル・カイーダのテロ
リスト、ラシフに対するジャックの憎悪。これら二つの感情の対比。高潔な合衆国
大統領と邪悪なアル・カイーダの指導者との対比。)そのどれをとっても良くでき
た第一級の娯楽小説で、だから安心して著者の術中にはまり、時を忘れることがで
きる。あらかじめ約束された大団円とカタルシスをめざし、緩急をつけながら頁を
繰っていける。──著者覚え書きによると、この作品の第一稿を書き終えた直後に
「9.11」の惨事が勃発したという。このできすぎた偶然に著者は動揺したかも
しれないが、気にすることはない。たかが娯楽小説、リアルな世界の薄っぺらな表
層と底知れぬ深層を抉ることなど、はなから期待していない。

〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
 ■ メールマガジン「不連続な読書日記」/不定期刊
 ■ 発 行 者:中原紀生〔norio-n@sanynet.ne.jp〕
 ■ 配信先の変更、配信の中止/バックナンバー
       : http://www.sanynet.ne.jp/~norio-n/index2.html
 ■ 関連HP: http://www.sanynet.ne.jp/~norio-n/
 ■ このメールマガジンは、インターネットの本屋さん『まぐまぐ』 を利用し
  て発行しています。http://www.mag2.com/ (マガジンID: 0000046266)
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓