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 ■ 不連続な読書日記                ■ No.203 (2003/12/29)
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 □ 乙一『平面いぬ。』
 □ 高山文彦『火花 北条民雄の生涯』
 □ 森達也『放送禁止歌』
 □ 北野勇作『北野勇作どうぶつ図鑑』
 □ スーザン・プライス『500年のトンネル』
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●708●乙一『平面いぬ。』(集英社文庫)

【評価:AA】
 それが「天才」のなせるしわざなのかどうかはともかくとして、乙一の語りの巧
みさはちょっと比較を絶している。和製メドゥーサと民話調母恋物をミックスした
「石ノ目」は、物狂おしい女の業のたちこめる家と空間の怖さを見事に造形しきっ
て読ませる。空想の少女との出会いから死別までの八年間の出来事を淡々と綴った
「はじめ」は、冒険と喪失の少年小説として絶品。静かな感動を湛えたその質と完
成度は、表題作と比べても甲乙つけがたい。みにくいぬいぐるみの悲惨と救済、友
情と裏切りを描いた「BLUE」は、シニカルで残酷な童話の原型を思わせる。中
国人彫師が少女に刻み込んだ小さな青い犬の刺青をめぐる怪異譚「平面いぬ。」は、
クールでリリカルな乙一の世界を凝縮している。──それにしても乙一はすごい。
とてつもない歌唱力と表現力をもった(でも、まだ決定的な代表作にめぐまれない
)アイドル歌手のようなもので、これから先どう化けていくのか、その可能性にわ
くわくさせられる。

●709●高山文彦『火花 北条民雄の生涯』(角川文庫)

【評価:A】
 関川夏央は『座談会明治・大正文学史』(岩波現代文庫)の解説で、座談会がは
じまった1950年代後半にあっては、「文学というものが日本の知識青年と知識壮年
にとって生きる上での手がかりとなっていた、つまり文学がまだある種の『実用品
』であった」と書いている。その関川が谷口ジローと組んで世に問うた「『坊っち
ゃん』の時代」五部作が、国家と個人の深刻な乖離が兆す時代の文学のあり様を描
いた作品であったのに対して、高山文彦の『火花』は、文学が「人生の指針」であ
った時代の後半、大正期教養主義以降の「商品」(娯楽や癒しのタネではなく、社
会意識や感動をもたらす実用品)としての文学が兆す様を描き切っている(北条民
雄の「いのちの初夜」が掲載された『文學界』昭和11年2月号は、創刊以来の売れ
行きを示し、雑誌廃刊の危機を一時免れた)。それはまた、柳田邦男が解説「いの
ちと響き合う言葉」で書いているように、文学の言葉が密度の濃い「生」の実存を
映し出す力を失っていなかった時代の物語である。著者は本書で「文学というもの
」の近代日本における輝きの実質を余すところなく叙述すると同時に、その静かな
挽歌を奏でている。

●710●森達也『放送禁止歌』(光文社知恵の森文庫)

【評価:B】
 メディア関係者がしばしば口にする「表現の自由」という言葉が、私にはとても
白々しく空疎に響く。理由は時と場合で異なるけれど、根本は「信用できない」の
一点に尽きる。例外はあるのだろうが、総体としての、社会制度としてのマス・メ
ディアは、表現の自由を自らの力で勝ち取ってきた語り継がれるべき過去を持たな
い。このことは歴史の浅いテレビメディアに特に顕著で、たとえば著者によって暴
かれた放送禁止歌の実態は、規制主体のない「巨大な共同幻想」でしかないものだ
った。──本書の第4章で、京都の被差別部落で生まれた「竹田の子守唄」のその
後を追っていた著者は、部落解放同盟の関係者に、過去の糾弾闘争の行き過ぎがメ
ディアの萎縮と思考停止を招いた理由の一つではないかと問う。「だけどな森さん、
勝手な言い分と思われるかもしれんけど、メディアは誰一人として糾弾には反駁せ
えへんのよ。信念をもっているのなら、僕らに反論すればええやないか。でも反論
なんて一回もなかったよ。みんなあっさり謝ってしまうんですよ。…やってるうち
につくづく情けなくなってくるよ。…表現を職業に選んだ人たちが、どうしてこの
肝心なときに沈黙してしまうやって」。

●711●北野勇作『北野勇作どうぶつ図鑑』1〜6(ハヤカワ文庫JA)

【評価:B】
 北野勇作は、なんとも形容のしようがない才能の持ち主だと思う。もちろん、こ
とさら形容しなくっても読めばそれだけで、シュールで非人情な(だって、動物や
ら機械やら遺跡やらが主人公なのだから)、そしてどこかに置き忘れ、とうとう置
き忘れたことさえ思い出せなくなったモノたちが突然いのちをふきこまれて躍り出
てきたような、思わずハッ(ギョッ?)とさせられるその世界の独特のおかしさは、
存分に味わうことができる。それはそうなのだけれど、読んでいるうちなんだか居
心地が悪くなって、ついできあいの言葉でラベルをはっておきたくさせるのだから、
北野勇作の才能はそれほどまでに、折り紙つきに奇妙なものなのだ。──その北野
勇作の短編やショートショートを「かめ」の巻、「とんぼ」の巻、といった具合の
不思議な方針のもとで編集した「おりがみ付コンパクト文庫」6巻を通読して、た
とえば「螺旋階段」という短編(どうしてこれが「かえる」の巻なのだろう)に出
てくる文章に思わずハッ(ギョッ?)とさせられた。《映画だってそうだし、演劇
だってそうだ、あらゆる表現というものがそうではないか。/それを観る者がいな
ければ、なにも存在しない。観る者と、観られる者。/あるときには、観る者が観
られる者になったり、観られていた者が観る者になったりもするだろう。現実とい
うものだって、そうではないか。そんなふうにしてこの世界全体が、かろうじて存
在しているのではないか。》

●712●スーザン・プライス『500年のトンネル[The Sterkarm Handshake]』
                 上下(金原瑞人・中村浩美訳,創元推理文庫)

【評価:B】
 原題は「スターカームの握手」(邦題「500年のトンネル」は、ちょっとセンスが
悪すぎる)。スターカームとは、16世紀英国の辺境の民。人は右手で握手する。武
器を持つ手を差し出すことで、害意のないことを示す。ところが、著者が創造した
スターカームの連中はほとんどが左利き。だから、右手を差し出しながら左手で短
剣を抜くことができる。そのスターカーム一族と握手(契約)をかわしたのが21世
紀の私企業で、極秘裏に開発したタイムチューブを使った鉱物掘削やリゾート開発
で一儲けを企んでいる。誇り高く名誉を重んじる粗暴な16世紀の民と、合理的かつ
冷徹に私利私欲を追い求める21世紀の企業人。この高貴な欲望と低俗な欲望がぶつ
かりあう五百年の時を超えた戦闘や、通訳兼連絡係として送り込まれたアンドリア
と一族の長の息子ピーアとの恋愛譚を織りまぜた「児童文学」の巨編。生き生きと
叙述されたスターカームの精神が本書の最大の魅力だが、アンドリアも含めた21世
紀人があまりに貧相で、物語としての興を殺ぐ。タイムトラベルの趣向も十分に活
かし切れていない。

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