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 ■ 不連続な読書日記                ■ No.202 (2003/12/29)
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 □ 川上弘美『おめでとう』
 □ 梨木香歩『りかさん』
 □ いかりや長介『だめだこりゃ』
 □ 吉田修一『熱帯魚』
 □ 垣根涼介『午前三時のルースター』
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●703●川上弘美『おめでとう』(新潮文庫)

【評価:A】
 12編の短編に出てくる女たちは皆、少しだけ妖怪じみている。けっして生臭くは
ないけれど、ひんりと冷たくて、見てはならない剥き出しのものを感じさせる、な
まなましい肌をもっている。そして、『天上大風』の「私」がそうだったように、
ものごとに対する定見がもてず、実生活にはほとんど役立たない論理的思考を標榜
して、いつも行動と気分の間に大きな齟齬をきたしている。だから、『冷たいのが
好き』の「僕」が章子に感じるように、いじらしい、と同時に、うとましい。彼女
たちは、この世のものとは思われない世界とつながっている。それは、冒頭の『い
まだ覚めず』で、タマヨさんと「あたし」が一緒にうたった歌が、妖怪どうしの性
交の比喩であったらしいことと関係している。「歌の音はふしぎ。遠くからきたよ
うな音です。自分のなかに、遠くのものがあるのは、ふしぎ。」──西暦三千年一
月一日のわたしたちへ向けた最後の『ありがとう』では、そう書かれている。

●704●梨木香歩『りかさん』(新潮文庫)

【評価:A】
 お雛祭りのお祝いに、おばあちゃんから譲られた市松人形のりかさんは、一週間
後、ようこに話しかけてきた。それだけではなくて、りかさんは、人形の記憶と思
いをスクリーンに映し出す「向こうの世界の案内人」だった。おばあちゃんは、よ
うこに語る。「気持ちは、あんまり激しいと、濁って行く。いいお人形は、吸い取
り紙のように感情の濁りの部分だけを吸い取っていく。」こうしてようこは、少し
だけ怖くて切なく哀しい、古い人形をめぐる物語の世界に導かれていく。「人形に
も樹にも人にも、みんなそれぞれの物語があるんだねえ、おばあちゃん」。りかさ
んは言う。ようこちゃんは媒染剤みたいな人になれるよ。──文庫書き下ろしの「
ミケルの庭」では、成長した蓉子が、いまは染色工房に改造されたおばあちゃんの
家で、二人の女友達と一緒に暮らしている。三人で、中国に短期留学した友人の娘、
1歳2ヶ月のミケルを預かっている。まだ物語(すじょう)をもたず、だから物言
わぬ、でも生きた人形・ミケルの心象を通じて、四人の女の確執と「向こうの世界
」をかいま見させるこの短編は、「りかさん」とあわせて読まれるとき、比類ない
純度をもった“怖さ”を結晶させる。

●705●いかりや長介『だめだこりゃ』(新潮文庫)

【評価:B】
 『8時だョ!全員集合』。昭和44年10月、『コント55号の世界は笑う』の裏番組
として『巨泉・前武のゲバゲバ90分!』と同時に始まり、1年3カ月後には視聴率
50%を達成。昭和56年春以来の『オレたちひょうきん族』との視聴率争いを経て、
21年ぶりの阪神の優勝に沸いた昭和60年9月、第803回目の放送をもって終了。あの
16年続いたお化け番組は、芸人の笑いから「テレビにおける笑いの芸」への、そし
て、昭和49年3月、顔が面白いというだけでピアノが弾けないピアニストとして採
用された荒井注が抜ける(「人生には仕事よりもっと大切なことがある」)までの
「メンバーの個性に倚りかかった位置関係の笑い」「人間関係のコント」から、志
村けんを中心とした「ギャク連発、ギャグの串刺し」への笑いの変遷の歴史そのも
のだった。いかりや長介が「なりゆきまかせの四流の人生」を記録したこの「自伝
」は、テレビ時代の日本喜劇史を綴る貴重なドキュメントである。(「コント豆事
典」もしくはギャグ採録としての価値は、これから先、けっこう高いものになって
いくと思う。)──ドリフターズのメンバーの中では、荒井注が好きだった。芥川
龍之介の箴言集や太宰、三島を読んでいた荒井注のギャグは、今でも目と耳に鮮や
かだ。この本の原本のあとがきは荒井注の一周忌の日にしたためられている。

●706●吉田修一『熱帯魚』(文春文庫)

【評価:AA】
 いつも思うことだが、青春小説はキレが身上で、結末の鮮やかさと潔さにすべて
がかかっている。というも、青年はたいがい決断力のない観念論者で、生命と社会、
性欲と家族の意味や価値や目的をめぐる退屈な思想の持ち主で、うじうじと着地点
もなく続く日常をきっぱりと断ち切る構想力も行動力もないからだ。──表題作の
主人公・大輔は高校を出るとすぐ上京し、棟梁の伯父に弟子入りする。「真っ青な
空の下。白木の骨組み。赤い作業ズボンに藤色のシャツを着て」、熱帯魚みたいに
「梁に立つ大工の姿がそこにあった」。スナックの雇われママだった肉感的な真美
とその娘の小麦と一日中熱帯魚を見ている義理の弟の光男と一緒に暮らしていて、
早く真美を籍に入れたいと思っている。鈍感なくせに他人との関係を仕切り、未熟
なくせに人生の結構をつけたがる。おのれの「淋しさ」に気づかず、他人を追い込
んでしまう(「言っときますけどね、人って大ちゃんが考えているほど単純じゃな
いのよ」)。人影のない夜のプールに色とりどりのライターをまきちらすと、水に
沈んだライターがまるで熱帯魚みたいに泳ぎ回る(大輔の母親は、大輔や義理の息
子の光男に「いいこと」があると一コずつ百円ライターを集めた)。この結末が、
行き場のない大輔の無定型のエネルギーを一気に昇華させる。青春の嘘と裏切りを
テーマにした「グリーンピース」と青年の罪なき冷酷を描く「突風」の二編も秀逸。

●707●垣根涼介『午前三時のルースター』(文春文庫)

【評価:A】
 失踪した父を尋ねてベトナムへ赴く少年。祖父の依頼を受けて少年に付き添う「
おれ」と友人。現地で雇ったタクシー運転手やガイド役の娼婦。つきまとう不穏な
男たちと謎の女。そして、四日間の危険な探索のはてにたどり着いた真実。──そ
れぞれに濃い陰翳を帯びた人物がつかのま交錯し、痛々しいまでの情感を湛えた物
語を織りあげていくのだが、一つの作品としてみると、構成上の危うさが壊れ物の
ような緊張をもたらす(この感触は初期の五木寛之の小説を思わせる)。第一章「
少年の街」での少年と「おれ」の寡黙な友情が物語の後半で十全に展開されること
はない。第二章「父のサイゴン」で語られるその後の父の物語はまるで白日夢のよ
うにリアリティが希薄だし、祖父の行動にも疑問が残る。何よりも「おれ」が抱え
る底知れない冷酷と憂鬱の背景が明かされることはない。しかし作品に込められた
著者の凍った熱気のようなものがそれらの疵を繕い、あまつさえ作品に忘れ難い印
象を刻印する“過剰”を生み出している。それは、書きたいことと書ききれないこ
との実質をしっかりと掴み得た者だけが、ただ処女作においてのみ達成できること
だ。

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