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 ■ 不連続な読書日記                ■ No.205 (2003/12/30)
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 □ ロレンゾ・カルカテラ『ギャングスター』
 □ グレッグ・アイルズ『沈黙のゲーム』
 □ チャールズ・パリサー『五輪の薔薇』
 □ スーザン・オーリアン『蘭に魅せられた男』
 □ 小沼丹『黒いハンカチ』
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●718●ロレンゾ・カルカテラ『ギャングスター』上下(田口俊樹訳,新潮文庫)

【評価:A】
 死にゆく老ギャングの病室で深夜、若い男と初老の女が語り合う過ぎ去った百年
の、三代にわたって繰り広げられた「自分の人生を自分で生きる男」の物語。それ
は、いつかどこかで観た有名無名の暗黒映画から切り出された印象的なシーンが、
モザイク状に連なって紡ぎ出す凄惨で壮絶で悲哀に満ちたエピソード群のようだ。
あるいは、意識不明の老ギャングの最期、悔恨と受容の苦さに縁どられた大いなる
赦しの時に訪れた、鮮烈なフラッシュバックの奔流だったのかもしれない。そして、
物語の結末で女の口から明かされるもう一つの真実。ほんのわずかな構成上のミス
がすべてを致命的に損ないかねない、危うい緊張をはらんだ超絶的な語りが素晴ら
しい。

●719●グレッグ・アイルズ『沈黙のゲーム』上下(雨沢泰訳,講談社文庫)

【評価:B】
 陰謀うずまくアメリカ南部の保守的な街。その暗部に立ち向かう男の無謀とも言
うべき勇気。父と子の二代にわたる復讐の物語。失われた恋の記憶と新しい感情の
予感。腐った官能と清新な性愛。雪中の冒険譚。かつての恋人と敵味方になって弁
論戦を闘う法廷サスペンス。これらの趣向すべてを一つにおしこんだ、なんとも贅
沢な作品で、ストーリーの展開とともに複雑にからみあう素材群を手際よくさばく
手腕は並ではない。起承転結の転、序破急の破までは、ひさしぶりに夜を徹する感
興を味わった。でも、かつての恋人との絡みが続き、新しい女の影が薄くなってい
くあたりで疑問符が点灯する。(これには、新旧二人の女性のどちらにより魅力を
感じるかという読み手の側の事情が反映している。)そのあげく明らかにされた謎
に説得力がないし、復讐譚としての快哉にも欠ける。詰めを急がなければ、文句な
しの傑作だったと思う。(読み終えた時点ではA評価〔頁措く能わずのドライブ感
あり〕だったのですが、『ギャングスター』との差をつける意味でB〔ドライブ感
はないが悪くない〕に変更。気分としては、限りなくAに近いB。)

●720●チャールズ・パリサー『五輪の薔薇』1〜5
                    (中斐萬里江訳,ハヤカワ文庫NV)

【評価:A】
 これはもう「長さ」の勝利と言うほかはないですね。たっぷり夏休み二日分の時
間を費やし、総数80人超の人物(折り込みの「五十音順登場人物表」がなかった
らたぶん途方に暮れただろう)が文庫本五冊二千頁超にわたり血縁、因縁入り乱れ
て糾う雄編を一気読みして、物理的な「長さ」をもってしか表現できない物語的感
興というものが確かにあると実感させられました。私利と陰謀と裏切りにまみれた
悲惨な出来事がジェット・コースターのようにこれでもかと繰り出され、さてよう
やく復讐と正義の時を迎えたかと思うと、「シャレード(芝居)」に絡めとられた
「人生の目的」をめぐる主人公の内省が、シンプルな物語世界の進行を突然緩慢な
ものにする。数世代を遡っての「デイヴィッド・コパフィールド式のくだんないこ
と」((c) ホールデン・コールフィールド)の奔流は、ほとんど読者の記憶力の容
量を超えている。このあたりの過剰と転調を、小池滋さんは小説技法ともからませ
て「ポスト・モダン的小説」と表現しているのでしょうが、それとてやはり「長さ
」ゆえの効果にほかなりません。物語世界に溺れる、というより淫する体験は、ケ
ン・フォレットの『大聖堂』に読み耽ったいつぞやの盆休み以来のことで、あの見
事な中世物語ほどの深い愉悦はなかったにせよ、この英国版人形浄瑠璃の世界には、
時間を忘れたっぷりと堪能させられました。

●721●スーザン・オーリアン『蘭に魅せられた男
    ──驚くべき蘭コレクターの世界』(羽田詩津子訳,ハヤカワ文庫NF)

【評価:D】
 英文で読むと(たぶん)自然な表現でも、それを日本語におきかえると鼻につく
ということがあります。たとえば、「わたしには恥ずかしいとは感じない情熱がひ
とつだけある──何かに情熱的にのめりこむことがどんな気持ちか知りたい、とい
う情熱だ」という文章。だったら、蘭に魅せられた男ジョン・ラロシュの「驚くべ
き」世界のことをもっとじっくりと書き込んでくれよ!──と思わずつっこみたく
なりますが、これなどほんの一例で、こうしたいかにも才走ったプロっぽい書き方
がどうにも小癪な感じがして、どこかのマニュアルに忠実に従った文章構成を思わ
せられました。あつかわれている素材自体は、滅法面白いですね。メーテルリンク
いわく、「植物の知性がもっとも完成度の高い、もっとも調和のとれたかたちで現
われているのは、ランである」(『花の知恵』)。だからどうというわけではあり
ませんが、蘭や蘭にとりつかれた人間のことについて書く側にも、蘭に拮抗しうる
「完成度の高い、もっとも調和のとれた」知性が求められるはずで、少なくともコ
ンビニで買えるような安っぽい知性ではだめです。

●722●小沼丹『黒いハンカチ』(創元推理文庫)

【評価:A】
 北村薫さんの作品をはじめて読んだときの、あの新鮮な驚きと読後の清冽な印象
が蘇りました。なんといっても名偵役ニシ・アズマ(この古風なカタカナ表記がと
てもいい感じ)の利発で可憐で、どこか「お茶目」(死語)なキャラクターが魅力。
「その女性──小柄で愛敬のある顔をした若い女性、賢明なる読者は、既にお判り
かもしれぬ、他ならぬニシ・アズマである」。この登場の仕方、というか燻し銀の
ようなユーモア漂う小沼丹の筆運びがいいですね。12の短編それぞれに違った味
わいがあって、どれも忘れ難いものでしたが、個人的には「未完成」に終わった青
年との恋の回想シーンが出てくる「十二号」と、ニシ・アズマの家族が登場する「
スクェア・ダンス」が印象的。──『黒いハンカチ』が刊行された昭和33年は、
松本清張の『黒い画集』が「週刊朝日」に連載されはじめた年でもあります。私は
たまたま偶然、同時にこの二冊の本を読みました。いかにも対照的な両作品は、あ
いまってあの時代の雰囲気を伝えていたように思います。(といっても、あの時代
のことを実感として知っているわけではありません。)

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