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 ■ 不連続な読書日記                ■ No.204 (2003/12/30)
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 □ 須川邦彦『無人島に生きる十六人』
 □ なかにし礼『てるてる坊主の照子さん』
 □ 古川日出男『沈黙/アビシニアン』
 □ 関川夏央『二葉亭四迷の明治四十一年』
 □ アン・タイラ−『あのころ、私たちはおとなだった』
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●713●須川邦彦『無人島に生きる十六人』(新潮文庫)

【評価:B】
 この本が湛えるのびやかで楽観的な明るさは、明治という時代を生き延びた男た
ちの「技術」に支えられている。それはたとえば、無人島生活を始めるに際して誓
い合った四つの約束(島で手にはいるものでくらしていく、できない相談をいわな
い、規律正しい生活をする、愉快な生活を心がける)や、夜の見張りは「つい、い
ろいろのことを考えだして、気がよわくなってしまう心配がある」から、老巧で経
験豊かな年長者が交代して当番にあたるといった知恵のうちに示されている。「も
のごとは、まったく考えかた一つだ。はてしもない海と、高い空にとりかこまれた、
けし粒のような小島の生活も、心のもちかたで、愉快にもなり、また心細くもなる
のだ。」このリアリズムが潔い。感動はないが、いっそ清々しい。(本書の明るさ
は、随所に挿入されたカミガキヒロフミのシュールでファンタスティックなイラス
トの力によるところが大きいと思います。)

●714●なかにし礼『てるてる坊主の照子さん』上中下(新潮文庫)

【評価:B】
 TVドラマで観ていたら、このあまりに出来すぎた夢のようなお話も、「涙と笑
いと感動」(文庫カバーに出てくる言葉)をもって存分に楽しめたかもしれない。
いっそ最初から実話の装いを鮮明にしてくれていたら、戦後復興から高度成長期に
かけての「市井の戦後史」(久世光彦さんの解説に出てくる言葉)を貫く「庶民」
の上昇志向に素直に感情移入ができて、波瀾のストーリーに手に汗握り、はては感
涙を誘われたかもしれない。やはりこの作品は、なかにし礼さんの達意の「錬文術
」にあっさりと降参してこそ心ゆくまで堪能できる、よくできたホームコメディな
のだと思う。(下巻に出てくる岩田春男の言葉が浮いていて、でも妙に感動的でお
かしい。「スポーツは魂の錬金術や」。)

●715●古川日出男『沈黙/アビシニアン』(角川文庫)

【評価:AA】
 敬愛する橘外男の異国情緒を期待させる冒頭(小刻みな文体はちょっと違うかな
と思ったけれど)から、夢野久作の入れ子式眩暈世界を彷彿とさせるストーリーの
転回へ、そして村上春樹の冥界下降譚(三浦雅士さんの評言)を思わせる迷宮化さ
れた世界のリリシズム。そのほか、解説の池上冬樹さんが示唆する南米産マジック
・リアリズムの醸しだす神話的幻想性の残り香まで含めると、「沈黙」がまき散ら
す豊饒な物語宇宙の記憶の種子、かのアカシック・レコードに向けて縦横に張られ
たリンクは、SFやファンタジー、観念小説やエンタテインメントといった出来合
のジャンル分けを粉砕する破壊的な力を駆使して、言葉がほとんど音楽のうちに溶
解してしまう濃厚な原形質的物語世界を造形している。「アビシニアン」の静謐な
世界創造譚の素晴らしさといい、これはもうたまらない。(古川日出男を知ったこ
とは、今夏最大級の成果でした。)

●716●関川夏央『二葉亭四迷の明治四十一年』(文春文庫)

【評価:AA】
 関川夏央には「文体」がある。もちろんどんな作家にだってその人固有の文体は
あるのだろうが、それが作品の外的な意匠や作家の内面的屈託の反映にとどまるこ
となく、表現内容(思想や物語)と渾然一体、不即不離の関係を取り結ぶのは本当
に希有なことだ。見慣れぬ漢語や歌舞伎の見得のような決めの言葉に込められた息
遣いが、語られる世界の内実を生のまま読者に伝える「文体」。物故者でいえば開
高健、現役でいえば関川夏央(少し違った意味合いで金子達仁)がそのような「文
体」を持った書き手(あくまで、私にとって)。──その関口夏央が自らの文体を
禁欲し、その多くを事実と原文に語らせながら、樋口一葉、国木田独歩、田山花袋、
等々の明治の(というより、我らの同時代の)文人群像を、二葉亭四迷という「真
面目で、粋で、頑固で、多情で、野暮で、そのうえ衝動的なくせにどこか、いわば
岩のごとき優柔不断な性格を持つ」巨大な矛盾を抱えた人物を太い軸として、人間
的な交友関係を横糸に、経済事情を縦糸に、近代日本の屈折点とともに縦横に描き
だした。とりわけ、明治四十年頃の夏目漱石との「淡い交流」を綴った文章は秀逸。
この本はけっして読み急いではいけない。

●717●アン・タイラ−『あのころ、私たちはおとなだった』
                         (中野恵津子訳,文春文庫)

【評価:C】
 二桁以上の人物が入り乱れるパーティ・シーンで、一人一人のキャラクターをき
ちんと書き分けながら、ヒロインが物語にしめる位置関係やその心理の襞まであま
すところなく読者に伝える筆の冴えはすごい。ストーリーの展開が流暢で無理がな
く、収拾のさせ方も堂に入っている。噂通りの凄腕。ただ、いかんせん登場人物に
魅力がない(あくまで、私にとって)。がさつで自分勝手で他人の都合などお構い
なし。ひたすら自分のことにかまけている。多かれ少なかれ誰でもそうなのだから
大目に見てもよさそうなものだけれど、大目に見ることができない。「愛すべき」
凡人の凡庸な人生談義に耳を傾けるほど暇じゃない。「人生分岐譚」としての結構
にも快感がない。(「アン・タイラ−フリーク」の平安寿子さんが解説で「西洋落
語」と書いているけれど、落語の芸にはそれが成り立つ文化の共通基盤というもの
があって、私はその基盤を共有していない。それだけのことかもしれません。でも、
いったんハマったら病みつきになるでしょうね。)

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