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 ■ 不連続な読書日記                ■ No.209 (2004/01/04)
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 □ ロバ−ト・ゴダ−ド『秘められた伝言』
 □ ボストン ・テラン『死者を侮るなかれ』
 □ ウィリアム・ランディ『ボストン、沈黙の街』
 □ テッド・チャン『あなたの人生の物語』
 □ スティーヴン・ブース『黒い犬』
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●738●ロバ−ト・ゴダ−ド『秘められた伝言』上下(加地美知子訳,講談社文庫)

【評価:C】
 あのゴダ−ドの新作とあって、期待に胸躍らせて読み始めた。といっても『永遠
に去りぬ』しか読んだことはないのだけれど、まあ虜になるのに何冊も読む必要は
ないのであって、あの一冊で私はすっかりまいってしまったのだ。ところが、期待
が大きすぎたがゆえの反動もてつだってか、この『秘められた伝言』はとんでもな
い失敗作で、ほとんど駄作の域に達している。失業中の主人公が、失踪した友人を
たずねてロンドンへ、そしてベルリン、東京、京都、サンフランシスコを経て再び
ロンドンへと移動する。行く先々で都合良く、友人の消息を少しずつ知る人物と出
会い、やがて、すべての謎が1963年という年に集約していく。後に明かされる
その謎も含め、だらだらとしたおしゃべりの中ですべての物語は進行する。ここに
はストーリーはあるが、プロットがない。人物はいるが、生きた人間がいない。ア
イデアはあるが、読者を陶然とさせる語りがない。どうした、ゴダード!

●739●ボストン ・テラン『死者を侮るなかれ』(田口俊樹訳,文春文庫)

【評価:A】
 荘厳な叙事詩のように繰り出される濃縮された生硬な文章。「現実というフロア
の上で社会システムが血のワルツを踊りはじめても、ディーとバージェスはじっと
身をひそめている。」新感覚のハードボイルド・タッチの断言。「我思う──ゆえ
に我は所有せねばならぬ。これが新しいアメリカン・ドリームだ。」乾ききった叙
情詩のように、過剰なまでの汚辱を描出する聖なる表現。たとえば、苛烈な生を刻
むシェイとヴィクの官能。「彼女はそこに実在しながら透明になる。逞しい腱と骨
の強さを残したまま、その流動体となる。(略)暴力的な彼女の喘ぎはビロードの
ように柔らかく、彼は彼女を所有し、彼女を破壊し、彼女を救い、彼女の重要な一
部になりたいと願う。」この作品は文体が全てである。全編に流れる大音響の言葉
のバラードが、読後、沈黙の余情を醸しだす。

●740●ウィリアム・ランディ『ボストン、沈黙の街』
                      (東野さやか訳,ハヤカワ文庫)

【評価:A】
 母親の看護のため歴史学者への道をあきらめ、父親の跡を継いで田舎町ミッショ
ン・フラッツの警察署長に就いたベン。父の叱咤を受け、管轄区域で起こった地方
検事殺しの犯人を追ってボストンへ。引退した刑事のジョンとその娘で検事補のキ
ャロラインらと組み、ギャングのボスとの連帯やボストン市警の刑事との確執を経
て、やがて自らにふりかかる嫌疑をはらす…。真犯人の意外性に着目してミステリ
ーを評価するなら、この作品は結末の切れ味の良さをもって傑作の名に値するだろ
う(私自身は、この最後の謎解きの部分にできすぎた技巧臭を感じて、やや鼻白ん
だのだけれど)。だが、それゆえにかえって、丹念に叙述された人間関係(母と息
子、父と息子、退職刑事と新米警察署長、離婚した女性検事補と年下の警察署長、
等々)のもたらす小説的感興が、真相解明と同時に遡って殺がれてしまう(あの濃
密な人間描写は、要するにミステリー的伏線にすぎなかったのだ)。ミステリーと
小説が最後に分裂をきたす。このあたりがうまく処理されていたら、超絶的な輝き
をもった作品になったろう。

●741●テッド・チャン『あなたの人生の物語』(浅倉久志他訳,ハヤカワ文庫)

【評価:AA】
 SFはめったに読まない。でも、読めば必ず、傑作にめぐりあう。ここ数年では、
グレッグ・ベアの長編とグレッグ・イーガンの短編にまいってしまった。そのベア
の絶賛の言葉「チャンを読まずしてSFを語るなかれ」が、本書の腰巻に印刷され
ている。山岸真の「解説」には、チャンが評価する作家の筆頭がイーガンで、「形
而上学の領域へ科学が手をのばし、人間の問題をハードSFとしてあつかうことを
可能にした」というチャンの言葉が紹介されている。というわけで、読む前から私
はすっかりチャンに魅了されていた。実際、表題作「あなたの人生の物語」に出て
くる非線形書法体系や同時的意識のアイデア、「七十二文字」に出てくる真の名辞
による単為生殖のアイデアなどは、途方もない起爆力をもっていた。なによりも、
チャンの短編には小説ならではの感動がある。イーガンの作品がたたえる切ないほ
どの感動とは趣を異にするが、本書に収められた作品群がもたらす認識の臨界点を
つきぬけた哲学的感動の質は得難いものだ。

●742●スティーヴン・ブース『黒い犬』(宮脇裕子訳,創元推理文庫)

【評価:A】
 久しぶりにミステリーを堪能した。私はいわゆる本格派好みではないが、古典的
風格と骨法を備えた警察小説には、てもなく酔ってしまう。ましてやそれが、大好
きな英国田園風景を舞台として展開される、複雑極まる人間関係を背景に生じた陰
惨な殺人事件の謎解き(誰が殺したか)というシンプルな物語設定のストーリーで
あれば。加えて、共感を寄せられる捜査官が登場すればなおさらのこと。黒い犬が
背中にへばりついた(ふさぎの虫にとりつかれた)心やさしいベン・クーパーと、
忌まわしい出来事の記憶に悩まされる野心家のダイアン・フライ。部長刑事への昇
進を競いあう一組の若い男女の刑事がこの作品の探偵役。彼、彼女をとりまく村人
や同僚たちの人物像がしっかりと描き分けられ、ゆっくりと丁寧に、そしてそこは
かとないユーモアと重くなりすぎない深みをもって綴られる文章もいい。

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